月別アーカイブ: 2014年3月

弥生三月終了。桜花爛漫の春、デンデン虫のでん助も冬眠から目覚めました。

2014年 冬眠から目覚めたでん助 昨年晩秋、冬眠前のでん助《暑さ、寒さも彼岸まで とか……。むかしのひとは、いいことをいいました》
やつがれは信州信濃、豪雪地帯の出身なのに、寒さには滅法よわい。
「きょうは寒いぞ~、オイオイきょうもすごく寒いぞ。これじゃあ 凍え死んじゃうぞ!」
と、日日毎日、
嘆き悲しむ ? ながく、つらい冬であった。

ことしの冬はどうやら「かみ雪」(信州長野の方言らしい。信州では晩冬のころ、「かみ雪」が降ったから、もうすぐ春だ……などといった)だったようで、もともと豪雪地帯とされる、信越国境の信州北部や、北アルプス山麓の西部などでは、例年になく、かえって降雪量が少なかったという。
ところが、かつては台湾坊主といったとおもうが、南方からのしめった低気圧(南岸低気圧)が急速に発達し、北方寒気団と衝突して、例年ほとんど降雪をみない太平洋岸の、おもわぬところで、記録的な豪雪をみた。
被害にあわれた皆さまにお見舞い申しあげたい。

ところで弥生 三月もきょうでおわり。あすからは卯月ウヅキ 四月となる。
ここしばらく、卒業式や謝恩会なのか、羽織・袴で着飾った女子学生が、うれしそうに街なかを闊歩していた。卒業とは羽ばたきのときであり、また、別れのときでもあるのだが、みんなあでやかで屈託無い。ところで、男子学生諸君はどこにいったのだ-というほど存在感がなかったなぁ。
寒い間はチンマリとしていたやつがれも、お彼岸とともにポチポチうごきはじめた。

03月06日[木]は、冬ごもりをしていた虫がはいでるという「啓蟄 ケイチツ」の日であった。
まこともって良くしたもので、昨年の11月ころから、いくら室内が騒然としていても、吾関せずと、すっかり冬眠をきめこんでいたカタツムリの「でん助」(北海道美唄山林うまれ。趣味/水浴び。年齢不詳)も、ながい冬眠から醒めて、旺盛な食欲を発揮しはじめた。
03月18日[火]が彼岸の入り、03月21日[金・祝日]は春分の日、すなわち春の彼岸の中日であった。

《春の三連休、03月21日[金・祝日]は、春分の日、土曜、日曜と三連休だった》
年度末のバタバタの渦中であったが、そこは忙中の閑。
とりわけ春分の日は内輪の祝いごとがあったので、プチ贅沢をして、新宿駅前、明治通りにある〈 全聚徳 新宿店 〉のランチにでかけた。
全聚徳 ゼンシュウトク自慢の北京ダック(家鴨・アヒル)は、夜のコース料理ではそこそこの値段だが、そこはランチ、昼からロースト・ダックでもないから、さほどの値段ではない。

全聚德烤鴨店【 百度百科:全聚徳 】の本店は、中国・北京のふるい繁華街、前門地区にあり、王府井ワンフウチンの店ともども、どんなガイドブックにも紹介されるほどの人気店である。
店はおおきな大廈ビルで、各階が中央大ホールといくつもの小部屋からなっていて、地元客は大ホールで実ににぎやかに飲食する。宴会客や観光客などの団体は、小部屋(といっても20-30人は入れるひろさだが)に案内されるようだ。

かつて北京の全聚徳ゼンシュウトクにふたりでいったことがある。予約ができなかったので、開店直後の17時に店に飛びこんだ。おかげで行列にならぶこともなく、すぐにフロアの端のちいさなテーブル席に案内されたが、巨大な北京ダックをふたりで食べられるわけもなく、半身だけを注文した。
それでも、ダックだけで満腹になり、ほかの料理は勿体ないことに、ほとんんど残す仕儀となったことがある。
中国料理のレストラン全般にいえることだが、気の措けない仲間、それもできるだけ5-6人(乃至はその倍数。台湾小皿料理とちがって、中国料理の大半は、5-6人前がひと皿となることが多い)でいったほうが、いろいろな料理が楽しめてよい。

