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【タイポグラフィ学会】 第14回タイポグラフィ学会総会 並びに 『タイポグラフィ学会誌11号』刊行内容披露会開催

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第14回 タイポグラフィ学会総会
『タイポグラフィ学会誌11号』刊行内容披露会
2018年09月24日[月・祝日] 
於 : 学校法人専門学校 東洋美術学校 C棟1階 C2教室
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タイポグラフィ学会(山本太郎会長)は、09月24日[月・祝日]、第14回タイポグラフィ学会総会、および『タイポグラフィ学会誌第11号』の刊行内容披露を爽やかな秋晴れのなかで開催、無事に全日程を終了した。

総会終了後の『タイポグラフィ学会誌11号』刊行内容披露会では、一般有志の参加者をふくめて、<メディア・ルネサンス-メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭>(協力:タイポグラフィ学会)のプレイベントとして、2017年11月11日に開催された「江戸・東京 活版さるく」での50箇所におよぶ訪問先をスライドショートとして公開された(日吉洋人会員)。
あわせて、現在編集作業が進行中の『タイポグラフィ学会誌11号』には、その詳細内容が研究レポート(大石 薫会員)として、詳細地図(春田ゆかり会員)を添付してまとめられることについての概要説明がおこなわれた。

『タイポグラフィ学会誌11号』の販売、ならびに、一般公開による『タイポグラフィ学会誌11号』研究ノート発表会の日程などの詳細は、追って タイポグラフィ学会 のサイトと、こちらのサイトでお知らせします。

【 詳細: タイポグラフィ学会

【タイポグラフィ学会】 『タイポグラフィ学会誌 08号 09号』 論文発表会を開催/タイポグラフィ・ジャーナル 『タイポグラフィ学会誌 09』 特別委託販売開始

02_03888-2DSC04014-22016_論文発表会チラシ_1101(大)[1]タイポグラフィ学会は、2016年11月23日[水・祝日]、学校法人専門学校 東洋美術学校 D棟学生ホール(東京都新宿区富久町2-6)において、『タイポグラフィ学会誌08号・09号』論文発表会を開催しました。

  • 挨拶 タイポグラフィ学会 設立10周年を経て――山本太郎会長
  • 論文発表 学会誌08号から――真田幸治会員
    『「雪岱文字」の誕生-春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ』
  • 論文発表 学会誌09号から――春田ゆかり会員
    『近代初期「平仮名活字」の書き手について-池原香穉とその周辺』
    と題し、各論文で取りあげられた資料展示をおこないながらの論文発表会となりました。

【 詳細 : タイポグラフィ学会
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03_03919-2R0046680-6-407pix[1] DSC03943-2 DSC03991春陽堂版『鏡花全集』函表04巻[1] DSC04438[1]Gakkaishi09_KariDSC04344 DSC04307P1330552[1] P1330555[1]
【タイポグラフィ・ジャーナル特別委託販売】
タイポグラフィ学会 『タイポグラフィ学会誌 09』 販売開始
Gakkaishi09_Kari (2)『 タイポグラフィ学会誌  09 』が刊行されました。

タイポグラフィ学会は、タイポグラフィという技芸に学問的な基盤を与え、その成果を実技・実践を通して社会に貢献することを目的に、2005年8月に設立されました。 『タイポグラフィ学会誌』は2007年に創刊、今回が09号となります。

『 タイポグラフィ学会誌  09 』の主要内容
  • 論文:近代初期「平仮名活字」の書き手について― 池原香穉とその周辺
    タイポグラフィ学会会員 春田ゆかり
  • タイポグラフィ学会 設立10周年を経て
    タイポグラフィ学会会長 山本太郎
  • タイポグラフィ学会設立10周年記念催事「長崎研修」の報告
    Viva la 活版 ばってん 長崎『崎陽探訪・活版さるく』

今回は、当学会の10周年の催事(2016年5月に開催「長崎研修」)に関する記事なども特別掲載しております。
これらの研究成果が、日本国内にのみならず、各国の研究者によって広く参照されタイポグラフィ研究の発展に寄与することを希望するとともに、『タイポグラフィ学会誌』が今後さらに、タイポグラフィの研究における特色ある媒体として成長していければと考えております。
タイポグラフィ学会
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◎ 『 タイポグラフィ学会誌 09
特別委託販売 朗文堂ブックコスミイク
・ 非会員向け頒布価格 : 1部 3,000円(送料・税別)
・ 学生向け頒布価格 : 1部 2,000円(送料・税別)
*学生証明書の提示が必要です。

株式会社 朗 文 堂
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長崎タイトルresize-627x108[1]1030963[2] 32-1-49545-2[1] DSCN7458[1]PrintDSCN7436[1] 31-4-50052[1] 10-6-49164-e1466416277572[1] DSCN7451[1]『タイポグラフィ学会誌 09』には、タイポグラフィ学会の設立10周年の催事(2016年5月に開催「長崎研修」)に関する記事などが p.55-79 に特別掲載されています。
本書のご購入は<朗文堂ブックコスミイク>にてたまわります。

20160503155850029_0001map-Nagasaki画像小菅修船場resized 12-1-49586[1] 立神ドック建碑1uu 立神ドック建碑2uu 357eec44b63e3267ff83e04839cabfd41[1]

【タイポグラフィ学会】 『タイポグラフィ学会誌』 08号・09号 論文発表会のご案内

2016_論文発表会チラシ_1101(大)今回の講演者、真田 幸治さん ・ 春田 ゆかりさんのおふたりは
タイポグラフィ学会会員であるとともに
活版カレッジ修了、サラマ・プレス倶楽部会員でもあります。
皆さまのご聴講をおすすめいたします。

☆     ☆     ☆

タイポグラフィ学会
『タイポグラフィ学会誌』 08号・09号 論文発表会

【日  時】
2016年11月23日(祝・水曜日)
14:30-17:30(受付開始 14:10- ) 各講演80分程度(資料閲覧時間を含む)
【場  所】
学校法人専門学校 東洋美術学校 D棟学生ホール(東京都新宿区富久町2-6)
https://www.to-bi.ac.jp/access/
【講演者】

真田 幸治 ・ 春田 ゆかり
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【講演 1 】

「雪岱文字」の誕生 —- 春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ
真田 幸治(タイポグラフィ学会会員/装幀家)

装幀家、挿絵画家などとして再評価が著しい小村雪岱(こむら-せったい)であるが、その評価は主に泉鏡花の著書、「鏡花本」の装幀によるところが大きい。
その雪岱の装幀において、雪岱独自の文字「雪岱文字」が実は大きな役割を担っていたという事実は知られていない。

また「雪岱文字」は、雪岱が大正期に在籍していた資生堂の和文ロゴタイプの成立にも大きく寄与している。そして春陽堂版『鏡花全集』の函の装幀において主要な構成要素として採用されて一つの完成を見ることになる。今まで論じられることの なかった「雪岱文字」が、どのように誕生し、展開されていったのかを考察する。

【講演 2 】
近代初期「平仮名活字」の書き手について —- 池原香穉とその周辺

春田ゆかり(タイポグラフィ学会会員/グラフィックデザイナー)

日本語活字書体のなかで、平仮名書体が注目されて久しい。そのあり方が文面の印象を大きく左右するからだとされる。
しかし平仮名活字書体がどのようにして現在の形にあるのか、その成立期に誰がかかわったのか、その詳細はあまりよく知られていない。

日本の近代印刷・活字の創始者(導入者)として知られる本木昌造の近くにあり、その初期の活字書体の「版下」を手がけた池原香穉(いけはら-かわか)。ながらく詳細不明とされてきたその人物像について 近年判明した事柄と、彼が平仮名書体にあたえた影響と役割について、現物資料も交えて考察する。
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【参加費】
無 料
*当日に限り『タイポグラフィ学会誌』01-09 号を特別価格にて販売いたします。
【懇親会】

講演会場至近を予定 要予約(一般3,000円)18:30より2時間程度
【お申し込み方法】

11月15日(火曜日)までに件名【論文発表会へ参加希望】として、氏名、人数、連絡先、懇親会への出欠の有無を、Eメールかファクシミリにて下記の宛先にお送りください。
こちらより3日以内にお断りの連絡がない場合は、受付完了となります。また定員に余裕のある場合は、期日以降も受け付けます。
【申込先 ・ お問合わせ先】

タイポグラフィ学会 東京事務局
Eメール : info@society-typography.jp
ファクシミリ : 03-3352-0727

【タイポグラフィ学会】 第12回 タイポグラフィ学会 総会 が終了しました

2016-Sokai{タイポグラフィ学会事務局}
去る9月25日日曜日「第12回 タイポグラフィ学会 総会」を開催、無事に終了いたしました(会場:学校法人 専門学校 東洋美術学校)。
総会の討議ではタイポグラフィに関する学術的な研究や活動を支えるべく、より充実をはかることを具体的な提案をもって議論や意見交換がされました。
今年度は「タイポグラフィ学会誌」09、 10号の刊行、論文発表会などが計画されております。
【 詳細 : タイポグラフィ学会 】

