カテゴリー別アーカイブ: イベント情報

平野富二と造形-活字人にして造船家、やはり造形にはこだわりが強かったようです。

『平野展』ポスターL古谷さん肖像《『平野富二伝』古谷昌二編著、朗文堂刊 発売日が迫りました》
発売日 : 2013年11月22日[金]
書店店頭、オンラインブックショップなどでの販売は、発売開始後すこし遅れます。

《『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会、開催日が迫りました》
明治産業近代化のパイオニア
『平野富二伝』 考察と補遺  古谷昌二編著
刊行記念 展示・講演会
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日 時 : 2013年11月30日[土]-12月01日[日]
      11月30日[土]  展示 観覧  10:00-16:30
                  著者講演会 14:00-16:00
             12月01日[日]  展示 観覧  10:00-15:00
                 掃 苔 会   10:00-12:00
      編著者・古谷昌二氏を囲んでの懇話会、サイン会は、会期中随時開催
会 場 : 日展会館
             東京都台東区上野桜木2-4-1 電話 03-3821-0453
      JR 鶯谷駅より徒歩5分
             東京メトロ千代田線根津駅より徒歩15分
      日展会館案内図
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主 催 : 平 野 家
協 力 : 朗 文 堂
             東京都新宿区新宿2-4-9 電話 03-3352-5070 
後 援 : 理想社/タイポグラフィ学会/アダナ・プレス倶楽部

《新刊発売とイベントがかさなって、いささかバタバタしております》
心地よい緊張というのでしょうか。主催者:平野家のみなさま、ご後援いただいた、理想社、タイポグラフィ学会、アダナプレス倶楽部と、それぞれ役割分担をして、大わらわでの準備作業が展開しています。
編著者の古谷昌二氏は、校正を終えたばかりだというのに、講演会のデータづくりに追われています。

平野富二。体重は100Kgをゆうに超え、人力車はふたりがかりで引いたといわれるほどの、大柄な男であった。
平野富二の写真記録(部分)。推定1885年(明治18)台紙によると印刷局にて撮影。体重は100kgをゆうに超え、ふたり乗りの人力車にひとりで乗っていたと記録されるほどの、大柄な男であった。
明治10年頃の平野富二による活版製造所の活字見本帳(部分)。「MOTOGI & HIRANO」と印刷されている。平野ホール蔵。
明治10年頃の平野富二による活版製造所の活字見本帳『BOOK OF SPECIMENS』(部分)。
「MOTOGI & HIRANO」と印刷され、中央部に「丸もに H」のブラックレターがみられる。平野ホール蔵。

《平野富二-活字人にして造船事業家、造形にはこだわりがあったか》
平野富二(1846-91 弘化3-明治25 行年46)は東京築地活版製造所を創立し、つづいて石川島造船所(現 IHI) を創立した明治の造形家であり、明治産業近代化のパイオニアです。
その業績にちなみ、書籍『平野富二伝』のジャケット、ならびにその関連イベントに使用した装飾罫は、「明治16年5月新製」(築地活版製造所)として、得意先に配布された装飾罫を、デジタル技法によって精緻化し、再現して使用しました。
飾り罫01uu東京築地活版製造所では明治16年5月-20年10月にかけて、これらのフライヤー状の「新製見本」を精力的に配布していました。

平野富二と東京築地活版製造所は、冊子型の活字見本帳として、1876年(明治9)に最初の活字見本帳を製作しています。この見本帳の扉ページには1876年と印刷され、英国セントブライド博物館が所蔵していましたが、現在では所在不明です。またその一部欠損本がわが国の印刷図書館に所蔵されています。

その後、翌1877年(明治10)に『BOOK OF SPESIMENS  MOTOGI & HIRANO』(推定明治10年 活版製造所 平野富二 平野ホール所蔵)を発行しています。本書は知られる限り、平野ホール所蔵書が唯一本です。同書は関東大地震のとき消火の水をかぶったとされ、いくぶん損傷がみられますが、今回の《『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会》でご覧いただけます。

1879年(明治12)には『BOOK OF SPESIMENS  MOTOGI & HIRANO』の改訂版が発行されていて、この改訂版のほうは数冊の所存が確認されています。
その後平野富二が造船業をはじめて多忙をきわめたたこともあり、しばらく冊子型活字見本帳は発行されることが無く、フライヤーのような「新製見本」を発行しつづけたようです。

この「新製見本」は『SPECIMENS OF NEW TYPES  新製見本』(明治21年2月 築地活版製造所)として再刷し、軽装の合本とされて発行されました。
『SPECIMENS OF NEW TYPES  新製見本』の表紙裏には、要旨「大型活字見本帳は目下製造中ですが、できしだいお知らせ申しあげます」とありますが、結局東京築地活版製造所の大型見本帳『活版見本』が完成したのは、大幅に遅れて、1903年(明治36)となりました。
飾り罫02uu
飾り罫01uu 《平野富二がもちいた印鑑》
印鑑uu
  平野富二は相当の文章家で、さまざまな文書をのこし、その自筆による公文書類は『平野富二伝』に際して古谷昌二氏によって紹介されました。それらの書類をみると、どうやら印鑑にもこだわりがあったようで、さまざまな印鑑を使用しています。
平野家には関東大震災と戦禍を免れたふたつの印鑑がのこされています。これらも実物を展示公開の予定です。

平野富二がもちいた印鑑二点(平野ホール所蔵)。
左) 平野富二長丸型柄付き印鑑
楕円判のT. J. HIRANO は「富二 平野  Tomiji Hirano」の「富 Tomi  二 Ji」から T. J. としたものか。初期の東京築地活版製造所では、東京を TOKIO とあらわしたものが多い。この印判の使用例は見ていない。
右) 平野富二角型琥珀製四角平型印鑑、朱肉ケースつき
四角判の「平野富二」は、朱肉入りケースともよく保存されている。使用に際しては柄がないために使いにくかったとおもわれる。

《平野富二がもちいた社章》
下図4点は『平野富二伝』第12章 明治18年の事績(p.531)に紹介された社章、商標およびマークです。

商標01商標02uu
上左) 『BOOK OF SPECIMENS  MOTOGI & HIRANO』(推定明治10年)にみられる築地活版所の社標で、本木昌造の個人紋章「丸も」のなかに、ブラックレターのHがみられます。ながらくもちいられ、明治17年の新聞広告にも掲載されています。
上右) 東京築地活版製造所の登録商標で、明治19年の新聞広告からみられます。
下左) 平野富二と稲木嘉助の所有船痛快丸の旗章で、明治11年に届け出ています。装飾文字のHをもちいています。
下右) 明治18年石川島平野造船所は商標を制定し、登録しています。この商標は『中外物価新報』(日経新聞の前身 明治18年7月7日)に掲載した広告にはじめて示されています。イギリス人御雇技師(アーチボルト・キングか)の発案とされ、「丸も」のなかにカッパープレート系のふとい HT が組み合わされています。
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このような著述をなした『平野富二伝』編著者:古谷昌二氏の講演会と、ここに紹介した平野家所蔵品の展示会を予定しております。
下記の情報をご覧いただき、ぜひともご参加ください。

 『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会のお知らせ

近刊『平野富二伝』古谷昌二編著 第一章 誕生から平野家再興まで -立神ドッグ建碑由来の説明板の紹介

立神ドック建碑2uu立神ドック建碑1uu写真) 三菱重工業株式会社長崎造船所 史料館提供

《三菱重工業長崎造船所にある立神ドッグ建碑由来の説明板》
長崎造船所とは、長崎県長崎市と諫早市イサハヤシにある三菱重工業の造船所・工場のことです。正式名称は三菱重工業株式会社長崎造船所。地元長崎では、もっぱら「長船 ながせん」の名で親しまれています。
ここに本格的な洋式造船所が設けられた歴史はふるく、時局下にあっては戦艦武蔵が建造され、最近では2002年に艤装中の豪華大型客船「ダイヤモンド・プリンセス」が火災をおこしたことなどでも知られます。

上掲写真は、三菱重工業長崎造船所本工場の立神通路の壁面に設置されている『建碑由来』説明板の写真です。この説明板の中央右寄りに、「立神ドック略歴」とあり、それに続いて平野富二の事績がしるされています。

「立神ドック略歴  明治三年(一八七〇)長崎製鉄所長平野富二乾ドック築工を民部省に建議、許可となり着工。同四年(一八七一)一時工事中止。明治七年(一八七四)フランス人ワンサンフロランを雇入れ築工工事再開。 明治一二年(一八七九)工事完成。(長さ一四〇米、巾三一米、深さ一〇米 当時東洋一)   (後略)  昭和四三年(一九六八)三月   三菱重工業株式会社長崎造船所」

これに補足しますと、
「慶応元年(1865)7月に立神軍艦打建所として用地造成が完了しましたが、当地における軍艦建造が取止めとなり、そのまま放置されていました。 明治2年(1869)になって、平野富二が民部省にドックの開設を建議し、民部省の認可が下りました。同年11月20日、平野富二が「ドック取建掛」に任命され、直ちに着工しました。しかし明治4年(1871)4月、長崎製鉄所が工部省の所轄となるに及んで、平野富二は長崎製鉄所を退職し、工事は中止されました」[古谷昌二]

平野富二(1846-91)は長崎出身で、活字と活版印刷関連機器製造「東京築地活版製造所」と、造船・機械製造「石川島造船所」を設立したひとです。
残念ながら、東京築地活版製造所はよき後継者を得ずに1938年(昭和13)に解散にいたりましたが、造船・機械製造「石川島造船所」は隆盛をみて、こんにちでは株式会社 IHI として、三菱重工業とは競合関係にある巨大企業です。

この地におおきな造船所がつくられた歴史を簡略にしるします。
1857年(安政4年)  江戸幕府直営「長崎鎔鉄所」の建設着手。
1860年(万延元年)  「長崎製鉄所」と改称。
1861年(文久元年)  完成。
1868年(明治元年)  官営「長崎製鉄所」となる。
1871年(明治4年)  工部省所管「長崎造船局」と改称[このとき平野富二は退職]。
1879年(明治12年)  立神第一ドック完成。
1884年(明治17年)  三菱の経営となる。「長崎造船所」と改称。

