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Viva la 活版 Viva 美唄 レポート05 山崎洋介さん・日吉洋人さん ほかの会員。

美唄コラム緑uu美唄A3カレッジ修了生展示uu
DSC00211sDSC00203sDSC00333s【テーマ】 活版印刷と歯の健康
【作品名】 『カッ歯ン印刷』
【作者名】 山崎洋介
【版式・技法】 文字:凸版(活字版印刷)
            図版:凸版(樹脂凸版)

山崎洋介さん(活版カレッジ修了)は、歯学博士であり、現在も大学にのこって、助教として勤務しながら、研究を継続されている研究者である。
それでいながら、けっして自己顕示はしないし、謙虚な人柄である。またひとにたいする思いやりにあふれ、すべての行動が闊達かつスマートなひとである。
上掲のふたつの広角風景写真はハカセ山崎による。

《歯 は 命 ―― おっしゃるとおりです》
やつがれ、かつて若気のいたりで、酔っぱらって前歯を一気に4本うしなったが、ここ30年ほど歯科医の世話になったことは無かった。
それが07月中旬の「Viva la 活版 Viva 美唄」のころから、甘いものをたべると歯がしみることがふえた。それをほうっておいたらズキンズキンと痛みがはしった。
なんの因果かしらないが、3連休の初日、土曜日の夕方から耐えられない苦痛にかわった。

痛みに七転八倒、悶絶しているうちに、藁にもすがるおもいでハカセ山崎の顔が脳裡にうかんで、救命 モトイ 治療を依頼しようとおもった。それでもなんとか我慢して、薬局に駆けこみ、痛み止めの薬を数種購入して、ばかばかと服用した。それでも痛みはおさまらず、土・日・月曜日とのたうち回っていた。
連休があけた火曜日の朝一番、予約も無しで、社のちかくの磯山歯科医院に駆けこんだ。

すぐに看護師がレントゲン写真を撮影し、待つことしばし。あのおぞましい椅子に座らせられた。
診察台脇ののモニターには、撮影したばかりのやつがれの歯列の画像が、すでにアップされていた。

「ずいぶん前に、2本の虫歯治療をしていますよ[完璧にわすれていた]。いま痛みがあるのはこれ(レントゲン画像で確認)で、詰めものがとれています。これは治療して金属をかぶせます。
こっち(レントゲン画像で確認)は、もっと虫歯が進行しているので、いずれ痛みがでたら、そのときに抜歯ということにしましょう」
「2本とも、一緒に治療していただけないのしょうか」
「歯は命です。たいせつなものだから、できるだけ抜歯は避けましょう」

取りあえず、錠剤の痛み止めをもらって、明後日の予約をしてそれで終わり。
薬局の売薬と保冷剤の氷湿布では容易には治まらなかった痛みが、ウソのように消えていた。しかしそれから数回の治療が地獄のはじまりだった。
「ハイ、お~おきく口をあけて……」
「ハァ、ハァ」
「ちがう、ちがう。ちがいま~す。呼吸は口からではなく、鼻で呼吸してください」
「ハァ~、ハァ~」

何度もその繰りかえしだった。皆さんはどうであろう。
そもそも、おおきく口をひらくと、自然に気道がひらき、口から呼吸するのが自然ではないのか。ともかく何事にも不器用なやつがれ、おおきく口をあけ、鼻からの呼吸法の治療 モトイ 指導を最初に受けた。
その光景に、小型掃除機というのか、吸引器のようなものをかかえた若い看護師は、なにがおかしいのか知らないが、笑いをこらえるのに必死だった。
それよりやつがれ、カンナだかドリルだかしらないが、ゴ~、ゴリゴリ、ジ~コ、ジ~コと削りとられた歯、すなわち骨の一部か ── の破片が、看護師の吸飲努力にもかかわらず、どんどんノドにはいって、さぁたいへんだった。
ハカセ山崎、歯科診療とは、こんなに苦痛をともなうものでしょうか。
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【テーマ】 活版印刷とデザイン教育
【作品名】 『活字の印刷見本』
【作者名】 日吉洋人
【版式・技法】 文字:凸版(活字版印刷)P1000720uu

