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【平野富二 生誕の地 碑 建立 有志の会】日本近代医学とタイポグラフィ揺籃の地|東京都千代田区神田和泉町 1 資料|「江戸名所道外盡十 外神田佐久間町 廣景画」安政六年(1858年)購入・披露

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「江戸名所道外盡十 外神田佐久間町 廣景画」 安政六年(1858年)
「平野富二 生誕の地」碑 建立 有志の会」所蔵

「津藩 藤堂和泉守上屋敷と門長屋」
日本近代医学とタイポグラフィ揺籃の地
東京都千代田区神田和泉町 1
[関連:「平野富二 生誕の地」碑 建立 有志の会」

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平野富二の東京初進出の場所を特定する

このたび「平野富二 生誕の地」碑 建立 有志の会」が、「江戸名所道外盡十 外神田佐久間町 廣景画」(安政六年)を購入した。経緯は以下の通り。

  • 2016年12月20日、「平野富二 生誕の地」碑 建立 有志の会」の結成直前。
    板倉雅宣・櫻井孝三・古谷昌二・片塩二朗・大石 薫・日吉洋人氏が本会事務局に集合。
    長崎での平野富二 生誕地が判明した現在、平野富二の東京初進出の場所の確定が話題になる。
  • 文書記録では「神田佐久間町三丁目」が多く見られるが、それはどうも違うようだとの話となり、現:和泉公園の辺りではないか …… と活発な議論と成るも結論を得ずに散会。
  • 2016年年末-2017年正月、片塩氏が「ミミズのうわごと」状態となって、司馬遼太郎『本郷界隈』、森鷗外『雁』、石黒忠悳『懐旧九十年』、三谷幸吉『本木昌造・平野富二 詳伝』、第一期『印刷雑誌』など関連資料を乱読。
  • 第二次種痘所が幕府に移管され西洋医学所 → 医学所となり、維新後に公収され、また隣接していた津藩藤堂和泉守上屋敷(現:東京都千代田区神田和泉町 1 )に移転。同所は維新後の混乱のなかで、医学所 → 軍陣病院(合併)→ 医学校 → 大病院 → 医学校兼病院 →(大学校分局)→ 大学東校 → 東校 → 第一大学区医学校 → 東京医学校と短期間に呼称が変遷したことを東京大学医学部図書館資料などから確認。
  • 津藩藤堂和泉守上屋敷の門長屋(現:東京都千代田区神田和泉町 1 )に本木昌造らによる「文部省御用活版所」が開設され、その隣接地に平野富二一行が進出したことを確認。
  • 2017年01月初旬、「平野富二 生誕の地」碑 建立 有志の会」結成。同会にて神田和泉町関連資料の抜粋が紹介された。
    あわせて天文方にはじまり、蕃所調所、洋書調所、開成学校から大学南校 → 東京開成学校となった系譜の調査と、昌平坂学問所(昌平黌)、昌平学校、大学となって、この三つの系譜が現東京大学の枢要部(法学部・理学部・医学部)に連なったおおきな潮流の把握が「平野富二 生誕の地」碑 建立 有志の会」の研究テーマとして設定された。
  • まもなく古谷昌二氏より都立中央図書館所蔵、まったく同日に、平野正一氏より国立国立国会図書館所蔵「江戸名所道外盡十 外神田佐久間町 廣景画 安政六年」デジタルデーターが発掘された。
  • 2017年11月11日、「メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭」のプレイベントとして、バスツアー「江戸・東京 活版さるく」(主催:朗文堂 サラマ・プレス倶楽部)が開催され、参加者とともに、神田佐久間町と神田和泉町(明治5年起立『千代田区史』)を訪問し、位置関係を確認、「神田佐久間町三丁目」としか記録できなかった当時の状況を参加者とともに理解した。
  • 2017年11月24日[金]-26日[日]、「メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭」(日展会館新館)にて開催され、展示・講演資料として「江戸名所道外盡十 外神田佐久間町 廣景画 安政六年」(国立国会図書館所蔵・東京都立中央図書館所蔵)を公開。
  • ここまでの研究の成果は、翌2018年秋『タイポグラフィ学会誌 11』(タイポグラフィ学会発行)に発表され、江戸錦絵「江戸名所道外盡十 外神田佐久間町 廣景画 安政六年」が、ひろく知られるようになった。 
  • 2019年02月06日、懇意の古書店より「江戸名所道外盡十 外神田佐久間町 廣景画」(安政六年 1858年)を「平野富二 生誕の地碑 建立 有志の会」として購入した。

