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【印刷図書館】 財団創立70周年記念誌『印刷図書館コレクション』刊行/出版パーティー開催

一般財団法人 印刷図書館(理事長:山田雅義)は、2017年03月、財団設立70周年を迎えました。 その記念事業の一環として、『印刷図書館コレクション』(A4判/120ページ、上製本/非売品)を刊行。
20171104004014_00001『印刷図書館コレクション』刊行記念パーティが10月26日[木]一ツ橋如水会館で開催され、多くの来賓と会員が参集しました。
来賓の挨拶につづき、永年にわたって印刷図書館の司書として活躍されている松本佐恵美さんに感謝の花束が贈呈され、会場は華やかなふんいきにつつまれました。

DSCN4503 DSCN4505 DSCN4510 印刷図書館は、印刷及びその関連分野の資料を収集し、印刷技術及び印刷文化の発展向上に寄与することを目的とする専門図書館です。[入会案内
印刷図書館 所在地
〒104-0041 東京都中央区新富1-16-8  日本印刷会館3F
電話 03-3551-0506
FAX 03-3551-0509

【会報誌】 サラマ・プレス倶楽部会報誌 第35号 (Previous 2017 ) 完成 ・ 配布中

サラマ・プレス倶楽部の会報誌
『 Salama Press Club NewsLetter  Vol. 35』 (Previous 2017 )を刊行し
会員の皆さまへ配布中です。

会報誌35号表紙resized『 Salama Press Club NewsLetter  Vol. 35 』 (Previous 2017 )
表紙使用活字 : 36 pt.  セントール〔Centaur〕、 18 pt.  花形活字

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主な内容 (目次) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ 【お薦め情報】
〔映 画〕 The Secret of Kells ブレンダンとケルズの秘密

★ 【お知らせ】
「平野富二 生誕の地」碑 建立 有志会 発足!

★ 【イベント情報】
――メディア・ルネサンス―― 平野富二 生誕170年祭

★ 【レポート】
アルフォンス・ミュシャ(ムハ)と『スラヴ叙事詩』 ―サラマ・プレス倶楽部的 プラハ紀行―

★ 【連載 活字版印刷豆知識35】 活字は小粒でピリリと重い
活版印刷 人物伝⑦ 《15世紀》欧州 ニコラ・ジェンソン

★ 【会員からのお知らせ】
新潟会員 紙漉き「サトウ工房」佐藤徹哉さんからの「良寛と巻菱湖」展報告レポート

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『 Salama Press Club NewsLetter 』 の定期購読をご希望の方は、「 員登録 」と年間登録費の納入をお願いします。
なお、毎号バックナンバーの在庫がございませんため、 会報誌の配布はお申込みの次号からとなります。ご了承ください。

【 会員登録/会報誌のご紹介 Summary 】 { 文字壹凜 Summary

【良書紹介】 カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く── 全12巻完結 カール・マイ著・戸叶勝也訳 朝文社刊

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カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く

ドイツの国民作家 カール・マイ。
ドイツでは聖書につぐ発行を記録した波瀾万丈の物語。
没後100年を経て「カール・マイ冒険物語」全12巻日本語訳全12巻完結
中東、オリエント地域の風土、民族、習慣も冒険物語のなかでわかる
面白さとテンポのあるストーリー展開に魅了される

『カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く〔12〕 アドリア海へ』
カール・マイ著 戸叶勝也訳
四六判
定価:本体2,480円+税
朝 文 社
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〔著者紹介〕
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戸叶勝也(とかの かつや)
著者1938年 東京に生まれる。
1961年 東京大学文学部西洋史学科卒業
NHK 教育局、国際局(この間ドイツ海外放送勤務)、日本大学経済学部教授
を経て、現在同大学元教授。専攻:ドイツ近現代史


主要著書
『ドイツ出版の社会史~グーテンベルクから現代まで~』(三修社1992年)、『レクラム百科文庫~ドイツ近代文化史の一側面~』(朝文社1995年)、『人と思想~グーテンベルク~』(清水書院1997年)、『ドイツ啓蒙主義の巨人フリードリヒ・ニコライ』(朝文社2001年)、『ヨーロッパの出版文化史』(朗文堂2004年)

主要訳書
『ギリシア・ローマ時代の書物』(朝文社2007年)、『シュメール』(アリアドネ企画1998年)、『オスマン・トルコ』(アリアドネ企画1998年)、『ヴァイキングの足跡』(共訳、アリアドネ企画1997年)、 『ノルマン民族の秘密』(共訳、佑学社1977年)、『ヒッタイト帝国』 (共訳、佑学社1979年 『カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く全12巻』(朝文社2017年)ほか
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〔カール・マイ冒険物語 刊行を終えて-戸叶勝也〕
「カール・マイ冒険物語 ~オスマン帝国を行く~ 第12巻アドリア海へ」は、私か翻訳してきたシリーズ全12巻の最終巻に当たります。
この12巻には、巻末の訳者あとがきに、「カール・マイ没後百周年記念行事」に参加した後でネット誌に寄稿した記事を再録して載せました。
また特別企画として、中東ジャーナリスト勝又郁子さんとの対談「マイの物語と中東世界の現実」を載せました。これらをぜひお読みくださるようお願い申し上げます。

