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【催 事】第19回 笹山じょうもん市2018  火焔型土器を聖火台に みんなでひとつの輪になって! 6月3日 雨天決行

十日町おもて 十日町うら

第19回笹山じょうもん市2018
火焔型土器を聖火台に みんなでひとつの輪になって!
共生と平和の心を世界へ!

日 時  平成30年6月3日[日] 午前9時30分-午後2時 雨天決行
場 所  笹山遺跡広場・笹山縄文館(新潟県十日町市中条乙3081番ほか)
主 催  笹山じょうもん市実行委員会
共 催  十日町市
協 賛  大井田地区振興会、新座地区振興会、飛渡地区振興会
後 援  新潟県十日町地域振興局、新潟日報社、十日町新聞社、十日町タイムス社、(有)妻有新聞社、エフエムとおかまち、信濃川火焔街道連携協議会
【お問合せ】 NPO笹山縄文の里 電話 025-761-7332(笹山縄文館内)
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■ 内  容
< 体  験 >
竪穴住居(復元)で縄文の火とくらしを体験
アクセサリー作り
弓矢作り
土偶消しゴム作り
アンギン編み
縄文ファッション着替え
ダンス

< 会場イベント >
笹山遺跡出土土器展示(笹山縄文館3階)
ささやまムラ クイズラリー(笹山縄文館3階で受付。参加賞・全問正解賞・特別賞それぞれに景品あり)
縄文占い
絵合わせゲーム
< おいしく 楽しい 縄文横丁 >
17町内ほかの屋台村

 【ステージイベント・タイムスケジュール】
〇 午前 9:30ゟ
縄文練り歩き
中条大の坂(舞踊)
天神ばやし
吹奏楽(中条中学校)
雄叫び大声コンテスト
歌のステージ(中条小学校)
葦木啓夏-あしきひろか-さんのステージ

〇 午後 12:30ゟ
笹山縄文太鼓
踊り「風のこころ」
縄文連携地域の友好アピール
フィナーレ
* 予告なく変更する場合があります。

【詳細: 十日町市博物館

{新宿餘談} 
ずいぶん盛りだくさんなイベントですね。しかも雨天決行とか。
越後の国十日町市の信濃川を遡上すると信州信濃の国にはいり、千曲川と川の名称もかわります。十日町市から 30 km ほど上流の 飯山 がやつがれのふるさと。どちらも雪国で、冬には丈余の雪が降りつもります。

東京国立博物館で縄文土器に関する大型展が予定されています。すこし「縄文土器・火焔型土器」関連の情報を追記していきましょう。

〔歌舞伎美人-かぶきびと-NEWS〕 信州・まつもと大歌舞伎『切られの与三』公演 6月12日-18日

松本公演

〔歌舞伎美人-かぶきびと-NEWS〕
信州・まつもと大歌舞伎『切られの与三』公演のお知らせ
2018年6月12日[火]-18日[月]
会 場  長野県 まつもと市民芸術館
信州・まつもと大歌舞伎2018『切られの与三』
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5月9日[水]に開幕したばかりの渋谷・コクーン歌舞伎 第十六弾『切られの与三』ですが、東京での公演終了後は、劇場を まつもと市民芸術館 に移して上演されます。
これまで『夏祭浪花鑑』以来、『佐倉義民傳』、『天日坊』、『三人吉三』、『四谷怪談』と、シアターコクーンで上演された歌舞伎を上演、市民の間にも定着して市民サポーターの数も増えています。
街をあげての熱烈な応援は、「信州・まつもと大歌舞伎」の大きな特徴となりました。今回の公演関連情報などは、まつもと市民芸術館の特設サイトでご確認ください。
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信州・まつもと大歌舞伎2018
『切られの与三』
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演目と配役、みどころは渋谷・コクーン歌舞伎 第十六弾『切られの与三』に同じです。

◯ 日 時  2016年6月12日[火]-18日[月]
6月 12日(火)16:00
  13日(水)13:00
  14日(木)18:00
  15日(金)13:00
  16日(土)12:00/17:00
  17日(日)12:00
  18日(月)18:00

◯ 場 所  まつもと市民芸術館 主ホール
      長野県松本市深志3-10-1

〔 歌舞伎美人-かぶきびと-NEWS 〕 「六月博多座大歌舞伎」船乗り込み

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歌舞伎美人-かぶきびと-NEWS
「六月博多座大歌舞伎」船乗り込み
今年の「六月博多座大歌舞伎」は、二代目 松本白鸚、 十代目 松本幸四郎の襲名披露です。博多の初夏の風物詩としてすっかりお馴染みとなっている船乗り込み、今年は5月30日[水]の開催となりました。
襲名披露する白鸚、幸四郎ほか、出演者がそろってご当地の皆さんに顔を見せ、博多川をゆっくりと舟で進んで博多座へと乗り込みます。
式典の行われるキャナルシティ、博多リバレインでは出演者挨拶も行われ、川端ぜんざい広場前では、狂言名題を読み上げる「口上」もあります。
お近くへお越しの際はぜひ、声援をお送りください。
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松本幸四郎改め 二代目 松本白 鸚
                 襲名披露
市川染五郎改め 十代目 松本幸四郎
「六月博多座大歌舞伎」船乗り込み
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日  時  2018年5月30日[水]
      * 雨天の場合は14:15より博多リバレイン フェスタスクエアにて式典のみ開催
◯ 当日のスケジュール
13:00 乗船式典(キャナルシティ博多 地下1階サンプラザステージ)
13:25 乗船・出発(清流公園)
13:45 口 上(川端ぜんざい広場)
14:00 下 船(博多リバレイン)
14:05 参 拝(鏡天満宮)
14:15 式 典(博多リバレイン フェスタスクエア)
14:40 終了予定       * 時間は目安です。

◯ お問い合わせ
博 多 座 092-263-5858

【図書紹介】高松宮殿下御視察の川中島古戦場『雨宮の渡し ── 詩碑建立の真実』 桜 井 孝 三 著 印刷・発行/東信堂印刷所

20180508134803_00002高松宮殿下御視察の川中島古戦場『雨宮の渡し ── 詩碑建立の真実』
桜 井  孝 三 著
印刷・発行/東信堂印刷所
A5判 224ページ 上製判 カラー図版多
定価:本体2,000円+税(送料 200円)

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戦国時代の世、第四次川中島合戦において上杉軍勢が千曲川「雨宮(あめのみや)の渡し」を渡河したのを記念して、跡地に賴 山陽-らい さんよう-の詩を石に刻み、後世に残そうと建てられた「鞭声の詩碑」。いつ、誰が、どんな想いで、建立事業に携わったのか。
髙松宮殿下のお尋ねの一言など、詩碑完成に至るまでのさまざまな秘話が、78年ぶりに明るみに出ることになった。
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〔 著者自己紹介 〕
桜井孝三(1934年6月22日生 83歳)
昭和9年浅草に生まれ、強制疎開により長野県更埴市(現・千曲市)で育ち、昭和25年の春上京しました。印刷会社の見習いをしながら、夜学の都立小石川工業高校印刷科に学びました。10年間植字工として勤務した後、昭和35年4月、26歳で調布市上石原で東信堂印刷所を創業しました。

昭和55年から4年間、東京都印刷工業組合三多摩支部長を務め、現在は顧問です。また本部理事を務める傍ら「多摩の印刷史」編纂委員長、「東京の印刷組合100年史」の史料収集を担当、そして平成11年に三多摩支部創立50周年記念誌の編集長をしました。この間、幕末・明治初期の洋式活版印刷術の研究に没頭し、ここ数年は新選組の史実の究明に励んでおります。
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〔 注 文 先 〕
有限会社 東信堂印刷所
182-0035 東京都調布市上石原1-31-10
TEL  042-485-2131  FAX  042-485-2003
Email:info@toshindo.com   http://www.toshindo.com
郵便振替:00100-3-48531 (有)東信堂印刷所
取引銀行:みずほ銀行調布支店・さわやか信用金庫調布支店

【詳細: 東信堂印刷所

『雨宮(あめのみや)の渡し ── 詩碑建立の真実』 続きを読む

【朗文堂 サラマ・プレス倶楽部】春を迎えて一斉に各種講座{活版カレッジ 春期夜間部・朗文堂ちいさな勉強会『紙』・新宿私塾第32期}が開講しました

活版カレッジ1IMG_1860IMG_1863<活版カレッジ>は、身体性がもたらす造形精神とそのよろこびをおもくみています。
そのために、科学と、学術的根拠にもとづいた実技と実践を基盤とし、小型活版印刷機 Salama-21A を中心として、小型活版印刷機 Salama シリーズ によるケーススタディ ・ メソッドをふんだんに駆使し、あたらしい時代の活版印刷の現場での、現実的な課題の解決方法を学ぶことを目的とします。
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活版カレッジ>は少人数の学習機関ですし、造形によろこびをみいだす仲間が中心となります。今回開講した<活版カレッジ 春期夜間部>は男性三名・女性一名の構成です。ともかく少人数なので、講座はいつも和気藹藹としたなかにも、技芸者をめざす緊張がみなぎっています。

<活版カレッジ>は、三ヶ月九回の講座で、基本的に春季・夏季・秋季・冬季と、イベント開催時期をのぞいて一年に三回開講されますが、ここ数回にわたって事前予約者が多く、ほとんど一般公募ができない状態がつづいています。

つづいて<活版カレッジ 夏期夜間部>が開講予定ですが、次期講座にも相当数のご予約をいただいております。ともかく受講のご意思のあるかたは、まずご一報をいただき、ご予約をお願いいたします。開講が迫りましたら、最終ご意思の確認と受講料の納入をもって受付となります。
詳細は <サラマ ・ プレス倶楽部 教室のご案内 Salama-21A 操作指導教室 >をご覧ください。

【 お申し込み・お問い合わせ : 朗文堂 サラマ・プレス倶楽部  » send email 】

!cid_CCF74AAA-0228-4CFC-BA15-338977D21FD5DSCN7681DSCN7684DSCN7689DSCN7754原 啓志 さんを講師にお迎えしての{朗文堂ちいさな勉強会『紙』講座}は、毎月第二水曜日・連続六回の開催が予定されています。受講者は19名の多数を数え、4月11日[水曜日]に第一回講座が開催され、5月9日には第二回講座が予定されています。

受講者のほとんどは{活版カレッジ}の修了生で、実践に役立つ貴重な紙情報が語られています。受講者のなかに 商事会社「エヌ・ビー・アール」を営まれているかたがおられ、参加者有志に「フラックス・亜麻」の種子が少量配布されました。
亜麻の花フラックスはやがてうす青紫の可憐なはなをつけ、その茎が亜麻色に変化したころに収穫して「亜麻パルプ」とし、そこから高級筆記用紙、書簡用紙、高級ボンド紙、特殊薄葉紙、たばこ用巻紙、脂取り紙などに使用されてきたという。

原 啓志さんと受講生の皆さんによる、熱い講座がつづきます。

!cid_5CEEADC8-9D79-4D99-B0DC-2FF062628233!cid_5B8B4C39-FF56-457E-9D19-CB0B144159A632期入塾DSCN7722DSCN7898新宿私塾では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 のみっつの領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。 それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともないます。
この半年のあいだ、塾生の皆さんがおおきな収穫が得られるように、講師陣はもとより、300名をこえた「新宿私塾修了生」の皆さんも、精一杯の努力と応援をいたします。

新宿私塾に入塾をご希望の方は、下記メールに随時ご連絡をお願いいた します。入塾お申し込みのメール受付順の入塾とさせていただきます。

◯ 朗文堂タイポグラフィスクール 新宿私塾
担当 : 鈴 木  孝  robundo@ops.dti.ne.jp    » send email
件名/新宿私塾 第32期申し込み、お名前(ヨミガナ)、送付物宛先住所、電話(携帯可)

その後の手続きは、メールをいただいたのちご連絡いたします。そのほかに新宿私塾に関してのご質問などがある方は 電話連絡 (担当:鈴木 03-3352-5070)をしてください。

【 詳細データ : 新宿私塾 】

【催事】第17回広島国際アニマ-ションフェスティバル 8月23日-27日

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第17回広島国際アニマ-ションフェスティバル
2018年8月23日[木]-27日[月]
主 催:広島国際アニマ-ションフェスティバル実行委員会
    広島市、公益財団法人広島市文化財団
会 場:JMS アステールプラザ
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この世で一番大切なものーハートトゥハート!!!
あなたの心に寄り添う、心に響く、珠玉のアニメーションをヒロシマで!!!
広島国際アニメーションフェスティバルは、この夏、第17回目を迎えます。
1985年以来「愛と平和」の精神の下、常にアーティストとそのパワフルな創造力を大切に、2年に1度の開催を続けてきました。アニメーションメディア文化芸術の振興を通じた異文化交流を志し、国際アニメーションフィルム協会(ASIFA)及び米国アカデミー賞の公認を得ています。
国際的に最高質と定評のあるコンペティション(公開審査)のほか、国際名誉会長クリヨウジの特集、特別ゲスト、マイケル デュドク ドゥ ヴィツトをお招きしての長編『レッドタートル ある島の物語』上映とトーク、エストニア特集等をはじめ、世界/日本プレミアを含む数多くの特別プログラムやセミナー、展示などをお届けします。広島でしか観ることのできない各国の作品も多数あり、また、国内外から作家たちの参加が多く、交流の楽しみもあります。アニメーションの素晴らしい世界を是非お楽しみください。