あわせて平野富二(富次郎 1846-91)のこの時代の行蔵を簡略にしるしましょう。
長崎にうまれた平野富二は、この三菱重工業長崎造船所の前身、長崎製鉄所とは16歳のときから関係をもちました。まず1861年(文久元)長崎製鉄所機関方見習いに任命され、教育の一環として機械学の伝習を受けていました。このころは飽の浦に建設された長崎製鉄所の第一期工事が完成して間もないころでした。

1869年(明治2)平野富二が民部省[1869年(明治2)に設置された中央官庁。土木・駅逓・鉱山・通商など民政関係の事務を取り扱った。1871年廃止されて大蔵省に吸収された]にドックの開設を建議し、民部省の認可が下りました。同年11月20日、「ドック取建掛」に任命され、直ちに工事に着工しました。しかし、1871年(明治4)4月長崎製鉄所が 工部省 の所轄となるに及んで、平野富二は退職し、工事は中止されました。

長崎製鉄所を退職したのち、1872年(明治5)7月から、本木昌造の再再の懇請により活字版印刷事業に着手し、東京に出て、1873年(明治6)から活字製造と活版印刷機器の製造「のちの東京築地活版製造所」で成功して資金をつくり、あわせて幕末に水戸藩が設けた石川島修船所の敷地を借りるかたちで、念願の造船業「石川島造船所」の事業に1876年(明治9)31歳のときに進出しました。
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造船業者や船乗りは「板子一枚下は地獄」とされ、きわめて危険な職業であることの自覚があるようです。ですからライバル企業「石川島造船所」現在の IHI の創業者「平野富二」の名を、自社の主力ドッグである立神ドックにその名を刻した、三菱重工業長崎造船所のみなさんの心意気にこころをうたれます。

上掲写真は、2001年「平野富二没後110年祭」に際して、列席された長崎造船所史料館からいただいたものです。ここは巨大工場の最奥部にあり、危険もあり、情報管理の面からも一般人の見学はゆるされていません。したがってこの写真が公開されたことはあまりないようです。
同社はまた『創業150周年記念  長船ナガセンよもやま話』(三菱重工業長崎造船所 平成19年10月 p.22-23)の見開きページで、「立神に巨大ドッグを 壮大な夢を抱いた平野富二、工事現場での大ゲンカ仲裁も」として、イラストと写真入りで紹介しています。
このとき平野富二は25歳という若さで、2-3,000人の労働者の指揮にあたっていました。

平野富二武士装束uu

平野富二(富次郎)が長崎製鉄所を退職して、活版印刷の市場調査と、若干の活字販売のために上京した1871年(明治4)26歳のときの撮影と推定される。
知られる限りもっともふるい平野富二像。旅姿で、丁髷に大刀小刀を帯びた士装として撮影されている。
廃刀令太政官布告は1876年(明治9)に出されているが、早早に士籍を捨てた平野富二が、いつまで丁髷を結い、帯刀していたのかは不明である(平野ホール所蔵)。

建設中の立神ドッグ

開鑿中の立神ドック
本図は、横浜で発行された英字新聞「ザ・ファー・イースト」(1870年10月1日)に掲載された写真である。 和暦では明治3年9月7日となり、平野富二(富次郎)の指揮下で開始されたドック掘削開始から、ほぼ 9 ヶ月目に当たる状態を示す。 この写真は、長崎湾を前面にした掘削中のドライドックの背後にある丘の上から眺めたもので、中央右寄りにほぼ底面まで掘削されたドッグが写されている[古谷昌二]。

考察13 開鑿ニ着手 明治二年(一八六九)一一月二〇日、製鉄所頭取青木休七郎、元締役助平野富次郎、第二等機関方戸瀬昇平は、「ドック取建掛」に任命され、続いて頭取助品川藤十郎と小菅掛堺賢助も要員に加えられた。 この中で筆頭の製鉄所頭取青木休七郎は名ばかりで、実質的な責任者は平野富次郎であった。 この時の製鉄所辞令が平野家に残されている。 「平野富次郎  右ドック取建掛  申付候」[古谷昌二]。 

任命状

  平野富次郎  右ドック取建掛  申付候図 ドック取建掛の辞令
本図は、平野家に保管されている平野富次郎に宛てた長崎製鉄所の辞令である。この辞令の用紙サイズは、高さ174㎜、幅337㎜で、ここに書かれている巳十一月とは明治2年(1869)11月(和暦)であることを示している[古谷昌二]。

長崎縣権大属任免状uu 

平野富次郎の長崎縣権大属任免状 
本図は、平野家に保管されている平野富次郎に宛てた長崎縣の任免状である。 この任免状の用紙サイズは、高さ187㎜、幅519㎜である。 最終行の「長崎縣」と書いた上部に小さく、「庚午 閏十月十六日」と記されており、明治3年(1870)閏10月16日の日付であることが分かる[古谷昌二]。
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このような著述をなした『平野富二伝』編著者:古谷昌二氏の講演会と、ここに紹介した平野家所蔵品の展示会を予定しております。
下記の情報をご覧いただき、ぜひともご参加ください。

 『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会のお知らせ

平野富二、活字製造販売事業開始の広告

『崎陽 新塾餘談 初編一』の活字販売広告は
たれの企画と意図にもとづいて
急遽巻末に加えられたのか?
『平野富二伝』(古谷昌二編著)より

崎陽新塾餘談 天下泰平国家安全「崎陽 新塾活字製造所 口上」 『崎陽 新塾餘談 初編一』 壬申  明治5年2月 印刷博物館蔵

本図は新街私塾から刊行された『崎陽新塾餘談 初編一』(壬申  明治5年2 平野富二このとき26歳)の巻末に掲載された「崎陽新塾活字製造所」の活字見本(価格付き)です。
この図版はこれまではしばしば本木昌造の企画の一環として紹介され、「天下泰平国家安全」の活字見本として知られてきたものです(小生も紹介してまいりました。ここに不明をお詫び申しあげます)。

平野富二武士装束uu平野富二(富次郎)が市場調査と、若干の活字販売のために上京した1871年(明治4)撮影と推定される。
知られる限りもっともふるい平野富二像。旅姿で、丁髷に大刀小刀を帯びた士装として撮影されている。
廃刀令太政官布告は1876年(明治9)に出されているが、早早に士籍を捨てた平野富二が、いつまで丁髷を結い、帯刀していたのかは不明である(平野ホール所蔵)。

ところが本木昌造は、このころはすでに活字製造事業に行きづまっており、1871年(明治4)6-7月にわたり、長崎製鉄所を辞職したばかりの平野富二(富次郎 25歳)に、「長崎新塾活字鋳造所」への入所を再再懇請して、ついに同年7月10日ころ、平野はその懇請を入れて同所に入所しました。
これ以後、すなわち1871年(明治4)7月以降は、本木は活字鋳造に関する権限のすべてを平野に譲渡しています。

また本木はもともと、活字と活字版印刷術を、ひろく一般に解放することはなく、「新街私塾」一門のあいだにのみ伝授して、一般には秘匿する意図をもっていました。そのことは、『大阪印刷界 第32号 本木号』(大阪印刷界社明治45年)、『本木昌造伝』(島屋政一 朗文堂 2001年)などの諸記録にみるところです。

苦難にあえでいた「崎陽新塾活字製造所」の経営を継承した平野富二は、従来の本木昌造時代の経営を大幅かつ急速に刷新しました。また本木の方針による「活字を一手に占有」することはなく、ひろく活字を販売し、活字版印刷関連機器を製造し、その技術を公開することとしました。
そのために平野は『崎陽 新塾餘談 初編一』の巻末に、「販売を目的とする価格付きの活字見本」を急遽印刷させ、ひろく活字を需用者に販売することにしたものとみられます。

その最初の行動が、この活字見本(価格付き)であったことの指摘が、『平野富二伝』(古谷昌二編著 朗文堂近刊 p.137)でなされました。これはタイポグラファとしてはまことに刮目すべき指摘といえるでしょう。
掲載誌が、新街私塾の『崎陽 新塾餘談 初編一』であり、販売所として長崎(崎陽)の二ヶ所だけが記載されているために、その効果は限定的だったとみられますが、これが平野富二のその後の事業展開の最大のモデルとなったとみられる、貴重な資料であることの再評価がもとめられます。

この年平野富二は27歳。本格的な活字製造事業を開始し、同時に東京への進出に備えて、あらかじめ1872年(明治5)8月14日付けの『横浜毎日新聞』に、陽其二らによる同根企業の横浜活版社を通じて同種の広告を出しています。
10月には新妻・古まほか社員10名をともなって上京して、ただちに同年10月発行の『新聞雑誌』(第六十六號 本体は木版印刷)に同種の活字目録を活字版印刷による附録とし、活字の販売拡大に努めています。

この壬申 明治5年とは、わが国の活字が、平野富二の手によって、はじめてひろく公開され、販売が開始された記念すべき年であったことが、本資料の再評価からあきらかになりました。 
これからは時間軸を整理し、視点を変えて再検討と再評価をすべき貴重な資料といえるでしょう。
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このような著述をなした『平野富二伝』編著者:古谷昌二氏の講演会と、平野家所蔵品の展示会を予定しております。
下記の情報をご覧いただき、ぜひともご参加ください。

 『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会のお知らせ

【展覧会】清時代の書 ── 碑学派 東京国立博物館/書道博物館

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《清時代の書 ―碑学派―》 三館連携企画
東京国立博物館 平成館 企画展示室
台東区立書道博物館
台東区立朝倉彫塑館
2013年10月8日[火]-2013年12月1日[日]
※ 月曜休館。一部展示変え、特別開館日あり。詳細は各館のWebsiteで確認ください。 
東京国立博物館 《清時代の書-碑学派》Website

