カテゴリー別アーカイブ: 今は昔――活版今昔ものがたり

【ニュース】株式会社写研|Webサイト(コーポレートサイト)公開|2021年03月08日

2021-03-10

株式会社写研(代表取締役社長:笠原義隆 本社:東京都豊島区南大塚2-26-13)は、2021年3月8日、Webサイト(コーポレートサイト)を公開しました。

写研は、写真植字機に向けて作られた数多くの書体を通して、日本の文字、日本語の文化およびデザインの向上に貢献することを目指してまいりました。

この写研の文字、書体を守り、未来へつなぐために、2021年5月に写研の歴史と沿革、これまでの写研書体や写植機、および各種資料をご覧いただけるデジタルアーカイブサイトを公開する予定です。

[ 詳細 : 株式会社写研

{新宿餘談}
本稿は、論評無しで紹介いたします。

【この一葉】「明朝体は横線が無くても読める」|水井 正さん 1971年2月製作|シルクスクリーン印刷 B全判2色刷り ポスター|

2019.12蒲生氏郷修整跡剥離

「明朝体は横線が無くても読める」
水井 正さん1971年2月製作|シルクスクリーン印刷 B全判2色刷り ポスター|
水 井   正(1932- )

『 TheTYPEBANK 』(1995年、タイプバンク編、朗文堂)ゟ

マップケースの底から、半世紀ほど前のポスターが出てきた。製作者は水井 正さん。
このポスターが製作された1971年(昭和46)ころとは、本コーナー{活版 à la carte}の読者の大半は誕生前のことかも知れない。
このころの水井さんは、麹町にあった「原デザイン研究所」に所属しながら、ほとんど千代田区紀尾井町の文藝春秋社に昼夜とも詰めきりで、『文藝春秋』『オール讀物』『文學界』などの月刊誌と、創刊間もない『週刊文春』のタイトルの「書き文字」を担当されていた。

筆者が水井さんと交誼を得たのは「TYPO – EYE」が結成された1975年からのことである。したがって45年ほどのお付き合いということになる。
このポスターはそれより以前の製作であるが、実験作品ともいえたこのポスターを、おそらく1975年にお譲りいただいた。「書き文字」が繁忙を極めるようになったのは『週刊文春』が創刊されてからのことだとされたが、当時でも埼玉県入間市の自宅に帰るのは「月に二-三度かな」と苦笑されていた。
また、「これまで若さに任せて無理を重ねてきたが、40歳にもなると徹夜はきつくてね …… 」
とこぼされていたことも覚えている。

こののち写真植字法の興隆・進展があり、書き文字の仕事は次第に減少気味であったが、水井さんは、株式会社タイプバンクを設立直後の タイプディレクター:林 隆男(1937-94) の委嘱を受けて、写植活字「ナウ」シリーズの書体設計に専念するようになった。

実験作品:ポスター「明朝体は横線が無くても読める」は、水井さんがタイトルをレタリングされた、海音寺潮五郎『武将列伝』(全三巻、文藝春秋社刊)の作業のなかでの実感をこめて製作されたものである。
ところが一箇所「字画を間違えた」ままで印刷してしまい、刷り直しの時間と予算もないままに、赤版「蒲生氏郷」の「蒲」の字画をレタリングによって修正して、それを象嵌 して展覧会に間に合わせたとされた。
お譲りいただいととき、一緒に立ちあわれた「TYPO – EYE」の同志:吉田佳広氏は、
「このポスターが、写植活字や金属活字の清刷りじゃなくて、レタリングだって解るなによりの証拠だよ」
と笑われていた。
水井さんは鋭利な両刃のカミソリで修正・象嵌したとされたが、確かに当時は象嵌の跡はほとんど痕跡を残していなかった。しかしながらほぼ半世紀余ののちのこんにち、象嵌部分は脱落し、所在不明となり、裏面からみると、補強のために貼付したセロファンテープの劣化の痕跡が痛〻しい。

* ぞうがん【象眼・象嵌】
工芸用語では様様な用例があるが、[印刷用語]では、鉛版・銅版・版下製作などで「象嵌-ぞうがん」とあらわし、修整箇所を切り抜いたり、剝ぎ取り、そのあとに同寸法の修正した活字などを挿入すること。

◉ 水井 正  Mizui  Tadashi プロフィール

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【サラマ・プレス倶楽部】歳末恒例 手づくり<餅と餃子の忘年会>12月03日[土] 四谷のレンタルキッチン Patia で開催

師走です。印刷・出版界ではこの時期の作業を<歳末進行>と呼び、一年中でもっとも繁忙をきわめるときとされます。
サラマ・プレス倶楽部の会員の皆さんも、{Season’s Greetings Card}や{年賀状}の製作であわただしい時期ですが・・・・・・、そこはそれ。例年よりいくぶん早い12月03日、<手づくり 餅と餃子の忘年会>を開催。

