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【展覧会】萩博物館|長州ファイブ英国渡航160年記念企画展|古写真で見る幕末明治 =海外渡航者編=|’23年3月18日-6月18日|会期終了

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萩博物館
長州ファイブ英国渡航160年記念企画展
古写真で見る幕末明治 =海外渡航者編=
開催期間  2023年3月18日[土]- 6月18日[日]
開館時間  9時-17時(ただし入館は16時30分まで)
休  館  日  会期中無休
観  覧  料  大 人 520円、高校生・大学生 310円、小学生・中学生 100円
会  場  萩博物館
      758-0057 萩市大字堀内355番地 tel 0838-25-6447
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文久3年(1863)5月、長州藩は井上馨・山尾庸三・井上勝・伊藤博文・遠藤謹助の5名をイギリスへ密かに送り込みました。日本人の海外渡航が禁じられている時代、彼らは国禁を破って密航留学し、帰国後は日本の近代化・工業化に多大の貢献をしたことから、現在は「長州ファイブ」と称えられています。
また「長州ファイブ」以外にも、幕末から明治にかけては多くの人々が海外へ渡りました。海外渡航者たちは、西洋諸国で見聞を広め学ぶことにより、日本の針路を定めるための大きなヒントを得たのです。
本展では、海外渡航者たちの雄姿を写した肖像写真とともに、写真に秘められた逸話についてもわかりやすく紹介します。

◉ ギャラリートーク
展示を担当した学芸員が見どころを解説します。
日  程  3月18日[土]、4月115日[土]、5月13日[土]

場  所  萩博物館・企画展示室
参  加  費  無 料(展示観覧料は必要です)
予  約  不要です。時間までに企画展示室へお越しください

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上ご参加を。
[ 詳 細 : 萩博物館
01-03.長州ファイブ(後列段左より:遠藤謹助、野村弥吉(井上 勝)、伊藤俊輔(博文)、前列左より:井上聞多(馨)、山尾庸三)長州ファイブ/長州五傑
前列右より時計回り、山尾庸三(工学の父)、井上聞多(馨)、遠藤謹助、
野村弥吉(井上 勝/鉄道の父)、伊藤俊輔(博文)

[ 参 考 : 活版アラカルト   2018年12月21日 【明治150年祭】明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業|萩博物館|長州ファイブと工部大学校:山尾庸三 ]

Kobu_Daigakko工学尞 → 工部大学校・工部美術学校 → 東京大学工学部の前身のひとつ
所在地/千代田区霞が関ビル周辺(もと日向国〔宮崎県〕延岡藩 内藤能登守上屋敷)
01-01.工部大学校阯碑01-02.工部大学校阯碑解説板「工部大学校阯」碑および解説板(千代田区霞が関三丁目2-1)工部大学校

日本最初の工学教育機関。東京大学工学部の前身。

伊藤博文・山尾庸三の建議に基づいて設置され、1873年(明治04)専門教育はイギリス人の教頭・機械工学者 H. ダイアー ほか 8 人のイギリス人教師を招いて「工部省工学寮」が開校。工学頭-こうがくのかみ-は山尾庸三、教頭はダイアーであった。工部省工学寮は1877年(明治10)「工部大学校」と改称した。のち工作局長:大鳥圭介が総理となった。

土木、機械、造家、電信、化学、冶金-やきん、鉱山の 7 学科をもつ 6 年制の官費の専門学校で、学理面と実地面とを融合した、当時世界でも進歩的な工学教育機関であった。
工部大学校は1879年(明治12)に最初の卒業生19人を出し、1882年に造船科を増設、1885年(明治12)工部省廃止に伴い文部省に移管され、翌年東京大学工芸学部と合併し、帝国大学工科大学、現東京大学工学部となった。辰野金吾、高峰譲吉、藤岡市助、井口在屋-いのくちありや-ら明治の工学界・産業界の指導者・技術者を輩出した。[参考資料:『日本大百科全書』(小学館)]

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上ご参加を。
[ 詳 細 : 萩博物館 ]

