月別アーカイブ: 2016年1月

【字学】 活字鋳造 ― ハンドモールド、次世代機ポンプ式ハンドモールド 五月連休に長崎で動画紹介 続報にご期待を

Federation British Industries(略称:FBI  英国産業連合)が1925年(大正14)に製作したもので、博覧会での上映のために一般に向けてわかりやすく紹介した貴重な動画資料です。
写真上掲二点は「手鋳込み式ハンドモールド」。
わが国でも嘉永年間に本木昌造らのグループがすでに実験的にもちいたとみられ、残存部品が長崎諏訪神社、国立博物館でみられます。

ほかにも薩摩藩の依頼で極秘裏に活字鋳造に成功した、江戸の技芸士/第三代木村嘉平がもちいたハンドモールドが鹿児島尚古集成館に保存されており、重要文化財の指定をうけています。
鹿児島の資料も断片的なものですが、行間を形成するインテル鋳造器や、大型の込め物(フォルマート)を製造するための鋳造器もあり、実用性がみられます。
ここでハンドモールドを理解するために、復元版活字ハンドモールド(伊藤伸一氏所有)をご紹介したい。
ハンドモールド1 ハンドモールド2 ハンドモールド3[1]これらの「ハンドモールド」の技術は特殊技術として秘匿されることがおおかったっため広くは知られず、明治から昭和前期の資料には、鋳造部がふたつに割れることから「割り型・割り鋳型」としるされることが多い。
また熔解した活字地金を小型のヒシャクですくい取り、それを湯口に流しこむ動作から、ハンドモールドで製造した活字を「流し込み活字」とも呼称していた。
ブルースその後、半自動機のポンプ式ハンドモールド、手回し式のブルース型活字鋳造機が登場すると、ハンドモールド式は「手鋳込み」とされ、昭和中期ころまで、大型活字や特殊活字製造のために、細ぼそながらもちいられていた。
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したがってこの1925年発表の英国産業連合の動画でも、「こうしたハンドモールドは、現在はほどんどもちいられていない」と解説している。
鋳造に際しては、鬆スの発生をふせぐため、上体と腕を激しく上下動させ、相当な速度で鋳造を続けている。

下掲写真は「ポンプ式ハンドモールド」。近年のアメリカの研究書でも
「実機はすべて失われ、写真もスミソニアン博物館が所有する一葉だけである」
とされていた機器であり資料です。
今回ご紹介するこの機器の「動画」は、パラパラ漫画のように静止画像を連続したものですが、活字鋳造が、手技から機械製造への過渡期の記録としてやはり迫真力があります。

「ポンプ式ハンドモールド」は、明治最初期、長崎の活版伝習所にもたらされ、印刷局系の組織がこれを継承して東京に移設しました。
本木の事業を継承した平野富二は独自資金でこの装置を購入し、上京直後から、まだ「手鋳込み式ハンドモールド」をもちいていた在京の民間鋳造業者を圧倒しました。
動画公開は五月連休後半に長崎で。 続報にご期待ください。
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【会員情報】 奥村浩之&祐子夫妻 メキシコからの時候のご挨拶

メキシコ在住の彫刻家/奥村浩之さん、日本大学藝術学部教授・版画家/奥村 笹井 祐子さんからの時候のご挨拶が到着。
おふたりはクリスマスからお正月を陽光いっぱいのメキシコですごされたようで、版画も切手も色彩ゆたかなものでほのぼのとしました。
そろそろやつがれも昨年のメキシコ旅行の報告をしなければなりませんね。
あまりにも魅力がおおすぎて、なにからご紹介しようかと思いなやむ毎日です。

【詳細:奥村ご夫妻がご来社に
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江戸にうまれ、明治期の長崎で活躍した多芸多才なひと/虎與號・安中半三郎の紹介への手がかり

一月中旬、イベントの打ち合わせ。一泊二日の予定で崎陽長崎にでかけた。もともと予定していた一週間おくれだと、今回の異常気象で豪雪地帯と化した長崎で立ち往生するところだった。
金曜日の早朝のフライトで長崎入り。そのまま長崎県印刷工業組合にかけつけた。組合幹部は年輩者が多かったが、成果の多い会談ができた。
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その夜は定宿と化した感のある長崎新地のホテルに宿泊。ここは出島にある長崎県印刷工業組合会館まで徒歩3分、新地中華街はすぐとなりだし、薩摩藩蔵屋敷跡、五島藩蔵屋敷跡にもちかい至便の地である。
今回の長崎では、東彼杵町歴史民俗資料館/小玉大介氏、日本二十六聖人記念館/宮田和夫氏、大村市市史編さん室/盛山隆行氏らの若手学芸員との交流が熱かった。
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とりわけ盛山隆行氏とは十数年前に『日本の近代活字』編集のためにしばしば訪崎し、盛山氏が当時長崎市立博物館の学芸員だったころからの交流。
盛山氏は2013年、やつがれが{花筏 平野富二と活字*10 渺渺たる大海原へ-長崎港と平野富二の夢、そして注目してほしい出版人・安中半三郎のこと }で問題提起した「虎與號 虎与号 とらよごう/安中半三郎」の調査をすすめてくれていた。
近日{花筏}に詳細報告をしたい。
DSCN6137DSCN6175長崎本蓮寺の脇にある神式の特設墓地「安中家と安中半三郎の墓碑」。
碑面は長崎原爆の爆風をうけて損壊がみられる。
この本蓮寺は日蓮宗の名刹で、幕末の海軍伝習所にまなんだ勝海舟がここに寓居したところ。また長崎史談会の古賀十二郎もこの本蓮寺にねむるという。