ところでこのドイツの冒険作家カール・マイの存在を、私は1970年代の前半に、当時の西ドイツのケルン市にあった『ドイツ海外放送』の日本語番組で仕事をしていた時に知りました。
それ以来かれこれ40年以上になりますが、帰国後、1977年から1981年まで、東京のエンデルレ書店から、「カール・マイ冒険物語」のオリエント・シリーズ第1巻-第4巻を刊行しました。その時も私の計画では全12巻の長いシリーズを翻訳し、順次刊行していくはずでしたが、出版社側の都合で、第4巻で打ち切りとなりました。

訳者としては大変残念な気持ちで、それ以後も翻訳作業は、本業(大学での授業その他の業務)の傍ら続けてまいりました。そして2012年になって、今回のシリーズ「カール・マイ冒険物語 ~ オスマン帝国を行く」全12巻を刊行することを、朝文社の渡部社長が引き受けてくださいました。
この朝文社からはそれに先立つ2011年10月に、私か書いたカール・マイの評伝『知られざるドイツの冒険作家カール・マイ』が刊行されました。それに続いて作品の翻訳刊行が続けられ、今回全12巻が完結した次第です。

第12巻をお読みくださり、興味を持ってくださった方々には、是非そのほかの巻もお読みくださるようお願い申し上げます。そして感想などがありましたら、下記にお寄せいただければ、幸いです。
2 0 17年5月
戸叶 勝也
154-0021 東京都世田谷区豪徳寺2-19-3
メール : katsuya.tokano*jcom.home.ne.jp   〔*→ @〕
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{新宿餘談}
このたび戸叶勝也先生が、『カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く〔12〕 アドリア海へ』(朝文社刊)をもって、同書全12巻の刊行を完結されました。
同書に向けた40年余のご精進に多大なる敬意を表明するとともに、皆さまのご愛読をお願いいたします。
同書の詳細は 朝文社URL にて閲覧できます。また紀伊國屋書店新宿本店(03-3354-0131)、八重洲ブックセンター(03-3281-1811)の両店にて常備図書となっています。
なお戸叶勝也先生は、朗文堂でも『ヨーロッパの出版文化史』を刊行されておられます。
併せてのご愛読をお願い申しあげます。 

◯ 朝文社URL         http://www.chobunsha.co.jp/index.html
◯ 朗文堂ブックコスミイク  http://www.ops.dti.ne.jp/~robundo/Bbunkashi.html
◯ 朗文堂文字壹凜まとめ  http://www.robundo.com/robundo/ichirin/?s=%E6%88%B8%E5%8F%B6%E5%8B%9D%E4%B9%9Fヨーロッパの出版文化史

【「平野富二生誕の地」碑建立有志の会】 「平野富二生誕の地」確定根拠を発表

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平野富二の生前に発行された東京築地活版製造所編纂『長崎新塾活版所東京出店ノ顛末 並ニ 継業者平野富二氏行状』によると、「平野富二氏、幼名ハ富次郎、長崎ノ士人、矢次豊三郎ノ二男、……、弘化三年丙午八月十四日、長崎ニ於テ生ル。」とある。

平野富二の生家である矢次ヤツギ家の記録「矢次事歴」によると、1874(明治7)年4月に記録された矢次家の住居表示は、第一大区四ノ小区引地町50番地となっている。

矢次家の始祖矢次関右衛門は元大村藩士で、故有って浪人となり長崎に移り住んでいたところ、正徳3年(1713)、空席となった町使役を仰せ付けられた。のちに町使は町司と表記されるようになるが代々世襲して、父豊三郎は矢次家八代目として町司を勤めていた。

町使長屋は、寛文3年(1663)、現在の引地町ヒキヂマチに初めて建てられたが、宝暦5年(1755)に類焼したため建て替えられた。以前は11軒(戸)だったものが13軒(戸)となって、2軒(戸)が追加された。このことは「引地町町使長屋絵図」〈添付資料1  長崎歴史文化博物館所蔵「長崎諸御役場絵図」第一巻〉に記載されている。

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添付資料1
上図:「長崎諸御役場絵図」第一巻、長崎歴史文化博物館所蔵
下図:上図の白枠部分の拡大図
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添付資料1 は焼失後に建て替えられた町使長屋の絵図で、2棟ある長屋の各軒(戸)に入居名が記載されている。絵図で右側に描かれている長屋の右端から二番目に「矢次」と明記されている。

焼失前の町使長屋の絵図も別途存在するが、それには「矢次」の名前はどこにも記載されていない。そのことから、矢次家が引地町の町使長屋に入居したのは、建て替えられて2軒(戸)が追加されたときの1軒(戸)に入居したと見られる。