{Viva la 活版 ばってん 長崎}Report 12  ことしは平野富二生誕170周年、タイポグラフィ学会創立10周年 盛りだくさんのイベント開催

長崎タイトル ことしは明治産業近代化のパイオニア ──── 平野富二の生誕170周年{1846年(弘化03)08月14日うまれ-1892年(明治25)12月03日逝去 行年47}である。
平野富二
<平野富二>
弘化03年08月14日(新暦 1846年10月04日)、長崎奉行所町司(町使)矢次豊三郎・み祢の二男、長崎引地町(現長崎県勤労福祉会館 長崎市桜町9-6)で出生。幼名富次郎。
16歳長崎製鉄所機関方となり、機械学伝習。
1872年(明治05)婚姻とともに引地町をでて外浦町に平野家を再興。平野富二と改名届出。同年七月東京に活版製造出張所のちの東京築地活版製造所設立。
ついで素志の造船、機械、土木、鉄道、水運、鉱山開発(現IHIほか)など、在京わずか20年でわが国近代産業技術のパイオニアとして活躍。
1892年(明治25)12月03日逝去 行年47
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今回の参加者には平野正一氏(アダナ・プレス倶楽部・タイポグラフィ学会会員)がいた。
平野正一氏は平野富二の玄孫(やしゃご)にあたる。容姿が家祖富二にそれとなく似ているので、格好のモデルとしてスマホ撮影隊のモデルにおわれていた。

平野富二はヒシャクで活字地金を流しこむだけの「活字ハンドモールド」だけでなく、当時最先端の加圧機能が加わった「ポンプ式活字ハンドモールド」を採用して、活字品質と鋳造速度の向上をはかり、東京進出直後から、在京活字鋳造業者を圧倒した。
federation_ 03 type-_03 ハンドモールド3[1]三階主会場には平野ホールに伝わる「本木昌造自筆短冊」五本が展示され、一階会場には  B 全のおおきな肖像写真(原画は平野ホール蔵)が、本木昌造(原画は長崎諏訪神社蔵)とならんで掲出されていた。
本木昌造02
本木昌造短冊本木昌造は池原香穉、和田 半らとともに「長崎歌壇」同人で、おおくの短冊や色紙をのこしたとおもわれるが、長崎に現存するものは管見に入らない。
わずかに明治24年「本木昌造君ノ肖像幷ニ履歴」、「本木昌造君ノ履歴」『印刷雑誌』(明治24年、三回連載、福地櫻痴筆とされる)に収録された、色紙図版「寄 温泉戀」と、本木昌造四十九日忌に際し「長崎ナル松ノ森ノ千秋亭」で、神霊がわりに掲げられたと記録される短冊「故郷の露」(活字組版)だけがしられる。

いっぽう東京には上掲写真の五本の短冊が平野ホールにあり、またミズノプリンティングミュージアムには軸装された「寄人妻戀」が現存している。

DSCN7280 DSCN7282DSCN7388 DSCN7391また平野正一氏はアダナ・プレス倶楽部、タイポグラフィ学会両組織のふるくからの会員であるが、きわめて照れ屋さんで、アダナ・プレス倶楽部特製エプロンを着けることから逃げていた。今回は家祖の出身地長崎にきて、真田幸治会員の指導をうけながら、はじめてエプロン着用で頑張っておられた。
1030963 松尾愛撮02 resize 松尾愛撮03resize 松尾愛撮01 resize下掲写真は平野富二生誕地、長崎町司「矢次家旧在地」(旧引地町、現長崎県勤労福祉会館、長崎市桜町9-6)である。
{5月7日 崎陽長崎・活版さるく}参加者のみなさんとの記念写真となった。
今回のイベントに際して、宮田和夫氏と長崎県印刷会館から同時に新情報発見の報があり、{活版さるく}で皆さんと訪問した。
この詳細な報告は、もう少し資料整理をさせていただいてからご報告したい。
15-4-49694 12-1-49586平野富二生家跡にて矢次家旧在地 半田カメラ
上写真/懇親会会場入口にて 右) 山本太郎さん 左) 日吉洋人さん  横島大地さん撮影
下写真/受付業務担当日の横島大地さん、松尾愛子さん  ほか日吉洋人さん提供写真
横島撮
DSCN7306
DSCN74231030947 1030948 1030949 10309541030958 1030959【 関連情報 : タイポグラフィ学会

【一周忌にあたり再掲載】 タイポグラファ群像 008* いちずに本木昌造顕彰にはげんだひと 阿津坂 實

 本稿の初出は<花筏>2015年09月28日であった。一周忌を期して再掲載した。

2015.9.19学会レクチャー_ページ_03近代活版印刷術発祥地のひとつ、長崎にうまれた阿津坂 實(あつさか みのる)氏は、徴兵検査にさいし胸部疾患が疑われて軍隊への召集を免れた。その後は療養につとめ、また地元の印刷企業に勤務していた。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20)08月09日、長崎へ原子爆弾が投下され、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち、およそ7万4千人が死没、建物はおよそ36%が全焼または全半壊した。

原爆は長崎市浦上地区の中央で爆発してこの地区を壊滅させた。しかしながら浦上地区は、長崎市の中心部からは 3 kmほど離れていたことと、平坦地の広島市の場合と異なり、金比羅山など多くの山や丘による遮蔽があり、遮蔽の利かなかった湾岸地域を除いて、市域中央部での被害は比較的軽微であった。
また県や市の行政機能も全滅を免れていた。
それでも長年にわたり、原爆による後遺症は長崎市民におもくのしかかっていた。
阿津坂氏は原爆被害に関して論及することは少なかったが、被爆者手帳の所持者であり、戦争を憎み、平和を希求することに篤かった。

戦後の復興が急がれた長崎県であったが、県都長崎市の原爆被害もあって復興は難航した。そのなかで阿津坂實氏は1947年(昭和22)08月、長崎県印刷工業協同組合に入組し、1956年(昭和31)併設された長崎県印刷工業組合と双方の、事務局員、事務長、専務理事などを歴任し、1988年(昭和65)依願退職するまでの40数年余にわたってその任にあった。
その後も両組合の相談役として、長崎県と長崎市の印刷業界におおきな影響をのこし、2013三年(平成25)にすべての役職から退任した。
2015.9.19学会レクチャー_ページ_08 2015.9.19学会レクチャー_ページ_06阿津坂實氏が、印刷業の祖、郷土の偉人として本木昌造をつよく意識したのは、長崎県印刷工業協同組合に入組してからまもなくのことである。
まず戦争末期に金属供出令で失われていた本木昌造の銅像(座像)を再建するために、1953年(昭和28)本木昌造銅像再建運動を事務方として開始し、はやくも翌年に、ところもおなじ諏訪公園に本木昌造銅像(立像)が再建された。
1968年(昭和43)長崎県印刷工業協同組合、長崎県印刷工業組合の双方の事務長に就任し、1972年(昭和47)専務理事に就任した阿津坂氏は、長崎県中小企業団体中央協議会、長崎県商工会議所などからさまざまな事業の委嘱をうけての活動も目立っていた。
また中小企業庁長官賞、長崎県知事表彰などの賞歴をかさねたのもこの時期である。

2015.9.19学会レクチャー_ページ_04 2015.9.19学会レクチャー_ページ_05 2015.9.19学会レクチャー_ページ_09タイポグラフィ研究と印刷史研究は、首都東京では、三谷幸吉、川田久長、牧治三郎らによって、戦前から一定の規模ですすんでいたが、長崎では長崎学・郷土史家の、古賀十二郎、渡辺庫輔、田栗奎作らが、幕末から明治初期の長崎の状況の一環として、わずかに触れる程度にとどまり、資料の発掘も滞りがちであった。
阿津坂氏は長崎の各地に収蔵されていたこれらのタイポグラフィ関連資料を再発掘し、目録を製作するとともに、それを広く公開して、『長崎印刷組合史』、『長崎印刷百年史』の編纂をはじめ、『東京の印刷百年史』、『大阪印刷百年史』、『多摩の印刷史』など、各地の印刷組合や印刷企業の年史編纂のために、活字版印刷揺籃の地・長崎の資料を提供し、また後続の研究者にも積極的な情報提供と支援をつづけた。

2015.9.19学会レクチャー_ページ_02あわせて長崎各所にあった、活字版印刷の揺籃期の事業と施設を再検証し、「本木昌造生家跡碑」、「活版伝習所跡碑」、「新町私塾跡碑」、「福地櫻痴生誕地碑」などの建立をめざしての活躍も目立った。
また、本木昌造旧宅が取りこわされることになったとき、大学の建築学部に依頼して、詳細な実測図を論文としてのこすことにも協力をおしまたかったし、桜井孝三氏とともに、八丈島に現地調査にでかけ、本木昌造/平野富二らの漂着地が、それまで通説となっていた「相川浦」ではなく、「藍ヶ江」であることを発表した。

