故本木昌造翁の功績を追懐して
贈位奉告祭に活句をよみて奉る
長崎素平連
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點林の枯骨 贈位の花か咲き 紫泉
本木にて朽ちぬは 文字の元祖也 鈍々
文学の修業場 巌流坂に建て 藤覚
鋳上けた活字 銅像と成て立ち 應来
贈位の御沙汰 文明の日の本木 躬之
ステロ版本木の 末に流れ出て 豊舟
本木から枝葉 繁る新聞紙 竹仙
発明の活字を 積て位山 我天
名の如く永久 朽ちぬ君か功 和薩
摩滅せぬ偉勲 活字の発明者 東籬
活字版桜木 よりも世に薫り 東来
「川柳吟社素平連」は明治期長崎にあった川柳・狂句の会で、虎與號トラヨゴウ・安中ヤスナカ書店/安中半三郎(号:東来トウライ 嘉永六年十一月二十九日[西暦1853年12月29日]-1921年4月19日 行年69)が主宰した{花筏}。
もとおと「川柳吟社素平連」は知るところがすくなかったが、故阿津坂 實氏の紹介をえて、わずかにこれらの句を『活字をつくる ヴィネット04』(片塩二朗・河野三男 2002年06月06日 朗文堂 p.207)でも紹介した。
ようやく長崎でも「ふうけもん 安中半三郎」が注目されるようになり、今般長崎で一次複写資料を入手したので、ここに古谷昌二氏の釈読で紹介した。
しかしながら、依然としてこれらの句をのこした結社の会員名は「安中半三郎=東来」以外の詳細は不明である。
冒頭に、「故本木昌造翁の功績を追懐して 贈位奉告祭に活句をよみて奉る」とあるのは、明治45年(1912)2月26日に本木昌造に従五位を追贈する旨が通達された。
東京築地活版製造所では同年5月25日「本木昌造翁贈位祭典」が星野 錫、野村宗十郎、松田精一、三間ミツマ隆次を発起人として「上野精養軒」で盛大な祝賀会が催されている。
おそらく地元長崎でもこのような祝賀会が催され、「川柳吟社素平連 すぺれん」も句を寄せたものであろう(『本木昌造伝』島谷政一 朗文堂 p.218-228)。