引地町町使長屋の位置は、明和年間(1765年頃)に作成されたと見られる『長崎惣町絵図』〈添付資料2 長崎歴史文化博物館所蔵〉に「町使屋舗」と表示されている。
くだって嘉永3年(1850)に再板された『長崎明細図』〈添付資料3 長崎勝山町文錦堂刊〉には、その位置に「丁じ長や」と明記されている。嘉永三年(1850)は平野富二が数え年五歳であることから、引地町にある町使長屋が平野富二の生誕の地であると見ることができる。

w21_引地町町使長屋国立公文書館『長崎諸役所絵図』より「引地町町使長屋」

添付資料1と類似の絵図が国立公文書館所蔵の「長崎諸役所絵図」に含まれている。その絵図を現在の長崎法務局の「国土基本図」に重ね合わせて合成し、「町使屋鋪」と表示した地図〈添付資料4〉が、布袋厚著『復元! 江戸時代の長崎』に掲載されている。
それには現在の勤労福祉会館の建物などに重ね合わせて町使屋舗が描かれており、それによって矢次家の在った場所を確定することができる。 以上

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上図:「長崎惣町絵図」明和年間制作、長崎歴史文化博物館所蔵

下図:上図の白枠部分の拡大図
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上図:「長崎明細図」嘉永3年(1850)再板、長崎勝山町文錦堂刊

下図:上図の白枠部分の拡大図
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◯ 添付資料4
『復元! 江戸時代の長崎』布袋 厚 著から引用

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〈備考〉平野富二生誕の地 位置確定目安
引地町町使長屋は、7戸建てと6戸建ての2棟の長屋が引地町筋の道路に面して建てられており、この2棟の長屋は本大工町筋に抜ける道路によって隔てられている。

添付図2によると、矢次家のある7戸建て長屋が建てられている敷地は、前面道路に沿って長さ27間(当時、長崎では六尺五寸を一間としていたことから、これを換算すると約53.1メートルとなる)と表示されている。1戸当たりの幅は平均約7.6メートルとなる。

焼失前の「町使町絵図」(添付省略)によると、同じ敷地と見られる場所にある6戸建て長屋には、5戸が間口5間、一戸が4間と表示されている。長屋内に路地は設けられていないので、長屋の全長は29間となる。添付図2とは2間の差があるが、その理由は不明。この「町使町絵図」には「矢次」の名前はない。

添付図1では、各戸はすべて間口が3間と表示されており、これとは別に前面道路から裏庭に通じる路地が7戸建て長屋では4本ある。その内、2本の路地には途中に井戸があり、他の2本の路地には井戸はないので同じ幅とは限らない。路地の幅は明記されていないので、長屋全体の長さ(間口)は不明である。

敷地の北東に隣接する窪地に現在建てられているビルの境界が当時と同じとすれば、境界を基点としてほぼ8メートルから15メートルの間が矢次家居所跡、すなわち平野富二生誕の地の目安となる。
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〈参考〉添付資料1の左側添え書き

【原文】
此図元長崎奉行所支配普請方用屋敷所蔵也明治維新後故西道仙翁得本図十襲不措後與故長崎區長金井俊行氏謀模寫本図納諸長崎區役所以便研究者焉 大正二年 月及翁歿余請得本図於其嗣某氏分為弐巻施装訂就明嶽道人有馬祐政先生龍江深浦重光先生求其題字以備座右

巻中所在自政所衛門至陣営望台米廩等凡四拾有弐図(全長約拾弐間、上下弐巻)奉行所幷管掌町悉載焉 實長崎史研究者必須之図也
大正四年孟春下沈      鶴城 福田忠昭識

【現代文】
この図は、元長崎奉行所支配普請方の用屋敷に所蔵されていたものである。明治維新の後、故西道仙翁が本図を得て大切に秘蔵して手放さなかった。後に故長崎区長金井俊行氏と相談して本図を模写し、長崎区役所に納めて研究者の便とした。大正二年 月、西翁が没し、私はその嗣者である某氏から本図を得た。分割して二巻とし、装丁を施し、明嶽道人有馬祐政先生に従って龍江深浦重光先生にその題字を依頼し、座右に備えた。
巻中には、政所・衛門から陣営・望台・米蔵などに至るまでおよそ四十二図(全長約十二間、上下二巻)があり、奉行所と管掌する町がことごとく載せてある。実に、長崎史研究者にとって必須の図である。

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【タイポグラフィ学会】 第12回 タイポグラフィ学会 総会 が終了しました

2016-Sokai{タイポグラフィ学会事務局}
去る9月25日日曜日「第12回 タイポグラフィ学会 総会」を開催、無事に終了いたしました(会場:学校法人 専門学校 東洋美術学校)。
総会の討議ではタイポグラフィに関する学術的な研究や活動を支えるべく、より充実をはかることを具体的な提案をもって議論や意見交換がされました。
今年度は「タイポグラフィ学会誌」09、 10号の刊行、論文発表会などが計画されております。
【 詳細 : タイポグラフィ学会 】

【活版カレッジ】 2016年秋期活版カレッジ 9月8日開講 受講生一名様限定募集

活版カレッジ講習風景 活版カレッジ活版カレッジ>は、身体性がもたらす造形精神とそのよろこびをおもくみています。
そのために、科学と、学術的根拠にもとづいた実技と実践を基盤とし、小型活版印刷機 Salama-21A を中心として、小型活版印刷機 Salama シリーズ によるケーススタディ ・ メソッドをふんだんに駆使し、あたらしい時代の活版印刷の現場での、現実的な課題の解決方法を学ぶことを目的とします。
──────────
ひさしぶりに「活版カレッジ」の事前予約に一名様のキャンセルがありました。
定員に空きが出ましたので一般公募をいたします。
<秋期活版カレッジ>以降は、来年度からの受講となりますので、これを機に
ぜひ受講をおすすめいたします。
なお、お申し込みは先着順とさせていただきます。