五代友厚の生誕地(鹿児島市長田町)、墓地(大阪市設南霊園四区中央)、そして知られざる堀孝之をめぐって

五代友厚(通称:才助 天保06-明治18 1836-85)の生誕地と墓地をおとづれた。
元薩摩藩士。長崎海軍伝習所にまなび近代大阪経済復興の祖とされる。
墓地は通称阿倍野墓地とされる敷地中央部。中央通路に沿って歩くと水くみ場があり、その前に広大な墓域がひろがる。

基軸線にそって墓標や献碑がたちならぶが、一基だけ斜めに五代の墓標を仰ぐような、「堀孝之君之碑」がある。
堀孝之(弘化元 1844-没年不詳)は長崎オランダ通詞の名門堀家にうまれ、幼少時から終生五代とその事業を支えた。
慟哭し振り仰ぐかのようなその碑は、可憐でけなげなものだった。 五代生家01 五代生家02 鹿児島中央駅前「若き薩摩の群像」全体 鹿児島中央駅前五代友厚座像 鹿児島商工会議所前五代友厚 鹿児島商工会議所前五代友厚立像 DSCN5673 DSCN5682 DSCN5688 DSCN5689 DSCN5695 DSCN5740

【会員情報】 林 昆範氏、産学協同プロジェクトで{山水一色・茶禪一味}

中国湖南省常徳市郊外、桂林山水として知られる地方に少数民族のチワン族・トン族・ミャオ族などが湖上遊覧、工芸・民芸品の販売施設「陽朔 世外桃源」がある。
この名は陶淵明の『桃花源記』の「桃源郷」に由来するという。

台湾中原大学で教鞭をとる林 昆範氏は産学協同プロジェクトに携わり、少数民族の意匠・紋様研究をつづけてきた。今回は{山水一色・茶禪一味}と題したお茶のパッケージを紹介した。
林昆範氏 20160125172541465_0001

【会員情報】 篠原紙工 Factory 4F Paper 29 活版ルネサンスフェアを報告

20160125172404094_0001 篠原02<柔軟で大胆な発想力と実行力で、新しい「紙のコミュニケーション」を目指す製本会社>として情報発信をつづける、東京都江東区の製本・紙工業「 篠原紙工 」の四階にある「 Factory 4F 」の増渕さんが<活版ルネサンスフェア>にご来場。
その探訪記を情報誌「Factory 4F  PAPER 29」に掲載・ご送付いだきました。
皆さまにご紹介いたします。

ルネサンス02 ルネサンス01

【展覧会】 となりの人びと-現代美術 in 春日井

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かすがい03 「となりの人びと-現代美術 in 春日井」
 Through the Window Contemporary Art in Kasugai

◯ 会 期 : 平成28年1月30日(土)-2月28日(日)

愛知県民の方々に文化芸術への関心を高めていただくとともに、平成28年8月に開幕する「あいちトリエンナーレ2016」の開催気運の醸成を図ることを目的として、
「となりの人びと-現代美術 in 春日井」
と題した現代美術展を文化フォーラム春日井及び市街の商店街において開催します。
また、会期中には小牧市及び瀬戸市において「おでかけ展示」も実施します。
【 詳細 : あいちトリエンナーレ地域展開事業実行委員会事務局
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{新宿餘談}
「となりの人びと-現代美術 in 春日井」の主会場となる「文化フォーラム春日井」では、2010年11月13・14日に<活字版印刷ワークショップ>、 企画展示<活版印刷の歴史と未来展>のイベントでお世話になりました。
それを契機として、「文化フォーラム春日井」のスタッフの皆さんとは交流がつづいています。
◯ 花筏 アダナ・プレス倶楽部 in かすがい市 活版ルネサンスの進展を実感!
◯ 花筏 【展覧会】 塔本シスコ展 文化フォーラム春日井 ・ ギャラリー

「となりの人びと-現代美術 in 春日井」は、ひろい「文化フォーラム春日井」の会場をいっぱいに使用するだけでなく、春日井市内はもちろん、隣接する小牧市、瀬戸市にも会場をもうけて開催される大型イベントです。
小社から新刊『オリンピックとデザインの政治学』の情報をご送付したところ、下掲のような一筆箋を添えられて、「となりの人びと-現代美術 in 春日井」の情報をご送付いただきました。
ひとつのイベントが一過性に終わることなく、長く続くことを喜びとします。
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【展示会】 page2016 「未来を創る-メディアビジネスの可能性を拡げる」 JAGAT 日本印刷技術協会

page2016

page2016  開催概要
◯ 開催期間   2016年2月3日(水)-5日(金)
◯ 場   所 サンシャイン コンベンションセンター
◯ 主   催 公益社団法人 日本印刷技術協会
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page とは
page 展は1988年の開催以来、2016年で29回目を迎える印刷メディアビジネスの総合イベントです。
page2016 のテーマは「未来を創る」
前回の page2015 でのテーマ「変わるニーズ。変わるビジネス。」の解決編の意味も含んでいます。
印刷ビジネスへのニーズがどのように変わったのか? どのようにビジネスを変えていかなければならないのか? を具体的に捉え、実際のビジネスとしてどのように対処するかを示唆します。
JAGATでは発刊した「未来を創る」をテーマに印刷業の未来について考えてきましたが、その集大成として page2016 をお届けします。