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「メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭」展示資料
「津藩 藤堂和泉守上屋敷と門長屋」
【 プリント用PDF  津藩藤堂和泉守上屋敷・門長屋 】

また「平野富二 生誕の地」碑 建立 有志の会」代表:古谷昌二氏のブログにて、下記の関連記事が公開されている。
[関連:古谷昌二ブログ 2018年10月 文部省御用活版所の開設
[関連:古谷昌二ブログ 2019年01月 東京進出最初の拠点:神田和泉町

bc3c96ef94bc9b6103fa4d238de187f1御用活版所の設立認可(『公文類聚』、明治4年、国立公文書館蔵)

この公文書によって本木昌造は、大学・大学東校・大学南校の活版御用を申し付けられ、御用活版所の用地拝借を願い出た結果、大学東校区域内にある長屋と接続地に御用活版所を設置する政府からの許可を明治4年6月15日に得たことが分かる。
この大学東校区域は現在の千代田区神田和泉町1番地に当たる。

65660edef684f9d89514f4d8993eff66上野下谷外神田辺絵図(近吾堂版、嘉永2年)

津藩藤堂家上屋敷の東西(絵図で左右)の長さは約350メートルで、その周囲は堀と門長屋に囲まれていた。屋敷の南側(上方)の道路に面して豪華な表門が設けられていた。神田川に架かる和泉橋を通る道路は和泉橋通りと称し、現在の昭和通りに相当する。
もう一つの新シ橋-あたらしばし(現、美倉橋)を通る道路は現在の清洲橋通りに相当する。

91c5b93791e1fcb16a3133bec141b742明治4年 藤堂和泉守上屋敷跡絵図(吉田屋又三郎板『東京大絵図』〈明治4年8月改正〉)

藤堂和泉守の上屋敷は新政府に接収されて大病院となった。ここに医学校が移転してきて、大学東校、東校、第一大区医学校、東京医学校と改称を繰り返して、1876(明治9)年に本郷元富士町、現東京大学医学部敷地に移転した。

90f447fb8c8840e3d119534e879f5f51旧東校表門通りの現状写真

画面の左手の道路が旧東校表門通り(現、佐久間学校通り)で、中央に見えるコンクリート壁面から先方が旧藤堂家上屋敷で、道路沿いに堀と門長屋が表門を介して続いていた。
アイビーの絡まる和泉小学校の壁面の辺りは東校表門の東側門長屋で、この一画に平野富二一行によって「長崎新塾出張活版製造所」が設けられたとみられる。手前は和泉公園で、ここは旗本能勢熊之助の屋敷地だった。

[関連:活版アラカルト メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-13 東京築地活版製造所アンソロジー 東京大学医学部と近代タイポグラフィ揺籃の地/津藩 藤堂和泉守上屋敷と門長屋] 