【詳細: 広島国際アニマ-ションフェスティバル 

【展覧会】Bunkamura Gallery 画家デビュー十周年記念企画 蜷川有紀絵画展 「永遠の薔薇」 ─ 深紅の螺旋に思いを馳せて─ 5月9日-5月20日 終了企画

ぶんかむら0509蜷川有紀「永遠の丘」 118.5 × 97.0 cm 和紙、岩絵具 2018年

Bunkamura Gallery
画家デビュー十周年記念企画
蜷川有紀絵画展 「永遠の薔薇」
── 深紅の螺旋に思いを馳せて──
開催期間 2018年5月9日[水]-5月20日[日]
開館時間 10:00-19:30    * 5月16日(水)は17:00まで
会  場 Bunkamura Gallery
主  催 Bunkamura Gallery
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女優として表現の世界に足を踏み入れ、映画作家としても活躍していた 蜷川有紀 は 2008年 Bunkamura Gallery「薔薇めくとき」にて画家デビュー。その多岐にわたる活躍が評価され、同年には情報文化学会芸術大賞を受賞しました。
その後も薔薇をモチーフに都市、旅、迷宮など、さまざまなテーマに取り組み、海外でも紹介されるなど表現の場を広げています。その節目となる今回、画家デビュー10周年を記念した絵画展を開催いたします。

昨年、ダンテ作『神曲』地獄篇の 縦 3 m 幅 6 m ある超大作に挑戦し、アートイベントとして異例の成功をおさめた彼女。これまでギュスターブ・ドレ、ボッティチェッリなどの偉大な画家たちが描いてきたテーマを彼女なりの解釈で表現し、観る者の心を揺さ振りました。
そして画家として作品を世におくり出して以来、一貫して薔薇を描き続け、遂には地獄にまで薔薇を咲かせたのです。

その薔薇を描き出す色彩には非常にこだわりを持っており、中でも赤い色をつくる岩絵具、それは卑弥呼が愛した真紅の顔料『紅辰砂-べにしんしゃ』。水銀を含む古墳時代の顔料で、塗れば生体を腐らせない。永遠の命と美の象徴を理想の色彩を生むお気に入りとして使用しています。

本展では次回作、煉獄編・天獄編へのプレリュードとなる作品群を発表。「永遠」をテーマにした新作は、真摯に岩絵具に向き合ってきた蜷川にしか出せない自由な筆致と、国も時代も超えた新たな世界観もご覧いただけます。
更にデビュー10周年を記念し、過去の代表作品も登場。今回しか観ることのできない、蜷川有紀のこれまでとこれからを是非ご堪能ください。

【詳細:Bunkamura Gallery 問い合わせ 03-3477-9174 】

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【新宿私塾】梅の薫りがかすかにただよう三月中旬{新宿私塾 第31期 全課程を終え無事に終了しました}

!cid_FD6264CF-5712-4E9C-9163-F49D6E5BD55C31期修了_01いつものことですが、出あいはうれしく、別れはさびしいものです。
<新宿私塾 第31期>は、金木犀のかおりが新宿御苑からかすかにただよう、2017年09月26日に開講し、梅の香ただよう早春の2018年03月13日、全員が無事に全課程を修了し、おおきく成長して羽ばたいていきました。

最終講座は<第25回 タイポグラフィの基本技術の再構築>と題して大石 薫の担当でした。この演習講座を終え、これからは<新宿私塾修了生>の一員となった塾生の諸君は、わかれがたいおもいがあったのかしばらく教場での談笑がつづき、やがて再開を約して新宿の町に消えていきました。
大石講義31期修了_02<新宿私塾>は毎回全25講座が開講されますが、「造形のよろこび」、「身体性をともなった造形のよろこび」をモットーとしています。
同時に<新宿私塾>では、タイポグラフィにおける 「知・技・美」 の三領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。それはまた 「知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず」 という、つよい自戒をともないます。
31期カリキュラム表紙resized長いようで短かった半年間でした。ことしはあいにくの厳しい冬でしたし、颱風なみの爆弾低気圧が日本列島をまっぷたつにして縦断、きびしい寒波がなんども襲来し、東京でも例年にないほどの積雪までみました。

さいわい最終講座の03月13日は、うららかな春をおもわせる暖かな日でした。講座の終了後、塾生諸君は時計を気にしながら、しばしのお別れに際してメアドの交換を急ぎ、同期会の幹事をきめて再会を約しての修了となりました。
造形界にはきびしい逆風がみられる昨今ですが、新宿私塾31期修了生の皆さんは大きく羽ばたいて旅だちました。
何人かの終了生は、すでに<平野の会>に加入されていますし、いずれ<活版カレッジ>の受講を予定されているかたもおられます。
きっと、いつかまた、どこかで、笑顔での再会を楽しみにしています。

【建築講座】東京ステーションギャラリー 〝東京駅で建築講座 ─ たてる・つくる・みせる─〟2月16日開催

20180123222046_00001 20180123222046_00002東京ステーションギャラリー
特別企画
東京駅で建築講座 ─ たてる・つくる・みせる ─
開催日:2018年2月16日(金)・17日(土)・18日(日)

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東京ステーションギャラリーは日本の近代建築を象徴する東京駅丸の内駅舎で活動する美術館として、これまで国内外の建築家を紹介する展覧会を開催してきました。本企画は今後当館で開催する建築展[「くまのもの」(隈研吾)展、「アルヴァ・アアルト」展]にちなんで、建築に携わるさまざまなプロフェッショナルを講師に迎え、「たてる」「つくる」「みせる」を切り口に開催する連続講座です。

【登壇者一覧】 隈 研吾(建築家)、堀部安嗣(建築家)、安東陽子(テキスタイルデザイナー・コーディネーター)、佐藤 淳(構造家)、保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員)、林 アンニ(ARTEK/Vitra株式会社)

【詳細情報: 東京ステーションギャラリー 】

【催事】{歌川広重 王子装束ゑの木 大晦日の狐火}再現 第25回 王子 狐の行列 大晦日夜九時ゟ

王子大晦日狐オモテ 王子大晦日狐ウラ

第25回 王子 狐の行列
平成29年12月31日-平成30年1月1日開催

{歌川広重 王子装束ゑの木 大晦日の狐火}再現
2017年12月31日 大晦日 午後九時ゟ
装束稲荷から王子稲荷神社へ
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王子装束ゑの木 大晦日の狐火王子装束ゑの木 大晦日の狐火 国立国会図書館 請求記号:寄別1-8-2-1

王子には古くから大晦日に各地から集まった狐が大きな木の下で装束を整えて王子稲荷神社に詣でたという伝承があります。
その木の下に狐が集まる様子を描いた歌川広重の浮世絵、その木の脇に祀られた社が「装束稲荷」です。

平成5年大晦日からその伝承を元にここをお護りする者同士が集ったとき、広重の浮世絵 にならって揃って 王子稲荷神社に初詣をしました。ささやかな行列でしたが、 それが「狐の行列」のはじまりでした。以来、王子の街の私たちは、古い文化を新しい街づくりに生かそうと、ずっとこの風習を大切に大切に守り育てているのです。

【詳細情報:王子 狐の行列

【映像紹介】DNP 大日本印刷 {秀英体 映像アーカイブ}

映像アーカイブ
秀英体の紹介映像と活版印刷の職人映像をご覧いただけます。

人に想いを届けるフォント。大日本印刷の秀英体
「秀英体」は創業以来100年以上にわたり開発を続け、金属活字からデジタルフォントへと進化してきました。現在も各種印刷物や電子書籍、ウェブサイトや映像用の文字として活躍の場を広げています。印刷技術の変遷の中で生き続ける「秀英体」の姿を、イメージ篇と本篇の2つの映像で伝えます。

「イメージ篇」
秀英体が持つ伝統や先進性を紹介するとともに、オリジナル書体「秀英体」に込めたDNPの想いをまとめました。
DNP秀英体画像
「本  篇」

◯「秀英体のデザイン」…デザインの特徴やなりたち
◯「秀英体と出版事業」…活版からデジタル化に至る印刷技術の変遷や出版事業との関わり
◯「秀英体のいまと未来」…今も続く秀英体の改良や未来の文字環境への展望
の三部構成です。 〝活字の分身〟 のオリジナルキャラクター「秀英くん」による解説のほか、岩波書店「広辞苑」の編集者・平木靖成さんと、資生堂「花椿」のアートディレクター・澁谷克彦さんへのインタビューを通じて、秀英体やタイポグラフィを楽しく、深く知ることができます。
DNP秀英体画像02
その手が文字をつくるまで ~活版印刷の職人たち~
DNPは1876(明治9)年の創業以来、書籍や雑誌の印刷を通じて出版と深く関わってきました。長年にわたり出版文化を支えたDNPの金属活字による活版組版部門は、印刷技術の変化に伴い2003(平成15)年、127年の歴史に幕をひきました。

これまで日本の出版文化を支えてきた活版印刷職人の技を、「活版印刷の流れ」と、各工程の詳細「①作字」「②鋳造(ちゅうぞう)」「③文選」「④直彫り」「⑤植字」「⑥ゲラ刷り」の全7編で構成された映像で紹介します。各工程の映像では、手法や道具の工夫点やノウハウを、職人のインタビューを交えて解説します。

【 詳細情報:DNP大日本印刷  秀英体映像アーカイブ

【印刷図書館】 財団創立70周年記念誌『印刷図書館コレクション』刊行/出版パーティー開催

一般財団法人 印刷図書館(理事長:山田雅義)は、2017年03月、財団設立70周年を迎えました。 その記念事業の一環として、『印刷図書館コレクション』(A4判/120ページ、上製本/非売品)を刊行。
20171104004014_00001『印刷図書館コレクション』刊行記念パーティが10月26日[木]一ツ橋如水会館で開催され、多くの来賓と会員が参集しました。
来賓の挨拶につづき、永年にわたって印刷図書館の司書として活躍されている松本佐恵美さんに感謝の花束が贈呈され、会場は華やかなふんいきにつつまれました。

DSCN4503 DSCN4505 DSCN4510 印刷図書館は、印刷及びその関連分野の資料を収集し、印刷技術及び印刷文化の発展向上に寄与することを目的とする専門図書館です。[入会案内
印刷図書館 所在地
〒104-0041 東京都中央区新富1-16-8  日本印刷会館3F
電話 03-3551-0506
FAX 03-3551-0509

【会報誌】 サラマ・プレス倶楽部会報誌 第35号 (Previous 2017 ) 完成 ・ 配布中

サラマ・プレス倶楽部の会報誌
『 Salama Press Club NewsLetter  Vol. 35』 (Previous 2017 )を刊行し
会員の皆さまへ配布中です。

会報誌35号表紙resized『 Salama Press Club NewsLetter  Vol. 35 』 (Previous 2017 )
表紙使用活字 : 36 pt.  セントール〔Centaur〕、 18 pt.  花形活字

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主な内容 (目次) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ 【お薦め情報】
〔映 画〕 The Secret of Kells ブレンダンとケルズの秘密

★ 【お知らせ】
「平野富二 生誕の地」碑 建立 有志会 発足!