DSCN3454 DSCN3457DSCN3476DSCN3472DSCN3449全聚徳 新宿店のエレベーター前のホールには、ふるき よき 北京-老北京とおなじ、くすんだ灰色の煉瓦が積まれていた。北京城区(旧市街)の景観保存地区では、この重い灰色煉瓦の使用が義務づけられている。花のすくないこの時期のことゆえ、全聚徳 新宿店には蘭の花がたくさんおいてあった。
満席の客のなかには健啖家
がいて、ランチに北京ダックをとっていた。これはもちろん、飲茶-ヤムチャセットほどの軽い食事にしたやつがれのものではない。ところが写真をみると、やつがれ、いささかあさましくも箸をとめ、羨ましげであり、物欲しそうでもあるようだ。

《近くて遠い、新宿御苑 遊歩道を散策》
目と鼻の先にあるのに、かえって訪れることがすくないのが新宿御苑である。
全聚徳でのランチのあと、腹ごなしをかねて新宿御苑にたどりついた。うららかな陽気にさそわれて、ひとあしはやい花見客で入場券売り場は混んでいた。
人混みの苦手なやつがれ、苑内にはいることなく、外周の遊歩道での散策にきめた。ここはふるくは玉川上水路の一部であり、いまは地下トンネルからの湧水をひきこんだ水路があって、ひとどおりもすくなく、都心とはおもえない閑静な風情がある。

新宿御苑の遊歩道にも様様な艸木がある。梅はなごりの花になっていたが、陽だまりで、気のはやい櫻がひと枝、花をつけていた。水路沿いには、赤花三椏ミツマタ【三枝、三又。ウィキペディア:ミツマタ】も、蕗フキも花をつけていたし、樹木のあたらしい芽もだいぶふくらんで、若葉が萌える新緑のときも、すぐそこまできている気配だった。
三椏ミツマタは枝分かれするとき、かならずみっつにわかれて枝をのばすので、この名がうまれたという。ご存知のように、この樹皮は手透き紙の良質な材料となる。また氏姓のひとつ「三枝 さえぐさ」も、この灌木にその氏姓の源流があるとされる。
DSCN3483 DSCN3501 DSCN3496 DSCN3507 DSCN3510 DSCN3515 DSCN3524 DSCN3523《朗文堂の脇をかすめて、さらに散歩。最後は熱帯魚屋で餌の購入》
遊歩道を途中で脱出して路地にはいった。
たまたま佐々木さん(アダナ・プレス倶楽部会員、活版カレッジ修了)【 ウィキペディア:佐々木勝俊 】が開店準備作業中のところを通りかかった。

佐々木さんはもともと「タモリ倶楽部」の構成作家などで活躍するテレビ業界のかたで、自称「構成雑家」である。そんなひとが、活版造形に取り組んだり、スタンド・バーをひらいたりされる。多彩なひとであり、人生をめいっぱい楽しもうとされる粋でもなかたでもある。
アダナ・プレス倶楽部と活版カレッジには、ちいさな集団に逼塞している、ステレオタイプのデザイナーばかりでなく、時折こうした異色にして異能なかたがお見えになるからおもしろい。

そこから朗文堂は徒歩2-3分というところであるが、この日は脇をかすめて、新宿三丁目の寄席「末廣亭」にむかう。演目がすこし好みとちがったので、「末廣亭」向かって左脇の「喫茶 楽屋」に寄った。
ここは文字どおり、噺家などの末廣亭の芸人のたまり場で、昭和のかおりがそのままのこる喫茶店である。たそかれときのためか、ほかに客はたれもいず、貸し切り状態で珈琲とたばこを一服した。珈琲の味はしるさない。次回はお汁粉にしよう。ふんいきと居心地の良さで納得した。

帰りがけに、火の精霊にして、わが家の珍獣・怪獣・猛獣 !? 「サラマンダー/ウパるん、ウパらん」の餌と水草を買いに、花園神社前の熱帯魚屋に寄った。
早春の一日、総歩行距離は、はろばろと3,500メートルほど(3.5キロトモ)になろうか。だいぶくたぶれた。
DSCN3525 DSCN3526 DSCN3531DSCN3535 《そして、03月31日-櫻花爛漫の春をむかえる》
春分の日から10日、03月31日[月]、東京の櫻はみごとに開花した。まさに櫻花爛漫、百花繚乱の春。
あす、04月01日[火]からは、早速、新宿私塾第24期の第一回目講座が開始される。
来週からは活版カレッジ春期講座もはじまる。
アダナ・プレス倶楽部からは、新機種 Salama-21A の発売も開始される。
4月中だけでも、《欧文書体百花事典 普及版 刊行記念講演会 第2回》、《活版ルネサンス》とふたつのイベントもある。

