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【展覧会】文京区立 森鷗外記念館|コレクション展|生誕120年 森 茉莉 ~ 幸福な日々、書くという幸福 ~|’23年7月14日-10月1日|

20230725141350_00003 20230725141350_00004文京区立 森鷗外記念館
コレクション展
生誕120年   
森 茉莉 ~ 幸福な日々、書くという幸福 ~

会  期  2023年7月14日[金]- 10月1日[日]
      ※ 会期中の休館日
      7月24日[月]、25日[火]、8月21日[月]、22日[火]、9月25日[月]、26日[火]
会  場  文京区立 森鷗外記念館 展示室 2
開館時間  10時-18時(最終入館は 閉館30分前)
観 覧 料  一 般 300円、中学生以下 無 料、障害者手帳ご提示の方と介護者1名まで無料
      * 関連イベント、各種割引、優待情報などは 下掲詳細 参照
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森茉莉(1903-1987)は、文京区千駄木の森鷗外の居宅・観潮楼(現・当館)で鷗外の長女として生まれました。大人しく少し病弱だった茉莉は、格別に大切にされ、鷗外の膝の上で「お茉莉は上等」とありのままを褒められ、幸福な少女時代をおくります。1922(大正11)年19歳の時に、当時の夫・山田珠樹の留学するフランスに渡り、渡欧中に父・鷗外の死を知りました。
結婚、離婚などを経て、茉莉は翻訳や劇評、小説の執筆をはじめます。54歳の時、鷗外との思い出をまとめた『父の帽子』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞、以後『恋人たちの森』(田村俊子賞受賞)、『贅沢貧乏』、『甘い蜜の部屋』(泉鏡花文学賞受賞)、『ドッキリチャンネル』などの作品を書き続けました。鴎外から受けた愛情をそのままに持ちながら、ありのままの日常を愛し、自分のために生き自分のために書くことによってみつけた幸福な想いは、作品に独特で豊かな表現としてあらわれ、現在も多くの読者を魅了しています。
2023年は茉莉の生誕120年です。本展では、館蔵の鷗外資料、茉莉の原稿や著書を通して、観潮楼時代の茉莉、文学者としての茉莉を展覧します。

20230725141350_00023森鷗外記念館ニュース No.43 の表紙を飾った「森 茉莉」

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上、ご観覧を。
[ 詳 細 : 文京区立 森鷗外記念館 ] { 活版アラカルト 掲載分まとめ }

【展覧会】文京区立 森鷗外記念館|特別展「読み継がれる鷗外」|’22年4月23日-7月31日|会期末案内

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文京区立 森鷗外記念館
特別展「読み継がれる鷗外」
会  期  2022年4月23日[土]-7月31日[日]
      * 会期中の休館日 下掲詳細参照
会  場  文京区立 森鷗外記念館 展示室 1、2
開館時間  10時-18時(最終入館は閉館30分前)
観 覧 料  一 般 600円、中学生以下 無 料
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2022年は、小説『舞姫』で知られる文豪・森 歐外(1862ー1922)の生誕160年・没後100年です。
歐外は島根県津和野町で生まれ、幼いころに漢学を、大学では医学を学び、陸軍軍医として衛生学の修学にドイツに留学し、日清・日露戦争では戦地に赴き、のちに陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任。医学のみならず西欧文化を日本に広め、近代日本を代表する知識人として活躍しました。
歐外の著述は、創作や評論、翻訳などあわせて 1,300 以上に達します。明治・大正では文学者たちに師と仰がれ、昭和・平成を通しては文芸に加えて多分野にわたる業績についても見直されるなど、時代状況に従って、鷗外はさまざまな関心をもって読み継がれてきました。そのたびに、作品や人物像について新しい面が表れてくるのが、鷗外の魅力であり強さです。

本展では、歐外を敬愛する小説家・平野啓一郎が 8 人の作家や研究者を選出(青山七恵、コリーヌ アトラン、宇佐見りん、ロバート キャンベル、永井愛、中島隆博、平出隆、村田喜代子)、歐外を読み継ぎます。彼らが読み継いだ『雁』『山椒大夫』『ヰタ・セクスアリス』『鶏』『大塩平八郎』『鷗外日記』、小倉時代、大逆事件などを関連資料とあわせて展覧します。また、歐外を語った作家や、現代まで読み継がれてきた歐外訳『即興詩人』の変遷も紹介します。
歐外はこれからも時代の視点で読み継がれていくことでしょう。没後100年の現在でも古びない、読むべき魅力をお楽しみください。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上参観を。
[ 詳細 : 文京区立 森鷗外記念館