★ 【イベント情報】
――メディア・ルネサンス―― 平野富二 生誕170年祭

★ 【レポート】
アルフォンス・ミュシャ(ムハ)と『スラヴ叙事詩』 ―サラマ・プレス倶楽部的 プラハ紀行―

★ 【連載 活字版印刷豆知識35】 活字は小粒でピリリと重い
活版印刷 人物伝⑦ 《15世紀》欧州 ニコラ・ジェンソン

★ 【会員からのお知らせ】
新潟会員 紙漉き「サトウ工房」佐藤徹哉さんからの「良寛と巻菱湖」展報告レポート

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【良書紹介】 カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く── 全12巻完結 カール・マイ著・戸叶勝也訳 朝文社刊

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カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く

ドイツの国民作家 カール・マイ。
ドイツでは聖書につぐ発行を記録した波瀾万丈の物語。
没後100年を経て「カール・マイ冒険物語」全12巻日本語訳全12巻完結
中東、オリエント地域の風土、民族、習慣も冒険物語のなかでわかる
面白さとテンポのあるストーリー展開に魅了される

『カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く〔12〕 アドリア海へ』
カール・マイ著 戸叶勝也訳
四六判
定価:本体2,480円+税
朝 文 社
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〔著者紹介〕
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戸叶勝也(とかの かつや)
著者1938年 東京に生まれる。
1961年 東京大学文学部西洋史学科卒業
NHK 教育局、国際局(この間ドイツ海外放送勤務)、日本大学経済学部教授
を経て、現在同大学元教授。専攻:ドイツ近現代史


主要著書
『ドイツ出版の社会史~グーテンベルクから現代まで~』(三修社1992年)、『レクラム百科文庫~ドイツ近代文化史の一側面~』(朝文社1995年)、『人と思想~グーテンベルク~』(清水書院1997年)、『ドイツ啓蒙主義の巨人フリードリヒ・ニコライ』(朝文社2001年)、『ヨーロッパの出版文化史』(朗文堂2004年)

主要訳書
『ギリシア・ローマ時代の書物』(朝文社2007年)、『シュメール』(アリアドネ企画1998年)、『オスマン・トルコ』(アリアドネ企画1998年)、『ヴァイキングの足跡』(共訳、アリアドネ企画1997年)、 『ノルマン民族の秘密』(共訳、佑学社1977年)、『ヒッタイト帝国』 (共訳、佑学社1979年 『カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く全12巻』(朝文社2017年)ほか
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〔カール・マイ冒険物語 刊行を終えて-戸叶勝也〕
「カール・マイ冒険物語 ~オスマン帝国を行く~ 第12巻アドリア海へ」は、私か翻訳してきたシリーズ全12巻の最終巻に当たります。
この12巻には、巻末の訳者あとがきに、「カール・マイ没後百周年記念行事」に参加した後でネット誌に寄稿した記事を再録して載せました。
また特別企画として、中東ジャーナリスト勝又郁子さんとの対談「マイの物語と中東世界の現実」を載せました。これらをぜひお読みくださるようお願い申し上げます。

ところでこのドイツの冒険作家カール・マイの存在を、私は1970年代の前半に、当時の西ドイツのケルン市にあった『ドイツ海外放送』の日本語番組で仕事をしていた時に知りました。
それ以来かれこれ40年以上になりますが、帰国後、1977年から1981年まで、東京のエンデルレ書店から、「カール・マイ冒険物語」のオリエント・シリーズ第1巻-第4巻を刊行しました。その時も私の計画では全12巻の長いシリーズを翻訳し、順次刊行していくはずでしたが、出版社側の都合で、第4巻で打ち切りとなりました。

訳者としては大変残念な気持ちで、それ以後も翻訳作業は、本業(大学での授業その他の業務)の傍ら続けてまいりました。そして2012年になって、今回のシリーズ「カール・マイ冒険物語 ~ オスマン帝国を行く」全12巻を刊行することを、朝文社の渡部社長が引き受けてくださいました。
この朝文社からはそれに先立つ2011年10月に、私か書いたカール・マイの評伝『知られざるドイツの冒険作家カール・マイ』が刊行されました。それに続いて作品の翻訳刊行が続けられ、今回全12巻が完結した次第です。

第12巻をお読みくださり、興味を持ってくださった方々には、是非そのほかの巻もお読みくださるようお願い申し上げます。そして感想などがありましたら、下記にお寄せいただければ、幸いです。
2 0 17年5月
戸叶 勝也
154-0021 東京都世田谷区豪徳寺2-19-3
メール : katsuya.tokano*jcom.home.ne.jp   〔*→ @〕
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{新宿餘談}
このたび戸叶勝也先生が、『カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く〔12〕 アドリア海へ』(朝文社刊)をもって、同書全12巻の刊行を完結されました。
同書に向けた40年余のご精進に多大なる敬意を表明するとともに、皆さまのご愛読をお願いいたします。
同書の詳細は 朝文社URL にて閲覧できます。また紀伊國屋書店新宿本店(03-3354-0131)、八重洲ブックセンター(03-3281-1811)の両店にて常備図書となっています。
なお戸叶勝也先生は、朗文堂でも『ヨーロッパの出版文化史』を刊行されておられます。
併せてのご愛読をお願い申しあげます。 

◯ 朝文社URL         http://www.chobunsha.co.jp/index.html
◯ 朗文堂ブックコスミイク  http://www.ops.dti.ne.jp/~robundo/Bbunkashi.html
◯ 朗文堂文字壹凜まとめ  http://www.robundo.com/robundo/ichirin/?s=%E6%88%B8%E5%8F%B6%E5%8B%9D%E4%B9%9Fヨーロッパの出版文化史

【「平野富二生誕の地」碑建立有志の会】 「平野富二生誕の地」確定根拠を発表

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平野富二の生前に発行された東京築地活版製造所編纂『長崎新塾活版所東京出店ノ顛末 並ニ 継業者平野富二氏行状』によると、「平野富二氏、幼名ハ富次郎、長崎ノ士人、矢次豊三郎ノ二男、……、弘化三年丙午八月十四日、長崎ニ於テ生ル。」とある。

平野富二の生家である矢次ヤツギ家の記録「矢次事歴」によると、1874(明治7)年4月に記録された矢次家の住居表示は、第一大区四ノ小区引地町50番地となっている。

矢次家の始祖矢次関右衛門は元大村藩士で、故有って浪人となり長崎に移り住んでいたところ、正徳3年(1713)、空席となった町使役を仰せ付けられた。のちに町使は町司と表記されるようになるが代々世襲して、父豊三郎は矢次家八代目として町司を勤めていた。

町使長屋は、寛文3年(1663)、現在の引地町ヒキヂマチに初めて建てられたが、宝暦5年(1755)に類焼したため建て替えられた。以前は11軒(戸)だったものが13軒(戸)となって、2軒(戸)が追加された。このことは「引地町町使長屋絵図」〈添付資料1  長崎歴史文化博物館所蔵「長崎諸御役場絵図」第一巻〉に記載されている。

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添付資料1
上図:「長崎諸御役場絵図」第一巻、長崎歴史文化博物館所蔵
下図:上図の白枠部分の拡大図
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添付資料1 は焼失後に建て替えられた町使長屋の絵図で、2棟ある長屋の各軒(戸)に入居名が記載されている。絵図で右側に描かれている長屋の右端から二番目に「矢次」と明記されている。

焼失前の町使長屋の絵図も別途存在するが、それには「矢次」の名前はどこにも記載されていない。そのことから、矢次家が引地町の町使長屋に入居したのは、建て替えられて2軒(戸)が追加されたときの1軒(戸)に入居したと見られる。

引地町町使長屋の位置は、明和年間(1765年頃)に作成されたと見られる『長崎惣町絵図』〈添付資料2 長崎歴史文化博物館所蔵〉に「町使屋舗」と表示されている。
くだって嘉永3年(1850)に再板された『長崎明細図』〈添付資料3 長崎勝山町文錦堂刊〉には、その位置に「丁じ長や」と明記されている。嘉永三年(1850)は平野富二が数え年五歳であることから、引地町にある町使長屋が平野富二の生誕の地であると見ることができる。

w21_引地町町使長屋国立公文書館『長崎諸役所絵図』より「引地町町使長屋」

添付資料1と類似の絵図が国立公文書館所蔵の「長崎諸役所絵図」に含まれている。その絵図を現在の長崎法務局の「国土基本図」に重ね合わせて合成し、「町使屋鋪」と表示した地図〈添付資料4〉が、布袋厚著『復元! 江戸時代の長崎』に掲載されている。
それには現在の勤労福祉会館の建物などに重ね合わせて町使屋舗が描かれており、それによって矢次家の在った場所を確定することができる。 以上

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上図:「長崎惣町絵図」明和年間制作、長崎歴史文化博物館所蔵

下図:上図の白枠部分の拡大図
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上図:「長崎明細図」嘉永3年(1850)再板、長崎勝山町文錦堂刊

下図:上図の白枠部分の拡大図
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◯ 添付資料4
『復元! 江戸時代の長崎』布袋 厚 著から引用

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〈備考〉平野富二生誕の地 位置確定目安
引地町町使長屋は、7戸建てと6戸建ての2棟の長屋が引地町筋の道路に面して建てられており、この2棟の長屋は本大工町筋に抜ける道路によって隔てられている。

添付図2によると、矢次家のある7戸建て長屋が建てられている敷地は、前面道路に沿って長さ27間(当時、長崎では六尺五寸を一間としていたことから、これを換算すると約53.1メートルとなる)と表示されている。1戸当たりの幅は平均約7.6メートルとなる。

焼失前の「町使町絵図」(添付省略)によると、同じ敷地と見られる場所にある6戸建て長屋には、5戸が間口5間、一戸が4間と表示されている。長屋内に路地は設けられていないので、長屋の全長は29間となる。添付図2とは2間の差があるが、その理由は不明。この「町使町絵図」には「矢次」の名前はない。

添付図1では、各戸はすべて間口が3間と表示されており、これとは別に前面道路から裏庭に通じる路地が7戸建て長屋では4本ある。その内、2本の路地には途中に井戸があり、他の2本の路地には井戸はないので同じ幅とは限らない。路地の幅は明記されていないので、長屋全体の長さ(間口)は不明である。

敷地の北東に隣接する窪地に現在建てられているビルの境界が当時と同じとすれば、境界を基点としてほぼ8メートルから15メートルの間が矢次家居所跡、すなわち平野富二生誕の地の目安となる。
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〈参考〉添付資料1の左側添え書き

【原文】
此図元長崎奉行所支配普請方用屋敷所蔵也明治維新後故西道仙翁得本図十襲不措後與故長崎區長金井俊行氏謀模寫本図納諸長崎區役所以便研究者焉 大正二年 月及翁歿余請得本図於其嗣某氏分為弐巻施装訂就明嶽道人有馬祐政先生龍江深浦重光先生求其題字以備座右

巻中所在自政所衛門至陣営望台米廩等凡四拾有弐図(全長約拾弐間、上下弐巻)奉行所幷管掌町悉載焉 實長崎史研究者必須之図也
大正四年孟春下沈      鶴城 福田忠昭識

【現代文】
この図は、元長崎奉行所支配普請方の用屋敷に所蔵されていたものである。明治維新の後、故西道仙翁が本図を得て大切に秘蔵して手放さなかった。後に故長崎区長金井俊行氏と相談して本図を模写し、長崎区役所に納めて研究者の便とした。大正二年 月、西翁が没し、私はその嗣者である某氏から本図を得た。分割して二巻とし、装丁を施し、明嶽道人有馬祐政先生に従って龍江深浦重光先生にその題字を依頼し、座右に備えた。
巻中には、政所・衛門から陣営・望台・米蔵などに至るまでおよそ四十二図(全長約十二間、上下二巻)があり、奉行所と管掌する町がことごとく載せてある。実に、長崎史研究者にとって必須の図である。

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【タイポグラフィ学会】 第12回 タイポグラフィ学会 総会 が終了しました

2016-Sokai{タイポグラフィ学会事務局}
去る9月25日日曜日「第12回 タイポグラフィ学会 総会」を開催、無事に終了いたしました(会場:学校法人 専門学校 東洋美術学校)。
総会の討議ではタイポグラフィに関する学術的な研究や活動を支えるべく、より充実をはかることを具体的な提案をもって議論や意見交換がされました。
今年度は「タイポグラフィ学会誌」09、 10号の刊行、論文発表会などが計画されております。
【 詳細 : タイポグラフィ学会 】

【会員情報】 大阪芸術大学 文芸学科 活版印刷教育本格スタート - デジタルの時代に「刷る」楽しみを

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デジタルの時代に、「刷る」楽しみを。

デジタルプリントが主流の現代において、活版印刷物の凸凹やインクのにじみといった質感が注目されています。
そんな背景もあってか、オープンキャンパスにおける文芸学科の展示のなかでも、ひと際人気を集めたのが、この活版印刷機です。

当日は、珍しい印刷機を展示するだけでなく、その場で名刺印刷を体験できるコーナーを展開。活字と呼ばれるハンコのような字型を選び、印刷機にセット。ハンドルをガシャンと下ろせば、名刺に自分の名前が印刷される、という仕組みです。シンプルな工程ですが、完成した名刺は、世界で一枚だけのいわばオリジナル作品。昔ながらの独特の味わいを持ったこの〝お土産〟を、参加者は大事そうに持ち帰っていました。

【 詳細情報 : 大阪芸術大学 文芸学科 活版印刷 】
op2016_03[1] pic_01[1] pic_01[2] pic_02[1]大阪芸術大学 文芸学科での活版印刷機器の購入は数年前から着実に前進していました。担当教員は 福江泰太教授
福江先生は図書の原典を探るべく、数年前に「活版カレッジ」を自ら受講されるとともに、小型活版印刷機 Salama-21A と、和文活字を中心に設備され、授業では文選、植字、印刷をきちんとマスターするように指導しておられます。

大阪芸術大学 文芸学科ではさらに講座の充実をはかり、Salama-Antiqua のような「はがき倍版」の印刷機の導入をはかるとともに、「印刷・製本演習」という科目のスタートが計画されています。
大学教育機関での活版印刷講座があちこちで計画され、小社アダナ・プレス倶楽部は積極的にお手伝いさせていただいておりますが、外部スタッフや助手任せの大学より、やはり常任教員ご自身が自らとり組まれると、無理と無駄無く、スムーズに企画構成がすすむようです。