────── 同館フライヤーより[一部に補筆しました]
中国・清時代(1616-1912)では、考証学の盛行を背景に、書においても金石(きんせき)資料が注目され、従来の王羲之(おうぎし)を中心とする法帖(ほうじょう)に代わって、青銅器の銘文や、石碑に刻まれてのこされた書、すなわち金石の書が尊ばれるようになりました。

この時代、金石に書の拠りどころを求めた人たちを「碑学派(ひがくは)」と称し、これまでもっぱら法帖を学んでいた「帖学派(じょうがくは)」と区別しています。
かれらは、はじめのうちは、漢時代の隷書や、唐時代の楷書に注目していましたが、やがて山野に埋もれていた青銅器や石碑にも視野を広げ、野趣あふれる楷書や篆書・隷書を中心とする、あらたな書風を形成しました。
また阮元(げん げん)や包世臣(ほう せいしん)らが、「北碑の書」[代表作:洛陽郊外 龍門石窟古陽洞 龍門二十品など]を称揚する理論を提唱したことで、碑学派は清時代の書の主流を占めるようになりました。

今回で11回目を迎える連携企画は、東京国立博物館、台東区立書道博物館のほかに、台東区立朝倉彫塑館を加え、台東区内に近接する3館が連携して、碑学派の主な書人の代表作を紹介し、碑学派の流れを概観します。

東京国立博物館では、碑学派の前期に重きを置き、主として碑学派の勃興期に焦点をあてます。
書道博物館では碑学派の後期を中心に、同館の創設者/中村不折(なかむら ふせつ)と、楊守敬(よう しゅけい)・康有為(こう ゆうい)とのつながりや、日本における「碑学派の書」の受容なども紹介します。
朝倉彫塑館でも、一部に日中の文化交流を彩る清時代の書画を展示します。

従来の書の流れを大きく変えることとなった、清時代の碑学派。学問に裏付けられて生まれた、碑学派の書の魅力をたっぷりとお楽しみください。

《主要展示作品》
・瘞鶴銘
   中国 梁時代・天監13年(514) 台東区立書道博物館蔵
・篆書白氏草堂記六屏
   鄧石如筆 中国 清時代・嘉慶9年(1804) 個人蔵
・行書七言律詩軸
   阮元筆 中国 清時代・18-19世紀  京都国立博物館蔵
・楷書嬌舞倚床図便面賦軸
   包世臣筆 中国 清時代・18-19世紀 東京国立博物館蔵
・篆書八言聯
   呉熙載筆 中国 清時代・19世紀 個人蔵(2013/11/6から展示)
・楷書斉民要術八屏
   趙之謙筆 中国 清時代・同治8年(1869)頃 個人蔵

────── 清朝末期の参考資料
◎ 光緒帝
中国清王朝末期第11代の皇帝・徳宗期の年号を光緒といい、徳宗のことを光緒帝ともいう。1875-1908。
◎ 変法自強――法と制度を変えて自ら強くするの意――と光緒帝
中国清朝末期に康有為、梁啓超らがわが国の明治維新にならって、憲法制定、国会開設、教育・学校制度の変革などを唱えた政策が変法自強[変法自彊ともする]。
1898(明治31)年、徳宗・光緒帝がこれを採用して、立憲君主制にもとづく国体変革「戊戌変法 ボジュツ-ヘンポウ」をおこなおうとしたが、西太后(1835-1908)らの守旧派勢力から武力弾圧をうけて失敗。康有為、梁啓超らは日本に亡命した。これを「戊戌政変」という。光緒帝はその後幽閉され、西太后の逝去とともに薨去した。
◎ 康有為 Kang Youwei
中国清朝末期の政治学者。号は長素、江東南海のひと。清朝末期日本にならった「変法自強」を唱えて「戊戌新政」を推進したが、政争にやぶれてわが国に亡命した。
亡命後も「清朝保皇」を唱え、立憲君主制による清朝擁護の論陣を展開し、孫文らの革命運動と対立した。1858-1927。

【アダナプレス倶楽部】第15回 活版ルネサンスフェア 終了しました!


とき * 2013年09月27日[金]28日[土] 13:30―19:00
ところ * 朗文堂4F-B
160-0022  新宿区新宿2-4-9 中江ビル4F
Telephone : 03-3352-5070
[来場ご案内マップ]

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抜けるような青空と、吹きわたる涼風のもと、2013年09月27日[金]28日[土]の両日にわたって開催されました《第15回 活版ルネサンスフェア》が終了いたしました。
ご来場たまわりました多くの皆さま、ありがとうございました。

両日とも、開場直後からお客さまの足が途切れることなくつづき、うれしい悲鳴の両日でした。
撮影担当者が接客に追われ、調子が悪い写真でのご紹介となりましたがご容赦を。
アダナプレス倶楽部では、ことしは恒例の5月の都内でのイベント《活版凸凹フェスタ》を一旦中止し、あたらしい舞台としての《Viva la 活版 ―― すばらしき活版》が、まず北海道美唄市でスタートしました。

そのために昨年秋のほぼ同時期の《第14回 活版ルネサンスフェア》以来、一年ぶりにお会いするアダナプレス倶楽部会員と、お客さまもたくさんご来場され、
「お元気でしたか? ことしの夏は暑かったけど、活版印刷はつづけていますか?」
と、あちこちで歓談の輪ができていました。

《2020年東京オリンピック開催も決定しました! 
      あたらしい時代の、あたらしい活版造形をめざす旅がはじまりました》
2020年、夏季オリンピックの開催都市に東京が決定しました。久しぶりの明るいニュースでした。
皆さまの力つよいご支援をいただきながら、アダナプレス倶楽部は意欲をあらたに、あたらしい活版造形者の増加をめざす地道な活動をつづけてまいります。
次回の《活版ルネサンスフェア》は、2014年春の開催を予定しております。
ご支援、ご協力ありがとうございました。

【良書推薦】吉田佳広さん 『文字の絵本 風の又三郎』 出版記念会!

表紙デザイン[1]


22-23ページ-馬が逃げ出します[1]46-47ページ-ラストシーンです[1]2-3ページ-導入部です[1]原作:宮沢賢治  デザイン:吉田佳広

宮沢賢治の名作世界を文字で表現!
グラフィックデザイナー歴50余年
タイポグラフィの先駆者である著者が挑む、実験的絵本。
『文字の絵本 風の又三郎』
原作:宮沢賢治 デザイン:吉田佳広
サイズ(判型)  21cm×21cm
ページ数     48ページ
発売日       2013年 08月
ISBN978-4-03-965110-5
発 売       偕 成 社
定価:¥1,785[税込]

【偕成社:オフィシャルページ
【吉田佳広氏のWebsite:名人のアート塾
【関連記事:花筏 吉田佳広氏の水彩画展
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文字の絵本『風の又三郎』出版記念会
 時 :2013年09月11日[水] 17:00-19:00
 所 :ART GALLEY KAGURAZAKA
     新宿区矢来町114 高橋ビルB1F
主 催:画材の森 ル・ポア 

挨拶をされる吉田佳広氏

DSCN1800三種類の『風の又三郎』
DSCN1805サイン会に応じる吉田佳広氏

左より、西野洋さん、伊藤勝一さん、進藤洋子さん、吉田佳広さん、志村守夫さん、やつがれ。───── 以下文責 片塩二朗
原作:宮沢賢治、デザイン:吉田佳広さんによる、文字の絵本『風の又三郎』には異装本が三種あります。

  • 第一次 吉田佳広自主制作 文字の絵本『風の又三郎』
               (原作:宮沢賢治、デザイン:吉田佳広、1977年)
    1974-84年にかけて「生活の中にタイポグラフィを」をスローガンとして、意欲的な活動をつづけた「タイポ・アイ」。吉田佳広さんはその設立メンバーであり、中心的存在でした。
    1977年《文字の絵本》と題した展覧会がひらかれ、そこに出品された作品が、第一次『文字の絵本 風の又三郎』でした。
    詳細は『タイポ・アイ 1975-1984 文字デザインのアイデア』(タイポ・アイ編著、ダヴィッド社、1984)に紹介されています。
  • 第二次 朗文堂(書館)発行 文字の絵本『風の又三郎』
               (原作:宮沢賢治、デザイン:吉田佳広)
    「タイポ・アイ」が一応の区切りをつけた1984年、小社朗文堂の最初期の書籍として刊行されたのが、第二次『文字の絵本 風の又三郎』でした。
    「タイポ・アイ」は活動の最後に、ニューヨークでの特別展を開催され、アメリカでも『文字の絵本 風の又三郎』が好感をもって迎えられました。その後しかるべき紹介者を通じて、英語版刊行の申し出があって、アメリカの出版社に「製版フィルム」一式をおくりました。
     

    ところがアメリカから英語版の色校正が送られてきた直後に、この版元は倒産し、その混乱のなかに『文字の絵本 風の又三郎』の「製版フィルム」は没してしまいました。情報を入手してすぐに現地に出かけましたが、すでにビルは空室で、オーナーは所在不明でした。
    これはデュープ(複版)を用意しなかった小社のミスであり、製作者の吉田佳広氏にはお詫びのしようもないほどのことでした。
  • 第三次 偕成社発行       文字の絵本『風の又三郎』
              (原作:宮沢賢治、デザイン:吉田佳広)
    第一次、第二次の『文字の絵本 風の又三郎』は、写真植字、レタリング、紙焼き複写、エアブラシなど、版下が幾重にも重なっていました。
    第三次『文字の絵本 風の又三郎』は、児童書・絵本の大手版元、偕成社からの刊行でした。その帯にはこのようにあります。

    宮澤賢治の言葉のリズムを
    文字とデザインでビジュアル化した
    実験的絵本!
    グラフィックデザイナーとして50年以上デザインの世界に携わり、タイポグラフィ(文字を素材とした印刷デザイン)の可能性を探究しつづけた著者[吉田佳広氏]が挑む「風の又三郎」。
    金属活字時代の1977年に自費出版、写植の時代の1984年に改訂版が刊行され、その新しさ・大胆さが反響を呼んだ『文字の絵本 風の又三郎』。根本のアイデアを生かしながら、さらに現代のデジタル技術を駆使し、全面的にデザインをあらためた最新版。
    ─────
    吉田佳広氏はいまではすっかりパソコンを縦横に駆使され、またまたあたらしい宮沢賢治像を描きだすことに成功されています。

