国立ハンセン病資料館
ミュージアムトーク2024/特集 ハンセン病療養所の女性たち―1冊の本をめぐって
※全5回のトークイベント ※手話通訳付き ※事前申込制 各回定員130名
国立ハンセン病資料館は、ハンセン病問題に対する正しい知識の普及
啓発による偏見・差別の解消及び患者・元患者とその家族の名誉回復を図ることを目的としています。
ハンセン病患者・回復者の女性たちは隔離政策下の療養所でどのように生きてきたのでしょうか。今回のミュージアムトークは、ハンセン病療養所の女性たち自身が書いた書籍等をとりあげ、これまでのハンセン病療養所の歴史叙述の中では登場する機会が少なかった女性たちの生に迫ります。
所 在 地 国立ハンセン病資料館 映像ホール
〠 189-0002 東京都東村山市青葉町4-1-13
TEL: 042-396-2909 / FAX: 042-396-2981 ▷ アクセス
開館時間 9時30分 - 16時30分 * 入館は閉館の30分前まで。
休 館 日 月曜および「国民の祝日」の翌日。月曜が祝日の場合は開館。年末年始。館内整理日。
入 館 料 無 料
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◆ 1. 国立ハンセン病資料館の目的
ハンセン病資料館は、ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発による偏見・差別の解消及び患者・元患者の名誉回復を図ることを目的としています。
◆ 2. 「ハンセン病」とは
らい菌による慢性の感染症です。初期症状は皮疹と知覚麻痺です。治療薬がない時代には変形を起こしたり、治っても重い後遺症を残すことがありました。そのため、主に外見が大きな理由となって社会から嫌われてきました。現在では有効な治療薬が開発され、早期発見と早期治療により後遺症を残さずに治るようになりました。
◆ 3. 国立ハンセン病資料館のあらましとお願い
ごあいさつ
国立ハンセン病資料館のあらましとお願い
ハンセン病資料館は、はじめ「高松宮記念ハンセン病資料館」として、1993(平成5)年6月に開館しました。その後、規模を大きく拡げ、名称も「国立ハンセン病資料館」と改め、2007(平成19)年4月に再開館しました。
国立ハンセン病資料館の設置根拠は、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」(2009年4月施行)の第4章「名誉の回復及び死没者の追悼」中、第18条「国は、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復を図るため国立のハンセン病資料館の設置、歴史的建造物の保存等ハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及啓発その他必要な措置を講ずる(後略)」という条文です。
全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)は、この条項について「現在、国立ハンセン病資料館は、その目的として“ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発による偏見・差別の解消及び患者・元患者の名誉回復を図ること”をあげています。ハンセン病に対する正しい知識も必要ではありますが、患者・元患者の名誉回復を図るために本当に必要なのは、“ハンセン病対策の歴史に関する正しい知識”であるはずです」と解説しています。
日本のハンセン病対策の歴史は、1897(明治30)年の第1回国際らい会議における〈ハンセン病の予防には隔離が最善〉という提案をそのまま採り入れて、すべての患者を隔離することによって、ハンセン病は絶えるという短絡的な思考のもとに、絶対隔離すなわちすべての患者の終生隔離を目指しました。1907(明治40)年に「癩(らい)予防ニ関スル件」を制定し、さしあたっては放浪する患者の収容からはじめ、1931(昭和6)年には「癩(らい)予防法」に改正して絶対隔離への足がかりをつくりました。その頃すでに、国際的には隔離の必要性は低いという評価が高まり、プロミンの効果が確認された1940年代前半あたりになると、隔離そのものの要否が問題になっていました。
ところが日本は、プロミンの効果をそれなりに認めながらも、再発して感染源になることを恐れて、隔離は依然として必要であるという認識をまげず、漫然と、かつ惰性的に、隔離状態を続けてしまいました。回復者の社会復帰も、ほとんどは本人任せで、積極的に支援することもなく、その困難性を根強い偏見によるものとだけして社会啓発はなおざり、という状況でした。1995(平成7)年、日本らい学会は総会の場において正式にこの過ちを謝罪しましたが、あまりにも遅すぎたのです。
こうした経緯は、現在の〈患者中心の医療〉という基本的なあり方からしますと、全く正反対の行為を強行したものにほかなりません。国立ハンセン病資料館の展示も、絶対隔離を主導した光田健輔やそれを国策として支援した国を批判する構図になっているのは当然のことです。
ただし、このようなハンセン病対策の歴史について、「光田が悪い」、「国も悪い」、「ハンセン病患者は気の毒だった」というように、ご自身は第三者の立場であるかのように考えてはいませんか?