どうなっているの? すこし強引すぎませんか <MicrosoftではWindows 10へのアップグレードをお勧めしています>

スクリーンショット OS10パソコンのことなどはあまり話題にしたくないが、月曜朝からチョイと不愉快。
選択肢のない画面がディスプレー中央にドカンとでてきて消えない(容易には消せない)。
前から類似の情報がわき出ていたが「×」で退散していた。パソコン管理会社からは周辺機器、アプリソフトとの整合性に問題があり、アプデは当面止めてほしいと通知もあった。
XPからなかば強引に2020年までのサポート保証でWindows 7にした(された)が、今度の選択肢のない画面は強力で、追放退散すなわちアプデ勝手に実行らしい。結局なんとか退散させたが、この騒ぎに30分余もかかった。
国産機愛用でPCにしたが、OSが米国製だとこれだからなぁ。

【時事通信】 民進党が党のロゴマークを決定

AS20160510004575_comm[1] 0160510at52_p[1]民進党は5月19日、党のロゴマークを決定した。青と赤の2本のラインで党名の頭文字である「M」をかたどったデザイン。岡也代表は記者発表で「躍動感のある良いマークだ。(有権者に)しっかり浸透できるよう努力したい」と語った。
インターネットの意見募集では「三重県の菓子メーカーのロゴに似ている」との指摘もあったが、同県選出の岡田氏がメーカーに電話し、「問題ない」との回答を得たという。(2016/05/19-10:07

【会員情報】 世界遺産の地/鹿児島仙巌園・尚古集成館にて Salama-21A 小型活版印刷機いよいよ始動

DSCN7235薩摩藩主・島津家の別邸「仙巌園 センガンエン」(鹿児島市吉野町)は大型連休中の5月5日、活版印刷のイベントをおこなうことを発表しました。
西欧の活版印刷技術とふかいつながりを有する薩摩藩の歴史を知ってもらう。参加者を募集している。

日本の近代活版印刷は明治初期、長崎で実用化されたとされるが、それに先立つ幕末の1864年、薩摩藩主・島津斉彬に依頼された江戸の木版士・木村嘉平が、鉛やろう石活字の鋳造に成功したという。型となる種字や印刷機などは仙巌園の尚古集成館に所蔵され、1998年に国指定重要文化財となっている。
同園では「鹿児島と活版印刷は深いつながりがあることは意外と知られていない。こどもから大人まで楽しめるので試してください」と来園を呼びかけている。
読売新聞 2016年4月28日 鹿児島地域版

【東京五輪】 エンブレムは野老朝雄氏の組市松紋に決定 森山明子氏の論評を紹介

2020年東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムは、野老トコロ朝雄氏の組市松紋に決しました。
それをうけて『オリンピックとデザインの政治学』の共著者、森山明子氏が『読売新聞』(文化欄 04月26日)に「五輪エンブレム決定」とされる論評を発表されました。
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五輪新エンブレム _MG_4319 コピー ~ 01オリンピックとデザインの政治学rs

【速報】 東京五輪エンブレム「A案」に決定 大会組織委 市松模様に特徴

五輪新エンブレム2020年東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は25日、公式エンブレムの最終候補四作品を審査した結果、市松模様をモチーフにした「A案」を採用することを決定した。
A案の作品コンセプトは「組市松紋」。
江戸時代に広まったデザインを日本の伝統色である藍色で表現し、形の異なる図形の組み合わせることで「多様性と調和」を表したという。

組織委のエンブレム委員会(委員長・宮田亮平文化庁長官)は25日午前から最終審査を行い、21人の委員の過半数の支持を得たA案を選定。その後開かれた理事会で承認され、公式エンブレムへの採用が決まった。

公式エンブレムは昨年7月、アートディレクターの佐野研二郎氏のデザインがいったん採用されたが、同年9月に白紙撤回。限られたデザイナーらによる不透明な選考過程に批判が集まったことから、再選考では応募資格を一般に開放した。
応募作品は1万4599作品にのぼり、4作品に絞った後は、ネットやはがきで国民から意見募集していた。
日本経済新聞 速報

 

【展覧会】 恩地孝四郎展/東京国立近代美術館 会期末迫る & 恩地家三代公式記録 multirhythm WebSite紹介

国立近美恩地孝四郎展日本における抽象美術の父にして木版画近代化の立役者、そして時代に先駆けたマルチクリエイター恩地孝四郎、過去最大規模の回顧展。
日本で最初の抽象表現《抒情『あかるい時』》はもちろん、海外美術館所蔵の重要作62点を含む約400点を一挙公開します。
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日本における抽象美術の先駆者であり木版画近代化の立役者でもある恩地孝四郎の、20年ぶり3回目、当館では実に40年ぶりとなる回顧展です。

恩地は抽象美術がまだその名を持たなかった頃、心の内側を表現することに生涯をかけた人物です。
彼の創作領域は一般に良く知られ評価の高い木版画のみならず、油彩、水彩・素描、写真、ブックデザイン、果ては詩作に及ぶ広大なもので、まるで現代のマルチクリエイターのような活躍がうかがえます。
本展では恩地の領域横断的な活動を、版画250点を中心に過去最大規模の出品点数約400点でご紹介いたします。

また見逃せないのは、里帰り展示される62点。戦後、特に外国人からの評価が高かった恩地の作品は、その多くが海を渡っていきました。
本展では海外所蔵館(大英博物館・シカゴ美術館・ボストン美術館・ホノルル美術館)の多大な協力のもと、現存作が一点しか確認されていない作品や摺りが最良の作品など恩地の重要作をご覧いただきます。
【 詳細 : 東京国立近代美術館
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この 【展覧会】 恩地孝四郎展 ―― 形はひびき、色はうたう 東京国立近代美術館 に関する情報は、東京国立近代美術館からの情報をもとに、本コーナーには02月08日に紹介した。
その際別途に、恩地孝四郎嫡孫・恩地元子様からも封書で、長文の文書と招待券を頂戴していた。
忙しさに取り紛れて文書をじっくり拝読していなかったことが悔やまれるが、とても貴重な資料をご提供いただいていたことを改めて確認したのでここに皆さまにご紹介したい。

恩地家三代――恩地孝四郎(1891-1955)、恩地邦郎(1920-2001)、恩地元子(現当主)は、いずれも東京藝術大学にまなび、才能と個性と造形力がゆたかなかたばかりであるが、やつがれは荻窪の恩地邸にしばしば押しかけ、恩地邦郎氏とそのご夫人展子様にたいへんお世話になった。

恩地孝四郎は1935年(昭和09)04月創刊の『書窓』(アオイ書房、志茂太郎)の第一号から1944年06月、志茂太郎が官製の国民運動「変体活字廃棄運動」に抵抗したため、強制疎開によって郷里の岡山に帰郷したための終刊号、『書窓』(第17巻第05号、通巻103号 日本愛書会書窓発行所)まで、一貫して編輯・執筆・造形・装本にあたっていた。
つまりやつがれは、わが国における近代版画家、抽象絵画の祖としての恩地孝四郎ではなく、印刷・出版人としての恩地孝四郎像を追っていた。

アオイ書房/志茂太郎と、『花あしび』(堀辰雄、2000年10月06日、朗文堂)の刊行を企画していたころ、堀辰雄関係の知人の紹介を得て、荻窪の恩地邸(遠藤 新 アラタ 設計)をはじめて訪問したのは、恩地邦郎氏が長年にわたった明星学園での教職をはなれた直後のことであり、おそらく1990年ころであったとおもう。
恩地邦郎氏ご夫妻はこころのあたたかなかたで、いつも居間でくつろぎ、展子夫人のピアノ演奏もたのしませていただいた。
やがて当時の「金曜かい」の若手の諸君(いまは50代初頭の中年になっているが)も恩地邸に押しかけるようになり、お庭のアカンサスを愛で、孝四郎氏と邦郎氏の二代にわたるアトリエや、入口の書庫の隅隅までも拝見させていただいた。

それからは、毎年のように銀座の画廊で個展を開催されたので、そこでお会いしたりしていたが、ご著作『随想 春の雪』(恩地邦郎、1997、ぶんしん出版)を頂戴した。それからまもなく2001年に行年81をもって恩地邦郎氏は逝去された。
近年になり、宇都宮美術館の企画で<恩地孝四郎邸見学会>があり、そのグループの一員として、やつがれと大石とで懐かしい荻窪の恩地邸をおとづれた。
およそ15年ぶりほどの訪問であったが、恩地家第三代・恩地元子様が、故邦郎・展子ご夫妻とほとんど変わらぬ笑顔で、隅隅まで恩地邸をご案内されていた。
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前置きがながくなった。恩地家三代 ―― 恩地孝四郎(1891-1955)、恩地邦郎(1920-2001)、恩地元子(現当主)の三人の活動について、お知らせ、報告するWebSiteが開設されている。

URL :  multirhythm

管理・運営は恩地元子氏によるもので、いわば恩地家公式WebSiteといえるものであるが、とても丁寧なつくりこみがなされており、情報も正確でゆたかである。
初代・恩地孝四郎の歿後60年余、二代・恩地邦郎の歿後15年余のときが経過した。ともすると記憶はしだいに鮮明さをうしない、精度を欠くようになる。
このWebSiteの誕生を欣快とし、皆さまにご紹介するゆえんである。

恭賀新禧 萬事如意 香港商務印書館 毛 永波さんから{春節祝い}のカード到着

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左) 李 晨光( 中華書局  デジタル出版センター主任 ) 右) 毛 永波( 商務印書館〔香港〕有限公司 取締役 ・ 副編集長 ) 2015年04月03日 於:朗文堂

◎ 毛 永波 さん  香港商務印書館 取締役・副編集長
商務印書館は中華人民共和国の代表的な印刷会社 兼 出版社。
上海租界(外国租借地)にあった米国美華書館(American Presbyterian Mission Press)の職員であった、夏 瑞芳、鲍 咸恩、鲍 咸昌、高 鳳池ら四人が、米国籍の長老会牧師 George Field Fitch ( 中国表記 : 費啓鴻、1845-1923 ) の支援をえて、1897年(清朝光緒期 ・ 明治30 ) 02月11日に上海において設立された。
現在は本社を北京王府井におき、支社網を全土に置き、商業印刷にとどまらず、総合出版 ・ 印刷所として中国第一の規模をほこる。
【 関連情報 : [お客さまご訪問]中華書局:李 晨光氏、商務印書館(香港):毛 永波氏

【展示会】 page2016 「未来を創る-メディアビジネスの可能性を拡げる」 JAGAT 日本印刷技術協会

page2016

page2016  開催概要
◯ 開催期間   2016年2月3日(水)-5日(金)
◯ 場   所 サンシャイン コンベンションセンター
◯ 主   催 公益社団法人 日本印刷技術協会
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page とは
page 展は1988年の開催以来、2016年で29回目を迎える印刷メディアビジネスの総合イベントです。
page2016 のテーマは「未来を創る」
前回の page2015 でのテーマ「変わるニーズ。変わるビジネス。」の解決編の意味も含んでいます。
印刷ビジネスへのニーズがどのように変わったのか? どのようにビジネスを変えていかなければならないのか? を具体的に捉え、実際のビジネスとしてどのように対処するかを示唆します。
JAGATでは発刊した「未来を創る」をテーマに印刷業の未来について考えてきましたが、その集大成として page2016 をお届けします。

戸叶勝也先生 カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く 全一二巻第八巻『バルカン峡谷にて』 戸叶勝也訳 朝文社より刊行

戸叶先生
もうアダナ・プレス倶楽部の皆さんとは、<活版礼讃 Viva la 活版 Let’s 豪農の館>、<餅と餃子の忘年会>などですっかりお馴染みの 戸叶勝也 先生。
重厚かつ温厚なお人柄で、いつも楽しそうに各種のイベントにご参加されておられます。

20160105182918570_0001現在戸叶勝也先生は、ドイツで百年以上にわたって読み継がれている大作『 カール ・ マイ冒険物語 』 全12巻の翻訳執筆中。
このたび『カールマイ冒険物語』第08巻「バルカン峡谷にて」を朝文社より刊行されました。
小社刊行書 『 ヨーロッパの出版文化史 』 とあわせて、ご愛読をお勧めいたします。


◯ 発行所 : 朝 文 社
◯ 住   所 : 113-0033 文京区本郷三―一五―六  秋田ビル

◯ 電   話 : 03-3814-5072
◯ メール : info@chobunsha.co.jp

【会員情報】 日吉洋人さんが武蔵野美術大学助手展に出展。作品はビアトリス・ウォードの格言{This is a Printing Office}

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2015年武蔵野美術大学助手展に、同大学基礎デザイン学科助手として勤務されている日吉洋人さんが活字版印刷による作品を発表されました。
タイポグラフィをクリスタルゴブレットでたとえたビアトリス・ウォード(1900-69)の著名な格言 「 This is a Printing Office 」 がテーマです。
このレリーフは米国政府印刷所のエントランスホールに設置されています。また拙訳ながら邦訳が「タイポグラフィ格言集/ここは印刷所なり」にあります。
日吉洋人さんの益〻のご活躍に期待いたします。