[お申し込み・お問い合わせ]
朗文堂 サラマ・プレス倶楽部  メール:salama@robundo.com

2016年秋期「活版カレッジ」 9月開講
木曜日(夜間部) 19:00-22:00 (時間超過の場合も有)
3 ヶ月(毎月3 回、全 9 回) 定員 4 名
受講料 72,000円(税込)

09月08日(木)  活字版印刷概論
09月15日(木)  和文端物組版
09月29日(木)  文選
10月06日(木)  和文ページ物組版
10月13日(木)  和文と欧文の違い
10月20日(木)  欧文書体の歴史
11月10日(木)  欧文スペーシング
11月17日(木)  多色刷り 1
11月24日(木)  多色刷り 2

【会員情報】 大阪芸術大学 文芸学科 活版印刷教育本格スタート - デジタルの時代に「刷る」楽しみを

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デジタルの時代に、「刷る」楽しみを。

デジタルプリントが主流の現代において、活版印刷物の凸凹やインクのにじみといった質感が注目されています。
そんな背景もあってか、オープンキャンパスにおける文芸学科の展示のなかでも、ひと際人気を集めたのが、この活版印刷機です。

当日は、珍しい印刷機を展示するだけでなく、その場で名刺印刷を体験できるコーナーを展開。活字と呼ばれるハンコのような字型を選び、印刷機にセット。ハンドルをガシャンと下ろせば、名刺に自分の名前が印刷される、という仕組みです。シンプルな工程ですが、完成した名刺は、世界で一枚だけのいわばオリジナル作品。昔ながらの独特の味わいを持ったこの〝お土産〟を、参加者は大事そうに持ち帰っていました。

【 詳細情報 : 大阪芸術大学 文芸学科 活版印刷 】
op2016_03[1] pic_01[1] pic_01[2] pic_02[1]大阪芸術大学 文芸学科での活版印刷機器の購入は数年前から着実に前進していました。担当教員は 福江泰太教授
福江先生は図書の原典を探るべく、数年前に「活版カレッジ」を自ら受講されるとともに、小型活版印刷機 Salama-21A と、和文活字を中心に設備され、授業では文選、植字、印刷をきちんとマスターするように指導しておられます。

大阪芸術大学 文芸学科ではさらに講座の充実をはかり、Salama-Antiqua のような「はがき倍版」の印刷機の導入をはかるとともに、「印刷・製本演習」という科目のスタートが計画されています。
大学教育機関での活版印刷講座があちこちで計画され、小社アダナ・プレス倶楽部は積極的にお手伝いさせていただいておりますが、外部スタッフや助手任せの大学より、やはり常任教員ご自身が自らとり組まれると、無理と無駄無く、スムーズに企画構成がすすむようです。

どうなっているの? すこし強引すぎませんか <MicrosoftではWindows 10へのアップグレードをお勧めしています>

スクリーンショット OS10パソコンのことなどはあまり話題にしたくないが、月曜朝からチョイと不愉快。
選択肢のない画面がディスプレー中央にドカンとでてきて消えない(容易には消せない)。
前から類似の情報がわき出ていたが「×」で退散していた。パソコン管理会社からは周辺機器、アプリソフトとの整合性に問題があり、アプデは当面止めてほしいと通知もあった。
XPからなかば強引に2020年までのサポート保証でWindows 7にした(された)が、今度の選択肢のない画面は強力で、追放退散すなわちアプデ勝手に実行らしい。結局なんとか退散させたが、この騒ぎに30分余もかかった。
国産機愛用でPCにしたが、OSが米国製だとこれだからなぁ。

【時事通信】 民進党が党のロゴマークを決定

AS20160510004575_comm[1] 0160510at52_p[1]民進党は5月19日、党のロゴマークを決定した。青と赤の2本のラインで党名の頭文字である「M」をかたどったデザイン。岡也代表は記者発表で「躍動感のある良いマークだ。(有権者に)しっかり浸透できるよう努力したい」と語った。
インターネットの意見募集では「三重県の菓子メーカーのロゴに似ている」との指摘もあったが、同県選出の岡田氏がメーカーに電話し、「問題ない」との回答を得たという。(2016/05/19-10:07

【会員情報】 世界遺産の地/鹿児島仙巌園・尚古集成館にて Salama-21A 小型活版印刷機いよいよ始動

DSCN7235薩摩藩主・島津家の別邸「仙巌園 センガンエン」(鹿児島市吉野町)は大型連休中の5月5日、活版印刷のイベントをおこなうことを発表しました。
西欧の活版印刷技術とふかいつながりを有する薩摩藩の歴史を知ってもらう。参加者を募集している。