【古谷昌二 新ブログ】 東京築地活版製造所 歴代社長略歴|第四代専務取締役社長 名 村 泰 蔵

古谷昌二名村東京築地活版製造所 第四代社長 名村泰蔵

(1)第四代社長として専務取締役に就任
(2)名村泰蔵の出自と名前の変遷
(3)東京築地活版製造所に招聘されるまでの略歴
(4)東京活版製造所での事績
     〔株主総会関連〕
     〔事業拡張〕
     〔営業活動〕
     〔徒弟の基礎教育〕
     〔その他〕
ま と め
名村泰蔵は、幼名を島村子之松、少年の頃、オランダ通詞北村元七郎の養子となって北村元四郎、30歳になってオランダ語、英語、フランス語を学んだ名村八右衛門の名跡を継いで名村泰蔵となった。
北村元四郎を名乗っていた幕末から明治初期には、神奈川奉行所詰め(22歳)、横浜製鉄所の建設工事でフランス語通訳を勤め、八丈島に漂着していた本木昌造一行の救助に向かった幕府蒸気船に搭乗(27歳)、パリ万国博覧会に幕府随員として参加(28歳)し、帰国後、長崎に戻って上等通弁(29歳)となった。
慶應4年(1868)、30歳のとき、名村八右衛門・名村貞四郎の名跡を継いで名村泰蔵と改名し、長崎の「広運館」仏学局でフランス語の助教を務める傍ら、本木昌造の経営する新街私塾で英語とフランス語を教えていた。
明治5年(1872)に上京して司法省に出仕し、岩倉使節団の後発団員としてヨーロッパに派遣された。以後、明治26年(1893)、54歳のとき、大審院長心得を辞任して退官するまでの22年間を司法畑で過ごした。

東京築地活版製造所は、もともと、新街私塾の出張所(長崎新塾出張活版製造所)であったこともあり、名村泰蔵もその縁に連なる人である。そのことから、あらかじめ退官を期に東京築地活版製造所に役員として招聘される内諾があったと見られる。
第三代社長曲田成の急逝により、第四代社長として専務取締役に選任された名村泰蔵の東京築地活版製造所に於ける業績は、資本金8万円の会社から20万円の会社に成長させたこと、印刷機械を含む諸器械の専門工場として月島分工場を設立し、経営の拡大と安定を計ったことが挙げられる。また、各種博覧会に新製活字を出品して受賞し、業界のトップ企業としての地位を確立した。さらに、徒弟として入社した年少者の基礎教育を制度化した。

名村泰蔵を語る伝記や私記は見当たらない。東京築地活版製造所の正史とも言うべき『株式会社東京築地活版製造所紀要』(昭和4年10月発行)には、名村社長についての記述は僅かに4行しかない。そのこともあってか、その事績はほとんど知られていない。
明治26年9九月退官。明治27年貴族院議員となり実業界でも活躍。明治40年(1907)9月6日東京築地活版製造所社長在任のまま歿す。68歳。特旨により正三位に叙せられ、祭祀料を賜わり、勅使をその邸に遣わされて幣帛を賜わった。
名村角判 tukisima 平野富二甲1 名村墓所青山霊園────────────────

古谷昌二さんuu[1]平野富二生誕の地碑建立有志の会の< WebSite 平野富二──明治産業近代化のパイオニア >において、精力的に「平野富二」に関する最新研究成果を<古谷昌二ブログ>に連続発表されている古谷昌二氏。その蓄積は2017年01月-2018年06月にわたり、都合24回の連載をかさねています。

平野富二は長崎から上京後、わずか20年ほどのあいだに、明治産業近代化のパイオニアとしてさまざまな事業を手がけました。そのひとつが活字製造と活字版印刷関連機器の開発・販売で、東京築地活版製造所の名称でひろく知られます。ところが同社は昭和初期に解散したために、企業史の側面からの研究は十分とはいえない状況にありました。

近年、長崎と東京で「活版さるく」をはじめとするさまざまなイベントが開催され、東京築地活版製造所関連資料があらたに発掘され、周辺では共同研究も盛んになってきました。
これらの成果の一端として、<古谷昌二 新ブログ  東京築地活版製造所歴代社長略歴>は、明治18年(1885)6月16日に設立され、昭和13年(1938)3月17日、臨時株主総会の決議によって解散を迎えるまでの東京築地活版製造所の消長を、個性ある歴代の社長の姿を追うことで明らかにしようとするものです。ご愛読をたまわりたく存じます。
[平野富二生誕の地碑建立有志の会 事務局長:日吉洋人]

