【展覧会】パナソニック汐留美術館|テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本|’24年4月6日-6月9日

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パナソニック汐留美術館
テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本
会  期  2024年4月6日[土]- 6月9日[日] * 会期中、一部展示替えします。
      前 期:4月6日[土]- 5月7日[火]/後 期:5月9日[木]- 6月9日[日]
会  場  パナソニック汐留美術館
      〠 105-8301 東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階
      電話番号 ハローダイヤル 050-5541-8600
開館時間  午前10時 - 午後6時(入館は 午後5時30分 まで)
      * 5月10日㈮、6月7日[金]、6月8日[土]は夜間開館
       午後8時まで開館(入館は午後7時30分まで)
休  館  日  水曜日(ただし6月5日は開館)
入  館  料  一 般 1,200円、65歳以上 1,100円、大学生・高校生 700円、中学生以下 無 料
      * 障がい者手帳をご提示の方、および付添者1名まで無料
      * チケット各種割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照 
主  催  パナソニック汐留美術館、朝日新聞社
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人類史上に輝く繁栄を誇った古代ローマ。なかでも、その豊かなくらしと優れた建築技術を象徴するのがテルマエ(公共浴場)です。無類のお風呂好きと言われる日本人が高い関心を寄せるテルマエは、とりわけヤマザキマリ氏の漫画『テルマエ・ロマエ』によって多くの人の知るところとなりました。本展は、ナポリ国立考古学博物館所蔵の絵画、彫刻、考古資料を含む100件以上の作品や映像、模型などを通して、テルマエを中心に古代ローマの人々の生活を紹介します。また、本展では、独自の風土のなかで育まれた日本の入浴文化もとりあげます。『テルマエ・ロマエ』の主人公ルシウスが浴場を通して日本とローマを往復したように、それぞれの入浴文化を体感することのできる機会となるでしょう。

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<展覧会の見どころと特徴>
❖ 1.イタリア・ナポリ国立考古学博物館から《恥じらいのヴィーナス》や《アポロとニンフへの奉納浮彫》など、32件が来日!
古代ローマでは、ローマ市内に大規模なテルマエがいくつも建設され、温泉もまた、医療や健康と結びついて利用されていました。庶民は、毎日の仕事のあとのテルマエでのひと時と、特別な日の見世物でくらしを彩りました。一方で富裕な者たちは、家で豪華な饗宴を繰り広げました。そんな古代ローマのテルマエと人々のくらしを伝える貴重な絵画、彫刻、考古資料が来日します。
❖ 2.映像や模型などを通して古代ローマと日本の浴場文化を分かりやすくご紹介!
古代ローマのテルマエを想像復元したCG映像や、カラカラ浴場を250分の1のサイズで復元した模型など様々な展示作品、資料を通して古代ローマと日本の入浴文化を身近に感じていただきます。
❖ 3.温泉や銭湯から内風呂まで、国内のお風呂文化の歴史と地域性にも着目!
家で風呂に入り、時に銭湯に行き、旅行で温泉を訪れるなど、現代の日本人にとって、入浴は日々のくらしに欠かせない習慣と愉しみになっています。こうした日本の入浴に関する美術品や資料も紹介し、入浴文化を通して日本の歴史の一端を垣間見ます。

◉ 序 章:テルマエ/古代都市ローマと公共浴場
テルマエとは、狭義には皇帝らによって建設された大規模公共浴場を、広義には古代ローマの版図内の公共浴場全体を指します。4世紀のローマ市内には、大規模な公共浴場は11を数え、小規模なものは約900軒にのぼっていたといいます。
ローマ市で最初のテルマエは、初代皇帝アウグストゥスの右腕のアグリッパによって建設されました(前25年)。その後、ネロ帝(60-64年頃)やティトゥス帝(80年)、トラヤヌス帝(109年)らにより大規模なテルマエが建設されました。ローマ市内のテルマエで今も遺構がよく残っているのは有名なカラカラ浴場(216年)と、ディオクレティアヌス浴場(306年頃)です。その他の都市でも数多くのテルマエ遺跡が見つかっています。
◉ 第1章:古代ローマ都市のくらし
ローマをはじめとした大都市には、政府高官、貴族、商人、職人、労働者、奴隷たちなど多様な人々がひしめくようにくらすようになります。富裕な者たちの家では、しばしば友人たちを招いて豪華な饗宴が催されました。一方、下層民の住空間は狭く、水道や台所、風呂の設備もありませんでした。
皇帝たちは大衆の不満を解消すべく、食糧の施与や見世物など娯楽の提供という施策を行いました。テルマエも、大衆からの人気を得るのに大いに役立ちました。庶民たちのくらしは、特別な日の見世物と、毎日の仕事のあとのテルマエによって彩られていたのです。
◉ 第2章:古代ローマの浴場
テルマエのルーツには、古代ギリシャの運動施設の水風呂や、医療行為として神域に設けられた入浴施設があります。それらを大衆の娯楽のために、驚くほどの規模へと発展させたのはローマ人でした。
ローマ人にとって、テルマエは単なる体を洗う場所ではなく、身体を動かし、汗を流し、多くの人と交流して、心身の健康を保つための場所でした。種々の浴室のほかに、運動場やいくつもの部屋が付随していたのは、テルマエの複合施設としての性格を示しています。
大規模なテルマエをつくるには、用地と水道が必要でした。紀元前19年にウィルゴ水道が敷設されると、水や湯をふんだんに使用する正真正銘のテルマエとなりました。
◉ 第3章:テルマエと美術
テルマエは、大衆が美術品を間近に見ることのできる場でもありました。床には水に強いモザイクが好まれました。また、ローマの大規模なテルマエには、数多くの大理石彫刻も飾られ、皇帝や浴場の建設者の肖像のほかに、神々の像や古代ギリシャの有名作品のコピーが壁面のニッチや円柱の間の台座の上に並んでいました。主題は適当に選ばれたわけではなく、浴場にふさわしいものが選択されました。
◉ 第4章:日本の入浴文化
日本の入浴は、おおまかに、天然の温泉と、人工的な施設で行うものとに分けられるでしょう。火山列島のため豊富に温泉の湧く日本では、古くから各地の温泉が地域の住民によって守られ利用されてきました。戦国時代には、武田信玄の隠し湯のように、武将たちが療養のため領内の温泉を訪れることもありました。
人工的な入浴施設は、仏教の寺院内につくられ、汚れと穢れを清める場として広まっていきました。江戸時代には町の中に湯屋が整備され、お湯につかるという現代にいたる入浴のスタイルが定着します。本章では、こうした日本の入浴に関する美術品や資料を紹介します。江戸・東京からアクセスがあった箱根や熱海の温泉や東京にも今なお多く残る銭湯にまつわる資料も展示し、また家庭内の内風呂にも着目します。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : パナソニック汐留美術館  テルマエ展特設公式サイト