きょう10月04日は明治産業近代化のパイオニア平野富二 百七十回目の誕生日{弘化03年08月14日(新暦1846年10月04日)}

e9fd275dc476af6b4d99a7f56e59b9b5平野富二 
弘化03年08月14日(新暦1846年10月04日)-1892年(明治25)12月03日逝去 行年47

<平 野  富 二>
弘化03年08月14日(新暦 1846年10月04日)、長崎奉行所町使(町司)矢次豊三郎・み祢の二男として、長崎引地町ヒキヂマチ(現:長崎県勤労福祉会館 長崎市桜町9-6)で出生。幼名富次郎。
16歳で長崎製鉄所機関方となり、機械学伝習。

長崎諸役所絵図0-2国立公文書館蔵『長崎諸役所絵図』(請求番号:184-0288)
平野富二生誕地 長崎奉行所町使(町司)長屋 矢次家旧在地
長崎引地町ヒキヂマチ(現:長崎県勤労福祉会館 長崎市桜町9-6)
48632901d887fc7558749f89fba250971[1]<Viva la 活版 ばってん 長崎>
2016年05月07日{崎陽探訪 活版さるく}で参加者の皆さんと平野富二生誕地を訪問

1872年(明治05)婚姻とともに引地町 ヒキヂマチ をでて 外浦町 ホカウラマチ に平野家を再興。平野富二と改名届出。
同年七月東京に活版製造出張所のちの東京築地活版製造所設立。
ついで素志の造船、機械、土木、鉄道、水運、鉱山開発(現IHIほか)などの事業を興し、在京わずか20年で、わが国近代産業技術のパイオニアとして活躍。
1892年(明治25)12月03日逝去 行年47