カテゴリー別アーカイブ: 未分類

【展示会】 株式会社エヌ・ビー・アール(古澤省吾代表) 新ブランド “LINEN & BASIC” を立ち上げ IFFT 2017 に出展

20171113175823_00002 20171113175823_00001
株式会社エヌ・ビー・アール(古澤省吾代表)は、このたび 新ブランド “LINEN & BASIC” を立ち上げ、IFFT 2017(インテリア ライフスタイル リビング 2017)に 出展されます。
“LINEN & BASIC” は、リネン製品を使った暮らしの心地よさを、シンプルに表現するブランドとして、独自の商品づくりのもと、インテリア & ホームウェアまでのさまざまなカテゴリーのなかで、リネンのやさしさを実感していただける商品を幅広く企画し、提供するとされ、このたび IFFT 2017 展示会 でデビューする運びとなりました。

展示会  IFFT 2017 インテリア ライフスタイル リビング 2017
日  時     11月20日[月]-22日[水] (3 日間)
時  間  10:00-18:00(最終日は17:00まで)
会  場  東京ビックサイト 西 1 ホール   EVERYDAY / KITCHEN LIFE   C25 ブース
出展名  LINEN & BASIC / 株式会社エヌ・ビー・アール
* 入場には登録券と名刺二枚が必要です。

──────────
Linen Shop Cadeau 屋 (かどや)

Linen Shop Cadeau 屋 (かどや)は、1998年に創業した商社、
株式会社エヌ・ビー・アールが運営をしております、リネンの専門店です。

リネンはフラックスという亜麻科の一年草から採れます
フラックスの種蒔きは、春
場所はおもに亜寒帯
土が乾燥しぎず、日当たりが良いところ
ほぼ100日が過ぎた夏、青紫の可憐な花をつけ
朝早くに咲いた花は、お昼までには散ってゆきます

やがてタネを実らせたフラックスは
夏の風にカラカラと音を立て
収穫の時期を知らせます
刈り取られて地面にしばらく寝かせられたあと
茎を梳いて繊維が取り出され、リネンが誕生します
リネンの花言葉は “ 感 謝 ”
リネンのお店 Cadeau 屋 (かどや) へようこそ。

亜麻の花 古澤省吾さん2017.08.15resized[1]左) 字 遊 斎                      右) 古澤省吾さん

[ 関連情報 : 【研究会】 糸・紙・繊維・布 ─ 原 啓志さん 亜麻の花と亜麻の種

【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-06 <江戸・東京 活版さるく>訪問地:お玉が池種痘所

20171104170008_00004 20171104170008_00005

バーナーDSCN2784江戸・東京 活版さるく 訪問先
27 お玉ヶ池種痘所 跡
所在地 千代田区岩本町2丁目 (もと勘定奉行川路聖謨旧私邸内)

標示物 : 「お玉ヶ池と種痘所跡」標柱、記念プレート、解説板
概  要 : 安政5(1858)年5月に江戸の蘭方医83人が出資して、神田お玉が池に「種痘所」を設置した。この土地はのちに累進して幕府勘定奉行筆頭となった川路聖謨(かわじ としあきら 1801―68)が、かつて所有していた私有地を提供したと伝えられている。
しかしこの地での「種痘所」は、同年11月、開設からわずか半年にして火災により類焼したため、大槻俊斎(おおつき しゅんさい 1806―58)と、伊東玄朴(いとう げんぼく 1801―71)の家を臨時の種痘所とし、その後神田和泉町へ移った。→ ●43、●42

なおこの土地の提供者とされる川路聖謨は、のちに累進して幕府の勘定奉行となり、ロシアのプチャーチンとの外交交渉を担当したことでも知られる。
ロシア側は川路の聡明さを高く評価し、その肖像画(写真)を残そうとしたが、子供の頃に疱瘡(天然痘)を患ったために痘痕(あばた)顔であった川路は、
「自分のような醜男が、日本男児の標準的な顔だと思われては困る」
という機知に富んだ返答をしたという逸話が残っている。また筆まめで『長崎日記』、『下田日記』(東洋文庫124 平凡社)などをのこした。

Toshiakira_Kawaji[1]川路聖謨(1801-68)
天然痘をわずらったため、顔にはあばた(痘痕)が多かったとされる
天然痘予防の「種痘所」が旧宅に設けられたのは、なにか因縁を抱かせる

戊申の折には「表六番町-現在の市ヶ谷近くか」に隠居し、また中風になって右腕が不自由な躰であったが、江戸開城の報を聞き、割腹、さらにピストルを喉に発射、自死して徳川幕府に殉じた。日本で最初にピストル自殺をした人物ともされる。

!cid_4C0992BB-76C0-4C46-AD80-B76D1D4750F7──────────
読書家のかたにとっては、なにをいまさらといわれかねないが、吉村 昭『落日の宴-勘定奉行川路聖謨』 を読みなおしている。同書帯にも引用されているが、吉村 昭は文芸誌『群像』に連載する前に、二〇年余の準備期間ともいえる時間をかけて川路聖謨の取材をかさねていた。

『落日の宴-勘定奉行川路聖謨』  あとがき
〔前略〕 川路〔聖謨〕は、幕末に閃光のようにひときわ鋭い光彩を放って生きた人物である。軽輩の身から勘定奉行筆頭まで登りつめたことでもあきらかなように、頭脳、判断力、人格ともに卓越した幕吏であった。
このような異例の栄進は、一歩道をあやまれば日本が諸外国の植民地になりかねない激動期に、幕閣が人材登用を第一とし、家柄、序列その他をほとんど無視したからである。
大きな危機感をいだいていた閣老たちは、川路をはじめとした有能な幕吏を積極的に抜擢し、その期待にかれらは十分にこたえた。開国以後の欧米列国との至難な外交交渉、国内の目まぐるしい混乱をへて日本を明治維新にすべり込ませることができたのは、これらの秀れた幕吏の尽力に負う所が大きい。〔後略〕

