一月中旬、イベントの打ち合わせ。一泊二日の予定で崎陽長崎にでかけた。もともと予定していた一週間おくれだと、今回の異常気象で豪雪地帯と化した長崎で立ち往生するところだった。
金曜日の早朝のフライトで長崎入り。そのまま長崎県印刷工業組合にかけつけた。組合幹部は年輩者が多かったが、成果の多い会談ができた。
その夜は定宿と化した感のある長崎新地のホテルに宿泊。ここは出島にある長崎県印刷工業組合会館まで徒歩3分、新地中華街はすぐとなりだし、薩摩藩蔵屋敷跡、五島藩蔵屋敷跡にもちかい至便の地である。
今回の長崎では、東彼杵町歴史民俗資料館/小玉大介氏、日本二十六聖人記念館/宮田和夫氏、大村市市史編さん室/盛山隆行氏らの若手学芸員との交流が熱かった。
とりわけ盛山隆行氏とは十数年前に『日本の近代活字』編集のためにしばしば訪崎し、盛山氏が当時長崎市立博物館の学芸員だったころからの交流。
盛山氏は2013年、やつがれが{花筏 平野富二と活字*10 渺渺たる大海原へ-長崎港と平野富二の夢、そして注目してほしい出版人・安中半三郎のこと }で問題提起した「虎與號 虎与号 とらよごう/安中半三郎」の調査をすすめてくれていた。
近日{花筏}に詳細報告をしたい。
長崎本蓮寺の脇にある神式の特設墓地「安中家と安中半三郎の墓碑」。
碑面は長崎原爆の爆風をうけて損壊がみられる。
この本蓮寺は日蓮宗の名刹で、幕末の海軍伝習所にまなんだ勝海舟がここに寓居したところ。また長崎史談会の古賀十二郎もこの本蓮寺にねむるという。