【図書紹介】 『ホスピタルギャラリー』 板東孝明編 深澤直人・板東孝明・香川征著 武蔵野美術大学出版局刊

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ホスピタルギャラリー  ビ・イ

このホスピタルギャラリー「ビ・イ」は武蔵野美術大学と徳島大学病院の
コラボレーションによってうまれました。
いいかえるなら「美」と「医」の融合。記号化すると「b」と「e」。
病院を訪れる皆さんがこのギャラリーで少しでも癒されれば幸いです。
また三階の小児病棟には子供たちが自由な発想で楽しめる
プレイルーム「be」も設置しています。

【 詳細:武蔵野美術大学出版局

よき日がいつも-日日之好日 -喫煙ボヘミアン、プラハへゆく-02

プラハ

02    プラハ城付設「黄金の小径」とフランツ・カフカ

京都在住、ぢやむ杉本昭生氏の活版小本の新作フランツ・カフカ『道理の前で』を紹介した。
杉本氏はいつも活版小本を送付される際に「一筆箋」のような文章を添付されているが、今回はめずらしくこぼしが多かった。
たしかに「活版小本」の杉本昭生氏がマッチ箱サイズをねらっても、あまり収穫がないような気はした。
この 「テ」 は読書家の杉本氏には似合わなかった。ほかの豆本製作者に任せてもよいかもしれないとおもえた。 ところで、やつがれ フランツ・カフカ(1883-1924)のひそかなファン。
したがって「活版小本 カフカ『道理の前で』」 4 ページ 一丁、15丁60 ページかがり綴じ、前後見返しつき、前扉別紙差し込みからなるマッチ箱サイズの上製本をうれしく拝読させていただいた。
そこでフトおもいだしたのは、この作品はチェコ プラハの「黄金の小径」で執筆されたのではないかというおぼろな記憶だった。

2013年晩夏、三泊四日のあわただしい日程で、はじめてチェコ、プラハにいった。
その報告は「花筏 朗文堂好日録038-喫煙ボヘミアン、プラハへゆく-01 プロローグ」にあるが、ここには序章があるだけでその後の記述はない。

すなわちやつがれが情報過多に陥り、ひとさまにプラハの紹介をすることができなかったというのが苦しいいいわけになる。

2013年のプラハ行きはロシアの航空会社「アエロフロート航空」で、モスクワ経由でいった。 このときの収穫はおおきなものがあったが、ともかく魅力がありすぎて、未整理なままやつがれの脳裡の片隅にある。
2014年に再挑戦をこころみたが、円安のためもあって旅費が高騰していた。

プラハにはいま、アダナ・プレス倶楽部会員・博士山崎が研究のため長期滞在中である。 ノー学部と博士山崎は情報交換が盛んのようである。したがってどうやらもう一度プラハにいく機会がありそうな昨今である。

プラハの一隅にはカフカの生家があり、そこはいまちいさな博物館となって公開されているという。 そしてカフカの墓は、その近くの「ユダヤ人墓地」にあるという。
前回はユダヤ街にいく時間がなかった。再訪を得たらぜひともたずねたいとおもう。
すなわち、畏友杉本昭生が製作し、失敗作と自嘲した一冊の活版小本、フランツ・カフカ『道理の前で』が契機となって、プラハ再訪を決断することになったということである。 プラハ絵はがき01 プラハ絵はがき02 プラハ絵はがき03 プラハ絵はがき04プラハ市販の長尺絵はがきより。下から二段目、プラハ城脇、かつて錬金術士が居住したことから「黄金の小径」と呼ばれる長屋街。いまはみやげ店がならぶ人気の観光スポット。左手の青い22番の建物は、カフカがここで『城』などの作品を執筆していたとされる家。

Kafkasd2ところでやつがれ、ふるくから フランツ・カフカ(1883-1924)のひそかなファン。
民族と言語がもざいくのようにあやなす欧州、とりわけ中欧のカフカのような人物の経歴をあらわすのは困難だが、カフカは当時のボヘミヤ地方、正確にはオーストリア=ハンガリー帝国領のプラハで、高級小間物商をいとなむユダヤ人の両親のもとでうまれた。
その母語となるとさらに複雑で、父親のヘルマン・カフカ(1852-1931)はチェコ語を母語としたが、母親のユーリエ(1856年-1934)は当時のプラハの支配階級にならい、ドイツ風の慣習に馴染んでドイツ語をはなす、ほとんどドイツに同化していたユダヤ人であった。

