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【WebSite紹介】 明治産業近代化のパイオニア 平野富二|{古谷昌二ブログ19}|五代友厚と大阪活版所

6e6a366ea0b0db7c02ac72eae004317611-300x75明治産業近代化のパイオニア  平野富二生誕170年古谷昌二08月

明治産業近代化のパイオニア  平野富二生誕170年を期して結成された<「平野富二生誕の地」碑建立有志会>の専用URL{ 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ } では、同会代表/古谷昌二氏が近代活版印刷術発祥の地:長崎と、産業人としての人生を駈けぬけた平野富二関連の情報を意欲的に記述しています。
とりわけ今回は、資料の少なかった五代友厚と活版印刷事業への関わりに関し、大阪商工会議所にのこされた明治最初期の手稿(手書き)資料を丁寧に発掘されて、これまでの「印刷史研究」とは相当深度の異なる、充実した内容となっております。関係各位のご訪問をお勧めいたします。

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古谷昌二ブログ ──── 五代友厚と大阪活版所

ab8a2b0e21f54ff5474ba991de0cb37c-300x199◎ 古谷昌二ブログ
[管理人:「平野富二生誕の地」碑建立有志会事務局長 日吉洋人]

① 探索:平野富二の生まれた場所
② 町司長屋の前にあった桜町牢屋
③ 町司長屋に隣接した「三ノ堀」跡
④ 町司長屋の背後を流れる地獄川
⑤ 矢次事歴・平野富二祖先の記録
⑥ 矢次家の始祖関右衛門 ── 平野富二がその別姓を継いだ人
⑦ 長崎の町司について
⑧ 杉山徳三郎、平野富二の朋友
⑨ 長崎の長州藩蔵屋敷
⑩ 海援隊発祥の地・長崎土佐商会
⑪ 幕営時代の長崎製鉄所と平野富二
 官営時代の長崎製鉄所(その1)

⑬ 官営時代の長崎製鉄所(その2)
⑭ ソロバンドックと呼ばれた小菅修船場
⑮ 立神ドックと平野富次郎の執念
 長崎新聞局とギャンブルの伝習
 山尾庸三と長崎製鉄所
⑱ 本木昌造の活版事業
⑲ 五代友厚と大阪活版所

< 五代友厚と大阪活版所 主要内容 >

まえがき
(1)大阪における活版所開設の経緯
(2)活版所開設直後の『二十一史』出版中止
(3)五代友厚の『和訳英辞林』出版計画
(4)洋活字の製造で困難に直面
(5)平野富二の登場
(6)平野富二による五代友厚への融資金返済

DSC09536大阪商工会議所前に建立された五代友厚像
〔雅春文庫提供〕

異なモノ発見! NHK朝ドラ〝あさが来た〟で一躍人気者に―五代友厚関連鹿児島の金鉱山凡そ百二万坪を販売か 

DSCN6352 DSCN6353朗文堂と世界堂の中間「新緑苑街」の角に古物商が店を設けている。ほとんど従業員の出入りをみたことはないが、その店頭に、五代友厚(通称才助)旧蔵、薩摩三金山のひとつ凡そ百二万坪を販売すると告知している。
五代は「若き薩摩藩士」をひきいて江戸時代末期に英国に密航し、通称『薩摩辞書』の発行につよい関わりをもった。『薩摩辞書』の初版は上海で製造したが、再版を日本国内での製造をめざして大阪活版製造所を開設し、それを請けおった本木昌造一門に再版刊行を委託した。

しかしながら当時の大阪活版製造所の力量では『薩摩辞書』の増刷作業は不可能で、中途で作業を放棄せざるを得なかった。このとき本木は五代から相当の借財を背負ったが、その借財は本木にかわり、のちに平野富二が利息を含めて返済した。
印刷関連ではほどんど知られない人物、五代友厚を成果のないままおって15年ほどになる。これをみると苦笑するしかない。
鹿児島商工会議所前五代友厚立像 DSCN5673 DSCN5682

五代友厚の生誕地(鹿児島市長田町)、墓地(大阪市設南霊園四区中央)、そして知られざる堀孝之をめぐって

五代友厚(通称:才助 天保06-明治18 1836-85)の生誕地と墓地をおとづれた。
元薩摩藩士。長崎海軍伝習所にまなび近代大阪経済復興の祖とされる。
墓地は通称阿倍野墓地とされる敷地中央部。中央通路に沿って歩くと水くみ場があり、その前に広大な墓域がひろがる。

基軸線にそって墓標や献碑がたちならぶが、一基だけ斜めに五代の墓標を仰ぐような、「堀孝之君之碑」がある。
堀孝之(弘化元 1844-没年不詳)は長崎オランダ通詞の名門堀家にうまれ、幼少時から終生五代とその事業を支えた。
慟哭し振り仰ぐかのようなその碑は、可憐でけなげなものだった。 五代生家01 五代生家02 鹿児島中央駅前「若き薩摩の群像」全体 鹿児島中央駅前五代友厚座像 鹿児島商工会議所前五代友厚 鹿児島商工会議所前五代友厚立像 DSCN5673 DSCN5682 DSCN5688 DSCN5689 DSCN5695 DSCN5740