【展覧会】文京区立 森鷗外記念館 特別展「鷗外と旅する日本」 4月7日─7月1日 終了企画

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文京区立森鷗外記念館
特別展「鷗外と旅する日本」
会  期  平成30年4月7日[土]-7月1日[日]
開館時間  10時-18時(最終入館は17時30分)
料  金  一般500円(20名以上の団体:400円)
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明治、大正期に活躍した森鷗外(陸軍軍医、作家)は、北は北海道から南は九州まで日本各地に足を運んでいます。
旭川、弘前、新潟、長野、大宮、横浜、京都、奈良、広島、琴平、小倉、熊本 …… 。多くは公務の旅でしたが、休暇に一人でもしくは友人、家族とともに温泉地や三崎、千葉の別荘に出かけることもありました。公務の合間にも、寺社や史跡を巡り、歴史に登場する著名人の墓を訪れました。こうした旅は、鷗外が日頃書物から取り入れた知識により深みを与え、後に作品の中にあらわれました。

本展では鷗外が実際に訪れた地、『高瀬舟』『金毘羅』『阿部一族』など作品の舞台になった地を、鷗外の旅行記『北游日乗』『みちの記』『北遊記』や日記、書簡などの資料などから紹介します。
鷗外の生きた60年の間には日本全国に交通網が伸び、鷗外の旅も変化していきました。鷗外を道しるべに全国をめぐると共に、現在につながる明治、大正の景色も紹介します。馴染みの観光地、見知った街を新たな視点で旅してみませんか。

【詳細: 文京区立 森鷗外記念館

【森鷗外記念館】「鴎外・ミーツ・アーティスト ─ 観潮楼を訪れた美術家たち」1月 13日-4月1日

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文京区立森鷗外記念館
コレクション展
「鷗外・ミーツ・アーティスト ─ 観潮楼を訪れた美術家たち」

会  期:2018年1月13日[土]-4月1日[日]
     * 休館日は2月26日[月]、27日[火]、3月27日[火]
開館時間:10時-18時(最終入館は17時30分)
料  金:一般300円(20名以上の団体:240円)
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小説家、翻訳家、陸軍軍医など八面六臂の活躍で知られる鷗外ですが、実は美術とも深いつながりを持っており、沢山の美術家の知己を得ています。
鷗外は美術家たちの良き理解者でありながら、時には厳しい批評者でもあり、また美術庇護者としても彼らを支えます。鷗外にとっても、彼らは仕事仲間であり、一方で創作の源泉となる存在でもありました。

鷗外が出会った美術家たちの中から、鷗外の居宅・観潮楼(現・文京区立森鴎外記念館)を訪れた美術家に、100年以上の歳月を経て、再び集まってもらいましょう。
鷗外に作品を評価された洋画家・藤島武二、鷗外作品のモデルにもなった水彩画家・大下藤次郎、東京美術学校で鷗外の講義を受けた彫刻家・高村光太郎、鷗外の著書の装丁を多数手がけた洋画家・長原孝太郎…… 。
美術界における旧派と新派、あるいは明治美術界から白馬会、太平洋画会との価値観がせめぎ合う中で、鷗外は彼らにどのような眼差しを向けてきたのでしょうか。
そして美術家たちの眼は鷗外自身と鷗外作品に何を見出したのでしょうか。観潮楼に届いた美術家たちの書簡、鷗外の美術批評、鷗外作品を彩った装丁本など当館のコレクションを通して、「鷗外が見つめた美術家」と「美術家が見つめた鷗外」に迫ります。

【 詳細情報 : 文京区立森鷗外記念館

【展覧会】 森鷗外記念館 特別展「明治文壇観測 ── 鷗外と慶応三年生まれの文人たち」 2017年10月07日─2018年01月08日

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文京区立森鷗外記念館
特別展 「明治文壇観測-鷗外と慶応三年生まれの文人たち」
◯ 会       期 : 平成29年10月7日[土]-平成30年1月8日[月・祝]
* 会期中の休館日 : 平成29年11月28日、12月26日、12月29日-平成30年1月3日
◯ 開館時間 : 10時-18時(最終入館は17時30分)
◯ 会       場 : 文京区立森鷗外記念館 展示室 2
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慶応3(1867)年は、明治を代表する文人たちがそろって誕生した年として記憶されています。夏目漱石、幸田露伴、尾崎紅葉など一時代を築いた文豪たち、俳句・短歌の革新に力を注いだ正岡子規、辛辣な批評家として活躍した齋藤緑雨、劇評の近代化に努めた三木竹二(鷗外の弟・森篤次郎)などが、この年に生まれました。
鷗外は彼らより5歳年上ですが、彼らとともに日本の近代文学史に足跡をのこしました。

