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【新宿私塾】 爽秋の風のなか、新宿私塾第27期 スタートしました

私塾27期スタートWEB第27期入塾《 新宿私塾第27期、爽秋の風のなか、意欲満満でスタートしました 》
隣接する新宿御苑の遊歩道に金木犀のかおりがかすかにただよい、さまざまな秋の艸花が咲きそろった2015年09月29日[火]、新宿私塾 第27期が開塾いたしました。

教場にはまだ終了したばかり、とても意欲的だった、前期の<新宿私塾26期生>の熱気がのこっていましたが、ここにあらたなタイポグラフィの俊英を迎え、これから半年間、ほぼ正月休みもなく新宿私塾は開講され、早春の2016年03月22日[火]に終了します。
講師、塾生の先輩ともども、全力であたらしいタイポグラフィの前衛を育成するために努力しますし、25回の講座は、いずれも内容の濃いものとなっています。
半年後、自信にあふれた塾生の皆さんの、お顔と、お姿を、再度紹介できたら幸せです。

DSCN1544DSCN1556新宿私塾では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 のみっつの領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。 それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともないます。
この半年のあいだ、塾生の皆さんがおおきな収穫が得られるように、講師陣はもとより、200名を優にをこえた 「新宿私塾修了生」 の皆さんも、精一杯の努力と応援をいたします。

《 恒例 新宿私塾第27期 カリキュラム  表紙デザインの紹介 》
27期カリキュラム新宿私塾 第27期 カリキュラム 表紙  ( Design : 講師 杉下城司さん )

新宿私塾 第27期 カリキュラムの表紙は、デジタルタイプの <バーグ・スラブ  Bague Slab Pro>です。
新宿私塾では受講期間のあいだに、和文活字でも、欧文活字でも、どちらでもかまわないのですが、できるだけ 「 My Favorite Type ― わたしのお気に入りの活字書体 」 を獲得することが勧められます。

もちろん、世上の評価がたかい活字書体でも、まったく無名の活字書体でも、「はやり書体」 でも一向にかまいません。 むしろどんな活字書体にも、避けがたく付着している 「 長所と短所 」 をみつけだし、「 長所をいかし、短所を制御する能力 」 がとわれます。

────────── 杉下城司さんのコメント
新宿私塾27期の書体は、< パラシュート Parachute >という、ギリシャのインディペンデント系タイプ ファウンドリーによって2014年にリリースされた<バーグ・スラブ PF Bague Slab Pro > です。タイプデザイナーは「バノス バシリウ  Panos Vassiliou 」 です。

バーグファミリーには、このスラブのほかに、サンズ、ユニヴァーサル、インライン、ラウンドのシリーズがあり、いずれも幾何学ベースのタイプフェースです。
サンズは20世紀初頭の幾何学的サンセリフ体に、ヒューマニスト系の特徴を取り入れ、メカニカルな固さを取り除いています。
ユニヴァーサルおよびそのインライン、ラウンドは、ヘルベルト・バイヤーのドローイングからインスピレーションを受けています。

今回使用している「バーグ・スラブ PF Bague Slab Pro 」は、20世紀初頭のスラブセリフ系書体からインスピレーションを受けているといいます。
このバーグ・スラブは、アップライトもそうですが、特にイタリックは、近年のサンセリフ体と同様に動的なつくりになっています。また半くさび形とするセリフが特徴的です。
細いウエイトは、ストロークとセリフがほぼ同じ太さのために、サンセリフに近い扱いができると思いますし、可読性のある本文組版用として期待が持てます。
太いウエイトは、従来のスラブセリフの誘目性をしっかりと発揮してくれます。
つまりウエイトによって可読性重視から誘目性重視に変化する面白い書体だとおもいます。
バーグはどのシリーズも興味深い書体です[杉下城司]。

タイポグラファ群像 008* いちずに本木昌造顕彰にはげんだひと 阿津坂 實

2015.9.19学会レクチャー_ページ_03近代活版印刷術発祥地のひとつ、長崎にうまれた阿津坂 實(あつさか みのる)氏は、徴兵検査にさいし胸部疾患が疑われて軍隊への召集を免れた。その後は療養につとめ、また地元の印刷企業に勤務していた。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20)08月09日、長崎へ原子爆弾が投下され、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち、およそ7万4千人が死没、建物はおよそ36%が全焼または全半壊した。