卯月ウヅキ 四月、まさに、出会いの時、スタートのときである。
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【イベント紹介】 活版、横濱、2014

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活版、横濱、2014
【日  時】 2014年4月19日[土]-20日[日] 10:00-18:00
【会  場】 象の鼻テラス  横浜市中区海岸通1 丁目
【入場料】  無 料
【主  催】 活版、横濱、実行委員会
代表 : 株式会社築地活字
詳細URL : http://tsukiji-katsuji.com/kappanyokohama/
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象の鼻テラスに『ウマ』がくる!
活版印刷のイベントです。
活版印刷のワークショップや展示、 活版印刷製作物の販売を
横浜・象の鼻テラスという開放的な明るい空間で。
活版印刷の現場で使っている『ウマ』と呼ばれる棚に鉛活字が並びます。
普段はみることのできない、職人の実演(1日に2-3回を予定)、
来場者による活字棚から文字を「拾う」文選体験や
活版印刷機『テキン』、『アダナ』による活版印刷体験
新・活字ホルダーなどによる簡易印字体験。
関連資料、組版、紙型の展示など。
活版印刷を体験できるワークショップをご用意しています。
[資料提供:株式会社築地活字]

Salama-21A告知シリーズⅠ-Ⅶ ココにも置いておきますね。

この情報は、アダナ・プレス倶楽部の小型活版印刷機の新機種〈サラマ Salama-21A〉の発売告知のために、2014年03月06日-28日、7回にわけて、おもに WebSite アダナ・プレス倶楽部 ニュースに連続掲載されたものである。
ニュース欄はとかく更新がおおく、掲載期間もみじかいため、スライド・ショーで画像が楽しめるここにも、〈Salama-21A〉発売告知シリーズをのこしておきたい。
sala22630 sala22657 sala22663 sala22651 Salama図面

2014年04月から、アダナ・プレス倶楽部に登場する、小型活版印刷機の新機種〈Salama-21A〉は、その名称の根源を、「火」の精霊であり、「不屈の精神」や、「再生」の象徴である「サラマンダー・Salamander ・火喰い蜥蜴トカゲ」においている。

ふるくから、錬金術士や鋳物士や金属精錬所では、火の精霊としてのサラマンダーを畏怖し、あがめていた。 また、「活字鋳造」や「再生」の象徴でもある「サラマンダー」は、「活版印刷ルネサンス」をスローガンに活動をつづけてきたアダナ・プレス倶楽部にとって、きわめてふさわしいモチーフであった。

また、「火の精霊・サラマンダー」と対をなす、「水の精霊・オンディーヌ」の名を冠した、欧文活字書体「Ondine」(Doberny & Peignot,  Adrian Furutiger,  1954)をタイトル・デザインに採用した。
製品のタイトル・デザインと、サラマンダーのキャラクター・デザインは、松尾篤史氏に製作を依頼し、 WebSite のサポートは北美和子氏に担当していただいた。
小型活版印刷機〈Salama-21A〉ともども、「サラマくん」「サラマちゃん」のキャラクターをお楽しみいただけたら幸いである。[画像をクリックするとスライド・ショーが楽しめます]

web salama_1 Ⅰ 春 うらら。 なにかがはじまる、そんな予感。
web salama_2 Ⅱ ワタクシも アダナ・プレス倶楽部の仲間に入れてください。
web salama_3 Ⅲ Salama サラマです。 はじめまして。web salama_4Ⅳ Q:サラマって 誰?  A:火の精霊です。お友達は、オンディーヌ、ノーム、シルフ です。web salama_4-2 Ⅴ ワタクシ サラマ は火の精霊。 再生、錬金術、鋳造の象徴です。もちろん活版印刷も。
web salama_5 Ⅵ じゃ~ん、サラマ-21Aです。
基本 CMYKじゃじゃじゃ~ん、サラマ-21A新登場。