    おもえば、第一次製作、第二次製作は写真植字と紙焼きによる「版下」が出稿データーでした。今回の第三次製作は、デジタルタイプを縦横に駆使し、フル・デジタルデータでの出稿でした。
    その間に36年の時間が経過しています。

    製作者/吉田佳広さんと、花巻の「宮沢賢治記念館」に同行したときのことをおもいだします。吉田さんは、賢治の手稿「春の修羅」の前で、黙って涙をぬぐっておられました。この宮沢賢治へのひたむきな憧憬が、36年という長い期間のモチベーションとなっておられたことと拝察いたしました。
    このあたらしい構想と、あらたな版元からの刊行をこころより祝福すると同時に、吉田佳広氏のますますのご壮健をこころより祈念いたします。

【展覧会】向井周太郎 世界プロセスとしての身振り

向井展チラシ表1

向井展フライヤーウラ[資料提供:武蔵野美術大学教授、新宿私塾講師、板東孝明氏]
【詳細情報:武蔵野美術大学美術館 図書館

向井周太郎 世界プロセスとしての身振り
Shutaro Mukai
Gesture -Miburi- as World process

会  期|2013年9月17日[火]-11月16日[土]
休館日|日曜日、祝日
              *9/23[月]、10/27[日]、11/4[月]は特別開館
時  間|10:00-18:00
              *土曜日、特別開館日は17:00閉館
入館料|無 料
会  場|武蔵野美術大学美術館 アトリウム2
主  催|武蔵野美術大学 美術館・図書館
共  催|武蔵野美術大学 造形研究センター
協  力|武蔵野美術大学 基礎デザイン学科研究室
助  成|公益財団法人 野村財団
監  修|向井周太郎(同学名誉教授)
共同監修|ミヒャエル・エールホフ
                 (ケルン・インターナショナル・スクール・オブ・デザイン教授)
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2000年にドイツ・ボンの国際展に出品された作品「世界プロセスとしての身振り」を展示。古今東西の「身振り」にまつわる図像で構成された本作によって、向井周太郎名誉教授のデザイン哲学を視覚的に紹介する。

【展覧会概要】
このたび武蔵野美術大学 美術館・図書館では、同学名誉教授である向井周太郎氏のデザイン哲学が凝縮された作品「世界プロセスとしての身振り」を紹介する展覧会を開催いたします。

本作品は、2000年、ドイツで行われたハノーファー万国博覧会の併設事業として、ボンのドイツ連邦共和国アート&エキジビションホールで開催された「今日は明日-経験と構成の未来」展に出品されました。

シルクスクリーンプリント30点から成る本作は、向井氏自身の手によって集められた古今東西の図像が、その論考とともにテーマ毎に構成されています。人間身体(ミクロコスモス)の「身振り」と、大自然(マクロコスモス)の「身振り」を探る内容となっており、向井氏のデザイン学の基盤を形成する「形態学(モルフォロギー)思考」が凝縮されています。

本展では、向井氏の監修に加えて、ドイツでの展覧会においてキュレーションを務めたケルン・インターナショナル・スクール・オブ・デザイン教授のミヒャエル・エールホフ氏を共同監修に迎え、当時と同様に書物に見立てられた空間として当館アトリウムに作品を設置します。

「中空に吊られた30枚のパネルが、空間のなかにひとつのパサージュとして本宇宙を形成する」というドイツ展での向井氏のコンセプトは、本展においても吹き抜けの、まさにパサージュといえる空間に展示されることで、より明確に体感できることでしょう。

現在も活躍する両氏の監修による本展は、2000年の再現にとどまることなく、現在の問いかけとして発信されます。さらに、作品への理解を深めるために評論家やデザイナーなど10名以上の著者による論考を収録した図録の刊行やトークイベントを予定しており、向井氏を中心としたデザイン学の対話を活発に行われるでしょう。
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……デザイン……それは、「生」の全体性としての生活世界の形成であり、世界プロセスの新しい身振りとしての生態美(das Öko-Schöne)の形成であるともいえる。まさに、ここに新世紀におけるデザインという行為の新たな課題の地平が開かれている。
この「身振り」は、すでに見てきたように、人間のさまざまな表現運動や、動物の行動や、自然や世界の生成リズムを包含可能な概念である。しかもこの概念は、世界のさまざまな現象や専門性を横断し、私たちの原記憶や自己と世界の再生への想像力を喚起してくれるものである。
―― 向井周太郎

【出展作家紹介】
向井周太郎
1932年生まれ。インダストリアル・デザイナー。早稲田大学商学部卒業後、ドイツ・ウルム造形大学でデザインを専攻。
同大学およびハノーファー大学インダストリアル・デザイン研究所のフェローなどを経て、武蔵野美術大学に基礎デザイン学科を設立し、新しいタイプの人材の育成と、デザイン学の形成に力を注ぐ。
現在、武蔵野美術大学名誉教授、国際デザイン研究評議会(BIRD)委員、基礎デザイン学会会長、日本記号学会理事など。 

【展覧会】和様の書 東京国立博物館

DSCN1732uuDSCN1731uu和様の書uu東京国立博物館 特別展  和様の書
2013年07月13日-09月08日[日] 会期が終了しました。
会   場 : 東京国立博物館 平成館

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東京国立博物館 特別展 《 和様の書 》 の会期が終了しました。 
ともかく 「 みどころ : 国立博物館みどころページ 」 がいっぱい。 国宝 ・ 重要文化財級の名作や貴重資料にあふれていました。
図録もとてもていねいにまとめられた貴重書で、デザイン担当は、亀井伸二さん、原純子さんによるデザインユニット 「 W.O.DESIGN 」 です。 ちなみに原純子さんは新宿私塾第04期,、ならびに活版カレッジの修了生で、現在は新宿私塾の講師にあたられています。
ご参観された皆さんはいかがだったでしょうか。

『タイポグラフィ学会誌06』刊行記念講演会のご案内

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タイポグラフィ学会は、2013年9月8日(日曜日)に『タイポグラフィ学会誌06』刊行披露講演会を学校法人専門学校東洋美術学校にて開催します。
今回の刊行披露講演会では、先般発行された『タイポグラフィ学会誌06』に収録された論文より、内田明氏の「活字史研究書としての徳永直『光をかかぐる人々』に見られる達成」と、板倉雅宜氏の研究ノート「教育書肆 集英堂 山中八郎・橋本源七について 栃木県特有の活字を尋ねて」の講演をおこないます。

タイポグラフィ学会はタイポグラフィ Typography という技芸に学問的な基盤を与え、その成果を実技・実践に生かし、有効で豊かな展開を通して社会に貢献することを目的に設立いたしました。
その活動の成果を学会の枠を超えて、ひろく一般のみなさまに発表することで、より良いタイポグラフィを実現する契機となるよう、多くの方々の講演会へのご参加を心よりお待ちしております。
タイポグラフィ学会会長 山本太郎
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【日 時】 2013年9月8日[日曜日] 午後4時より
                        受付:開始20分前より
【会 場】 学校法人専門学校 東洋美術学校 D棟1階 学生ホール
       161-0067 東京都新宿区富久町 2-6
       東洋美術学校アクセスマップ
【講演者】 内田明氏、板倉雅宣氏
       各氏30分から1時間程度の講演を予定しています。
【参加費】 無  料

【申込み先・詳細:タイポグラフィ学会  『タイポグラフィ学会誌06』刊行記念講演会

会期末迫る ! イベント関連の、良書三冊のご紹介


榮久庵憲司とGKの世界『鳳が翔く』

展示図録

B5寸伸び、かがり綴じ、ソフトカバー、本文280ページ、カラー図版多し
ブックデザイン:木村雅彦
発売:世田谷美術館(同館にて展示・販売)
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【同展覧会 フライヤーより】
榮久庵憲司と、彼が率いる創造集団GKは、戦後の復興期より、数々の製品をデザインすることで、日本人の生活や都市空間の近代化の一翼を担ってきました。その領域は、日ごろ街中で目にする日用品やオートバイから、博覧会場の施設やサイン類、都市のインフラストラクチャーまでと、多岐にわたります。

榮久庵は、実家を継ぐべく僧門に入ったのち、デザインの道を志しました。その原点には、原爆で廃墟となった広島の街の光景と、進駐軍が体現していたアメリカ文化があったといいます。そして東京藝術大学在学中より、ともにデザインを学ぶ同窓生と、「モノの民主化」、「美の民主化」をスローガンに、当時の日本としては類のない、インダストリアルデザインを専門とするグループ、GKを結成しました。

以降、60年にわたるデザイン活動の根底に流れているのは、モダンデザインと東洋の思想の融合に加え、人が作ってきたもの=道具についての長年の研究です。人類が太古に初めて手にした道具から、未来の暮らしまでを見据えて、人と道具のあるべき関係をデザインによって提案し続けてきました。

本展覧会では、製品化されたものやその模型、将来へのプロポーザル、さらには、人と自然と道具が美しく共生する世界を具現化したインスタレーション等によって、榮久庵憲司とGKが展開してきた、デザインの世界像をご紹介します。
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2013年7月6日土曜日 ― 9月1日日曜日
世田谷美術館 Setagaya Art Museum
開館時間:
午前10時─午後6時(入場は午後5時30分まで)
休 館 日:
毎週月曜日
観 覧 料:
一般1000(800)円、65歳以上800(640)円、
大高生800(640)円、中小生500(400)円
*( )内は20名以上の団体料金。障害者の方は500円
(介助の方1名までは無料)、大高中小生の障害者の方は無料。

【詳細情報:GK Design GroupSetagaya Art Museum

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タイポグラフィ 2つの潮流  Two Streams of Typography

展覧会図録
A4判寸伸び、かがり綴じ、ソフトカバー、付録多数
ブックデザイン:朴 志勲
発売:武蔵野美術大学 美術館・図書館(同館にて展示・販売)