【 詳細: 東京築地活版製造所歴代社長 略伝 】

【展覧会】武蔵野美術大学 美術館・図書館|平成30年度 武蔵野美術大学 造形学部卒業制作・大学院修了制作 優秀作品展|4月3日-4月27日

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武蔵野美術大学 美術館・図書館
平成30年度 武蔵野美術大学 造形学部卒業制作・大学院修了制作
優秀作品展
会  期  2019年4月3日[水]-4月27日[土]
時  間  10:00-18:00(土曜日は17:00閉館)
休  館  日  日曜日
入  館  料  無 料
会  場  武蔵野美術大学美術館 展示室 1・2・3・4・5、アトリウム1・2
主  催  武蔵野美術大学 美術館・図書館
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本学造形学部卒業制作および大学院修了制作において、優秀賞を受賞した学生約100名の作品を全館にわたり紹介する展覧会。限りある学生生活の中で受賞者それぞれが身につけてきた表現力や思考力を、社会へ向けて発信する足がかりの場となる。
新しい年度を迎えた新入生や在学生へ、あるいは、若い才能を迎える社会の人々に向けて、みずみずしく力強い彼らの作品を紹介する。

【 詳細: 武蔵野美術大学 美術館・図書館

【長崎歴史文化協会】越中哲也翁-本年三月で三十六年に及んだ幕をおろす ── 今後ともご壮健で{長崎越中節}を熱望するいま

_DSF0300「平野富二生誕の地」碑建立記念祭 除幕式で祝辞を述べられた折りの越中哲也氏
2018年11月24日

越中哲也〔えっちゅう てつや〕
大正一〇年(一九二一)長崎市に光源寺の子息としてうまれる。龍谷大学文学部を卒業して間もなく応集、復員後、長崎市立博物館に学芸員として勤務。昭和四九年(一九七四)長崎市立博物館館長に就任。昭和五六年(一九八一)長崎市立博物館館長を定年退職。
昭和五七年(一九八二)長崎歴史文化協会設立、理事長就任。
昭和五八年(一九八三)純心女子短期大学英米文化科教授となる。平成一〇年(一九九八)純心大学長崎学研究所研究員となり、現在顧問。

現在、長崎歴史文化協会理事長。長崎地方文化歴史研究家であり『ながさきぶらぶら節』(なかにし礼、新潮文庫)に出てくる長崎学の第一人者・古賀十二郎氏の孫弟子にあたる。
長崎史や長崎を中心とした美術・工芸の研究と紹介に努めるかたわら、数多くの執筆活動や監修を手掛ける。
「長崎くんち」や「精霊流し」の季節になると、解説者としてテレビに出演し、長崎の人びとに愛されている。著書に『長崎の西洋料理』(第一法規出版株式会社)、「写真集・長崎」(国書刊行会)ほか多数。

DSCN3496長崎市桶屋町の「長崎歴史文化協会事務所」入口

長崎歴史文化協会事務所は創設以来十八銀行が全面支援にあたっていた。稿者もなんどかこの門をたたき、二階の事務所で越中哲也翁の含蓄あるおはなしをうかがった。2019年3月をもって同会が閉鎖されると報道された。一抹のさびしさはあるが、多年・多岐にわたった越中翁のご功績にふかく感謝申しあげる次第である。
また「平野富二生誕の地」碑建立記念祭の除幕式に際してご臨席をたまわり、祝辞を頂戴した。また、次世代を担う若者とともにお元気な越中哲也翁の謦咳に接し、それを記録する機会を得たことを喜びとしたい。

長崎歴史文化協会
昭和五七(一九八二)年五月、長崎における歴史文化を研究し、各文化団体とも連携の上、地域文化の発展に寄与することを目的として設立。

関係図書資料を整備し、必要に応じて一般に公開し、長崎に関する歴史文化の調査研究に対し適切な助言・指導をおこなう。
また、長崎に関する古文書・史料で未刊・未発表のもの、その他学術的に価値あるものについて整理し発刊をおこなっている。

長崎歴史文化協会 2019年3月で幕 ── 越中さん36年を振り返る

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【展覧会】国立公文書館|平成31年春の特別展 江戸時代の天皇|4月6日-5月12日