【良書紹介】 黒滝哲哉『美鋼変幻-たたら製鐵と日本人』 & 『活字-記憶鉛與火的時代』

DSCN3440『美鋼変幻 【たたら製鉄と日本人】』
黒滝哲哉著
日刊工業新聞社 2011年03月28日
定価:1,800円(本体価格)
ISBN978-4-526-06657-3
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たまたま火と金属に関するふたつの図書を読んだ。
『美鋼変幻 【たたら製鉄と日本人】』の著者:黒滝哲哉氏は、「財団法人日本美術刀剣保存協会 略称:日刀保 ニットウホ たたら」の有力メンバーである。

わが国では古来、製鉄術として「たたら製鉄法」【ウィキペディア:たたら製鉄】によってきた。同書「はじめに」によると、

「たたら製鉄とは、(一操業ごとに)粘土で築いた炉に、原料を砂鉄とし、燃料に木炭を用い、送風動力に 鞴 フイゴを使用して、きわめて純度の高い鉄類を生産する日本古来の製鉄技術をいう」
としている。
この技術は奈良朝時代に本格化し、明治初期に西洋式溶鉱炉の導入によって衰退したが、いまなお日本刀作刀などのための必須の原料として、島根県の山中で、年に三度ほど製造されているという。

「日刀保たたら」では、粘土をこねて炉を築き、三昼夜、間断なく、木炭およそ12トン、砂鉄およそ10トンを灼熱の高温で燃焼させつづける。
その間、かつては、鞴フイゴを踏み、風を送る、「番子バンコ」と呼ばれる係りのものがいて(現在では電動モーター)、決まった時間ごとにかわることから、「かわりばんこ」ということばがうまれたとする。
そして2.5トンほどの「鉧 ケラ」、すなわち良質な鉄の原料をとりだすことになる。そのときせっかく築いた炉は、一気に壊されてしまうという。-ひと操業ごとに-とは、そうした意である。

この不眠不休の三昼夜を見守り、工匠が終始礼拝を欠かさないのは、製鉄の神とされる「金屋子神」である。黒滝氏は「金屋子神」を女神として紹介し、「かなやご-しん」と濁って紹介している。また、製鉄だけではなく、「産業の守護神」としてひろく信仰をあつめてきたとし、地域により「金山さん・金屋神・荒神さん・稲荷さん」と呼ばれているとしている。

東京築地活版製造所の活字鋳造工、鋳物士(俗にイモジ)が信仰していたのも「金屋子神」であり、「火の象徴としての太陽の勢いが、もっとも衰微する冬至の日」に際して、「鞴フイゴまつり、蹈鞴 たたらまつり」を催し、「一陽来復」を祈念し、従業員にはミカンを配ってきたことはしばしば紹介してきた。
東京築地活版製造所の源流は、幕府時代の「長崎製鉄所」にあり、創業者の平野富二(1846-92)も、16-23歳のとき、そこに所属していたが、「長崎製鉄所には製鉄の設備は無く、むしろ大規模な鉄工所としたい」(『平野富二伝』古谷昌二)ともされている。
黒滝氏も指摘されていることだが、古代製鉄法が紅蓮の焔を必要とし、その祭神「金屋子神」を、やはりフイゴやたたらを用いて、高熱を必要とした、活字鋳造工、鋳物士たちも信仰するようになったようである。

◎ 花筏 A Kaleidoscope Report 002:『活字発祥の碑』をめぐる諸資料から 2010年11月08日
◎ 花筏 タイポグラフィあのねのね*012 平野富二と李白 春夜宴桃李園序 2011年08月03日
◎ 花筏 朗文堂-好日録012 アダナ・プレス倶楽部 新潟旅行Ⅰ 2013年10月09日
◎ 花筏 平野富二と活字*02 東京築地活版製造所の本社工場と、鋳物士の習俗 2013年10月21日

『美鋼変幻 【たたら製鉄と日本人】』は、技法書ではなく、むしろ産業史であり、文化・文明論をかたって興味ぶかい。ご一読をおすすめする次第である。
なお、「日刀保たたら」の作業場は、危険があり、また神事にちかい作業でもあるので、見学・撮影は制限されている。詳しくは同書巻末に紹介されている。
なお、たたら製鉄法と金屋子神に関しては、多くの画像をもちいて紹介している【島根県安来市和鋼博物館 たたらの話】も参照してほしい。

