今回は新機種 Salama-21A の初登場もあって、いっときは狭い会場が大混雑の様相を呈しました。
また昨年から、アダナ・プレス倶楽部は東京でのイベント《活版凸凹フェスタ》を中断して、全国縦断イベント《Viva la 活版》シリーズを展開中です。そのために久しぶりに拝見する懐かしいお顔もおおく、両日とも展示・販売会というより、さながら、活版造形者の皆さまとの、心弾む交流会の様相を呈しておりました。
活版ルネサンスの歩みの、たしかな手応えを感じさせていただいた二日間でした。
簡略紹介はアダナ・プレス倶楽部ニュース欄でご報告いたしましたが、「交流会」のたのしい様子は、ここ〈 活版アラカルト 〉コーナーで紹介いたします。 《初日:04月29日、写真撮影タイムは、お客さまの足が途切れたときでした》 両日とも、お客さまの足は途絶えること無くつづきました。接客時間中は写真撮影担当者もそれどころではありません。ようやく一区切りついたとき、「そうだ! 撮影だ。カメラ、カメラ」となります。 初日は6?歳にしてにわかにカラオケに目覚めた小酒井英一郎さんが大活躍。
そしてたそかれどきからは、南米音楽の専門家 ケペル木村 さんもご来場いただき、活版談義はサンバとボサノバのリズムにのせて、あつく盛り上がっておりました。 ────── 以下の写真は、アダナ・プレス倶楽部会員/山口久美子さん提供 《二日目:04月30日、アダナ・プレス倶楽部会員の皆さまと、Viva la 活版 Viva 美唄参加者のあつい交流会》 二日目はあいにくの肌寒くてときおり小雨交じりの一日でした。こんな日は熱心な会員の皆さんが中心となり、〈Viva la 活版〉のおもいでばなしと、ことしの〈Viva la 活版〉の企画に話題が集中します。連休後半に最後の詰めの打ち合わせをおこない、まもなく、ことしの〈Viva la 活版 ???? ????〉の詳細を発表できるかと存じます。当然撮影はいったん中止です。
そんななか、黙黙と2時間余にわたってイギリスの活版事情の動画をごらんになり、さらに〈アダナランド国王陛下 VS アダナ・プレス倶楽部〉との交流記録を熱心にご覧になっていたのが「溝活版:横溝健志さん」でした。横溝さんは母校:武蔵野美術大学で長年教授職にあり、現在は同校の名誉教授でいらっしゃいますが、けっして偉ぶることはなく、後進の若者たちとあつく活版造形をかたられておられました。
そしていつのまにか山積みになっていた資材も減って、次回の〈活版ルネサンス〉と、〈Viva la 活版〉イベントに話題が移っていきました。
《火の精霊サラマンダーとフランス国立印刷所》 朗文堂ニュース、アダナ・プレス倶楽部ニュースの双方で、「火の精霊サラマンダーとフランス国立印刷所」の奇妙な歴史を紹介してきた。それに際してフランス国立印刷所刊『Étude pour un caractère : Le Grandjean』を画像YouTubeに投稿して紹介してきた。
トランジショナル・ローマン体とされる、「王のローマン体 ローマン・ドゥ・ロワ」に関する資料は、もともとフランス王立印刷所の専用書体であり、それだけに情報がすくなく、わが国ではほとんど紹介されてこなかった。 書物としての 『Étude pour un caractère : Le Grandjean』 はおおきなサイズであり、銅版印刷、活版印刷、箔押しを駆使した限定60部の貴重な資料である。しかしながら周辺資料に乏しく、厄介なフランス語であり、大きすぎるがゆえにコピーもままならない。 そのためにできるだけ資料を公開し、もし意欲的に「ローマン・ドゥ・ロワ」を研究テーマとされるかたがいらしたら、できるだけの便宜をはかりたいとかんがえている。 【画像紹介:YouTube 3:53 『Étude pour un caractère : Le Grandjean』】
王のローマン体〔ローマン・ドゥ・ロワ Romains du Roi 1702〕と 活字父型彫刻士 フィリプ・グランジャン〔Phillippe GRANJEAN 1666-1714〕
〔取材・撮影・仏語翻訳協力:磯田敏雄氏〕
王のローマン体、「ローマン・ドゥ・ロワ Romains du Roi ロァとも」と呼ばれる活字書体は、産業革命にわずかに先がけ、それまでの活字父型彫刻士という特殊技能士による視覚と手技だけに頼るのではなく、活字における「数値化」と、幾何学的構成による「規格化」をめざしてフランスで製作された。 それは後世、オールド・ローマン体からモダン・ローマン体へと移行する時期の活字、すなわち「過渡期の活字書体 Transitional typeface, Transitional roman」とされた。
ローマン・ドゥ・ロワの誕生には、16-18世紀フランスの複雑な社会構造が背景にあった。1517年、マルティン・ルターによる『95箇条論題 独: 95 Thesen』に端を発した宗教改革の嵐は、またたくまに16世紀の全欧州にひろがった。やがてカソリック勢力からは、新興勢力のプロテスタントを押さえ込もうとする巻きかえしがはじまった。 フランスでもプロテスタント勢力を排除・抑圧するためのさまざまな対策が講じられた。そのはじめは、フランス王ルイ13世(Louis XIII、1601-43)の治世下で、枢機卿リシュリュー公爵(Armand Jean du Plessis, cardinal et duc de Richelieu, 1585-1642)が、1640年ルーブル宮殿内にフランス王立印刷所Imprimerie Ryyal を創設したことである。 その目的は、国家の栄光を讃え、カトリック教をひろめ、文芸を発展させることにあった。一方で、文化政策にも力を注ぎ、1635年には「フランス語の純化」を目標に「アカデミー・フランセーズ l’Académie française」を創設した。