父ヘルマンは息子を学校にいかせるにあたり、プラハにおいて多数の話者を持つチェコ語の学校ではなく、支配者階級のことばであるドイツ語の学校を選んだ。
しかしカフカはチェコ語やフランス語の本を多く読み、プラハ大学で哲学や法律をまなんでいた。 そのみじかい人生の晩年、カフカは結核に罹患したためもあって休暇がふえ、また民族意識に目覚め、ヘブライ語やラテン語の学習にもはげんだ。
しかしその著作や、のこされた書簡のほとんどは、ドイツ語でしるされている。

フランツ・カフカは1924年(大正13)6月3日、宿痾の結核でオーストリアのキールリングで歿した。満40歳であった。 遺骸は故郷プラハに移送されて、この街のユダヤ人墓地にねむる。
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フランツ・カフカの作品は、長編小説『審判』、『城』、『失踪者』のほかに、多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成り、その少なからぬ点数が未完であることで知られている。
これらの「遺稿」が刊行をみたのは、プラハ大学での一級下級生であったマックス・ブロートの力に負うところがおおきい。

その作風は、孤独感と不安が横溢しながらも、それを巧妙にユーモアでおおい、夢の世界を想起させるような独特の小説作品をのこした。
作品の評価が歿後にはじまったことと、幻想的で浮遊するような軽妙さの二点において、10年ほどのちのことになるが、わが国の 宮澤賢治 (1896-1933)と似たところがみられる。
宮澤賢治の著作で生前に刊行されたのは『春と修羅』(詩集)と、『注文の多い料理店』(童話集)だけであり、ほとんど無名に近い状態であったが、歿後に草野心平らの尽力によっておおくの作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となった。

《2014年09月 アフター・バカンスでプラハの観光地は賑わっていた》
プラハ観光の最大の中心地「プラハ城」には、ゴシック、ロマネスク、ルネサンス、アールヌーヴォなどの様様な様式の建築物があるが、なんといっても、天を突く尖塔がシンボルのゴシック様式による 「 聖ヴィート大聖堂 」 が観光客をあつめていた。

DSCN5492 DSCN549509月なかば、この晩夏の時期は、欧州では 「 アフター ・ バカンス 」 とされる。
バカンスの期間は混雑を避けて旅行を控えていた高齢者と、バカンス期間にアルバイトをしてふところがあたたかくなった若者が、オフシーズンで安くなったチケット利用しての旅行者が多くみられた。
この建物は F ・ キセラの設計によるもので、内側からみると、画家/アルフォンス ・ ムハ ( わが国では ムシャ ) らによるステンドグラスが美しい ( らしい。 やつがれ、混雑につかれて内部には入らなかったゆえに失敗した )。
DSCN5489 DSCN5618 DSCN5503 DSCN5513liturgisch_01 「 聖ヴィート大聖堂 」 のファサード上部に、いわゆるブラックレターの掲示板があった。 この系統の書体は、活字界では 「 テクストゥール 」 とよばれる。 ゴシック様式の尖塔によく似た、鋭角的で、ゴツゴツとした突起の目立つ形象の活字書体である。
プラハ絵はがき03
その後「黄金の小径」へ。色とりどりのちいさな家が立ち並ぶ通りで、いまはほとんどがみやげもの屋となっている。もともとここは城に仕える召使たちが住んでいて、いっとき錬金術士がおおく居住していたために「黄金の小径」と呼ばれる人気スポットとなっている。

ここの22番と表記された青い建物が、いっときカフカが仕事場としていた家とされる。
せまい建物におおきなリックサックを背負った若者がたくさんつめかけていて、なかなか中にはいれなかった。そこで錬金術士の工房(なかなか怪しくてよかった)や、椅子のあるみやげもの屋に逃げたことを後悔しているが、なんとか写真だけは押さえてあった。

{ 新宿餘談 }
友人にドイツの印刷系の大学院を修了した人物 IS 氏がいる。博士論文のテーマに
「グーテンベルクは錬金術士だった」
をテーマにして研究をすすめていたところ、指導教授に
「これを発表したら、君もわたしもこの世界から抹殺される」
と説得されてほかのテーマにしたという。

このはなしは、故ヘルマン・ツァップが笑いながらおしえてくれた。そして日本に戻っていたIS 氏を紹介された。IS 氏は晩年のツァップにインターネット環境の設置をすすめ、その設定にもあたっていた。
いまは毎週一回はメールを送付されるIS 氏であるが、ちょっと人間関係が複雑なわが国の環境になじめないでいる。ときおり来社されて
「グーテンベルクは錬金術士だった、そう思いますよね」
とかたられる。やつがれは苦笑するしかないが、内心は首肯している面もある。
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以下「黄金の小径」を紹介するが、格別の説明はしない。むしろスライドショウでお楽しみいただけたら幸いである。 じつはやつがれ人混みのなかにいると中毒症状を呈することがある。ひとにアタルのである。このプラハ城と「黄金の小径」で人混みにもまれ、すっかり疲労困憊。