20171106152311_00001徳川幕府の奉行職とは、ほとんど旗本がその職につき、知名度のわりに禄高はひくかった。
川路聖謨もはじめは200俵の扶持米の軽格であり、勘定奉行の時500石とされている。役職金の500石を加えても、さほどの禄を得ていたわけではない。

神田お玉が池の旧宅に、川路聖謨がいつの時代に居住したのかあきらかではないが、当時は藍染川にそった、湿気のたかい、簡素な家だったようである。
いまは東京大学医学部建立による簡素な石柱がある。

参考資料 : 『 国史大辞典 』 (吉川弘文館)

      川路聖謨 かわじとしあきら (一八〇一-六八)

江戸時代末期の勘定奉行。名は聖謨、通称は弥吉、ついで三左衛門、叙爵して左衛門尉と称し、隠居して敬斎と号し、死の直前に頑民斎と改めた。
享和元年(一八〇一)四月二十五日、幕府直轄領の豊後国日田(大分県日田市)に生まれた。父は日田代官所の属吏内藤吉兵衛歳由。 文化五年(一八〇八)父が幕府の徒士組に転じたので、伴われて江戸に移り、同九年十二歳で小普請組川路三左衛門光房の養子となった。
はじめ小普請組から支配勘定出役・評定所留役を経て、文政十年(一八二七)寺社奉行吟味調役となり、天保六年(一八三五)出石藩主仙石家の内紛の断獄にあたり、奉行脇坂安董を扶けて能吏としての名を挙げ、勘定吟味役に抜擢され、同十一年佐渡奉行、翌十二年小普請奉行、同十四年普請奉行、弘化三年(一八四六)奈良奉行、嘉永四年(一八五一)大坂町奉行を歴任、翌五年九月勘定奉行に昇進し海防掛を兼ねた。
同六年六月ペリーの浦賀来航には国書の受理を主張し、また若年寄本多忠徳に従って房総海岸を巡視した。
ついでプチャーチンの長崎来航により、同年十月露使応接掛を命ぜられ、十二月以降長崎において、翌安政元年(一八五四)十一月以降下田において談判し、十二月二十一日大目付筒井政憲とともに日露和親条約に調印した。
翌二年八月禁裏造営掛を命ぜられ、上京して大任を果たした。
同三年十月老中堀田正睦が外国事務取扱を兼ねると、外国貿易取調掛を命ぜられ、翌四年八月にはハリス上府用掛となった。

同五年正月正睦が条約勅許奏請のため上京するにあたり、外国事情に通じているところから目付岩瀬忠震とともに随行を命ぜられた。 かつて奈良奉行時代に青蓮院宮尊融入道親王(のち朝彦親王)に知遇を得、また禁裏造営掛として公卿間にも知己が多く、大いに運動したが失敗し、四月正睦と帰府した。
時に政治問題となっていた将軍継嗣では、一橋慶喜を擁立する一橋派に属していたため、大老に就任した井伊直弼に疎まれ、同年五月西丸留守居の閑職に左遷され、翌六年八月さらに免職・隠居を命ぜられ、差控に処せられ、家督は嫡孫太郎(寛堂)が継いだ。
文久三年(一八六三)五月外国奉行に起用されたが、十月老疾をもって辞した。
以来官途につかず、慶応二年(一八六六)二月中風を発して身体の自由を失い、読書に親しみ、かつ徳川家の高恩を思い、奉公の念を忘れなかった。
明治元年(一八六八)三月十五日の朝、東征軍が迫って江戸開城も目前にあるを察し、表六番町(千代田区六番町)の自宅において、
「天津神に背くもよかり蕨つみ飢にし人の昔思へは 徳川家譜代之陪臣頑民斎川路聖謨」
の辞世を残し、割腹ののち、短銃をもって果てた。六十八歳。法名は誠恪院殿嘉訓明弼大居士。
上野池ノ端七軒町(台東区池之端)大正寺に葬った。贈従四位。

川路聖謨は平素文筆に親しんで多くの遺著を残したが、遠国奉行中の日記をはじめ、露使と応接した『長崎日記』『下田日記』、京都に使いした『京都日記』『京日記』および晩年の日記は『川路聖謨文書』全八巻(『日本史籍協会叢書』)に収められる。
ちなみに下田奉行・外国奉行などを歴任、外交の第一線で活躍した井上清直は聖謨の実弟である。

──────────
59e3429eb264f1[1]吉村昭記念文学館
吉村昭 生誕90周年記念 企画展
「吉村昭とふるさとあらかわ ~生い立ちとその作品世界~」
会    期 : 10月28日[土]-12月10日[日]
* 11月26日[月]・16日[木]は休館
時    間 : 9時30分-17時(常設展示は20時30分まで)
入館料 : 無料
会   場 :  ゆいの森あらかわ 3階 企画展示室
──────────
荒川区出身の小説家、吉村昭(昭和2年-平成18年)の生誕90周年を記念して、
「吉村昭とふるさとあらかわ~生い立ちとその作品世界~」を開催します。

吉村昭は、昭和2年(1927)、現在の荒川区東日暮里六丁目に生まれました。多感な時期を荒川区で過ごし、その時の経験は「吉村昭」の原点となりました。随筆や短篇小説には度〻荒川区が登場し、最後の長篇小説も荒川区を舞台とした「彰義隊」でした。
本展示では、荒川区で過ごした幼少期から青年期にかけての写真やゆかりの品などから「吉村昭」の原点をたどり、自筆原稿や作品に関連する挿絵を通して、吉村の描いた作品世界を紹介します。

【 詳細 : 吉村昭記念文学館 】

【展覧会】 gggギャラリー マリメッコ・スピリッツ 11月15日[水]-2018年01月13日[土]

