朗文堂タイプ・コスミイクからお知らせ

新書体2点を発表。3月20日発売開始!

robundo

 type cosmique


Human Sans Serif  銘石B  Combination 3
和字 おゝことのは Family 9

書体設計は欣喜堂・今田欣一氏によるものです。欣喜堂は日本・中国・欧米の、書写と印刷の歴史にはぐくまれた、正統的な活字書体の開発をめざしております。
販売は朗文堂タイプコスミイクによるものです。小社はつねづねお客さまとの双方向の情報交換を希望しております。本書体をお客さまがご愛用いただき、ご希望、改善点、ご叱声など、ご遠慮なくお寄せいただけることをお待ちしております。

日本語総合書体『Human Sans Serif 銘石B Combination 3』、
和字書体(ひら仮名・カタ仮名)『和字 おゝことのは Family 9』を、
3月20日より新発売いたします。
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Human Sans Serif  銘石B  Combination 3

くれたけ銘石B、くろふね銘石B、くらもち銘石B
販売価格 ¥36,750 (本体価格  ¥35,000)

《ついにわが国でもヒューマン・サンセリフが誕生!―碑石体B》
十分なインパクトがありながら、視覚に優しいゴシック体、それもいわゆるディスプレー・タイプではなく、文字の伝統を継承しながらも、使途のひろいサンセリフ――わが国の電子書体にも「ヒューマン・サンセリフ」が欲しいとされるご要望が寄せられていました。
確かにわが国のゴシック体のほとんどは、もはや自然界に存在しないまでに鋭角的で、水平線・垂直線ばかりが強調されて、鋭利な画線が視覚に刺激をあたえます。

今回欣喜堂・朗文堂がご提案した「銘石B」の原姿はふるく、中国・晋代の『王興之墓誌』(341年、南京博物館蔵)にみる、彫刻の味わいが加えられた隷書の一種で、とくに「碑石体ヒセキ-タイ」と呼ばれる書風をオリジナルとしています。

『王興之墓誌』。この裏面には、のちに埋葬された
妻・宋和之の墓誌が、ほぼ同一の書風で刻されています。



『王興之
墓誌』拓本。右払いの先端には隷書に独特の
波磔のなごりがみられ、多くの異体字もみられます。

『王興之墓誌』は1965年に南京市郊外の象山で出土しました。王興之(309-40)は王彬の子で、また書聖とされる王羲之(307-65)の従兄弟イトコにあたります。
この墓誌は煉瓦の一種で、粘土を焼き締めた「磚 セン、カワラ、zhuān」に碑文が彫刻され、遺がいとともに墓地の土中に埋葬されていました。そのために風化や損傷がほとんどなく、全文を読みとることができるほど保存状態が良好です。



王興之の従兄弟・書聖/王羲之の(伝)肖像画。
同時代人でイトコの王興之もこんな風貌だったのでしょうか。

魏晋南北朝(三国の魏の建朝・220年-南朝陳の滅亡・589年の間をさす。わが国は古墳文化の先史時代)では、西漢・東漢時代にさかんにおこなわれた、盛大な葬儀や、巨費を要する立碑が禁じられ、葬儀葬祭を簡略化させる「薄葬」が奨励されていました。
そのために、書聖とされる王羲之の作にはみるべき石碑はなく、知られている作品のほとんどが書簡で、それを法帖ホウジョウにしたものが伝承されるだけです。

この時代にあっては、地上に屹立する壮大な石碑や墓碑にかえて、係累・功績・生没年などを「磚セン」に刻んで墓地にうめる「墓誌」がさかんにおこなわれました。『王興之墓誌』もそんな魏晋南北朝の墓誌のひとつです。

『王興之墓誌』の書風には、わずかに波磔ハタクのなごりがみられ、東漢の隷書体から、北魏の真書体への変化における中間書体といわれています。遙かなむかし、中国江南の地にのこされた貴重な碑石体が、現代のヒューマン・サンセリフとして、力強くよみがえりました。

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和字 おゝことのは Family 9

販売価格 ¥9,450(本体価格  ¥9,000)


《ことのはの原姿は、アンチック体和字活字です》
和字書体「ことのは」は、ひろくは「アンチック体」と呼ばれている活字を統一感をもって整理・整頓し、ウェートを使途にあわせて多様化して9種類にしたものです。
その初登場は、欣喜堂和字シリーズ第2弾として発売された『和字 Tradition 9』に収録されて、好評を博しました。
その原姿は『辞苑』(新村出編著、1935年初版、書香文庫蔵)の見出し語活字で、俗に「アンチック体」とされる和字活字にあります。幸い資料が辞書でしたから五十音それぞれのキャラクターを抽出できました。

アメリカからもたらされた活字書体「antique」と同じ名称をもち、辞書などの見出し語として用いられてきた和字書体に「アンチック体」があります。欧字書体としてのアンチックの名称は、ふるくは『活版様式』(活版製造所平野富二、1876)に登場し、和字・漢字をともなった総合書体としては『新撰讃美歌』(警醒社、1888)で使用されています。

《アンチック体と混同されがちな 太仮名由来の和字書体》
アンチック体和字は、しばしば金属活字由来の「太仮名」と混同されています。このふたつの活字書体は、ともに明治期に誕生した優れた書体ですが、アンチック体の画線は比較的均一で、太さの差異がすくなく、太仮名由来の和字書体は画線に抑揚があり、脈絡を強調する特徴がみられます。

そのために、このふたつの和字書体は異なる設計意図にもとづく書体とおもわれます。簡便に見わけるためには、ひら仮名「の」の頂点がほぼ同じ太さになっているのがアンチック体、頂点が細くなっているのが太仮名活字由来の和字書体ということができます。その詳細は『ヴィネット11号 和漢欧書体混植への提案』(今田欣一  朗文堂)に報告があります。

『和字  おゝことのは Family 9』では、もう一度原点に立ち帰り、形象をさらに検討し、ウェートを9ウェートとしてファミリーを構築しました。漢字書体との組み合わせは、一応参考・推奨書体はありますが、お客さまご自身が「和字・欧字・漢字」の組み合わせの妙を発揮していただくことを期待しています。