会 期 |  2013年5月20日[月]-8月18日[日]
休館日|  毎週 日曜日
(6/9[日]、7/15[祝]、8/18[日]は 特別開館日)
時 間 |    10:00-18:00(土曜、特別開館日は 17:00 閉館)
入館料|  無 料
会 場 |  武蔵野美術大学美術館 展示室 3
主 催 |  武蔵野美術大学 美術館・図書館
共 催 |  武蔵野美術大学 造形研究センター
監 修 |  新島 実 (視覚伝達デザイン学科教授)
共同監修|寺山祐策(視覚伝達デザイン学科教授)
白井敬尚(視覚伝達デザイン学科教授)

詳細:武蔵野美術大学 美術館・図書館 展覧会情報

武蔵野美術大学図書館所蔵の貴重書・雑誌・ポスターコレクションから、主にイギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、オランダ、スイスにおける20世紀欧文タイポグラフィの、国際様式と伝統様式を俯瞰する。

【展覧会概要 ── 同展フライヤーより】

このたび、武蔵野美術大学 美術館・図書館では「タイポグラフィ 2つの潮流」展を開催いたします。
本展は、19世紀末から20世紀後半にかけて、欧米で出版された美しい書物等を一堂に会して、ヨーロッパ及び米国における「伝統様式のタイポグラフィ」「国際様式のタイポグラフィ」の2つの流れを同時に俯瞰し、550年以上にわたり人々を引きつけて止まないタイポグラフィの魅力を探る試みです。

19世紀後半、ウィリアム・モリスが求めた「美しい書物」制作への試みの原点は、15世紀のインキュナビュラへの眼差しをその基本とし、当時の書物を丁寧に分析することから始められました。
そしてこのモリスの眼差しはその後のプライベート・プレス運動へ大きな影響を与え、20世紀のタイポグラフィ、とりわけ書物制作の一潮流として格調高い伝統様式美を復興させました。
さらにこの美しい書物制作への態度は、スタンリー・モリスンやヤン・チヒョルトによって一般化され、現在に至っています。

一方で、新たなタイポグラフィの転換は19世紀末のアール・ヌーヴォー(ユーゲント・シュティール)に端を発し、20世紀初頭のイタリア未来派、ロシア・アヴァンギャルド、デ・スティルそしてドイツのバウハウスなど、ヨーロッパ全土にまで連鎖的な拡がりを見せた革新的芸術運動の影響のもと、エル・リシツキーやバウハウスでのモホリ・ナジ等のタイポグラフィの革新運動にその萌芽を見ることが出来ます。
この新たな転換はその後、ドイツとスイスで国際様式と呼ばれるタイポグラフィデザイン形式を生み出し、印刷紙面に新しい空間構成と意味生成の土壌を形成することに繋がっていきます。

本展では武蔵野美術大学図書館所蔵のタイポグラフィ・コレクション、ポスター・コレクションと合わせて、貴重書の中からイギリスのプライベート・プレスによる書物をはじめ、フランスやドイツで出版された豪華本、画集、挿絵本、聖書などの優れたブックデザインなど250点を取り上げ、それらを同時に展示することによって、視覚造形言語としてのタイポグラフィの今日的な役割と発展を見つめ直す契機にしたいと思います。

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株式会社 精興社 創業百周年記念出版

『活字の世紀 白井赫太郎と精興社の百年』
平成25年4月8日 第1刷発行
四六判上製カバー装・408頁

著  者:田澤拓也
発行者:青木宏至
発行所:精興社ブックサービス
印  刷:精興社
製  本:牧製本印刷
定  価:非売品

〈著者紹介〉
田澤拓也 たざわ たくや
1952年(昭和27年)青森県生まれ。早稲田大学法学部・第一文学部卒業。出版社勤務をへて作家に。『空と山のあいだ』(第八回開高健賞)『ムスリム・ニッポン』(第四回21世紀国際ノンフィクション大賞優秀賞)『虚人 寺山修司伝』『百名山の人 深田久弥伝』『無用の達人 山崎方代』など数多くのノンフィクションや人物評伝を著している。(同書奥付より)
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[ブックレビュー](この項文責:片塩二朗)
小社としたしくおつき合いしている 精興社 が、めでたく創業百周年を迎えた。その記念出版『活字の世紀 白井赫太郎と精興社の百年』を拝読した。
この書物は企業年史というより、企業とその周辺のものがたりである。だからといって価値を貶めることなく、著者/田澤拓也氏の丹念な取材と、抑制のきいた筆致には好感をもった。

精興社のスタッフが、わざわざ『活字の世紀 白井赫太郎と精興社の百年』を持参していただいた。わが国の近代タイポグラフィは140年余の歴史を刻んできた。そのなかで精興社の百年の歴史はおもいものがある。それを賀し、つぎの百年にむけて、勇気ある歩みをすすめていただきたいものである。

Viva la 活版 Viva 美唄 盛況裡に終了! ご来場・ご支援に大感謝!!


《Viva la 活版 Viva 美唄》
【会  期】 2013年7月13日[土]―15日[月・祝]    9:00―17:00
【会  場】 ARTE PIAZZA BIBAI アルテピアッツァ美唄
         アート・ギャラリーおよびアート・ストゥディオ
         北海道美唄市落合町栄町 http://www.artepiazza.jp/
【入場料】  無 料
【主  催】  朗文堂 アダナ・プレス倶楽部
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《Viva la 活版 Viva 美唄》は、初夏の薫風のもと、終始晴天にめぐまれ、アルテ ピアッツァ美唄において、全日程を無事に終了いたしました。
アート・ギャラリーの会場ご来場され、活版造形作品をご観覧いただきました、たくさんの皆さま、アート・ストゥディオの会場での各種のタイポグラフィ・ゼミナールにご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。

《Viva la 活版 Viva 美唄》には、アダナプレス倶楽部会員、活版カレッジ、そして新宿私塾修了生、タイポグラフィ学会の皆さまが、道内はもとより、とおく、福岡・徳島・埼玉・千葉・神奈川・東京から、30余名というたくさんの皆さまが参加されて、力つよい運営と応援にあたってくださいました。
ほんとうにありがとうございました。

北海道の雄大な大地に、あたらしい時代の活版造形の種子を、ひとつぶ、のこすことができました。





 《Viva la 活版 Viva 美唄》は、「海の日」にちなんだ三連休のかたのご来場も多く、全国各地からアルテ ピアッツァ美唄の彫刻造形と大自然のハーモニーをたのしまれるかたがお見えになっていました。
そんなかたが《Viva la 活版 Viva 美唄》にもご来場されて、そこではじめて活版印刷に触れられたかたもいらして、そこでもあらたな出会いと交流が、多彩にはじまっていました。

アダナプレス倶楽部会員の皆さんは、忙しい日程をやりくりしての北海道入りでした。また美唄はおろか、北海道そのものがはじめてというかたもいらして、アルテ ピアッツァ美唄のアート・ギャラリー、アート・ストゥディオの会場をめぐり、各所に配された安田 侃カン氏の彫刻作品を楽しまれ、そして北海道各地を意欲的にまわる、強行日程のかたも多かったようです。

ですから毎日が、会員同士の再会と出会いの歓喜の場となり、毎夜の食事は、しばしのお別れ会を兼ねた「懇親会」という状態でした。
ともかく終始歓声と感動に包まれたアルテ ピアッツァ美唄の会場でした。
たくさんの収穫と、成果と、宿題と、おもいでがいっぱいの《Viva la 活版 Viva 美唄 ── すばらしき活版、すばらしい美唄》でした。

ギャラリーでの活版作品展示、ストゥディオでの各種ゼミナールの報告などは、主催者カメラが追いついていないため、会員の皆さんの写真が集まるのをまって、『アダナプレス倶楽部 コラム』で順次ご紹介させていただきます。





Viva la 活版 Viva 美唄 炭山ヤマの碑と監視員さん



《以下 ── やつがれ Wrote》
たなばたの日曜日。《Viva la 活版 Viva 美唄》の開催を控えたアダナプレス倶楽部会員の作品搬入が盛んです。
「最後の最後に、誤植をみつけちゃって……。土曜日にもう一度刷り直して、すぐ製本しま~す」
「飛行機のチケットが取れました。作品もバッチリです。ご安心を!」
@メールもにぎやかです。
─────
《Viva la 活版 Viva 美唄》には、雨男バッカス松尾も参加されます。ですから雨がおおいに心配でした。「Yahoo ! 美唄市の週間天気予報」によると、最高気温は25-26度、おおむね曇り、後半は晴れになるようです。
どうやら今回は、天下の晴れ男、やつがれの勝ちらしい。

旅行者やイベント開催者には、降雨はつらいが、それでもやつがれ、アルテ ピアッツァ美唄の一面の緑、そして巧妙に配された真っ白な彫刻や、シェンナ(赤茶色)の構造物が、雨にうたれる姿も見てみたいという、チョット贅沢な望みもある。

なにせアダナプレス倶楽部の主催だから、《Viva la 活版 Viva 美唄》には、付帯イベント?が盛りだくさんに設けられている。
① 既報のとおり、堀内剛さんの講演にともなう、ミニトマトと絞りたて生ジュースの試食・試飲会。由仁町まるほり野菜園への遠征ドライブ。道中カーナビ画面が、ただの一本棒になるから注目。接待:ご機嫌によるが、風の猫 ゴリを予定 
② 懐かしのシャボン玉ホリデー(大石担当。詳細:ないしょ)
③ 目の前美唄川支流で、沢ガニとヤゴ捕り(やつがれ担当。参加希望無し)
④ 美唄名物焼き鳥を食いまくる懇親会。地元北海道勢も多数参加。
⑤ 札幌ラーメン、地ビールの試食・試飲・品評会(希望者が勝手に開催)
⑥ ジャスト・シュン!美唄ハスカップ狩り。入園試食無料。持ち帰り有料。
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ところで、《Viva la 活版 Viva 美唄》の主会場は、アルテ ピアッツァ美唄の宏大な敷地いっぱいで開催される。
講演会とタイポグラフィ・ゼミナールは、ヤマの上の「アート・ストゥディオ」。作品展はヤマの中腹、彫刻広場前の「アート・ギャラリー」での開催。

このふたつの会場は、そうとう離れているし、高低差もたっぷりある。
ギャラリーからストゥディオまでのぼると、やつがれなぞは身も心も疲れはて、おもわず隣奥の「ギャラリー・カフェ」に倒れこんで、テラスで一服つけ、チョロチョロ顔をだすリスを相手に、絶品の水出し珈琲をいっぱいやらないと、隣接手前の「アート・ストゥディオ」には戻れないほどだ。

武田信玄「風林火山」さながら「動かざること山のごとし」のやつがれ。そのために手不足になりがちの今回。エクセルプリントでの役割分担は「アート・ギャラリーでの監視員」に決定しているらしい(希望調査は無かったが……)。

監視員さんとは、大きな美術館や博物館の一隅で、夏は冷房病予防、冬はシモヤケ予防で、毛布を膝に掛け、彫刻作品のようにかたまっているひとの役割である。ときおり立ち上がって、
「硝子に手をお触れにならないようにお願いします」(ニッコリ)
などという役割である。ところがなにぶん強面コワモテのやつがれ、ニッコリはできないし、気温25-26度の快適さでは、ユニフォームの膝掛け毛布をどうしよう?