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国立公文書館
平成31年春の特別展 江戸時代の天皇
会  期  平成31年4月6日[土]-5月12日[日]
開館時間  月-水、土、日、祝日  午前9時45分-午後5時30分
      木・金曜日       午前9時45分-午後8時  * 祝日を除く
      ※入館は、それぞれ閉館30分前まで(特別展は、期間中無休)
会  場  国立公文書館 本館
入  場  料    無 料
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平成31年(2019)は天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位が行われます。
本展では、この御退位・御即位を記念し、江戸時代の天皇について取り上げます。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ら天下人が登場し、それに続く江戸幕府による支配の中で、天皇・朝廷はどのように渡り合い、関係を構築していったのか。光格天皇による朝廷儀式の再興、江戸時代の元号の選定と改元などについて、当館所蔵の絵巻物や公家日記などを中心に御紹介いたします。

【 詳細: 国立公文書館 】 

主な展示資料

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【良書紹介】「ミツカン水の文化センター」の機関誌|『水の文化』 第61号発刊|特集「 水が語る佐渡 」

水の文化61

『 水 の 文 化 』61号
水が語る佐渡
2019年 2月
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古来、「金の島」として知られる佐渡。日本海に浮かぶこの島は、金銀はもちろんのこと、鉱山技術を応用した水利による稲作および水の力(北前船)で運び出された産品によって隆盛を誇った。
金銀山の閉山・休山で基幹産業を失っても人々は暮らしつづけ、今ではトキをシンボルとするブランド米で持続可能な農業を目指している。
日本の縮図ともいわれる佐渡の歴史を「水」の視点から見つめ、「人と自然の共生」のあり方や、私たちがこれから大事にすべきものを探った。

【 詳細 : ミツカン 水の文化センター 】 { 活版アラカルト まとめ }

【展覧会】書道博物館 企画展|みんなが見たい優品展 パート14|歴史に名を残した日本人の書|3月12日-6月16日

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企画展 歴史に名を残した日本人の書
展示期間  3月12日[火]-6月16日[日]
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14回目を迎える恒例のリクエスト展。アンケートでリクエストの多かった作品を、可能なかぎり組み込んで展示を構成します。

【会員情報】宮川雅一著『高島秋帆』長崎文献社|東京板橋区の「高島平」は長崎町年寄・砲術師:高島秋帆にちなむ

20190304152709_00001シリーズ 長崎偉人伝
高島秋帆     
宮川雅一著
定 価 1600円+税
体 裁 四六判 並製
ISBN978-4-88851-282-4 C0023
長崎文献社

東京「高島平」に名をのこす。
砲術師の生涯をひもとく。
門弟たちの業績が「明治産業革命遺産」に輝く。
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著 者 宮 川 雅 一 氏 紹 介

宮川先生2018年11月24日「平野富二生誕の地」碑建立記念祭「祝賀会」にて
ご祝辞をいただき、乾杯の音頭をとっていただきました

宮川雅一〔みやがわ まさかず〕

昭和九年(一九三四)長崎市の老舗の酒類・食料品店にうまれる。勝山国民学校・新制長崎中学校・長崎東高等学校卒。
昭和三二年(一九五七)東大法学部卒業後、自治庁(自治省を経て現・総務省)に入る。
以来、自治省・大蔵省(現・財務省)・公営企業金融公庫(現・地方公共団体金融機構)・福岡・滋賀・愛媛・香川各県庁に勤務。
昭和五四年(一九七九)公益財団法人日本都市センター研究室長から長崎市助役に就任。昭和六一年(一九八六)助役を退職し、長崎都市経営研究所を設立。

現在、長崎史談会会長を経て同理事、長崎釈尊鑚仰会会長、長崎近代化遺産研究会会長、唐寺研究会代表幹事、長崎聖福寺大雄宝殿修復協力会世話人代表、長崎ちびっ子くんち実行委員会会長、出雲大社長崎分院・松森天満宮・伊勢宮の各責任役員など。著書に「長崎散策」シリーズ、『宮川雅一の郷土史 岡目八目』(長崎新聞社)、『長崎偉人伝 高島秋帆』(長崎文献社)ほか。