【展覧会】萩博物館|秋季特別展 江戸時代の地図 古地図で探ろう、ふる里や国の姿・形|’22年10月1日-12月11日

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秋季特別展 江戸時代の地図
古地図で探ろう、ふる里や国の姿・形
会  期  2022年10月1日[土]-12月11日[日]
* 会期中無休 作品保護のため前後期展示で作品の一部を入れかえます。
前期展示:10月01日[土]ー11月04日[金]
後期展示:11月05日[土]-12月11日[日]
会  場  萩博物館  758-0057  山口県萩市堀内355
観  覧  料  大 人 520円、高校・大学生 310円、小・中学生 100円、未就学児 無 料
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現代生活の必需品ともいえる地図には、地名はもちろん、街道や航路といった交通網、山・海・川といった自然環境など、ありとあらゆる情報が載せられており、古くから人々の探究心をくすぐり続けてきました。
本展では、萩博物館が長年にわたり収集してきた膨大な資料の中から、江戸時代に作成された地図を中心に紹介します。それら古地図に描かれたふる里や国の姿かたちは、どのようなものだったのでしょうか。
長州萩から日本、国外へと視野を広げ、魅力たっぷりの古地図の世界にいざないます。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上ご参加を。
[ 詳 細 :  萩博物館   特設サイト ]  

【特集展示】萩博物館|地域特集展示 クローズアップ|三見 ── 萩の魅力再発見 ── 萩まちじゅう博物館|令和3年1月30日-6月20日

2021-03-05

萩博物館 地域特集展示
クローズアップ三見 ── 萩の魅力再発見 ── 萩まちじゅう博物館
と  き  令和3年1月30日[土]-6月20日[日]
開館時間  午前9時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
休  館  日  毎週水曜日
観  覧  料  大人 520円 高校・大学生 310円 小・中学生 100円
と  こ  ろ  萩博物館 常設展示 人と自然の展示室内
      ※この企画展はご来館事前予約は必要ありません
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萩博物館はこのたび、萩まちじゅう博物館文化遺産活用事業実行委員会との協働で、萩市内の特色ある地域を紹介する特集展示を開催します。
その第1弾となる今回は、萩市の西端に位置する三見(さんみ)地域に焦点を当て、三見橋(国登録有形文化財、通称眼鏡橋)をはじめとする多種多様な魅力を紹介します。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 萩 博物館

【展覧会】萩博物館|創建300年記念特別展|長州藩校 明倫館 ー武士たちの学び舎ー|2019年11月9日-2020年1月5日

萩博萩博物館
創建300年記念特別展
長州藩校 明倫館
   ー武士たちの学び舎ー   
会  期  2019年11月9日[土]-2020年1月5日[日]
会  場  萩博物館 企画展示室
開館時間  午前9時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
休 館 日  会期中無休
観 覧 料  大人 510円 高校・大学生 310円 小・中学生 100円
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2019年は、長州藩の藩校明倫館創建から300年を迎える記念の年です。
享保4年(1719)に開校した藩校明倫館は、嘉永2年(1849)の移転・拡充を経て、
明治初期まで存続しました。
江戸時代を通じて多くの人材を輩出した明倫館。
その歴史を、現在に伝えられた資料を通して紹介します。

[ 詳細: 萩博物館

【展覧会】萩博物館 新収蔵庫完成記念企画展|萩博 美のイッピン!(第2期) ── 江戸時代から現代の歴史に息づく「美」のイッピン! 萩博物館に収蔵された品々を大公開 ──|’18年12月8日-’19年3月3日

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新収蔵庫完成記念企画展
萩博 美のイッピン!(第2期)
── 江戸時代から現代の歴史に息づく「美」のイッピン!萩博物館に収蔵された品々を大公開 ──
開催期間:平成30年12月8日[土]-平成31年3月3日[日]
会  場:萩博物館 企画展示室
開館時間:午前9時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
休  館  日:平成31年1月23日[水]-25日[金]
観  覧  料:大人510円 高校・大学生310円 小・中学生100円
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開館14年目を迎える萩博物館は多くの方々から寄贈・寄託頂いた膨大な資料を収めるため、このたび新収蔵庫が完成しました。これを記念し、収蔵されてきた資料の中から「美」をテーマとして、様々なイッピンを紹介します。4月に開催した展示の第2弾です。

【詳細:萩博物館

【展覧会】萩博物館|明治維新150年記念特別展第1弾|手塚治虫が描いた明治維新|9月15日-10月14日

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萩博物館
明治維新150年記念特別展第1弾
手塚治虫が描いた明治維新
開催期間  平成30年9月15日[土]-10月14日[日]
会  場  萩博物館 企画展示室
開館時間  午前9時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
休  館  日  なし(年中無休、年末年始も開館)
観  覧  料  大人510円、高校・大学生310円、小・中学生100円
お問合せ  萩博物館 TEL:0838-25-6447  E-mail: muse@city.hagi.lg.jp
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山口県初の本格的な手塚治虫の原画展覧会 ! 『陽だまりの樹』を主題とした展覧会も本邦初 !!

