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【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-08  活版印刷ゼミナール 展示・実演+講演会+掃苔会

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メディア・ルネサンスロゴ01[1] メディア・ルネッサンスweb !cid_11D50FD2-7F39-4717-80C5-58E092A70F7E プリント用 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭日程表 PDF

 * メーン会場は日展会館新館二階になります。
二階の展示場には、稀覯書をふくめた豊富な資料がならび、また活版印刷実践者による製作品の数数がならびます。皆さまには至近距離から展観していただけます。
また明治六年に平野富二がまっさきに製造したものと同型の、アルビオン型手引き式活版印刷機、朗文堂 サラマ・プレス倶楽部製造・販売 「Salama-21A」、「Salama-LP」 の小型活版印刷機二台を搬入して、ご来場の皆さまに操作・印刷していただきます。ぜひともご体験ください(一部有料です。上掲案内をご覧いただき会場にてお支払いください)。

* 講演会場は日展会館新館一階になります。
講演は各講師とも一時間を予定しております。貴重な原資料の展観をふくめ、著作・画像をまじえての講演となります。
友人・知人をお誘いのうえ、ふるってご参加ください(聴講・参加費無料)。

* 一階講演会場は映写室を兼ねています。
講演の終了後は、朗文堂サラマ・プレス倶楽部所蔵の貴重な動画・スライドショーをエンドレス・ロールでご覧いただきます。講演会が優先で中途上映打ち切りになることがあります。

* {掃苔会}は主会場の日展会館に隣接する谷中霊園を中心に、明治近代産業とメディアの勃興に貢献した著名人の記念碑・顕彰碑・墓地・墓標などをめぐります。
プレイベント<江戸・東京 活版 さるく>をうけて、より一層充実した内容となります。版を重ねた特製ガイドブックをもとに、ベテラン会員がご案内いたします。
歩きやすい靴と服装でご参加ください。また道中に自動販売機がありませんので飲み物を各自ご用意ください。
(11月26日[日]10:10  二階の受付前にご集合ください。資料代として参加費1,000円)
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会場 日展会館新館
110-0002 東京都台東区上野桜木2-14-3
TEL 03-5809-0803
・ JR日暮里駅 南口跨線橋上の駅舎です)より谷中霊園碑文通り経由、徒歩8分
・ 地下鉄千代田線・千駄木駅もしくは根津駅より徒歩10分
日展会館新館地図【 Googleマップ 】

【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-13 東京築地活版製造所アンソロジー 東京大学医学部と近代タイポグラフィ揺籃の地/津藩 藤堂和泉守上屋敷と門長屋  

バーナー江戸名所道外尽 十 外神田佐久間町resized東京築地活版製造所アンソロジー
東京大学医学部と近代タイポグラフィ揺籃の地
津藩 藤堂和泉守上屋敷と門長屋

《大名屋敷 上屋敷 ・ 中屋敷 ・ 下屋敷と、神田和泉町の成立》
 大名屋敷とは、参勤交代によって江戸に参勤する大名に幕府から与えられた屋敷である。
一六五七(明暦三)年のいわゆる「振袖火事」とよばれる江戸大火を契機に、幕府は江戸城内にあった尾張、紀伊、水戸の御三家をはじめ、幕府重臣の屋敷を城外に移すとともに、大名屋敷を、上(かみ)屋敷、中(なか)屋敷、下(しも)屋敷の三つに分けた。
以下に『切絵図・現代図であるく江戸東京散歩』 (人文社)から「東都下谷絵図」を紹介した。

 「切絵図」では、家紋の刷ってあるところが大名の上屋敷で、表門の位置もあらわす。■ 印は大名の中屋敷、● 印は大名の下屋敷をあらわす。それぞれ印のある位置が表門である。

江戸切り絵図秋葉原周辺この時代、地図左端に描かれた神田川にもうけられた橋があり、藤堂和泉守上屋敷にちなんで「和泉橋」と呼ばれていたが、神田川左岸に「和泉町」という呼称はまだなかった。
「和泉町」の起立は『千代田区史』によれば明治5年であるが、一般社会にその名が知られるのにはだいぶ時間がかかった。

現在はこの橋も道も拡幅されて昭和通りとなっている。当時はこの通りの左右に徒士衆カチシュウと呼ばれ、徒歩で行列の供をしたり、警固にあたった徒組カチグミに属する侍(下級士族)が多く居住しており、切絵図には「此通御徒町ト云」としるされている。現在の御徒町のゆらいである。

《伊勢の国 津藩 藤堂和泉守  二十七万九百五十石の上屋敷と門長屋》
<メディア・ルネサンス>の本番に先立ち、11月11日[土]開催のプレイベント「江戸・東京 活版さるく{愛称 :ブラ富二}」が開催された。
平野富二(1846-92)の生誕170年を記念して、平野の生誕地:長崎に設けられていた官立「長崎製鉄所」をはじめ、「海軍伝習所」、「医学伝習所」、そしてあまりにも資料不足だった「活版伝習所」などの、施設と人員と物資が、相互に関連しながら、いつ・どこへ・どのように江戸・東京にもたらされたのかを、豊富な資料をもとに探るツアーであった。

詳細な報告はいずれタイポグラフィ学会誌でなされるが、参加者のほとんどがおどろかれたのが、近代医学と近代タイポグラフィの揺籃の地が、ともにこの「東京都千代田区神田和泉町一」であり、明治最初期にはまさに激動のさなかにあったことであった。
詳細報告までの間、今回のイベントの AD をつとめられた日吉洋人さんの報告が日展会館でパネル展示によってなされることになった。
旗resized 缶バッジresizedブラ富二引率責任者日吉洋人さん医学館跡プレート 引率:日吉洋人神田某所一亀店主:山本氏・エミリー・字遊人 

津藩上屋敷-01 津藩上屋敷-02 【 プリント用PDF  津藩藤堂和泉守上屋敷・門長屋 】

【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-12  東京築地活版製造所アンソロジー 連続講演会+掃苔会

