タグ別アーカイブ: 泉屋博古館 京都・鹿ヶ谷

【展覧会】泉屋博古館 京都 SEN-OKU HAKUKOKAN MUSEUM|特別展 生誕150年記念 板谷波山の陶芸 -近代陶芸の巨匠、その麗しき作品と生涯-|’22年9月3日-10月23日

京都01京都02 泉屋博古館 京都・鹿ヶ谷 SEN-OKU HAKUKOKAN MUSEUM
特別展 生誕150年記念 板谷波山の陶芸
-近代陶芸の巨匠、その麗しき作品と生涯-
会  期  2022年9月3日[土]-10月23日[日]
休  館  日  月曜日(9月19日、10月10日は開館)。9月20日[火]、10月11日[火]は休館
開館時間  午前10時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
入  館  料  一 般 1,000円  高大生 800円  中学生以下 無 料
      * 本展覧会の入場料で青銅器館もご覧いただけます
会  場  泉屋博古館(京都・鹿ヶ谷)
      606-8431   京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24
主  催  公益財団法人泉屋博古館、日本経済新聞社、京都新聞
──────────────
陶芸家 板谷波山(いたや はざん 1872-1863)は、明治5年(1872)茨城県下館町(現・筑西市)に生まれ、昭和28年(1953)に陶芸家として初の文化勲章を受章し、昭和29年(1954)には日本画の横山大観とともに茨城県名誉県民の第一号となりました。
波山は、理想の作品づくりのためには一切の妥協を許さないという強い信念により、端正で格調高い作品を数多く手がけました。その一方で、波山は、故郷のまちと人々をこよなく愛し、共に信頼し、共感し合いながら、生きていくことを大切にした人物でもありました。

令和4年(2022)3月3日、我が国の至宝である板谷波山は、生誕150年を迎えました。この記念すべき年に、住友コレクションはじめ波山の選りすぐりの名作を一堂に集め展覧します。
あわせて、波山が生まれ愛した故郷への思いや人となりを示す貴重な資料、そして試行錯誤の末に破却された陶片の数々を通して、「陶聖」と謳われる波山の様々な姿を紹介いたします。

波山の作品に表現された美と祈りの世界に癒され、そして、波山の優しさとユーモアにあふれた人生に触れるひと時をお楽しみください。

* 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上参観を。本展は会期終了後 東京館 に巡回します
[ 詳細 : 住友コレクション 泉屋博古館 ] { 活版 à la carte  泉屋博古館まとめ }

【展覧会】泉屋博古館 京都・鹿ヶ谷|住友財団修復助成完了記念 モンゴル匈奴墓出土 漢代紀年漆器|’22年3月26日- 5月15日

泉屋博古館京都耳 杯 (漢 紀元前16年)

泉屋博古館 京都・鹿ヶ谷
住友財団修復助成完了記念
モンゴル匈奴墓出土 漢代紀年漆器
会  期  2022年3月26日[土]- 5月15日[日]
開催場所  泉屋博古館(京都・鹿ヶ谷) 青銅器館 4 室 特設コーナー展示
休  館  日  月曜日
開館時間  午前10時 ~ 午後5時(入館は午後4時30分まで)
入  館  料  一般 800円、 高大生 600円、 中学生以下 無 料
      * 本展覧会の入場料で本館・青銅器館もご覧いただけます。
──────────────
住友財団の文化財修復助成により修復したモンゴル出土漆器2点を特別公開します。
紀元前 3 世紀末から紀元後 2 世紀にかけて、万里の長城より北の草原地帯では匈奴が勃興し、その遺跡は現在のモンゴル国、ロシア連邦ブリヤート共和国、中国に分布しています。なかでも最も多くの遺跡があるのはモンゴル国で、現在 7000 基をこえる匈奴の墓が知られています。
近年は王陵級の匈奴墓の調査が進み、シルクロードを通じて伝わってきたローマングラスや銀器、漢から獲得した大量の絹織物など、豪華な副葬品が出土したことから人々を驚かせました。今回修復した漆器はそのような漢から匈奴に伝わった漆器の中の 2 点で、当時の最高級漆器です。
漆器は保存が難しい出土文化財のひとつで、壊れた状態で出土した後、年々状態が悪化していました。そのため、住友財団の「海外の文化財維持・修復事業助成」をうけて、2020年より修復を進めてまいりました。今回の展示は、モンゴル国へ返還前に、泉屋博古館において特別に展示するものです。約2000年前の漆器の姿をご覧ください。

* 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上参観を。
[ 詳細 : 住友コレクション 泉屋博古館 ] { 活版 à la carte 過去ログ

{蛇足の新宿餘談}
一対の把手がひとの顔の両耳に見えることから、「耳杯-じはい」と呼ばれる。薄い木胎に下地を塗り、その上に漆を塗っている。
耳杯は羹や酒を盛る容器として、戦国時代(紀元前5-前3世紀)に登場し、秦漢時代(前3-2世紀)に盛んに作られ、魏晋南北朝時代(3-6世紀)まで使われた。[九州国立博物館資料ゟ]