カテゴリー別アーカイブ: 朗文堂

【朗文堂ブックコスミイク】 好評既刊書 古谷昌二『平野富二伝-考察と補遺』 平野富二生誕170年祭

バーナー c744292ca56cacab6da941241b982f44[1] 平 野  富 二
長崎新塾出張東京活版製造所/有限責任東京築地活版製造所 創設者
石川島平野造船所/有限責任石川島造船所(現 IHI) 創設者
明治産業近代化のパイオニア 生誕170年
弘化03年08月14日-明治25年12月03日 1846. 08. 14-1892. 12.03 享年47
平野表紙uu[1]
平野DM表 平野DM裏『平野富二伝-考察と補遺』 フライヤー PDF 13.93MB 
朗文堂コスミイク 既刊書案内

【新宿私塾】 新宿私塾第31期順調に進行中──第32期受講生先行予約受付開始

私塾31期順調 Web31期入塾2 31期カリキュラム表紙たくさんの種子をつけたピラカンサス ひめやかに花をつけ豊かに薫る金木犀《 新宿私塾第31期、さわやかな秋の風のなか、意欲満満でスタートしました 》
ことしの夏は酷暑・猛暑の日日でしたが、晩夏になると天候不順の毎日がつづきました。
そんな日日のなか、09月26日[火]、新宿私塾第31期がスタートしました。

10月に入ると突然の解散・総選挙があり、同時にふたつの颱風が日本列島を駈けぬけていきました。
それでも霜月・11月をむかえたいまは、隣接する新宿御苑の遊歩道にはピラサンサがたわわに実り、金木犀のかおりがかすかにただよい、新宿私塾の教場は熱気をおびています。
DSCN4355resized DSCN4365resized[第3回講座 講師 : 木村雅彦さん] みずから採拓したトラヤヌス帝の碑文の拓本(AD114年)と、著作『ヴィネット01 トラヤヌス帝の碑文がかたる』をもとに、ローマ大文字の成立と、スウァンハイム、ダ・スピラ7、ニコラ・ジェンソンなどの活字をほとんど実際の印刷物からさぐり、現代への展開をはかるもっとも基礎的な講座です。

河野三男さん01resized 河野三男さん02[第4回講座 講師 : 河野三男さん]  講義:欧文書体を学ぶ-欧文書体の系譜・分類・部分名称。大量のオリジナルデーターと、副読本『欧文書体百花事典』をもとに、ブラックレターから近代活字までの歴史を俯瞰するもっとも基礎をなす講座です。
DSCN4606resized DSCN4618resized[第6回フィールドワーク] 株式会社理想社(田中宏明さん)。理想社は1921年(大正10)年創業の書籍印刷を中心とする名門印刷所です。
創業時は秀英舎系の組版所でしたが、三代96年におよぶ風雪に耐え、図書づくりに専念してきた同社から学ぶところはたくさんあります。土曜日午後のフィールドワークとして新宿私塾開設以来協力をいただいています。
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私塾32期生募集新宿私塾第32期は来年04月から講座開始。来年09月までの開講が予定されています。
詳細スケジュールは現在のところ未定ですが、基本的に毎週火曜日、午後6時30分から9時40分が講座開設日時となります。
全25回の講座のうち、土曜日に設定されるフィールドワーク、特別講座が 2 回予定されています。
講義内容は現在開講中の第31期とほぼ同様です。
カリキュラム、受講料などの詳細は〔新宿私塾のウェブ〕でご覧いただけます。
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入塾ご希望の方は、下記メールにご連絡をお願いいた します。メール受付順の入塾とさせていただきます。
◯ 朗文堂タイポグラフィスクール 新宿私塾
担当 : 鈴 木  孝  
robundo@ops.dti.ne.jp   » send email
件名/新宿私塾 第32期申し込み
   お名前(ヨミガナ)、送付物宛先住所、電話(携帯可)
その後の手続きは、メールをいただいたのちご連絡いたします。
そのほかに新宿私塾に関してのご質問などがある方は 電話連絡 (担当:鈴木 03-3352-5070)をしてください。
【 詳細データ : 新宿私塾

【新宿私塾】 新宿私塾第30期 無事に終了しました

私塾30期終了

30期修了_01 30期修了_02

いつものことですが、出あいはうれしく、別れはさびしいものです。
<新宿私塾 第30期>は、桜花爛漫の2017年04月04日に開講し、爽秋の09月12日、10名全員が無事に課程を修了し、おおきく成長して羽ばたいていきました。
最終講座を終え、これからは<新宿私塾修了生>の一員となった塾生の諸君は、わかれがたいおもいがあったのか教場での談笑がつづき、やがて「新宿私塾第30期塾生会」で、新宿の町に消えていきました。
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<新宿私塾>は毎回全25講座が開講されますが、「造形のよろこび」、「身体性をともなった造形のよろこび」をモットーとしています。 
同時に<新宿私塾>では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 の三領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。 それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともないます。
新宿私塾30期表紙ことしはどうしてか、長雨・猛暑・酷暑・連続する集中豪雨と、天候不順の日がつづきました。

幸い最終日の09月12日は、秋晴れの晴天にめぐまれ、前半を有馬智之さん、後半を真田幸司さんの担当講座が展開しました。
このおふたりとも新宿私塾修了生とあって、最終日の講座はなごやかで充実したものとなり、また定刻ピッタリで終了するご配慮をいただきました。
千星健夫さん 上野隆文さん 真田幸治さんすべての講座の終了後、塾生諸君は時計を気にしながら、しばしのお別れに際してメアドの交換を急ぎ、同期会の幹事をきめて再会を約しての別れとなりました。
造形界にはきびしい逆風がみられる昨今ですが、それにめげず、新宿私塾30期修了生の皆さんは大きく羽ばたいて旅だちました。
ときおり、いつも、どこかでお会いできますよね。
そしてまた、いつでも新宿私塾の教場をお訪ねいただき、おおきく成長した<新宿私塾第30期修了生>の皆さんのお姿を拝見したく存じます。