本年は、明治維新150周年と、「マンガの神様」と称えられる手塚治虫の生誕90周年とが重なります。この記念すべき年に、当館では明治維新150年記念特別展の第1弾として「手塚治虫が描いた明治維新」を開催し、手塚治虫が『陽だまりの樹』などの作品で描いた明治維新の世界観をふりかえります。
『陽だまりの樹』は、江戸から明治へというわが国の一大変革期を、全力で駆け抜けた若者たちの姿を描いたものです。武士という滅びゆく生き方を貫こうと東奔西走する伊武谷万二郎。伝統医学と対抗しつつ近代医学の道を切り拓くために奮闘する手塚良庵。対象的な二人は、激動の時代を必死で生きたのです。
本展は、山口県では初めての手塚治虫の本格的展覧会であり、『陽だまりの樹』をメインとした初めての展覧会でもあります。手塚治虫の直筆のマンガ原稿とともに、作品中に見られるような医師の治療器具ほか、当館の収蔵資料も一緒に展示します。子供から大人まで幅広い世代に楽しんでいただける展覧会です。

◆ ギャラリートーク開催 ◆
9月15日[土]、9月29日[土]、10月13日[土]

それぞれ午後2時から。参加料無料(ただし観覧料は必要となります)。
担当学芸員が展示解説をします。開始5分前に企画展示室入口にお集まりください

萩博01 萩博02【詳細: 萩博物館

{新宿餘談 近日公開予定}
活版アラカルト 8月13日掲載の本展 予告 はそのままにして、舞台を「花筏」に移して、江戸・東京の近代医学発祥の地となった「種痘所」を紹介。
手塚治虫は、そして、森 鷗外、司馬遼太郎は「種痘所」をどう描いたのか、そして「種痘所」をめぐって、近代産業の活版印刷術の開拓者〔島霞谷、本木昌造、平野富二〕たちがどのように接触していたのか、てがかりの一端を紹介。

【展覧会 予告】萩博物館|明治維新150年記念特別展 第 1 弾|手塚治虫が描いた明治維新|9月15日-10月14日

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明治維新150年記念 特別展 第 1 弾  終了企画

手塚治虫が描いた明治維新
開催期間  2018年9月15日[土]-10月14日[日] 会期中無休
開館時間  午前9:00-午後5:00   * 入館は午後4:30まで
観  覧  料  大人510円、高校・大学生310円、小・中学生100円
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深海魚ファンでの大盛況の「萩博物館夏期特別展 深海魚大行進」(9月2日まで開催)。その萩博物館が、次回展の予告をアップ。
なんと「明治維新150年記念特別展 第 1 弾 手塚治虫が描いた明治維新」とあった。

手塚 治虫(てづか おさむ、本名:手塚 治-読み同じ、1928-1989)は、日本の漫画家、アニメーター、アニメーション監督。 大阪帝国大学附属医学専門部を卒業、医師免許取得、のち医学博士(奈良県立医科大学・1961年)。戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画の草分け存在として活躍した。兵庫県宝塚市出身(出生は 大阪府豊能郡豊中町、現在の豊中市)。

この手塚治虫の曾祖父にあたる人物に、幕末から明治初期に活躍した西洋医学者:手塚良仙がいた。[『日本人名大辞典』講談社]から紹介する。

【手塚良仙 てづか-りょうせん 1801−1877】
幕末-明治時代の医師。
享和元年生まれ。手塚治虫の曾祖父。大坂の適塾でまなび、安政5年「江戸お玉ケ池種痘所」設立に協力。文久3年歩兵屯所医師。
明治10年陸軍軍医として西南戦争に従軍。赤痢にかかり同年10月10日死去。77歳。
その生涯は手塚治虫によって「陽だまりの樹」にえがかれた。江戸出身。