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美唄市 は、かつては日本四大産炭地のひとつとされて、三菱鉱業、三井鉱山、中小の炭鉱などが進出して、全国でも有数の炭鉱都市として栄えたまちです。
最盛時には炭鉱までのローカル鉄道「美唄鉄道」がはしり、1950年代の最盛時の人口は10万人弱という繁華なまちでした。

1970年代にはいると、国の施策として石炭から石油へのエネルギー転換がはかられ、このまちでも1973年に三菱美唄炭鉱が閉山されて、ほとんどの炭鉱の灯が消えました。活気のあった炭鉱住宅はひっそりと静かになり、子どものいなくなった小中学校は廃校となりました。

それから40年ほどの歳月がすぎ、現在の美唄市は人口2万5000人ほど。ここがおおきな産炭地だったことを忘れさせるほど、豊かな緑がひろがり、すっかり静かなまちになりました。
それでも空知ソラチ地方の中核都市、物資の集散地としての役割を担い、廃鉱のまちにありがちな暗さがないのがふしぎなくらいです。

それでも《Viva la 活版 Viva 美唄》の主会場、アルテ ピアッツァ美唄から車で数分のところに、炭鉱で犠牲となったかたの鎮魂の碑「炭山ヤマの碑」があり、もうすこし奥地には「炭鉱メモリアル森林公園」があります。
いずれも彫刻家/安田 侃カン氏の「作品」となっています。
─────
その「炭山ヤマの碑」にこころをうたれ、活版作品としてまとめたかたがいます。
用紙はスペイン/アルパ社、四方耳つき手漉き紙。活字組版は 12pt. 明朝体。図版部分はゴム版画を使用していました。印刷は5-6度刷りのようです。

《Viva la 活版 Viva 美唄》は、画期的な活版造形者による祭典となります。そしてひっそりと、わが国の繁栄をもたらした炭鉱労働者への鎮魂のこころを忘れていないのは嬉しいかぎりです。

★関連情報:アダナプレス倶楽部 NEWS
◎ 02月20日  Viva la 活版 Viva 美唄 開催のお知らせ 
◎ 06月11日  Viva la 活版 Viva 美唄 ゼミナール参加者募集
◎ 06月19日  Viva la 活版 Viva 美唄 さぁはじまったぞ! アダナプレス倶楽部イベント狂想曲 !?
◎ 06月29日  Viva la 活版 Viva 美唄 すぐそこまで!
◎ 07月05日  Viva la 活版 Viva 美唄 活版印刷と 安田侃カンと まるほりトマト
◎ 07月07日  Viva la 活版 Viva 美唄 炭山ヤマの碑と監視員さん 
◎ 07月10日  Viva la 活版 Viva 美唄 『やきとリンピック』と嬉しいバッティング!? 
◎ 07月17日   Viva la 活版 Viva 美唄 盛況裡に終了! ご来場・ご支援に大感謝!! 

★関連情報:タイポグラフィ・ブログロール『花筏』
◎ 03月13日  Viva la 活版 Viva 美唄 Ⅰ 開催のお知らせ
◎ 03月15日  Viva la 活版 Viva 美唄 Ⅱ 準備着着進行中 !?
◎ 03月28日  Viva la 活版 Viva 美唄 Ⅲ タイトルデザインと過去の活版関連イベントデザインの記録

Viva la 活版 Viva 美唄 活版印刷と 安田 侃カンと まるほりトマト




【詳細情報:まるほり野菜園ブログ  北海道の新米百姓日記
【関連情報:『花筏』2012年10月03日 まるほり野菜園 ── 農にいきるひと 堀内 剛さんへのエール


きょうはお知らせです。
《Viva la 活版 Viva 美唄》、本当にすぐそこ、来週末に迫ってまいりました。
アダナプレス倶楽部では、連日連夜、テンヤワンヤ、ともかく製作に余念がありません。

そんななか、ときおり北海道夕張郡由仁町の堀内剛さんからの飄飄とした@メールが到着します。ここにご紹介したいくらい、ユーモアと含蓄のある@メールです。
堀内さんは、「風の猫 ゴリ」 ── 甘えたり、すねたりする、気まぐれのようですが ── とともに起農 ── トマトと豆づくりに余念がありません。

そんな堀内剛さんと、《Viva la 活版 Viva 美唄》の講演会と、懇親会でお会いできます。何人かは、由仁町の「まるほり野菜園」訪問に出かけるようです。
堀内さんは美唄名物「アダナプレス倶楽部  焼き鳥懇親会」にもご参加されますが、おいしいお酒が飲めるように(飲酒運転防止)と、美唄周辺に宿をとられたそうです。

【詳細情報:まるほり野菜園ブログ  北海道の新米百姓日記
上記ブログにリンクすると同時に、その一部をここにご紹介いたします。「風の猫 ゴリ」との日日がたのしく綴られています。上記リンクもぜひご覧ください。 
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FC2 Analyzer   まるほり野菜園  堀 内  剛

今日はお知らせです。
7月14日にまるほり園長[堀内剛]が、焼き鳥で知られる美唄市に出張し、《Viva la 活版 Viva 美唄》の講演会として
「起農への挑戦 ◯(まる)をもらえる野菜づくり」
と題する講演と、「まるほりトマト」のPR活動をいたします。

会場は、世界で活躍する美唄出身の彫刻家、安田 侃(やすだ かん)さんがつくる植物や景観とともに成長する野外彫刻公園、アルテピアッツァ美唄

《Viva la 活版 Viva 美唄》は、「活字書体」「印刷技術」など、文字と活字を愛し、追求し続ける出版社「朗文堂」さんのアダナプレス倶楽部が主催。

アダナプレスとは、印刷の原点「金属活字」を紙に「押圧」する事による昔ながらの印刷技法、「活版印刷」をする機械の名前です。

これ以上説明するとぼろがボロボロ出てくるので詳しくはこちらでお調べの程を⇒朗文堂 アダナ・プレス倶楽部

イベントは、「欧文活字と花形活字でつくるオリジナルレターセット」などの講習会や、朗文堂主催の活版カレッジの生徒さんの作品展示などが中心。

そんな中、異彩を放ちまくる「まるほり野菜園」の講演&おみやげ配布の企画!

実は、朗文堂に勤める、まるほり園長の学生時代の後輩が、朗文堂の社長さんと出張のついでに、まるほり野菜園に遊びに来てくれた事をきっかけに、講演を企画していただきました。
講演のタイトルは「起農への挑戦 ◯(まる)をもらえる野菜づくり」
身体性をともなった「ものづくり」の根幹をなす「農」と「食」についての講演をとの事です。

① 私は言語中枢に深刻な問題を抱えている。
② ポワーっと生きて来たので、私の経験と上滑りな考えが
     皆様の参考に成るのかどうか?
③ なにより文字を愛する方のイベントで、私の話がフィットするのか??
主に、以上の理由でとても不安です。

先輩にチャンスをくれたゼミの後輩[大石薫]と、社長[片塩二朗]さんに恥をかかせないように、せめて準備はしっかりと、そしておみやげトマトは大盛りで臨みたいとおもいます。

ちなみに講演内容は
① 自己紹介 わたしの人生の歩み
② 農業との出会い。
③ 恩師たち
④ 新規就農事情と新しい流れ。
⑤ まるほり野菜園の目指す農業
⑥ B染色体がもたらした出会い。
⑦ トマト試食タイム!!
といった内容で1時間30分。主に試食タイムを充実する予定。

参加費500円でおみやげ付き。

皆さんの貴重なお時間をいただくので、もちろんお土産トマトは500円以上の価値のものにいたしますよー。
穴があったら7月15日まで入っていたい、、そんな精神状態ですが、
愛すべき後輩が頑張って段取りしたイベント。
私の起農を応援してくれている社長さんの気持ちに答えたい。

皆様に呼びかけます。

7月14日は是非、アルテピアッツァ美唄へ!!!!!!