{ 新宿私塾 文字壹凜Summary

【会員情報】 装本設計士・戸田勝久さん ─ 『丹波布復興の父 金子貫道』滝川秀行著 神戸新聞総合出版センター刊 「正調明朝体 金陵」で製作

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正調明朝体の書物の完成のお知らせ――

戸田 勝久

「正調明朝体 金陵」を購入した神戸の戸田 勝久です。
ページナンバーと連載ナンバーのみは違いますが、
本文のすべてに
「正調明朝体 金陵」を使った初めての書物
『丹波布復興の父 金子貫道』滝川秀行著 神戸新聞総合出版センター刊が
できあがりました。
品のある仕上がりになりました。
これからも多用しそうです。
画像を添付しますのでご覧ください。― 戸田 勝久
正調明朝体「現代明朝体」の多くには、近代化の名のもとに機械メスや電子メスが自在にはいって直線化がすすみ、水平線と垂直線ばかりが目立って、すっかり四角四面の硬直した活字書体になってしまいました。
そんな「現代明朝体」から人間味をとりもどしたいあなたに、あるいは奇形や媚態をみせるデザイン書体にはすでに飽いたとおっしゃるあなたのために、明朝体の端正にしてもっとも原型にちかい木版字様を復刻した正調明朝体「金陵」をおすすめします。

【タイプコスミイク 正調明朝体 金陵 】
[PDF] type cosmique 見本帳 (17.3MB) }
戸田05 戸田06 戸田07 戸田09 戸田10

【新宿私塾】 新宿私塾第29期 無事に終了しました

!cid_F771F2F9-C44C-42AE-A3B8-15A2815A26DB 29期終了_塾生 いつものことですが、出あいはうれしく、別れはさびしいものです。
<新宿私塾 第29期>は、金木犀のかおりが新宿御苑からかすかにただよう、2016年09月27日に開講し、梅の香ただよう早春の2017年03月14日、全員が無事に全課程を修了し、おおきく成長して羽ばたいていきました。
最終講座を終え、これからは<新宿私塾修了生>の一員となった塾生の諸君は、わかれがたいおもいがあったのか教場での談笑がつづき、やがて再開を約して新宿の町に消えていきました。 金木犀[1]新宿私塾29期risized──────────
<新宿私塾>は毎回全25講座が開講されますが、「造形のよろこび」、「身体性をともなった造形のよろこび」をモットーとしています。
同時に<新宿私塾>では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 の三領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。
それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともないます。 新宿私塾29期カリキュラム resized長いようで短かった半年間でした。ここのところ天候不順がつづき、きびしい残暑があり、秋の颱風が大暴れをし、寒波がなんども襲来しました。
最終講座の03月14日も肌寒い日でしたが、山本太郎さんによる特別講座:アプリケーション生成現場からと題する熱い講義がつづきました。 山本_129期終了講座終了後、塾生諸君は時計を気にしながら、しばしのお別れに際してメアドの交換を急ぎ、同期会の幹事をきめて再会を約しての修了となりました。 造
形界にはきびしい逆風がみられる昨今ですが、新宿私塾29期修了生の皆さんは大きく羽ばたいて旅だちました。

【新宿私塾】 第29期順調に進行中-新宿私塾修了の俊英・若手の講師陣紹介

!cid_4FB37547-4D75-4196-8850-D2B82EB5ED8A 「新宿私塾 」 は タイポグラフィをまなぶための、ちいさな教育機関です。
書物と活字づくり、すなわち「タイポグラフィ」の 650 年におよぶ魅力的な歴史をまなび
本格的なタイポグラフィの教育と演習を通じて
あたらしい時代の要請に柔軟に対処する能力を身につけた
タイポグラフィの前衛を養成します。

★       ★      ★      ★

《新宿私塾 第29期 第17回講座 有馬智之さん》DSCN9311 DSCN9307 DSCN9296 有馬トモユキ-1024x794[1]<講師紹介 : 有馬トモユキ デザイナー>
1985年長崎県生まれ。青山学院大学経営学部卒。 タイポグラフィスクール「朗文堂 新宿私塾」第9期を修了し、現在は新宿私塾講師。
複数の企業を経て、日本デザインセンターに合流。グラフィック、Web,  U I 等複数の領域におけるデザインとコンサルティングに従事している。
その傍ら TATSDESIGN 名義で商業コンテンツ作品とそのプロモーション活動を実施。音楽レーベル「GEOGRAPHIC」クリエイティブディレクター、SF レーベル「DAISYWORLD」主宰。
主な仕事に「ハヤカワSFシリーズJコレクション」装丁デザイン、TVアニメ『アルドノア・ゼロ』アートワークなど。
タイポグラフィを軸としつつ、対象に深くアプローチするデザインを得意とする。車好き。

著書:『いいデザイナーは、見た目の良さから考えない』(星海社)
【 関連URL : TATSDESIGN URL  / 星海社URL

《新宿私塾 第29期 第18回講座一 千星健夫さん》 DSCN9531 DSCN9537 DSCN9541 af80b86391610d415956227649237bfd-213x300[1]<講師紹介 : 千星健夫 Takeo Chiboshi  デザイナー>
1976年、兵庫県生まれ。

