《十五夜お月さまをきれいに撮影したかったが、叢雲 ムラクモ が邪魔をして……》
長月ナガツキ 九月、09月08日は十五夜であった。旧暦 (陰暦 ・ 太陰暦) だと、この日は八月十五日となるので、この十五夜の名がうまれたようである。<活版 à la carte>にふさわしい話題かもしれない。
この日のお月さまを 「十五夜の望月 モチヅキ-満ち足りた月 ≒ 満月」と呼び、「仲秋の名月」とするのは、陰暦では07月を初秋、08月を仲秋、09月晩秋といい、その08月 仲秋の十五夜が満月となることからその名がうまれたとされる。
秋の名月をたのしもうとすると、雲が邪魔をし、また春の花(櫻)を愛でようとすると、風や雨が邪魔をすることがある。この日の夜も新宿の空には叢雲ムラクモがわき、なかなか「十五夜の望月」が撮影できなかった。
古人はそれを、<月に叢雲 花に風> とし、せっかくの風情をだいなしにしてしまうと嘆いていた。さらにそれが転じて、<よいことには、えてして邪魔が入りやすい> ことのたとえともする。
《中国の友人、清華大学 副教授 原 博 (yuán bó) 先生のおみやげは月餅だった》
中国 ・ 北京の友人/清華大学美術学院の副教授 原 博 (yuán bó) 先生が来日されて、2014年08月23日[土]、朗文堂アダナ・プレス倶楽部を訪問された。
原先生とは、昨年末、ことしのはじめと、二度にわたって北京でお会いしたが、日本でお会いするのははじめてであった。
おみやげに、
「まだすこしはやいのですが、北京の月餅です」
とはなされながら、下掲写真中央奥の赤い箱 「北京福香月餅-四味」 をいただいた。
目敏いノー学部は、中国の生活用品を描いた包装紙に、「月餅の型」 があるのをみつけた。
「この月餅の型と同じようなものは、ことしの一月、北京のフリーマーケットで買ってきました」
といって、木製の素朴な月餅の型を引っぱりだしてきた。
「あら、壽 字が彫ってありますね。よく見つけられましたね。これは実際に使われたものですよ」
この型は、ちょうど手鏡ほどの大きさのものであるが、月餅の包装紙の一部が開封のときに痛んでしまったので、そこに乗せて撮影してあるのでご覧いただきたい。
【 関連情報 : アダナ・プレス倶楽部ニュース 中国の友人、原 博さんがご来社に!】
《お菓子の 月餅と 最中モナカ の季節感とは》
わが国の暦コヨミから季節感が乏しくなって久しいものがある。
そもそもほとんどのひとが、祝日(特に国でさだめたいわいの日)と、祭日(皇室の祭典をおこなう日。神道シントウで死者の霊をまつる日。祝日の俗称の意もある)の違いがわからなくなっている。またかつて存在した「旗日」などということばは、ほぼ死語となっている。
また、暦ならぬカレンダーのおおくは、日曜と祝日が平日とは色違いで表示されるくらいで、その日はいったいなんの祝いの日で、どうして休日になっているのかわからないままのことが多い。
ところで月餅である。わが国ではいまや、ほぼ四季を問わずみかけるお菓子であるが、08月23日に来社された原 博先生は、
「まだすこしはやいのですが、北京の月餅です」
と述べておられた。つまり中国の習慣では、08月23日はまだ月餅を贈りあうにはすこしはやいのである。
そう、月餅も最中モナカも、もともとは秋の、それも秋のさなか、仲秋(中国では中秋)のお菓子である。
気候の苛烈な中国にあっては、餡アンを主体として水分の多いこれらのお菓子は、夏ならすぐに腐敗するし、冬ならまもなく凍結してしまう。
これがおだやかな気候のわが国にもたらされ、さまざまに工夫され、また保冷 ・ 保温設備(かてて加えて防腐剤)の普及などもあって、四季を問わずに食せる、わが国にすっかり同化したお菓子となった。
「最中」とはおもしろいことばである。
すなわち漢の字の最中は、「最中 さなか ・ さいちゅう ・ もなか」とさまざまによまれる(和訓)。
お菓子の「最中モナカ」は、餅米の粉を蒸し、それをうすくのばして、餡をつつみこんで、月餅と同様に、陰暦の初秋、仲秋、晩秋の 「秋の最中サナカ、仲秋 ・ 中秋」 につくられ、食されていたものである。