バーナー

!cid_11D50FD2-7F39-4717-80C5-58E092A70F7E東京築地活版製造所アンソロジー 連続講演会
三日間 ・ 五人の講師による 連続七回の講演会

*     *     *
講演会場は日展会館新館一階になります。
講演時間は各講師とも一時間を予定しております。
貴重な原資料の展観をふくめ、著作・画像をまじえての講演となります。
友人・知人をお誘いのうえ、ふるってご参加ください(聴講・参加費無料)。
講座開始五分前までに一階会場にご集合ください。

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★ 11月24日[金]

講演会 ① : 11:00-12:00
講師 古谷昌二氏
「第一部 平野富二、長崎から東京へ」
古谷昌二さんuu[1] DSCN0377 c878506326f7b271f6b5598137212bce[1] 平野DM表 平野DM裏

★ 11月24日[金]
講演会 ② : 13:30-14:30
講師 春田ゆかり氏
「本木一門創始による 京都〔點林堂〕」
1点林堂外観-M16-tei
★ 11月24日[金]

講演会 ③ : 15:00-16:00
講師 真田幸治氏
「明治の文芸雑誌と東京築地活版製造所 〔文芸倶楽部〕 と 〔新小説〕 」
明治28年 文藝倶楽部 第六編 泉鏡花「外科室」1頁目 明治28年 文藝倶楽部 第六編 表紙 明治28年 文藝倶楽部 第六編 木版口絵 水野年方
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★ 11月25日[土]
講演会 ④ : 11:00-12:00
講師 板倉雅宣氏
「〔もとき〕 か 〔もとぎ〕か 本木昌造の呼称」
板倉雅宣 タイポグラフィ論攷_表紙 タイポグラフィ論攷フライヤー表 タイポグラフィ論攷裏

★ 11月25日[土]
講演会 ⑤ : 13:30-14:30
講師 古谷昌二氏
「第二部 平野富二、神田和泉町から築地・石川島へ」
古谷昌二さんuu[1]
江戸名所道外尽 十 外神田佐久間町resized東京築地活版製造所変遷
★ 11月25日[土]
講演会 ⑥ : 15:00-16:00
講師 春田ゆかり氏
「近代ひらがな活字の幕開け、池原香穉と周辺の人々」
2池原香穉書-抜刀隊50395-tei 3吉田晩稼碑63413-tei──────────
★ 11月26日[日]
講演会 ⑦ : 13:30-14:30
講師 平野正一
「子孫からみた 平野富二と縁者たち」
正一さんと平野富二 新旧長崎地図 e9fd275dc476af6b4d99a7f56e59b9b5[1] 平野富二-206x300[1]──────────

東京築地活版製造所アンソロジー
掃 苔 会

{掃苔会}は主会場の日展会館新館に隣接する谷中霊園を中心に
明治近代産業とメディアの勃興に貢献した著名人の
記念碑・顕彰碑・墓地・墓標などをめぐります。

プレイベント<江戸・東京 活版 さるく>をうけて、より一層充実した内容となります。
版を重ねた特製ガイドブックをもとに、ベテラン会員がご案内いたします。
歩きやすい靴と服装でご参加ください。また道中に自動販売機がありませんので飲み物を各自ご用意ください。
(26日[日]10:10  二階の受付前にご集合ください。資料代として参加費1,000円)。

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【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-11  特別展示 : 東京築地活版製造所アンソロジー/『花の栞』全5回の刊行

バーナー東京築地活版製造所アンソロジー
『花の栞』 全五回

【展示協力】
第一回 ・ 第三回 株式会社モリサワ所蔵
第四回        きくもとグラフィックス株式会社・菊本裕三氏所蔵 兵庫県丹波市

花の栞第3回活版之部 表紙 1898(M38) 花の栞第3回活版之部 草創時三代肖像

『花の栞』第三回 明治31年10月 東京築地活版製造所出品
創業期の経営者三人、とりわけ第二回の編輯を終え、刊行を目前にして急逝した曲田成を偲んでの東京築地活版製造所「生徒」の製作である。
東京築地活版製造所では明治中期まで、本木昌造は翁、平野富二は先生、長崎新街私塾出身者を生徒とする慣わしがあった。
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『花の栞』は、東京築地活版製造所第二代社長 : 曲田 成が、英国 『British Printer』 にならい、創刊直後の『印刷雑誌』をつうじて全国の印刷業者に呼びかけ、印刷技術の向上と新技術の普及をめざして発行したもので、現代のグラフィックデザイン年鑑・タイポグラフィ年鑑などのデザイン年鑑類のさきがけともいえる図書である。

『花の栞』の事務局は「印刷交換会」と称して東京築地活版製造所社内におかれ、印刷物の現物を公募収集し、それを冊子にまとめて発行したもので、公募作品は商用印刷物の提出は不可とされた。また印刷所名だけでなく、作業にあたった職工名、組版方式、印刷技法を明記するようもとめるなど画期的な逐次刊行物であった。
* 表題はいわゆる変体仮名で-はなのしほり・花のしをり-であるが、本稿では国立国会図書館にならってすべてを『花の栞』とした。

創始者の曲田成を第二号の刊行直前に急逝によって失い、逐年刊行はならなかったが、その遺志をうけた第三代社長:名村泰蔵によって刊行がつづけられ、
①明治26年12月 ②明治27年11月 ③明治31年10月 ④明治35年3月 ⑤明治41年6月
都合五回の刊行をみた。ただし名村泰蔵は貴族院議員でもあったので、印刷人は支配人:野村宗十郎の名で刊行されている。
発行部数は回を追うごとに漸減しているが、応募提出部数規定からみても最大150部程度とみられる。印刷図書館に全五回揃いがあり、国立国会図書館ではマイクロフィルム(モノクロ)で第1回・4回・5回を公開している。
また積極的に海外メディアにも送付していたため、海外の博物館にも一部が残存している。