社会人向け専門学校の営業職からデザイナーに転身するという勘違いした経歴をもつ。
GRAPHIC・WEB・PRODUCT と ジャンルをはみ出したデザインを手け
PHOTOGRAPHY・LETTERPRESS(活版印刷)も自らおこなう器用貧乏プレイヤー。
デザイン事務所勤務を経て、2014年「NECKTIE design office」を立ちあげる。
新宿私塾第21期修了・現在新宿私塾講師、活版カレッジ修了
[ URL : NECKTIE design office
[ 活版 à la carte : 造形者・千星健夫 NECKTIE design office 移転を期に新企画商品・作品を続続と発表

《新宿私塾 第29期 第18回講座二 深津貴之さん》 深津貴之_1 深津貴之_2<講師紹介 : 深津貴之 Takayuki Fukatsu Interactive Designer>
大学で都市情報デザインを学んだ後、英国にて2年間プロダクトデザインを学ぶ。
2005年に帰国し、thaに入社。2013年、THE GUILDを設立。Flash/Interactive関連を扱うブログ「fladdict.net」を運営。
現在は、iPhoneアプリを中心に UI デザインや Interactive デザイン制作に取り組む。
新宿私塾第15期修了・現在新宿私塾講師
[URL : THE GUILD

《新宿私塾 第29期 第19回講座 イム・ジョンホさん》 イム氏講義_2017.2.7-1 イム氏講義_2017.2.7-2<講師紹介 : イム・ジョンホ Jeong-ho Im  Art director >
わたしたち「mount」は、広告の一環としてのキャンペーンサイト、商品の魅力を伝えるためのプロモーションサイト、企業の情報サイト、ファッションブランドのオンラインショップなどのウエブサイト制作を中心に、映像、プリントなど、さまざまなモノを制作しております。
新宿私塾第11期修了・現在新宿私塾講師
[ URL : mount ]

【Viva la 活版 ばってん 長崎 Report 21】 長崎県印刷工業組合アルビオン型手引き印刷機一号機復旧再稼働成功報告。愈〻研究本格展開

長崎印刷組合年賀アルビオンうれしい年賀状をいただいた。
既報のとおり、昨二〇一六年九月二日、「本木昌造墓前祭」にあわせ、長崎県印刷工業組合所蔵「アルビオン型手引き印刷機一号機」が同組合で復旧され、稼動実演をみた。
同機は大阪・片田鉄工所、明治30-40年ころの製造とみられる百年余も以前の印刷機。

もう一台の「アルビオン型手引き印刷機二号機」、東京築地活版製造所・大阪活版製造所の銘板が表裏に鋳込まれた印刷機は、明治20年代の製造と推測されるが欠損部品が多い。
ところが一号機の復旧をみて、こちらの二号機にも復旧の動きがあると仄聞する。
近代活字版印刷発祥の地、長崎印刷人の意地と底力を見るおもいがする昨今である。
長崎タイトルresize-627x108[1]DSCN6689-627x470[1] 切りぬき01-627x627[1] 切りぬき02-627x627[1]

《 熱意が通じました! イベントから四ヶ月後「本木昌造墓前祭」で復元修復報告と実演 》
長崎県印刷工業組合所蔵「アルビオン型手引き印刷機 一号機」(大阪・片田製造所製造)、同二号機(天板両面に東京築地活版製造所、大阪活版製造所の銘板が鋳込まれている。推定明治20年代製造)は、その由来、存在意義、価値などの詳細が明らかでないまま、同館三階収蔵庫にいつのころからか放置されていた。

19世紀の終わりのころから、長崎にのこされた本木昌造由来の活字を復元しようとする気運があった。その際収蔵スペースが問題となり、スペース確保のために収蔵庫を整理して、前述の「アルビオン型手引き印刷機」二台を処分して展示室にしようとするという話題がもちあがったことがあった。

若気のいたりであったのかもしれない・・・・・・。
まことに余計なことながら、このうわさをを耳にして、当時の専用ワープロをたたいて、「アルビオン型手引き印刷機」二台の保存と再生をつよく訴えたことがあった。
その専用ワープロのデーターはやつがれの手もとではすでに消滅していたが、長崎の印刷組合で紙媒体でしっかり保管されていた。そして再稼働にあたって、その保管文書をもとに二台の印刷機の由来、存在意義、価値を説明する小冊子をつくりたいとの申し出をいただいた。
大慌てで一部の語句を修整し、資料補強をなしたが、いかんせん時間がなかった。そのため一部に重複もみられるが、その一部を紹介したい。

20160914163731_00001[1]☆      ☆      ☆     ☆

長崎県印刷工業組合所蔵
アルビオン型手引き印刷機

モノとコトの回廊
アルビオン型手引き印刷機とは

「手引き印刷機 Hand press」とは、「手動で操作する印刷機の総称」である。
一般にはグーテンベルクがもちいたと想像される印刷機のかたちを継承したもので、水平に置いた印刷版面に、上から平らな圧盤を押しつけて印刷する「平圧式」の活版印刷機の一種とされる。
そのため厳密には手動式であっても、Salama-21A や テキンなど、印刷版面が縦型に設置される「平圧印刷機 Platen press」とは区別されている。

グ-テンベルクの木製手引き印刷機(1445年頃)は、ブドウ絞り機をヒントに考案された木製の「ネジ棒式圧搾機型印刷機 Screw press」であったとされるが、その活字や鋳造器具と同様に、印刷機も現存していないため、あくまでも想像の域を出ない。

現存する最古の手引き印刷機としてぱ、ベルギーのアントワープにある、プランタン・モレトゥス・ミュージアムや、イタリアのパルマ宮殿にあるジャンバティスタ・ボドニ(1740-1813)博物館の木製手引き印刷機の存在が知られている。
またアメリカの政治家として知られるベンジャミン・フランクリン(1706-90)も、木製手引き印刷機をもちいて印刷業を営んでいたことが知られている。

