月別アーカイブ: 2018年2月

【公演】国立劇場 小劇場 二月文楽公演 公演期間  2月10日[土]─2月26日[月]

国立文楽オモテ 国立文楽ウラ

国立劇場 小劇場
二月文楽公演
公演期間  2月10日[土]-2月26日[月]
開演時間 
  第一部 午前11時開演(終演 午後1時50分予定)
  第二部 午後2時30分開演(終演 午後5時20分予定)
  第三部 午後6時開演(終演 午後9時予定
  * 開場時間は、開演30分前の予定です。
演       目 

●第一部(午前11時開演)●
近松門左衛門=作
心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)
 上田村の段
 八百屋の段
 道行思ひの短夜

●第二部(午後2時30分開演)●
花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)
 万才・鷺娘

八代目竹本綱太夫五十回忌追善/豊竹咲甫太夫改め六代目竹本織太夫襲名披露
口上

追善・襲名披露狂言
摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)
 合邦住家の段

●第三部(午後6時開演)●
近松門左衛門=作
女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)
 徳庵堤の段
 河内屋内の段
 豊島屋油店の段
 同   逮夜の段

【 詳細情報 : 国立劇場 】 ☆初出:01月05日 再紹介
文楽二月特設

【展覧会】山種美術館企画展「生誕150年記念 横山大観 ─東京画壇の精鋭─」開催中 2月25日まで

26165558_1979003148806672_848827384213594374_n山種美術館 企画展
生誕150年記念  横山大観 ―東京画壇の精鋭―
会期: 2018年1月3日[水]-2月25日[日]

会場: 山種美術館
主催: 山種美術館、朝日新聞社
開館時間: 午前10時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日: 月曜日   * 1/8[月]、2/12[月]は開館、1/9[火]、2/13[火]は休館
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近代日本画の第一人者、横山大観(よこやま-たいかん 1868-1958)。生誕150年と没後60年にあたる本年、当館所蔵の大観作品全点を一挙公開するとともに、東京画壇で活躍した画家たちの作品を紹介する展覧会を開催します。

常陸国(ひたちのくに・茨城)水戸藩士の家に生まれた大観は、1889年、東京美術学校に第1期生として入学し、下村観山(しもむら-かんざん)、西郷孤月(さいごう-こげつ)、菱田春草(ひしだ-しゅんそう)とともに、岡倉天心(おかくら-てんしん)の薫陶のもと、橋本雅邦(はしもと-がほう)らの指導を受けました。
1898年には、校長を辞した天心に従って東京美術学校を離れ、日本美術院の創設に参加します。1906年、茨城県五浦(いづら)に移住し、観山、春草、木村武山(きむら-ぶざん)と同地で研鑽をつみ、天心没後の1914年には日本美術院を再興しました。
天心の遺志をついで、生涯にわたり新たな日本画の創造につとめ、国民的画家としての評価を確立した大観。その画業の足跡は、日本・東洋と西洋の文化がせめぎあうなかで、明治以降の日本画が発展していく過程と重なるものであり、大観その人が近代日本画を象徴する存在であるといっても過言ではありません。

大観は当館の創立者・山﨑種二(やまざき-たねじ)が最も親しく交流した日本画家のひとりでもありました。本展では、初めて挑んだ水墨画巻《楚水の巻》と《燕山の巻》、《作右衛門の家》をはじめとする代表作や、種二との親交を通じて蒐集された作品などを含む、当館所蔵の大観作品全点をご紹介します。
当館の大観コレクションを一堂にご覧いただくのは、本展覧会が開館以来初の機会となります。

さらに、再興院展で活躍した小林古径(こばやし-こけい)、安田靫彦(やすだ-ゆきひこ)、前田青邨(まえだ-せいそん)や、東京美術学校で学び日展で活躍した山口蓬春(やまぐち-ほうしゅん)、東山魁夷(ひがしやま-かいい)など、大観と同様に種二と交流をもった、当館ゆかりの画家たちの作品もあわせてご覧いただきます。
近代日本画の発展をリードした大観の芸術を、東京画壇の精鋭たちの優品とともにご堪能いただければ幸いです。

【 詳細情報 : 山種美術館 】 初出:01月05日

【催事】王子装束稲荷神社 初午 2月7日[水]開催

王子装束ゑの木 大晦日の狐火王子装束ゑの木 大晦日の狐火 国立国会図書館 請求記号:寄別1-8-2-1

〔活版 à la carte 関連既出情報:【催事】{歌川広重 王子装束ゑの木 大晦日の狐火}再現 第25回 王子 狐の行列 大晦日夜九時ゟ
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2-2
北区教育委員会
装束稲荷神社 しょうぞくいなりじんじゃ
東京都北区王子2-30-13