アダナ・プレス倶楽部歳末恒例 手づくり<餅と餃子の忘年会>開催

本項はスライドショーで画像をお楽しみいただけます。

ここ数年、アダナ・プレス倶楽部、活版カレッジ修了生を中心として、小社の限られたスペース内でこじんまりと続けていた「餅と餃子の忘年会」。
それが年年メンバーも増えて、小社内のスペースでは納まりきれなくなってきた。

なにも手づくりにこだわらず、どこか庶民的な飲食店での開催も可能とおもえるが
そこは身体性のある物づくりをおもくみるアダナ・プレス倶楽部のことゆえ
活版印刷も調理もともに造形活動のひとつと見ているから例年おお騒ぎになる。
そんな折、小社からほど近い四谷駅前に、手頃なレンタルキッチンスペースがオープンしたので、今年はそのひとつ  < レンタルキッチンスペース Patia >を借りて
恒例の「餅と餃子の忘年会」が開催された。

朗文堂 アダナ・プレス倶楽部 手づくり<餅 と 餃子 の 忘年会>
[日  時]  2015年12月12日(土) 18:00―23:00
[会  場]  レンタルキッチンスペース Patia (パティア)

────────── <仕込み・準備>
小社内で、餅つき(機械式餅つき器)、豚汁、餃子の仕込み。
駆けつけていただいたのは、石田さん、松尾Bさん、そして小酒井さん。

小酒井さんは例年「大根おろし係」をご担当されてきたが、ことしはついにセラミック製の「マイピーラー」(野菜皮むき器・百均で調達したらしい)と、毎度差し入れをお願い(無理強い)しているワイン「ラクリマ・クリスティ 通称:キリストの泪」を持参されての参加でした。

しかも例年どおり、ほかの集会(忘年会?)とも重なって、19時には退出されるとのこと。
今年も餅と餃子の完成には立ち会えず、皆さんのために、ただひたすら大根をおろしてくださる小酒井さんなのであった。
DSCN5771 DSCN5774────────── <キッチンスペース Patia にて仕込み継続>
荷物ギッシリ、タクシー二台に分乗して、四ツ屋駅前<キッチンスペース Patia >に18:00ちょうどに到着。
会場ではすでに、小宮山さん、古谷さんらの長老がお待ちかねであった。早速時間のかかる「機械式餅つき器」のスィッチを入れて、長老会員も参加されて調理に取りかかる。
DSCN5788 DSCN5789 DSCN5790 DSCN5795うれしいことに各地の会員からの差し入れも多い。
沖縄会員からは「泡盛」の12年物の古酒と、「うちなーむん」おつまみセット。
大分会員からは「麦焼酎」、新潟会員からは越後銘酒とエゴ。
関西会員からはおつまみ「野菜煎餅」の差し入れ、長野会員からはリンゴ、千葉会員からは落花生。
そして横ちゃんの実家がお茶と海苔やさんなので、いそべ餅用の海苔の差し入れもたっぷりと。
皆さまありがとうございました。
20151126212028183_0001DSCN5765大根おろしの作業をおえた小酒井さんは、三木さん、小林さんらとすでに席について一杯はじめていたが、次次と到着される参加者を加えて、調理班はおおわらわ。
会場壁面には、先日のメキシコ旅行の写真が、未整理なままスライドショーで投影されていた。プロジェクターも常備されており、使い勝手の良い会場だった。またその土産、わが国では市販されていないという「高級? テキーラ」もテーブルにのっていた。
DSCN5798 DSCN5806DSCN5800 DSCN5801 DSCN5807DSCN5809 DSCN5810DSCN5812DSCN5817そうこうしているうちに、平野さん、春田さん、鈴木さん、美登さん、堀内さんらも次次と登場。加久本さんは、会計係・撮影係・調理班の担当で、三角巾姿も凛凛しくまずは腹ごしらえ。
やつがれ、ここで調理班を手伝おうと、十分手洗いもすまして近寄ったら、たれかが
「手伝わなくてもいいから、邪魔はしないで」
のひとこと(おそらくノー学部)。

はいはい、やつがれの特技はどうせ、「動線を塞ぐこと」と、「手伝うつもりが裏目に出て仕事を増やす結果に……」ですよ。
手持ちぶさたなので、加久本カメラが始動するまで撮影担当。
その後、施設のドアがオートロックのため、平野さんをロビーにさそって「メーンドア開閉係」というたいせつな任務をかってでた。実際にはそれを平野さんに押しつけて、もっぱら入口付近の喫煙所で待機。

────────── <うたげ  たけなわ / かたや仕込みはまだまだ続く>
DSCN5822 DSCN5823 DSCN5826 DSCN5820千星さん、鈴木Mさん、上野・栃木・文暢クン、三木さんのアシスタントをされておられる清水さんと、どんどん人数がまし、ようやく田中さん担当の豚汁ができあがる。
新潟会員差し入れの焼き餅は、瞬時に消えていく。ただ「機械式餅つき器」は、煮る・蒸す・搗くの工程があり、まだテーブルにはのらない。

アダナ・プレス倶楽部名物、具だくさん餃子の製造は、具材の練り込み、皮のチネリ、のし、包みと手分けして、ワイワイ賑やかな作業が継続中。

まだ年末進行で追われる若手デザイナーの登場がここまでは少ない。
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ここまであまり料理に手を出さず、ひたすらお酒を楽しんでいた美登さんが、やおら立ち上がり飄然と動きだす。なにをするのかと見ていたら、調理班のうしろ、スタッフの堀内さんの作業、餃子の皮ののしの手つきを黙って見学しただけだった。
席に戻りがけに、赤ワイン「ラクリマ・クリスティ 通称:キリストの泪」を調達して「旨いな~」。
上野・栃木家の文暢クンは到着直後から眼をこすっていたが、お利口にぐっすりとお昼寝。
つまり、要約すると、美登さん、文暢クン、やつがれの三人はまったく働かなかった。

DSCN5856 DSCN5862DSCN5841 DSCN5842 DSCN5844 DSCN5846 DSCN5851 DSCN5855 DSCN5857 DSCN5859お餅のひと臼目は瞬時になくなったようで、ドア係と称して外の喫煙コーナーで煙草をすっていたやつがれにはまったく配給なし。すでにふた臼目がウィ~ンウィ~ンと動いていた。
このあたりで、ほかの集会から駆けつけられた戸叶先生。そして真田さん、日吉さんら、デザイナーの諸君が登場したが、片付け時間間際だったため、皆さん、ふたりに慌てて給仕するのに集中して、彼らの写真を撮るのを忘れてしまったらしい。

22:00からポツポツと片付けに入った。最新鋭の食器洗い機が設置されていたおかげもあって、おもったよりも作業がはやかった。スペースの利用規約で23:00には退出しなければならないため、皆、怒濤の勢いで片付けをこなしてゆく。

毎回、イベントのたびに実感するのだが、このようなときのアダナ・プレス倶楽部の面面の結束力はすごい。会場によってはかなりタイトな撤収時間しか割けない場合もあるが、年齢も経歴もさまざまな、あれだけ個性豊かな皆さんが、一致団結しながらも、とりたてて打ち合わせや指示もなしに、それぞれが自身の役割を自覚してもくもくと動く姿には、うっすらと感動すらおぼえる。

そして皆さん、三三五五つれだってご帰宅に。お別れのご挨拶が、
「佳いお年をおむかえくださ~い」
とあった。やつがれ、まだまだ年内にやらねばならないことが多すぎる。
しかも、この「餅と餃子の忘年会」の報告を急がないと、会場に駆けつけられなかった会員をお待たせすることになる。
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────────── 後日談
12月13日(日)、「餅と餃子の忘年会」の翌日だったが、印刷機出荷の準備のため出社した。お昼のご飯はハンバーグだという。
なにも考えずに、おおきなハンバーグだなぁとおもって口にしたら、昨夜の餃子の具ののこりであった。
おもわず嗤ったが旨かった。餃子とハンバーグが親戚だということをはじめて知った。

どうやら来年の歳末も、手づくり「餅と餃子の忘年会」はつづくらしい。

【Salama シリーズ開発報告】 嗚呼技術者! 円盤形インキディスクは背面主軸のため熱変形 ヒケ オチョコ との苦闘が。研磨まで終えた技術者の笑顔

IMG_0589アダナ・プレス倶楽部の企画・製造による小型活版印刷機 Salama シリーズは精密機械。
すべての Salama シリーズののインキの着肉は、レバーの上げ下げごとに、円形インキディスクがひと刻みずつ回転するセルフインキング方式です。

インキディスクは精度のたかい鋳型でつくられますが、中央部の背面に太い主軸があるために、熱変形 (ヒケ・オチョコ) に悩まされます。
ついで研磨。工場用語では鏡面研磨ですが、ここでも設計図どおりの寸法確保がもとめられます。これらの作業がうまくいったとき、技術者は鏡面にみずからの顔を写し、安堵と満足のとてもよい笑顔をみせます。カメラを向けたら渋面をつくっていましたが・・・・・・。

インキディスクの仕上げはこれで終わりではなく、こののちナント残酷なことに、インキの着肉を安定させるために、角度を切りながら軽く粗め立ての作業がなされてマット調の金属円盤となって完成品となります。IMG_0590

大阪の大同印刷所・大西祐一郎さんを訪問。あらたな、強力な{活版}ルネサンスの拠点。今後東西相携え復興に邁進を念願

大阪の株式会社大同印刷所は1937年(昭和12)の創業。
積極的に UV 印刷などの特殊印刷にとり組む企業として知られ、またまもなく創業八〇年を迎える名門印刷所である。

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その大同印刷所三代目・大西祐一郎さんを12月05日におたずねした。
大西さんは製紙会社に勤務されたのち、三代目を継承され、2010年「なにわ活版研究所」を開設された。
印刷へのこだわりと愛情にあふれたかたで、時間のたつのもわすれて話し合い。
株式会社大同印刷所 公式HP
なにわ活版研究所 ブログ  facebook

<活版ルネサンスフェア 11月27-28日>を終了し、Salama-21A, Salama-LP, Salama-Antiqua 撮影を実施

たくさんのご来場者をむかえて<活版ルネサンスフェア>が11月27-28日に終了した。
そこでのご要望の一部も取り入れて、翌週週末、12月03-04日、小型活版印刷機 Salama シリーズ三機種の撮影が実施された。DSCN5541 DSCN5542 DSCN5546 DSCN5549印特尓名片の印刷機 撮影風景撮影は<Fumikou  Photographer : 上野隆文、Designer : 栃木香織>のユニット。
おふたりはご夫婦でもあり、アダナ・プレス倶楽部のアイドル:文暢クンの両親。
そしてふたりとも新宿私塾修了生で、栃木香織さんは活版カレッジも修了された、いわば肝胆相照らす間柄でした。今回は栃木さんはアシストにまわり、「レフ担」「手タレ代行」と大活躍でした。
それでも本番の撮影は蛍光灯は消し、真剣かつ長時間におよび、その整理をまってカタログづくり、マニュアルづくりと作業が進行します。

うれしいことに小型活版印刷機 Salama シリーズ三機種へのお問い合わせが激増しています。最終価格の発表をふくめ、もうしばしのお時間をいただきます。

播種時を失しかわいそうなことをした/晩夏に咲くトロロアオイが初冬のいま、けなげに、可憐に、つぎつぎと開花中

咲きましたよ、ついにトロロアオイの花が。
空中花壇を改装工事で失ってからガーデニングの楽しみが半減。
ことしは鉢から生えてきた 有毒帰化植物イヌホウヅキ を トロロアオイ と勘違いして八月上旬まで育てていた。
ノー学部に間違いを指摘され、お盆あけにあわてて取り置きの種子を密植状態で播いたが、いかんせん遅きに失した。
それでも肥料・水遣りをかさねたら、蝶も蜂もこない一二月中旬ではあるが花をつけた。
仙台・埼玉・鹿児島にもトロロアオイ育成者がいる。これで皆さんも安心してくれそう。

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【展覧会】 GKグラフィックス30周年企画展

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GKグラフィックスは、1985年にGKインダストリアルデザイン研究所から独立して、今年で30周年を迎えます。またGKデザイングループは去る2月、創設者である榮久庵憲司を亡くし、大きな変革の年ともなりました。
このような中、本展示はGKデザイングループの一員として、私たちがデザインを通して、これからの社会に何を提示していくべきなのかを考える機会としました。