日本の近代活版印刷は明治初期、長崎で実用化されたとされるが、それに先立つ幕末の1864年、薩摩藩主・島津斉彬に依頼された江戸の木版士・木村嘉平が、鉛やろう石活字の鋳造に成功したという。型となる種字や印刷機などは仙巌園の尚古集成館に所蔵され、1998年に国指定重要文化財となっている。
同園では「鹿児島と活版印刷は深いつながりがあることは意外と知られていない。こどもから大人まで楽しめるので試してください」と来園を呼びかけている。
読売新聞 2016年4月28日 鹿児島地域版

【東京五輪】 エンブレムは野老朝雄氏の組市松紋に決定 森山明子氏の論評を紹介

2020年東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムは、野老トコロ朝雄氏の組市松紋に決しました。
それをうけて『オリンピックとデザインの政治学』の共著者、森山明子氏が『読売新聞』(文化欄 04月26日)に「五輪エンブレム決定」とされる論評を発表されました。
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五輪新エンブレム _MG_4319 コピー ~ 01オリンピックとデザインの政治学rs

【速報】 東京五輪エンブレム「A案」に決定 大会組織委 市松模様に特徴

五輪新エンブレム2020年東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は25日、公式エンブレムの最終候補四作品を審査した結果、市松模様をモチーフにした「A案」を採用することを決定した。
A案の作品コンセプトは「組市松紋」。
江戸時代に広まったデザインを日本の伝統色である藍色で表現し、形の異なる図形の組み合わせることで「多様性と調和」を表したという。

組織委のエンブレム委員会(委員長・宮田亮平文化庁長官)は25日午前から最終審査を行い、21人の委員の過半数の支持を得たA案を選定。その後開かれた理事会で承認され、公式エンブレムへの採用が決まった。

公式エンブレムは昨年7月、アートディレクターの佐野研二郎氏のデザインがいったん採用されたが、同年9月に白紙撤回。限られたデザイナーらによる不透明な選考過程に批判が集まったことから、再選考では応募資格を一般に開放した。
応募作品は1万4599作品にのぼり、4作品に絞った後は、ネットやはがきで国民から意見募集していた。
日本経済新聞 速報

 

【展覧会】 恩地孝四郎展/東京国立近代美術館 会期末迫る & 恩地家三代公式記録 multirhythm WebSite紹介

国立近美恩地孝四郎展日本における抽象美術の父にして木版画近代化の立役者、そして時代に先駆けたマルチクリエイター恩地孝四郎、過去最大規模の回顧展。
日本で最初の抽象表現《抒情『あかるい時』》はもちろん、海外美術館所蔵の重要作62点を含む約400点を一挙公開します。
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日本における抽象美術の先駆者であり木版画近代化の立役者でもある恩地孝四郎の、20年ぶり3回目、当館では実に40年ぶりとなる回顧展です。

恩地は抽象美術がまだその名を持たなかった頃、心の内側を表現することに生涯をかけた人物です。
彼の創作領域は一般に良く知られ評価の高い木版画のみならず、油彩、水彩・素描、写真、ブックデザイン、果ては詩作に及ぶ広大なもので、まるで現代のマルチクリエイターのような活躍がうかがえます。
本展では恩地の領域横断的な活動を、版画250点を中心に過去最大規模の出品点数約400点でご紹介いたします。

また見逃せないのは、里帰り展示される62点。戦後、特に外国人からの評価が高かった恩地の作品は、その多くが海を渡っていきました。
本展では海外所蔵館(大英博物館・シカゴ美術館・ボストン美術館・ホノルル美術館)の多大な協力のもと、現存作が一点しか確認されていない作品や摺りが最良の作品など恩地の重要作をご覧いただきます。
【 詳細 : 東京国立近代美術館
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この 【展覧会】 恩地孝四郎展 ―― 形はひびき、色はうたう 東京国立近代美術館 に関する情報は、東京国立近代美術館からの情報をもとに、本コーナーには02月08日に紹介した。
その際別途に、恩地孝四郎嫡孫・恩地元子様からも封書で、長文の文書と招待券を頂戴していた。
忙しさに取り紛れて文書をじっくり拝読していなかったことが悔やまれるが、とても貴重な資料をご提供いただいていたことを改めて確認したのでここに皆さまにご紹介したい。

恩地家三代――恩地孝四郎(1891-1955)、恩地邦郎(1920-2001)、恩地元子(現当主)は、いずれも東京藝術大学にまなび、才能と個性と造形力がゆたかなかたばかりであるが、やつがれは荻窪の恩地邸にしばしば押しかけ、恩地邦郎氏とそのご夫人展子様にたいへんお世話になった。

恩地孝四郎は1935年(昭和09)04月創刊の『書窓』(アオイ書房、志茂太郎)の第一号から1944年06月、志茂太郎が官製の国民運動「変体活字廃棄運動」に抵抗したため、強制疎開によって郷里の岡山に帰郷したための終刊号、『書窓』(第17巻第05号、通巻103号 日本愛書会書窓発行所)まで、一貫して編輯・執筆・造形・装本にあたっていた。
つまりやつがれは、わが国における近代版画家、抽象絵画の祖としての恩地孝四郎ではなく、印刷・出版人としての恩地孝四郎像を追っていた。