「本木昌造没後百年供養」を契機として、1975年(昭和50)長崎に戦前からあった「本木昌造頌徳会」を改組改称して「本木昌造顕彰会」を創設することにも尽力した。
この「本木昌造顕彰会」と株式会社モリサワが母体となって「本木昌造活字復元プロジェクト」が開始された。 このプロジェクトは長期間におよび、当時の長崎県印刷工業組合理事長/内田信康氏、後進の長崎県印刷工業組合事務局長/岩永充氏らとともに、阿津坂實氏も「NPO法人 近代印刷活字文化保存会」にあって陰助をかさね、
その成果は『日本の近代活字-本木昌造とその周辺』、『活字文明開化-本木昌造が築いた近代』の、あたらしい視座にもとづいた二冊の図書に結実した。

阿津坂實氏は長崎県印刷工業協同組合での勤務のかたわら、多趣味のひととしても知られ、自慢の調理の腕をいかして、長崎駅前に「中華料理店・飛龍園」を一家で営むいっぽう、生花の師範としてもおおくの子弟の育成にあたった。
家庭には長男・貴和、田中家に嫁した長女・三重 ミツエ、次女・邦子の一男二女をなし、長女の没後にはふたりの孫娘(田中裕子・田中恵子)も手もとに引き取って養育にあたった。
晩年はさすがに車椅子に頼ることがふえたが、家庭と店頭にはみずから活けた生花を欠かさず、デイケア・サービスではカラオケに興じた。

2015.9.19学会レクチャー_ページ_102007年(平成19)<活版ルネサンス>を標榜して「朗文堂アダナ・プレス倶楽部」が始動し、翌年五月に<活版凸凹フェスタ2008>を初開催した際には、長崎から東京・四谷の会場に駆けつけられ、このようにかたられた。
「本木昌造先生は嘉永年間のはじめのころから活字版印刷の事業に着手していた。活字版印刷は一度すっかり衰退したが、この一六〇年ぶりの再挑戦でぜひとも復興させて欲しい。活字版印刷は文化の根底をなすものですから、これを絶滅させたらいけません」

2013年(平成24) 初秋、東京で働くようになったふたりの孫娘の支援をえて阿津坂氏が上京され、東京白銀台の八芳園 にみずから席をもうけられ、全日本印刷工業組合連合会専務理事:武石三平氏、『多摩の印刷史』編著者・東信堂印刷所代表:桜井孝三氏夫妻、片塩二朗、大石 薫をまねかれた。
「ワタシ は若いころに本木昌造先生の銅像の再建をお手伝いした。それからは菩提寺の大光寺の本木家墓前に供花するとともに、諏訪公園の本木昌造先生のお姿をいつも拝見してきた。

それなのに東京ではどうなっているのだろう。 東京では平野富二さんの初進出の場所の特定もできていないし、東京築地活版製造所の跡には簡単な碑文があるだけです。
平野さんに関していえば、まずはその初進出の場所を正確に特定すること。ワタシ は若いころからそうした努力をした。
それと、やはりそのお姿が眼前にあってこそ、開拓者の苦心が偲べるという面はおおきいとおもう。長崎と大阪には本木昌造先生の立派な銅像が建立されている。そこで東京には、文明開化をもたらした活字版印刷の創始者として、平野富二さんの銅像、できれば本木先生と平野さんが並び立つ銅像をつくって欲しい。これが阿津坂の遺言だとおもって聴いてほしい」

2014年(平成26)09月、長崎の阿津坂家では、阿津坂實氏の99歳をむかえた「白寿の祝い」が開催された。
タイポグラフィ学会には「本木昌造賞」の受賞対象者として阿津坂實氏とする推薦状が提出された。
そのためタイポグラフィ学会では顕彰委員会が招集されて審議がなされた。 顕彰委員会では若干の議論があったと仄聞する。それは「本木昌造賞」は優れたタイポグラフィ論文の執筆者に授与されるものであり、阿津坂氏の功績は、タイポグラフィに優れた業績・顕著な功績をのこしたものに授与される「平野富二賞」がふさわしいのではないかとするものであった。

阿津坂氏の主著とされるものは「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ-本木昌造」『本木昌造先生略伝』(長崎県印刷工業組合創立四十周年記念/本木昌造先生歿後百二十周年記念、長崎県印刷工業組合、平成七年九月)を見る程度であることはたしかである。
しかしながら『長崎印刷百年史』(長崎印刷百年史刊行編纂委員会/主著者:田栗奎作、長崎県印刷工業組合、昭和45年11月)、『長崎印刷組合史-百年史の追補とその後の三〇年』(長崎県印刷工業組合/長崎県印刷工業協同組合/主著者:種吉義人、長崎県印刷工業組合、平成10年10月)の両書は、組合事業関連の部分の執筆、主著者への資料提供の多くは阿津坂氏によることが両書にもしるされている。
こうした功績と、ひとえに本木昌造の遺業をかたりつぐことに尽力された阿津坂氏の業績を勘案して「本木昌造賞」の授与が内定し、ご本人、ならびにご家族にも通知された。

タイポグラフィ学会では顕彰委員会と理事会の承認を経て、例年07-09月に東京で開催されている定例総会を、2015年は長崎で開催し、その際に阿津坂實氏への「本木昌造賞授与式」を併催する計画が進行していた。
まさにその計画の進行中、2015年(平成27)05月07日、阿津坂實氏は逝去された。
そのためご家族とも協議して、「本木昌造賞授与式」は東京での定期総会と併催して、お孫さん(田中裕子・田中恵子)おふたりに列席していただくことになった。

 【阿津坂 實氏の活動紹介 PDF  2015.9.19 atusaka 2.31MB 】

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【タイポグラフィ学会】
『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露および
第3回本木昌造賞授賞式を開催

2015.9.19学会レクチャー_ページ_01

タイポグラフィ学会は、秋晴れの抜けるような晴天のもと、2015年9月19日[土]、定例年次総会につづき、一般公開で、『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露会および、第3回本木昌造賞授賞式をとりおこないました。
<第3回本木昌造賞授賞式>は、山本太郎会長の挨拶につづき、プレゼンターに平野富二玄孫:平野正一会員があたり、阿津坂 實氏の孫娘、田中裕子・田中恵子両氏に賞状ならびに記念品が授与されました。

<第3回本木昌造賞授賞式>には、タイポグラフィ学会会員のほか、多数の皆さまのご来場をいただきました。ご参加ありがとうございました。詳細報告はタイポグラフィ学会のWebSiteで近日中にいたします。
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タイポグラファ群像 008* いちずに本木昌造顕彰にはげんだひと 阿津坂 實

2015.9.19学会レクチャー_ページ_03近代活版印刷術発祥地のひとつ、長崎にうまれた阿津坂 實(あつさか みのる)氏は、徴兵検査にさいし胸部疾患が疑われて軍隊への召集を免れた。その後は療養につとめ、また地元の印刷企業に勤務していた。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20)08月09日、長崎へ原子爆弾が投下され、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち、およそ7万4千人が死没、建物はおよそ36%が全焼または全半壊した。

原爆は長崎市浦上地区の中央で爆発してこの地区を壊滅させた。しかしながら浦上地区は、長崎市の中心部からは 3 kmほど離れていたことと、平坦地の広島市の場合と異なり、金比羅山など多くの山や丘による遮蔽があり、遮蔽の利かなかった湾岸地域を除いて、市域中央部での被害は比較的軽微であった。
また県や市の行政機能も全滅を免れていた。
それでも長年にわたり、原爆による後遺症は長崎市民におもくのしかかっていた。
阿津坂氏は原爆被害に関して論及することは少なかったが、被爆者手帳の所持者であり、戦争を憎み、平和を希求することに篤かった。