原爆は長崎市浦上地区の中央で爆発してこの地区を壊滅させた。しかしながら浦上地区は、長崎市の中心部からは 3 kmほど離れていたことと、平坦地の広島市の場合と異なり、金比羅山など多くの山や丘による遮蔽があり、遮蔽の利かなかった湾岸地域を除いて、市域中央部での被害は比較的軽微であった。
また県や市の行政機能も全滅を免れていた。
それでも長年にわたり、原爆による後遺症は長崎市民におもくのしかかっていた。
阿津坂氏は原爆被害に関して論及することは少なかったが、被爆者手帳の所持者であり、戦争を憎み、平和を希求することに篤かった。

戦後の復興が急がれた長崎県であったが、県都長崎市の原爆被害もあって復興は難航した。そのなかで阿津坂實氏は1947年(昭和22)08月、長崎県印刷工業協同組合に入組し、1956年(昭和31)併設された長崎県印刷工業組合と双方の、事務局員、事務長、専務理事などを歴任し、1988年(昭和65)依願退職するまでの40数年余にわたってその任にあった。
その後も両組合の相談役として、長崎県と長崎市の印刷業界におおきな影響をのこし、2013三年(平成25)にすべての役職から退任した。
2015.9.19学会レクチャー_ページ_08 2015.9.19学会レクチャー_ページ_06阿津坂實氏が、印刷業の祖、郷土の偉人として本木昌造をつよく意識したのは、長崎県印刷工業協同組合に入組してからまもなくのことである。
まず戦争末期に金属供出令で失われていた本木昌造の銅像(座像)を再建するために、1953年(昭和28)本木昌造銅像再建運動を事務方として開始し、はやくも翌年に、ところもおなじ諏訪公園に本木昌造銅像(立像)が再建された。
1968年(昭和43)長崎県印刷工業協同組合、長崎県印刷工業組合の双方の事務長に就任し、1972年(昭和47)専務理事に就任した阿津坂氏は、長崎県中小企業団体中央協議会、長崎県商工会議所などからさまざまな事業の委嘱をうけての活動も目立っていた。
また中小企業庁長官賞、長崎県知事表彰などの賞歴をかさねたのもこの時期である。
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2015.9.19学会レクチャー_ページ_04 2015.9.19学会レクチャー_ページ_05 2015.9.19学会レクチャー_ページ_09タイポグラフィ研究と印刷史研究は、首都東京では、三谷幸吉、川田久長、牧治三郎らによって、戦前から一定の規模ですすんでいたが、長崎では長崎学・郷土史家の、古賀十二郎、渡辺庫輔、田栗奎作らが、幕末から明治初期の長崎の状況の一環として、わずかに触れる程度にとどまり、資料の発掘も滞りがちであった。
阿津坂氏は長崎の各地に収蔵されていたこれらのタイポグラフィ関連資料を再発掘し、目録を製作するとともに、それを広く公開して、『長崎印刷組合史』、『長崎印刷百年史』の編纂をはじめ、『東京の印刷百年史』、『大阪印刷百年史』、『多摩の印刷史』など、各地の印刷組合や印刷企業の年史編纂のために、活字版印刷揺籃の地・長崎の資料を提供し、また後続の研究者にも積極的な情報提供と支援をつづけた。

あわせて長崎各所にあった、活字版印刷の揺籃期の事業と施設を再検証し、「本木昌造生家跡碑」、「活版伝習所跡碑」、「新町私塾跡碑」、「福地櫻痴生誕地碑」などの建立をめざしての活躍も目立った。
また、本木昌造旧宅が取りこわされることになったとき、大学の建築学部に依頼して、詳細な実測図を論文としてのこすことにも協力をおしまたかったし、桜井孝三氏とともに、八丈島に現地調査にでかけ、本木昌造/平野富二らの漂着地が、それまで通説となっていた「相川浦」ではなく、「藍ヶ江」であることを発表した。

「本木昌造没後百年供養」を契機として、1975年(昭和50)長崎に戦前からあった「本木昌造頌徳会」を改組改称して「本木昌造顕彰会」を創設することにも尽力した。
この「本木昌造顕彰会」と株式会社モリサワが母体となって「本木昌造活字復元プロジェクト」が開始された。 このプロジェクトは長期間におよび、当時の長崎県印刷工業組合理事長/内田信康氏、後進の長崎県印刷工業組合事務局長/岩永充氏らとともに、阿津坂實氏も「NPO法人 近代印刷活字文化保存会」にあって陰助をかさね、その成果は『日本の近代活字-本木昌造とその周辺』、『活字文明開化-本木昌造が築いた近代』の、あたらしい視座にもとづいた二冊の図書に結実した。