アオイ書房/志茂太郎と、『花あしび』(堀辰雄、2000年10月06日、朗文堂)の刊行を企画していたころ、堀辰雄関係の知人の紹介を得て、荻窪の恩地邸(遠藤 新 アラタ 設計)をはじめて訪問したのは、恩地邦郎氏が長年にわたった明星学園での教職をはなれた直後のことであり、おそらく1990年ころであったとおもう。
恩地邦郎氏ご夫妻はこころのあたたかなかたで、いつも居間でくつろぎ、展子夫人のピアノ演奏もたのしませていただいた。
やがて当時の「金曜かい」の若手の諸君(いまは50代初頭の中年になっているが)も恩地邸に押しかけるようになり、お庭のアカンサスを愛で、孝四郎氏と邦郎氏の二代にわたるアトリエや、入口の書庫の隅隅までも拝見させていただいた。

それからは、毎年のように銀座の画廊で個展を開催されたので、そこでお会いしたりしていたが、ご著作『随想 春の雪』(恩地邦郎、1997、ぶんしん出版)を頂戴した。それからまもなく2001年に行年81をもって恩地邦郎氏は逝去された。
近年になり、宇都宮美術館の企画で<恩地孝四郎邸見学会>があり、そのグループの一員として、やつがれと大石とで懐かしい荻窪の恩地邸をおとづれた。
およそ15年ぶりほどの訪問であったが、恩地家第三代・恩地元子様が、故邦郎・展子ご夫妻とほとんど変わらぬ笑顔で、隅隅まで恩地邸をご案内されていた。
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前置きがながくなった。恩地家三代 ―― 恩地孝四郎(1891-1955)、恩地邦郎(1920-2001)、恩地元子(現当主)の三人の活動について、お知らせ、報告するWebSiteが開設されている。

URL :  multirhythm

管理・運営は恩地元子氏によるもので、いわば恩地家公式WebSiteといえるものであるが、とても丁寧なつくりこみがなされており、情報も正確でゆたかである。
初代・恩地孝四郎の歿後60年余、二代・恩地邦郎の歿後15年余のときが経過した。ともすると記憶はしだいに鮮明さをうしない、精度を欠くようになる。
このWebSiteの誕生を欣快とし、皆さまにご紹介するゆえんである。

恭賀新禧 萬事如意 香港商務印書館 毛 永波さんから{春節祝い}のカード到着

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左) 李 晨光( 中華書局  デジタル出版センター主任 ) 右) 毛 永波( 商務印書館〔香港〕有限公司 取締役 ・ 副編集長 ) 2015年04月03日 於:朗文堂

◎ 毛 永波 さん  香港商務印書館 取締役・副編集長
商務印書館は中華人民共和国の代表的な印刷会社 兼 出版社。
上海租界(外国租借地)にあった米国美華書館(American Presbyterian Mission Press)の職員であった、夏 瑞芳、鲍 咸恩、鲍 咸昌、高 鳳池ら四人が、米国籍の長老会牧師 George Field Fitch ( 中国表記 : 費啓鴻、1845-1923 ) の支援をえて、1897年(清朝光緒期 ・ 明治30 ) 02月11日に上海において設立された。
現在は本社を北京王府井におき、支社網を全土に置き、商業印刷にとどまらず、総合出版 ・ 印刷所として中国第一の規模をほこる。
【 関連情報 : [お客さまご訪問]中華書局:李 晨光氏、商務印書館(香港):毛 永波氏

【展示会】 page2016 「未来を創る-メディアビジネスの可能性を拡げる」 JAGAT 日本印刷技術協会

page2016

page2016  開催概要
◯ 開催期間   2016年2月3日(水)-5日(金)
◯ 場   所 サンシャイン コンベンションセンター
◯ 主   催 公益社団法人 日本印刷技術協会
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page とは
page 展は1988年の開催以来、2016年で29回目を迎える印刷メディアビジネスの総合イベントです。
page2016 のテーマは「未来を創る」
前回の page2015 でのテーマ「変わるニーズ。変わるビジネス。」の解決編の意味も含んでいます。
印刷ビジネスへのニーズがどのように変わったのか? どのようにビジネスを変えていかなければならないのか? を具体的に捉え、実際のビジネスとしてどのように対処するかを示唆します。
JAGATでは発刊した「未来を創る」をテーマに印刷業の未来について考えてきましたが、その集大成として page2016 をお届けします。

戸叶勝也先生 カール・マイ冒険物語 オスマン帝国を行く 全一二巻第八巻『バルカン峡谷にて』 戸叶勝也訳 朝文社より刊行

戸叶先生
もうアダナ・プレス倶楽部の皆さんとは、<活版礼讃 Viva la 活版 Let’s 豪農の館>、<餅と餃子の忘年会>などですっかりお馴染みの 戸叶勝也 先生。
重厚かつ温厚なお人柄で、いつも楽しそうに各種のイベントにご参加されておられます。

20160105182918570_0001現在戸叶勝也先生は、ドイツで百年以上にわたって読み継がれている大作『 カール ・ マイ冒険物語 』 全12巻の翻訳執筆中。
このたび『カールマイ冒険物語』第08巻「バルカン峡谷にて」を朝文社より刊行されました。
小社刊行書 『 ヨーロッパの出版文化史 』 とあわせて、ご愛読をお勧めいたします。


