《35年前のあの日、長崎大水害が発生した ときの長崎市助役:宮川雅一氏を訪ねた》
蝉が啼いていた。
長崎の夏は、照葉樹「樟の樹」照りかえしもあって、ひときわ暑く、汗が滴りおちる。
平野富二生誕170年とあわせ、<「平野富二生誕の地」碑建立有志会>の古谷昌二さん、平野正一さんと長崎を訪問。
いまから35年前、1982年(昭和57)7月23日かつてない驟雨が長崎を襲い、おおきな被害をもたらした。世にいう{長崎大水害}である。
そのとき長崎市の助役であったのが宮川雅一氏。現在は長崎都市経営研究所所長・長崎市史談会顧問。{ 文字壹凜 Summary }
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あれから35年、半壊状態となった眼鏡橋も再建されて、長崎の町は力づよく復興した。中島川と西島川の合流地点を中心に河川整備もすすんだ。
それでもことしは福岡県と大分県の県境付近に集中豪雨が発生し、甚大な被害をもたらしたばかりであり、複数のメディアから宮川雅一氏へ、復興をめぐる体験の取材が続いているということであった。
桃渓橋は観光名所「眼鏡橋」からほんのすこし上流にある。西道仙揮毫になる橋名碑も健在だった。川面をわたる一陣の涼風が心地良かった。