戦後の復興が急がれた長崎県であったが、県都長崎市の原爆被害もあって復興は難航した。そのなかで阿津坂實氏は1947年(昭和22)08月、長崎県印刷工業協同組合に入組し、1956年(昭和31)併設された長崎県印刷工業組合と双方の、事務局員、事務長、専務理事などを歴任し、1988年(昭和65)依願退職するまでの40数年余にわたってその任にあった。
その後も両組合の相談役として、長崎県と長崎市の印刷業界におおきな影響をのこし、2013三年(平成25)にすべての役職から退任した。
2015.9.19学会レクチャー_ページ_08 2015.9.19学会レクチャー_ページ_06阿津坂實氏が、印刷業の祖、郷土の偉人として本木昌造をつよく意識したのは、長崎県印刷工業協同組合に入組してからまもなくのことである。
まず戦争末期に金属供出令で失われていた本木昌造の銅像(座像)を再建するために、1953年(昭和28)本木昌造銅像再建運動を事務方として開始し、はやくも翌年に、ところもおなじ諏訪公園に本木昌造銅像(立像)が再建された。
1968年(昭和43)長崎県印刷工業協同組合、長崎県印刷工業組合の双方の事務長に就任し、1972年(昭和47)専務理事に就任した阿津坂氏は、長崎県中小企業団体中央協議会、長崎県商工会議所などからさまざまな事業の委嘱をうけての活動も目立っていた。
また中小企業庁長官賞、長崎県知事表彰などの賞歴をかさねたのもこの時期である。
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2015.9.19学会レクチャー_ページ_04 2015.9.19学会レクチャー_ページ_05 2015.9.19学会レクチャー_ページ_09タイポグラフィ研究と印刷史研究は、首都東京では、三谷幸吉、川田久長、牧治三郎らによって、戦前から一定の規模ですすんでいたが、長崎では長崎学・郷土史家の、古賀十二郎、渡辺庫輔、田栗奎作らが、幕末から明治初期の長崎の状況の一環として、わずかに触れる程度にとどまり、資料の発掘も滞りがちであった。
阿津坂氏は長崎の各地に収蔵されていたこれらのタイポグラフィ関連資料を再発掘し、目録を製作するとともに、それを広く公開して、『長崎印刷組合史』、『長崎印刷百年史』の編纂をはじめ、『東京の印刷百年史』、『大阪印刷百年史』、『多摩の印刷史』など、各地の印刷組合や印刷企業の年史編纂のために、活字版印刷揺籃の地・長崎の資料を提供し、また後続の研究者にも積極的な情報提供と支援をつづけた。

あわせて長崎各所にあった、活字版印刷の揺籃期の事業と施設を再検証し、「本木昌造生家跡碑」、「活版伝習所跡碑」、「新町私塾跡碑」、「福地櫻痴生誕地碑」などの建立をめざしての活躍も目立った。
また、本木昌造旧宅が取りこわされることになったとき、大学の建築学部に依頼して、詳細な実測図を論文としてのこすことにも協力をおしまたかったし、桜井孝三氏とともに、八丈島に現地調査にでかけ、本木昌造/平野富二らの漂着地が、それまで通説となっていた「相川浦」ではなく、「藍ヶ江」であることを発表した。

「本木昌造没後百年供養」を契機として、1975年(昭和50)長崎に戦前からあった「本木昌造頌徳会」を改組改称して「本木昌造顕彰会」を創設することにも尽力した。
この「本木昌造顕彰会」と株式会社モリサワが母体となって「本木昌造活字復元プロジェクト」が開始された。 このプロジェクトは長期間におよび、当時の長崎県印刷工業組合理事長/内田信康氏、後進の長崎県印刷工業組合事務局長/岩永充氏らとともに、阿津坂實氏も「NPO法人 近代印刷活字文化保存会」にあって陰助をかさね、その成果は『日本の近代活字-本木昌造とその周辺』、『活字文明開化-本木昌造が築いた近代』の、あたらしい視座にもとづいた二冊の図書に結実した。

阿津坂實氏は長崎県印刷工業協同組合での勤務のかたわら、多趣味のひととしても知られ、自慢の調理の腕をいかして、長崎駅前に「中華料理店・飛龍園」を一家で営むいっぽう、生花の師範としてもおおくの子弟の育成にあたった。
家庭には長男・貴和、田中家に嫁した長女・三重 ミツエ、次女・邦子の一男二女をなし、長女の没後にはふたりの孫娘(田中裕子・田中恵子)も手もとに引き取って養育にあたった。
晩年はさすがに車椅子に頼ることがふえたが、家庭と店頭にはみずから活けた生花を欠かさず、デイケア・サービスではカラオケに興じた。

2015.9.19学会レクチャー_ページ_102007年(平成19)<活版ルネサンス>を標榜して「朗文堂アダナ・プレス倶楽部」が始動し、翌年五月に<活版凸凹フェスタ2008>を初開催した際には、長崎から東京・四谷の会場に駆けつけられ、このようにかたられた。
「本木昌造先生は嘉永年間のはじめのころから活字版印刷の事業に着手していた。活字版印刷は一度すっかり衰退したが、この一六〇年ぶりの再挑戦でぜひとも復興させて欲しい。活字版印刷は文化の根底をなすものですから、これを絶滅させたらいけません」

2013年(平成24) 初秋、東京で働くようになったふたりの孫娘の支援をえて阿津坂氏が上京され、東京白銀台の八芳園 にみずから席をもうけられ、全日本印刷工業組合連合会専務理事:武石三平氏、『多摩の印刷史』編著者・東信堂印刷所代表:桜井孝三氏夫妻、片塩二朗、大石 薫をまねかれた。
「ワタシ は若いころに本木昌造先生の銅像の再建をお手伝いした。それからは菩提寺の大光寺の本木家墓前に供花するとともに、諏訪公園の本木昌造先生のお姿をいつも拝見してきた。

それなのに東京ではどうなっているのだろう。 東京では平野富二さんの初進出の場所の特定もできていないし、東京築地活版製造所の跡には簡単な碑文があるだけです。
平野さんに関していえば、まずはその初進出の場所を正確に特定すること。ワタシ は若いころからそうした努力をした。
それと、やはりそのお姿が眼前にあってこそ、開拓者の苦心が偲べるという面はおおきいとおもう。長崎と大阪には本木昌造先生の立派な銅像が建立されている。そこで東京には、文明開化をもたらした活字版印刷の創始者として、平野富二さんの銅像、できれば本木先生と平野さんが並び立つ銅像をつくって欲しい。これが阿津坂の遺言だとおもって聴いてほしい」

2014年(平成26)09月、長崎の阿津坂家では、阿津坂實氏の99歳をむかえた「白寿の祝い」が開催された。
タイポグラフィ学会には「本木昌造賞」の受賞対象者として阿津坂實氏とする推薦状が提出された。
そのためタイポグラフィ学会では顕彰委員会が招集されて審議がなされた。 顕彰委員会では若干の議論があったと仄聞する。それは「本木昌造賞」は優れたタイポグラフィ論文の執筆者に授与されるものであり、阿津坂氏の功績は、タイポグラフィに優れた業績・顕著な功績をのこしたものに授与される「平野富二賞」がふさわしいのではないかとするものであった。

阿津坂氏の主著とされるものは「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ-本木昌造」『本木昌造先生略伝』(長崎県印刷工業組合創立四十周年記念/本木昌造先生歿後百二十周年記念、長崎県印刷工業組合、平成七年九月)を見る程度であることはたしかである。
しかしながら『長崎印刷百年史』(長崎印刷百年史刊行編纂委員会/主著者:田栗奎作、長崎県印刷工業組合、昭和45年11月)、『長崎印刷組合史-百年史の追補とその後の三〇年』(長崎県印刷工業組合/長崎県印刷工業協同組合/主著者:種吉義人、長崎県印刷工業組合、平成10年10月)の両書は、組合事業関連の部分の執筆、主著者への資料提供の多くは阿津坂氏によることが両書にもしるされている。
こうした功績と、ひとえに本木昌造の遺業をかたりつぐことに尽力された阿津坂氏の業績を勘案して「本木昌造賞」の授与が内定し、ご本人、ならびにご家族にも通知された。

タイポグラフィ学会では顕彰委員会と理事会の承認を経て、例年07-09月に東京で開催されている定例総会を、2015年は長崎で開催し、その際に阿津坂實氏への「本木昌造賞授与式」を併催する計画が進行していた。
まさにその計画の進行中、2015年(平成27)05月07日、阿津坂實氏は逝去された。
そのためご家族とも協議して、「本木昌造賞授与式」は東京での定期総会と併催して、お孫さん(田中裕子・田中恵子)おふたりに列席していただくことになった。

 【阿津坂 實氏の活動紹介 PDF  2015.9.19 atusaka 2.31MB 】

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【タイポグラフィ学会】
『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露および
第3回本木昌造賞授賞式を開催

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タイポグラフィ学会は、秋晴れの抜けるような晴天のもと、2015年9月19日[土]、定例年次総会につづき、一般公開で、『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露会および、第3回本木昌造賞授賞式をとりおこないました。
<第3回本木昌造賞授賞式>は、山本太郎会長の挨拶につづき、プレゼンターに平野富二玄孫:平野正一会員があたり、阿津坂 實氏の孫娘、田中裕子・田中恵子両氏に賞状ならびに記念品が授与されました。

<第3回本木昌造賞授賞式>には、タイポグラフィ学会会員のほか、多数の皆さまのご来場をいただきました。ご参加ありがとうございました。詳細報告はタイポグラフィ学会のWebSiteで近日中にいたします。
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【タイポグラフィ学会】 第三回本木昌造賞受賞者 阿津坂 實氏を発表