20171102180241_00003 20171102180241_00004
ギンザ・グラフィック・ギャラリー第363回企画展

マリメッコ・スピリッツ
パーヴォ・ハロネン / マイヤ・ロウエカリ / アイノ=マイヤ・メッツォラ

2017年11月15日[水]-2018年01月13日[土]
会 場
ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
開館時間 11:00 a.m.-7:00 p.m.
休 館 : 日曜・祝日・12月28日[木]-1月4日[木]
入場無料
──────────
オリジナリティ溢れるデザインと色彩センスにより、日本をはじめ世界各国にファンを持つマリメッコ。職人の手技と近代的な工業化の融合がはじまったフィンランドに、明確なヴィジョンと鋭い感性を持った女性、アルミ・ラティア(1912-1979)が登場し、マリメッコが誕生しました。
彼女は才能あるデザイナーを発掘する能力にたけており、1951年の立ち上げ当初からデザイナーが自由に創作意欲を発揮できる環境を整え、時代を超えて愛され続けることとなる代表的なデザインパターンを次々と生みだしていきました。
制作されたパターンひとつひとつに名前をつけ、デザイナー名と制作年をテキスタイルに明記する革新的な伝統は、作家の創造性を大切にする理念とともに、今日まで受け継がれています。

自然界の美を取り入れ、シンプルなものづくりで日常生活を豊かにしてきたフィンランドのデザインは、日本人の多くに共感され、愛されてきました。そんなフィンランドと日本とが共鳴し合える感性とはどこにあるのか、改めて見つめ直す展覧会となります。

【 詳細情報 : ggg ギャラリー

【特別委託販売】 タイポグラフィ学会 『タイポグラフィ学会誌 10』 販売開始

20171003175832_00001
『 タイポグラフィ学会誌  10 』が刊行されました。

タイポグラフィ学会は、タイポグラフィという技芸に学問的な基盤を与え、その成果を実技・実践を通して社会に貢献することを目的に、2005年8月に設立されました。
『タイポグラフィ学会誌』は2007年に創刊、今回が10号となります。

『 タイポグラフィ学会誌  10 』の主要内容
  • 論 文 : 『「資生堂書体」とその源流としての「雪岱文字」― 小村雪岱と資生堂意匠部』
    タイポグラフィ学会会員 真田幸治
  • 研究ノート : 『わが国への凹版印刷機導入期における凹版印刷機についての考察』
    タイポグラフィ学会会員 大石 薫

これらの研究成果が、日本国内にのみならず、各国の研究者によって広く参照されタイポグラフィ研究の発展に寄与することを希望するとともに、『タイポグラフィ学会誌』が今後さらに、タイポグラフィの研究における特色ある媒体として成長していければと考えております。
タイポグラフィ学会
──────────
◎ 『タイポグラフィ学会誌 10』
特別委託販売 朗文堂ブックコスミイク

・ 非会員向け頒布価格 : 1部 3,000円(送料・税別)
・ 学生向け頒布価格 : 1部 2,000円(送料・税別)
 * 学生証明書の提示が必要です。

株式会社 朗 文 堂
160-0022 東京都新宿区新宿2-4-9

E-mail : 朗文堂 ブック・コスミイク robundo@ops.dti.ne.jp » send email
Telephone : 03-3352-5070    Facsimile : 03-3352-5160

【展覧会】 徳島県立近代美術館 「美術×本 = 楽しさと多様性」展

20171010161824_00003 20171010161824_00004

 徳島県立近代美術館
「美術 × 本 = 楽しさと多様性」展
【会    期】 2017年8月26日[土]-10月9日[月・祝]
【会    場】 美術館 展示室 3
【主    催】 徳島県立近代美術館
【休館日】 毎週月曜日 月曜日が祝日の場合は翌日
──────────
美術と本をテーマに、当館のコレクションからピカソやシャガールらの20世紀の挿絵本、現代のアーティストブック、徳島出身の木版彫刻師・伊上凡骨(いがみぽんこつ)の作品を展示します。
さらに仕掛け絵本やさわる本、当館制作の鑑賞教材絵本、少部数の自主制作冊子 ZINE の紹介など、美術と本の楽しい関係をさぐります。
徳島県立図書館の開館100周年を記念した企画です。

【 詳細 : 徳島県立近代美術館

【WebSite紹介】 明治産業近代化のパイオニア 平野富二 ── 長崎の町司について ── 杉山徳三郎、平野富二の朋友

6e6a366ea0b0db7c02ac72eae00431761[1]明治産業近代化のパイオニア  平野富二生誕170年古谷昌二さんuu
furuya07 furuya08

{明治産業近代化のパイオニア  平野富二生誕170年を期して結成された<「平野富二生誕の地」碑建立有志会>の専用URL{ 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ } では、同会代表/古谷昌二氏が近代活版印刷術発祥の地長崎と、産業人としての人生を駈けぬけた平野富二関連の情報を意欲的に記述しています。
ご訪問をお待ちしております。
──────────

古谷昌二ブログ
探索:平野富二の生まれた場所
町司長屋の前にあった桜町牢屋
町司長屋に隣接した「三ノ堀」跡
町司長屋の背後を流れる地獄川
矢次事歴・平野富二祖先の記録
矢次家の始祖関右衛門 ── 平野富二がその別姓を継いだ人
長崎の町司について
⑧ 杉山徳三郎、平野富二の朋友

【展覧会】 笹井祐子展 ─ BOTÁNICO ─  ギャラリー f 分の1

20170703190704_00003 20170703190704_00004笹井祐子展 ─ BOTÁNICO  ─
ギャラリー f 分の1
7月19日[水]-29日[土] * 24日[月]休廊
11:00-18:30(初日は13:00より/日曜・最終日は17:00まで)

【 詳細 : 笹井祐子URL  ギャラリー f 分の1 】 {文字壹凜 まとめ

【子規庵】 正岡子規生誕一五〇年 ── 座って、横になって、子規の目線になれる唯一の史跡・・・・・・根岸子規庵

siki01 siki02ごてごてと 草花植ゑし小庭かな
──この小園は余が大地にして 草花は余が唯一の詩料となりぬ 子規庵──
正岡子規(俳人・歌人 1867─1902)「小園の記」より

正岡子規生誕一五〇年を記念して、根岸子規庵の内部撮影が許可になりました。
撮影した写真は個人使用のみで、商用使用は従来どおり許可申請を。
撮影時にはほかのお客様に迷惑がかからないように十分ご注意下さいとのこと。