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『活字 記憶鉛與火的時代』
周 易正 編
行人出版社 廖 美立
ISBN 978-986-90287-0-7
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台湾の活版印刷の現状をよく伝える図書 『活字 記憶鉛與火的時代』 を、日星鋳字行の張 介冠代表にいただいた。
原題 『活字 記憶鉛與火的時代』 はすこしわかりにくいので、《活字-鉛と火の時代の記憶》、あるいは副題としてつけられた 《Remembering the Letterpress Printing in Tiwan》 としたほうがわかりやすいかもしれない。

日星鋳字行(行 は お店の意)は台湾唯一の活字鋳造所である。活字鋳造所とはいいながら、日星鋳字行では、鋳字(活字鋳造)、検字(文選)、そしてときには排版(組版)までをおこなう。
張 介冠さんは、独自の活字母型製造法をもちいて、「活字母型製造」と「活字鋳造」をにない、游 珠(親しみをこめて シュおばさま ≒ 阿 珠姐)さんが検字(文選)作業をになっている。

同書によると、台北市・台南市を中心に、台湾には16ヶ所の「活字版印刷所」があり、排版(組版)と活版印刷業務にあたっている。活字の供給は当然日星活字鋳造行である。まだページ物印刷も多いが、紙型鉛版をもちいず、活字原版刷りが多いとする。印刷機器は、日星鋳字行をふくめ、その設備の大半は日本製である。
『活字 記憶鉛與火的時代』は、第一部「職人的記憶」と、第二部「活著的様貌-創新、活用與保存」からなり、附録として「字體様本」が綴じこまれている。
第一部はいくぶん懐古的だが、第二部は、活版印刷を活用しながら保存する-創新-という、台湾行政府の方針をうけた構成となっている。
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『活字 記憶鉛與火的時代』をお持ちいただいたのは、台湾活版印刷文化保存協会  柯 志杰(カ シケツ)さん。朗文堂 アダナ・プレス倶楽部と、日星鋳字行の張 介冠さん、游 珠さん、そして柯 志杰さん、支援にあたっている台湾大学の有志とは親しくお付きあいいただいている。
今回の柯 志杰さんの来日でも、様様なご相談をいただいた。いずれも困難な問題ではあるが、台湾では「活版印刷を活用しながら保存する-創新-」の取り組みに積極的である。アダナ・プレス倶楽部も「活版ルネサンス」の旗を掲げて前進している。お互いに協力していきたいものである。

《活版凸凹フェスタ2012》会場にて。左:日星鋳字行  張 介冠(チョウ-カイカン)代表
右:台湾活版印刷文化保存協会  柯 志杰(カ シケツ)さん

 ◎ 花筏 朗文堂好日録-025 台湾の活版印刷と活字鋳造 日星鋳字行 +台湾グルメ、圓山大飯店、台湾夜市、飲茶 2013年01月22日

アダナ・プレス倶楽部の皆さん。台湾・台北市の日星鋳字行にて 

中国の友人/年賀状の交換を巡って 原 博 さんの〈夢〉&北京点描

DSCN0787 DSCN0784DSCN0793上 ・ 中〉 中国の名門大学 清華大学美術学院副教授 原 博 先生(中央ショートヘアのかた)
下〉 「老北京-ふるき よき 北京」にある「胡堂 フートン」の情景の絵画。 硝子ケースがテカッテマス。ご容赦を。
adana年賀adana年賀宛名面アダナ ・ プレス倶楽部リンク : アダナ・プレス倶楽部 2014年(平成26)年賀状

今年 [2014年] の年賀状は、ライト兄弟の1903年(明治36) 飛行実験の写真を亜鉛凸版で、そしておなじ年に誕生した、24pt. フランクリン・ゴシックの活字を用いて、ライト兄弟の兄、ウィルバーのことばを活字組版しました。