◯ 発行所 : 朝 文 社
◯ 住   所 : 113-0033 文京区本郷三―一五―六  秋田ビル

◯ 電   話 : 03-3814-5072
◯ メール : info@chobunsha.co.jp

【会員情報】 日吉洋人さんが武蔵野美術大学助手展に出展。作品はビアトリス・ウォードの格言{This is a Printing Office}

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2015年武蔵野美術大学助手展に、同大学基礎デザイン学科助手として勤務されている日吉洋人さんが活字版印刷による作品を発表されました。
タイポグラフィをクリスタルゴブレットでたとえたビアトリス・ウォード(1900-69)の著名な格言 「 This is a Printing Office 」 がテーマです。
このレリーフは米国政府印刷所のエントランスホールに設置されています。また拙訳ながら邦訳が「タイポグラフィ格言集/ここは印刷所なり」にあります。
日吉洋人さんの益〻のご活躍に期待いたします。

アダナ・プレス倶楽部歳末恒例 手づくり<餅と餃子の忘年会>開催

本項はスライドショーで画像をお楽しみいただけます。

ここ数年、アダナ・プレス倶楽部、活版カレッジ修了生を中心として、小社の限られたスペース内でこじんまりと続けていた「餅と餃子の忘年会」。
それが年年メンバーも増えて、小社内のスペースでは納まりきれなくなってきた。

なにも手づくりにこだわらず、どこか庶民的な飲食店での開催も可能とおもえるが
そこは身体性のある物づくりをおもくみるアダナ・プレス倶楽部のことゆえ
活版印刷も調理もともに造形活動のひとつと見ているから例年おお騒ぎになる。
そんな折、小社からほど近い四谷駅前に、手頃なレンタルキッチンスペースがオープンしたので、今年はそのひとつ  < レンタルキッチンスペース Patia >を借りて
恒例の「餅と餃子の忘年会」が開催された。

朗文堂 アダナ・プレス倶楽部 手づくり<餅 と 餃子 の 忘年会>
[日  時]  2015年12月12日(土) 18:00―23:00
[会  場]  レンタルキッチンスペース Patia (パティア)

────────── <仕込み・準備>
小社内で、餅つき(機械式餅つき器)、豚汁、餃子の仕込み。
駆けつけていただいたのは、石田さん、松尾Bさん、そして小酒井さん。

小酒井さんは例年「大根おろし係」をご担当されてきたが、ことしはついにセラミック製の「マイピーラー」(野菜皮むき器・百均で調達したらしい)と、毎度差し入れをお願い(無理強い)しているワイン「ラクリマ・クリスティ 通称:キリストの泪」を持参されての参加でした。

しかも例年どおり、ほかの集会(忘年会?)とも重なって、19時には退出されるとのこと。
今年も餅と餃子の完成には立ち会えず、皆さんのために、ただひたすら大根をおろしてくださる小酒井さんなのであった。
DSCN5771 DSCN5774────────── <キッチンスペース Patia にて仕込み継続>
荷物ギッシリ、タクシー二台に分乗して、四ツ屋駅前<キッチンスペース Patia >に18:00ちょうどに到着。
会場ではすでに、小宮山さん、古谷さんらの長老がお待ちかねであった。早速時間のかかる「機械式餅つき器」のスィッチを入れて、長老会員も参加されて調理に取りかかる。
DSCN5788 DSCN5789 DSCN5790 DSCN5795うれしいことに各地の会員からの差し入れも多い。
沖縄会員からは「泡盛」の12年物の古酒と、「うちなーむん」おつまみセット。
大分会員からは「麦焼酎」、新潟会員からは越後銘酒とエゴ。
関西会員からはおつまみ「野菜煎餅」の差し入れ、長野会員からはリンゴ、千葉会員からは落花生。
そして横ちゃんの実家がお茶と海苔やさんなので、いそべ餅用の海苔の差し入れもたっぷりと。
皆さまありがとうございました。
20151126212028183_0001DSCN5765大根おろしの作業をおえた小酒井さんは、三木さん、小林さんらとすでに席について一杯はじめていたが、次次と到着される参加者を加えて、調理班はおおわらわ。
会場壁面には、先日のメキシコ旅行の写真が、未整理なままスライドショーで投影されていた。プロジェクターも常備されており、使い勝手の良い会場だった。またその土産、わが国では市販されていないという「高級? テキーラ」もテーブルにのっていた。
DSCN5798 DSCN5806DSCN5800 DSCN5801 DSCN5807DSCN5809 DSCN5810DSCN5812DSCN5817そうこうしているうちに、平野さん、春田さん、鈴木さん、美登さん、堀内さんらも次次と登場。加久本さんは、会計係・撮影係・調理班の担当で、三角巾姿も凛凛しくまずは腹ごしらえ。
やつがれ、ここで調理班を手伝おうと、十分手洗いもすまして近寄ったら、たれかが
「手伝わなくてもいいから、邪魔はしないで」
のひとこと(おそらくノー学部)。