20180811201014_00001 20180811202300_00003 20180811202300_00001『陽だまりの樹』全7巻 著者:手塚治虫 1988-1989年 小学館

最終巻の第7巻のカバー写真は、刊記に「カバー写真提供:手塚治虫(手塚良仙肖像画)」とある。
またその対抗ページの最終コマには以下のようにしるされている(手塚良仙の生没年には若干疑問がのこる。萩博物館の研究を待ちたい)。
「その年〔明治10年〕、手塚良仙は九州の地で赤痢に罹り、大坂の病院へ送られて死んだ。行年五十一歳であった。私、手塚治虫は彼の三代目の子孫にあたる」
DSCN2784-768x1024江戸・東京 活版さるく 訪問先
27 お玉ヶ池種痘所 跡
所  在  地  千代田区岩本町2丁目 (もと勘定奉行川路聖謨旧私邸内)
標  示  物  「お玉ヶ池と種痘所跡」標柱(東京大学医学部建立)、記念プレート、解説板
概  要  安政5(1858)年5月に江戸の蘭方医83人が出資して、神田お玉が池に「種痘所」を設置した。この土地はのちに累進して幕府勘定奉行筆頭となった川路聖謨(かわじ としあきら 1801―68)が、かつて所有していた私有地を提供したと伝えられている。
しかしこの地での「種痘所」は、同年11月、開設からわずか半年にして火災により類焼したため、大槻俊斎(おおつき しゅんさい 1806―58)と、伊東玄朴(いとう げんぼく 1801―71)の家を臨時の種痘所とし、その後神田和泉町へ移った。→ ●43、●42
[参考: 活版アラカルト〔イベント〕メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-06 <江戸・東京 活版さるく>訪問地:お玉が池種痘所

手塚治虫『陽だまりの樹』は、<江戸・東京 活版さるく>でも話題となり、「活版カレッジ」修了生のあいだで広く読みつづけられている。そして<江戸・東京 活版さるく>の報告が、近〻印刷物となってまとめられる段階まで進行している。

萩博物館は、「日本工学の父:山尾庸三展」、「日本鉄道の父:井上 勝展」のころから熱く注目してきた博物館である。こんどは手塚治虫をつうじてどんな切り口で維新史を綴ってくれるのか、おおいに期待して見守っていきたい。

【詳細: 萩博物館

【展覧会】萩博物館|夏期特別展 深海魚大行進|深海のモンスター ……… 深海魚!|6月23日-9月2日|終了企画

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萩博物館 夏期特別展
深海魚大行進
powered by 東京海洋大学マリンサイエンスミュージアム

開催期間  2018年6月23日[土]-9月2日[日] 会期中無休
開館時間  午前9:00-午後5:00   * 入館は午後4:30まで
観  覧  料  大人510円、高校・大学生310円、小・中学生100円
主  催  平成30年度 萩博物館特別展 実行委員会

共  催  萩市、萩市教育委員会、東京海洋大学
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萩博物館恒例の夏の展示がいよいよはじまります。
今年の夏のテーマは、深海のモンスター ………… 深海魚!
萩は80年以上前から「竜宮城の使者」といわれるリュウグウノツカイなど、深海魚がしばしば出現する日本有数の地です。
この地に立つ萩博物館に蓄積・引き継がれてきた秘蔵の標本と、東京海洋大学の「マリンサイエンスミュージアム」から特別に借用する世界各地の標本をあわせ、約300種類・約3,000点という圧倒的な数量を一挙公開する、日本最大級の深海魚展です。

【詳細: 萩博物館  特設ページ

【注目の展示物】

minnna△ 全長 4.4 m! 西日本最大級の「リュウグウノツカイ」を
本展のために剥製化して展示!

benntennuo_s250△「図鑑でしか見られない」とまでいわれる幻の珍魚「ベンテンウオ」が、
2008年に山口県萩市三見-さんみ-に出現。

以来萩博物館で10年間冷凍保管していた日本有数の完全無欠の標本を特別公開! 

