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【展覧会】須坂版画美術館|『 月 映 』 版に刻まれた青春|’23年4月29日-6月18日|会期終了

恩地孝四郎『 月  映 』須坂版画美術館

恩地孝四郎『 月 映 』須坂版画美術館田中恭吉 太陽と花『  月映 』 須坂版画美術館田中恭吉  太陽と花『 月 映 』 須坂版画美術館藤森静雄 すすりなくたましひ 1915年  須坂版画美術館藤森静雄 すすりなくたましひ 1915年  須坂版画美術館

須坂版画美術館
『 月 映 』版に刻まれた青春
会  期  2023年4月29日[土]- 6月18日[日]
会  場  須坂版画美術館/平塚運一版画美術館 展示室1
      382-0031 長野県須坂市大字野辺 1386-8(須坂アートパーク内)
      TEL 026-248-6633 FAX 026-248-6711
開館時間  午前9時 - 午後5時 (入館は 閉館30分前 まで)
休  館  日  水曜日(祝日の場合は開館)
入  館  料  300円
      * 高校生以下 及び 18歳未満、須坂市内在住 70歳以上 は 無 料
      * 身体障害者手帳などをお持ちの方と、付き添いの方 1 名は 無 料
交通案内  須坂長野東インターより 5km〔車で約8分〕
      JR 長野駅より 長野電鉄特急15分 須坂駅下車タクシーで 約 7 分
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公刊『月 映』* は、恩地孝四郎、田中恭吉、藤森静雄の3人による自画・自刻の木版画と詩の同人誌です。機械刷り〔版画プレス機〕による 200部 限定で、1914(大正3)年9月から1915(大正4)年11月まで、計7集が 洛陽堂 を出版元として刊行されました。創作版画誌として先駆的なもののひとつです。

死におびえ、魂を削るように作品を刻む田中恭吉。彼の絶望を共にかかえることとなった恩地と藤森も、内面や感情の表現を深めてゆきます。やがて、恩地の表現は日本で最初期の抽象表現へと達しました。若者たちの研ぎ澄まされた感性は、100年余を経てなお私たちの心に、強く痛切に響いてきます。

※ 作品画像は  須坂版画美術館 より拝借したものです。二次引用などはご遠慮ください。
※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。

[ 詳 細 : 須坂版画美術館 ] { 活版 a la carte まとめ }

* {新宿餘談}公刊図書『月映』の読みかた ── 資料によっていくぶん混乱がみられます。
恩地孝四郎はアオイ書房の愛書誌『書窓』同人向けの消息のなかで、「本来恩地は、和歌山出身の オンヂ家 であり オンチ ではない。図書『月映』は つくはえ である。」として「恩地  ≒ 音痴」に音がかようのを嫌い、また、
版画作品のサイン(シグネチュア)にかえて、恩地家に現存する、ちいさな木ハン o n z i をつくり、版画に押印しているものは多くある。

ただしその後の恩地には『月映-つくはえ』への言及はほとんどみられない。胸を病んで早逝した田中恭吉に触れるのが辛かったのか、できたら若き画学生のころの思い出としたかったのかもしれない。小社では恩地幸四郎の長男:恩地邦男氏の意向をうけて、一貫して「月映-つくはえ」として紹介してきた。
アオイ書房:志茂太郎がそのこだわりを『書窓』通販資料の消息にかき ── 恩地大兄もこのごろは オンチ であきらめたようだ ── とし
ているが、ここでも『月映-つくはえ』への言及はみられない。

拙稿「朗文堂ブログ 花 筏 【展覧会】 恩地孝四郎展/東京国立近代美術館 会期末迫る & 恩地家三代公式記録 multirhythm WebSite 紹介  2016年02月」