グーテンベルクの木製活版印刷機の時代からその後350年ほどは、細部に改良が加えられたものの、1798年にイギリスのスタンホープ伯爵が、総鉄製の「スタンホープ印刷機」を考案するまでは、活版印刷機の基本構造そのものには大きな変化はなかった。
その後に開発された著名な手引き印刷機としては、「コロンビアン印刷機」、「アルビオン印刷機」、「スミス印刷機」、「ラスペン印刷機」、「ワシントン印刷機」、「八-ガー印刷機」(以上年代順)などがあげられる。

フィギンス社アルビオン写真の活版印刷機は、イギリスの活字鋳造所フイギンズ社による1875年製のアノレビオン型手引き印刷機である(Lingua Florence 所蔵)。
本機は印刷機としての実用面だけでなく、19世紀世紀末のアーツ・アンド・クラフツ運動、アール・ヌーヴォなどの新工芸運動の影響をうけて、アカンサスなどの植物模様が描かれ、金泥塗装の多用、猫脚の形態などに装飾の工夫がみられる。
「アルビオン Albion」とは、ちょうどわが国の古称「やまと」と同様に、イングランドをあらわす古名(雅称)である。ラテン語の「白 Albus」を原義とし、ドーバー海峡から望むグレートブリテン島の断崖が、白亜層のために白く見えることに由来する。

アノレビオン印刷機は、これに先んじてアメリカで考案された「コロンビアン印刷機」を改良した印刷機である。
アメリカ大陸の古名「Columbia」の名をもつ「コロンビアン印刷機」は、1816年頃にクライマーによって考案され、加圧ネジをレバー装置に置き換え、圧盤をテコの応用で楽に持ち上げるためのオモリがアメリカの象徴である鷲の姿をしている。

「アノレビオン印刷機」は、この「コロンビアン印刷機」をもとに、圧盤を重いオモリにかえて、頭頂部に内蔵されたバネで持ち上げるなどの改良を加え、1820年頃リチャード・W・コープ(?-1828)によって考案された。
またコープ社の閉鎖後も格段の規制をもうけられなかったために、キャズロン社、フィギンズ社などが、独自の工夫を加えながら大小様様な同型機の製造を続けていた。

産業革命を経た19世紀末の英国では、すでに蒸気機関などの動力による大型印刷機が
商業印刷の主流であったが、アーツ・アンド・クラフツ運動を牽引したウィリアム・モリスは、手工藝再興の象徴として、手動式で装飾的なアルビオン型印刷機をもちいていた。また、石彫家にしてタイポダラファでもあったエリック・ギルも同型機をもちいていた。

20160523222018610_0004『Book of Spesimens  Motogi & Hirano』
(平野富二活版製造所 推定明治10年 平野ホール蔵)

わが国でも「アノレビオン型印刷機」とのつきあいはふるく、明治最初期に平野富二が率いた東京築地活版製造所、江川次之進による江川活版製造所などの数社によって、アノレビオン
型の手引き印刷機が大量につくられていた。
また明治09年、秀英舎(現・大日本印刷)の創業に際してもちいられた印刷機も、アルビオン型印刷機であったことが写真資料で明らかになっている(片塩二朗『秀英体研究』)。

長崎県印刷工業組合所蔵
アフレビオン型手引き印刷機の再発見と紹介がなされた

2003年07月19日、わが国の印刷人、タイポダラファにとって嬉しいニュースが流れた。
それは長崎県印刷工業組合三階の収藏庫に、国産「アルビオン型手引き印刷機」が二台所
蔵されていることが、朗文堂・片塩二朗によって再発見され、報告されたからである。

そのうちの一台は(以下一号機)、横板部に二つの筋違いの正方形の中に「 K 」のマークがみられ、版盤なども健在で保存状態は比較的よい。
これは南高有家(島原)の「有正舎」の旧蔵品で『長崎印刷百年史』(田栗奎作 長崎県印

刷工業組合 昭和45年11月03日)に写真紹介されていたものである。
201109handpress[1]この一号機を板倉雅宣は『ハンドプレス・手引き印刷機』(朗文堂 p.64)で、同機の「 K 」マークの存在から、明治30年創業の大阪・片田鉄工所製であろうとしている。

もう一台のアルビオン型手引き印刷機は、元長崎県印刷工業組合相談役:阿津坂実(1915-2015 花筏:タイポグラファ群像008)によると、「九州荷札印刷」の旧藏品であったとする(以下二号機)。
機械主要部のほか圧盤までは現
存しているが、加圧ハンドノレ、版盤、版盤案内レール、チンパン、あんどん蓋などは欠損している。

切りぬき02-627x627[1] 切りぬき01-627x627[1]BmotoMon2[1]二号機に特徴的なのは、目立たないが「テコ Fulcrum」に鋳込まれている「丸 も」のマークである。これは本木昌造の裏紋とされている。
もうひとつは、横板(天板)の両面に鋳込まれている社名と
マークの存在である。
正面(加圧ハンドルのある側)には、

「TYPE FOUNDRY OSAKA TRADE MARK JAPAN」とあり、大阪活版製造所の機械類の
マーク「丸 も に旭日」が鋳込まれている。
裏面には「TYPE FOUNDRY TSUKIJI TRADE MARK  TOKIO」とあり、東京築地活版
製造所の「丸 も にH」(ローマン体)のマークが鋳込まれている。

この両社のマークが制定されたのは1885年(明治18)ころとされている。したがって二号機は明治中期の製造とみられるが、いずれも本木昌造一門につらなる、大阪・谷口黙次/大阪活版製造所、東京・平野富二/東京築地活版製造所のいずれで製造したのかは判明しない。