ゲートをでるとルネサンス様式の建物があり、そこでの「夕べのコンサート」をノー学部が予約していた。 ベドルジハ・スメタナの『わが祖国』(チェコ語: Má Vlast )が演奏された。 このスメタナの代表作は毎年おこなわれる「プラハの春音楽祭」のオープニング曲として演奏されるそうである。

『わが祖国』とうたいあげなければならなかったボヘミアン、チェコのひとスメタナをおもい、「祖国とは、母語とはなんだろう」とおもわずにはいられなかったであろうフランツ・カフカをおもった。演奏中に妙に鼻の奥がムズムズしたが、なんとか耐えることができた。 DSCN5558 DSCN5559 DSCN5561 DSCN5562 DSCN5565 DSCN5566 DSCN5567 DSCN5568 DSCN5569 DSCN5570 DSCN5571 DSCN5572 DSCN5573 DSCN5574 DSCN5575 DSCN5576 DSCN5577 DSCN5580 DSCN5580 DSCN5583 DSCN5585 DSCN5586 DSCN5587 DSCN5588 DSCN5589 DSCN5591 DSCN5592 DSCN5596 DSCN5726

【展覧会情報】 宇都宮美術館 齋藤富蔵 展 2016年2月14日[日]-2016年4月10日[日]

20160118200216399_0001 20160118201141079_0001◯ 宇都宮美術館 齋藤富蔵 展
◯ 2016年2月14日[日] – 2016年4月10日[日]
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宇都宮生まれの画家、齋藤富蔵[1919-1993]の回顧展。
戦後宇都宮の画壇において独自の存在感を示した齋藤の画業を振り返る。
初期の宇都宮ゆかりの風景や建物をモチーフにした作品群から
日光の自然を幻想的に描いた晩年の「深山シリーズ」までを一堂に展観。
【 宇都宮美術館

スイスの活版印刷造形家 : ロマノ・ヘニさんからの時候のご挨拶紹介

20160118200216399_0002 20160118200216399_0003 DSCN7609[1]スイスで活躍されている活版印刷造形家、ロマノ ・ ヘニ (Romano Hänni ,  1956-)さんから時候のご挨拶。
ヘニさんはお若いころから活版造形家として活躍され、スイスの印刷ジャーナル 『 TM ,  Typografische Monatsblätter , 1992 No.2 』 の表紙を飾り、本文中でも大特集をもって紹介されていた、本格派の活版印刷造形者  ≒ タイポグラファです。

【 ロマノ ・ ヘニ氏 URL : Romano Hänni  Studio for Design
鮮明画像がたくさん掲載されています。

サンフランシスコ在住の友人/ ヨアヒムさん Joachim Müller-Lancé の時候見舞いカード紹介

20160118124848482_0002ヨアヒム sanヨアヒムさん ( Joachim Müller-Lancé ) は、バーゼルのスクール ・ オブ ・ アート、NYのクーパーユニオン美術学校を卒業され、タイポグラファ、タイプデザイナーとして活躍されているかたで、「国際タイプフェイスコンテスト・モリサワ賞1993」の欧文部門で金賞も受賞された。そのタイプデータは、Adobe や FontFont からも発売されている。

ところでヨアヒムさん、亀と日本が大~好き。 その WebSite は、
welkame to kame design  かめさん、かめさん、どこからきたの。 http://kamedesign.com/
という本格派である !?
そして Adobe 発売のタイプの名称は 「 Shuriken Boy-手裏剣少年 ?」 という念のはいったものである。
ことしもユーモアに満ちた時候のご挨拶をいただいた。お元気なようである。
その書体のできばえは ?   論及しないでおこう。

【 関連情報 : My Fonts  Joachim Müller-Lancé
【 関連情報 : Adobe Type / Type Designers / Joachim Müller-Lancé 

【良書紹介】 竹内整一『ありてなければ 「無常」の日本精神史』(角川ソフィア文庫)

竹内整一ジャケットこの世のはかなさ、人生のむなしさ。
それは時代を超えて日本人の美意識の根底に横たわる。
その「無常感」をたどりながら日本人のゆたかな精神性を探り当てる。
「世の中は夢か現ウツツか現とも夢とも知らずありてなければ」(古今和歌集)
いま、たしかに「ある」が、それは同時に、いつか「なくなる」、あるいはもともとは「なかった」 ――。

「夢と現のあわい」に生きる私たちは、その「はかなさ」をどう受けとめ、どう生きてきたのか。
万葉の時代から現代にいたるまで、日本思想史を形成してきた無数の言葉を渉猟し、そこに通底する「無常感」をたどりながら、日本人のゆたかな精神性を探り当てていく
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{ 新 宿 餘 談 }
『ありてなければ 「無常」の日本精神史』の著者、竹内 整一氏(1946年- )は、日本の倫理学者。鎌倉女子大学教授、東京大学名誉教授、日本倫理学会会長。専門は、倫理学・日本思想。詳細は ウィキペディア : 竹内整一 で。