GKグラフィックスは「生活を創るグラフィックス」を理念として掲げ、生き生きとした豊かな生活とはどういうことかを考えてきました。とりわけこの30年は、情報技術や社会構造が大きく変化し、人々の価値観やそれに伴うコミュニケーションのあり方が多様化しています。
コミュニケ ーションデザインの重要性とは、人間にとって変わらない普遍的な幸福感と、時代とともに変わりゆく価値観の調和を模索し続けることだと考えています。

本展示会のテーマである「綾」は、「美しい織物の表情」を語源とし、モノの表面に現れた様々な形や模様を指します。
縦糸と緯糸のバランスをとり、強く美しい織物をつくること、それは様々な 価値を織り込んで人と人を繋げるデザイン行為に見立てられるのではないでしょうか。 展示では、「言語以外のコミュニケーション表現」、「言語表現の可能性」、「共生のバランスを考える」等を、織物の図案を考えるようにアイディアをカタチにして、これからのコミュニケーションデザインの可能性を提案します。

 

【追悼】 20世紀後半のタイポグラフィを主導したひと、アドリアン・フルティガー氏逝去

追    悼
20世紀の壮大な Univers 宇宙をキャンバスとし
鮮烈な Meridien 子午線に軌跡をのこしたひと。
Univers,  Meridien,  OCR – B などの不朽の活字設計をなし
オルリィ空港、シャルル・ド・ゴール空港、パリ地下鉄道の
サインシステムと制定書体を製作し
旧約聖書にもとづいた記号学の進展にもおおきく貢献したひと。
2015年9月10日  スイス・ベルンにて逝去
Adrian Frutiger   1928-2015

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Brief History  -  Adrian Frutiger

◯ 1928年5月24日  スイス・インターラーケンにて生れる。
のちオットー・シェフリー印刷所にて活字植字工となる

◯ 1949-50年 チユーリッヒ工芸専門学校にて力リグラフィを学ぶ
◯ 1951年  同校卒業制作の小冊子『Schrift, Ecriture, Lettering 』が縁で、シャルル・ペイニョ率いるパリのドベルニ & ペイニョ 活字鋳造所に勤務
◯ フランスのドベルニ & ペイニョ 活字鋳造所、ドイツのシュテンペル活字鋳造所ほかから、以下の主要活字書体を発表した

Phoebus (1953),  Ondine (1954),   President (1954), Meridien (1957),  Univers (1956 – 1957), Opera (1959 – 60),  Egyptienne (1960),  Apllo (1964),  Serifa (1967),  OCR-B(1968),  lridium (1975),  Frutiger (1976),   Breughel (1982),  lcon (1982), Versailles  (1982), Centennial (1986)
◯ 1952-60年 パリの美術工芸学校「エコール・エティエンヌ」にて記号学とタイポグラフィ教育に従事
◯ 1954-68年 フランス国立高等美術工芸学校にてタイポグラフィ教育に従事
◯ 1959年  パリ・オルリィ空港のサインシステムと制定書体の製作
◯ 1962年  パリにアトリエを開設(スタッフ:アンドレ・ギュルトレール、ブルーノ・ブフェリ)
◯ 1070年  新設されたシャルル・ド・ゴール空港のサインシステムと制定書体を製作
◯ 1973年  パリの地下鉄道のサインシステムおよび制定書体を製作
◯ 1976年  シャルル・ド・ゴール空港の制定書体を写植活字用に改刻し「フルティガー」シリーズを製作
◯ エール・フランス社のシンボルマークを製作
◯ SNCF(フランス国有鉄道)ロワシィ駅に長さ250mのコンクリート・レリーフを製作(建築:ポール・アンドルー)
◯ 1980年代 この時代には、メリディエン、ユニヴァースなどの主要な書体を、手組活字から、活字自動鋳植機、写植活字、電子活字などのメディア変遷のために、既成活字書体のユニットの再設定や、リデザインに追われた。
◯ 1986年  グーテンベルク賞受賞

◯ 1996年  心臓疾患を患い、その克服後にスイスに住居を移し、ベルン郊外にて製作を継続
◯ 1999年  ドイツ・ライノタイプライブラリー社のために、ユニヴァース・ファミリーの全面改刻を実施。21のファミリーを59へと大幅に拡張した(ディレクター:オットマー・フォーファ)
◯ 2001年  邦訳書『活字の宇宙』(朗文堂)刊行
◯ 2015年9月10日  スイス・ベルンにて逝去。行年87

20151004215520954_0002世界中でひろく使われている本文用活字をかさねてみると、
ある基本的なパターンがもとめられます。
ギャラモンのようにふるい活字では a の下部のカウンターは小ぶりですし
 e の横棒はたかい位置にあります。
しかし、いろいろな活字をかさね合わせるという方法によってみえてくることは、
 a の下部のカウンターが次第におおきくなり、e の横棒が中央に下がってきていることです。
それは文字としての美しさと、文字の判別性 Legibility とのせめぎあいの結果であり
もっとも読みやすいという、文字の
基本的な目的に合致するのです。
                    Adrian Frutiger  [アドリアン・フルティガー]
20151004203352856_0002
左) ヘルマン・ツァップ      1918年-2015年 享年96
右) アドリアン・フルティガー 1928年-2015年 享年87
1998年07月、フルティガーの70歳の祝いと、改刻版ユニヴァースの完成を祝って、ハイデルベルクの古城で開催された祝賀パーティ。会場に駆けつけた、最大のライバルでありよき友人の、ヘルマン・ツァップ氏とかたい握手をかわすふたり。
(ハイデルベルク社主催。写真提供:オットマー・フォーファ。参考:『文字百景62号』)

2015年06月04日、ヘルマン・ツァップ氏が逝去 され、いまだにその気持ちと記録の整理ができかねているところに、2015年09月10日、アドリアン・フルティガー氏の逝去 をご報告するはこびとなりました。
20世紀後半、世界のタイポグラフィを主導されたおふたりは、それぞれ、朗文堂に『ヘルマン・ツァップのデザイン哲学』(ヘルマン・ツァップ著、1995年04月11日、朗文堂)、『活字の宇宙』(アドリアン・フルティガー著、2001年04月11日)の重い存在の著作をのこされました。

ヘルマン・ツァップ氏とは、次著『仮称:活字と夢と』を刊行すべく、双方ともに努力のさなかの逝去でしたから、私家版をふくむほとんどの著作を保存しております。なかんづく2003年に、
「造形者としての、わたしのすべてをまとめてみた …… 」 とされたDVD資料をいただき、ときおり読者の皆さまに公開しております。

アドリアン・フルティガー氏とは、『活字の宇宙』(アドリアン・フルティガー著、2001年04月11日)刊行取り組みでのおつき合いだけでなく、甥のChristoph Frutiger氏の製作による DVD Video<Adrian Frutiger The Man of Black and White>(発行者:Christoph Frutiger)を紹介しただき、四回にわたって朗文堂 タイプコスミイクから販売してまいりました。
後半の二回は、朗文堂/新宿私塾第5期修了生のペートラ・シッファート Prtra Schiffarth さん、河野三男さん、木村雅彦さんのご協力をいただき、翻訳テキストをMACデータで添附しての販売でした。

『普及版 欧文書体百花事典』(組版工学研究会編、朗文堂)には、<Sans Serif 誘目性からから出発し、可読性をめざして-サン・セリフ体の潮流>、<Univers 宇宙に子午線をみたひと-アドリアン・フルティガー>などの項目があり、またアドリアン・フルティガーに関して随所で触れられておりますので、ぜひともご覧いただきたいと存じます。

残念ですが、図書『活字の宇宙』(アドリアン・フルティガー著、2001年04月11日)、DVD Video<Adrian Frutiger The Man of Black and White>ともに、現在は品切れ、販売中止となっています。

《アドリアン・フルティガーとユニヴァースを取りあげつづけた『文字百景』》

DSCN8204『文字百景』全100冊合本。 題字:美登英利、組版フォーマット設計:白井敬尚

『文字百景』は、B6判、中綴じの軽便な冊子で、書物と活字の周辺を風景としてとらえてみよう…… 、そんな企画から1995年06月にスタートし、それから四年半ほどのちの1999年12月、文字どおり100冊の小冊子の刊行・販売をおえて終了したものです。

アドリアン・フルティガーの活字製作者としてのデビューははやく、パリのドベルニ & ペイニョ活字鋳造所から発表された著名な活字書体は、ほとんどが20-30代前半の製作です。
すなわち、まず25歳のとき、デビュー作としてPhoebus (1953)を製作し、 つづいて「水の精」を意味する Ondine (1954),   President (1954) とつづき、Universは、56 年の製作発表、57 年の発売です。
同年に「子午線」の意から名づけられたセリフ書体 Meridien (1957) が発売されたのは、フルティガーはまだ29歳の若さでした。

わが国では、どういうわけかほぼ同時期に製作されたサンセリフ書体の Univers (1956 – 1957) ばかりが喧伝されてきましたが、セリフ書体の Meridien はシャルル・ペイニョ社長のお気に入りの活字書体で、完成直後からドベルニ & ペイニョ活字鋳造所のレター・ヘッドや広報物の中心書体でした。

この『文字百景』が連続刊行されていた20世紀最後の数年、アドリアン・フルティガーはすでに70歳ちかい高齢であり、ひとつのまとめとして、あまりにも拡散し、多様化してしまった<ユニヴァース>の改刻作業にあたっていた時期とかさなります。
そのせいでしょうか、『文字百景』には<フルティガーとユニヴァース>に関する記述が四本みられます。

◯ 『文字百景23  新ユニバースのテンヤワンヤ』(飯山元二 1996年03月)
◯ 『文字百景30  ユニヴァースの誕生秘話・そして再生へ アドリアン・フルティガーに会いました』(坪山一三 1996年12月)
◯ 『文字百景38  パリのタイポグラフィ行脚』(酒井哲郎 1997年03月)
◯ 『文字百景62  電子活字の開拓者 オットマー・フォーファ』(飯山元二 1998年09月)

さいわいなことに、『文字百景30  ユニヴァースの誕生秘話・そして再生へ アドリアン・フルティガーに会いました』(坪山一三 1996年12月)の資料が保存されていましたので、ここにご紹介いたします。
写真は当時の簡便なコンパクトカメラで撮影し、紙焼きプリントでのこされていたものですので、いくぶん不鮮明な点はご容赦ください。

◆    ◆    ◆

ユニヴァース誕生秘話・そして再生へ
アドリアン・フルティガーに会いました
組版工学研究会・坪山一三

初出 : 文字百景 030   朗文堂 December 1996(一部に補整)

このひと、アドリアン・フルティガーに会うのは三度目です。
はじめは、モリサワの書体コンテストの審査員として来日された折、無理をお願いして、ある団体の主催で、講演をしていただきました。そのときは、わたしは裏方で、講演をゆっくり聞くいとまもありませんでした。
結局この団体では、報告書も講演録もまとまらず、記憶の底に沈澱してしまいました。1987 年6 月28 日のことです。
その後、1990 年にパリのフルティガ一氏のアトリエを大勢のタイポグラファといっしょにたずねました。人数が多すぎてアトリエに入りきれないほどで、あまり印象に残りませんでした。
──────────

パリを朝06 時40 分、始発のTGV (新幹線)にのって、スイスのベルンをめざしています。
きょう( 1996年9 月10 日)の午後三時に、フルティガ一氏の自宅をたずねる予定です。

フランスの首都:パリから、スイスの首都:ベルンへの移動です。いかに始発の電車に乗車したとはいえ、当日の午後に異国の首都での面会予定とは、いかにもヨーロッパだなぁとおもいます。

発車してしばらくすると、あわただしかったパリでの三日間のことがおもいだされます。予定ではパリのアトリエを訪れてフルティガーと会う予定で、友人のエルンスト・アパリッチョにパリでのスケジュールの組み立てを依頼していました。
ところが、病を得たフルティガーは、スイスに移転していることをパリでの滞在中にエルンストに告げられ、急遽日程を大幅に組みかえてベルンへ向かっての電車にのっています。

車窓からは早秋の野面に、ぶどう摘みの農夫が働いているのがみえます。途中リヨン駅に停車。ここはふるい印刷・出版の町で、「Museum of Printing and Banking」 のあるところです。
(今回も、ここには結局寄れなかったなァ。またいつかチャンスがあるかな) 。
同行は、河野三男さん、白井敬尚さんです。
河野さんは英会話は練達ですが、これまでの経験で、フルティガー氏が英語での会話はつらそうでしたので、パリ(現在はリヨン郊外)在住の悪友・酒井哲郎に、フランス語での通訳を依頼しました。持つべきものは悪友で、酒井哲郎は面白半分、ベルンまで同行してくれました。

なにはともあれ、ベルンに着いて、ホテルにチェック・インです。急にベルン入りを決めたので、首都とはいえさほどおおきなまちではないベルンでは、見本市の開催とかさなってホテルがいっぱいで、贅沢なことに最高級の五ッ星、駅の真前の「シュワイツァホフ」となりました。ドーンと石造りの格調ある建物です。ちょっと分不相応でなホテルです。