アルビオンとはイギリスの古名で、「アルビオン・プレス」はイギリスのリチャードー・コープが1820年に発明、同工場のジョン・ホプキンスンが1824年に改良した手引き式の活字版印刷機である。
コープ社が閉鎖されたのちも、格別の保護を主張しなかったために、英国では数社が同型機の製造を継続していた。

わが国では明治初期から平野富二(東京築地活版製造所)、江川活版製造所、金津鉄工所、国友鉄工所、片田鉄工所などによって国産化され、安定した活字版印刷機として評価され、ふつうは単に「手引き印刷機|と呼ばれていた。
また秀英舎(現・大日本印刷)の創業時の印刷機も「アノレビオン・プレス」であったことが、
最近創業時の工場写真が出てきたことで判明している。
いずれにしても同型機の多くは昭和中期まで、一部で校正機などとして長年にわたって用いられていたすぐれた印刷機であった。

活字版印刷術、タイポグラフイとは、活字だけでは成立しない。当然印刷機も必要である。このたび長崎県印刷工業組合から再発見されブこ本機は、平野富二関連では『BOOK
OF SPECIMENS MOTOGI &HIRANO』(活版所平野富二 平野ホール所蔵 推定18フフ)の最終ページに図版で紹介されていたものとほぼ同一のものである。

いずれにしても本機の発見は嬉しいニュースであった。なによりも本木昌造と、その師弟であった平野富二/東京築地活版製造所、谷口黙次/大阪活版製造所が誕生した長崎で
発見されたことを欣快としたい。
そして印刷関連業界、タイポグラフイ界・造船工学界・
機械工学界の研究者がひとしく同機に熱い視線を注いでいる事実を記録しておこう。

《急速に進展した総合技術としての活字版製造術の研究-活字製造だけの研究の陥穽を脱し、関連器械・技術研究への視点 》
長崎県印刷工業組合でのアノレビオン型手引き印刷機の再発見と紹介がなされたのち、顕
著な変化があった。それはこれまで活字版印刷術研究 ≒ タイポグラフイとはいいながら、ともすると活字だけに偏するかたむきがみられたのにたいし、総合技藝としてのタイポグラフィの視点から、活字と器械研究への視座の転換がみられたことである。

『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』(近代印刷活字文化保存会 2003年9月30日)は、「本木昌造活字復元プロジェクト」の旗のもとになされ研究であった、同書の執筆者の多
くは、すでに活字製造と関連人物の資料発掘に偏することなく、その研究の視座を大きく
転換していた。

同書刊行の直前、筆者片塩二朗は肺炎から敗血症となって入院中であった。しかしながら不完全ではあったが、「文明開化とタイポグラフイ勃興の記録」をしるし、そのコラムとして「長崎県印刷工業組合所蔵アノレビオン型手引き印刷機 p.291」をのこし、両機の保存と再生・再稼働をつよく希望した。

また、印刷博物館開館三周年記念企画展図録『活字文明開化一本木昌造が築いた近代』(印刷博物館2003年10月6日)では、主要展示に同館が所蔵する三台の「アノレビオン(型)手引き印刷機」を出展し、おおきな関心をよんでいた。

『ハントプレス・手引き印刷機』(板倉雅宣 朗文堂 2011年9月15日)は、真っ向から手引
き印刷機に取り組み、論述したものである。
著者:板倉雅宣は国内各所に現存している手引

き印刷機を丹念に調査し、その形状・マークの採用時期などから、それぞれの印刷機の製造
元・製造年度に関して詳述している。

それによると、一号機は「K」のマークの存在から、明治30年創業の大阪・片田鉄工所製であろうとしている。
二号機に関しては、両社のマーク
の採用時期と照らし明治18年(1885)から大阪活版製造所の名前が見られなくなる明治末年までの間のものであろうとしている。

『明治近代産業のノベイオニア-平野富二伝』(古谷昌二 朗文堂 2013年11月22日)においては、ついに長崎で発祥した活版製造業のことを、長崎製鉄所による産業の近代化の事業の一環としてとらえ、その中心に長崎出身の平野富二の事業をおいて、まったくあらたな
視点から、近代産業としての活版製造業にとり組んだ。その成果はおおきく、小指の先ほどもないちいさな活字と、巨大な造船事業が、長崎製鉄所の事業を基盤として誕生し、それがそれぞれ飛躍していった姿を記録し尽くすことに成功した。

《長崎と全国のタイポグラフアの交流の場となった<Viva la 活版ばってん長崎>》
朗文堂サラマ・プレス倶楽部による活版礼讃イベント<Viva la 活版 ばってん 長崎>が長崎県印刷会館を主会場として、2016年5月6-8日に開催された。

東京をぱじめ、全国各地から訪崎した会員は50余名。マイクロバス二台をレンタして開催された{崎陽長崎 活版さるく}には、地元勢の参加があって45名を超えてていた。また会場には熱心な来場者多数を連日お迎えした。

DSCN7279-627x470[1] DSCN6689-627x470[1]事前準備、撤収作業と、一部の会員は五泊にわたる長崎滞在となり、140年余にわたっ
て蓄積された長崎の活版印刷事業の奥深さを実感する機会となった。
その際、同館所蔵の小型プラテン印刷機だけでなく、貴重な「アルビオン型手引き印刷機」もなんとか稼動・実演したいという意見があり、部品の欠損が少ない一号機を復元する試みをした。
ところがなにぶん出張先での修復作業であったブこめ、工具も足りず、部品の補充もでき
ずに稼動実現の成果をあげることはできなかった。

その際、訪崎され<Viva la 活版 ばってん 長崎>の会場にみえられていた板倉雅宣氏が詳細に点検され、一号機はやはりカムの破損が原因とわかり、著作『ハンドプレス・手引き印刷機』(板倉雅宣 朗文堂)と、カムの復元のために木型を製作して組合に送り、将来の復元稼動を支援することになった。