ゆえありて著者の竹内整一氏とは友人です。したがってこれまでも主要著書はご恵送いただいていましたが、ご紹介の機会を逸していました。
角川ソフィア文庫は本書の帯で、岡倉天心『茶の本』、九鬼周造『いきの構造』とならべて、竹内整一『ありてなければ』を紹介しています。やつがれもまた、平凡社版・竹内整一『「はかなさ」と日本人』とあわせて、皆さまに本書をお薦めしたい。
【 詳細 : 角川ソフィア文庫

【会員情報】 フランツ・カフカ 『道理の前で』 (別題 『掟の門前』)京都活版小本 ぢやむ 杉本昭生氏が新作発表

チェコ プラハのひと、フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883-1924)は、『審判』 『変身』 『城』 など、一度読んだら忘れられない、独自の小説世界をつくりあげた、20世紀前半を代表する作家です。

ところでこのフランツ・カフカ『道理の前で』は活版小本としては失敗です。
マッチ箱に入れることを前提につくりましたが、途中で気持ちが離れてしまいました。

案の定、紙がかたくてページが開きにくい、化粧断ちをしていないので手触りがわるい、印刷がつぶれたりかすれたりしている、紙面がゆがんでいる。
タイトルが大文字ばかりはおかしいなど欠点の目立つできあがりです。
そしてこのサイズは自分のつくりたい本の大きさではないことを確認しました。
悪しき作例となりました。
【 詳細:ぢやむ 杉本昭生 活版小本
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{ 新 宿 餘 談 }
ぢやむ杉本昭生氏の新作をご紹介した。
いつも送付される際に「一筆箋」のような文章が附属されているが、今回はめずらしくこぼしが多かった。
たしかに「活版小本」の杉本昭生氏がマッチ箱サイズをねらっても、あまり収穫がないような気はした。 このテはほかの豆本製作者に任せてもよいかもしれない。

ところで、やつがれ フランツ・カフカ(1883-1924)のひそかなファン。
したがって4 ページ 一丁、15丁60 ページ、前後見返しつき、前扉別紙差し込みからなるマッチ箱サイズの上製本、「活版小本 カフカ『道理の前で』」をうれしく拝読させていただいた。
そこでフトおもいだしたのは、この作品はチェコ プラハの「黄金の小径」で執筆されたのではないかというおぼろな記憶だった。

2013年晩夏、三泊四日の強行軍でプラハにいった。その報告は「花筏 朗文堂好日録038-喫煙ボヘミアン、プラハへゆく-01 プロローグ」にあるが、ここには序章があるだけでその後の記述はない。
すなわちやつがれが情報過多に陥り、ひとさまにプラハの紹介をすることができなかったというのが苦しいいいわけになる。
2013年のプラハ行きはロシアの航空会社「アエロフロート航空」で、モスクワ経由でいった。
このときの収穫はすくなくなかったが、ともかく魅力がおおすぎて、未整理なままやつがれの胸裡の片隅にある。
2014年に再挑戦をこころみたが、円安のためもあって旅費が高騰していた。

プラハにはいま、アダナ・プレス倶楽部会員・博士山崎が研究のため長期滞在中である。
ノー学部と博士山崎は情報交換が盛んである。したがってどうやらもう一度プラハにいく機会がありそうな昨今である。
プラハの一隅にはカフカの生家があり、そこはちいさな博物館となって公開こされているという。そしてカフカの墓は、その近く「ユダヤ人墓地」にあるという。
前回はユダヤ街にいく時間がなかった。再訪を得たらぜひともたずねたいとおもう。

すなわち、畏友杉本昭生が製作し、失敗作と自嘲した一冊の活版小本が契機となって、プラハ行きを決断することになったということである。
プラハ絵はがき01 プラハ絵はがき02 プラハ絵はがき03 プラハ絵はがき04プラハ市販の長尺絵はがきより。下から二段目、プラハ城脇、かつて錬金術士が居住したことから「黄金の小径」と呼ばれる長屋街。いまはみやげ店がならぶ観光スポット。左手の青い22番の建物は、カフカがここで『城』などの作品を執筆していたとされる。

【世田谷美術館分館向井潤吉アトリエ館】 向井潤吉 西日本紀行 02月06日―03月21日

20151212170042620_0005 20151212170042620_0006洋画家・向井潤吉(1901-95)は、現在向井潤吉アトリエ館のある世田谷区弦巻に1933年にアトリエを構えた。
終戦後は次次と姿を消す伝統的な民家を追い求めて全国を歩いた。
主な取材地は
東日本であったが、しばしば生まれ故郷の京都をはじめ、西日本各地にも足を運んでいた。

本展ではこれまでまとめて紹介する機会の少なかった西日本各地を描いた油彩画、水彩画を集め、向井が綴った紀行文をあわせて紹介する。
【 詳細 : 向井潤吉アトリエ館

アダナ・プレス倶楽部 2016年 年賀状のご紹介

2016絵柄面2016宛名面アダナ ・ プレス倶楽部の年賀状は、例年、数ある欧文活字を時代性によっていくつかのカテゴリーにわけ、それを歴史順に一書体ずつ選択して製作してきました。
これまでの年賀状では、ブラック ・ レター、ヴェネチアン ・ ローマン、オールド ・ ローマン、トランジショナル ・ ローマン、モダン ・ ローマン、エジプシャンを経て、一昨年よりサンセリフのカテゴリーに入りました。