花の栞4-0 花の栞4-1 花の栞4-2 花の栞4-3『花の栞』第四回 明治35年3月製本より

曲田成曲田 成(まがた-しげり)
東京築地活版製造所第二代社長
弘化03年10月01日-明治27年10月15日 1846. 11.19-1894. 10. 15  享年49

ここで東京築地活版製造所の基礎を築いた創業期の四人の社長をあらためて並べてみた。
◯ 平野 富二
東京築地活版製造所創設者/初代社長、長崎うまれ・元長崎製鉄所所長
弘化03年08月14日-明治25年12月03日 1846. 08. 14-1892. 12.03 享年47
◯ 曲 田 成
東京築地活版製造所第二代社長、淡路島洲本うまれ・元徳島蜂須賀藩士(士籍返上)
弘化03年10月01日-明治27年10月15日 1846. 11. 19-1894. 10. 15  享年49
◯ 名村 泰蔵
東京築地活版製造所第三代社長/長崎うまれ・原姓北村、高級司法官僚・貴族院議員
天保11年11月01日-明治40年09月06日 1840. 11. 24-1907. 09. 06 享年68
◯ 野村宗十郎
東京築地活版製造所第四代社長/長崎うまれ・原姓服部、長崎製鉄所職員、元大蔵官僚
安政04年05月04日-大正14年04月23日 1857. 05. 26-1925. 05. 04 享年69
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平野富二は開港地であった長崎にうまれ、曲田成は当時徳島藩領であった淡路島中央東部、現洲本市にうまれた。ふたりはともに海をみながら幼少期を送ったが、1846(弘化3)年という同年のうまれである。わずかに一ヶ月半ほど平野が先に誕生している。
またふたりとも仕事人間で、平野富二は講演中に脳溢血に倒れそのまま卒した。曲田成は出張先の姫路の旅舎で倒れ、看取るものもなく卒した。わずかな違いは、曲田が二年ほど長命だっただけで、それでもふたりとも五〇歳を迎えることなく卒した。

近年国立国会図書館から『株式会社東京築地活版製造所社長 曲田成君略伝』(編輯兼発行/松尾篤三 明治28年10月16日 請求記号:特29-644)が公開されてさまざまな事柄が判明した。そのひとつが、英国の印刷業界誌『British Printer』とのやりとりから曲田が発案した「印刷物交換 『花の栞』」の刊行企画である。

曲田成は創刊直後の『印刷雑誌』(第1巻2号 明治24年3月28日)に、「印刷様本ノ交換」とする記事を投稿している(原文は文語調片かなまじり。若干意訳)。
「英国ロンドンに印刷用紙および印刷業の日報を発行する会社がある。近来その創意によって万国印刷者の印刷物様本〔見本〕の交換がなされている。それをわが国でも企画し、毎年一回これをおこないたい」
として、英国での現状を細かく紹介した。

ついで『印刷雑誌』(第3巻6号 明治26年7月28日)に11条にわたる詳細な「第一回日本全国印刷物交換方法」の応募規定を掲げて公募を開始した。 それによると、
「第1 条 本法は活版・石版・木版・銅版・亜鉛版・写真版・電気版・細網版・およびその他の製版方式などの各種の版式による印刷物をたがいに交換し、技術の進歩を計ることをもって目的とする。交換とは同様同数の印刷物と、異種の同数の印刷物を交換することの意である」
としている。 さらに寸法は天地 ≒ 31.5cm、横 ≒ 24.5cm(製本時に三方化粧断裁されている)、厚さはボール紙・台紙・合紙したものは不可としている。
事務局は東京築地活版製造所内におき、営利目的ではないので、出品者(有料)と広報のための配布のほか、市場販売はおこなわない旨がしるされている。

国立国会図書館から『株式会社東京築地活版製造所社長 曲田成君略伝』が公開されたこととあわせ、現在『花の栞』に関する研究も進行中である。
すなわち現在伝承されている東京築地活版製造所に関する事柄から、初代社長/平野富二、二代社長/曲田 成、三代社長/名村泰蔵の業績が抜けおち、象徴的な創業者/本木昌造が常にあらざるほど喧伝されてきた理由が判明しつつあり、その欠落部を埋める調査がなされている。
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◎ 花の栞 第一回
東京市京橋区二丁目17番地 株式会社東京築地活版製造所構内
第一回印刷物見本交換事務所 曲田 成
序文執筆者/無署名(第二回と同一人物)
明治26年12月製本(118点収録)
◎ 花の栞 第二回
東京市京橋区二丁目17番地 株式会社東京築地活版製造所
印刷物見本交換事務所 野村宗十郎
序文執筆者/無署名(第一回と同一人物)
明治27年11月製本(111点収録)
◎ 花の栞 第三回
東京市京橋区二丁目17番地  株式会社東京築地活版製造所
印刷物見本交換事務所 野村宗十郎
序文執筆者/陽 其二
明治31年10月製本(110点収録)
◎ 花の栞 第四回
東京市京橋区二丁目17番地  株式会社東京築地活版製造所
印刷物見本交換事務所 野村宗十郎
序文執筆者/手島精一
明治35年3月製本(106点収録)
◎ 花の栞 第五回
東京市京橋区二丁目17番地  株式会社東京築地活版製造所
印刷物見本交換事務所 野村宗十郎
序文執筆者/手島精一
明治41年6月製本 (86点収録)

Seiichi_Tejima[1]手島精一(1849―1918)

創業から間もない平野富二、曲田成にフィラデルフィア万国博覧会(1876年・明治09年)へ漆器・陶磁器・扇子・屏風などのそれまでの博覧会の出展物だけでなく、文明開化の成果として、近代鋳造活字と活版印刷機の出展をうながし、また英国の印刷業界誌『British Printer』を紹介したのは手島精一だった。
手島精一は技術教育の先駆者。アメリカに遊学し(1870-1874)、帰国後東京開成学校監事、東京教育博物館長、東京図書館主幹を歴任した。その間フィラデルフィア、パリの万国博覧会に日本代表として出席、その後も内外博覧会に主役を演じた。