また長崎県印刷会館の収蔵庫には、本木昌造の逝去後の「新町活版所」を経営し、本木昌造の叙位に際して資料提供にあたった境 賢治(1844-?)がもちいていたとされる「インキロ
ーラー鋳型」かおり、これも主会場に展示されて話題を呼んだ。
こうして2003年から13年あまりの時間が経過していた。

☆      ☆      ☆     ☆

《本木昌造141回忌に際し アルビオン型手引き印刷機が復旧披露》
2016年9月2日[金]開催の「本木昌造141回忌法要」に際し、長崎県印刷工業
組合の力により「アノレビオン型手引き印刷機」一号機が修復・復元され、稼動・実演されるとの情報に接した。とてもうれしく、わが国の印刷産業史に特筆すべき快挙となった。

うかがったところによると、<Viva la 活版 ばってん 長崎>におけるサラマ・プレス倶楽部会員の皆さんの関心の推移をみて、長崎県印刷工業組合もついに「アルビオン型手引き印刷機」(一号機)の本格修復を決断されたとされる。
復元稼動に際しては、福岡市の有限会社文林堂/山田善之氏の助力を得て再稼働に成功したのは<Viva la 活版 ばってん 長崎>から四ヶ月後の九月になってからだった。

板倉雅宣『手引き印刷機』より 20160914163336_00002[1] 20160914163336_00001[1] DSCN6742-627x470[1] DSCN6744-627x470[1]

「長崎県印刷工業組合・本木昌造顕彰会」によって、本木昌造の墓参・法要がなされた九月二日、印刷会館三階で「一号機」が実際に稼動し、印刷がなされた。
「チンパン Tympan」は<Viva la 活版 ばってん 長崎>会期の前日、ホテルの一室で徹夜作業で張り替えにあたった日吉さんのものが、そのままもちいられていた。

 (有)文林堂/山田善之氏は、レバーハンドルを引きながらながら曰く、
 「あぁ、このチンパン、うまく張り替えてあったよ」
手引き印刷機のチンパン-627x470[1] DSCN6687-627x470[1]
ついで本木昌造の菩提寺「大光寺」で、「アルビオン型手引き印刷機が復旧」したことの報告とその意義を、片塩が簡単ではあったが解説にあたった。
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{文字壹凜:印刷工業組合所蔵「アルビオン型手引き印刷機」を修復、本木昌造墓前祭・法要にあわせて稼動披露

【Rebuilding】 朗文堂WebSite〝タイポグラフィつれづれ艸〟あまりにふるく気恥ずかしくはあるが若者に背をおされて再構築

kill-time-typography白頭を悲しむ翁に代わりて
唐  劉 希夷

   古人復た洛城の東に無く
   今人還た対す落花の風
   年年歳歳花相似たり
   歳歳年年人同じからず
   言を寄す全盛の紅顔の子
   応に憐れむべし 半死の白頭翁
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{新宿餘談}
朗文堂の WebSite は、デジタル時代の時計では太古の時代の発足である。
したがってメーンページの左下の片隅にちいさく案内がある〝タイポグラフィつれづれ艸〟などは、いつの間にか存在が希薄となっていた。
それでもずいぶん前から、何人もの社員や、外部の管理者がすこしずつ手を入れて細〻ながらも維持がなされてきた。
そんなコーナーにも若者には新鮮な発見があるという。
ならば公開をためらってきたコンテンツを序序に掲載して〝タイポグラフィつれづれ艸〟を再構築し、内容をゆっくり増補すべく、肩のこらない程度の改造に着手した次第。
朗文堂 WebSite の休息所として、ときおり訪問していただけたらうれしい。

【デジタルタイプ情報】 視覚デザイン研究所 誘目性 Inducibilityと可読性 Readabilityの両立をめざして果敢な挑戦を継続する書体開発

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視覚デザイン研究所(代表・葛本京子)は、明朝体・ゴシック体といった既製書体とは一線を画し、斬新で独創性のある書体開発を続け 「造形の美的バランスと文字の可読性」の両立をコンセプトに意欲的に日本語書体の創出をめざして実績を重ねてきた。
同社は今後も「個性を美しく強く主張、表情豊かなタイプフェイス」を創作したいとする。
タイポグラフィ学会会員

【詳細:視覚デザイン研究所】  (朗文堂タイプ・コスミイクでも書体見本帳進呈)

【新宿私塾】 第29期 11月29日第11回講座 : 永野有紀さん/原純子さん/STORK 原純子+亀井伸二さんの活動報告

!cid_4FB37547-4D75-4196-8850-D2B82EB5ED8A 新宿私塾29期カリキュラム resized 新宿私塾29期risized──────────
《新宿私塾第29期  11月29日 第11回講座 : 永野有紀さん》

DSCN8696 DSCN8701 DSCN8700この日の講座は11月09日第09回講座「名刺デザインの製作実務」を受けてのもので、持ち帰り課題の提出日でもありました。
とかく課題提出とは緊張しがちです。ところが講師の永野さんご自身も新宿私塾第02期修了生とあって、課題は採点法ではなく、講師と塾生諸君の相互評価が中心となり、笑いがたえません。

ちいさいとはいえ、定型サイズの「名刺とはがき」の製作は難題です。そこをクリアするために、第一回目の講座で、過去の蓄積と業界のノウハウが提示され、それに創意と工夫をこらした課題の提出で、講座は緊張のなかにも、塾生同士の相互評価で、急速に交流が深まっていきました。
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《新宿私塾第29期  11月29日 第11回講座 : 原 純子さん》

