【新WebSite紹介】 明治産業近代化のパイオニア 平野富二 提供:「平野富二生誕の地」碑建立有志会

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e9fd275dc476af6b4d99a7f56e59b9b5この「平野富二:明治産業近代化のパイオニア」サイトは
長崎の生んだ明治時代の実業家 平野富二についての記録です。
「平野富二生誕の地」碑建立有志会趣意書
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ことしは<明治産業近代化のパイオニア 平野富二生誕170周年>です。
それに際して2017年新春から有志によって結成された<「平野富二生誕の地」碑建立有志会>が運営するブログロールが上掲図の WebSite < 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ > です。

この<WebSite 平野富二> は簡便なブログロール型のものですが、いくつかの特色あるコーナーが設けられています。
平野富二 紹介

「平野富二生誕の地」碑
◎ 「平野富二生誕の地」確定根拠
古谷昌二ブログ
連 絡 先
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◎ 古谷昌二ブログ アーカイブ簡略紹介

01 探索:平野富二の生まれた場所
 <長崎生まれとしかわからなかった>
 平野富二が長崎の町司矢次豊三郎の次男として長崎に生まれ、幼名を矢次富次郎と称したことについては、福地桜痴の記述したとされる「平野富二君の行状」に示されている。
それをもとに調査し、結果をまとめた三谷幸吉編著『本木昌造・平野富二詳伝』でも、長崎の何処で生まれたかについては明らかにしていない(以下略)。
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02 町司長屋の前にあった桜町牢屋

<長崎引地町の桜町牢屋・三ノ堀・地獄川>
 平野富二の生まれた引地町の周辺には、長崎の長い歴史に関連する史跡が存在する。それは、桜町牢屋・三ノ堀・地獄川である。これらの史跡には、その痕跡を示すものは僅かであり、説明板や表示もない。平野富二の生誕地をおとずれたついでに、平野富二を生み、はぐくんだ長崎の土地とその歴史をしることも意義あることと思う(以下略)。
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03 町司長屋に隣接した「三ノ堀」跡

 <町司長屋の横にあった窪地>
 幕末の「長崎明細図」によると、引地町町司長屋の敷地に隣接して、何やらいわく因縁のありそうな土地が、周囲から孤立して描かれている。
この土地が接している引地町通りの延長部分は、「引地町町使長屋絵図」によると、道幅が狭くなっており、片側は桜町牢屋の石垣で高くなっている。反対側は、道路面から下に石垣が積まれており、この土地が窪地であることが分かる(以下略)。
fbe97729998a350c8d52782b8230e46a-1[1]あたらしいWebSite、< 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ > へのご訪問をお待ち申しあげます。