東京高等工業学校本館東京高等工業学校本館(ふつう蔵前の高等工業と呼ばれた)

1890年(明治23)東京職工学校校長に招かれ、以後、同校の後身である東京高等工業学校(現東京工業大学)の校長を1916年(大正5)まで務め、現場技術者の養成に貢献した。
東京高等工業学校は「蔵前の高等工業、芝浦の高等工芸」とされ、工業と技芸教育の双璧をなした拠点校であったが、関東大震災の被害が甚大で、現在地の目黒区大岡山に移転し、1929(昭和4)年に東京工業大学に昇格し現在にいたる。
手島精一は東京築地活版製造所にフィラデルフィア万博のころから支援をかさね、『花の栞』第四・五巻に序文をしるし、より創意にみちた意欲ある製作を呼びかけ激励している。

【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-10  特別展示 : 夏目漱石全集と東京築地活版製造所-内田百間「築地活版所十三号室」

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【作品名】 内田百間 『築地活版十三号室』より

【作者名】 著者 : 内田百間
                印刷 : 田中智子(はな工房)
【版式・技法】 文字 : 凸版(活字版印刷)

東京築地活版製造所アンソロジー : 夏目漱石全集と東京築地活版製造所
内田百間「築地活版所十三号室」

夏目漱石(1867年2月9日(慶応3年1月5日)-1916年(大正5)12月9日)は、1916(大正5)年12月9日に持病の胃潰瘍が原因で永眠した。
『漱石全集』は岩波書店が刊行した夏目漱石の著作集。第一次全集は1917(大正6)年-1919(大正8)年にかけて全14巻で刊行された。
活字組版・印刷製本は東京築地活版製造所であった。 後年刊行のものに「普及版」「新輯 定版」などがあるが、1935(昭和10)年の「決定版」は小宮豊隆により原稿を尊重して編纂されたもので、以降の漱石全集の基礎となった。
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『思想』第162号・特輯漱石記念号(昭和10年11月)
「築地活版所十三号室」内田百間

大正六年の漱石全集初版の校正にあたつたのは、森田草平、石原健生、林原耕三の諸氏と私との四人である。
但し第十何巻日記書簡からは小宮豐隆氏が専らその任にあたられた。
私共がその仕事に取りかかつたのは、何年何月からであつたか、はつきりした記憶はないが、毎日みんなの顔を合はした場所は築地活版所の第十三号室である。〔中略〕

十三号室は本館に隣つた川添ひの煉瓦建の二階で、教室ぐらゐの廣さがあつた。その階段の下が職工達の通路になつてゐたので、夕方ぞろぞろと流れる様に帰つて行く職工達の間にふと老人の顔を見附けたり、綺麗な髷のお神さん風の姿に目を惹かれたりして何となく感慨を起こす様な事もあつた。
大正十二年の大地震で十三号室の建物はすつかり潰れて跡方もなくなつた様である。〔後略〕

M7,M37社屋Uchida_Hyakken内田 百間
(うちだ-ひゃっけん、戦後筆名を百閒と改めた〔読みは同じ〕。1889-1971)

夏目漱石門下の日本の小説家・随筆家。本名は内田榮造。別号百鬼園(ひゃっきえん)。
得体の知れない恐怖感を表現した小説や、独特なユーモアに富んだ随筆などを得意とした。
1910年(明治43)東京帝国大学文科大学入学。文学科独逸文学専攻。
1911年(明治44)療養中の夏目漱石を見舞い門弟となる。小宮豊隆、鈴木三重吉、森田草平らと知り合う。

『夏目漱石全集』(岩波書店)の校閲に従事したのは1917年(大正6)28歳のころ。
夏目漱石没後20年に際して刊行された『思想』第162号・特輯漱石記念号(昭和10年11月)に、「築地活版所十三号室」、「漱石全集は日本人の經典である」をしるしたのは46歳のころ。
また「築地活版所十三号室」には「大正十二年の大地震で十三号室の建物はすつかり潰れて跡方もなくなつた樣である。」とあるが、東京築地活版製造所の本社工場は大正11年のはじめに全面的に取りこわされ、新築がなって、移転の当日に関東大震災に襲われている。此の部分は百間の記憶違いである。
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内田百間による「築地活版所十三号室」の既述と、残された写真とを照合すると、運河沿いの二階角部屋、通路脇の一室が出張校正室につかわれていたことが判明し、大正年代、関東大震災襲来までの東京築地活版製造所の部屋割りの一部があきらかになった。

また東京築地活版製造所はもっぱら活字鋳造所として知られるが、明治初期からさまざまな版式の印刷を手がけており、活字版印刷も『虞美人艸』(夏目金之助〔漱石〕著、春陽堂、明治40年12月29日)をはじめ、岩波書店『漱石全集』14巻を二年ほどでまとめている。

◯ 『虞美人艸』(夏目金之助〔漱石〕著、春陽堂、明治40年12月29日)
菊判 本文606ページ、印刷者・野村宗十郎、印刷所・東京築地活版製造所
基本組版 : 五号明朝活字 一行33字詰め 字間五号四分 一頁13行 行間五号全角
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◯ 『漱石全集』(第五巻 著作権者・夏目純一、漱石全集刊行会、大正7年5月5日)
菊判 本文970ページ、印刷者・大久保秀次郎、印刷所・東京築地活版製造所
基本組版 : 五号明朝活字 一行44字詰め 字間ベタ 一頁14行 行間五号全角
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〔推奨参考図書 『漱石全集物語』(矢口進也著 2016年11月 岩波書店)〕

【良書紹介】 「ミツカン水の文化センター」の機関誌『水の文化』 第57号発刊 特集{江戸が意気づく イースト・トーキョー}

20171105003923_00001「ミツカン水の文化センター」の機関誌『水の文化』 第57号
特集「江戸が意気づく イースト・トーキョー」

東京の東側が元気だ。例えば、蔵前や清澄白河といったエリアでは、若いクリエイターたちが隅田川と関連運河の水辺のまちに魅力を感じて移り住んでいる。
振り返れば、江戸時代の江戸(東京)の中心軸は今よりも東側だった。幕府が「明暦の大火」(1657年[明暦3])をきっかけに隅田川左岸の低湿地を開発したことで、市街地(町場)は東へと広がっていった。