  動力がなくとも飛ぶことはできる。
  しかし、知識と技術なしには
  大空を翔けることはできない。
         ――  ウィルバー ・ ライト ――

動力のない、手動式の活版印刷機をもちい、不自由で限られた活字を駆使して、
活版印刷の知と技と美の研鑽をつづけている、アダナ ・ プレス倶楽部会員の皆さまへ ——
活版印刷の普及と存続のために、アダナ ・ プレス倶楽部の機材の製造と供給を
支えてくださっている、おおくの職人の皆さまへ ——
すべての、身体性を伴なった「ものづくり」の現場の皆さまへ ——
感謝と尊敬と応援の意を込めて、今年の念頭のご挨拶に代えて、このことばを贈ります。

《きっかけは、『 VIVA!! カッパン♥ 』 を購入したいとのご希望であった 》
——やつがれこと 片塩二朗 wrote
大石が年度末対応でおおわらわなので、代わってやつがれがアダナ ・ プレス倶楽部の〈活版アラカルト〉を訪問。皆さんのお名前を出したので、やつがれ 片塩二朗 も本名で記述させていただいた。中国で北京大学と双へきをなす名門大学、清華大学 美術学院 副教授 原 博 先生とご交誼をいただくことになった。そのきっかけは 『 VIVA!! カッパン ♥ 』 (アダナ ・ プレス倶楽部 大石 薫編著 朗文堂 )のご購入であった。

ここのところしばしば中国にでかけている。 中国、北京、ひろしといえども、活字製造業者はほぼ消滅し、活版印刷実践者は、現状では日本より少ないようである。
ところが国土がひろいだけに、「つぶやきクン」 「顔本クン」 のたぐいの中国版がさかんで、やつがれと大石が中国にでかけると、北京どころか、上海、西安、成都など、ひろい中国の、せまい活版印刷実践者のあいだに、瞬時に情報が伝わるらしい。
原 博先生もそんな数少ない活版実践者のおひとりである。だからウカウカできないのだ。

ことばの壁があるにせよ、中国の活版印刷実践者のあいだでは、『 VIVA!! カッパン ♥ 』 は単なる活版作品集ではなく、実践に役立つ図書とのうれしい評価をいただいている。原 博 先生も、同書を所有している友人のもとでご覧になって、入手を希望されて@メールをいただいた。
原 博 先生は、中国東北部(旧満州)ハルビンのご出身で、大学卒業後に来日され、東京藝術大学大学院にまなばれ、博士号を取得されている。 したがって日本語は流暢であるが、ホテルのロビーで最初の出会いのときに、ちょっとしたハプニングがあった。
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このきのホテルは、紫金城(故宮博物院)と、王府井 ワンフーチン にはさまれた「老北京-ふるきよき 北京」にある「胡堂 フートン」をすっかり近代化したもので、二階建ての煉瓦づくり、低層階の建物が複雑に入り組んだものだった。「胡堂 フートン」 のふるい情景は、ガラスケースがテカって恐縮だが、「茶 館」にあったものをあらためて下掲写真で紹介した。

DSCN0793
このホテルの周辺は景観保存区域であり、高層階のビルは禁止であり、煉瓦の色彩も、おもい灰色で統一されている。わが国でいうなら、スケールはだいぶちがうが、皇居と銀座のあいだともいえる地区である。 ここは東京の官庁街:日比谷・霞ヶ関とはことなり、交通が便利なわりに、庶民的なまちで、ホテルの中庭には上掲写真の胡堂でも描かれている、棗 ナツメ のおおきな古木がのこされていた。
その棗の木陰のベンチで、持参した図書 ( 本にあらず-後述 ) を読み、紫煙をくゆらすひとときは、まさしく至福のときとなる。
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ホテルのロビーにて。しばらく三人、たがいを見やって無言。
「 あの~、ハラ 先生でいらっしゃいますか ? 」
「 エ~ッ、オオイシ さんですか ?! 」
ともかく吃驚仰天。 三人ともに、なんの疑いもなく、原  博さん、大石 薫 とは、相互に男性だとおもっていたためのハプニングだった。

やつがれにも@メールをCCで同着していたが、なんの疑念ももたずに 「 原 博 さん 」 は、日本読み 「はら  ひろし 」、中国読み 「 ゲン ハク 」 とでも読むのだろうし、当然男性だとおもっていた。
大石は、名の「 薫 」 を、「 薫 かおる と読めば男性 」、「 薫 かおり と読めば女性 」 という経験をなんどもしているので、さほど抵抗はなかったようだが、女性の原 博先生の登場にはやつがれもおどろいた。
のちほど 「 原  博 」 の読みかたをうかがったが、日本留学時代は 「 ゲンさん 」 と呼ばれていたということであった。 辞書的にいうと 「 原 yuán 博 bó 」 となるらしい。