最寄り駅の鶯谷駅からはしばらくは、すこし残念な風俗街をあるくことになりますが、そこはひとの煩悩のなせるところです。しばしの我慢をして、梅雨晴れのおりにでも、子規が好んだ朝顔やヘチマのぶらさがる根岸の子規庵と、お向かいの書道博物館をおたづねください。
〔 詳細/子規庵 書道博物館

【展覧会】 町田市立国際版画美術館|企画展 戦争・版に刻む記憶

matida01 matida02
町田市立国際版画美術館
企画展 戦争・版に刻む記憶

◯ 会   期  2017年6月24日[土]- 7月23日[日]
◯ 開館時間  平日     10:00-17:00(入場は16:30まで)
土日祝  10:00-17:30(入場は17:00まで)
◯ 休  館 日     毎週月曜日休館、ただし7月17日[月・祝]は開館、翌18日[火]は休館

◯ 会     場  第 1 企画展示室
観  覧 料  一般 600円、大学・高校生と65歳以上 300円
──────────
戦争の悲惨な光景を、画家はくりかえし版に刻んできました。その中でも代表的な作品とされる、ジャック・カロ、フランシスコ・ゴヤ、オットー・ディックス、3人の画家による銅版画集をご紹介します。

 戦争は人間の歴史とともに繰り返されてきました。Wikipedia で「戦争一覧」を検索してみると、紀元前から21世紀まで主要な国際紛争だけで 350 もの戦争がリストアップされています。その中でも、カロが描いた30年戦争、ゴヤが描いたナポレオン戦争、ディックスが描いた第一次世界大戦は、広範な地域を巻き込み、人々を無差別に襲い、社会や思想を根底から変えてしまったとりわけ巨大な―そして酸鼻を極めた戦争として記憶されてきました。

 戦争は 「複数の集団の間で行われる紛争の武力解決」 と定義でき、その本質は何千年も前から変わっていないといえるでしょう。しかし、3 人の画家の作品をていねいに見ていくと、時代によって戦争のあり方が違っていることが分かります。さらに時代ごとの美術の表現方法の違いがかさなり、作品に反映されています。

その一方で、彼らは共に「戦争」という主題にひきつけられ、悲惨な様相を執拗なまでに版に刻んでいます。それははたして、戦争の悲惨さを後世に伝え、人間の愚かさを訴えかけるためだけだったのでしょうか ―― なぜ画家は「戦争」をくりかえし版に刻むのか、120点の作品に探ります。

【 詳細 : 町田市立国際版画美術館 】  {文字壹凜 まとめ

【映画】 神保町シアター/生誕百五十年企画『夏目漱石と日本の文豪たち』-文学を映画で愉しむ

20170220165634_00001 20170220165634_00002 20170220165634_00003生誕150年記念  夏目漱石と日本の文豪たち
文学を映画で愉しむ――
神保町シアター
上映期間:2017年3月4日(土)-31日(金)
──────────
2017年は、文豪・夏目漱石の生誕150年にあたる記念すべき年です。
神保町シアターは本の街の名画座として、これまでも文芸作品を原作とする映画を中心にプログラムを組んできましたが、今回はその集大成ともいうべき文芸映画特集を開催します。
古くは、夏目と同じ時期に活躍した森鴎外や泉鏡花、芥川龍之介といった、まさに「文豪」の名にふさわしい面々から、昭和以後の太宰治、井上靖、そして戦後に活躍した三島由紀夫、遠藤周作まで、近現代文学の名作を選び抜きました。

日本を代表する映画人らが手掛けた日本文学の映像化作品は、活字で愉しむのとはまた違った側面を持つ、新たな芸術の誕生といってもよいでしょう。
読んでから観るか、観てから読むか―劇場のシートに腰を沈め、作品の世界にどっぷりと浸る、濃密な時間をお過ごしいただきたいとおもいます。

【詳細:神保町シアター 生誕150年記念  夏目漱石と日本の文豪たち

マリメッコ展【marimekko ─ Design, Fabric, Lifestyle ─】 Bunkamura ザ・ミュージアム

20170206233926_00005 20170206233926_00006フィンランドを代表するデザインハウス、マリメッコは1951年、アルミ・ラティアによってヘルシンキで創業されました。
テキスタイルデザインを学んだのち、広告代理店で経験を積んだラティアのもとに才能あるデザイナー達が集い、優れたデザインと巧みなPR戦略によって、60年代には世界的なブランドへと成長していきます。
マリメッコが生み出す布地の柄は、多くがフィンランドの伝統的なモチーフや自然に着想を得つつ、大胆でカラフル、抽象的なデザインでした。そうした柄の映えるシンプルなカッティングの服は、高い人気を呼びます。
その後製品は家庭用品やインテリアにまで展開され、マリメッコは今日、日本を含む世界中で絶大な人気を誇っています。

本展は、ヘルシンキのデザイン・ミュージアムの所蔵作品から、ファブリック約50点、貴重なヴィンテージドレス約60点、デザイナー自筆のスケッチ、各時代の資料など、計200点以上を通して、マリメッコの60年にわたる歴史をたどり、個性あふれるデザイナーの仕事ぶりと活躍を紹介する、国内初の大規模な展覧会です。

【詳細:Bunkamura ザ・ミュージアム

【根津美術館W展示】 国宝 燕子花図屏風展につづき強力企画連発 コレクション展/鏡の魔力 特別企画/若き日の雪舟

img_exhibition_mirrors[1]コレクション展
鏡の魔力
村上コレクションの古鏡

特別企画

若き日の雪舟
初公開の「芦葉達磨図」拙宗の水墨画
──────────
◯ 会      期   2016年5月26日(木)-7月10日(日)
◯ 休  館  日  月曜日
◯ 開館時間  午前10時-午後5時 (入館は午後4時30分まで)
◯ 入  場  料    一般1100円、 学生[高校生以上]1000円 *中学生以下は無料
◯ 会   場  根津美術館 展示室 1 ・ 2
──────────
【 展示室 1 】
鏡の歴史は古く、中国では新石器時代に青銅鏡の製作がはじまりました。人々は鏡を人の心までをも映し出すなど、霊的な存在ととらえていました。それだけに、鏡の背面(鏡背)の文様には、当時の世界観や願いがこめられました。
本展では、平成22年(2010)に村上英二氏より寄贈された「中国古鏡コレクション」から、天地のなりたちや神仙の世界、長寿や多産といった現世的な幸福を願う吉祥文様などをもつ約70件の名品をご覧いただきます。

