【WebSite紹介】 明治産業近代化のパイオニア 平野富二 {古谷昌二ブログ10}── 海援隊発祥の地・長崎土佐商会 ──

6e6a366ea0b0db7c02ac72eae00431761[1]明治産業近代化のパイオニア  平野富二生誕170年

古谷昌二さんuu古谷昌二ブログ10月明治産業近代化のパイオニア  平野富二生誕170年を期して結成された
<「平野富二生誕の地」碑建立有志会>の専用URL
 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ } では、
同会代表/古谷昌二氏が近代活版印刷術発祥の地長崎と、産業人としての人生を
駈けぬけた平野富二関連の情報を意欲的に記述しています。
ご訪問をお待ちしております。

<まえがき> より部分
平野富二は、まだ、平野富次郎と称していた頃の慶応3年(1867)3月から同年12月までのおよそ10ヶ月間、土佐藩に雇われた。土佐藩では、月手当25両7人扶持の待遇で器械方となり、土佐藩所有の蒸気船運行を担当した。
その拠点となったのが、長崎土佐商会で、同年2月に土佐藩が長崎西浜町に開設したばかりであった。

6bbbdb1db947ab88d5124d35a22b83f8[1]「土佐商会跡」碑
長崎路面電車の「西浜町アーケード前」駅の川沿いスペースにたてられている。
その右横に「土佐商会跡」説明板がある。
実際の位置は、この場所から 20m ほど上流の川沿いにあった。
 古谷昌二10月02「夕顔丸」モニュメント
長崎路面電車の西浜町アーケード前駅脇のスペースに建立されている。
「夕顔丸」は通称で、この船中で大政奉還に繋がる「船中八策」が起草された。
幕末維新史の重要な舞台を記念して建立された。

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⑩ 海援隊発祥の地・長崎土佐商会