20151004203352856_0005 20151004203352856_0015 20151004203352856_0017ベルンはふかく青い空が、ぬけるように高く晴れわたっていました。まさに爽秋のもっとのよい気候でした。軽く昼食を摂って、ともかくフルティガー邸に急ぎました。フルティガー宅のある Bremga 地区は、タクシーでホテルからきっちり15 分。およそ16 キロの道のりです。

スイス一国の首都とはいえ、ベルンの町はちいさく、もうすっかり郊外にでて、ゆるやかな丘陵がひろがっていました。赤いスレート瓦の建物がならぶ郊外新興住宅地といったおもむきの場所で、タクシー・ドライバーが番地をさがしはじめました。すると白髪の老人が途にでていて、
「オ~イ、ここですよ~」
なんと、にこやかな笑顔の、フルティガ一氏がわざわざ道角にたって迎えてくれたのです。

午後のひざしが、やさしくさしこむスタジオに案内していただきました。庭には黄色と紫の花がおおく、ブルーペリーが実をたくさんつけ、コスモスと藤パカマが、こい紫の花をいっぱいつけていました。建物は木造で、一部二階建の連棟式になっていました。
不朽の名作活字、メリディエン、ユニヴァースをつくり、世界に名をとどろかせたフルティガ一ほどのひとですから、もっと大邸宅とおもっていた ―― と河野さんはいいます。予想に反し、意外につましい家であり、パリ時代のアトリエと同様に北向きの簡素なアトリエでした。

20151004203352856_0010 20151004203352856_0011 20151004203352856_0016それでも周りは草花にあふれ、木のぬくもりのある、やさしい空間でした。壁をびっしりと埋める試作の文字たち。色鉛筆で描かれたパウル・クレーもどきのちいさな素描画も眼をひきます。書棚の図書の一冊一冊、あるいはドベルニ & ペイニョ活字鋳造所時代のパンチ父型(デモンストレーション用)や、メタルタイプも眼を奪います。
しばらく、みんな茫然自失、まったくことばもないという状態でした。気をとりなおして …… 、勇気をふるって持参したお土産を披露します。わたしたちのお土産ですから、それは図書であったり、さまざまな印刷物ですが。

20151004203352856_0005 20151004203352856_0008 20151004203352856_0009 20151004203352856_0013まず、白井さんの研究作品の『 Transitional & modern roman 』と題されたカレンダーです。テクストは日本語なのですが、そこはプロ同士、ふしぎに意志は通います。それをフルティガ一は隅隅まで丁寧にみて、
「とても誠実で、美しいカレンダーです。活字研究のツボを心得た作品だとおもいます。感心しました」
と、にこやかに語る。白井さんはもう耳まで赫くなって、緊張しきっています。
続いて白井さんの
ユニヴァースのレタースペーシングに関する実験作品について、コメン卜をもとめました。その解答は詩のようでもあり、哲学者のつぶやきのように、重みのあることばでした。

「わたしはタイプデザイナーです。つまり瓦づくりの職人で、建築家ではありません。白井さんは建
築家であり、デザイナーであり、このようにすばらしい能力にあふれた、ユニヴァースの組み手です。だからあなたはこれからも自信をもってユニヴァースを組んでください。瓦職人は黙って見守るのです」
おそらく、白井さんのデザイン人生にとって、この瞬間は、もっとも光輝ある瞬間であり、これからもなんらかの迷いに捉われたときに、脳裡をよぎる激励であったとおもいます。

フルティガ一は数年前に心臓を患い、パリのスタジオを閉鎖したということです。現在はベルンの自邸で、アシスタン卜もなしでタイプデザインを続けています。しかし69 歳をむかえ、疲れることもあるのでしょう …… 、スタジオの隅には簡易ベットが置かれ、いつでも横になれるようになっているのも印象的でした。
しかし眸のよさと、勘のするどさ、記憶の確かさはさすがで、わたしたちが用意していた質問にいつも先廻りをしてきます。そのうちに、ゆっくりと、驚愕するようなことを語りだしました。
つまりユニヴァース
の誕生秘話であり、その再生にいたる物語りです。

ユニヴァースの誕生、そして再生へ

わたしがチューリッヒの美術学校の学生のころ、卒業制作のテーマとして、ルネサンスの時代に、ローマの大文字が、どのようにして小文字と併用されて発達したのかを、『Schrift, Ecriture, Lettering 』という名前のジャパラ折りの小冊子に、木版に彫ってまとめたことがありました。
それに注目されたのが、パリのドベルニ & ペイニョ活字鋳造所( DP 社)の、シャルル・ペイニョ社長でした。このひとは眸のすばらしくいいひとでしたね。それが縁で、わたしはパリの14 区のフェリス通りのDP 社に住みこみで働くことになったのです。
20151004203352856_0004そうそう、あなたがたは、きのうまでパリのDP 社の跡をたどっていたんでしたね。あそこにはもうなにも残っていなかったでしょう。あの損保会社のル・マン社が入っているビルの一室で、わたしは寝とまりしていたんですよ。
毎日、毎日、暗室の中で、コンパスや定規を使って、活字母型機械彫刻機(わが国ではベントン彫刻機と俗称する)用のパータン原図をおこすことが、わたしの仕事でした。ボド二、ギャラモン、ディドなどの名作活字をリ・デザインしましたね。とても勉強になりました。

そのころD P 社はルミタイプという、写植機メーカに関係していました。初期のガラス円盤形の電算写植機の会社でしたが、そのルミタイプのヒゴノさんとマ口ーさんが、ドイツやスイスで、サンセリフが流行っているので、ウチもぜひ、ということで、シャルルさんに開発を申しこんだんですね。

そもそもシャルルさんは、まったくサンセリフの活字は好きではなかったですから、マァ、若手のわ
たしに、
「フーツラをもとにして、そんなようなサンセリフ活字を大至急つくれ」
こんな調子で、大雑把なものでした。
おかげで自由にやれたのは、ありがたかったですね。

当然フーツラを分析・検討はしました。しかしあの活字は、あまりに幾何学的で、構成的で、魅力にとぼしくみえました。

ところでわたしは1954 年に「プレジデント」という、大文字だけの活字をつくっています。そして
メリディエン、ユニヴァースとみていくと、おわかりいただけるとおもうのですが…… 、わたしの活字の骨格はひとつだけです。
ヘルマン・ツアップ氏は、力リグラフィのひとです。ですから、ツアップ氏は活字の流れを重視します。そして手の動きはひとつですが、骨格はさまざまです。
わたしは、もともとグレーパー( 彫刻土・Graver )ですし、活字の骨格はひとつだけです。

メリディエンは金属活字のために作った書体ですが …… 、長い文章、読書用にはセリフのある、メリディエンがいいとおもうのですが ――つ まり、読書するひとは、森のなかを散歩するように、あるいは通りぬけるように活字と接します。したがって活字をつくる、書体を制作するということは、たんなる技術ではなく、もっとおおきく、人生そのものなのです。

わたしの人生にとって重要なのは、ローマン体です。ルネサンスのヒューマ二ストの考えは、わたしの考えです。とりわけニコラ・ジェンソンは、わたしの師匠です。
ジェンソンの精神は、わたしの精神
です。
ジェンソンのスピリッ卜は、わたしのスピリッ卜なのです。

東洋のひとであるあなたがたは、よくおわかりでしょうが、物事には陰と陽があります。印刷された黒い部分よりも、残された白い部分が重要です。文字の形象そのものよりも、文字のカウンターや、レタースペースのほうが重要なのです。読書には、白のハーモニーこそ重要だと、すでに15世紀に、ニコラ・ジェンソンは気づいていたのです。

ユニヴァースに関しておはなしすると、もとの形、骨格は55 番で、それはひとつのみです。
それは18 ユニット
でつくりました。
さらにそれをプロジェクターで写して、ファミリーを構築しました。いままでわたしは、
およそ4,500 字ほどのユニヴァースを描いたことになります。
ユニヴァースはもともと写植活字として設計しましたので、金属活字のように、ポイント・サイズごとにパターンを描きわける、つまりサイズごとに視覚調整した(オプテイカル・スケーリング)原字の制作は不要でしたので、ウェイトや文字幅への展開、つまり、あのユニヴァースのファミリー展開は写植活字だから可能だったのです。
金属活字では、口ーマン、イタリック、スモール・キャピタル、数字や約物を描き、そのポイン卜ごとのシリーズを描きわけることで、せいいっぱいですから…… 。
写植の登場のおかげで、ユニヴァースは、 6 種類のウェイトと、 4 種類の字幅( Widths )をもった、 21 書体からなるファミリーの展開ができたのです。
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そうして写植活字で成功したので、イギリスのモノタイプ社が、自動活字鋳植機用の金属活字に展開したのですが、こうした例は1950 年代では、はじめてかもしれませんね。D P社が手組用の金属活字にしたのは、さらにそのあとのことです。
ユニヴァースは、56 年の製作発表、57 年の発売ですので、今年でちょうど40 年になります…… 。
DP 社は1972 年に閉鎖されましたので、ユニヴァースの販売権は、その後、スイスのハース社に、そしてドイツのステンペル社、ライノタイプ・へル社に移っていきました。

現在世界中で、およそ100 社ほどが、さまざまなフォーマットでユニヴァースを販売しています。それはそれで嬉しいのですが、問題がなくはありません。
たとえばユニヴァース85 番は、ドイツ連邦銀行のハウス・スタイルとしてユニヴァースが採用されたため、太いウェイトを ―― ということで、要求があったのですが、至急に欲しいということで、ベルトルド社のギュンター・ランゲ氏が製作したもので、わたしが描いたのではありません。
40 年もたてば、なんでもいろいろな問題が発生するということでしょうか。

同じころに誕生したへルペチカは、いまやカジュアルで、ブルー・ジーンズのように、だれもが使えるものになりました。そこでわたしは40 年ぶりに、ユニバースを手元にもどして、改刻を加えながら、25 番台のUltra light 、35 番台のThin 、85 番台もあたらしくわたしが描いて、Heavy 、95 番台のBlack 、105 番台のExtra Black のファミリーに拡張しようとしています。これで都合59 の新ユニヴァース・ファミリーが誕生することになります。
Jenson Romanの成立 55 Jenson Romanの成立 56
(1472年 ヴェネツィア ニコラ・ジェンソン 図版資料提供:木村雅彦氏

わたしはそれまで、ニコラ・ジエンソン(1420-80 )と、その活字にあまり注目したことがありませんでした 。そこでこのたびのフルティガ一氏の指摘を得て、約30 年後のアルダス・マヌティウスの印刷所の活字と並べて比較してみました。
アルダスは明快で均整がとれて、エックス・ハイトが高めに設計されているのにたいして、ジェンソンは、力リグラフィ的で、どこか不統一で、バランスを失してみえますし、なにより土くさく、泥くさくみえてきます。

さらにアルダスは、ギャラモンやベンボの誕生に、おおきな影響を与えていますが、ジェンソンは、ようやく420年ほどのちに、ウィリアム・モリスによって、ゴールデン・タイプ(1890 )に、エメリ・ウォカーとコブデン・サンダーソンによって、ダブスプレス・ローマン(1899 )に、ブルース・口ジャースによってモンテ一二ュ(1902 )、セントール(1914 )と復刻を得たり、影響を与えたのみで、その系譜は途切れたものと考えていました。

もしかすると、ウィリアム・モリスのゴールデン・タイプの図像ばかりをみせられて、その過剰な中世趣味に醇易して、ニコラ・ジェンソンにおおきな誤解をもっていたのではないかと反省させられました。
しかし、フルティガーの製作による、プレジデント、メリディエンを、ジェンソンを通してみてみると、その影響のおおきさは明瞭になってきます。さらに、うがちすぎかもしれませんが、ユニヴァースにおける素材感や、土くささのようなものも、そこに透けてみえてくるようにおもえてきます。
15世紀インキュナブラのひと、ニコラ・ジェンソンの精神とその造形は、まぎれもなく、20世紀スイスのひと、アドリアン・フルティガーによって継承されていました。

このユニヴァースの改刻の作業は、40 年ぶりに子供が家に帰ってきたようなものですから、それはそれは楽しい作業ですね。ライノタイプ・へル社がパック・アップしてくれています。
同社ではコンビュータのインターポーレーション技術も使って
いますが、わたしは40 年前とまったくおなじ、手の作業で仕事をしています。
わたしたち老夫婦にとって、すでに貯えは十分にありますので不安はありません。ですから、このプロジェクトの報酬は、きわめてわずかなものです。わたしの願いは、よい活字が、ながく存続していくことにあるのです。

