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【平野富二の会】長崎直近情報|「平野富二生誕の地」碑前、三の堀跡の櫻が満開に!|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員情報ゟ|

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「平野富二の会」 ── 皆さま
[2022年03月31日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫]

ご無沙汰をいたしております。
何かと心落ち着かない日常が続きますが、当地長崎は今まさに桜が満開の時期となりました。
代わり映えしませんが 例年同様 長崎桜町の桜と「平野富二生誕の地」碑の写真をお送りします。
富二さんはことしも花見を楽しんでおられることと思います。
平野富二の会 ── 皆さまお元気でご活躍ください。[宮田和夫]
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「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9 ― 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。
碑は江戸時代の 三の堀跡 の方向をむいていますが、ここは現在櫻並木になっています。

宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木の坂道を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の 矢次富次郎少年 ── のちの 平野富二 が、幼少ながら「特例をもって」、また当時のならいで家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行社へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても七-八分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。

長崎訪問の折は、ぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。

[ 参考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 ]
[ 関連 : 平野富二-明治産業近代化のパイオニア ]

【平野富二の会】長崎直近情報|「平野富二生誕の地」碑前、三の堀跡の櫻が満開に!|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員情報ゟ|

DSC_2551 DSC_2552 DSC_2554「平野富二生誕の地」碑建立有志の会 ── 皆さま
[2021年03月31日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫]

大変ご無沙汰しております。
一昨年昨 年 に続き、昨30日に撮影した「平野富二生誕の地」碑の写真を添付します。
ニュースで話題になっております通り、ここ数日長崎では黄砂の飛来がひどく、
深く彫られた碑文の字の中には黄砂が溜まっておりました。
碑文の字の汚れは大抵は雨で流されるのですが、汚れが溜まっているときには
時折ふきとっておりますのでご安心ください。
長崎の桜は例年より少し早めの開花で、少しづつ散りはじめております。[宮田和夫]
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「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9 ― 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。
碑は江戸時代の「三の堀跡」方向をむいていますが、ここは現在桜並木になっています。

平野富二武士装束月代-さかやきを剃らずに髷を結い、帯刀し、東京での旅姿を撮影した平野富二(富次郎)。
明治4年(1872)、数えで26歳、初冬のころの撮影と推定されている(平野ホール蔵)

宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の矢次富次郎少年 ── のちの平野富二が、幼少ながら「特例をもって」、また当時のならいで、家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行所へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても10分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。

長崎訪問の折は、ぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。

[ 参考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 ]
[ 関連 : 平野富二-明治産業近代化のパイオニア ]

【Information Release 14】「平野富二生誕の地」碑建立有志の会|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員ゟ|長崎直近情報-碑前三の堀の櫻が満開に!

DSC_0681 「平野富二生誕の地」碑 正面

「平野富二生誕の地」碑建立有志の会 ── 皆さま
[日本二十六聖人記念館 宮田和夫]

ご無沙汰しております。
本日〔4月9日〕「平野富二生誕の地」記念碑の様子を見にいきました。
碑の表面側からみると、真正面に、なんと満開の桜が!
富二さんが毎年ちょうどこの季節に、満開の桜を愛でることができるようになった
気がしまして、
この場所に設置してよかったな、とはじめて思えました。

(撮影ポイントの制約で、添付写真では分かりにくいかもしれません)

長崎は風がつよく、ことしは春の黄砂? もありました。
碑の文字がかなり深く、太く彫り込まれている関係もありますが、

大切な碑文に土ぼこりが溜まりやすいことが分かりました。
ときどきふき取り作業にあたりたいと思います。

また今日は渋沢栄一の肖像が新一万円札に採用とのニュースもあり、
感慨深い一日となりました。

平野富二の会 ── 皆さまお元気でご活躍ください。[宮田和夫]
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「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館
(長崎県長崎市桜町9 ― 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。
碑は江戸時代の三の堀跡の方向をむいていますが、ここが櫻の名所だとは
知りませんでした。

宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木を左手に曲がると、
そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。
すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の矢次富次郎少年 ── のちの平野富二が「特例をもって」
当時のならいで、家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行社へ勤務した「通勤路」にあたります。表門にまわっても七-八分ほど、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。

長崎訪問の折は、ぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。

[ 参考: 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館