DSCN8684 DSCN8687 DSCN8693原純子さんの講義は、おもに美術展図録製作のケーススタディで、エディトリアルデザインとグラフィックデザインの基本を踏まえ、内容やターゲット層から考える組版を説かれました。
また大型美術館や博物館図録の実物を提示しながらの熱意溢れる講座となりました。

講師:原 純子さんは新宿私塾第04期と、また<活版カレッジ>の修了生です。
原 純子さんと亀井伸二さんによるデザインユニット<STORK>から
今回の講座でも使用した二冊の展覧会図録について解説をいただきました。
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STORK 原 純子+亀井伸二

『あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術』は、京都国立近代美術館で今年の夏に開催された展覧会の図録です。戦後日本の美術界を牽引した重要な作品群の展覧会で、展覧会のタイトル通りに熱い展覧会でした。

製本はドイツ装といいまして、時間も手間もかかる装丁なのですが、タイトなスケジュールの中で、美術館、担当学芸員、印刷会社と協力して暑い時期に熱く作り上げた一冊です。
ドイツ装は私たちにとってもはじめての試みでした。
ハードカヴァーか無線綴じが主流の展覧会カタログの中で、学芸員のかたとのお話の中で制作を進めることができ、図録自体も「あの時」と同様に実験的な雰囲気のするものになったかなと思っています。

CCGA現代グラフィックアートセンターにおいて、ことしの6月11日から開催しています『中林忠良展 / 未知なる航海 ―― 腐食の海へ 』のカタログが完成しました。
レセプション会場にも短時間ですがお邪魔し、中林先生にもお会いできました。四年ぶりの須賀川はとても気持ちのいい空間でした。 [ 原 純子 wrote ]
あのときみんな IMG_0830 中林忠良展

【図書紹介】 ヘルムート・シュミット タイポグラフィック・リフレクション 12 『nippon no nippon』

schmid_001+5 schmid_002+5 schmid_003+5タイポグラフィック ・ リフレクション 12
nippon no nippon
ヘルムート ・ シュミット 大 阪
和訳 : 山田清美

   歌麿の官能的な線によって好奇心が芽生え、エミール・ルーダーによって大いに鼓舞された私が、日本の地を踏んだのは、素朴で未熟な 24 歳のときであった。 (不可能を可能にしてくれたのは、東京のアイデア誌のアートディレクター 兼 編集長の大智浩と、ヤラカス館の社長でニッポン ・ インターナショナル ・ エイジェンシーの創立者 ・ 中許忠夫である)。
大阪に到着して間もなく、スイスの TM 誌の編集長であるルドルフ ・ ホシュテトラ一から、植字工の視点で日本的なものについて記事を書いてみないかとの依頼があった。 自分に書けるのだろうか、という疑念を押しやって書いた最初の 『ニッポンのニッポン』 のテーマが「畳」である。 1968年1 月発行の TM 誌に掲載された。

   『ニッポンのニッポン』 で伝えようとしたのは、私なりの理解による日本である。 かつて存在した日本、そして今も存在している日本、さらにこれから発見されるべき日本。 私の寄稿記事にフルページが割かれていた。  レイアウトは雑誌の規格に合わせてある。 私の記事は定期的に掲載されたが、次第に不規則になっていった。  最後の 「手水鉢」 が掲載されたのは1979年3 月号の TM 誌であった。 それから間もなくルドルフ ・ ホシュテトラーが亡くなり、シリーズも終わった。

   このシリーズを一冊の本にすることは、私にとって長い間の夢だった。 ウプサラのオケ ・ ニルソン ― 彼は1950年代のバーゼル ・ スクールの生徒であった ― の励ましもあり、ドイツ語のテキストを基にレイアウトに着手したのは1994年ごろであった。 何故途中で止めてしまったのかは思い出せないが、レイアウトが硬いスイス風であったことを覚えている。
何年かが過ぎ去り、ニコールがバーゼル ・ スクールを終え、バーゼルのデザイン ・ スタジオの仕事を止めて日本に戻ると、彼女は TM 誌のテキストのタイプセットに取り組み始め、現存する写真のスキャンを始めた。英語のテキストも必要と考え、イギリス在住のロイ ・ コールに依頼したところ、彼はライプツィヒ在住の翻訳家でピアニストのグラハム ・ ウェルシュを紹介してくれた。

    二か国語のテキストを基にしたレイアウトがおおむね出来あがった。 ドイツ語のテキストの文字は英語のテキストよりわずかに大きく、コラムの幅も英文に比べると独文がわずかに広い。 このレイアウトを持って、友人である東京の朗文堂社長の片塩二朗に会いに行った。 日本語のテキストがないと本は売れないと彼は言う。 そこで大阪のデザイン事務所の初代通訳であった山田清美に翻訳を依頼、スミ ・ シュミットが眼を通し確認作業を担当した。

    本書では、日本語のテキストをドイツ語と英語の横に並べるのではなく、アルファベット世界と表意文字世界とに分けて、本の後半にまとめた。 本書は2012年に出版され、翌年ロンドンの国際タイポグラフィック・デザイナー協会(ISTD)から最優秀賞を授与された

    出版から三年後、財団法人 DNP 文化振興財団から、京都 ddd ギャラリーで 「ニッポンのニッポン展」 を開かないかという思いがけない招待を受けた。 ポスター、チラシ、招待状、封筒、案内状、20 ページの来場者用冊子デザインも任された。

    書物から展覧会場へ伝達の場が移る。私はテキストと画像を主役にしたいと考えた。
黒い天井と白い床の間に吊るされた 90 センチ幅の半透明のバナーに黒色でプリントされた画像と和 ・ 英テキスト。 訪れる人はランダムに吊るされたバナーの間を回遊しながら観、感じ、発見し、「 88 の音符をランダムに並べた 7 つのバリエーション」 の響きに耳を傾ける。 日本的なるものの寡黙な美を味わうことができる。