【深海魚にググっと迫る数〻の関連イベント】  続きを読む

【展覧会】萩博物館 新収蔵庫完成記念 企画展 {萩博 美のイッピン!}4月14日─6月3日 終了企画

萩博おもて萩博うら 萩博物館
新収蔵庫完成記念 企画展
萩博 美のイッピン!
萩開府400年を記念し、萩博物館が開館した平成16年(2004)から、今年で14年目を迎えます。
萩博物館はこれまで大変多くの方々から資料の寄贈・寄託を頂いてきました。これらの膨大な資料を収めるため、このたび新収蔵庫を建設しました。
この収蔵庫建設を記念し、いままで収蔵されてきた資料の中から「美」をテーマとして、様々なイッピンをとりあげ、ご紹介します。
名付けて「萩博 美のイッピン!」
〈主要展示品〉 
  ・猩々緋地丸に蔦紋陣羽織(初公開)
  ・紺地雨龍模様半月紋陣羽織(初公開)
  ・雲谷等璠「花鳥図屏風」
  ・松林桂月スケッチ帖(初公開)
  ・松林雪貞「薔薇図」
   ── ほかを展示します。
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と  き 4月14日[土]ー6月3日[日]
午前9時ー午後5時(入館は午後4時30分まで)
* 会期中無休。

観  覧  料 大人510円、高・大学生310円、小・中学生100円

【詳細情報: 萩 博物館

【展覧会】 萩博物館 萩の鉄道ことはじめ ’17年12月16日─’18年4月8日+日本鉄道の父:井上 勝

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萩博物館 企画展

萩の鉄道ことはじめ  ― 待ちに待ったる鉄道いよいよ開通す―
◯ 開 催 日 : 2017年12月16日[土]-2018年4月8日[日]
◯ 時     間 : 09:00-17:00(入館は16:30まで)
◯ 会     場 : 萩博物館 企画展示室
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日本近代化の象徴である鉄道は萩に何をもたらしたのでしょうか。
「鉄道の父」井上勝をはじめ、草創期の「鉄道技術者」飯田俊徳、
「時刻表創刊者」手塚猛昌など、萩ゆかりの人びとが鉄道をつうじて
近代化に貢献していったことに注目し、萩と鉄道のかかわりを
多角的な視点から紹介します。
【 詳細情報 : 萩博物館
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{ 新塾餘談 }

* 飯田 俊徳(いいだ-としのり、1847-1923)
日本の鉄道の父といわれる井上 勝らと共に、日本の鉄道敷設に努めた明治時代の官僚、技術者。山口県萩市出身。元長州藩士。
萩藩大組飯田家の子として生まれ、幼名吉次郎。藩校明倫館に学んだ後、吉田松陰の松下村塾にまなび、また大村益次郎らに師事する。高杉晋作率いる奇兵隊にも所属していた。

1867年(慶応3)12月、藩命で長崎・米国・オランダへ留学。帰国後工部省鉄道局に入局。
1877年(明治10)、大阪停車場(現大阪駅)構内にて日本最初の鉄道技術者養成機関として設立された「工技生養成所」で教鞭を執り、多くの技術者を育て上げる。翌年、東海道本線京都・大津間にて逢坂山トンネル建設の総監督を務め、2年後完成させた。これは日本人の手で施工された最初の鉄道トンネルである。
その後も東海道本線をはじめとする東海地方・関西地方の数々の鉄道敷設を主導、1890年(明治23)に鉄道庁部長となるが、3年後鉄道国有化問題で退職。晩年は長男新の住んでいた愛知県豊橋市に隠居し、そこで没した。

* 手塚 猛昌(てづか-たけまさ  1853-1932)
明治-昭和時代前期の実業家。「時刻表の父」として知られる、明治期の実業家。日本最初の月刊時刻表とされる「汽車汽船旅行案内」の発行者。現在の山口県萩市須佐出身。
嘉永6年11月22日生まれ。神職をつとめたのち慶応義塾にまなぶ。明治27年「汽車汽船旅行案内」を発行。星亨(ほし-とおる)らと東京市街鉄道をおこし、39年東洋印刷を設立し社長。明治40年帝国劇場の創設にも参加した。昭和7年3月1日死去。享年80。本姓は岡部。

バーナー井上勝 小学館ライブラリー井 上  勝(いのうえ-まさる 1843-1910)

明治期の鉄道技術者。鉄道庁長官。日本鉄道の父とされる。
長門国(山口県萩市)の長州藩士井上勝行の三男として天保10年(1843)8月1日生まれる。いっとき野村家を継ぎ野村弥吉と名のり、明治維新後実家に復籍して井上勝と称した。
長崎や江戸、そして箱館(函館)の武田斐三郎(たけだ-あやさぶろう)の塾で洋学を修めた。