【展覧会】Gallery 芽楽|山口恵味版画(アクアチント)展 ─ 雨夜に月を探すワニ ─|3月2日-3月17日

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Gallery 芽楽
山口恵味版画(アクアチント)展
── 雨夜に月を探すワニ ──
会  期  3月2日[土]-3月17日[日]

休  廊  日  火曜日・水曜日
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◉ 作家メッセージ
踏まれたら 根を張ればいい

ゆっくり しっかり
いつまでも長く 広げて行こう
[山口恵味]

◉ 展覧会について
アクアチントの版画家山口恵味、まずその色彩に惹かれる。

深い闇に浮かぶ鮮やかな赤、黄、青、みどり……
しっとりとした深い味わいを醸している。
作品は詩情を湛える。
寓意的なキャラクター、月、イチゴ、鍵、一つ目などを配し

心の奥深くひそむ、不安、欲望、夢、希望……を詞的に描く。
日本版画協会展で奨励賞を受賞するなど研鑽を重ね5年振りの個展、
是非ご覧ください。
Gallery 芽 楽

【Information Release 13】明治産業近代化のパイオニア「平野富二 生誕の地」碑 建立 記念祭|特別 YouTube 映像公開

披露01 披露02明治産業近代化のパイオニア「平野富二生誕の地」碑建立記念祭

◯ 会  期
    2018年11月23日[金・祝]、24日[土]、25日[日]──三日間
◯ 時  間

    23日[金・祝]15:00-19:00/24 日[土]10:00-19:00/25 日[日]10:00-17:00
◯ 記念式典

    「平野富二 生誕の地」 碑 除幕式・祝賀会  11月24日[土]11:00より開催
◯ 会  場

    長崎県勤労福祉会館4階(長崎県長崎市桜町9 ― 6)
◯ 入  場 料

    無  料 
    *展示のほかに、講演会、活版ゼミナール、ミニ・活版さるくを開催。
◯ 主  催
    「平野富二 生誕の地」碑建立有志の会
    160-0022 東京都新宿区新宿2-4-9 朗文堂内
    Telephone:03-3352-5070 Facsimile:03-3352-5160
    E mail : info@hirano-tomiji.jp  WebSite : http://hirano-tomji.jp

kazari-downner昨年晩秋に大型イベント<明治産業近代化のパイオニア「平野富二生誕の地」碑建立記念祭>を終えた「平野富二 生誕の地」碑建立有志の会は、引きつづき、仮称『平野富二生誕の地碑 建立の記録』(B5判 並製本 380ページ見当)の編集作業を継続しております。
その記録収集に際しては、画像提供:上野隆文・木村雅彦・日吉洋人・大石 薫会員の協力をいただきました。

今回ご紹介する動画は、グラフィックデザインが専門の福士大輔会員の撮影によるものを提供いただきました。来賓の祝辞・挨拶などは編集部でテープ起こしをし、ご本人の確認と補整を加えたものを記念誌には収録予定です。したがいまして本動画収録内容と若干の変更があるかたもいらっしゃることをお断りいたします。
動画は「平野富二 生誕の地」碑建立有志の会によって特別映像三点を YouTube にアップロードされているものを共有しました。大きな画面でご覧になりたいかたは「 YouTube の文字部」をクリックされると、別ウインドウで拡大画面が開きます。

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特別映像

室内横断幕B_web-3
◉ 01 【「平野富二生誕の地」碑建立記念祭「除幕式」音が出ます 27:44 】


◉ 02【「平野富二生誕の地」碑建立記念祭「祝賀会」音が出ます 40:32 】


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◉ 03【「平野富二生誕の地」碑建立記念祭 ミニ・活版さるく 平野富二ゆかりの地 音が出ます 28:29 】


【 詳細:「平野富二 生誕の地」碑建立有志の会

【ことのは】クリスマスローズ Christmas rose|花ことのは-わたしの不安を救い給え

DSCN9701【クリスマスローズ Christmas rose】  [学]Helleborus niger L.