今、行政や企業、住民などさまざまな担い手が、東京の東側で生み出しつつある「現代ならではの魅力」を、地域の資産である隅田川と関連運河の視点から探っていく。東京の東側「イースト・トーキョー」で起きている変化の裏には、いったい何があるのだろうか――。

【 詳細 : ミツカン 水の文化センター 】 { 文字壹凜 まとめ }

【展覧会】 国文学研究資料館 特別展示 「伊勢物語のかがやき-鉄心斎文庫の世界-」

伊勢物語01 伊勢物語02国文学研究資料館 特別展示
「伊勢物語のかがやき-鉄心斎文庫の世界-」
会  期 : 平成29年10月11日[水]-12月16日[土]
* 土曜日は正面入口が閉まっておりますので、
北側通用口(正面玄関左手)よりお入りください。

休室日 : 日曜日・祝日、展示室整備日(11月22日)
開室時間 : 午前10時-午後4時30分 * 入場は午後4時まで
場  所 : 国文学研究資料館1階 展示室   入場無料
主  催 : 国文学研究資料館
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鉄心斎文庫は、品川区三和テッキ株式会社の社長であった故芦澤新二氏が、夫人の美佐子氏とともに40 年の歳月と情熱をかけて収集した、世界に類を見ない「伊勢物語」のコレクションであり、平成27 年度に約1000 点が当館へ寄贈されました。
日本文化を形成する基盤的作品として位置付けられる「伊勢物語」の優品約80点を、鉄心斎文庫の中から展示します。

【 詳細情報 : 国文学研究資料館

【展覧会】 高下せい子・手塚真梨子・天野美帆 三人展 11月20日─12月09日  GalleryBar Kajima

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高下せい子 ・ 手塚真梨子 ・ 天野美帆  三人展
11月20日─12月09日
GalleryBar Kajima  加島牧史
営業時間:14:00-24:00 *日祝日休み
Mail :gbkajima@gmail.com
Web&Blog : https://gbkajima.jimdo.com/
104-0061 中央区銀座7-2-20 山城ビル2 階
Tel : 03-3574-8720
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ちょっとした贅沢だな。個性もキャリアも共通点を見つけるのが難しいこれら三人の女性作家に出品をお願いすることは、何か気になるという直感だけだ。
ただいえることは、絵を描くことを、絵にしてゆくことを、ひとつの本能としてもっている作家たちだろうということ。
どこを描いているのかという興味があるのだ。
描かれなければならない絵が、ただ漠然と白い壁に掛った風景をぼんやりと眺めてみたいという贅沢なんだ。(加島牧史)   { 文字壹凜Summary }

【展覧会】 2018チャリティーカレンダー展+環境ポスター展 地球はともだち事務局 11月24日─30日

2017カレンダー 20171120202307_000042018 チャリティーカレンダー+環境ポスター展
会  場 : 山脇ギャラリー
会  期 : 2017年11月24日[金]-11月30日[木] * 26日休館
時 間 : 11:00〜18:00  * 初日24日は14:00から  * 最終日30日は14:00まで
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『地球はともだち』を共通テーマにしたチャリティーカレンダー展・環境ポスター展を今年も市ヶ谷・山脇ギャラリーにて開催します。
様〻なジャンルのクリエイターによる環境ポスター展示と、内11名によるチャリティーカレンダーを展示・販売。
展覧会会場での売り上げは東北3県(岩手県・宮城県・福島県)に、カレンダーと共に寄贈します。
【 詳細情報 : 地球はともだち事務局

【展覧会】 「竹尾デスクダイアリーの60年」展 竹尾 見本帖本店 2F 2017年12月11日[月]-2018年1月19日[金]

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「竹尾デスクダイアリーの60年」展
会  期 : 2017年12月11日[月]-2018年1月19日[金]
土日祝日および年末年始(12/29-1/4)休
会  場 : 株式会社竹尾 見本帖本店 2F
時  間 : 10:00-19:00 * 1月5日[金]は17:00まで
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1958年に最初の「竹尾デスクダイアリー」(1959年版)がつくられ60年。
さまざまなクリエイターがその制作に力を注いできました。
それは戦後日本のデザイン史にも重なり、
印刷や製本技術にも匠の技が込められています。
本展では2018年版までの全60冊を製本にまつわる記録映像や制作リストと共に公開。
 竹尾デスクダイアリーが歩んできた60年をぜひご覧ください。

【 詳細情報 : 株式会社 竹尾

【展示会】 株式会社エヌ・ビー・アール(古澤省吾代表) 新ブランド “LINEN & BASIC” を立ち上げ IFFT 2017 に出展

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株式会社エヌ・ビー・アール(古澤省吾代表)は、このたび 新ブランド “LINEN & BASIC” を立ち上げ、IFFT 2017(インテリア ライフスタイル リビング 2017)に 出展されます。
“LINEN & BASIC” は、リネン製品を使った暮らしの心地よさを、シンプルに表現するブランドとして、独自の商品づくりのもと、インテリア & ホームウェアまでのさまざまなカテゴリーのなかで、リネンのやさしさを実感していただける商品を幅広く企画し、提供するとされ、このたび IFFT 2017 展示会 でデビューする運びとなりました。

展示会  IFFT 2017 インテリア ライフスタイル リビング 2017
日  時     11月20日[月]-22日[水] (3 日間)
時  間  10:00-18:00(最終日は17:00まで)
会  場  東京ビックサイト 西 1 ホール   EVERYDAY / KITCHEN LIFE   C25 ブース
出展名  LINEN & BASIC / 株式会社エヌ・ビー・アール
* 入場には登録券と名刺二枚が必要です。

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Linen Shop Cadeau 屋 (かどや)