1951(昭和26)年1月に、山梨県下において、長男がハンセン病と診断されたのを苦にして一家9人が青酸カリによる服毒心中を遂げるという、あまりにも痛ましい事件が起きました。この一家が、当時たった5つだった、末の女の子まで道連れにしたのは、ハンセン病をむやみに忌み嫌う村人から、一家もろとも村八分にされることをおそれていたからでしょう。
この事件からすでに半世紀以上が過ぎ、ハンセン病についての常識も大きく変わりました。現在では、治療を開始して数日もすると菌は感染性を失います。未治療の患者と乳幼児との濃密な接触が頻繁にくりかえされた場合を除いて、感染・発病することはまずありません。つまりハンセン病は、ほかの慢性の感染症に比べて、さらに安全な〈普通の病気〉のようなものです。
こうしたハンセン病の常識を念頭に置いて、もう一度、山梨県での一家心中事件を思い起こしてみましょう。現在の常識からすると、このような事件は起こるはずがありません。なぜなら、今の私たちは、現に治療中の患者であるか回復者であるかを問わず、一緒にいることも、ともに暮らすことも、何の問題もないことをよく知っているからです。
繰り返しになりますが、山梨県の家族が一家心中に追い込まれたのは、〈ハンセン病は嫌な病気〉〈付き合ってはならない病気〉というように、周りの人びとから思われている…と、一家の当主がおそれたからです。この、村人から嫌われるのでは…という恐怖は、杞憂だったのでしょうか。みなさんは、これを今、思い違いだとはっきり言えますか。
もし言い切れないと思うのであれば、おそらくは村人たちが患者とその家族を忌避したであろうと同じように、皆さんも患者とその家族を排除する、加害者ということになります。
「私は決して、そのような加害者にはならない」と、どうか心の底の底から、誓えるようになってください。そして、そのあなたの誓いを後押ししているのが、国立ハンセン病資料館です。その意味でも、ぜひともお立ち寄りください。お待ちしております。
◆ 4. 目的・理念・求められる資料館像・機能
◉ 目 的
「ハンセン病問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話」、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」前文および第1条(趣旨)、第11条(名誉の回復等)、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」第18条(名誉の回復及び死没者の追悼)に基づき、国が実施する普及啓発活動の一環として、ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する知識の普及啓発による偏見・差別の解消及び患者・元患者の名誉回復を図る。
◉ 理 念
・ハンセン病資料館は、ハンセン病に関する知識の普及や理解の促進に努めます
・ハンセン病資料館は、ハンセン病にまつわる偏見や差別、排除の解消に努めますハンセン病資料館は、ハンセン病に対する、古代以来の長年にわたる偏見・差別、とりわけ誤った隔離政策の歴史に学び、苦難や被害を被った人々の体験と、これらに立ち向かった姿を示します
・ハンセン病資料館は、ハンセン病にまつわる苦難や被害を被った人々の名誉回復を目指し、人権尊重の精神を養うことに努めます
・ハンセン病資料館は、ハンセン病にまつわる苦難や被害を被った人々と社会との共生の実現に努めます
・ハンセン病資料館は、ハンセン病にまつわる苦難や被害を被った人々と社会との共生の実現に努めます〔以下略 ハンセン病資料館ウェブサイト参照〕
※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 国立ハンセン病資料館 ]