【文化誌紹介】「ミツカン水の文化センター」機関誌|『水の文化』 第76号発刊|特集 そばと水|’24年2月|附{新宿餘談}

20240227192434_00001 20240227192434_00002ミツカン水の文化2024 76号 表紙とうら表紙

ミツカン 水の文化センター
『水の文化』76号
特集  そばと水
  2024年 02月
  A4判 表紙とも52ページ フルカラー あじろ綴じ くるみ表紙
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日本人は「そば」が好きだ。そばを食す歴史は縄文時代まで遡る。平安時代には米が不作のときの代用品(救荒作物)としてソバの栽培が推奨されていたという。ソバの実を粉にして水や湯で練り上げ「そばがき」などで食していたそうだ。
今、私たちが食べている麺状のそばは、正式には「そば切(き)り」だ。そば粉に水や湯を入れて練った生地を平らにのして包丁で細く切る。そば切りがいつ生まれたかは諸説ある。そば切りも含めてそばにはわからないことが多い。
製粉から製麺まで、そばは水とつながりがある。かつて収穫した実は水車とつないだ石臼で粉にした。そば粉に水を入れて固まりにしていく「水回し」は手打ちの肝であり、そばをゆで、冷やすのにも水を使う。
食文化の単一化が進む現代にあって、そばは各地の特色を比較的残している。数多ある産地のなかから、今回は編集部が水とのかかわりで興味深く感じた地域のそばを取り上げた。そばと水に目を向けることで、その土地の歴史や文化、気候などを見つめていきたい。

※ 本特集の「ソバ」「そば」の表記
 [植物]ソバ
 [食品]そば=ざるそば、そば打ち、そばがき、そば殻、そば粉

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{新宿餘談} 本稿編者はそば処で知られる信州人である。したがって 字 とそば にはうるさい !?
漢字「蕎麦」には異体字・宛て字が多いし、ひらかな「そば」には「ひらかな異体字 ≒ 変体仮名」が山ほどある。したがって 字 とことば の乱用が目立つ昨今、ミツカン水の文化センターの明快かつ厳格な「ソバ・そば」の定義はうれしい。
ところでわが家人は九州出身。信州とは味噌・醤油の味も異なるが、わが家の基本は編輯子にあわせて信州味噌、醤油は関東風と九州風の甘いもの双方を用意。そんな家人の そば といえば、幼児体験かららしいが、各種の付けあわせで「鴨そば」だけ。そば には邪道で情けないかぎり。
編者のそばとは「江戸風には 大もり そば」で、調味料は信州善光寺門前で購入する「七味とうがらし」。黒い絆創膏のようなノリがベッタリ張り付いた「ザルそば」は気持ちがわるい。またスシでもあるまいし、最近のそばタレに、生ワサビの添付なんぞ意味がわからない。まぁワサビ派ならば江戸風に「なないろ とんがらし」でもたっぷりと振りかけなされよ。

仏人の女性に摑まって、フランスに移住した信州更科-さらしな-出身の友人は、たまの帰国に際し、いつも「善光寺七色とうがらし」を山ほど買って帰る。パリでは「日本そば―乾麺」をふくめて日本製品はほとんど揃うが「善光寺七色とうがらし」は別物らしい。ちなみに更科は水田がすくなく、荒蕪地向けのソバ畠が多かったという。いまでは信州でもソバ畠はほとんどみない。
どうやら舌と食とは高齢化すると逆に幼児帰りするようで、信州野沢温泉村 坪山こおり 出身の死んだオヤジは、最晩年に「クラのウチのソバ、クラの義姉さんが挽いたソバ粉で、井戸のウチの水、ズブラで、のして湯がいたそば ! を喰いたい」といいだして兄嫁さんを困惑させたらしい。クラ・井戸・ズブラはいずれも同姓の親戚。ちいさな集落に同姓の家ばかりなので、ほとんど「家号」で呼び合うのがならわし。
それでもオヤジ・兄貴・仏国の友人ともども「男子厨房に入るべからず」世代。食事に容喙することは慎むべきと存じている。したがって食事の評価は毎度必須「おいしゅうござりました」 合 掌