たばこと塩の博物館
開館40周年特別展 明治150年記念事業
日本の産業を変えた1873年のウィーン万国博覧会 ── 産業の世紀の幕開け
会 期 11月3日[土・祝]-’19年1月14日[月・祝]
会 場 たばこと塩の博物館 2 階特別展示室
開館時間 午前10時~午後6時 * 入館締切は午後5時30分
休 館 日 毎週月曜日(但し、12月24日、1月14日は開館)、
12月25日[火]、12月29日[土]-1月3日[木]
入 館 料 一般・大学生 300円、小・中・高校生 100円
主 催 たばこと塩の博物館
後 援 オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム、
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1873(明治6)年に開催されたウィーン万国博覧会は、35ヵ国が参加し、約6ヵ月の会期中に726万人が来場しました。この博覧会に国家として初めて公式参加した日本は、さまざまな工芸品や生活具、建築の模型、庭園などを出展。その中には大型の陶磁器や金工、欧米の生活に合わせた工芸品もあり、日本の技術力、対応力の高さを示すものとして大きな反響を呼びました。
今回の特別展では、日本にとってのウィーン万国博覧会をテーマに、博覧会への参加準備段階の資料、日本やオーストリアに所蔵されている当時の出品物、博覧会後の産業界の動きを示す資料を展示。合わせて、世紀末ウィーンの画家として活躍し、日本の芸術に影響を受けたグスタフ・クリムトの習作2点を展示します。
Photo. 01 ウィーン万国博覧会のシンボルとなったパビリオン・ロトゥンデ
澳国博覧会参同記要(東京大学経済学部資料室蔵)
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1、ウィーン万国博覧会への参加準備と湯島の博覧会
明冶4年(1871)9月。日本政府はウィーン万国博覧会への参加を決定し、翌年の明治5年(1872)からは、博覧会の告知、博覧会事務局の設置、博覧会御用掛の任命、各地からの物産調書・出品物の収集、予算の計上などを行なっていきました。
明治4年9月には、日本の天産物(鉱物や水産物、植物、動物など)の収集と古器旧物(歴史的な資料)の保存を目的に文部省博物局が設置されましたが、万博への参加決定によって、より一層各地から出品物が寄せられるようになり、博物局の資料も充実していきました。
翌年の明治5年には、湯島聖堂の大成殿を会場として大規模な博覧会も開催され、好評を博しました。
このコーナーでは、ウィーン万博への出品の呼びかけを示す文書や、湯島聖堂での博覧会を描いた浮世絵などを展示し「ウィーン万国博覧会への参加準備のようす」を紹介します。
Photo.02 壬申二月澳地利国博覧会出品呼びかけ (渋沢史料館蔵)
博覧会事務京から全国へ、ウィーン万国博覧会への出品が呼びかけられた。
Photo.03 「古今珍物集覧 元昌平坂聖堂ニ於て」二代歌川国輝 明治5年(1872)(個人蔵)
湯島聖堂での博覧会の展示物が並べて描かれている。絵画、武具、衣装、楽器、鳥類、魚類など、多岐にわたる分野の「古今珍物」が集められたことがわかる。
Photo.04「博覧会諸人群集之図 元昌平坂二於テ」昇斎一景 明治5年〔1872〕(個人蔵)
湯島聖堂で行われた博覧会に人々が詰めがけた様子か描かれている。ウィーン万博に出展された名古屋城の金鯱が湯島でも展示されていろことがわかる。
2、ウィーン万国博覧会 日本の出品
3、ウィーン万国博覧会後に日本がどう変化していったか
日本からの出品物は、皮革、和紙、染織、家屋の雛形、人形、生活具、農具、楽器、さらには庭園など多岐にわたり、教育、日常生活、科学、各産業、農業、軍隊などについても紹介さ.れました。さらに、名古屋城の全鯱、鎌倉大仏の張子、二間(約3.5m)の大提灯など、制作技術の高さを伝える大型のものも出品されました。
日本館の出品物や土産物は、ヨーロッパの人々に大変好評で、それはやがてヨーロッパでの日本趣味=ジャポニスムにもつながっていきます。
このコーナーでは、ウィーン万国博覧会で実際に展示された日木からの出品物の数々をご紹介します。
Photo. 11 記念カード(レオポルトシュタット地区博物館蔵)ⓒ Sandro E. E. Zanzinger
各パビリオンなどの写真をカードにした土産物。日本庭園を写している。
Photo. 12 澳国博覧会参同記要 (東京大学経済学部資料室蔵)
大日本内国勧業博覧会製糸器械之図(個人蔵)
[画像データー提供:たばこと塩の博物館]
【 詳細: たばこと塩の博物館 】