メンバーの学識はゆたかだったが、必ずしも印刷と活字の専門家とはいえなかった。かれらは手分けして、 「われわれはすべての事柄を保存する必要がある。まず技芸からはじめる。すなわち印刷術の保存である」(『王立アカデミーの歴史 Historie de l’Academie royale des Sciences』)として、印刷所・活字鋳造所・活字父型彫刻士・製紙業者・製本業者などの工場をおとづれて、取材をかさねたり、わずかな斯界の既刊書を読んでいた。数学教育者のジャック・ジョージョンは以下のように記録されている。 「消え失せた言語と、生きている言語など、あらゆる言語のキャラクターを集めた。また天文学・科学・代数学・音楽など、ある種の知識にだけ必要な、特殊キャラクターを集めていた」
結局のところ、アカデミー・フランセーズは、小委員会のほかにニコラ・ジョージョン Nicolas Jaugeon を中心にあらたな技術委員会を結成して、現実的な活字書体の研究に着手することになった。
ジョージョンの意図はアカデミーの意向を受けて、活字における徹底した「数値化」と、幾何学的構成による「規格化」にあるとした。 ジョージョン技術委員の3名は、視覚と経験にもとづく彫刻刀にかえて、定規とコンパスをもちいて、精緻な活字原図を書きおこした。そしてその活字原図は、アカデミーのたれもが理解できるように、大きなサイズの銅版に彫刻され、少部数が銅版印刷された。銅版彫刻士はルイ・シモノーであった。 このあたらしい活字書体は、この段階で「王のローマン体 ローマン・ドゥ・ロワ」の名称をあたえられた。しかし銅版印刷物からは、書体の「鑑賞と観察」はできても、実際の活字として完成するまでにはもう少しの、そしておおきな努力が必要だった。 ──────── フィリップ・グランジャン(Philippe Grandjean 1666–1714)は、若い頃から活字鋳造と活版印刷に関心をいだいて、パリにでてきていた。ルイ14世にグランジャンの活字父型彫刻士としての能力を推薦したのはルイ・ポンチャートレイン(Louis Pontchartarain 1643-1727)とされる。その卓越した技倆は「フランス王立印刷所 Imprimerie Ryyal」のディレクター、ジャン・アニゾン Jean Anisson も認めるところとなった。
グランジャンはアカデミーの命をうけて「王のローマン体 ローマン・ドゥ・ロワ」の活字父型彫刻に、1694-1702年の8年余にわたって集中した。最終的には「王のローマン体 ローマン・ドゥ・ロワ」は、21のサイズと、アップライト・ローマン体とイタリック体が完成したが、その事業はグランジャン一代で終わることはなく、アシスタントだったジャン・アレキサンダー Jean Alexandre と、さらにルイス・ルース Louis Luce に継承されて完成をみた。
「王のローマン体 ローマン・デュ・ロワ」には、フランス国王ルイ14世と「フランス王立印刷所 Imprimerie Ryyal」の権威を保証するメルクマールが付与されている。それはフランス王ルイ14世 Louis XIVのイニシャル、小文字の「l エル」の左側面のちいさな突起である。この突起の有無が、真正「ローマン・ドゥ・ロワ」を保証した。
「王のローマン体 ローマン・デュ・ロワ」は法による保護のもとに、フランス王立印刷所、そして現代ではフランス国立印刷所における、誇るべき占有書体としての地位を、いまなおゆるぎなく保持している。 それでも18世紀から、このあたらしい活字書体は、「l」の突起部の有無をふくめて、多くの摸倣書体をうんできた。なかんずく ピエール・シモン・フルニエ P.S.Fournier と、フランコ・アンンブロース・ディド P.F.Didot らのフランスの活字鋳造者であり、かれらの活字書体は、ひろく民衆のあいだに流布して「過渡期のローマン体Transitional roman」と呼ばれて親しまれている。 ◎ 参考資料: Type designers : a biographical deirectory, Ron Eason, Sarema Press, 1991 Studies for a Type, James Mosley ── 本書の解説文:翻訳協力/河野三男氏
したがって文字組版は、極力金属活字により、容易には製版凸版をもちいないで、微妙なスペーシングにまでこだわって、活版造形に挑戦している。
今回の組版テキストは、ずいぶん迷った末、ご存知のクラーク博士(William Smith Clark,1826-86)による「Boys, be ambitious 少年よ、大志を抱け」となった。
“Boys be ambitious!.
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.”
《Viva la 活版 Viva 美唄は、2013年の初夏、7月13日[土]-15日[月・祝]にかけて開催されました》
2013年07月11日[木]、〔Viva la 活版 Viva 美唄〕先乗り込み組、北さん、片塩、大石の3名が、成田空港から Air Asia JW8527便で出発しました。
別の便で小野さん、石田さんも札幌入り。
この5名と、前日先乗りこみ組の横島さん、真田さん(この2名は宴会部を兼任担当)らが中心となって12日[金]に美唄入りして、会場設営、展示設営にあたりました。 ────────
最初に札幌入りされたのは北海道出身の小野さん。その小野さんと合流して、空港からほど近い千歳市内の「札幌ジンギスカン」で、北海道名物ジンギスカン料理を満喫しました。その報告は〔Viva la 活版 Viva 美唄レポート09〕にあります。