Linen Shop Cadeau 屋 (かどや)は、1998年に創業した商社、
株式会社エヌ・ビー・アールが運営をしております、リネンの専門店です。

リネンはフラックスという亜麻科の一年草から採れます
フラックスの種蒔きは、春
場所はおもに亜寒帯
土が乾燥しぎず、日当たりが良いところ
ほぼ100日が過ぎた夏、青紫の可憐な花をつけ
朝早くに咲いた花は、お昼までには散ってゆきます

やがてタネを実らせたフラックスは
夏の風にカラカラと音を立て
収穫の時期を知らせます
刈り取られて地面にしばらく寝かせられたあと
茎を梳いて繊維が取り出され、リネンが誕生します
リネンの花言葉は “ 感 謝 ”
リネンのお店 Cadeau 屋 (かどや) へようこそ。

亜麻の花 古澤省吾さん2017.08.15resized[1]左) 字 遊 斎                      右) 古澤省吾さん

[ 関連情報 : 【研究会】 糸・紙・繊維・布 ─ 原 啓志さん 亜麻の花と亜麻の種

【展覧会】 PVC Design Award 2017 受賞展示会 GOOD DESIGN Marunouchi

PVCPVC Design Award 2017 受賞展示会
2017 PVC DESIGN AWARD
11月16日[木]-26日[日]
入場無料  11:00-20 :00
GOOD DESIGN Marunouchi
東京都千代田区丸の内3−4−1  新国際ビル1 F
TEL  03-6273-4414
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2017 PVC DESIGN AWARDは、PVC(塩ビ)素材(軟質・硬質を含む)の特長を活かしたデザイン提案・製品を広く公募する賞です。
PVCは、加工性、印刷性、耐久性、耐摩耗性、耐腐食性、リサイクル性などに優れた素材です。この身近な素材として社会を支えてきたソフトPVCならではの、くらしや社会への持続可能な提案(デザインおよび製品)を募集する PVC DESIGN AWARD2017 の準大賞・優秀賞ほか、入賞作品を発表・展示します。

【 詳細情報 : GOOD DESIGN Marunouchi

【展覧会】 助手展 武蔵野美術大学助手研究発表 2017 11月27日[月]-12月22日[金]

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武蔵野美術大学美術館
助手展 武蔵野美術大学助手研究発表2017
The Research Associate Exhibition 2017
会  期|2017年11月27日[月]-12月22日[金]
休館日|日曜日
時  間|10:00-18:00(土曜日は17:00 閉館)
入館料|無 料
会  場|武蔵野美術大学美術館 展示室1・2・4・5、アトリウム1・2
主  催|武蔵野美術大学 美術館 ・ 図書館
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武蔵野美術大学研究室の一員である助手たちが、日頃の製作や研究の成果を発表する展覧会。
日々の授業運営などを担うかたわら、アーティスト、デザイナー、あるいは研究者としても活躍する助手たちの多彩な表現を展観する。
本展では出品作家である助手自身が企画運営にも携わる。

【 詳細情報 : 武蔵野美術大学美術館・図書館

【展覧会】 調布市郷土博物館 近藤勇と調布の幕末維新

20171111205932_00001 20171111205932_00002調布市郷土博物館
近藤勇と調布の幕末維新
2017年10月11日-12月17日[日] 午前9時-午後4時
休館日:月曜日(月曜が祝日のばあいは翌日)
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慶応3年(1867)、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜は朝廷に政権を返上し、武家政権は終わりを告げ、明治という新しい時代へと転換していきました。
平成29年(2017)は、この大政奉還から150年を迎えます。

激動の幕末維新史に広く名の知られる新選組局長・近藤勇は、天保5年(1834)、武蔵国多摩郡上石原村の生まれで、調布の出身です。幕末の社会不安が江戸周辺農村にも広まり、農民が自衛の手段として武術を嗜んだ時代、近藤勇は調布の農村から移りゆく時代の最前線へと身を投じていきました。
本展では、大政奉還150周年を記念して、今年3月に市有形文化財に指定された「近藤勇養子縁組状」や市内に残された古文書などを展示し、甲州街道を通して江戸と結ばれる地域性のなかで近藤勇を生んだ幕末維新期の調布について紹介します。

調布市郷土博物館 東京都調布市小島町3-26-2 電話 042-481-7656]
* 近藤勇写真はサラマ・プレス倶楽部会員:桜井孝三氏蔵

【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-01

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☆ プレイベント:「江戸・東京 活版さるく」 
無事に終了しました。

  11月11日[土]開催 (バスツアー 先約40名様 参加費7000円)

☆ メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭
会  期 : 2017年11月24日[金]-26日[日] 10:00-17:00(最終日15時まで)
会  場 : 日展会館 新館 (東京都台東区上野桜木町2-14-3)
入場料 : 無 料(催事の一部には参加費が必要なものもあります)
* 展示のほか、講演会、活版ゼミナール、産業人掃苔会開催。詳細は後日WebSiteで

主    催 : 朗文堂 サラマ・プレス倶楽部 160-0022 東京都新宿区新宿2-4-9
協    賛 : 株式会社 I H I 、株式会社イワタ、株式会社モリサワ
協    力 : 平野ホール、「平野富二生誕の地」碑建立有志の会、タイポグラフィ学会

平野富二平 野  富 二
長崎新塾出張東京活版製造所/有限責任東京築地活版製造所 創設者
石川島平野造船所/有限責任石川島造船所(現 IHI) 創設者
明治産業近代化のパイオニア 生誕170年
弘化03年08月14日-明治25年12月03日 1846. 08. 14-1892. 12.03 享年47

【 継続詳細情報 : サラマ・プレス倶楽部 イベントアーカイブ にて連続紹介 】

Main image 製作/日吉洋人会員
主要使用書体/イワタ太ゴシック体欣喜堂・朗文堂 おゝことのはH欣喜堂・朗文堂 銘石B
{漢数字 二} 平野富二墓標「二」より採取・加工 原字:吉田晩稼書 大楷書(蚕頭雁尾)より