本展では、鷗外主宰の雑誌「めさまし草」(明治29年1月から明治35年2月)を座標軸に、鷗外と慶応3年生まれのひとたちとの文学交流を辿ります。
鷗外・露伴・緑雨・紅葉らによる合評形式の文芸評論、子規一門の句が多く掲載された俳句欄、創刊号から連載された三木竹二の劇評など、「めさまし草」には、近代文学の出発期を主導した鷗外と慶応3年生まれたちとの共演が目立ちます。
一方で、文学史を眺めたとき、「めさまし草」の時代は文壇が変化していく時期と重なります。日清戦争後の社会情勢の変化に伴う新しい文学の登場と模索、道半ばでの死、自然主義思潮の登場……。

同じ時代を生きた者が、歩み方や活躍時期を同じくするとは限りません。それぞれの業績を「鷗外」という定点から観測した時、何がみえてくるのでしょうか。今年150歳を迎える慶応3年生まれと、鷗外による〝明治文壇観測〞を試みます。

【 詳細情報 : 森鷗外記念館 】 { 文字壹凜 Summary

【展覧会】 文京区立 森鷗外記念館 森家三兄弟 ― 鷗外と二人の弟 10月1日[日]まで

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コレクション展 「森家三兄弟 ― 鷗外と二人の弟」

◯ 会       期 : 平成29年7月7日[金]-10月1日[日]
* 会期中の休館日 : 9月26日[火]
◯ 開館時間 : 10時-18時(最終入館は17時30分)
◯ 観  覧 料 : 一般300円(20名以上の団体 : 240円)
* 中学生以下無料、障がい者手帳ご提示の方と同伴者1名まで無料
◯ 会      場 : 文京区立森鷗外記念館 展示室 2
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鷗外には二人の弟がいました。
一人は5歳年下で慶応3(1867)年生まれの篤次郎、もう一人は17歳年下で明治12(1879)年生まれの潤三郎です。現在では語られる機会が少なくなってしまいましたが、それぞれ劇評家、考証学者として活躍した弟たちです。

鷗外が「敏捷(びんしょう)」と形容する篤次郎は、鴎外と共に西洋詩や演劇論を翻訳し、鷗外主宰の雑誌「しがらみ草紙」「めさまし草」などの編集にも関わりました。
潤三郎は鷗外の史伝『伊澤蘭軒』『北條霞亭』などにおいて、鷗外の依頼を受け、史料蒐集や調査を引き受けました。また、鴎外の業績を後世に残すため、全集や評伝の刊行に努めました。
鷗外は二人を頼りにしていた一方で、長兄として、弟たちが困難に直面した際には、解決のために全力を尽くします。鷗外は自身と篤次郎について、
「こんな風に性癖の相違があつても、博士と弟とは喧嘩と云ふ程の喧嘩をしたことがない」(『本家分家』)と記していますが、三人の関係そのものを物語っているのかもしれません。

本年は篤次郎生誕150年にあたります。本展では、二人の弟たちに焦点をあて、彼らの生涯と業績を当館のコレクションを通して紹介します。互いを敬愛し、信頼しながら支え合ってきた森家三兄弟の絆をご覧ください。

【 詳細 : 森鷗外記念館 】 { 文字壹凜 Summary

【特別展】 鷗外の「庭」に咲く草花-牧野富太郎の植物図とともに 森鷗外記念館 4月8日-7月2日

鷗外と牧野 森鷗外02文京区立森鷗外記念館特別展
「鴎外の〈庭〉に咲く草花―牧野富太郎の植物図とともに」
2017年4月8日[土]-7月2日[日]
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文京区立森鷗外記念館には、『花暦』と題する鷗外の自筆原稿が遺っています。この原稿には、2月から9月までの8カ月間の草花の開花状況が記されています。書かれた年代は確定できていませんが、明治30年頃の観潮楼(鷗外自邸)の庭を観察したものと推定されます。

明治の文豪・森鷗外が草花を観察していたこと、少し意外に思われるかもしれません。鷗外の日記や子どもたちの遺したエッセイからは、草花を好み園芸を楽しむ一面をみることができます。
また、鷗外は自身の作品の中にもたくさんの草花を登場させています。その数500種以上、植物専門家でもないひとりの作家が取り上げる数としては、並外れた数といえるでしょう。
作品の中の草花は、季節感や自然の美しさを忠実に伝えるものもあれば、鷗外の想いを伝える表現手段として登場するものもあります。草花の健やかな姿に鴎外は心を癒されると同時に、草花への関心が創作活動の契機にもなっていたにちがいありません。

本展では、観潮楼で咲いていた草花と、鴎外作品にみられる草花を、鴎外と同じ文久2(1862)年生まれの植物学者・牧野富太郎の植物図とともに紹介します。
草花の姿や印象を文字で記録した鷗外と、部分図や解剖図を盛り込み形態や性質を緻密な図で記録した牧野。
互いの日記に名前が記されるなど、ふたりには交流もありました。物事を克明に捉え続けたふたりの目を通して、鷗外の〈庭〉に咲く草花をご覧ください。

【 詳細 : 文京区立森鷗外記念館