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受賞者 
阿津坂 實氏  Minoru Atsusaka
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1915年 9月12日 長崎市うまれ。
1947年 長崎県印刷工業協同組合に入組。1956年設立の長崎県印刷工業組合と双方の事務長、専務理事などを1988年に依願退職するまで歴任。
1975年 長崎県中小企業団体中央会、長崎県商工会議所などからさまざまな事業の委嘱をうけて活動。
2015年 5月 7日 長崎市にて逝去。行年99

主著 : 「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ 本木昌造」『本木昌造先生略伝』 (長崎県印刷工業組合創立四十周年記念/本木昌造先生歿後百二十周年記念、長崎県印刷工業組合、1995年)
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受賞について
阿津坂實氏は、長崎印刷工業協同組合および長崎県印刷工業組合の中枢にあって、原子爆弾による甚大な被害をうけた長崎の印刷業の復興に尽力されてきました。
1953年には、本木昌造銅像再建運動を事務方として開始し、翌1954年、諏訪公園に本木昌造銅像の再建を実現されました。

阿津坂氏は、それまで長崎の各地に収蔵されるにとどまっていた、タイポグラフィ関連資料を再発掘し、目録を製作するとともに、それを広く公開することで、『長崎印刷組合史』、『長崎印刷百年史』の編纂をはじめ、『東京の印刷百年史』、『大阪印刷百年史』、『多摩の印刷史』など、各地の印刷組合や印刷企業の年史編纂のために、長崎の資料を提供されました。また、後続の研究者にも積極的な情報提供とあたたかな支援をつづけられました。

さらに阿津坂氏は、長崎各所にあった、活字版印刷の揺籃期の事業と施設を再検証することで、それらの位置を特定し「本木昌造生家跡碑」、「活版伝習所跡碑」、「新町私塾跡碑」、「福地櫻痴生誕地碑」などの建立にも尽力されました。

1975年には、戦前から長崎にあった「本木昌造頌徳会」を改組改称して「本木昌造顕彰会」を創設し、株式会社モリサワとともに「本木昌造活字復元プロジェクト」を開始しました。長期におよんだこのプロジェクトは、当時の長崎県印刷工業組合理事長:内田信康氏、後進の長崎県印刷工業組合事務局長:岩永充氏らとともに、阿津坂實氏も「NPO法人 近代印刷活字文化保存会」にあって陰助をかさね、その成果は『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』(NPO法人 近代印刷活字文化保存会、2003年)、『活字文明開化―本木昌造が築いた近代』(凸版印刷株式会社 印刷博物館、2003年)の2冊の図書に結実しています。

タイポグラフィ学会は、これらの学術的な功績と社会的な貢献をあわせもった、阿津坂實氏の長年にわたる事績を高く評価し、さらに、ひとえに本木昌造の遺業をかたりつぐことに尽力された阿津坂氏の功績を勘案して、「第3回本木昌造賞」の授賞を決定いたしました。

ところが、授賞の決定をご本人ならびにご家族にお伝えし、長崎での授賞式を計画していた矢先の2015年5月7日に阿津坂實氏は逝去されました。そのためご家族とも協議して、「第3回本木昌造賞授与式」は2015年9月19日におこなわれる東京での「第11回タイポグラフィ学会総会」と併催して、お孫さんおふたりに列席していただくことになりました。

阿津坂實氏のご冥福をお祈りするとともに、本受賞によって阿津坂氏の事績を後世につたえ斯界の発展に寄与することを祈念いたします。
タイポグラフィ学会

【 関連情報 : タイポグラフィ学会 本木昌造賞 /プレスリリースPDF press release-2015-motogi 】

懐かしいですね。 アルテピアッツァ美唄からの Merry Christmas

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アルテピアッツァ美唄から、彫刻家 : 安田 侃ヤスダ カンさんのサイン入りのクリスマスカードと、20115年のカレンダーが届きました。
美唄は,もうきびしい冬のさなかにあるようです。

《 活版礼讃-Viva la 活版 Viva 美唄 》 の開催から一年半ほど、いまなお北海道、美唄の皆さんとのよき交流が続いていますし、懐かしく、たいせつなおもいでです。
この < 活版 à la carte > には、「 Viva la 活版 Viva 美唄 」 で検索していただけますと、No.01-No.12 までの多彩な記録が収録されており、スライドショーでお楽しみいただけます。
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《 Viva la 活版 Viva 美唄 全体記録 》
【 会  期 】  2013年07月13日[ 土 ]―15日[ 月 ・ 祝 ] 09 :00―17 : 00
【 会  場 】  ARTE PIAZZA BIBAI アルテピアッツァ美唄
アート ・ ギャラリー および アート ・ ストゥディオ
北海道美唄市落合町栄町   http://www.artepiazza.jp/
【 主  催 】   朗文堂  アダナ ・ プレス倶楽部

《 Viva la 活版 Viva 美唄 では 活版造形者の作品展示、ふたつの講演会、各種の活版ゼミナールを開催しました 》
「 アルテピアッツァ美唄 」 は、地元の北海道美唄市出身で、世界的な彫刻家として知られる、安田 侃 ヤスダ カンさんがいまなお創り続ける、大自然と彫刻が相響した野外彫刻公園であり彫刻美術館です。

「 アルテ ピアッツァ美唄 」 はまた、自然と人と芸術のあたらしいありかたを模索し、提案し続け、訪れる人びとに、自分の心を深く見つめる時間と空間を提供している素晴しい施設です。

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【講演会】 <欧文書体百花事典 その後> ご支援、ご協力 ありがとうございました。 

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<人生は短く 技芸の習得は長い>

W欧文書体百花事典その後VIちらしDSC05634第06回講師 : 木村雅彦氏 DSC04749-2第02回 講師 兼 広報担当 : 杉下城司氏

10ヶ月間、全06回にわたって開催された<欧文書体百花事典 その後>の講演会シリーズが終了しました。
ご来場、ご聴講いただいた皆さまに 厚く御礼を申しあげるとともに、引きつづき、『 欧文書体百花事典 』 普及版 の いっそうのご愛読をお願いいたします。
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< 欧文書体百花事典 その後 > の講演会シリーズには、タイポグラフィ学会、学校法人専門学校 東洋美術学校  産学連携事務局 デザイン研究会アクティ (担当 : 中村将大氏 ) の両団体からご後援をいただき、さまざまなご支援と ご協力をいただきました。

また、毎回の講演会関連の、フライヤー、ポスター、WebSite など、各種広報メディアの製作は、杉下城司氏に講師兼任でその任にあたっていただきました。
皆さまにはこのページをかりまして、深甚なる謝意を表明させていただきます。
DSCN9702 DSCN9687 DSC05755 DSC05562 DSC05556DSC01301 DSC01298会場の東洋美術学校には、故小池光三氏と、森澤 茂氏の寄贈による小型活版印刷機がありました。 この貴重な活版印刷機をもちいて、全06回の講演会に際して、アダナ ・ プレス倶楽部の、おもに活版カレッジ修了生の皆さんにご協力いただきました。 ありがとうございました。
最終回の使用活字書体は <セントール 48 pt. > です。
[ 写真協力 : 木村雅彦氏 ]
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【朗文堂ブックコスミイク】『欧文書体百花事典』その後 普及版刊行記念連続講演会 第5回 『 タイプ・サイズとは何か P・S・フールニエとの関係で 』 山本太郎氏 終了のご報告

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たくさんのお客様をお迎えして、『欧文書体百花事典 その後Ⅴ』 は終了いたしました。
颱風18号がこの直後に襲来しました。そのためにあいにくの雨天でした。
雨の中、わざわざのご来場ありがとうございました。
また、いつものように、タイポグラフィ学会、学校法人 専門学校 東洋美術学校の皆さまからご後援をいただき、さまざまなご協力をたまわりました。

次回講演は最終回、12月07日[日] 木村雅彦さん <刻まれた文字を訪ねて> です。 ご期待ください。 関連情報は、随時<朗文堂ニュース>のコーナーに掲載いたします。

告知資料製作 : 杉下城司さん  写真提供 : 木村雅彦さん/アダナ・プレス倶楽部
後援 : タイポグラフィ学会/学校法人専門学校 東洋美術学校  産学連携事務局 デザイン研究会アクティ
活版印刷実演協力 : アダナ・プレス倶楽部 活版カレッジ
この <活版 à la carte> のページは、画像をクリックするとスライドショーでお楽しみいただけます。

