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【展覧会】京都工芸繊維大学資料館|麗しのリバティ ─ 花柄パターンの魅力|’23年8月7日-9月9日|終了

京都工芸繊維0802京都工芸繊維大学資料館
麗しのリバティ ── 花柄パターンの魅力
開催期間  2023年8月7日[月]- 9月9日[土]
休  館  日  日曜日・祝日(ただし8月11日[金]は開館)、8月12日[土]- 17日[木]
開館時間  10時 - 17時(入館は 16時30分 まで)
会  場  京都工芸繊維大学美術工芸資料館 1階第1展示室
      606-8585 京都市左京区松ヶ崎橋上町1
入  館  料  一 般 200円、大学生 150円、高校生以下 無 料
      * 各種割引、優待情報などは下掲詳細参照。
主  催  京都工芸繊維大学美術工芸資料館
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染織産業が盛んであった京都では、明治時代に入り、西洋から流入した新しい技術やデザインを参考に、服飾や室内装飾のためのファブリックの機械生産に乗り出しました。明治35年(1902)に開校した京都工芸繊維大学の前身校のひとつ、京都高等工芸学校でも、教材として、西洋各国からさまざまな柄や技法をつかった生地を収集しています。
なかでもひときわ華やかなのが、リバティ商会(Liberty & Co.)をはじめとするイギリスのファブリックの数々です。1875年、アーサー・ラセンビィ・リバティ (Arthur Lasenby Liberty, 1843-1917)によって、ロンドンのリージェント・ストリートに設立されたリバティ商会は、世界中から集めた装飾品や美術品販売で成功をおさめ、のちに上質な生地を用いた優美な花柄パターンのプリントを手がけ、一躍有名になりました。
世界に先駆けて産業革命を達成したイギリスでは、その反動として、職人の手仕事を再評価し、生活と芸術を結びつけようとする アーツ・アンド・クラフツ運動 が呼び起こされ、ウィリアム・モリス(William Morris, 1834-96)らによる多彩なデザイン活動によって、人びとの関心は生活空間を彩る壁紙や家具、インテリアへと惹きつけられました。そのなかで花開いたリバティのデザインは、大胆なアール・ヌーヴォーから緻密で繊細なオリエント風のものまで、今も多くの人々を魅了しています。厳しい夏のさなか、麗しいリバティのデザインの魅力をぜひご堪能ください。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 京都工芸繊維大学資料館 ]

【講演会】第27回モリサワ文字文化フォーラム|[個 と 群 と 律]組市松紋の仕組み|6月27日

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【講演会】第27回モリサワ文字文化フォーラム
[個 と 群 と 律] 組市松紋の仕組み
講  演  者  野 老   朝 雄
日  時  2019年6月27日[木]15:00-17:00(14:30開場)
場  所  モリサワ本社  4 F 大会議室(大阪市浪速区敷津東2-6-25)
参  加  費  無  料
定  員  150 名
主  催  株式会社モリサワ
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美術家・野老 朝雄氏は、9. 11 アメリカ同時多発テロに大きなショックを受け、世界の断絶を「つなげたい」という願いからピースマークを考えはじめました。そのマークをつなげることが、現在の紋様制作の出発点になっています。
紋や紋様の平面作品はコンピューターを使って作図していますが、紋様をかたちづくる[個]と[群]は組体操のように一つ一つパーツを置いて描く手法のため、コンパスと定規さえあれば再現可能です。
野老氏の代表作のひとつである「東京2020エンブレム」は、菱形パーツを組み合わせることがベースになっています。今回の講演では「組市松紋」の仕組みを紐解きながら、野老氏の制作の核になっている「律」について語ります。

[ 詳細・申し込み先: 株式会社モリサワ 文字文化フォーラム事務局
[ 参考:活版 à la carte 【字様・紋様】「石畳・霰-あられ」を「 市 松 紋 様 」の名にかえた 歌舞伎役者・佐 野 川 市 松

【字様・紋様】「石畳・霰-あられ」を「 市 松 紋 様 」の名にかえた 歌舞伎役者・佐 野 川 市 松

「石畳・霰-あられ」を「 市 松 紋 様 」の名にかえた
江戸中期の歌舞伎役者・佐 野 川  市 松-さのがわ いちまつ

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日本の紋様〔紋のありさま〕の定番であり、着物や帯だけでなく、千代紙や小物などあらゆるところで目にするものに「市松紋様」がある。おなじみのこの市松紋様、実はさほどふるいものではなく、ひとりの歌舞伎俳優と深い関係があった。

色違いの正方形を、碁盤の目のように組み合わせた紋様が生まれたのは、古墳時代の埴輪の服装や、法隆寺・正倉院の染織品にも見られ、古代より織紋様として存在していた。また公家や武家の礼式・典故・官職などに関する古来のきまり『有職故実-ゆうそくこじつ』では、こうした格子紋様は「石畳・霰-あられ」などと呼ばれ、おもに着物の地紋(織り柄)として使われていたことがわかる。

これが歌舞伎の舞台で鮮やかに観客の前に出現し、一気に注目されることとなったのは、寛保年間(江戸中期 1741-44)のことである。当時の歌舞伎役者が身にまとう紋様は、その役者の感覚や心意気を人〻に伝えるツールであった。
江戸中村座である俳優が「心中万年草-高野山心中」の小姓・粂之助-くめのすけ-に扮した際、白と紺の正方形を交互に配した袴をはいて登場したことからおおいに人気を博した。折しも庶民が紋様を施した着物を楽しむようになった時代でもあり、霰の紋様をあしらった鮮やかな袴は観る人〻の目に衝撃とともに焼きついた。

この衣装を身につけて登場した俳優の名こそ「初代 佐野川市松」であった。ここであまり紹介されてこなかった「初代 佐野川市松」をみてみたい。

佐野川市松(初代 さのがわ-いちまつ 1722-1762)
江戸時代中期の歌舞伎役者。享保7年生まれ。佐野川万菊の門人。若衆方、若女方をかね、荒事にもすぐれた。宝暦12年11月12日死去。41歳。山城(京都府)出身。俳名は盛府。屋号は新万屋・芳屋。

佐野川市松はその後もこの紋様を愛用して、また浮世絵絵士:奥村正信・鳥居清重(1751-77ころ活動 生没年不詳)・石川豊信(1711-85)などがその姿を好んで描いたことから、着物の柄として流行をみた。
市松の愛用したこの紋様は、当初はふるくからの慣わしにしたがって「石畳」と称されたが、のちに「市松紋様」「市松格子」「元禄紋様」などと呼ばれるようになった。
ひとりの歌舞伎役者の美意識によって、古来の呼称「石畳・霰」が、「市松紋様」という名に置きかわったのである。この「佐野川市松」の伝承によって、当時のインパクトがどれほどのものだったのかを偲ぶことができる。

Tokyo_2020_Olympics_logo.svg2020年 夏期オリンピック エンブレム

さらに佐野川市松の時代から175年ほどのち、2020年夏季オリンピック・パラリンピックのエンブレムが若干の紆余曲折をへて決定した。デザインは野老朝雄(ところ-あさお 1969-)で、このデザインは「組市松紋」だと自ら発表している。歌舞伎役者「佐野川市松」好みの紋様が、世界のアスリートが結集する舞台に「組市松紋」として再登場したことになる。

〔参考資料〕
WebSite 歌舞伎美人-かぶきびと-歌舞伎いろは「装い」
WebSite 市松模様 ウィキペディア
「市松模様」『国史大辞典』(吉川弘文館)/「市松模様」『日本史大事典』(平凡社)
「佐野川市松(初代)」『日本人名大辞典』(講談社)