阿津坂實氏は長崎県印刷工業協同組合での勤務のかたわら、多趣味のひととしても知られ、自慢の調理の腕をいかして、長崎駅前に「中華料理店・飛龍園」を一家で営むいっぽう、生花の師範としてもおおくの子弟の育成にあたった。
家庭には長男・貴和、田中家に嫁した長女・三重 ミツエ、次女・邦子の一男二女をなし、長女の没後にはふたりの孫娘(田中裕子・田中恵子)も手もとに引き取って養育にあたった。
晩年はさすがに車椅子に頼ることがふえたが、家庭と店頭にはみずから活けた生花を欠かさず、デイケア・サービスではカラオケに興じた。

2015.9.19学会レクチャー_ページ_102007年(平成19)<活版ルネサンス>を標榜して「朗文堂アダナ・プレス倶楽部」が始動し、翌年五月に<活版凸凹フェスタ2008>を初開催した際には、長崎から東京・四谷の会場に駆けつけられ、このようにかたられた。
「本木昌造先生は嘉永年間のはじめのころから活字版印刷の事業に着手していた。活字版印刷は一度すっかり衰退したが、この一六〇年ぶりの再挑戦でぜひとも復興させて欲しい。活字版印刷は文化の根底をなすものですから、これを絶滅させたらいけません」

2013年(平成24) 初秋、東京で働くようになったふたりの孫娘の支援をえて阿津坂氏が上京され、東京白銀台の八芳園 にみずから席をもうけられ、全日本印刷工業組合連合会専務理事:武石三平氏、『多摩の印刷史』編著者・東信堂印刷所代表:桜井孝三氏夫妻、片塩二朗、大石 薫をまねかれた。
「ワタシ は若いころに本木昌造先生の銅像の再建をお手伝いした。それからは菩提寺の大光寺の本木家墓前に供花するとともに、諏訪公園の本木昌造先生のお姿をいつも拝見してきた。

それなのに東京ではどうなっているのだろう。 東京では平野富二さんの初進出の場所の特定もできていないし、東京築地活版製造所の跡には簡単な碑文があるだけです。
平野さんに関していえば、まずはその初進出の場所を正確に特定すること。ワタシ は若いころからそうした努力をした。
それと、やはりそのお姿が眼前にあってこそ、開拓者の苦心が偲べるという面はおおきいとおもう。長崎と大阪には本木昌造先生の立派な銅像が建立されている。そこで東京には、文明開化をもたらした活字版印刷の創始者として、平野富二さんの銅像、できれば本木先生と平野さんが並び立つ銅像をつくって欲しい。これが阿津坂の遺言だとおもって聴いてほしい」

2014年(平成26)09月、長崎の阿津坂家では、阿津坂實氏の99歳をむかえた「白寿の祝い」が開催された。
タイポグラフィ学会には「本木昌造賞」の受賞対象者として阿津坂實氏とする推薦状が提出された。
そのためタイポグラフィ学会では顕彰委員会が招集されて審議がなされた。 顕彰委員会では若干の議論があったと仄聞する。それは「本木昌造賞」は優れたタイポグラフィ論文の執筆者に授与されるものであり、阿津坂氏の功績は、タイポグラフィに優れた業績・顕著な功績をのこしたものに授与される「平野富二賞」がふさわしいのではないかとするものであった。

阿津坂氏の主著とされるものは「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ-本木昌造」『本木昌造先生略伝』(長崎県印刷工業組合創立四十周年記念/本木昌造先生歿後百二十周年記念、長崎県印刷工業組合、平成七年九月)を見る程度であることはたしかである。
しかしながら『長崎印刷百年史』(長崎印刷百年史刊行編纂委員会/主著者:田栗奎作、長崎県印刷工業組合、昭和45年11月)、『長崎印刷組合史-百年史の追補とその後の三〇年』(長崎県印刷工業組合/長崎県印刷工業協同組合/主著者:種吉義人、長崎県印刷工業組合、平成10年10月)の両書は、組合事業関連の部分の執筆、主著者への資料提供の多くは阿津坂氏によることが両書にもしるされている。
こうした功績と、ひとえに本木昌造の遺業をかたりつぐことに尽力された阿津坂氏の業績を勘案して「本木昌造賞」の授与が内定し、ご本人、ならびにご家族にも通知された。