10.27 アッパークラス 松尾愛子さん 時盛さんはやくも10月27日の{活版カレッジ・アッパークラス}の集まりに際に、新潟旅行の報告で盛りあがっているメンバーをよそに、黙黙と{サラマ・プレス倶楽部 2016年 ボー年会}のためのコースターづjくりにいそしんでいたのは松尾 A さんと時盛さん。忘年会DSCN8259[1] DSCN8728《本番当日早朝 空中花壇から「雲南百薬おかわかめ」を収穫 仕込み作業開始》
忘年会をレンタルキッチンで開催するようになってから二年目。あいかわらず主メニューは餅と餃子であるが、そこに野菜たっぷりの「豚汁」がメニューに加わった。つまり食器の心配はなくなったが、食材はかえって増加した。

地方会員から切り餅などの差し入れも頂戴したが、炊飯器はキッチンにあっても電動餅つき器は無いので、当然運搬が必要となる。
なによりも熱帯性植物とされる「雲南百薬おかわかめ」は、寒さにふるえながらようやく発芽させた新芽を摘みとられていた。このとき園芸家は沈黙するしかない。
DSCN8739 DSCN8740 DSCN8749 DSCN8752 DSCN8754 DSCN8753 DSCN8789 DSCN8792 DSCN8794DSCN8746《松尾 A さん、時盛さん苦心のコースターで乾杯! 餅と餃子と豚汁、それに各地の銘酒がずらり 手づくり感いっぱいの忘年会の開幕でした》
搗きたての餅は、大根おろしで「おろし餅」、粒あんで「あんころ餅」、と大好評。
手づくり餃子も、製造担当が追いつかないほどの人気で、蒸しあがると瞬間蒸発の勢いでした。
なにしろ貸し切りの会場ですから、相客を気にする必要はなく、壁面には過去のイベント写真<Viva la 活版  すばらしき活版>がスライドショーで連続投影されていました。

  • 2013年 <Viva la 活版 Viva 美唄
  • 2014年 <Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO
  • 2015年 <Viva la 活版 Let’s 豪農の館
  • 2016年 <Viva la 活版 ばってん 長崎
    DSCN8758 DSCN8755 DSCN8767 DSCN8768 DSCN8796 《サラマ・プレス倶楽部忘年会は幅広い造形者で構成されていました》
    談笑がつづき、宴たけなわの会場で、欧文組版・欧文ページ物印刷の小宮山清さんが、恒例の「活版印刷昔〻はなし」。
    戦争末期、焼夷弾が工場の至近距離に落下して、工場設備が全焼した小宮山さんは、戦後すぐの急場しのぎに「組版ステッキ」を木製手づくりでしのいだとのことでした。
    また戦後しばらくして入手した「組版ステッキ」は、握りの部分がすっかり摩耗してしまいましたが、いまでも馴染みがよいとされます。
    そんな貴重な品を持参され、皆さんにご披露。

    来たる2017年は、明治産業近代化のパイオニア-平野富二生誕170年の記念すべき年です。朗文堂 サラマ・プレス倶楽部でもさまざまな企画が進行中です。
    また来年の年末に、おおきな成果をひっさげて皆さんとお会いしたいものです。
    小宮山清さん DSCN8782 DSCN8788DSCN8787

異なモノ発見! NHK朝ドラ〝あさが来た〟で一躍人気者に―五代友厚関連鹿児島の金鉱山凡そ百二万坪を販売か 

DSCN6352 DSCN6353朗文堂と世界堂の中間「新緑苑街」の角に古物商が店を設けている。ほとんど従業員の出入りをみたことはないが、その店頭に、五代友厚(通称才助)旧蔵、薩摩三金山のひとつ凡そ百二万坪を販売すると告知している。
五代は「若き薩摩藩士」をひきいて江戸時代末期に英国に密航し、通称『薩摩辞書』の発行につよい関わりをもった。『薩摩辞書』の初版は上海で製造したが、再版を日本国内での製造をめざして大阪活版製造所を開設し、それを請けおった本木昌造一門に再版刊行を委託した。

しかしながら当時の大阪活版製造所の力量では『薩摩辞書』の増刷作業は不可能で、中途で作業を放棄せざるを得なかった。このとき本木は五代から相当の借財を背負ったが、その借財は本木にかわり、のちに平野富二が利息を含めて返済した。
印刷関連ではほどんど知られない人物、五代友厚を成果のないままおって15年ほどになる。これをみると苦笑するしかない。
鹿児島商工会議所前五代友厚立像 DSCN5673 DSCN5682