『 欧文書体百花事典 』 普及版 刊行記念特別連続講演会(全 6 回)
第 5 回  『 タイプ・サイズとは何か P・S・フールニエとの関係で 』
講    師 :  山 本   太 郎
日    時 :   2014年10 月05日[日]
会   場  :   東洋美術学校
主  催 :  株式会社 朗 文 堂
後  援 :  タイポグラフィ学会
学校
法人専門学校 東洋美術学校  産学連携事務局 デザイン研究会アクティ

欧文書体その後チラシ DSCN7585 DSCN7587 DSCN7590 DSCN7597DSC01598 DSC01590 DSC01653 DSC01667-2 DSC01576 DSC01368DSC01715-2 写真 1 DSC01322 DSC01325 DSC01243 DSC01269 DSC01313DSC01311  使用欧文活字/FOURNIER LE JEUNE   原活字鋳造所 : Deberny & Peignot, 1913
テキスト/ わたしは  わたし
je_1DSC01298 DSC01301 DSC01458 DSC01472 DSC01493 DSC01519 欧文書体百花事典その後Vポスター

新 宿 與 談 ============================
大型颱風18号が、この講演会の直後に日本列島を縦断していきました。被害にあわれた皆さまにお見舞いもうしあげます。
ところでこの講演会には、徳島から日帰りの予定で川崎孝志さん(新宿私塾修了、タイポグラフィ学会)が参加されていました。 講演の終了後、あわただしく羽田に向かわれたのですが、やはりすでに航空便は相当混乱していたようです。
こんな熱心な聴講者もいらっしゃいました。感謝です。
川崎さんからの@メールを記録します。

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本日はおつかれさまでした。 目的地に着陸できない場合は羽田に U ターンという条件付(西日本地区は全て)でのフライトでした。
夜だいぶ遅くなりましたが、なんとか午後09時に徳島に到着しました。
乗客からは悲鳴がでるほど揺れ通しのフライトで、機内は究極の絶叫マシーンと化していました。
あいにくの天気でしたが上京して正解でした。成果の多い講演会でした。
最後はお手伝いもできず失礼しました。  川崎孝志

林 昆範 『中国の古典書物』増刷版 刊行記念講演会の記録

DSCN4963 DSCN4966 DSCN4970 DSCN4957  Vignette 02 改訂版 林01 Web林講演会タイポグラフィ講演会
『中国の古典書物』増刷版 刊行記念講演会

講  師 : 林 昆 範 リン・クンファン
日  時 : 2014年07月02日[水]18:30 - 20:30(ワークショップを含む)
会  場 : 東洋美術学校 D棟一階 学生ホール
         162-0067 東京都新宿区富久町2-6
         地図  http://www.to-bi.ac.jp/access/
聴講料 : 1,000円(要申込登録)
主  催 :  株式会社 朗 文 堂
後  援 :  タイポグラフィ学会
         学校法人専門学校 東洋美術学校 産学連携事務局 デザイン研究会アクティ
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今回の講演会では、まず林 昆範著『中国の古典書物』の主要内容を豊富なビジュアルをもちいて再構築しました。

ついで「五体・五筆」とされる篆書・隷書・真書(楷書)・行書・草書の書き分け(書写)をつうじて、竹簡・木簡から、帛(ハク 絹布)、そして紙の登場へと、被書写媒体の変化をつうじて、古典の書物の形成と書体の変化、そしてその発展の歴史に迫りました。
ですから今回の講演会『中国の古典書物』では、活版インキのにおいにかわり、馥郁とした筆墨のかおりが立ちこめる会場になりました。

ついで中国の古典書物、そしてわが国の古典書物の配列方式(レイアウト)が、なぜ右起こしの縦組みとなっていったのかを、実際に竹簡をもちいて書写し、簡冊(竹簡を紐や糸で綴ったもの。慣用的にカンサクとする)に再現することでその謎を解明しました。

林 昆範さんは決して書家ではありません。教育者としての立場のほかに、ご自身のアトリエ、それも活版工房をもたれている本物のタイポグラファでもあります。
その林 昆範さんによって、眼前につぐつぎと書き分けられていく、中国歴代諸王朝の標準書体の墨痕 ── 会場の東洋美術学校にちなんで<東洋> ── と、竹簡にしるされて並べられていく唐詩のアーティスティック・プレゼンテーションを、ご来場者は固唾を呑んでみまもっておられました。

最後はいっきに緊張がゆるんで、著者:林 昆範さんによる『中国の古典書物』の著者サイン会でした。もちろんご持参の毛筆によってしるされました。
「お名前と、ご希望の書体をお知らせください」
林 昆範さんのリクエストに、多くの皆さんは緊張気味ながらも、それぞれのご希望書体でのサイン会。
おひとりは2002年03月25日の初版『中国の古典書物』と、いちぶを改訂して増刷した第二版『中国の古典書物』の双方に、著者の筆によるサインをいただいて大満足のご様子でした。
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【講演会】 林 昆範 『中国の古典書物』増刷版 刊行記念講演会

Web林講演会

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タイポグラフィ講演会   林 昆範 『中国の古典書物』増刷版 刊行記念講演会
Vignette 02 改訂版林 昆範著『中国の古典書物』は、文字の発生期から印刷術の発明へ。悠久の歴史を有する中国の書物の歴史に、気鋭の研究者が挑んだ力作です。
文字と書物は、どのように誕生し、なにを、どのように伝達してきたのか。
ヴィネット02号  『 中国の古典書物 』 林 昆範
ヴィネット06号  『 元明体と明朝体の形成 』 林 昆範
ヴィネット09号  『 楷書体の源流をさぐる 』  林 昆範
ヴィネット10号   『 開成石経 』 共著/グループ昴 スバル
へとつづいた林 昆範 著作シリーズ、最初の02号『中国の古典書物』の改訂増刷版です。

今回の講演会では、同書の主要項目を再構築するとともに、中国の、そしてわが国の古典書物の配列方式(レイアウト)が、なぜ右起こしの縦組みとなっていったのかを、実際に竹簡・木簡をもちいて書写し、簡冊(竹簡・木簡を紐や糸で綴ったもの。慣用的にカンサク)に再現することでその謎を解明します。

また「五体・五筆」とされる篆書・隷書・真書(楷書)・行書・草書の書き分け(書写)をつうじて、竹簡・木簡から、帛(ハク 絹布)、そして紙の登場へと、被書写媒体の変化をつうじて、古典の書物の形成と書体の変化、そしてその発展の歴史に迫ります。
ですから今回の講演会『中国の古典書物』では、活版インキのにおいにかわり、筆墨の馥郁としたかおりが立ちこめる会場になるとおもわれます。
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タイポグラフィ講演会 『中国の古典書物』増刷版 刊行記念講演会
講  師 : 林 昆 範 リン・クンファン
日  時 : 2014年07月02日[水]18:30 - 20:30(ワークショップを含む)
会  場 : 東洋美術学校 D棟一階 学生ホール
162-0067 東京都新宿区富久町2-6
地図  http://www.to-bi.ac.jp/access/
聴講料 : 1,000円(要申込登録)
主  催 :  株式会社 朗 文 堂
後  援 :  タイポグラフィ学会
学校法人専門学校 東洋美術学校 産学連携事務局 デザイン研究会アクティ
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 講師紹介 : 林 昆範 リン クンファン
1967年、台湾・台北市うまれ。 日本大学博士課程芸術専攻修了 芸術学博士。
台湾・中原大学商業設計学科学科長、銘伝大学助教授。
台湾・中原大学助教授、同大学文化創意研究センター主任。
タイポグラフィ学会会員。
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[講演会申込先]
株式会社 朗文堂@メールまで  robundo@ops.dti.ne.jp
件名「タイポグラフィ講演会 中国の古典書物」 お名前・人数・返信用メールアドレスを明記して、06月30日[月]までにご送信ください。 3 営業日以内にお断りの返信が無い場合は受付完了とさせていただきます。 (今回の会場は狭隘です)。
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株式会社 朗 文 堂   鈴木 孝
160-0022 東京都新宿区新宿2-4-9
電 話 03 – 3352-5070
伝 真 03 -3352-5160
email robundo@ops.dti.ne.jp
http://www.ops.dti.ne.jp/~robundo
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Viva la 活版 Viva 美唄 レポート05 山崎洋介さん・日吉洋人さん ほかの会員。

美唄コラム緑uu美唄A3カレッジ修了生展示uu
DSC00211sDSC00203sDSC00333s【テーマ】 活版印刷と歯の健康
【作品名】 『カッ歯ン印刷』
【作者名】 山崎洋介
【版式・技法】 文字:凸版(活字版印刷)
            図版:凸版(樹脂凸版)

山崎洋介さん(活版カレッジ修了)は、歯学博士であり、現在も大学にのこって、助教として勤務しながら、研究を継続されている研究者である。
それでいながら、けっして自己顕示はしないし、謙虚な人柄である。またひとにたいする思いやりにあふれ、すべての行動が闊達かつスマートなひとである。
上掲のふたつの広角風景写真はハカセ山崎による。