タイポグラフィ学会では顕彰委員会と理事会の承認を経て、例年07-09月に東京で開催されている定例総会を、2015年は長崎で開催し、その際に阿津坂實氏への「本木昌造賞授与式」を併催する計画が進行していた。
まさにその計画の進行中、2015年(平成27)05月07日、阿津坂實氏は逝去された。
そのためご家族とも協議して、「本木昌造賞授与式」は東京での定期総会と併催して、お孫さん(田中裕子・田中恵子)おふたりに列席していただくことになった。

 【阿津坂 實氏の活動紹介 PDF  2015.9.19 atusaka 2.31MB 】

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【タイポグラフィ学会】
『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露および
第3回本木昌造賞授賞式を開催

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タイポグラフィ学会は、秋晴れの抜けるような晴天のもと、2015年9月19日[土]、定例年次総会につづき、一般公開で、『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露会および、第3回本木昌造賞授賞式をとりおこないました。
<第3回本木昌造賞授賞式>は、山本太郎会長の挨拶につづき、プレゼンターに平野富二玄孫:平野正一会員があたり、阿津坂 實氏の孫娘、田中裕子・田中恵子両氏に賞状ならびに記念品が授与されました。

<第3回本木昌造賞授賞式>には、タイポグラフィ学会会員のほか、多数の皆さまのご来場をいただきました。ご参加ありがとうございました。詳細報告はタイポグラフィ学会のWebSiteで近日中にいたします。
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【再掲載 会員情報】 ストリングラフィ・アンサンブル2015 繭の色の演奏会+新宿餘談

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◯ 日   時 : 2015年08月29日[土] 15:00/18:30(二回公演 終了しました)
◯ 会   場 : 全労済ホール/スペース・ゼロ

◯ 出   演 : 水嶋一江/篠原もとこ/KIKU/鈴木モモ/蓮見郁子
◯ 音   楽 : 水嶋一江
◯ 衣   装 : 仲村祐妃子
◯ 料   金 : 大人2,500円

◆「Stringraphy――ストリングラフィ」とは
1992年、作曲家の水嶋一江によって考案されたオリジナル楽器と、その演奏スタイルの総称であり、水嶋によってネーミングされました。
この楽器は、絹糸をもちいた糸電話の原理を応用しており、絹糸の両端に紙コップを取りつけたとてもシンプルなものです。

演奏者が手で擦ったり、はじいたりして音を出し、演奏をおこないます。
ピンと張られた絹糸は、一本ずつドレミファソラシドに調弦されています。一セット15-22本で、ソプラノ、アルト、ベースの三セットが基本となります。

基本的に長調の音階にチューニングされていますが、曲によってはこのセットに半音階の「Stringraphy」がプラスされることもあります。糸の長さは一番短いもので約1 m、長いものは 約13 m もあります。
会場本体を巨大な弦楽器のようにセッティングすることもあり、その場合、観客はその楽器の内部で演奏を聴くことになります。
◯ 写真撮影 : 田村   収 ―― この情報は、会員:森 郁男さんから頂戴しました。

【 水嶋一江 プロフィール 】
1964年東京生まれ。桐朋学園大学作曲科卒業。1992年カリフォルニア大学作曲科修士課程修了。帰国後はアコースティックな数多くの実験的現代音楽の作品を発表。
1992年にオリジナル楽器『ストリングラフィ』を考案、八重樫みどりと共にスタジオ・イヴを結成。以来、『ストリングラフィ』を軸とした舞台作品を制作する。1996年から『ストリングラフィ』アンサンブルを結成し、複数の奏者による演奏活動精力的におこなっている。
【 公演詳細情報 : ストリングラフィ
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新 宿 餘 談

ふしぎな音色だった。楽器にあたるものは、ほんとうに絹糸と紙カップだけで、さまざまな演奏をたのしむことができた。
絹糸をこすれば弦楽器のようになり、はじくと打楽器のように変幻自在に音色は変化した。ステージの楽器だけでなく、客席にまでのびた絹糸が鳴りひびくと、まるで繭玉のなかにいるような幻覚にとらわれるからおもしろかった。
夏のゆうべ、不可思議なコンサートをたのしんだ。