【 展示室 2 】
室町時代を代表する画僧・雪舟等楊(せっしゅう とうよう)は、30代後半までは拙宗等揚(せっしゅう とうよう)と名乗っていました。
その拙宗時代の作品で、長らく所在不明となっていた「芦葉達磨図」が米国で発見され、日本での修復を終えました。
本展覧会はこの「芦葉達磨図」を初公開するとともに、雪舟時代の作品も加え、「若き日の雪舟」をクローズアップするものです。拙宗時代をテーマとした初の本展覧会が、雪舟の前半生に光をあてる機会となれば幸いです。

根津美術館 次の展覧会 】

ことしは明治産業近代化のパイオニア― 平野富二の生誕170周年{1846年(弘化3)8月14日うまれ}

平野富二平野富二は、弘化3年8月14日(新暦 1846年10月4日)長崎奉行所町司チョウジ 矢次豊三郎・み祢の二男として長崎引地町で出生。幼名富次郎。
1861年16歳のとき長崎製鉄所機関方見習いとなり、機械学を伝習。
1872年、数えて27歳のとき、長崎丸山町安田清次・むらの長女古まと婚姻。
引地町の生家をでて長崎外浦ホカウラ町に家を購入して移転。同年2月平野家を再興し平野富二と改名届出。

同年七月、東京に新妻古まほか10名の社員を同道して上京し、活版製造出張所、のちの東京築地活版製造所を設立。
ついで素志であった、造船、機械製造、土木工事、鉄道敷設、水運開発、鉱山開発(現IHIほか)など、在京わずか20年の間に、わが国近代産業技術のパイオニアとしておおきな業績をのこす。
1892年(明治25)12月3日脳出血で逝去。 行年四七

平野表紙uu 平野DM表 DM裏再【 詳細 : 朗文堂ブックコスミイク

{新宿餘談}「片」の字問題も片付いていないのに、こんどは「塩」の字が

20160331161026161_0001片塩の印鑑2[1]花筏 2011年12月31日という妙な日に
新・文字百景*003 いろいろ困っています「片」の字
をしるしたことがあった。

2011年はあの大地震の年。同時に「住民基本台帳カード 住基カード」の普及期でもあった。「住基カード」はいまのところ、事業者以外はあまり取得しないようであるが、消費税などの電子納税には、通称「電子政府書体」をもちいている住基カードが必要で、カタシオが通常しるしている「片」の字は、図版のように五画であるが、住基カードではOCRの都合上らしいが、字画は四画でなければならないことをしるした。

ところが最近、中国や台湾・香港の友人・知人が増えるにつれて、「塩」の字も大いに問題になってきた。やつがれは字体と字種問題にはあまり踏み込まないようにしているが、各国・各地での「片塩」の表記は以下のようになる。

日本 常用漢字    「片塩 U+5865」
中国 簡体字        「片盐 U+76D0」
台湾・香港 繁体字  「片鹽 U+5869」

中国の友人からのメールの「片盐」だと、なにか頭髪を抜かれたようで上部がさびしい。台湾の繁体字だと頭が重くなるし、なによりもやつがれは字書無しでは書けない。
ここで面白いのは、台湾・香港などで使用する繁体字の「鹽」は、日中ともにほとんど読み書きができないレベルまで使用が減っているが、異体字(日本は旧漢字とも)として温存していることである。

かたしお カタシオ 片塩 片盐 をつなぐのは 片鹽 なのである。ヤレヤレである。
片鹽二朗

────────── この問題についてアドビ システムズ  山本太郎氏よりのコメント紹介

現在の文字コードの標準的な体系は、ISO/IEC 10646及びそれと等価のUnicodeが広く普及しています。そこでは、その規格のAnnex S.に定義されている包摂規準に従って、ある文字とある文字が別の文字であるか、同じ文字であるかを判断しています。
ISO/IEC 10646は基本的に一つの文字に一つのコードを割り当てる規格です。なので、通常、異体字等の微妙な形状の差異は文字コードでは指定できません。

ある文字と同じ文字とみなすことのできる文字の形状の微細な差異については、(1)タイプフェイス・デザインの差異としてフォントの実装によってその差異を再現するか、(2)互換漢字に登録することによって、その形状を指定可能にするか、あるいは、(3)字形選択子(VS)という特殊な文字コードを標準の文字コードに付加して特定の登録済みのIVD(漢字字形データベース)コレクション中の文字の特定形状を指定可能にするか。おおむねこれらの方法が用いられます。

(1)の方法は文字コードとは無関係の、フォントに依存した方法で、(2)の方法は種々の運用上の問題が指摘されており、最近ではあまり行われません。(3)の方法が、現在の主流の方法となりつつあります。ただし、これには、IVDコレクションをUnicode Consortiumに登録する必要があります。

しかし、塩、盐、鹽 の場合には、日本と中国と台湾(及び香港)がそれぞれに、それぞれの文字を国家の定めた規格として必要としている文字であり、それぞれ別々の文字として別々の文字コードが割り当てられています。
したがって、少なくともISO/IEC 10646(Unicode)に関わる限りは、それらの3つの文字は別個の文字として取り扱われ、混同が生じる問題はありません。

以上、「塩」の文字について私見まで。  山本太郎

アダナ・プレス倶楽部 2016年 年賀状のご紹介

2016絵柄面2016宛名面アダナ ・ プレス倶楽部の年賀状は、例年、数ある欧文活字を時代性によっていくつかのカテゴリーにわけ、それを歴史順に一書体ずつ選択して製作してきました。
これまでの年賀状では、ブラック ・ レター、ヴェネチアン ・ ローマン、オールド ・ ローマン、トランジショナル ・ ローマン、モダン ・ ローマン、エジプシャンを経て、一昨年よりサンセリフのカテゴリーに入りました。