イベント情報はこちら
Viva la 活版 Viva 美唄

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ゴリの秘蔵画像などを駆使してご機嫌を伺う作戦です。

【猛省 講演会】燕雀 いずくんぞ鴻鵠のこころざしを知らん哉 『史記』司馬遷


《唖~唖 !  やはりミニ講演会は大失敗。無残やの~》
だからいったでしょう。時間オーバーしそうだって。
ミニ講演会は持ち時間30分で、文字どおり、はなし半分で終了しました。
わざわざ足をお運びいただいた皆さまには、ふかくふかくお詫びもうしあげます。
いずれ(近いうちに)機会をもうけて、100枚のスライドでじっくりおはなしする場をもうけたく存じます。

なにしろ案の定の結果で、「ゆず屋」あたりの「つぶやき」にあげられ、すっかりからかわれているようです。
「ゆず屋 山王丸  榊 コト 本名:〇〇〇〇」は、某国立大学工学部出身の工学博士で、某官庁のお役人が本職のお堅いひとです。しかも「最終学歴?」が新宿私塾という変わり種ですから、あの「ゆず屋のつぶやき」なぞにだまされてはいけません!?
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ふるいはなしです。東京メトロ茗荷谷駅のかたわらに、ビジュアルデザイン研究所という私塾がありました。創立者兼所長は故高橋正人先生(旧教育大教授、主著/『構成ⅠⅡ』岩崎美術社)。
あらためて振りかえると講師陣はすごいものでした。所長の高橋正人先生(当時は教育大学名誉教授)、同大の教え子の勝井三男さん、おなじく故清原悦志さん、そして吉田佳広さんや、まだ若き五十嵐威伸さんなどがズラリとそろっていました。
「生徒」の大半は高橋先生のご経歴のせいか、ほかのデザイン専門学校とはいくぶんことなり、国公立の大学卒業生が大半(とりわけ夜間部)を占めていました。

そこの夜間部に入所したところ、半年もたたないうちに高橋先生から呼びだされ、
「カタシオくんは、写真植字機研究所[のち写研]の写植教室に通っていたの?」
「はい、半年コースで、もう修了しています」
「あそこの特別講師をしている、加藤美方さん(東京高等工藝学校卒、研究社を経て、大日本印刷、リョービ印刷機販売などで役員を歴任)と、高島義雄さん(新潟県柏崎市出身、長岡工業学校卒、研究社印刷株式会社に45年奉職。主著『傳書 活版技術 』1904-?)から推薦があってね。それで相談だけど、昼間部でタイポグラフィの講師がいなくてね。カタシオくん、やってくれないかな……」

生業にすぎない状態でしたが、すでに朗文堂を開業していましたから、昼間部はご容赦いただいて、まもなく夜間部の講師ということになりました。
摩訶不思議でした。すでに「授業料」は一年分を支払い済みでしたが、入所して半年あまりのちから「講師給与」をいただいていました。そして自分の授業が済むと、ほかの講師の「生徒」ということになりました。次第に朗文堂が多忙となり、ビジュアルデザイン研究所は一年半ほどでやめましたので、高橋先生には申し訳ない次第でした。
当時のわたしは26歳、まだデザインがのどかな時代のはなしです。

東京国際ブックフェア
片塩二朗 ミニ講演会

《秀英体改刻の歩み いまだ止まず》
と き:07月04日[木] 14:30-15:00
ところ:大日本印刷株式会社 秀英体開発室 ブースNo.6-50

そんなわけで……、(いいわけです)。
ビジュアルデザイン研究所から、美術大学や新宿私塾の講師をつとめて40年ほどがたちました。ですからいつのまにか、授業や講義とは90分が一コマだという体内時計(習慣)が身についてしまったのかもしれません。

DNPミニ講演会には、わざわざお出かけいただいた皆さまや、会場内で立ち止まってご聴講いただいた多くのお客さまがおられました。椅子席の20名はもとより、多くの皆さまが足を止めてご聴講されていました。あらためて、お詫び申しあげるとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。
また大日本印刷の「秀英体平成の大改刻」に刺激されたのでしょうか、会場内のほかのブースには、うれしいことに、いくつかの企業も自社専用書体の改刻をすすめ、それを公開していました。

講演の後半では、改刻の先にあるもの、これからの書体開発のあらたな方途をご提示する予定でした。
すなわち《秀英体改刻の歩み いまだ止まず》ということです。
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来週末(07月13日-15日)には《Viva la 活版 Viva 美唄》で、北海道の美唄にでかけます。北海道でも「メディアと活版印刷 活版印刷のあらたな挑戦」をテーマに、アルテ ピアッツァ美唄のアート・ストゥディオでの講演が予定されています。
「雀、百まで躍り忘れず」といいます。まだ懲りないんですねぇー。そうだ、こっちの持ち時間は何時間だったか、もう一度確認しなければならんぞ……。
皆さま、よろしければ、チョット足をのばして《Viva la 活版 Viva 美唄》でお会いしましょう!

《Viva la 活版 Viva 美唄》
【会 期】 2013年7月13日(土)―15日(月・祝)9:00―17:00
                
(最終日は13:00まで)
【会 場】 ARTE PIAZZA BIBAI アルテピアッツァ美唄
       アート・ギャラリーおよびアート・ストゥディオ
       北海道美唄市落合町栄町   http://www.artepiazza.jp/
【入場料】 無 料
      (ゼミナールの一部に参加費が必要なものもあります)

【主 催】 朗文堂 アダナ・プレス倶楽部

■ 07月13日(土)
10:00―12:00 「メディアと活版印刷──活版印刷のあらたな挑戦」
            朗文堂/片塩二朗
参加費500円。予約不要・当日参加可能。
わが国への活字版印刷術導入の歴史から未来展望までが学べる講座です。
活字版印刷機Adana-21Jを使って記念カードの印刷体験も行います。

【講演会】東京国際ブックフェア DNP 《秀英体改刻の歩み いまだ止まず》《『秀英体平成の大改刻』における開発概要》


《第20回 東京国際ブックフェア》
会  期:2013年07月03日[水]-06日[土]
会  場:東京ビッグサイト 西展示棟
      DNPブース 西1ホールNo.6-50
入場券:所定の招待券が必要です。
              招待券は朗文堂でもおわけしています。
              招待券が無い場合は、入場料1,200円/人が必要です。
              「ミニ講演会、ミニセミナー」はDNPブース内で開催。
              無料で自由参加です。

片塩二朗 ミニ講演会
《秀英体改刻の歩み いまだ止まず》
と き:07月04日[木] 14:30-15:00
ところ:大日本印刷株式会社 秀英体開発室 ブースNo.6-50

続いて、下記ミニセミナーを開催いたします。 是非、お立ち寄りください。

秀英体開発室 グループリーダー 伊藤正樹 ミニセミナー
《『秀英体 平成の大改刻』における開発概要》
と き:07月04日[木] 16:15-16:35
ところ:大日本印刷株式会社 秀英体開発室 ブースNo.6-50

同ブースの秀英体展示コーナーにて、近刊予定『100年目の書体づくり--「秀英体 平成の大改刻」の記録』(大日本印刷)の見本を展示予定です。
お忙しいところ恐縮ですが、皆さまのご参加をお待ちしております。

【詳細:東京国際ブックフェア|セミナー・イベント】7月4日中程。
【詳細:秀英体|DNP 大日本印刷株式会社

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講演の講師を引きうけると、もともと人混みが苦手ですし、準備もたいへんです。また大恥をかくことが多く、あとで後悔することがほとんどです。
ところで、ながいあいだ秀英体に関わっていたせいでしょうか……。とても愛着があります。
今回は短い時間ですし、ちいさなコーナーで気軽なおはなしを……、と慫慂されて講演を引き受けしましたが、短い時間で、簡潔にはなしをするのは、かえって困難がともなうことを認識しました。

つまりスライドを用意したところ100枚余となり、それを最大限削りこんでも50枚を越えます。どのデータ、図版にも愛着がありますし、懐かしいおもいでもあります。
このデータ量で30分の枠には収まらないとおもいつつ、これ以上削り込むことへの逡巡があり、講演会ではおもいっきり急いでスライド転換をいたします。

そのために異例のことながら、おはなしの要点のいくつかを、ここに図版として列挙しておくことにしました。
宋朝体字様、明朝体字様の誕生・揺籃の地──南宋のみやこ、臨安の大廟前の出版街と、そこで誕生した宋朝刊本。
修復なった故宮博物院/北京紫金城内・武英殿摺印処(『康煕字典』製造の場)の鮮明写真などの紹介は、これまであまりなされなかった紹介となります。

そして、秀英体が、たんに改刻に留まることなく、これからも書物の字様と活字の歴史にまなび、あらたな展望と展開をはかる契機を提唱できたら……、と念願しています。
みじかい時間となりますが、《東京国際ブックフェア》の観覧かたがた、東京ビッグサイトDNPブースまで足をお運びいただけたら幸甚です。










【展覧会】榮久庵憲司とGKの世界 鳳が翔く



【同展覧会 フライヤーより】
榮久庵憲司と、彼が率いる創造集団GKは、戦後の復興期より、数々の製品をデザインすることで、日本人の生活や都市空間の近代化の一翼を担ってきました。その領域は、日ごろ街中で目にする日用品やオートバイから、博覧会場の施設やサイン類、都市のインフラストラクチャーまでと、多岐にわたります。

榮久庵は、実家を継ぐべく僧門に入ったのち、デザインの道を志しました。その原点には、原爆で廃墟となった広島の街の光景と、進駐軍が体現していたアメリカ文化があったといいます。そして東京藝術大学在学中より、ともにデザインを学ぶ同窓生と、「モノの民主化」、「美の民主化」をスローガンに、当時の日本としては類のない、インダストリアルデザインを専門とするグループ、GKを結成しました。

以降、60年にわたるデザイン活動の根底に流れているのは、モダンデザインと東洋の思想の融合に加え、人が作ってきたもの=道具についての長年の研究です。人類が太古に初めて手にした道具から、未来の暮らしまでを見据えて、人と道具のあるべき関係をデザインによって提案し続けてきました。 

本展覧会では、製品化されたものやその模型、将来へのプロポーザル、さらには、人と自然と道具が美しく共生する世界を具現化したインスタレーション等によって、榮久庵憲司とGKが展開してきた、デザインの世界像をご紹介します。

2013年7月6日土曜日 ― 9月1日日曜日
世田谷美術館 Setagaya Art Museum

開館時間:
午前10時─午後6時(入場は午後5時30分まで)
休 館 日:
毎週月曜日(ただし7月15日月曜日・祝日は開館、
翌日7月16日火曜日は休館)
観 覧 料:
一般1000(800)円、65歳以上800(640)円、
大高生800(640)円、中小生500(400)円
*( )内は20名以上の団体料金。障害者の方は500円
(介助の方1名までは無料)、大高中小生の障害者の方は無料。

【詳細情報:GK Design GroupSetagaya Art Museum

大日本印刷『秀英初号明朝 撰』を開発。本年09月発売!

