【展覧会+イベント】日中友好会館美術館|日中国交正常化50周年記念展 PartⅡ|~北京国際美術ビエンナーレより~ アートで見る中国のいま|’22年6月17日-8月14日

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日中友好会館美術館
日中国交正常化50周年記念展 PartⅡ
~北京国際美術ビエンナーレより~ アートで見る中国のいま
会  期  2022年6月17日[金]-8月14日[日]
休  館  日  毎週月曜日
開館時間  10時-17時 * 6/24、7/8、7/22、8/5 は 20時まで開館
主  催  公益財団法人日中友好会館、中国美術家協会
会  場  日中友好会館美術館 <会期中のイベント案内は こちら から>
      112-0004 東京都文京区後楽1丁目5番3号 TEL. 03-3815-5085   
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2000年以降、急速な経済成長を背景に中国のアート市場は飛躍的に拡大しました。現在アート市場規模がアメリカに次いで世界第2位となった中国は、アートシーンにおいても存在感を高め、その動向が世界から注目されています。
本展では、“ 世界最大規模の絵画と彫刻を主とする国際美術ビエンナーレ ” と評される、『北京国際美術ビエンナーレ *』の過去8回の出展作品から厳選した、絵画・版画・彫刻・映像など 35 作品をご紹介します。普段、私たちがインターネットやテレビを通して目にするのとはまた違う、アーティストたちによって映し出された「中国のいま」を感じてみてください。

* 北京国際美術ビエンナーレは、中国・北京市で2003年より隔年開催されている、絵画と彫刻を主とする大規模な国際美術展覧会。第9回北京国際美術ビエンナーレ(2022年1月開催)には、117の国と地域から約700名のアーティストが参加した。これまで累計5000人近くのアーティストが参加し、100万人以上の来場者を迎えた。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上参観を。
[ 詳細 : 日中友好会館美術館  ] 

【参考 YouTube 新竹青年国楽団《梁祝》Butterfly Lovers ErHu Concerto  指揮/閻 惠昌 二胡/孫 凰  29:20】

【 参考 YouTube 伝統的な中国リラックス音楽集 (古筝、琵琶、竹笛、二胡)3:12:34】

{新宿餘談}
梁 祝 ── りょうざんぱく/しゅくえいだい【 梁 山伯 と 祝 英台 → 梁祝 】

中国の悲恋物語〈梁 山伯と祝 英台〉の男女が主人公

上掲《梁祝》は、すこしふるく2013年台湾での録取とされる。人気プログラムらしく、すでに YouTube では 9百万回 以上の閲覧が記録されている。筆者は、二胡ソリスト 孫 凰 女史の パワフルかつダイナミックな演奏と、音大生なのか、フレッシュな 新竹青年国楽団の諸君・諸嬢の演奏が新鮮で、ときおり楽しんでいる。
ウィキペディアでは、「梁山伯と祝英台(りょうざんぱくとしゅくえいだい)は、「梁山伯」と「祝英台」という二人の恋愛を語った民間説話で、中国の四大民間説話の一つとされ、派生作品などがしばしば 梁祝 と略される」と簡略にまとめている。
ところが「ふみ 文 と 字」の国、中国民間説話の背景には、相当詳細な記録がなされている。あまり読んでも楽しくないので「続きを読む」にまとめた。

それをお読みいただく際は、下掲の動画 【 YouTube 伝統的な中国リラックス音楽集 (古筝、琵琶、竹笛、二胡)3:12:34】を BGM がわりにちいさな音量で流しておくことをお勧めしたい。
このシリーズのアルバムは、時折オシャレな中国料理店などで、ほんのちいさく流れていることがある。会食でのリラックスにはいいが、瞑想音楽ともされており、眠くなることがある。
筆者は聴力が低下したせいか、五線譜にしるされた 近世音楽 にいささか疲れた。ここのところはもっぱら瞑想音楽を愉しんでいる。それよりなにより、中国古典楽器のうち、二胡と排簫(はいしょう 排笙トモ)の嫋嫋と哀惜を帯びた音色は、耳朶につよくのこるのである。

梁 山伯(Liáng Shānbó)は東晋(317-420)中期ごろの人物とされるが、民間説話の架空の人物である可能性も高い。文献上の初出は、初唐 (7世紀) の梁 載言『十道四蕃志』の「義婦 祝英台は 梁 山伯 と 同じ墳墓に葬られている」という短い記述である。
義婦とされた 祝 英台(Zhù Yīngtái)は、上虞(現、浙江上虞)の祝氏の娘で、向学心が強く、男装して遊学した。そこで会稽(浙江紹興)から来た梁 山伯と知り合い、意気投合した。祝 英台は先に帰郷した。2年後、梁山伯は祝英台の実家を訪ね、初めて彼女が女性であることを知って驚く。
そののち2人は互いに心をひかれ、梁 山伯 は 祝 英台の両親に結婚を申し込んだが、親はすでに裕福な馬氏の家との縁組みを決めていた。梁 山伯は失意のうちに 鄞(浙江寧波)の町の令(下位の役人)となったが、ほどなく病死し、郊外の鄮城の西に葬られた。
祝 英台は、馬氏の家に嫁ぐ途中、舟で鄮城の近くを通ったが、風と波が激しくなり、前に進めなくなった。そこで聞けば 梁 山伯 の墓があるという。祝 英台は墳墓に登り、慟哭した。2人の思いが天に通じ、墳墓が裂け、祝 英台が割れ目に飛び込むと、墓は再び閉じた。

東晋の丞相 謝安 は皇帝に奏上して、その墓を〈義婦塚〉と名づけたという。後世の説話では、その後、墓の中から2人の生まれ変わりである、2匹の蝶が舞い出てきたという結末が付加された。中国封建社会の束縛下における自由恋愛の物語として、歴代の詩歌や演劇作品のテーマとして取り上げられてきた。中でも、何 占豪(かせんごう)と 陳鋼 が作曲したバイオリン協奏曲〈梁山伯と祝英台〉、通称〈梁祝〉は世界的に有名である。
[ 参考 :『世界人名大辞典』(岩波書店)]