キンポウゲ科の常緑多年草。ヨーロッパの原産で明治のはじめに渡来した。根茎は太く短い。葉は根生し、15-30センチメートル、掌状複葉で革質、暗緑色。小葉は7-9片で先端部に鋸歯がある。花茎はよく分岐して1-3花をつける。花の大きさは径5-6センチメートルであるが、花弁は小さく、筒状で、雄しべより短く目だたない。萼-がく-の5片が大きく花弁状をなして美しく、咲き始めは白色で、のちに紫色を帯びる。

根にはサポニンが含まれていて強心剤、利尿剤として用いられる。
変種も多いが、オリエンタリス H. orientalis Lam. は西南アジアの原産で、花茎が分岐して3-6花をつける。緑色または黄緑色で縁辺は紫色。花期は4、5月で、栽培されるものの多くは本種の系統が主体になる。寒さに強く、排水のよい半日陰地を好む。繁殖は11月ころの株分けが普通で、実生-みしょう-もできる。
クリスマスローズ
<民間伝承>
クリスマスローズはその黒い根に魔力があると信じられ、古代ギリシア時代には狂気をなおす霊薬の一つに数えられていた。また、頭を良くする薬として当時の劇作家や哲学者が服用したともいわれ、イギリスではこの根を取るための魔術的な方法が定められていた。それは、花のまわりに剣で円を描き、呪文を唱えて引くというものである。

また、引き抜いている姿をワシに見られると、採取者は死ぬともいわれた。《セルボーンの博物誌》には、イギリスの婦人が子どもの虫下しにこの葉の粉末を飲ませるとある。

俗説によれば、アダムとイブが楽園を追われたとき、きたるべき罪の浄化の象徴として持ち出したのが、この花であったとされ、以来、この花を〈楽園の思い出〉の象徴とする美意識も生まれ、コールリジや H.G.ウェルズ らがそれを文学化した。花のことのは〈私の不安を救いたまえ〉。

[参考:『日本大百科全書』(小学館)、『世界大百科事典』(平凡社)]

【展覧会】根津美術館|企画展 ほとけをめぐる花の美術|2月28日-3月31日

floral_beauty_in_buddhist_art根津美術館
企画展 ほとけをめぐる花の美術
展示期間  2月28日[木]-3月31日[日]

休  館  日  毎週月曜日
開館時間  午前10時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
入  場  料  一般 1100円 学生 800円
会  場  根津美術館 展示室 1・2
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泥の中から伸び、水に触れることなく清らかな花を咲かせるハスは、“ 蓮華-れんげ ” と呼ばれ、仏教を象徴する花として知られています。
「ほとけをめぐる花の美術」展は、この蓮華をはじめ、釈迦の生涯を見守った無憂樹ーむゆうじゅ-や、沙羅-しゃら・さら、想像上の花である宝相華-ほうそうげ-や、宝樹-ほうじゅ、日本の聖地に咲く桜など、30数件の仏教絵画に描かれたさまざまな花をご覧いただく展覧会です。
さらに、経箱、華鬘-けまん、華籠-けこ-など、蓮華をあしらった工芸品約10件が、ギャラリーに華を添えます。 華麗な花をまとうビジュアル・イメージをともなうことで、仏教の教えは人々の心に鮮やかな印象を刻み、広まっていったのでしょう。

【 詳細: 根津美術館 】 { 活版アラカルト既出まとめ }

【展覧会】五島美術館|[館蔵]中国の陶芸展|2月23日-3月31日

五島美術館 ポスターデザイン=宇野泰行五島美術館
[館蔵]中国の陶芸展
期  間  2月23日[土]-3月31日[日]
休  館  日  毎月曜日

開館時間  午前10時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
入  館  料  一般 1000円/高・大学生 700円/中学生以下無料
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漢時代から明・清時代にわたる館蔵の中国陶磁器コレクション約60点を展観。戦国時代の計量道具から、唐三彩の壺、宋時代の砧青磁、明時代の青花・五彩まで、時代順に展示し、2000年にわたる中国のやきものの歴史を展望します。館蔵の日本刀剣約10振も同時公開。