一昨年は 「 グロテスク ・ サンセリフ 」 の 「 フランクリン ・ ゴシック 」 を使用、昨年は 「 ネオ ・ グロテスク 」 の 「 ヘルベチカ 」をもちいました。 
ことしの年賀状の活字は、 絵柄面に「ヒューマン・サンセリフ」とされる ユニバース 55, 12 pt. を組版・印刷しました。宛名面はゴシック活字、8 pt. を中心としています。
──────────
ユニバース活字の製作者 : アドリアン・フルティガー(Adrian Frutiger 1928-2015)は、20世紀の壮大な Univers 宇宙 をキャンバスとし、鮮烈な Meridien 子午線 に軌跡をのこしたひと。 Univers,  Meridien,  OCR – B などの不朽の活字設計をなし、オルリィ空港、シャルル・ド・ゴール空港、パリ地下鉄道のサインシステムと制定書体を製作し、旧約聖書にもとづいた記号学の進展にもおおきく貢献したひとでした。

不朽の名作活字として評価のたかいユニバース・ファミリーですが、この書体は Deberny & Peignot 社の関連企業 Photon の写植活字として1957年に登場しました。フルティガー29歳のときの意欲作で、1960年代以降には American Typefouders,  Monotype, Matrotype などから相次いで金属活字、電子活字としても発売されました。
フルティガーは晩年にいたるもユニバース・ファミリーの改刻に意欲を発揮しましたが、2015年9月10日 スイス・ベルンにて逝去されました[詳細 : 活版 à la carte 【追悼】 20世紀後半のタイポグラフィを主導したひと、アドリアン・フルティガー氏逝去 ]。

ファイル:Biosphère Montréal.jpgことしの年賀状は、アドリアン・フルティガーへの追悼のおもいをこめながら、「宇宙船地球号」のことばをひろめ、1967年モントリオール万博アメリカ館の「ジオデシック・ドーム」の設計でもひろく知られる、マサチューセッツ州出身の、思想家、デザイナー、構造家、建築家、発明家、詩人の、リチャード・バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller, 1895-1983)の「宇宙船地球号」の格言を印刷しました。
[ 写真 : ジオデシック・ドーム(1967年モントリオール万博アメリカ館) ウィキペディアより

活版讃歌<Viva la 活版 Let’s 豪農の館> Ⅻ エンディングロール 八代伊藤文吉翁と<豪農の館 北方文化博物館>

record豪農02Viva la 活版 Let’s 豪農の館
【 イベント名 】  Viva la 活版 Let’s 豪農の館
【 展示 期間 】  2015年10月10日[土]-12日[月・祝] 09:00-17:00
【 会       場 】  「北方文化博物館 豪農の館」 内 「吉ヶ平古民家」(登録有形文化財)
           新潟県新潟市江南区沢海 2丁目15-25
【 主       催 】  朗文堂  アダナ・プレス倶楽部

このページはスライドショーでもお楽しみいただけます。

──────────
《 豪農の館-北方文化博物館と、同館館長・伊藤文吉翁 》
活版礼讃<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>の会場、北方文化博物館を訪問するのは四回目、宿泊地となった付属施設、「Museum 大呂菴」に宿泊したのは二度目であった。寺泊の夕日-002uu 寺泊の夕陽をみるuu 北方文化博物館の伊藤館長と-0061[1] 新潟旅行2011.10-234[1]新潟旅行2011.10-169[1]最初に北方文化博物館を訪問したのはあの地震の年、2011年10月08-10日の三連休、二泊三日の新潟旅行のときであった。
ふりかえってみると、あの年はなにかがおかしかった。だから友人のたれかが、
「日本海に没する夕陽をみたい」
といいだし、それがきっかけとなってなんとなく新潟まででかけた。
その旅の記録は下記のページ、とりわけⅡに詳しい。
◯ 花筏 朗文堂好日録012 新潟旅行Ⅰ
◯ 花筏 朗文堂好日録013 新潟旅行Ⅱ
◯ 花筏 朗文堂好日録014 新潟旅行Ⅲ

最初の旅で北方文化博物館館長・伊藤家第八代・伊藤文吉(世襲名)翁とお会いした。
今夜は「大呂菴-だいろあん/かたつむりのいおり」に宿泊予定であることをつげたら、文吉翁はだまって手をさしのべ、かたい握手をした。
おもえば北方文化博物館の訪問にあわせ、あのとき「Museum 大呂菴」に宿泊することがなければ、かくまでこの越後平野の複合型博物館にこだわることはなかったとおもう。

◯ 花筏 朗文堂好日録013 新潟旅行Ⅱ より <大呂菴での宿泊>
ここまでやるのか …… とおもった。すべてがおおぶりで、一見豪放かつ大胆、なんにもしていないようににみせながら、大呂菴はじつにこまやかな心配りがなされていた。それもわざとらしくなく、さりげなくである。

「北方博物館の関連施設」は、落ち葉をふくめて入念に手入れが行きとどいているが、農薬を散布しないとみえて、周囲からチョウやトンボや蛙などが敷地内にわんさかおしよせていた。もちろん夕べともなると秋の蟲が草叢ですだくように鳴いている。
食事は食器のひとつひとつがすごい。それもチマチマとした京懐石のまねごとではなく、ど~んと大胆な盛りつけと、繊細な味つけだった。あちこちに置かれた生花は、翌朝にはあたらしい野草にかわっていた。やつがれ真底、本当に、
「まいった、降参!」