以上がフルティガ一氏の語った、ユニヴァースに関するあらましです。あまり著作の中で語られていない事柄も多く、そのひとこと、ひとことが、肺腑をえぐるような重みで迫るものがありました。とりわけニコラ・ジェンソンが、フルティガ一氏のこころの師であると述べたときなど、全身に鳥肌がサァッーと立つような緊張感と、迫力がありました。
もちろん、フルティガ一氏は、フランス語で話された訳であり、酒井
哲郎氏の的確な通訳を得て記録されたものです。このひと、わたしの悪友ですが、まことに名通訳でした。正式に頼むと相当に高いギャラ( らしい)を要求されます。
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宙を翔ぶような、雲のなかをただようような、快い興奮と、感激のときは終わりました。おたが い別れがたいおもいはありました。
最後におもいがけず、フルティガ一氏が、ホテルまで送っていくといいだし
ました。
「ホテルはどちらですか」
即座にわたしたちは、三人で声をそろえて、胸をはって、
「シュワイツァホフです」
今回の旅のなかで、唯一自慢できるホテルなのですから ――。
明日も早起きして、酒井氏はパリに戻り、わたしたちはアルプスを越えて、イタリアへの電車の旅がまっています。

【タイポグラフィ学会】 第三回本木昌造賞受賞者 阿津坂 實氏を発表

阿津坂レタッチ後_1c第3回本木昌造賞
受賞者 
阿津坂 實氏  Minoru Atsusaka
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1915年 9月12日 長崎市うまれ。
1947年 長崎県印刷工業協同組合に入組。1956年設立の長崎県印刷工業組合と双方の事務長、専務理事などを1988年に依願退職するまで歴任。
1975年 長崎県中小企業団体中央会、長崎県商工会議所などからさまざまな事業の委嘱をうけて活動。
2015年 5月 7日 長崎市にて逝去。行年99

主著 : 「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ 本木昌造」『本木昌造先生略伝』 (長崎県印刷工業組合創立四十周年記念/本木昌造先生歿後百二十周年記念、長崎県印刷工業組合、1995年)
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受賞について
阿津坂實氏は、長崎印刷工業協同組合および長崎県印刷工業組合の中枢にあって、原子爆弾による甚大な被害をうけた長崎の印刷業の復興に尽力されてきました。
1953年には、本木昌造銅像再建運動を事務方として開始し、翌1954年、諏訪公園に本木昌造銅像の再建を実現されました。

阿津坂氏は、それまで長崎の各地に収蔵されるにとどまっていた、タイポグラフィ関連資料を再発掘し、目録を製作するとともに、それを広く公開することで、『長崎印刷組合史』、『長崎印刷百年史』の編纂をはじめ、『東京の印刷百年史』、『大阪印刷百年史』、『多摩の印刷史』など、各地の印刷組合や印刷企業の年史編纂のために、長崎の資料を提供されました。また、後続の研究者にも積極的な情報提供とあたたかな支援をつづけられました。

さらに阿津坂氏は、長崎各所にあった、活字版印刷の揺籃期の事業と施設を再検証することで、それらの位置を特定し「本木昌造生家跡碑」、「活版伝習所跡碑」、「新町私塾跡碑」、「福地櫻痴生誕地碑」などの建立にも尽力されました。

1975年には、戦前から長崎にあった「本木昌造頌徳会」を改組改称して「本木昌造顕彰会」を創設し、株式会社モリサワとともに「本木昌造活字復元プロジェクト」を開始しました。長期におよんだこのプロジェクトは、当時の長崎県印刷工業組合理事長:内田信康氏、後進の長崎県印刷工業組合事務局長:岩永充氏らとともに、阿津坂實氏も「NPO法人 近代印刷活字文化保存会」にあって陰助をかさね、その成果は『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』(NPO法人 近代印刷活字文化保存会、2003年)、『活字文明開化―本木昌造が築いた近代』(凸版印刷株式会社 印刷博物館、2003年)の2冊の図書に結実しています。

タイポグラフィ学会は、これらの学術的な功績と社会的な貢献をあわせもった、阿津坂實氏の長年にわたる事績を高く評価し、さらに、ひとえに本木昌造の遺業をかたりつぐことに尽力された阿津坂氏の功績を勘案して、「第3回本木昌造賞」の授賞を決定いたしました。

ところが、授賞の決定をご本人ならびにご家族にお伝えし、長崎での授賞式を計画していた矢先の2015年5月7日に阿津坂實氏は逝去されました。そのためご家族とも協議して、「第3回本木昌造賞授与式」は2015年9月19日におこなわれる東京での「第11回タイポグラフィ学会総会」と併催して、お孫さんおふたりに列席していただくことになりました。

阿津坂實氏のご冥福をお祈りするとともに、本受賞によって阿津坂氏の事績を後世につたえ斯界の発展に寄与することを祈念いたします。
タイポグラフィ学会

【 関連情報 : タイポグラフィ学会 本木昌造賞 /プレスリリースPDF press release-2015-motogi 】

【既刊書再紹介】 戸叶勝也先生、朗文堂刊『ヨーロッパの出版文化史』に続き、朝文社『カール・マイ冒険物語』全12巻第7巻を刊行

ヨーロッパの出版文化史

戸叶勝也 著
B5判 上製本 208ページ 図版多数
定 価 本体4700円 + 税
ISBN4-947613-77-7 C1022

【 詳細情報 : 朗文堂ブックコスミイク    同書目次PDF  】

戸叶先生著 者 : 戸 叶  勝 也 氏

筆者が特に力を入れて叙述した事柄について  著者「あとがき」より 

★ 筆写本の時代と同様に 活字版印刷の時代になっても書体が重視され続けたこと。
★ 活字版印刷術の発明に関する事柄を グーテンベルクの生涯とともに詳述したこと。
★ 新技術の印刷術が ヨーロッパ諸地域に伝播した様子と、代表的な初期印刷者の素描。
★ ルネサンス人文主義と 出版業との密接なつながり。
★ 宗教改革と 印刷物の普及。
★ ヨーロッパ各国語の形成にはたした印刷術の役割。
★ カトリック ・ ルネサンスと出版業の関係。
★ 印刷術と書籍の普及にはたした 書籍見本市のおおきな役割。
★ 17世紀におけるオランダの出版業の発展。
 
【 著 者 紹 介 】
 戸 叶  勝 也 ( とかの  かつや )
1938年  東京都にうまれる
1961年  東京大学文学部西洋史学科卒業
        NHK教育局、国際局(この間ドイツ海外放送勤務)を経て
       現在日本大学経済学部教授。専攻/ドイツ近現代史
 主要著書
『 ドイツ出版の社会史 ~グーテンベルクから現代まで~ 』 ( 三修社 1992年 )
『 レクラム百科文庫 ~ ドイツ近代文化史の一側面 ~ 』 ( 朝文社 1995年 )
『 人と思想 ~ グーテンベルク~ 』 ( 清水書院 1997年 )
『 ハプスブルク家のオーストリア 』 ( 共著  講談社 1982年 )
『 ドイツ啓蒙主義の巨人  フリ-ドリヒ ・ ニコライ 』 ( 朝文社 2001年 )
『 ヨーロッパの出版文化史 』 ( 朗文堂 2004年 )
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現在戸叶勝也氏は、ドイツで百年以上にわたって読み継がれている大作、
『 カール ・ マイ冒険物語 』 全12巻の執筆中です。
このたび『カールマイ冒険物語』第7巻「ブルガリア南部にて」を朝文社より刊行されました。
小社刊行書 『 ヨーロッパの出版文化史 』 とあわせて、ご愛読をお勧めいたします。

20150821162829278_0001発行所 : 朝 文 社
113-0033 東京都文京区本郷3-15-6 秋田ビル
電   話 : 03-3814-5072
メール ・ アドレス :info@chobunsha.co.jp

新宿私塾第26期 いつものとおり、熱く、堅実に、淡淡と開講中です。―― +次期公募状況のお知らせ

私塾26期順調新宿私塾では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 の三領域でバランスのよい学習をモットーとしています。 それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともないます。
この半年のあいだ、塾生の皆さんがおおきな収穫が得られるように、講師陣はもとより、200名を優にをこえた 「新宿私塾修了生」 の皆さんも、精一杯の努力と応援をしています。

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<新宿私塾>第26期は、桜花爛漫の春、04月07日に開講し、06月30日には折り返し点となる第13回講座を終了し、講座の後半部にはいりました。

<新宿私塾>は毎回全25講座が開講されますが、折り返し点をすぎて、塾生同士の交流もさかんで、休憩時間の塾生諸君は和気藹藹としていますし、閉講後ともなると、担当講師をつかまえて、終電になることもしばしばです。

09月開講予定の<新宿私塾>第27期には、すでに定員いっぱいの受講予約がはいっているようです。これ以降のお申し込みはキャンセル待ち、乃至は28期への事前予約を条件として受けつけさせていただいております。

【 詳細 : 朗文堂 タイポグラフィ・スクール 新宿私塾
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【紙の展覧会】 竹尾 見本帖本店展示|アジアン・クリエイティブ・アワード展

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【 紙の展覧会 アジアン・クリエイティブ・アワード展 Postalcard PDF takeo 1.96MB 】

次世代のアジアのクリエイティブシーンを担うクリエイターのための新しいアワード
ASIAN CREATIVE AWARDS > の受賞作品展を開催いたします。
当展では、20ヶ国1,000名、3,000点を超える応募作品より

選ばれたグランプリをはじめとした受賞者の作品が一堂に会します。
ジャンルや国内外の垣根を超えていくパワーに溢れる作品をご堪能頂き、
 勢いを増すアジアのクリエイティブやカルチャーの可能性をぜひご実感ください。

 同時開催
特別展示「ASIAN CREATIVE DATA MAP」
アジアンクリエイティブネットワーク(ACN)の新プロジェクト、アジアの「都市」を
知るためのリサーチプロジェクト「Asian Creative Data Map」が始動。
 各都市のデータを集めたインフォグラフィックを中心に、
アジアを知る手がかりとなるクリエイティブマップが登場いたします。

 アジアン・クリエイティブ・アワード展

◯ 日   時 : 2015年8月7日[金]—9月4日[金]
10:00-19:00 土日祝/休  ※8月7日[金]は17:00まで
◯ 主   催 : アジアン クリエイティブ ネットワーク(ACN)

◯ 共   催 : 株式会社 竹 尾

【 企画詳細 : 紙の展覧会 アジアン・クリエイティブ・アワード展

【会員情報】 ストリングラフィ・アンサンブル2015 繭の色の演奏会

“Ç‚Ý•·‚©‚¹ƒ`ƒ‰ƒV@•Œˆ’è

◯ 日   時 : 2015年08月29日[土] 15:00/18:30(二回公演 開場は開演の30分前)
◯ 会   場 : 全労済ホール/スペース・ゼロ

◯ 出   演 : 水嶋一江/篠原もとこ/KIKU/鈴木モモ/蓮見郁子
◯ 音   楽 : 水嶋一江
◯ 衣   装 : 仲村祐妃子
◯ 料   金 : 大人2,500円 中学生以下1,500円
                   ※全席自由・消費税込。未就学児のご入場はご遠慮ください
◯ チケット : 各所チケットビューロー(詳細参照)

◆「Stringraphy――ストリングラフィ」とは
1992年、作曲家の水嶋一江によって考案されたオリジナル楽器と、その演奏スタイルの総称であり、水嶋によってネーミングされました。
この楽器は、絹糸をもちいた糸電話の原理を応用しており、絹糸の両端に紙コップを取りつけたとてもシンプルなものです。

演奏者が手で擦ったりはじいたりして音を出し、演奏をおこないます。ピンと張られた絹糸は、一本ずつドレミファソラシドに調弦されています。一セット15-22本で、ソプラノ、アルト、ベースの三セットが基本となります。
基本的に長調の音階にチューニングされていますが、曲によってはこのセットに半音階の「Stringraphy」がプラスされることもあります。糸の長さは一番短いもので約1 m、長いものは 約13 m もあります。
会場本体を巨大な弦楽器のようにセッティングすることもあり、その場合、観客はその楽器の内部で演奏を聴くことになります。
◯ 写真撮影 : 田村   収 ―― この公演情報は会員:森 郁男さんから頂戴しました。

【 水嶋一江 プロフィール 】
1964年東京生まれ。桐朋学園大学作曲科卒業。1992年カリフォルニア大学作曲科修士課程修了。帰国後はアコースティックな数多くの実験的現代音楽の作品を発表。
1992年にオリジナル楽器『ストリングラフィ』を考案、八重樫みどりと共にスタジオ・イヴを結成。以来、『ストリングラフィ』を軸とした舞台作品を制作する。1996年から『ストリングラフィ』アンサンブルを結成し、複数の奏者による演奏活動をおこなっている。
1996年にデンマークで初の海外公演をおこなって以来、アメリカ、イギリス、フランス、スペイン、オーストリア、オーストラリア、中国、香港、台湾、韓国、シンガポール、インド、ネパールと海外公演も数多く、新しい日本の音楽として高い評価を受けている。

【 公演詳細情報 : 全労済ホール/スペース・ゼロ 公演案内