長州五傑/長州ファイブ在英中の長州五傑 前列右から時計回りに紹介
山尾庸三、井上馨、遠藤謹助、井上勝、伊藤博文

職掌は唯クロカネの道作に候
吾が生涯は鐵道を以てはじまり、すでに鐵道を以て老いたり
まさに鐵道を以て死すべきのみ
井 上   勝

1863年(文久3)いわゆる「長州五傑・長州ファイブ」のひとりとして、伊藤俊輔(伊藤博文 ひろぶみ)、井上聞多(井上馨かおる)、山尾庸三(わが国工学の父 1837-1917)、遠藤謹助(近代貨幣制度の導入者・造幣局長 1836-1893)らとともにイギリスに密航、このとき井上勝は二〇歳、養家の姓から野村弥吉と名乗っていた。

英国滞在中はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大学群)で鉄道、鉱山技術を学び卒業、1868年(明治1)帰国。1871年工部省鉱山頭兼鉄道頭に任ぜられ、翌1872年鉄道頭専任となり、東京-横浜間(新橋駅-桜木町駅)の鉄道敷設に尽力した。
関西で鉄道建設がはじまると鉄道寮の大阪移転を断行した。外国人技師主導からの自立を目ざし、飯田俊徳をはじめとする日本人鉄道技術者を養成し、1871年からの京都-大津間の敷設には、井上自身が技師長となって逢坂山トンネル建設の難工事を乗りこえ、はじめて日本人だけの手で工事を完成した。技監、工部大輔、鉄道庁長官などを歴任、東海道線ほか幹線の敷設に貢献した。

また鉄道庁長官として東北線を敷設する際に、広大な荒地を農場に変えようと念願し、岩手県におよそ900万坪の宏大な敷地に「小岩井農場」(現小岩井農牧株式会社 岩手県岩手郡雫石町)を創設した。
この農場の名称は共同創立者三名、日本鉄道会社副社長:小野義眞(おの-ぎしん)、三菱社社長:岩崎彌之助、鉄道庁長官:井上勝の姓の頭文字をとって「小岩井」農場と名づけられた。すなわち小岩井の「井」は井上勝の頭文字の「井」である。
なお「小岩井農場」は宮澤賢治の詩文集『春と修羅』にも「小岩井農場 パート一-九」にかけて印象深く描かれている。

1893年、幹線国有化論を主張したことがもとで鉄道庁長官を辞任した。
1896年汽車製造合資会社(のちに株式会社となったが、1972年川崎重工業に吸収)を設立、社長となった。欧州での鉄道視察中に病に倒れ、若き日を過ごしたロンドンで1910年8月12日息をひきとる。享年68。
遺言によって、現地で荼毘に付されたのち、東海寺大山墓地(東京都品川区北品川4-11-8)に埋葬された。ここはJR東海道本線・JR山の手線・京浜急行・東海道新幹線の鉄道線路に近接した場所である。井上 勝、愛称 : オサルの得意やいかにとおもわせる地でもある。
東京駅(丸の内北口付近)に彫刻家:朝倉文夫による銅像があったが、同地区再開発工事中のため撤去されており、現在はみられない。
(追記 : 本稿アップロード寸前、2017年12月07日丸の内広場北西端、オアゾビルと新丸ビルの近くに、井上勝像が10年ぶり再建されたことを夕刊で各紙が報じていた)

【展覧会】 萩博物館 {高杉晋作の決意 ─ 明治維新への助走 ─ }

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高杉晋作の決意 -明治維新への助走-
と き : 平成29年4月14日[金]-5月7日[日]
ところ : 萩博物館 企画展示室
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高杉晋作の決意
幕末、西洋列強の支配を受ける中国・上海を視察した高杉晋作は、過激な攘夷運動の急先鋒と化して行きます。
「明治維新」の大きな原動力となった西洋排撃の決意の軌跡を、晋作の上海日記「遊清五録(ゆうしんごろく)」、「御盾組血盟書」、「晋作書簡」(桂小五郎、井上聞多(馨)宛)、「柳生新影流伝書」などでたどります。

【 詳細情報 : 萩博物館