《歯 は 命 ―― おっしゃるとおりです》
やつがれ、かつて若気のいたりで、酔っぱらって前歯を一気に4本うしなったが、ここ30年ほど歯科医の世話になったことは無かった。
それが07月中旬の「Viva la 活版 Viva 美唄」のころから、甘いものをたべると歯がしみることがふえた。それをほうっておいたらズキンズキンと痛みがはしった。
なんの因果かしらないが、3連休の初日、土曜日の夕方から耐えられない苦痛にかわった。

痛みに七転八倒、悶絶しているうちに、藁にもすがるおもいでハカセ山崎の顔が脳裡にうかんで、救命 モトイ 治療を依頼しようとおもった。それでもなんとか我慢して、薬局に駆けこみ、痛み止めの薬を数種購入して、ばかばかと服用した。それでも痛みはおさまらず、土・日・月曜日とのたうち回っていた。
連休があけた火曜日の朝一番、予約も無しで、社のちかくの磯山歯科医院に駆けこんだ。

すぐに看護師がレントゲン写真を撮影し、待つことしばし。あのおぞましい椅子に座らせられた。
診察台脇ののモニターには、撮影したばかりのやつがれの歯列の画像が、すでにアップされていた。

「ずいぶん前に、2本の虫歯治療をしていますよ[完璧にわすれていた]。いま痛みがあるのはこれ(レントゲン画像で確認)で、詰めものがとれています。これは治療して金属をかぶせます。
こっち(レントゲン画像で確認)は、もっと虫歯が進行しているので、いずれ痛みがでたら、そのときに抜歯ということにしましょう」
「2本とも、一緒に治療していただけないのしょうか」
「歯は命です。たいせつなものだから、できるだけ抜歯は避けましょう」

取りあえず、錠剤の痛み止めをもらって、明後日の予約をしてそれで終わり。
薬局の売薬と保冷剤の氷湿布では容易には治まらなかった痛みが、ウソのように消えていた。しかしそれから数回の治療が地獄のはじまりだった。
「ハイ、お~おきく口をあけて……」
「ハァ、ハァ」
「ちがう、ちがう。ちがいま~す。呼吸は口からではなく、鼻で呼吸してください」
「ハァ~、ハァ~」

何度もその繰りかえしだった。皆さんはどうであろう。
そもそも、おおきく口をひらくと、自然に気道がひらき、口から呼吸するのが自然ではないのか。ともかく何事にも不器用なやつがれ、おおきく口をあけ、鼻からの呼吸法の治療 モトイ 指導を最初に受けた。
その光景に、小型掃除機というのか、吸引器のようなものをかかえた若い看護師は、なにがおかしいのか知らないが、笑いをこらえるのに必死だった。
それよりやつがれ、カンナだかドリルだかしらないが、ゴ~、ゴリゴリ、ジ~コ、ジ~コと削りとられた歯、すなわち骨の一部か ── の破片が、看護師の吸飲努力にもかかわらず、どんどんノドにはいって、さぁたいへんだった。
ハカセ山崎、歯科診療とは、こんなに苦痛をともなうものでしょうか。
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【テーマ】 活版印刷とデザイン教育
【作品名】 『活字の印刷見本』
【作者名】 日吉洋人
【版式・技法】 文字:凸版(活字版印刷)P1000720uu

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武蔵野美術大学基礎デザイン学科の助手として勤務している日吉洋人さん(活版カレッジ修了、タイポグラフィ学会会員)の意欲的な実験作品、『活字の印刷見本』。

ムサビ基礎Dには小型活版印刷機 Adana-21J が数台あり、欧文活字を中心として、金属活字のサイズ、書体の種類もだいぶ増えてきた。
日吉さんは、助手としての勤務のかたわら、活版印刷をつづけている。また一年余にわたり、毎週一回、黙黙と活字鋳造所に通い、活字鋳造の現場をみてきた。

したがって文字組版は、極力金属活字により、容易には製版凸版をもちいないで、微妙なスペーシングにまでこだわって、活版造形に挑戦している。
今回の組版テキストは、ずいぶん迷った末、ご存知のクラーク博士(William Smith Clark,1826-86)による「Boys, be ambitious 少年よ、大志を抱け」となった。

“Boys be ambitious!. 
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement 
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.”

「少年よ大志を抱け。ただし、金を求める大志であってはならない。
利己的なものを望む大志であってはならない。
名声という浮わついたものを求める大志であってはならない。
人が人として備えなければならぬ、あゆることを成し遂げるために……」
────────
上掲5点の写真は日吉洋人さんの撮影。日吉さんはもっぱらアートギャラリーとアートストゥデイオをいったりきたりしていた。とりわけアートストゥデイオでの「タイポグラフィゼミナール」を積極的に応援されていた。その記録は「動画 Viva la 活版 Viva 美唄」の13:20ころから随所に登場する。

「水の広場」ですそをまくって立つのは、ムサビの同僚、玉井一平さん(活版カレッジ修了)。はるばる九州・福岡からの参加で、おもにアートギャラリーでの「監視員」さん役(本来やつがれの役割だったが……サボった)を担っていただいた。

P1000621uu P1000648uu P1000717uu P1000637uu bibai_452YouTubeに投稿した「Viva la 活版 Viva 美唄」の撮影は、これもはるばる四国・徳島から、黒縁眼鏡、黒衣裳、最新型黒カメラ持参と、黒づくめで参加された川崎孝志さん(新宿私塾修了、タイポグラフィ学会会員)であった。

川崎さんの撮影による動画「Viva la 活版 Viva 美唄」は、安田 侃カン彫刻公園「アルテ ピアッツァ美唄」の緑ゆたかな景観と、「Viva la 活版 Viva 美唄――すばらしき活版、すばらしい美唄」を抒情ゆたかに謳いあげていた。
YouTubeに投稿することなど、ほとんどはじめてのことだったが、うれしいことに何人かの会員からお褒めのことばをいただいた。

逆光ながら「監視員さん」の椅子に3人でかけているうち、右端は押手恒さん(オシテーヒサシ、新宿私塾修了、タイポグラフィ学会会員)。押手さんが「監視員さん」をつとめていたことは、この写真をみてはじめて知った。
ともかく押手さんは、フラ~リ、フワ~と、あらわれては消えるひとであった。

日ごろからそんな具合だから、格別には驚かなかったが、宿も、定山渓温泉、苫小牧と、アナタは北海道の地図をみてこの宿泊地を選んだのか? というような、えらく美唄からは遠隔地に宿泊していたらしい。
そのわりに、飲み会、懇親会などには積極参加して、二次会でのカラオケ絶叫写真までのこっている。奇妙人のひとりといえるかもしれない。

もう一枚「監視員」の椅子に、ドカッと腰をおろしているのは、左:横島大地さん(活版カレッジ修了)、右:真田孝治さん(活版カレッジ修了、新宿私塾修了、タイポグラフィ学会会員)である。

このふたりには、搬入・展示・撤収におおいに力を貸していただいた。また真田さんは、
「大阪市の市長には絶対に負けるな!」
と、妙な激励をうけて、現地速報広報係を担当した。そのために日中はもっぱら短文ブログ(ツイッター)で、美唄での〈Viva la 活版 Viva 美唄〉現地情報を送信しつづけていた。
帰京後知ったことだが、相当の人数のかたが美唄からの真田ツイッター情報によって〈Viva la 活版 Viva 美唄〉の盛況を知っておられたことに驚かされた。

また夜になると、にわかに「アダナプレス倶楽部宴会部」を横島・真田のふたりで結成し、みんなを怪しげな飲み屋に誘惑していた。この「宴会部」の活躍のありさまは、いずれ終末部で報告したい。
──────
というわけで、本来終末部で紹介するつもりであったが、このコラム欄への訪問者が比較的すくない(いずれ誘導するが……)いまのうちに、横島大地/真田孝治の両名が結成した「アダナプレス倶楽部宴会部」二次会編 ── いくら呑んでも2,000円という、石見沢市の怪しげな店「ナポレオン」での、協演(狂宴?)のさわりだけでも紹介しておこう……と、編集子は勝手におもうにいたった。

マイクを持つ指にご注目あれ。会員だけでなく、ついに店のマスターも笑いだした。ようやく気づいたハカセ山崎も爆笑。冒頭で山崎洋介さん(活版カレッジ修了)をこのように紹介した。
山崎さんは歯学博士であり、現在も大学にのこって、助教として勤務しながら、研究を継続されている研究者である。
それでいながら、けっして自己顕示はしないし、謙虚な人柄である。またひとにたいする思いやりにあふれ、すべての行動が闊達かつスマートなひとである。