このとき得た情報をもとに、翌11月21日、日帰りで、北方文化博物館本館で開催された<細江英公 人間写真展 気骨>を参観し、同時開催された細江英公氏と文吉翁の対談を聴講した。
この日、常磐荘(吉ヶ原民家の向かい)では、伊藤夫人がちいさな席札をかかげて<お茶会>を開いていた。うかがえば 「綺麗さび」で知られる小堀流 だとのことであった。会場にはこれもちいさく「すべての収益は東日本大震災の被災者に向けた席である」ことがしるされていた。
DSCN4426 DSCN4427 DSCN44282014年の暮れ、常磐荘を会場候補として<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>の開催交渉に、これも日帰りで北方文化博物館にでかけた。同館のスタッフは小社WebSiteをときおりご覧になっていた。したがって開催は快諾されたが、会場としてはむしろ「吉ヶ原民家」のほうが効果的ではないかという提案をいただいた。
これまで民家の内部には入ったことが無かったが、百年余のときを刻んだ「吉ヶ原民家」の障子を開けはなった空間はすばらしかった。

DSCN1926 DSCN1927こうして<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>は、エアコンが無く、蟲よけの網戸もない、なによりもことさらな照明設備もない「北方文化博物館 吉ヶ原民家」を会場ときめた。
このため清涼な気候の2015年10月10日[土]-12日[月・祝]の三日間を会期とし、一泊はできるだけ「大呂菴での宿泊を推薦」ということに決定した。

伊藤文吉翁は1927年うまれであるから、まもなく90歳になるはずであるが、<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>の開催中、会場の吉ヶ原民家までおいでいただき、うれしそうに活版印刷機とその製作品をご覧になっていた。
伊藤夫人からは、おいしいお酒の差し入れが「大呂菴」にあった。

《 場の力、ひとの力 》
活版礼讃イベントとして開始した、東京での<ABC dé タイポグラフィ >、<活版凸凹フェスタ>を一旦中断して、地方での活版印刷の
普及を後押しし、その土地の『場の力』をバックにしながら、あらたな展開を<活版礼讃 Viva la 活版>では試みてきた。
おもへらく、『場の力』とはエトスのごとく自然ジネン自ばえのものも存するが、その根底にはアルテピアッツァ美唄における安田侃氏の力があり、尚古集成館における島津家歴代の蓄積があった。そして「北方文化博物館」館長で豪農とされる伊藤家も、阿賀野川の氾濫とたたかい、荒蕪地を田畑に開墾し続けた伊藤家八代にわたる『ひとの力』があった。
『場の力』とは『ひとの力』と両両相まってその本当の力を発揮するものとおぼえた。

2015年もあとわずかでおわるこのとき、伊藤文吉翁にきちんとお礼を述べて帰るのをわすれていたことがくやまれる。それよりなにより、会場では何台かのカメラが稼働していたはずだが、たれも伊藤夫妻の写真を抑えていなかったことにおどろかされている。
『ひとの力』とは、その存在がおおきすぎるときには、ときとしてオーラのごとき風圧となって、カメラも向けられなかったのかもしれないともおもえた。
まもなく2016年がはじまる。そしてすでに「来年の」<活版礼讃 Viva la 活版>の開催候補地との交渉がはじまっている。

活版讃歌<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>Ⅺ エピローグ さぁ会期終了 充電たっぷり 成果多大。来年のイベントに向けてあらたなスタート

record豪農02Viva la 活版 Let’s 豪農の館
【 イベント名 】  Viva la 活版 Let’s 豪農の館
【 展示 期間 】  2015年10月10日[土]-12日[月・祝] 09:00-17:00
【 会       場 】  「北方文化博物館 豪農の館」 内 「吉ヶ平古民家」(登録有形文化財)
           新潟県新潟市江南区沢海 2丁目15-25
【 主       催 】  朗文堂  アダナ・プレス倶楽部

このページはスライドショーでもお楽しみいただけます。

──────────
《 搬入・設営 → 会期 → 梱包・搬出 03日間の会期でしたが、前後05日間の新潟滞在でした 》
DSCN1598DSCN2144 DSCN2145活版礼讃<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>イベントは、10月10日[土]-12日[月・祝]の03日間の会期だったが、前後に搬入・展示日と、梱包・撤収日を設けていた。
10月09日[金]の搬入には既報のとおり、石田さん、横ちゃんに頑張っていただいた。

12日最終日、この日は祝日とあって家族連れの来場者はおおかったが、そのピークがこえた夕刻ちかくなると、東京から駆けつけた会員の皆さんは、
「お先に失礼しま~す」
と次第に帰京されていった。

DSCN2078 DSCN2103 DSCN2115 DSCN2113 DSCN2111イベントのつねとして、それが盛大で成果が大きければ大きいほど、その最後には一種の寂寥感がある。<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>もまさしく終了時間直前まで来場者の切れ目が無く、対応に追われたが、かるい疲労感とさびしさはかくせなかった。

10月12日[月・祝]、定刻の17:00に会場をしめて、いつものように北方文化博物館事務所に閉場の報告と挨拶をして会場を出てホテルのある新潟市内にもどった。
この日の夜、あちこちのホテルに残留していた会員は、真田幸文堂、玉井玉文堂、加久本さん、大石、やつがれであった。
一抹の寂寥感はかくせなかったが、無事にイベントを終了した安堵感もおおきかった。
こんなときでも B 級グルメならお任せの真田幸文堂は、加久本・大石のゆるキャラ好きをおもんぱかって、「安くておいしく、面白いお店」に臭覚をはたらせていた。

DSCN2131 DSCN2134 DSCN2136 DSCN2137 DSCN2141 DSCN214310月13日[火]、イベントは終了したが、きょうは梱包・撤収日。
定刻09:00にホテル宿泊組はレンタカーに相乗りして会場に到着。
まもなく新潟会員の sketch & note 松尾和歌さん、 しおた まこ さん、紙漉サトウ工房 佐藤徹哉 さんもご来場。まずは梱包作業が手際よくすすめられる。その間搬入のときと同様にストックヤードからリヤカーを借りてきて搬出準備。

わずか05日間の期間だったが、この間に秋がふかまりずいぶん風がつめたくかんじられた。
リヤカーを牽引しているのが 紙漉サトウ工房 佐藤徹哉 さん、後方から押しているのが玉井玉文堂である。
昼前にすべての作業を終了。それぞれのカメラで記念撮影。女性はコート姿が しおた まこ さん、茶髪が加久本さんである。