昔は、この辺り一帯は一面の田畑で、とても寂しい場所でした。その中に榎エノキがあり、装束榎と呼ばれていました。
大晦日になると関東一円の狐が榎のもとに集まり装束を整え、近くの王子稲荷神社へ初詣をしたという伝説があり、 広重の浮世絵にも描かれています。榎は現存しませんが、現在は榎のあったそばに装束稲荷神社と装束榎の碑があります。
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名所江戸百景

浮世絵師歌川(安藤)広重の最晩年の風景版画のシリーズ。版元は魚栄で、安政三年(一八五六)から同五年にかけて出版された。総数は、二代広重の「赤坂桐畑雨中夕けい」の一枚を加えて、百十九枚である。
広重はこのシリーズの構図構成で、中景を廃して、近景と遠景だけで作画しており、広重ブリューといわれる藍をいかした着彩法を用いて、画趣に富んだ作品としている。また彼の作画上の特性である雪・雨・霧・月などを活用して、情調的な図を多く描いている。

なかでも「大はしあたけの夕立」「王子装束ゑの木大晦日の狐火」「深川洲崎十万坪」は三役物とされ、「日本橋雪晴」「廓中東雲」「墨田河橋場の渡かわら竈」「隅田川水神の森真崎」「真乳山山谷堀夜景」「糀町一丁目山王祭ねり込」「浅草川首尾の松御厩河岸」「昌平橋聖堂神田川」「赤坂桐畑」「駒形堂吾嬬橋」「亀戸天神境内」「佃しま住吉の景」「京橋竹がし」「猿わか町よるの景」「両国花火」「目黒太鼓橋夕日の岡」「御厩河岸」「愛宕下藪小路」「虎の門外あふひ坂」「深川木場」「千住の大はし」「よし原日本堤」などが佳作とされる。全作品は『浮世絵大系』一六・一七に収められている。(参考:『国史大辞典』吉川弘文館)
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王子村
[現]北区王子一-六丁目・王子本町一-三丁目・十条台一丁目・東十条三丁目・岸町一-二丁目

十条村の南にあり、南は王子川(石神井川)を隔て滝野川村。荒川の右岸に臨む地であったので元来は岸村といったが、紀州熊野の若一王子(にやくいちおうじ)宮(現王子神社)を勧請してから王子村に改めたと伝える(風土記稿)。日光御成道が南東から北西に通る。
田園簿には王子村とあり、田-八八石余・畑-三九石余。内訳は王子権現領二〇〇石・江戸芝愛宕権現領一一〇石余・浅草幸龍寺領一八石余。王子権現領は天正一九年(一五九一)、幸龍寺領は寛永二年(一六二五)、芝愛宕権現領は同一三年に与えられており、いずれも朱印地で(寛文朱印留)、幕末まで変わらない(旧高旧領取調帳)。
文化・文政期の家数八六(風土記稿)。安政二年(一八五五)の家数九一・人数五四九、馬二。日光御成道両側に茶屋が並んでいた(「川口・岩淵宿組合地頭姓名其外書上帳」永瀬家文書)〔中略〕。

王子村の鎮守は王子権現。このほかに稲荷社(岸稲荷、現王子稲荷神社)があり、寺院には王子権現・稲荷両社の別当寺として古義真言宗金輪寺(現真言宗霊雲寺派)があった(風土記稿)。
稲荷社は関東所々の稲荷明神の棟梁といわれ、毎年一二月晦日の夜に関八州の狐が集まって狐火をともすといい、地下人らはこの火を見て翌年の作柄の良し悪しを判断した(江戸名所記)。これは狐火会とよばれた(風土記稿)。
飛鳥山の花見などと合わさって一八世紀半ばから参詣者が増加し、周辺に料理屋・茶屋が多くできた。文政七年(一八二四)の江戸買物独案内には王子稲荷前の料理屋海老屋喜左衛門・扇屋安右衛門の店がみえている。参道で土産として売られた狐の紙人形は、江戸時代後期には暫狐などのように歌舞伎役者の舞台姿を写した絵柄となった。(参考資料:『日本歴史地名大系』平凡社)

王子狐

王子装束稲荷

{とどめの蛇足}
はつ‐うま 【初午】
2月の最初の午の日。また、その日に行われる各地の稲荷神社の祭礼。
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というわけで、蛇足がながくなりましたが、

2月7日[水]、装束稲荷神社 初午

2月の午の日は稲荷神社の祭日です。
今年の初午は2月7日(水)、二の午は19日(月)です。
装束稲荷神社では社務所で火防凧をお頒ちします。
甘酒の接待もご用意しています。ぜひお参りください。

【詳細情報: 王子狐の行列 】 ☆初出:01月23日