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【展覧会】文京区立 森鷗外記念館|コレクション展「生誕110年・没後30年 森類―ペンを執った鷗外の末子」|’ 21年9月17日-12月27日

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文京区立 森鷗外記念館
コレクション展「生誕110年・没後30年 森類―ペンを執った鷗外の末子」
会  期  2021年9月17日[金]-12月27日[月]
休  館  日  9月28日[火]、10月26日[火]、11月24日[水]
会  場  文京区立森鷗外記念館 展示室 2
開館時間  10時-18時(最終入館は閉館30分前)
観  覧  料  一 般 300円、中学生以下 無 料
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森 類(1911-1991年)は、文豪・森 鷗外(1862-1922年)の三男として生まれました。
末子だった 類 は父母の愛情を受けて育ちますが、わずか11歳の時に鷗外が他界します。鷗外や長兄・於菟のように、医学の道へは進まず、10代の頃から絵画を学びはじめ、戦後は文筆活動にも積極的に取り組むようになりました。
身近な出来事に目を向け、つぶさに観察した独自の表現で詩や小説、そして多くのエッセーを発表。兄姉たちに続き、愛する偉大な父・鷗外との思い出を綴った『鷗外の子供たち―あとに残されたものの記録―』(光文社、1956年)を刊行し、文芸誌「小説と詩と評論」の同人となるなど、創作活動を続けました。

2014年、当館はご遺族より類の遺品資料約6,400件(自筆原稿、書簡、写真等)の寄贈を受け、以降、資料整理と調査を継続しています。
今年は 類 の生誕110年、没後30年です。時に生活苦に悩みながら、家族や鷗外を敬愛する人々にも助けられ、不器用でも誠実に歩んだ80年の生涯と、たゆまぬ努力でペンを執り続けた 類 の文筆活動を、寄贈資料をとおして紹介します。

※ 感染症「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 文京区立森鷗外記念館 ]{ 活版 à la carte まとめ

【展覧会】文京区立森鷗外記念館|コレクション展|「拝啓、森歐外様 ― 歐外に届いた手紙」|令和2年12月4日-令和3年3月28日

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コレクション展「拝啓、森歐外様 ― 歐外に届いた手紙」
会  期  令和2年12月4日[金]-令和3年3月28日[日]
      Part1 年賀状を楽しむ/12月4日[金]-1月24日[日]
      Part2 文学者のたよりを読む/1月27日[水]-3月28日[日]
休  館  日  12月22日[火]、12月29日[火]-1月3日[日]、1月25日[月]、
      1月26日[火]、2月24日[水]、2月25日[木]、3月23日[火]
開館時間  10時-18時(最終入館は17時30分)
      * 2月14日[日]は20時まで開館(最終入館は19時30分)
料  金  一般 300円、中学生以下 無料
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文京区立森歐外記念館は、森歐外に届いた900通あまりの封書や葉書を所蔵しています。この中から選りすぐりの手紙を2期に分けて展覧します。
パート1では、差出人が自らデザインし趣向を凝らしたもの、新年の慶びをうたった詩歌が書かれたもの、賀詞が力強く墨書されたものなど、さまざまな年賀状を紹介します。川上眉山(小説家)、正岡子規(俳人)、寺崎廣業(日本画家)、谷崎潤一郎(小説家)ら40人の個性的な年賀状をお楽しみ下さい。

パート2では、文学者が鴎外に届けた手紙を読んでみましょう。執筆を依頼する尾崎紅葉(小説家)の封書や、執筆作品の訂正を伝える井上通泰(歌人)の葉書などからは、執筆者、編集者としての鴎外の姿が見えてきます。また、小山内薫(演出家)、上田敏(英文学者)、斎藤茂吉(歌人)の手紙は、写真や絵が印刷された絵葉書を用いて、文面以上のメッセージを伝えています。
歐外の生きた明治・大正期、手紙は用件を伝えるための主要な手段でした。歐外に届いた手紙を、記念館から皆さまにお届けします。知人や友人が鴎外の友人や知人が手紙に託した言葉を味わってみませんか。

※ 感染症「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 文京区立森鷗外記念館 ]

【展覧会】文京区立 森鷗外記念館|コレクション展「少しも退屈と云ことを知らず 鷗外、小倉に暮らす」|1月19日-3月31日

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コレクション展「少しも退屈と云ことを知らず 鴎外、小倉に暮らす」
会  期  2019年1月19日[土]-3月31日[日]
      * 2月25日[月]、26日[火]、3月26日[火]は休館
開館時間  10時-18時(最終入館は17時30分まで)
会  場  文京区立森鷗外記念館 展示室 2
料  金  一般 300円
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東京で近衛師団軍医部長を務めていた森鷗外は、明治32(1899)年6月、小倉(現・福岡県北九州市)の第十二師団軍医部長として赴任を命ぜられます。
東京での鷗外は家族とともに暮らし、職務や文業に専念してきましたが、小倉では自ら家政をとる新たな生活が始まります。東京を離れて小倉にあることによって、軍医部等の動静や文学界を、距離を置いて眺めます。そのことが、自分と他者との関係を考える機会となりました。

一方、鷗外は土地の人々と交流し、勉強会を行い、外国語の学習をはじめ、史跡を巡るなど、新たな学びの機会を得ました。明治33(1900)年12月、親友・賀古鶴所に宛てた手紙には「公私種々ノ事業ノ為メニ(中略)少シモ退屈ト云コトヲ知ラズ」と記されており、小倉での充実した日々がうかがえます。鷗外は、明治35(1902)年3月までの2年10ヶ月を小倉に暮らしました。

本展では、鷗外の小倉での生活、職務、関心事を日記『小倉日記』『小倉日記附録』、友人や家族へ宛てた手紙などの資料から紹介します。また、作家・松本清張が鷗外の『小倉日記』から着想を得た小説『或る『小倉日記』伝』などを併せて展覧します。

【 詳細: 文京区立森鷗外記念館

【会期末迫る 文京区立森鷗外記念館コレクション展】 死してなお──鷗外終焉と全集誕生 四月二日[日]まで

20170321173649_00001 20170321173649_00002文豪・森鷗外は、大正十一年七月九日午前七時、自宅観潮楼でその生涯を終えました。
死の間際まで職務に励み、また著作のための調査に努め、自らの不調を自覚しながらも診療を拒み続けました。鷗外は死に直面しながら、どのような心持ちで最期の日々を過ごし、どのような言葉を遺したのでしょうか。当館には、鷗外の終焉に関する資料が多数遺されています。これらの資料を一挙展示し、鷗外逝去までの日々に迫ります。

鷗外逝去から十余日後、鷗外の葬儀委員長を務めた与謝野寛のもとに、『鷗外全集』刊行の企画が舞い込みました。寛は、鷗外と親交の深かった平野万里や永井荷風らを中心とした編集会を結成し、『鷗外全集』刊行に着手します。鷗外顕彰の第一歩とも言える『鷗外全集』刊行の経緯を、与謝野寛の書簡を中心に辿ります。

鷗外が死してもなお人々の記憶に残り、現代まで顕彰され続けるのは、鷗外を親しみ敬ってきた先人たちの尽力にほかなりません。鷗外終焉の地であり、鷗外の業績を顕彰する文京区立森鷗外記念館で、生から死へ、死から再生へと向かう鷗外の姿を追います。

【 詳細 : 文京区立森鷗外記念館