DSCN2150 DSCN2144 DSCN2145 DSCN2166 DSCN2169 DSCN2151IMG_2436 IMG_2433新潟会員と再会を約してここでお別れ。
おもに新潟滞在時間のすくなかった玉井玉文堂のために、小型車であったが五人乗りで、新潟県最北のまち、かつては村上藩の城下町として栄え、現在でも市中に武家町、商人町の面影がのこる村上市をめざしてドライブに出発。

村上の三面川にはいまも鮭が遡上するのだそうである。
江戸時代には城下町であったここでは、切腹を忌み嫌い、腹を二段に分けて切る[止め腹]という独特な切りかたで内臓などを取りだし、丹念に塩をすり込み、およそ一週間置き、流水で塩出ししたのち、風通しのいい場所に二週間ほどつるすのだという。
この鮭をつるす際にも、首つりを嫌い、尾から下げるのが村上流だということであった。

ここはかつて「アダナ・プレス倶楽部 新潟山山倶楽部」のおふたりにご案内いただいたことがあり、「味匠 喜っ川(㐂っ川)」の店の前で、まち歩きにでかける皆さんとわかれて、近くの喫茶店にもぐりこんで、上記の事柄などをまなんだ。
北方文化博物館も昔、JRのポスターに登場しているが、ここの店先もJRの吉永さゆりのポスターでご記憶のかたも多いであろう。
店先でこの暖簾をバックに写真を撮って欲しいというミドルなご婦人の何組かに声をかけられた。そこで、加久本さんも「さゆり風」な一枚をパチリ。
この日はちょうど加久本さんの誕生日とのこと。よい記念になったのでは……。
DSCN2195 DSCN2186 DSCN2189 IMG_2448 IMG_2453 IMG_2454 IMG_2455 IMG_2456ともかく歩くことが苦手なやつがれ、町歩きを敬遠して喫茶店にもぐりこんだのはいいが、入店してすぐ、店にただよう珈琲のにほいが怪しいことに気づき、アイスクリームにしようかと逡巡した。
すこし寒いし、まぁすこしの間だからいいかとおもい珈琲をたのんだが、皆さんなかなかもどらない。その間およそ二時間、結局もてあましていた珈琲を飲みほしていた。

村上はふるい城下町の風情をよくのこしているらしい。「味匠 喜っ川(㐂っ川)」に駆け戻ってきたのは大石ひとり。集合場所をきめて携帯をもたないやつがれを呼びにきた。
これから往路の高速から見つけておいた「ニコタン」をめざして帰途にむけて出発である。

DSCN2199 DSCN2200 DSCN2201 DSCN2210 DSCN2211 DSCN2221 DSCN2223 DSCN2246 これがうわさのニコタンだぁ IMG_2463新潟県新発田市 シバタシ にある「ニコタン」のことは、<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>イベント準備のときから、ゆるキャラや妙なモノ大好きな加久本クン、大石は盛んに口にしていた。
会期中に第一班として、石田さんがドライバーとなって新発田市にある旧新発田藩庭園跡「北方文化博物館分館 清水園」に数名がでかけていた。こちらのチームは年長者が多かったためもあって、「ニコタン」などは新発田では見なかったと報告があった。

ところが第二班ともいうべきわが車輌には、なにぶん加久本・大石という、奇行ではたれにも負けないふたりが同乗していた。だいぶ陽も傾いていたし、アングルのよい場所ではなかったが、高速を新発田インターでおりて、ともかく「ニコタン」撮影だけは達成。
こうして座席指定をしていた玉ちゃん、加久本クン両名を時間どおり新潟駅に送り届けることができた。

レンタカーを返却して、上越新幹線に乗ろうとしたところ、B 級グルメ真田幸文堂が、
「先に帰られた小酒井・春田・田中さんからの情報で、近くにおいしいお店があるようなので、すこしグルメしませんか」
と誘ってきた。
さすが、おとなの贅沢を知っているお三方の推薦だけあって、真田幸文堂セレクトのお店とはまた違った良さのある、美味しいながらもリーズナブルな価格の良いお店であった。
最後にプチ贅沢をして、おもいで一杯の新潟をあとにした。

IMG_2466 IMG_2467 IMG_2468 20151019181135267_0001

ご愛読ありがとうございました。『 VIVA !! カッパン 』 が流通在庫をもちましてしばらく品切れとなります

ヴィバ活版uu
書 名  VIVA !!  カッパン

編 集  アダナ・プレス倶楽部
装 本     B5判 オールカラー 136ページ 並製本 ジャケット付
定 価    2,800円+税
──────────
ほんとうの実践に役立つ活版印刷入門書としてご愛読いただきました
『 VIVA !!  カッパン 』ですが、現在の流通在庫をもちまして品切れとなります。
ここにご報告申しあげますとともに、多くの皆さまのご愛読にふかく感謝いたします。
朗文堂 アダナ・プレス倶楽部では、新機種が加わった Salama シリーズを加えて
引きつづき改定増補版の刊行を予定しておりますが、それまでの間
委託倉庫会社によって販売不適本として保管されていた、一部に欠損のある
数十部の本書を、特売価格で限定直販いたします。
緊急に『 VIVA !!  カッパン 』をご希望の方は、小社担当 まで直接お申し込みください。

【会員情報】 ぢやむ 活版小本の製作者/団塊世代真っ盛り杉本昭生さんと京都太秦広隆寺に弥勒菩薩像をたずねた

ひとり京都で 活版小本 の製作を続けられている杉本昭生さん。
やつがれとは久しぶり、大石ははじめてお会いした。
燈台もと暗し、土地っ子でも太秦 うずまさ 広隆寺にいかれたことがないとのことで付近を散歩。
とおつ國の、ふしぎな佛-弥勒菩薩-像にであったというのが実感。
拝観はほどほどにして、近くの喫茶店で造形談義。
団塊世代の杉本さん、いつの間にか小型本も三〇冊ちかくになり創作意欲益〻旺盛。
杉本小型本は新潟での{Viva la 活版 Let’s 豪農の館}での人気作品のひとつであった。

活版小本
DSCN5643 DSCN5649