この最中の由来には若干異論もあろうが、本来は望月 ≒ 満月を模して丸い形をしていた。それがいまや各地の名産品となって、形もさまざまに変化し、パンダ最中、くまモン最中までが登場するようになって、日持ちのよい、わが国のお菓子となった。
したがっていまや、秋よりは食感がおとるものの、真夏や真冬に「月餅 ・ 最中」を食そうと、それはそれで良いのではないかとおもっている。
中国 ・ 北京の友人/清華大学美術学院の副教授 原 博 (yuán bó) 先生(中央)
長月ナガツキ 九月、09月08日十五夜に、近くのコンビニエンス・ストア(便利商店)で買った月餅
《中国の中秋節は09月下旬に設定され、おおむね三連休となって秋の行楽のときとなる》
古来の暦法にならい、中国では翌年の祝日を、12月中旬になってから法定祝日として政府が発表するそうである。これではカレンダー製作業者などはおおごとかとおもえるが、
「秦の始皇帝のころから、暦はそうなっています」
と、平然としているのが中国人の奇妙さでもある。
【リンク:中国の祝日 2013年/2014年 カレンダー】。
いまの中国の法定の祝日には、元旦 ・ 春節 ・ 清明節 ・ 労働節 ・ 端午節 ・ 中秋節 ・ 国慶節などがあり、元旦(新暦の正月)は01日、春節(旧暦の正月)と、国慶節(1949年中華人民共和国建国記念日。10月01日)は07日、それ以外の祝日は03連休となる。
ちなみにことしの中国の中秋節は09月27日で、26日[金]-28日[日]の三連休となっている。
ノー学部がはじめて中国を訪れた2011年は、たまたまこの「中秋節」のときにぶつかって、各地で観光バスでやってくる観光客の大混雑に巻きこまれて閉口した。
中国南宋のみやこ、杭州(臨安)を訪れた日がまさにその日で、日中は残暑と人混みですっかり疲労した。
ところがノー学部は中国がはじめてというのに、どこでどうやって調べるのか知らないが、夜の水上ショー <印象西湖> を勝手に予約していていた。
夜のとばりがおりるころ、杭州西湖に中秋の望月が顔をだした。 それはそれはみごとなものだった。
灯ともしころになると、喧噪をきわめた団体客は宴会でもはじめているのか湖畔に静寂が訪れた。
そして西湖のほとり、岳飛(北宋末期の武将)廟前の湖岸(西湖岳湖区)に、昼間はみえなかった「収縮式ひな壇型客席」があらわれ、さまざまな国から訪れた観光客で1,000余人ほどの客席はびっしり満員となった。
さすがに国際観光都市 : 杭州だけに、おおきな団体客の姿はなかったが、バケーション ・ シーズンの混乱を避けていたとおぼしき、物腰のおだやかな欧州の老夫婦の姿もたくさんみかけた。またインド系やアラブ系の顔立ちや服装のひとも多かった。
<印象西湖>は西湖岳湖区の水上を舞台として、中国の山水を融合させたもので、中国江南地方の四季折折の自然の風景描写が幻想的な世界を演出していた。
このショーの監督は、中国映画の巨匠、北京オリンピック開会式の演出家 : 張芸謀ジャン イー モーで、音楽は日本の音楽家 : 喜多郎だった。幾多郎は、ドキュメンタリー番組 『 NHK 特集 シルクロード』 のテーマ曲で鮮烈な印象をのこしたひとだった(ウィキペディア : 喜多郎)。
湖畔に喜多郎の曲のしらべがながれ、やがてとおい湖面にポツンとちいさな月があらわれ、それがしだいに湖畔にこぎ寄せられ、おおきな月影となって水上ショーの幕が切って落とされた。
物語は杭州を舞台した民話<白蛇伝>をモチーフとして、若い僧と蛇の化身の恋物語だったが、湖面に設置された舞台でおどる200余名の華麗な舞踏と、喜多郎の哀切をおびた音楽がマッチして、観客は固唾をのんで見守っていた。
それを天空たかく、望月 ・ 満月の冴え冴えとした月が照らしだしていた。
こうしてノー学部にとって、二日目の中国の夜はしんしんと更けていった。
ホテルからは、ずっしり重い、おおきな箱入りの中秋の月餅が、宿泊客には無料でくばられた。