はいはい、やつがれの特技はどうせ、「動線を塞ぐこと」と、「手伝うつもりが裏目に出て仕事を増やす結果に……」ですよ。
手持ちぶさたなので、加久本カメラが始動するまで撮影担当。
その後、施設のドアがオートロックのため、平野さんをロビーにさそって「メーンドア開閉係」というたいせつな任務をかってでた。実際にはそれを平野さんに押しつけて、もっぱら入口付近の喫煙所で待機。

────────── <うたげ  たけなわ / かたや仕込みはまだまだ続く>
DSCN5822 DSCN5823 DSCN5826 DSCN5820千星さん、鈴木Mさん、上野・栃木・文暢クン、三木さんのアシスタントをされておられる清水さんと、どんどん人数がまし、ようやく田中さん担当の豚汁ができあがる。
新潟会員差し入れの焼き餅は、瞬時に消えていく。ただ「機械式餅つき器」は、煮る・蒸す・搗くの工程があり、まだテーブルにはのらない。

アダナ・プレス倶楽部名物、具だくさん餃子の製造は、具材の練り込み、皮のチネリ、のし、包みと手分けして、ワイワイ賑やかな作業が継続中。

まだ年末進行で追われる若手デザイナーの登場がここまでは少ない。
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ここまであまり料理に手を出さず、ひたすらお酒を楽しんでいた美登さんが、やおら立ち上がり飄然と動きだす。なにをするのかと見ていたら、調理班のうしろ、スタッフの堀内さんの作業、餃子の皮ののしの手つきを黙って見学しただけだった。
席に戻りがけに、赤ワイン「ラクリマ・クリスティ 通称:キリストの泪」を調達して「旨いな~」。
上野・栃木家の文暢クンは到着直後から眼をこすっていたが、お利口にぐっすりとお昼寝。
つまり、要約すると、美登さん、文暢クン、やつがれの三人はまったく働かなかった。

DSCN5856 DSCN5862DSCN5841 DSCN5842 DSCN5844 DSCN5846 DSCN5851 DSCN5855 DSCN5857 DSCN5859お餅のひと臼目は瞬時になくなったようで、ドア係と称して外の喫煙コーナーで煙草をすっていたやつがれにはまったく配給なし。すでにふた臼目がウィ~ンウィ~ンと動いていた。
このあたりで、ほかの集会から駆けつけられた戸叶先生。そして真田さん、日吉さんら、デザイナーの諸君が登場したが、片付け時間間際だったため、皆さん、ふたりに慌てて給仕するのに集中して、彼らの写真を撮るのを忘れてしまったらしい。

22:00からポツポツと片付けに入った。最新鋭の食器洗い機が設置されていたおかげもあって、おもったよりも作業がはやかった。スペースの利用規約で23:00には退出しなければならないため、皆、怒濤の勢いで片付けをこなしてゆく。

毎回、イベントのたびに実感するのだが、このようなときのアダナ・プレス倶楽部の面面の結束力はすごい。会場によってはかなりタイトな撤収時間しか割けない場合もあるが、年齢も経歴もさまざまな、あれだけ個性豊かな皆さんが、一致団結しながらも、とりたてて打ち合わせや指示もなしに、それぞれが自身の役割を自覚してもくもくと動く姿には、うっすらと感動すらおぼえる。

そして皆さん、三三五五つれだってご帰宅に。お別れのご挨拶が、
「佳いお年をおむかえくださ~い」
とあった。やつがれ、まだまだ年内にやらねばならないことが多すぎる。
しかも、この「餅と餃子の忘年会」の報告を急がないと、会場に駆けつけられなかった会員をお待たせすることになる。
DSCN5863 DSCN5864

────────── 後日談
12月13日(日)、「餅と餃子の忘年会」の翌日だったが、印刷機出荷の準備のため出社した。お昼のご飯はハンバーグだという。
なにも考えずに、おおきなハンバーグだなぁとおもって口にしたら、昨夜の餃子の具ののこりであった。
おもわず嗤ったが旨かった。餃子とハンバーグが親戚だということをはじめて知った。

どうやら来年の歳末も、手づくり「餅と餃子の忘年会」はつづくらしい。

【Salama シリーズ開発報告】 嗚呼技術者! 円盤形インキディスクは背面主軸のため熱変形 ヒケ オチョコ との苦闘が。研磨まで終えた技術者の笑顔

IMG_0589アダナ・プレス倶楽部の企画・製造による小型活版印刷機 Salama シリーズは精密機械。
すべての Salama シリーズののインキの着肉は、レバーの上げ下げごとに、円形インキディスクがひと刻みずつ回転するセルフインキング方式です。

インキディスクは精度のたかい鋳型でつくられますが、中央部の背面に太い主軸があるために、熱変形 (ヒケ・オチョコ) に悩まされます。
ついで研磨。工場用語では鏡面研磨ですが、ここでも設計図どおりの寸法確保がもとめられます。これらの作業がうまくいったとき、技術者は鏡面にみずからの顔を写し、安堵と満足のとてもよい笑顔をみせます。カメラを向けたら渋面をつくっていましたが・・・・・・。

インキディスクの仕上げはこれで終わりではなく、こののちナント残酷なことに、インキの着肉を安定させるために、角度を切りながら軽く粗め立ての作業がなされてマット調の金属円盤となって完成品となります。IMG_0590