一昨年は 「 グロテスク ・ サンセリフ 」 の 「 フランクリン ・ ゴシック 」 を使用、昨年は 「 ネオ ・ グロテスク 」 の 「 ヘルベチカ 」をもちいました。 
ことしの年賀状の活字は、 絵柄面に「ヒューマン・サンセリフ」とされる ユニバース 55, 12 pt. を組版・印刷しました。宛名面はゴシック活字、8 pt. を中心としています。
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ユニバース活字の製作者 : アドリアン・フルティガー(Adrian Frutiger 1928-2015)は、20世紀の壮大な Univers 宇宙 をキャンバスとし、鮮烈な Meridien 子午線 に軌跡をのこしたひと。 Univers,  Meridien,  OCR – B などの不朽の活字設計をなし、オルリィ空港、シャルル・ド・ゴール空港、パリ地下鉄道のサインシステムと制定書体を製作し、旧約聖書にもとづいた記号学の進展にもおおきく貢献したひとでした。

不朽の名作活字として評価のたかいユニバース・ファミリーですが、この書体は Deberny & Peignot 社の関連企業 Photon の写植活字として1957年に登場しました。フルティガー29歳のときの意欲作で、1960年代以降には American Typefouders,  Monotype, Matrotype などから相次いで金属活字、電子活字としても発売されました。
フルティガーは晩年にいたるもユニバース・ファミリーの改刻に意欲を発揮しましたが、2015年9月10日 スイス・ベルンにて逝去されました[詳細 : 活版 à la carte 【追悼】 20世紀後半のタイポグラフィを主導したひと、アドリアン・フルティガー氏逝去 ]。

ファイル:Biosphère Montréal.jpgことしの年賀状は、アドリアン・フルティガーへの追悼のおもいをこめながら、「宇宙船地球号」のことばをひろめ、1967年モントリオール万博アメリカ館の「ジオデシック・ドーム」の設計でもひろく知られる、マサチューセッツ州出身の、思想家、デザイナー、構造家、建築家、発明家、詩人の、リチャード・バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller, 1895-1983)の「宇宙船地球号」の格言を印刷しました。
[ 写真 : ジオデシック・ドーム(1967年モントリオール万博アメリカ館) ウィキペディアより

韓国全羅道光州市に<国立アジア文化殿堂>完成。その一画にアダナ・プレス倶楽部がご発注をいただき「活版工房」が設置・開設されました

IMG_1117 IMG_1123 朴志勲さん  協力 ・ 写真提供

韓国・光州市に「国立アジア文化殿堂」が誕生

朴志勲さんの仲介をいただきアダナ・プレス倶楽部が設備一切を担当

韓国光州の複合文化施設「国立アジア文化殿堂」が、2015年11月25日に全館オープンを迎えました。「国立アジア文化殿堂」は五つの主要施設からなる建物群からなり、延べ16万平方メートルに達するおおきな施設です。

同館のアジアのデザイン」をテーマに企画展示を開催している「文化情報館」に「活版工房」を開設したいとのご希望があり、<水曜会 ちいさな勉強会>の会員として、ともに研究をつづけている仲間、「朴志勲 Park Ji Hoon 」さんの協力をいただきながら、小型活版印刷機 Salama-21A をはじめ、活版木工品、欧文活字、邦文活字、込め物、活版インキなど、すべての設備を新製品でアダナ・プレス倶楽部が納入させていただきました。

すこしく苦労があったのは木工製品でした。 活版印刷にもちいる文選箱をはじめとする木工製品は「活版木工」とされ、大工・建具の工匠とはことなった特殊な専門技芸者の手によっていました。ところが数年前に「活版木工所」はすべて閉鎖され、管見ながら東アジアのどこの国でも活版木工製品が製造できなくなっていました。

アダナ・プレス倶楽部では、最末期の活版木工士からの伝承をつたえ、木工製品の供給を途絶することなく、意欲のある木工所で継続製造の道を徐徐に拡張してきました。 そのため「韓国国立文化殿堂 情報文化館」からご発注があった、文選箱・ゲラ・ゲラ棚・活字ケース・込め物ケース・活字馬棚・組版台などのすべてを、活版印刷全盛期の1970年代とほぼ同等の 10.5 pt. をすべての基準寸法とする品質での納入ができました。

下掲写真五点は木工所で組み立て完成後、塗料乾燥待ちの状態 DSCN1082 DSCN1080 DSCN1084 DSCN1097 DSCN1090

韓国国立文化殿堂 情報文化館」への納入に際しては、同館担当者はもとより、友人でもある朴志勲さんの仲介の労があずかって大なるものがありました。ここに篤くお礼を申しあげます。
あわせて、活版印刷機の製造とともに、五号活字 10.5 pt をすべての寸法基準とする「活版木工」の伝統の継続のためにも、わが国の大型施設などからも、こういう本格的な「活版木工」のご発注をお待ちしているところでございます。