【 詳細: 五島美術館 】 { 活版アラカルト既出まとめ }  

【公演】京都南座 新開場記念|坂東玉三郎特別公演|3月2日初日-26日千穐楽

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京都南座 新開場記念
坂東玉三郎特別公演
平成31年3月2日[土]初日-26日[火]千穐楽
午後2時ゟ
   * 3月8日[金]、15日[金]、22日[金]は午後6時ゟ
   [休演]3月7日[木]、14日[木]、20日[水]

<演目と配役>
一、壇浦兜軍記-だんのうらかぶとぐんき
  阿 古 屋

         遊君阿古屋  板東玉三郎
         岩永左衛門  坂東 亀蔵
        秩父庄司重忠  板東彦三郎

二、太刀盗人-たちぬすびと

      すっぱの九郎兵衛  板東彦三郎
       目代丁字左衛門  中村吉之丞
        田舎者万兵衛  坂東 亀蔵

三、傾城雪吉原-けいせいゆきのよしわら

           傾 城  板東玉三郎

<みどころ>

一、壇浦兜軍記-だんのうらかぶとぐんき
  阿 古 屋
平家滅亡後、源頼朝の命令により残党狩りが行われるなか、平家の武将悪七兵衛景清の行方を問い質すため、景清の愛人である遊君阿古屋(玉三郎)が問注所に引き出されます。景清の所在を知らないという阿古屋に対し、代官の岩永左衛門(坂東亀蔵)は拷問にかけようとしますが、詮議の指揮を執る秩父庄司重忠(彦三郎)は、阿古屋に琴、三味線、胡弓を弾かせることで彼女の心の内を推し量ろうとします。言葉に嘘があるならば、わずかな調べの乱れでも分かる重忠ですが、そんななか阿古屋は……。
阿古屋は三曲を実際に舞台上で演奏しながら、微細な心情を表現する女方の大役。音曲と共に華やかな舞台を存分にご堪能ください。

二、太刀盗人-たちぬすびと
京へやって来た田舎者の万兵衛(坂東亀蔵)は、国元への土産を買おうと新市を見て回っているところ、その様子を見たすっぱの九郎兵衛(彦三郎)は、万兵衛が持つ黄金づくりの太刀を奪い取ろうと企てます。これに気づいた万兵衛が騒ぎ立てるところへ、目代(吉之丞)が現れ二人の争いを裁くことになります。二人に刀の名前や由来を尋ねると、万兵衛が答えるのを、横で盗み聞きして九郎兵衛も同じことを繰り返して答えます。踊ってみせる二人ですが、やがて万兵衛は、九郎兵衛が自分の真似をしていることに気がついて……。
万兵衛を真似て九郎兵衛が半間ずつ遅れて舞う舞など、対照的な二人による賑やかで可笑しみあふれる一幕です。

三、傾城雪吉原-けいせいゆきのよしわら
雪景色の新吉原を舞台に、昨年(2018年12月)歌舞伎座にて新作歌舞伎舞踊として上演された、恋人を思い春を待つ傾城(玉三郎)を主人公とした情趣ある舞踊劇です。
音もなく雪が降りしきる中、美しい傾城が現れ、豪華絢爛な衣裳を身にまとい、恋する人への思いを募らせながら、優雅に舞います。大雪の中、恋しい相手から手紙が届くこともなく、やがて二人が出会った春の頃を思い出す春の場面に移り、いつしか夏、秋、冬と季節は移り変わります。恋しい相手と過ごした時に思いを馳せる傾城を四季の情景に合わせて美しく魅せます。傾城は、いつまでも降り続ける雪景色の中、恋人も必ず訪れるであろうという思いを抱くのでした……。
古風な趣と格式を魅せる幽艶な舞踊です。

【 詳細: 京都南座 歌舞伎美人