そんな出会いがあったため、すっかりうち解けて、やつがれのリクエストで、ホテルのカフェではなく、「 タバコのすえる喫茶店~ 」 をめざしてでかけた。 徒歩で05分たらずで、ふるくからの繁華街、王府井 ワンフーチン につくが、ひとでいっぱいの、スターバックスやマクドナルドはあれど、「 タバコのすえる喫茶店 」 はなかった。
結局、清朝時代からつづいている老舗の 「 茶舗 」 の階上に、ふんいきのよい 「 茶館 」 を発見。 茶舗の店頭は混雑していたが、二階の茶館は禁煙ながらすいていた。 そこで撮影したのが上掲03点の写真。

一杯目のお茶をのんで ( これがしみじみとうまいのだ!)、屋外の灰皿にでかけて一服。
そこで考えた。

〈 原先生は 『 VIVA!!  カッパン♥ 』 を清華大の学生にみせるのだろう。 ところで、アダナ ・ プレス倶楽部を中国風に紹介すると、どんな表記になるのかな……。 阿多那押圧印倶楽部 渾名、はたまた艶菜刷印倶楽部かな……〉
などとボォ~と考えていたら、地方からみえたとおぼしき中年の夫婦に、道をたずねられた。つづいて女子高生とおぼしきグループにも地図を片手に道をたずねられる。

やつがれ、鞄を背負っているとめったに間違えられないが、から手でボーッとしていると、しばしば現地中国人と間違えられる。
やつがれのわずか二代前は、信州の山奥、ふるくからの百姓だし、パスポートは真っ赤なのに、新宿の中国料理店などでも、親しげに中国語で話しかけられたりする。 ふしぎであり、中国流なら不可思議である。

くだんの女子高生たちは、
「cやだ~、日本人に道をきいちゃった~」
といって 〈 多分 〉、キャッキャッと笑いながら、隣の灰皿のオヤジのほうに駆けていった。

このときの訪問で撮影した写真を紹介しよう。

DSCN0342 DSCN0338 DSCN1012上) 地下鉄01号線、再開発され、若者の町として急速に発展した、西単駅前にある 「 北京図書大厦ビル 」。 ここには新華書店を中心に、多くの書店が出店している。 従来は王府井の新華書店が北京最大だったが、その数倍の規模となっている。
店内通路はひろく、立ち読みも、座り込み読みもさかんだが、高額図書は鍵つきのケースに入っていて、店員に依頼して出してもらう。 在庫がおおすぎてクラクラする。 あまり大きいのも考えものかもしれない。
客の多くはスーパーの買い物籠のようなものに紐をつけて、店内をズルズルと引っぱってあるく。 購買意欲はきわめて旺盛だった。

店外サインをみると 「 図書(表示は簡体字) BOOKS 」 とあり、このビルでは 「 図書 ≒ 書籍 」 はあつかうが、雑誌はほとんど扱わない。 また「本」には、中国では 「 もとい、基本 」 にちかい意味がつよくあって、「 図書 」 「 書籍 」 とするのが一般的である。
また中国では欧州諸国と同様に、図書にも明確に廉価版と高額版があり、図書 Book と、 雑誌 Magazine も、流通、販売経路が分離している。

下) 雑誌 ・ 新聞類は、ふつう街角のキオスクのようなスタンドが販売している。新旧のお正月をひかえて店頭ははなやかだった。
わが国の 「 本 ・ 本屋 」 という、便利すぎて、意味領域が拡散した呼称は、電子メディアの進展とともに見直されることになりそうである。

DSCN0794 DSCN0813上) ホテルの近くの「 中国風手打ちソバ屋さん 」。 昼間の散策であたりをつけておいて、夕食に飛びこんだ。 大当たりで、安くてうまかった。
オーダーがあってからソバをうつので、時間はかかるが、その間は前菜料理がたっぷりと。 もちろん中国風で、日本蕎麦ではない。 ふつう中国では、大衆レストランでも、「 ラーメン一杯だけ 」 ということはめったにない。