【 参考 : アダナ・プレス倶楽部ニュース エッ、いまごろお正月 !? 上海在住の会員がご来社に 】
《中国公営のフリーマーケット 潘家園舊(旧)貨市場 のみの市ってなんでしょう》
2014年01月19日[日]、北京の友人の案内で、潘家園旧貨市場をたずねた。このときに買い求めたのが、先に紹介した「月餅の木型」である。
潘家園旧貨市場はふるくからあって、露天のもとで古物(中国では二手)や、安価な雑貨などを扱う、ちいさな個人商人が雑然と群れていた地区だったという。
近年これを整備し、一部を屋根付きの商場とするとともに、出店人 ・ 業者を2,000店(人)ほどとして、 細部はわからないが、登録制かつ時限を切った交代制として、行政の一定の規制のもとでの民衆市場イチバとしたそうである。したがって猥雑さのなかにある面白みはへったが、しつこい押し売りは無いし、治安もわりと良い地区に変貌した。
そのために、いまも潘家園旧貨市場という正式名称より、潘家園ハンカエン二手市場、百姓跳蚤市場とよばれて、おおくの民衆が訪れる場所となっている。
ただ、地下鉄の駅から潘家園旧貨市場までのわずかの間の道には、登録から漏れた(ときには悪質な)業者がしつこくつきまとうので用心が必要である。
<二手市場> とはいいえて妙で、英語でも 「古物商店 Secondhand Store 」とあらわされる。どちらが先か、あるいは、たまたまなのかは知らない。
ところでここまで、この場所を <フリーマーケット> と紹介してきた。やつがれ、まこともって恥ずかしいことながら、この <フリーマーケット> とは 「 Free Market 」 だとばかりおもっていた。
まさか 「フリーマーケット Flea Market 」とは……。 露 しらなんだ。
賢明なる <活版アラカルト> コーナーの読者のみなさんは、上掲写真三枚目をご覧いただきたい。そこには赤地に黄色の字で <百姓跳蚤市場> とある。
「百姓」は、わが国とはいくぶんことばの位相がことなり、人民 乃至 民衆 ・ 市民の意である。そのあと、蚤ノミが跳びはねる市場イチバ、すなわちここは「蚤の市イチ」である。
ここですこし考えた。 「蚤 ・ のみ ・ ノミ Flea だよな。発音はフリーで良かったかな ? ……アレッ ! 」
あとはもう恥ずかしいから、「フリーマーケット」 でも、「蚤の市」 でもなんでも辞書で調べていただきたい。
「蚤の市」 の語源はフランスにあるようだが、英語での 「Free Market」 はむしろ経済学の学術用語であり、「自由競争によって価格と数量の決まる市場シジョウ」とされる。市場 シジョウ と 市場 イチバ は、どういう定義がなされるかつまびらかにしないが、あきらかにちがうのである。
したがって英語でも、ロンドンや、ウィーンの「蚤の市イチ」、そしてこの潘家園旧貨市場のようなところは、多くの英和辞書では、<Flea market 露天の古物や安物市場イチバ ノミの市イチ> とされている。
これからは 「蚤の市」 の主催者は、「Free Market」 と気取って英語表記すると……。
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と、まぁいろいろ考えさせられる場所が潘家園旧貨市場である。民衆は出店者と値段交渉の駆け引きをたのしみ、もしかするとめぼしいものでもないかと、気楽に散策していた。同行した友人は、
「ここの出土品というのは、ほとんど嘘だからね」
とわらってのんびり歩いていた。幸いやつがれも古物愛玩趣味は無い。
このコーナーにもしるしたことだが、欧州諸国と同様に、中国でも図書と雑誌は明確に区別されている。すなわち図書(書籍)は、二手書店と呼ばれて、潘家園旧貨市場に隣接したビルに、わりと良質な古書店が十数件ある。こちらは鍵付きの堅牢な書棚がずらりとならんでいる。
ところが雑誌類は、こういう蚤の市の地べたか、せいぜいビニールシートの上に並べておかれ、二次循環の客を待つ。また二手書店で買い手がつかなかったわずかな図書も、ここには安い価格で陳列されている。