【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-04 11月11日[土] プレイベント{江戸・東京 活版さるく}ご案内

 プレイベント{江戸・東京 活版さるく}は
好天に恵まれ、全日程を消化して無事に終了いたしました。
ご参加ありがとうございました。

つぎは「日展会館 新館」でお会いしましょう。
バーナー
さるく01resized さるく02resized さるく03resized さるく04resized    【 江戸・東京 活版さるく 案内パンフレット -参加者配付資料 】
A4判 46ページ 中綴じ 朗文堂 サラマ・プレス倶楽部
コンテンツ協力 : 古谷昌二 ・ 板倉雅宣  デザイン製作 : 日吉洋人会員

map-EdoTokyo1107-2     【 プリント用PDF  江戸・東京 活版さるく概略図 859MB 】
A3 判 カラープリント 参加者配付資料 朗文堂 サラマ・プレス倶楽部
コンテンツ協力 : 古谷昌二  デザイン製作 : 春田ゆかり会員
江戸・東京 活版 さるく【 プリント用PDF  江戸・東京 活版さるく旅程表  514KB 】
旗resized缶バッジresized

☆ プレイベント:「江戸・東京 活版さるく」
11月11日[土]開催 (バスツアー)

平野富二(1846-92)の生誕170年を記念して、平野富二の生誕地長崎に設けられていた官立「長崎製鉄所」をはじめ、「海軍伝習所」、「医学伝習所」、そしてあまりにも資料不足だった「活版伝習所」などの、施設と人員と物資が、相互に関連しながら、いつ・どこへ・どのように江戸・東京にもたらされたのかを、豊富な資料をもとに探るツアーです。

「さるく」とは肥前・肥後など九州北東部の方言で、ぶらぶら歩きをさします。昨年五月開催の<Viva la 活版 ばってん 長崎 崎陽長崎探訪・活版さるく>では、狭隘な長崎市街地を考慮して小型バス二台での「さるく」となりました。 ことしはより広い東京での開催となります。
バスツアーといいながら、相当徒歩でのコースもありますので、歩きやすい靴と服装でご参加ください。

【 お問い合わせ・申し込み先 : 朗文堂 サラマ・プレス倶楽部  » send email 】

【朗文堂ブックコスミイク】 好評既刊書 古谷昌二『平野富二伝-考察と補遺』 平野富二生誕170年祭

バーナー c744292ca56cacab6da941241b982f44[1] 平 野  富 二
長崎新塾出張東京活版製造所/有限責任東京築地活版製造所 創設者
石川島平野造船所/有限責任石川島造船所(現 IHI) 創設者
明治産業近代化のパイオニア 生誕170年
弘化03年08月14日-明治25年12月03日 1846. 08. 14-1892. 12.03 享年47
平野表紙uu[1]
平野DM表 平野DM裏『平野富二伝-考察と補遺』 フライヤー PDF 13.93MB 
朗文堂コスミイク 既刊書案内

【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-06 <江戸・東京 活版さるく>訪問地:お玉が池種痘所

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バーナーDSCN2784江戸・東京 活版さるく 訪問先
27 お玉ヶ池種痘所 跡
所在地 千代田区岩本町2丁目 (もと勘定奉行川路聖謨旧私邸内)

標示物 : 「お玉ヶ池と種痘所跡」標柱、記念プレート、解説板
概  要 : 安政5(1858)年5月に江戸の蘭方医83人が出資して、神田お玉が池に「種痘所」を設置した。この土地はのちに累進して幕府勘定奉行筆頭となった川路聖謨(かわじ としあきら 1801―68)が、かつて所有していた私有地を提供したと伝えられている。
しかしこの地での「種痘所」は、同年11月、開設からわずか半年にして火災により類焼したため、大槻俊斎(おおつき しゅんさい 1806―58)と、伊東玄朴(いとう げんぼく 1801―71)の家を臨時の種痘所とし、その後神田和泉町へ移った。→ ●43、●42

なおこの土地の提供者とされる川路聖謨は、のちに累進して幕府の勘定奉行となり、ロシアのプチャーチンとの外交交渉を担当したことでも知られる。
ロシア側は川路の聡明さを高く評価し、その肖像画(写真)を残そうとしたが、子供の頃に疱瘡(天然痘)を患ったために痘痕(あばた)顔であった川路は、
「自分のような醜男が、日本男児の標準的な顔だと思われては困る」
という機知に富んだ返答をしたという逸話が残っている。また筆まめで『長崎日記』、『下田日記』(東洋文庫124 平凡社)などをのこした。

Toshiakira_Kawaji[1]川路聖謨(1801-68)
天然痘をわずらったため、顔にはあばた(痘痕)が多かったとされる
天然痘予防の「種痘所」が旧宅に設けられたのは、なにか因縁を抱かせる

戊申の折には「表六番町-現在の市ヶ谷近くか」に隠居し、また中風になって右腕が不自由な躰であったが、江戸開城の報を聞き、割腹、さらにピストルを喉に発射、自死して徳川幕府に殉じた。日本で最初にピストル自殺をした人物ともされる。

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読書家のかたにとっては、なにをいまさらといわれかねないが、吉村 昭『落日の宴-勘定奉行川路聖謨』 を読みなおしている。同書帯にも引用されているが、吉村 昭は文芸誌『群像』に連載する前に、二〇年余の準備期間ともいえる時間をかけて川路聖謨の取材をかさねていた。

『落日の宴-勘定奉行川路聖謨』  あとがき
〔前略〕 川路〔聖謨〕は、幕末に閃光のようにひときわ鋭い光彩を放って生きた人物である。軽輩の身から勘定奉行筆頭まで登りつめたことでもあきらかなように、頭脳、判断力、人格ともに卓越した幕吏であった。
このような異例の栄進は、一歩道をあやまれば日本が諸外国の植民地になりかねない激動期に、幕閣が人材登用を第一とし、家柄、序列その他をほとんど無視したからである。
大きな危機感をいだいていた閣老たちは、川路をはじめとした有能な幕吏を積極的に抜擢し、その期待にかれらは十分にこたえた。開国以後の欧米列国との至難な外交交渉、国内の目まぐるしい混乱をへて日本を明治維新にすべり込ませることができたのは、これらの秀れた幕吏の尽力に負う所が大きい。〔後略〕