DSCN1120DSCN1113DSCN1121このコンサートは、ふるい友人の森郁男さんから情報をいただき、夜の部の公演にかけつけた。会場のどこかに森郁男さんがいるのではとおもって探したが、見あたらなかった。
ところで森さんは、若くしてデビューした詩人であった。そして90年代のどこかでバイク事故に遭遇し、いっときは生命の危険すらあったひとである。
その詩は、みずからことばを紡ぎだし、そのことばを、縦横に、大胆にコンポジションする作風で、一世を風靡した。それはひとのことばではなく、あくまでみずから紡ぎだしたことばでである。
ところで、森郁男さん ―― でパソコン上で検索してみた。まったくヒットしなかった。
そういえば森さんは、電子メールも、ケイタイ電話もつかわれていないようである。
いまはただ、森郁男という、すごい詩人がいる ―― ということにしておこう。

【会員情報】 ブックフェス2015 獨立的書店展/第5回 かまくら ブック フェスタ

アダナ・プレス倶楽部では、10月当初の三連休に、新潟の北方文化博物館で 『 Viva la 活版 Let’s 豪農の館 』 を開催いたしますが、この秋の三連休は、芸術の秋、絶好のイベントシーズンということもあり、アダナ・プレス倶楽部会員の皆さんも、全国各地でそれぞれにイベントの開催を計画されていらっしゃいます。
紙メディアでご案内いただいた一部をご案内いたします。 

【会員情報】 ブックフェス2015 獨立自主的書店展

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【詳細情報:CST’S CRADLE facebook 】

◆    ◆    ◆

【会員情報】 第5回 かまくら ブック フェスタ開催

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【 詳細情報 : カマクラブックフェスタホームページ フライヤー PDF kamakura bookufest 】

【タイポグラフィ学会】 『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露および第3回本木昌造賞授賞式のご案内

タイポグラフィ学会誌2015年9月19日[土]、タイポグラフィ学会は『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露会および、第3回本木昌造賞授賞式を下記のとおりおこないます。
一般のかたも参加もできますので、参加ご希望の方は(*末尾フォームにご記入のうえ)タイポグラフィ学会のアドレス宛にお申し込みください。

info@society-typography.jp
 
◯ 日 時 : 2015年9月19日[土] 14 : 30-
◯ 場 所 : 東洋美術学校(アクセス:http://www.to-bi.ac.jp/access/
D棟1階 学生ホールにて
 
(*タイポグラフィ学会会員の方は13:00より定期総会があります。C棟1階 C2教室)【 詳細情報・申込フォーム : タイポグラフィ学会 】
──────────
•14 :30-
 『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露 
 執筆者による論文、研究ノートの紹介 *下記参照
•15 : 30-
 第3回 本木昌造賞 授賞式 
 受賞者 : 故阿津坂實氏  *下記参照
•17 : 00-
 懇親会:別会場
 オクド ダイニング カフェ(新宿御苑駅より徒歩2分) 
 http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130402/13103203/ 
 参加費:会員は無料(一般参加の方は3,500円になります。*要予約13日まで) 
* 時間は当日の都合により前後する場合があります。 
* 刊行披露および受賞式は参加費無料。
* 懇親会は一般の方は有料(別会場、3,500円)です。
* 定員になりしだい締め切らせていただきます。

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【『タイポグラフィ学会誌08号』論文】

発表予定者
 論文 :真田幸治「「雪岱文字」の誕生-春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ」
 研究 ノート : 山本太郎「ドイツ工作連盟の一九一四年ケルン会議での「定型化・標準化」の論争に関する疑問点」
    
 論文の概要 
真田幸治「「雪岱文字」の誕生-春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ」
(概要)装幀家、挿絵画家などとして再評価が著しい小村雪岱(こむろ-せったい)であるが、その評価は主に泉鏡花の著書の意匠によるものだ。
しかしながら「雪岱文字」が大きな役割を担っていたという事実は知られていない。それは資生堂のロゴにおいても大きく寄与している。
そして春陽堂版『鏡花全集』の装幀において「雪岱文字」はひとつの完成を見る。
本論では「雪岱文字」が、どのように誕生し、展開されていったのかを考察する。
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【第3回 本木昌造賞 受賞者 故阿津坂實氏について】
長崎において本木昌造に関する研究の礎を築かれた方です。同研究において各方面の研究者に影響を与えてこられました。
主著:「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ 本木昌造」『本木昌造先生略伝』
(長崎県印刷工業組合創立四十周年記念/本木昌造先生歿後百二十周年記念、長崎県印刷工業組合、1995年)
授賞式は、ご親族による受賞となります。 
【 詳細情報・申込フォーム : タイポグラフィ学会 】