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武蔵野美術大学基礎デザイン学科の助手として勤務している日吉洋人さん(活版カレッジ修了、タイポグラフィ学会会員)の意欲的な実験作品、『活字の印刷見本』。

ムサビ基礎Dには小型活版印刷機 Adana-21J が数台あり、欧文活字を中心として、金属活字のサイズ、書体の種類もだいぶ増えてきた。
日吉さんは、助手としての勤務のかたわら、活版印刷をつづけている。また一年余にわたり、毎週一回、黙黙と活字鋳造所に通い、活字鋳造の現場をみてきた。

したがって文字組版は、極力金属活字により、容易には製版凸版をもちいないで、微妙なスペーシングにまでこだわって、活版造形に挑戦している。
今回の組版テキストは、ずいぶん迷った末、ご存知のクラーク博士(William Smith Clark,1826-86)による「Boys, be ambitious 少年よ、大志を抱け」となった。

“Boys be ambitious!. 
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement 
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.”

「少年よ大志を抱け。ただし、金を求める大志であってはならない。
利己的なものを望む大志であってはならない。
名声という浮わついたものを求める大志であってはならない。
人が人として備えなければならぬ、あゆることを成し遂げるために……」
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上掲5点の写真は日吉洋人さんの撮影。日吉さんはもっぱらアートギャラリーとアートストゥデイオをいったりきたりしていた。とりわけアートストゥデイオでの「タイポグラフィゼミナール」を積極的に応援されていた。その記録は「動画 Viva la 活版 Viva 美唄」の13:20ころから随所に登場する。

「水の広場」ですそをまくって立つのは、ムサビの同僚、玉井一平さん(活版カレッジ修了)。はるばる九州・福岡からの参加で、おもにアートギャラリーでの「監視員」さん役(本来やつがれの役割だったが……サボった)を担っていただいた。

P1000621uu P1000648uu P1000717uu P1000637uu bibai_452YouTubeに投稿した「Viva la 活版 Viva 美唄」の撮影は、これもはるばる四国・徳島から、黒縁眼鏡、黒衣裳、最新型黒カメラ持参と、黒づくめで参加された川崎孝志さん(新宿私塾修了、タイポグラフィ学会会員)であった。

川崎さんの撮影による動画「Viva la 活版 Viva 美唄」は、安田 侃カン彫刻公園「アルテ ピアッツァ美唄」の緑ゆたかな景観と、「Viva la 活版 Viva 美唄――すばらしき活版、すばらしい美唄」を抒情ゆたかに謳いあげていた。
YouTubeに投稿することなど、ほとんどはじめてのことだったが、うれしいことに何人かの会員からお褒めのことばをいただいた。

逆光ながら「監視員さん」の椅子に3人でかけているうち、右端は押手恒さん(オシテーヒサシ、新宿私塾修了、タイポグラフィ学会会員)。押手さんが「監視員さん」をつとめていたことは、この写真をみてはじめて知った。
ともかく押手さんは、フラ~リ、フワ~と、あらわれては消えるひとであった。

日ごろからそんな具合だから、格別には驚かなかったが、宿も、定山渓温泉、苫小牧と、アナタは北海道の地図をみてこの宿泊地を選んだのか? というような、えらく美唄からは遠隔地に宿泊していたらしい。
そのわりに、飲み会、懇親会などには積極参加して、二次会でのカラオケ絶叫写真までのこっている。奇妙人のひとりといえるかもしれない。

もう一枚「監視員」の椅子に、ドカッと腰をおろしているのは、左:横島大地さん(活版カレッジ修了)、右:真田孝治さん(活版カレッジ修了、新宿私塾修了、タイポグラフィ学会会員)である。