下) 中国の柿。 くだもの ( 水果 ) 屋さんも多い。 カタチが中国絵画でよくみる、いかにも柿らしい姿がおもしろかったので購入。
くだものの難点は、飛行機には、くだものナイフは危険性への配慮から持ちこめないし、どのホテルもやはり安全を配慮するのか、貸すことをしぶること。 洋食用のナイフを借りて、苦労して剥いて食す。 極旨。 くだものは持ち帰れないのが残念である。

DSCN0460 DSCN0462 DSCN0777上) ホテル近くの路地をトコトコと散歩していた狗 モトイ 豚。 首輪もリードもなくて放し飼いだったが、車道には出ないお利口ちゃんだった。 尻尾をふりながらついてくるので  HOUSE !  といったらしょんぼりともどっていった。 この豚は人語がわかるらしい。
ところで、なにせ豚肉料理が大好きな中国のことゆえ、おおきくなったらこの豚ちゃんは……。 心配ではある。

下) 北海公園 閲古楼ちかくの猫。 人なつっこい猫で、しばらくつきまとっていた。
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古今東西をとわず、女性の長~話はつとに知られるところである。
これにはやつがれもほとほと辟易するが、原 博先生との会話は、ときおり筆談を交えて、楽しかったし、きわめて有益だった。

原先生とは、翌2014年01月中旬にも北京で再会した。そのときのお話しでは、中国では間もなく春節 ( 旧暦のお正月 ) になり、大学も休暇になるということであった。

別の友人は、2014年の法定祝日 ( 旧暦の元旦 ・ 春節 ) は01月31日[金]で、休日は01月31日[金]-02月06日[木]の7連休となるが、ともかく春節の前後は、物流もとどこおり、一ヶ月ほどは仕事に集中できないとこぼしていた。
【 リンク : エッ、いまごろお正月 !?上海在住の会員がご来社。& 「老北京のご紹介」2014年02月10日 】

そして、2014年03月10日、原 博先生からうれしいメールを頂戴した。 キーワードは〈 夢 〉。
あらかじめお断りしておくが、大石は昨年年末、航空郵便で年賀はがきをお送りした。そのお返事が03月10日に到着したということ。 なにごとも、のんびり、おおらかなのが中国である。
原 博先生と大石 薫とのメールが、やつがれにも CC 送付されてきたのでご紹介したい。

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大石 薫 様
もうすぐ桜の花咲く季節となりますね。 大石さん、片塩さんはお元気ですか。
大石さんの年賀状が届きました。 春節と冬休みで拝見するのが遅くなりました。
ウィルバー ・ ライトの話、とても好きになりました。ありがとうございます。
確かにこの時代に生きている私たちにとって、知識と技術は重要なことです。
そのほかにもう一つ重要なことは「夢」だと思います。
書体設計と研究は片塩さんの夢で、
活版印刷とアダナ·プレス倶楽部は大石さんの夢で、

デザイン教育は私の夢です。
2014年 夢の実現のために頑張りましょう。
原 博
2014年3月10日
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原 博 先生
日本の暦では先週の木曜日が啓蟄ケイチツでしたが、
土曜日にはまた雪が降り、今週もとても寒い毎日です。
三寒四温といいますが、今年の東京は、急に18度まで気温が上がったかと思うと、
例年にない大雪が降ったりと妙な気候です。

さて、年賀状到着のご連絡ありがとうございました。
私が航空便扱いで年賀はがきをポストに投函したのは、日本のお正月のときですので、
1月[18日]にまたお会いした際には、すでにそちらに到着していることと思っていました。

時間差があるところが、郵便のおもしろいところだと、あらためて思いました。
電子通信が発達して、遠い外国へも気軽に通信ができるようになりましたが、
紙メディアならではの、このようなのんびりとしたやりとりも、楽しいですね。
なにより、無事に年賀状が到着して安心しました。

片塩はよく、タイポグラフィには 「 知 」と 「 技 」と 「 美 」 のバランスが大切だといいますが
原先生のおっしゃるとおり、何事にも 「 夢 」 はとても大切ですね。
またお会いできる日を夢見て、楽しみにしております。
ご連絡と、素敵なお言葉をありがとうございました。

朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部
大 石  薫(かおり)
2014年3月11日