──────────   朴志勲さんからのおたより
m_paku 韓国の「光州(クァンジュ)広域市」は韓国南西部、全羅道にある代表的な都市です。
光州では二年に一度、芸術祭<光州ビエンナーレ>が催されるいっぽう、過去には「光州学生独立運動」や、軍事政権に抵抗した「光州事件」の地としても知られています。

光州を含む全羅道全体は、食事がおいしく、おかずもたくさん出されることから、光州は「芸術の都、義の都、味の都」とも呼ばれています。
この光州に2004年の事業開始からおよそ10年をへて、アジアの歴史、文化、芸術、教育、展示を共有する複合文化施設「国立アジア文化殿堂」が、2015年11月25日に全館オープンを迎えました。「国立アジア文化殿堂」は五つの主要施設からなる建物群からなり、延べ16万平方メートルに達するおおきな施設です。

その中でもアダナ・プレス倶楽部の皆さんにご紹介したいのは、「アジアのデザイン」をテーマに企画展示を開催している「文化情報館」です。 アジアのデザインといえば、やはり漢字文化圏特有の文字づかいが象徴的におもい浮かびます。このブースでは西洋から受け入れた活版印刷術が、漢字文化圏に定着されていった様子を知ってもらうために、近代印刷物の展示および活版印刷の体験工房を設けて、一般人に向けたワークショップを展開する計画をたてています。ちなみに、この工房施設の設備には朗文堂 アダナ・プレス倶楽部のご協力とアドバイスを受けました。

実際に「国立アジア文化殿堂 文化情報館」の最初のプログラムとして、「誰かにあげたいカードをつくろう」というテーマで、本格オープンに先立って2015年10月16-17日に簡単なワークショップを実施しました。
出版関連の人から、幼稚園の先生、大学生、主婦、子供 …… まで、さまざまな分野の人が、2 時間かけて自分オリジナルのカードを制作しました。 18ポイント活字/1 色のみのシンプルな印刷物ですが、はじめて体験する人にとってはかなり集中力を要する2 時間でした。

それでも自分でハンドルを操作、プレスして、活版印刷物ができたときは大声を出して喜びました。  民間人向けの体験施設とはいっても、安全性を含め、細やかな管理が必要な空間です。まだまだ課題の多いプロジェクトではありますが、韓国でもこのような風景が見られるようになったことだけで嬉しい気分になります。

ご面倒でも電話口の向こうの知人に、電話番号、ビル名、マンション室名をゆっくり丁寧に伝えてください

20160106172931979_0001電話番号、ビル名、マンション室名など、数字が所〻に混じった文を口頭で、まして顔がじかにみれない電話でひとに伝えるのは面倒なものです。
恐縮ながら上掲の文を、声にだして、ゆっくりおよみください。

もしかすると「0 → ゼロ まる」とまじってよみませんでしたか。
{ 渋谷109 } は 「 シブヤ イチ マル キュウ」、イマドキの若者は「マルキュウ」がふつう。
これを「縦組み前提」でデジタル機器に入力すると、数字はテンキー使用だ、とばかりもいっていられない意外な事故が発生中です。

というのは、いわゆる「漢数字のゼロ 〇 」は、字(文字)としては日中台ともに扱っていないためです。ですから最近発行された簡便なものをのぞき、わが国のほとんどの「漢和辞典」、中国・台湾の「字書」には登場しません。
なによりも「◯ ゼロ」とカタ仮名表記したくなることからもおわかりのように、造字活動がさかんだった漢代をふくめ、古代の中国人は「◯ ゼロ」を発見しておらず、「〇 ゼロ」の発見はインド地方であり、それがアラブ諸国を経由して、14-15世紀にヨーロッパに伝えられたとされています。
古代の中国人は、知らなかった「〇 ゼロ」に、字義・字画・字音(よみ)をあたえることはできなかったことは当然といえるでしょう。

「字」をうんだ中国・台湾はもとより、わが国でも「字」であるための条件とは簡単明快で、
「定まった意味(字義)、さだまった形象(字画)があること」とされます。
いわゆる「漢数字のゼロ 〇 」は、その点、「〇 ゼロ」、「一〇 ジュウ」、「一〇〇 ヒャク」となり、「字であることの条件」、「定まった意味(字義)、さだまった形象(字画)があること」に反することになります。
したがって現代のパソコン搭載のデジタルタイプは、「漢数字のゼロ 〇 」を、下掲図のように「準仮名・(準)漢字」という奇妙なコーナーにおくことがあります。すなわち「字」になりきっていない、記号的な扱いにとどまっているということです。
その記号的な扱いの危険性は、 {他人事} とともに、いずれゆっくりと解明しましょう。
ATOK 文字パレット 準仮名・準漢字

【会員情報】 若月陽子さん ギャラリー フィール アート ゼロ <花 ー hana>に「手向ける」を出展されます

20160105211857254_0002 20160105211857254_0003 20160105211857254_0004< 花 ―― hana >
掬う 三浦世津子・ガラス
辿る 真月洋子・写真
手向ける 若月陽子・絵
2016年01月16日[土]-01月31日[日]
ギャラリー フィール アート ゼロ
[ 詳細 : http://www.life-deco.net/ ]

20160105211857254_0001若月陽子さん 時候のご挨拶