この一文に訂正はない。しかしである。
みじかくも充実した北海道での最後の夜、宴会部のふたりが設定した「ナポレオン」での二次会で、ハカセ山崎はカラオケのマイクを握った。
そのときの小指をたてた手つきがおかしいと、会員だけでなく、しまいには店のマスターまで笑いだした。最後はハカセ山崎も壊れていたという次第。
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ハカセ山崎のマイクの握りかたがおかしいと、最初に笑いだした小酒井英一郎さん(活版カレッジ修了、タイポグラフィ学会会員)も、まぁ派手にやってくれた。

アダナプレス倶楽部長老会(90歳を筆頭にかなりのメンバーが在籍しているらしい)の、若手支部会員が小酒井さんである。
小酒井さんは、横島・真田の宴会部にのせられるあまり、ナント御年6?歳にして、北海道は石見沢市「ナポレオン」にて、人生はじめてのカラオケ熱唱に挑戦した。曲は梅沢富美男の「夢芝居」。

モニターのポインターを蝶蝶と間違えて,捕蟲網で捉えようとしている!カラオケ熱唱、人生初体験。11時ころにおよそ半数(9人)がホテルに引きあげたが、その後宴会部と小酒井さんら数名は三次会に突入して、それらからのほとんどは、小酒井さんがひとりでマイクを独占して熱唱また熱唱の連続だったと、宴会部のふたりがあきれたように報告した。

またタイポグラフィ・ゼミナールが開催された「アルテ ピアッツァ美唄 アートスペース」は、出入り口の扉がおおきく、開閉のたびに蝶が何匹も突入してきて、来場者やスタッフにまとわりついていた。そのために扉はできるだけ締めておき、室内には捕虫網をもった「虫取り係」をおいていた。

ゼミナールの最中、小酒井さんの動きが不審だと最初に気づいたのは、受付を担当していた田中智子さん。
「小酒井さん、それは蟲じゃない。ちがう、ちがう」
と絶叫した。
なんと小酒井さんは、講師が駆使したパソコンのポインターを蝶とまちがえ、ポインターが画面上をヒラヒラと動くたびに、
「捕ってやるぞ、この蝶蝶めが」
とばかり、しっかり身構えていたのである。

Viva la 活版 Viva 美唄レポート12 エピローグ タイポグラフィ・ゼミナールの報告+ご後援者:タイポグラフィ学会の記録

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《Viva la 活版 Viva 美唄ではふたつの講演会と、常時各種の活版ゼミナールを開催しました》
「アルテピアッツァ美唄」は、地元の北海道美唄市出身で、世界的な彫刻家として知られる、安田 侃ヤスダ カンさんがいまなお創り続ける、大自然と彫刻が相響した野外彫刻公園であり彫刻美術館です。
「アルテ ピアッツァ美唄」はまた、自然と人と芸術のあたらしいありかたを模索し、提案し続け、訪れる人びとに、自分の心を深く見つめる時間と空間を提供している素晴しい施設です。P1000622uuP1000606uuP1000656uuP1000670uuP1000767uuP1000669uuP1000788uu

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このような素敵な環境にある「アルテ ピアッツァ美唄」の、「アート・ストゥディオ」と「アート・ギャラリー」の一画をお借りして、〔Viva la 活版 Viva 美唄 ── すばらしき活版、すばらしい美唄〕では、各種ゼミナールと、活版カレッジ有志による活字版印刷作品を中心とした展示をおこないました。

皆さまもこれを機会に、お気に入りの書物を一冊持って、北海道美唄の地「アルテ ピアッツァ美唄」にお出かけください。そして彫刻と自然が織りなすシンフォニーの中で、のんびりと読書や思索に耽ったり、大切な人とのゆっくりしたひとときを過ごしたりしてください。真の造形活動や、こころ豊かな人生について見つめなおすために必要な、贅沢な時間と空間がそこにはあります。

 《Viva la 活版 Viva 美唄 全体記録》
【会 期】  2013年7月13日[土]―15日[月・祝] 9:00―17:00
【会 場】  ARTE PIAZZA BIBAI アルテピアッツァ美唄
アート・ギャラリーおよびアート・ストゥディオ
北海道美唄市落合町栄町   http://www.artepiazza.jp/
【入場料】 無  料
【主 催】   朗文堂 アダナ・プレス倶楽部
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◎ 07月13日[土]
10:00―12:00 「メディアと活版印刷──活版印刷のあらたな挑戦」
朗文堂/片塩二朗
わが国への活字版印刷術導入の歴史から未来展望までを学ぶ講座です。

今回の〔Viva la 活版 Viva 美唄〕では、片塩二朗と堀内 剛両氏の講演会を設けましたが、その講演時間の設定を10:00-12:00としていました。
これは現地で経験してわかったことですが、北海道の中心はやはり人口190万余の札幌市で、そこから90数キロ離れた美唄市アルテ ピアッツァ美唄へのアクセスは、必ずしも便利とはいえず、電車とバスを乗り継いでご来場されたかたは、一時間半ほどかかり、高速道路経由でも一時間ほどかかります。

そのために講演開始の10時に会場入りされるためには、せっかくの休日に早起きして、8時頃には札幌のご自宅を出発ということになっていました。したがって講演の最終部になってからが満席という状態で、ご聴講の皆さんにも、講師のかたにもご迷惑をおかけしました。これは主催者としての反省事項となりました。
それでもご熱心な参加者が、札幌を中心に多数駆けつけてくださったことはうれしいことでした。
ふたつの講演会にあわせて、ご来場者には活字版印刷機 Adana-21J を使って、記念カードの印刷体験も行っていただきました。
美唄ゼミuu_ページ_01uu 美唄ゼミ用uu_ページ_02uubibai_400uu bibai_414uu bibai_409uu13:00―14:30 「欧文活字と花形活字でつくるオリジナルレターセット」
アダナ・プレス倶楽部
花形とアルファベットの活字を使って、名前入りの素敵なオリジナルレターセットをつくりました。
便箋10枚と封筒5枚に銀色のインキで印刷しました。

15:00―16:30 「欧文活字と花形活字でつくるオリジナルレターセット」
アダナ・プレス倶楽部
花形とアルファベットの活字を使って、名前入りの素敵なオリジナルレターセットをつくります。
便箋10枚と封筒5枚に銀色のインキで印刷します。

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《活版実践ゼミナールの模様は、動画YouTube 16:19 でお楽しみください》
小型活版印刷機 Adana-21J をもちいての〔活版実践ゼミナール〕は、3日間にわたる会期中に随時開催されていました。その模様の詳細は、会員:川崎孝志さん製作の動画を YouTube に投稿してありますので、そちらでご覧ください。
全体で 16:19 の画像ですが、04:10 あたりから〔活版実践ゼミナール〕の様子が収録されています。

http://youtu.be/QK3Ygg7JV4Q

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◎ 07月14日[日]
10:00―11:30 「起農への挑戦 〇(まる)をもらえる野菜づくり」
まるほり野菜園/堀内 剛
アダナ・プレス倶楽部では、活版印刷と同様に、農業もたいせつなものづくりと考えています。そんな身体性をともなった「ものづくり」の根幹をなす「農」と「食」について、北海道夕張郡由仁町で、あらたに野菜園「まるほり野菜園を起業した堀内剛さん」に講演をしていただきました。
講演とあわせて、堀内さんが育てたトマトの試食と、お土産のトマトの配布(先着順)も実施しました。

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15:00―16:30 「欧文活字と花形活字でつくるオリジナルレターセット」
アダナプレス・倶楽部
花形とアルファベットの活字を使って、名前入りの素敵なオリジナルレターセットをつくりました。
便箋10枚と封筒5枚に銀色のインキで印刷しました。
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◎ 07月15日[月・祝]
10:00―12:00 「活版印刷で記念カードを印刷しよう」
アダナ・プレス倶楽部
活字版印刷機 Adana-21J を使って記念カードの印刷を体験していただきました。
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《ご後援をいただいた タイポグラフィ学会の記録》
〔Viva la 活版 Viva 美唄〕には、タイポグラフィ学会のご後援をいただきました。
そのおかげで、タイポグラフィ学会北海道在住の会員のご参加があり、イベントを有意義なものとしていただきました。また多くのタイポグラフィ学会員にご来道いただきました。ありがとうございました。
ここにタイポグラフィ学会の展示の一部をご紹介いたします。
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《エピローグ  本2014年、Viva la 活版 ── すばらしき活版展は、鹿児島で開催いたします》
本年の〔Viva la 活版 ── すばらしき活版展〕の会場と開催時期に関するご報告です。
本年は北の大地から一転して、焔をふきあげる活火山・桜島のちかく、南の鹿児島を会場として、11月初旬の開催に内定いたしました。皆さまの積極的なご参加とご来場をお待ち申しあげます。
この詳細は、これからもニュース欄、コラム欄の双方で随時お知らせいたします。
いざ駆けなん。この丘の向こうにはおおきな可能性がひろがっているから!