長崎県印刷工業組合(理事長:山口善生)では、1985年に本木昌造顕彰会(会長:岩永正人)を設立して、本木昌造顕彰活動を展開してきました。
その努力があって本木昌造墓碑が長崎市指定文化財に登録され、例年本木昌造命日の9月3日に、関係者とともに菩提寺:大光寺において法要し、先人の遺徳を偲んできました。
それらの記録は、同組合の機関誌〝PBながさき〟において詳細に報告されてきました。
このたびそれらの関連記事のうち、1986年7月-2017年3月号までの30余年にわたる記事を抜粋して冊子本としてまとめられました。
株式会社モリサワ:池田暢氏と、長崎県印刷工業組合のご好意で少量をおわけいただきました。同冊子より数ページを抜粋して紹介し、また別途 <花筏>に PDF データー も添付しましたので、関心のあるかたは小社で閲覧いただくか、長崎県印刷工業組合 事務局(電話:045-824-2508)にお問い合わせください。
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{新宿餘談}
〝PBながさき〟Vol.22 1999.9 の片隅に懐かしい写真をみつけた。
このときは「本木昌造活字復元プロジェクト」に先だって、斯界の長老が訪崎して、諏訪公園噴水広場を訪問したときのものである。この写真から18年ほどが経過し、お三方とも黄泉に遊ぶひととなられた。
写真左の山本隆太郎氏は、印刷学会出版部に長らく在籍して、同社の歴史にひとつの時代を築かれ、また社業はもとより、いまなお『日本大百科全書』(小学館)、『世界大百科辞典』(平凡社)などの「印刷関連項目」は、ほとんどすべてが同氏の署名記事となっている。
ついでながら、両書の「医学史関連項目」はほとんど大鳥蘭三郎氏(オランダ・ハーグ市うまれ、慶応義塾大学医学部卒・同大教授 1908-96)の署名記事である。
同氏は幕末から明治初期の政治家/大鳥圭介の嫡孫で、またやつがれのオヤジの親友でもあった。夏休みにはしばしば信州飯山の禅寺 : 正受庵に滞在され、夜になると寺を脱出して、下戸のオヤジと「般若湯」を交わしていた。
写真中央の阿津坂実氏は、長崎県印刷工業組合の事務方を長年にわたって担い、後進の面倒をよく見ておられたかたであった。また小社に活字版印刷の復興をめざして「アダナ・プレス倶楽部 → サラマ・プレス倶楽部」が発足した際には、長崎から駆けつけられて応援していただいた。同氏は タイポグラフィ学会 第三回本木昌造賞 を受賞されている。
写真右の斉藤喜徳 ヨシノリ氏は、圭角の無い人柄で、もっぱら喜徳 キトクさんと愛称されて東京都中央区に〝斉藤正文堂〟を営んで、欧文端物印刷とカメラ撮影をこよなく愛された。
このお三方の謦咳に接することは多かったが、18年後のいまは、「年年歳歳花相似たり 歳歳年年ひと同じからず」のおもいを強くするばかりである。