20171106152311_00001徳川幕府の奉行職とは、ほとんど旗本がその職につき、知名度のわりに禄高はひくかった。
川路聖謨もはじめは200俵の扶持米の軽格であり、勘定奉行の時500石とされている。役職金の500石を加えても、さほどの禄を得ていたわけではない。

神田お玉が池の旧宅に、川路聖謨がいつの時代に居住したのかあきらかではないが、当時は藍染川にそった、湿気のたかい、簡素な家だったようである。
いまは東京大学医学部建立による簡素な石柱がある。

参考資料 : 『 国史大辞典 』 (吉川弘文館)

      川路聖謨 かわじとしあきら (一八〇一-六八)

江戸時代末期の勘定奉行。名は聖謨、通称は弥吉、ついで三左衛門、叙爵して左衛門尉と称し、隠居して敬斎と号し、死の直前に頑民斎と改めた。
享和元年(一八〇一)四月二十五日、幕府直轄領の豊後国日田(大分県日田市)に生まれた。父は日田代官所の属吏内藤吉兵衛歳由。 文化五年(一八〇八)父が幕府の徒士組に転じたので、伴われて江戸に移り、同九年十二歳で小普請組川路三左衛門光房の養子となった。
はじめ小普請組から支配勘定出役・評定所留役を経て、文政十年(一八二七)寺社奉行吟味調役となり、天保六年(一八三五)出石藩主仙石家の内紛の断獄にあたり、奉行脇坂安董を扶けて能吏としての名を挙げ、勘定吟味役に抜擢され、同十一年佐渡奉行、翌十二年小普請奉行、同十四年普請奉行、弘化三年(一八四六)奈良奉行、嘉永四年(一八五一)大坂町奉行を歴任、翌五年九月勘定奉行に昇進し海防掛を兼ねた。
同六年六月ペリーの浦賀来航には国書の受理を主張し、また若年寄本多忠徳に従って房総海岸を巡視した。
ついでプチャーチンの長崎来航により、同年十月露使応接掛を命ぜられ、十二月以降長崎において、翌安政元年(一八五四)十一月以降下田において談判し、十二月二十一日大目付筒井政憲とともに日露和親条約に調印した。
翌二年八月禁裏造営掛を命ぜられ、上京して大任を果たした。
同三年十月老中堀田正睦が外国事務取扱を兼ねると、外国貿易取調掛を命ぜられ、翌四年八月にはハリス上府用掛となった。

同五年正月正睦が条約勅許奏請のため上京するにあたり、外国事情に通じているところから目付岩瀬忠震とともに随行を命ぜられた。 かつて奈良奉行時代に青蓮院宮尊融入道親王(のち朝彦親王)に知遇を得、また禁裏造営掛として公卿間にも知己が多く、大いに運動したが失敗し、四月正睦と帰府した。
時に政治問題となっていた将軍継嗣では、一橋慶喜を擁立する一橋派に属していたため、大老に就任した井伊直弼に疎まれ、同年五月西丸留守居の閑職に左遷され、翌六年八月さらに免職・隠居を命ぜられ、差控に処せられ、家督は嫡孫太郎(寛堂)が継いだ。
文久三年(一八六三)五月外国奉行に起用されたが、十月老疾をもって辞した。
以来官途につかず、慶応二年(一八六六)二月中風を発して身体の自由を失い、読書に親しみ、かつ徳川家の高恩を思い、奉公の念を忘れなかった。
明治元年(一八六八)三月十五日の朝、東征軍が迫って江戸開城も目前にあるを察し、表六番町(千代田区六番町)の自宅において、
「天津神に背くもよかり蕨つみ飢にし人の昔思へは 徳川家譜代之陪臣頑民斎川路聖謨」
の辞世を残し、割腹ののち、短銃をもって果てた。六十八歳。法名は誠恪院殿嘉訓明弼大居士。
上野池ノ端七軒町(台東区池之端)大正寺に葬った。贈従四位。

川路聖謨は平素文筆に親しんで多くの遺著を残したが、遠国奉行中の日記をはじめ、露使と応接した『長崎日記』『下田日記』、京都に使いした『京都日記』『京日記』および晩年の日記は『川路聖謨文書』全八巻(『日本史籍協会叢書』)に収められる。
ちなみに下田奉行・外国奉行などを歴任、外交の第一線で活躍した井上清直は聖謨の実弟である。

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59e3429eb264f1[1]吉村昭記念文学館
吉村昭 生誕90周年記念 企画展
「吉村昭とふるさとあらかわ ~生い立ちとその作品世界~」
会    期 : 10月28日[土]-12月10日[日]
* 11月26日[月]・16日[木]は休館
時    間 : 9時30分-17時(常設展示は20時30分まで)
入館料 : 無料
会   場 :  ゆいの森あらかわ 3階 企画展示室
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荒川区出身の小説家、吉村昭(昭和2年-平成18年)の生誕90周年を記念して、
「吉村昭とふるさとあらかわ~生い立ちとその作品世界~」を開催します。

吉村昭は、昭和2年(1927)、現在の荒川区東日暮里六丁目に生まれました。多感な時期を荒川区で過ごし、その時の経験は「吉村昭」の原点となりました。随筆や短篇小説には度〻荒川区が登場し、最後の長篇小説も荒川区を舞台とした「彰義隊」でした。
本展示では、荒川区で過ごした幼少期から青年期にかけての写真やゆかりの品などから「吉村昭」の原点をたどり、自筆原稿や作品に関連する挿絵を通して、吉村の描いた作品世界を紹介します。

【 詳細 : 吉村昭記念文学館 】