【山櫻展】 「明治・大正・昭和の戌歳年賀状と宮武外骨」展 山櫻本社1F

20171204113943_00002 20171204113943_00003「明治・大正・昭和の戌歳年賀状と宮武外骨」展
会    場 : 山櫻本社 1 階
時    間 : 9:00-17:30
休展日 : 土・日・祝日・年末年始
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毎年恒例の、明治・大正・昭和の干支(戌年)の年賀状と、戦時中東京大学の図書館にこもって絵葉書の整理をしていたという逸話の残る宮武外骨氏の「滑稽新聞定期増刊の1月号」を展示します。
現代の年賀状とは違うクオリティの高さと発想の豊かさをぜひご覧ください。
【 詳細情報 : 山 櫻
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{新塾餘談}

宮武外骨01宮武外骨(みやたけ-がいこつ 1867-1955)

明治・大正・昭和期のジャーナリスト、新聞史研究家。
慶応3年1月18日、讃岐国(香川県)の豪農の家に生まれる。幼名亀四郎。
18歳のとき漢和辞典の「亀外骨内肉者也」という説明から宮武外骨と戸籍名を改名。
少年時から『団々〔まるまる〕珍聞』などに狂詩を投書。1886年(明治19)『屁茶無苦〔へちゃむく〕新聞』を創刊したが、風俗壊乱として発売禁止となる。
以後彼の特異な新聞・雑誌活動は数多くの筆禍を被った。1887年『頓智〔とんち〕協会雑誌』を創刊。同誌第28号に大日本帝国憲法発布式を風刺した「頓智研法発布式之図」を掲げたことから不敬罪に問われ、禁錮3年を受ける。

宮武外骨021901年(明治34)大阪で『滑稽新聞』を創刊。風刺記事、戯作によって大いに評判を得たが、しばしば筆禍にあった。
また平民社の社会主義運動に共感して資金を援助し、『大阪平民新聞』の発行も助けた。
第12、13回衆議院議員総選挙に「選挙違反告発候補者」として立候補したが、落選。
関東大震災(1923)後は、明治の新聞・雑誌の保存収集の必要性に着目。
1924年(大正13)吉野作造らと明治文化研究会を組織し、明治文化の研究に全力を傾けるとともに、博報堂の瀬木博尚(1852―1939)の援助を得て東京帝国大学(東京大学)に「明治新聞雑誌文庫」を設置、以後は同文庫主任として収集充実に努めた。
『筆禍史』(1911)、『売春婦異名集』(1921)、『明治密偵史』(1926)など多くの著書がある。昭和30年7月28日死去。