 左)秀英初号明朝体 Std.   右)秀英初号明朝体 撰  文字形象比較
右側の行『秀英初号明朝体 撰 』では、上から「文:ひっかけ/筆支えがある」、「分:いわゆるハチヤネの処理」、「筑・倶:ふるい文字形象」が見られます。


左) 秀英初号明朝体 Std.        右) 秀英初号明朝体 撰

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大日本印刷株式会社は《2013年06月04日 ニュースリリース》において、【オリジナル書体『秀英体』の旧字バージョン「秀英初号明朝 撰 」を開発。モリサワにライセンス提供し、本年09月に発売】と発表しました。

あわせて株式会社モリサワは《2013年06月04日 ニュース》において【モリサワ 2013年の新書体「UD新ゴ コンデンス」などを発表】とし、【明朝体として2010年にリリースされた秀英初号明朝の旧字バージョン「秀英初号明朝 撰」は、旧字のほか、イタリック体や括弧などが追加収録されました】ことを発表しました。

【『秀英初号明朝 撰 』の概要── DNP ニュースリリースから一部に補整】
2010年にモリサワから発売した秀英初号明朝は、DNPが明治時代に開発した金属活字のデザインをデジタルフォント化したものです。金属活字の秀英初号明朝の筆の動きを活かしたデザインは、力強く、勢いのある表現が可能で、日本の明朝体を代表する傑作書体として、一世紀以上にわたり多くの出版物や広告などの印刷物で使用されています。

2010 年に発売した「秀英初号明朝Std」は、見出し用書体としてAdobe-Japan1-3(Std) の文字セットに準拠しており、他の秀英体フォント製品との互換性も考慮し、Adobe-Japanの基準に沿った字形[文字形象]を採用しました。
しかし、秀英初号明朝の伝統的な「ひっかけ」、「はちやね」や、旧字形[ふるい文字形象]など、“活字書体としての秀英初号明朝らしさ”を求めるユーザーからの声も多く寄せられたことから、旧字バージョンの「秀英初号明朝 撰 セン」を開発しました。また、イタリック体や括弧なども追加収録し、見出し用書体としてより使いやすい秀英初号明朝をめざしました。

2010 年に発売した「秀英初号明朝Std」と、今回発売する「秀英初号明朝 撰」を組み合わせて使うことで、旧字と新字の両方を利用でき、より幅広い日本語表現が可能になります。
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『秀英初号明朝 撰 セン』の詳細は、大日本印刷、モリサワ両社のWebsiteをご覧ください。
また大日本印刷は秀英体開発室を中心に《第20回 東京国際ブックフェア》(2013年07月03日-06日、東京ビッグサイト西展示棟:ブースNo.6-50)に出展予定です。そちらでも最新の情報が入手できるはずです。
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《第20回 東京国際ブックフェア》
 会 期:2013年07月03日[水]-06日[土]
 会 場:東京ビッグサイト 西展示棟

 [講演会ミニ]
 「秀英体改刻の歩み いまだ止まず」
 と き:07月04日[木] 14:30-15:00
 ところ:大日本印刷株式会社 秀英体開発室 ブースNO.6-50
講 師 :秀英体平成の大改刻 監修者 片塩二朗
 
 続いて、下記ミニセミナーを開催いたします。 是非ご聴講ください。

 [秀英体開発室 グループリーダー 伊藤正樹 ミニセミナー]
 「『秀英体 平成の大改刻』における開発概要」
 と き:07月04日[木] 16:00-16:20
 ところ:大日本印刷株式会社 秀英体開発室 ブースNO.6-50
講 師 :秀英体開発室 グループリーダー 伊藤正樹

 同ブースの秀英体展示コーナーにて、近刊『100年目の書体づくり--「秀英体 平成の大改刻」の記録』(大日本印刷)の見本を展示予定です。お忙しいところ恐縮ですがご参加をお願いいたします。
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Typography Seminar 活字と書物 終了!


主 催 | 武蔵野美術大学 美術館・図書館 
日 時 | 5月30日[木] 16:30-18:30
         6月01日[土] 14:40-16:40
会  場| 武蔵野美術大学 美術館ホール
講  師| 片塩二朗 大石 薫
協  力| 株式会社 朗文堂 アダナプレス倶楽部

たくさんの皆さまのご協力をたまわり、無事にタイポグラフィ・ゼミナール《活字と書物》を終了できました。ご支援、ご協力にふかく感謝申しあげますとともに、ご来場いただきました皆さまにはあつく御礼を申しあげます。

最近ようやく各地で開催されるようになった図書展ですが、とかく表層をなぞり「書誌的解説」をみるだけなのを残念におもっておりました。
書物には著者の苦悩――多くは校正紙と改版にみられます。
製造者の逡巡と葛藤――活字書体の選択、活字サイズ、組版、紙面設計、印刷用紙、印刷方式、製本仕様など、造形者にとって貴重な付帯情報がギッシリとつまっています。

そういった「書物の背後にひそむもの」をご来場者に体験していただき、書物の背後に肉薄するきっかけを少しでも提供したいというおもいがありました。
そのために、わが国ではあまり知られていない「ジョバンニ・マーダシュタイクとオフィチナ・ボドニ」を紹介するとともに、その刊行書『アモーレ』(武蔵野美術大学所蔵)製作の実態を、金属活字組版とパソコンDTP方式によって追体験し、手引き印刷機時代の印刷法である「湿式印刷」をご体験いただくという盛りたくさんな企画でした。

《タイポグラフィ 2つの潮流展》は8月18日までの長期開催が予定されており、その間に関連イベントもたくさん開催されます。ご観覧をお勧めいたします。
《詳細:武蔵野美術大学美術館・図書館
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以下の写真は武蔵野美術大学図書館・美術館からご提供いただいたものです。




【展覧会】クリムト 黄金の騎士をめぐる物語り

グスタフ・クリムト生誕150年記念 クリムト 黄金の騎士をめぐる物語

 
【展示解説 ──────── 同展フライヤーより】
ウィーンの19世紀末芸術を代表する画家、グスタフ・クリムト(1862-1918)。
その甘美で装飾的なスタイルは、今なお多くの人々を魅了し続けています。その一方でクリムトは、当時のウィーンの旧弊な美術界に立ち向かい、自ら結成の中心となった「ウィーン分離派 SECESSION」のメンバーとともに、自由で新しい芸術の創出に尽力しました。

本展のタイトルにもなっている「黄金の騎士」は、「理想を求めて闘うクリムト自身」を象徴するイメージとして知られており、また、多くの謎を秘めた作品でもあります。
今回は、この「黄金の騎士」にまつわる物語をひもときながら、国内外のコレクションから精選された油彩、デッサン、版画、ポスター、書籍、雑誌、家具、美術工芸品、ジュエリー、写真などによって、クリムト芸術と世紀末ウィーンの諸相を紹介します。

《グスタフ・クリムト生誕150年記念 クリムト 黄金の騎士をめぐる物語展》

【会  場】
宇都宮美術館 
【会  期】
2013年4月21日[日]-2013年6月2日[日]
【開館時間】
午前9時30分-午後5時(入館は午後4時30分まで)
【休 館 日】
毎週月曜日(祝日の場合は開館して翌日休館)、祝日の翌日
【観 覧 料】
一般 1,000円
【詳  細】
宇都宮美術館 Website:http://u-moa.jp/exhibition/exhibition.html

★ 好評開催中の《グスタフ・クリムト生誕150年記念 クリムト 黄金の騎士をめぐる物語展》も会期末が迫ってまいりました。ご観覧をお勧めいたします。同展観覧記は近日中に「タイポグラフィ・ブログロール 花筏」に掲載予定です。

Typography Seminar 活字と書物


「タイポグラフィ 2つの潮流展」に出品されている書物『Amores』(邦題:愛の詩ウタ、ジョバンニ・マーダシュタイク製作、オフィチナ・ボドニ、伊、1932)を中心に、書物の製作背景を、使用活字書体、活字サイズ、組版設計、印刷用紙、製本様式などの側面から立体的に解析し、その活字組版(金属活字版方式、DTP方式)を追試し、実際の活版印刷で追体験するタイポグラフィ・ゼミナールです。


これらの書物にまつわるエピソードや、タイポグラフィの解析と実践的な見かたを知ることにより、展覧会に出品されているたくさんの書物の楽しみや収穫が、2倍にも3倍にもなる画期的なゼミナールとなります。
あわせて、『Amores』の1ページを再現した活字組版を、武蔵野美術大学所有の手動式の活字版印刷機 Adana-21J で印刷する体験ができます。
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参加費は無料ですが、実践型ゼミナールのため定員は20名と少数です。お申込みは下記の武蔵野美術大学美術館担当者様まで、急いでお申込みください。
[2013年05月20日 武蔵野美術大学美術館URLに満員告知がありました]


主 催 | 武蔵野美術大学 美術館・図書館 
日 時 | 5月30日[木] 16:30-18:30(終了予定)
         6月01日[土] 14:40-16:40(終了予定)
会  場| 武蔵野美術大学 美術館ホール
講  師| 片塩二朗 大石 薫
協  力| 株式会社 朗文堂 アダナプレス倶楽部
参加費| 無 料

参加方法|参加希望日・住所・氏名・電話番号・メールアドレス・年齢・武蔵野美術大学学生の場合は学科/学年を明記の上、下記アドレスへお申し込み下さい。
なお、メールの件名は【タイポグラフィゼミナール参加申し込み】としてください。
当館より5月27日[月]17:00までに確認のメールをお送りします。

申込・問い合わせ|武蔵野美術大学 美術館・図書館 美術資料担当(植松・河野) ml_event@musabi.ac.jp
Telephone  042-342-6003

詳細情報:武蔵野美術大学 美術館・図書館 展覧会情報