このふたりには、搬入・展示・撤収におおいに力を貸していただいた。また真田さんは、
「大阪市の市長には絶対に負けるな!」
と、妙な激励をうけて、現地速報広報係を担当した。そのために日中はもっぱら短文ブログ(ツイッター)で、美唄での〈Viva la 活版 Viva 美唄〉現地情報を送信しつづけていた。
帰京後知ったことだが、相当の人数のかたが美唄からの真田ツイッター情報によって〈Viva la 活版 Viva 美唄〉の盛況を知っておられたことに驚かされた。

また夜になると、にわかに「アダナプレス倶楽部宴会部」を横島・真田のふたりで結成し、みんなを怪しげな飲み屋に誘惑していた。この「宴会部」の活躍のありさまは、いずれ終末部で報告したい。
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というわけで、本来終末部で紹介するつもりであったが、このコラム欄への訪問者が比較的すくない(いずれ誘導するが……)いまのうちに、横島大地/真田孝治の両名が結成した「アダナプレス倶楽部宴会部」二次会編 ── いくら呑んでも2,000円という、石見沢市の怪しげな店「ナポレオン」での、協演(狂宴?)のさわりだけでも紹介しておこう……と、編集子は勝手におもうにいたった。

マイクを持つ指にご注目あれ。会員だけでなく、ついに店のマスターも笑いだした。ようやく気づいたハカセ山崎も爆笑。冒頭で山崎洋介さん(活版カレッジ修了)をこのように紹介した。
山崎さんは歯学博士であり、現在も大学にのこって、助教として勤務しながら、研究を継続されている研究者である。
それでいながら、けっして自己顕示はしないし、謙虚な人柄である。またひとにたいする思いやりにあふれ、すべての行動が闊達かつスマートなひとである。

この一文に訂正はない。しかしである。
みじかくも充実した北海道での最後の夜、宴会部のふたりが設定した「ナポレオン」での二次会で、ハカセ山崎はカラオケのマイクを握った。
そのときの小指をたてた手つきがおかしいと、会員だけでなく、しまいには店のマスターまで笑いだした。最後はハカセ山崎も壊れていたという次第。
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ハカセ山崎のマイクの握りかたがおかしいと、最初に笑いだした小酒井英一郎さん(活版カレッジ修了、タイポグラフィ学会会員)も、まぁ派手にやってくれた。

アダナプレス倶楽部長老会(90歳を筆頭にかなりのメンバーが在籍しているらしい)の、若手支部会員が小酒井さんである。
小酒井さんは、横島・真田の宴会部にのせられるあまり、ナント御年6?歳にして、北海道は石見沢市「ナポレオン」にて、人生はじめてのカラオケ熱唱に挑戦した。曲は梅沢富美男の「夢芝居」。

モニターのポインターを蝶蝶と間違えて,捕蟲網で捉えようとしている!カラオケ熱唱、人生初体験。11時ころにおよそ半数(9人)がホテルに引きあげたが、その後宴会部と小酒井さんら数名は三次会に突入して、それらからのほとんどは、小酒井さんがひとりでマイクを独占して熱唱また熱唱の連続だったと、宴会部のふたりがあきれたように報告した。

またタイポグラフィ・ゼミナールが開催された「アルテ ピアッツァ美唄 アートスペース」は、出入り口の扉がおおきく、開閉のたびに蝶が何匹も突入してきて、来場者やスタッフにまとわりついていた。そのために扉はできるだけ締めておき、室内には捕虫網をもった「虫取り係」をおいていた。

ゼミナールの最中、小酒井さんの動きが不審だと最初に気づいたのは、受付を担当していた田中智子さん。
「小酒井さん、それは蟲じゃない。ちがう、ちがう」
と絶叫した。
なんと小酒井さんは、講師が駆使したパソコンのポインターを蝶とまちがえ、ポインターが画面上をヒラヒラと動くたびに、
「捕ってやるぞ、この蝶蝶めが」
とばかり、しっかり身構えていたのである。