    ニコ一ル ・ シュミットと、長谷川哲也によって具現化された 「ニッポンのニッポン」 の展覧会場は、私には夢のようだった。 その夢を形にして残すために、「タイポグラフィック リフレクション」1 2号を出版することにした。 「アイデア」 誌編集長室賀清徳のエッセイを添えて。

【 詳細 ・ 問い合わせ先 : helmut schid design
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{ 新宿餘談 }
おもえらく、ときに交わり、ときに併走し、あるときは逆走しながらも、ながい旅路をヘルムート ・ シュミット氏とはともにしたという感がある。
かたくなまでに変わることの無いひとだったというおもいと、柔軟に時代と整合性をたもって活きてきているひとだともいえる。 DSCF5640[1]シュミットファミリーの皆さんと[1]そのひとつの中間点であり通過点が、図書 『 japan japanese 』 (朗文堂 2012)であった。
透徹な視点と、熟慮されたテキスト、配慮を凝らしたタイポグラフィ・ コンポジションによる図書『 japan japanese 』が誕生した。
それは愛娘ニコール ・ シュミットと、夫君 : 長谷川哲也氏によって 「京都 ddd ギャラリー」 での空間展示に <nippon no nippon> と題されて、三次空間へのあらたな具現化をみた。 201203japanjapanese[1]cid_787B8BD3-8FF0-43FB-B4B4-BDDAFB5680FC1[1]ここまでの 「まとめ」 として、ヘルムート ・ シュミット自主企画出版 <タイポグラフィック ・ リフレクション 12 nippon no nippon> が完成した。
また小社のWEBサイトを繰ってみると、{ 朗文堂ニュース }、{ 文字壹凜 } だけでも相当量の記録がのこっている。
1980年代初頭からシュミット氏との共同製作作業を再再展開してきた。 そろそろまた次の、あらたな企画で、造形界の沈滞を打破したいおもいがつのっている。
編集者としてはヘルムート ・ シュミットと、その若きファミリーとともに意欲的な挑戦をしてみたいとおもうこのごろである。  [ 片塩二朗  wrote ]

【祝日】 五月三日は日本の憲法記念日

カバー表1uu 顔写真鈴木篤氏日本国憲法は1946年(昭和21)「11月03日」に公布され、1947年(昭和22)の「五月三日」に施行となった。
「憲法記念日」はこれを記念して1948年(昭和23)に公布・施行された祝日法によって制定された。
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『わたくしは日本国憲法です。』(朗文堂)の著者/鈴木 篤氏は日本国憲法とおなじ1946年うまれ。憲法の周辺が騒がしいいま、この憲法を誇るべきものとし、それ守るための活動を粘りづよく地道につづけている。
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【東京五輪】 エンブレムは野老朝雄氏の組市松紋に決定 森山明子氏の論評を紹介

2020年東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムは、野老トコロ朝雄氏の組市松紋に決しました。
それをうけて『オリンピックとデザインの政治学』の共著者、森山明子氏が『読売新聞』(文化欄 04月26日)に「五輪エンブレム決定」とされる論評を発表されました。
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五輪新エンブレム _MG_4319 コピー ~ 01オリンピックとデザインの政治学rs

【既刊書再紹介】 戸叶勝也先生、朗文堂刊『ヨーロッパの出版文化史』に続き、朝文社『カール・マイ冒険物語』全12巻第9巻「オスマン帝国の辺境」を朝文社より刊行

ヨーロッパの出版文化史

戸叶勝也 著
B5判 上製本 208ページ 図版多数
定 価 本体4700円 + 税
ISBN4-947613-77-7 C1022

【 詳細情報 : 朗文堂ブックコスミイク    同書目次PDF  】

戸叶先生著 者 : 戸 叶  勝 也 氏

筆者が特に力を入れて叙述した事柄について  著者「あとがき」より 

★ 筆写本の時代と同様に 活字版印刷の時代になっても書体が重視され続けたこと。
★ 活字版印刷術の発明に関する事柄を グーテンベルクの生涯とともに詳述したこと。
★ 新技術の印刷術が ヨーロッパ諸地域に伝播した様子と、代表的な初期印刷者の素描。
★ ルネサンス人文主義と 出版業との密接なつながり。
★ 宗教改革と 印刷物の普及。
★ ヨーロッパ各国語の形成にはたした印刷術の役割。
★ カトリック ・ ルネサンスと出版業の関係。
★ 印刷術と書籍の普及にはたした 書籍見本市のおおきな役割。
★ 17世紀におけるオランダの出版業の発展。
 
【 著 者 紹 介 】
 戸 叶  勝 也 ( とかの  かつや )
1938年  東京都にうまれる
1961年  東京大学文学部西洋史学科卒業
        NHK教育局、国際局(この間ドイツ海外放送勤務)を経て
       現在日本大学経済学部教授。専攻/ドイツ近現代史
 主要著書
『 ドイツ出版の社会史 ~グーテンベルクから現代まで~ 』 ( 三修社 1992年 )
『 レクラム百科文庫 ~ ドイツ近代文化史の一側面 ~ 』 ( 朝文社 1995年 )
『 人と思想 ~ グーテンベルク~ 』 ( 清水書院 1997年 )
『 ハプスブルク家のオーストリア 』 ( 共著  講談社 1982年 )
『 ドイツ啓蒙主義の巨人  フリ-ドリヒ ・ ニコライ 』 ( 朝文社 2001年 )
『 ヨーロッパの出版文化史 』 ( 朗文堂 2004年 )
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現在戸叶勝也氏は、ドイツで百年以上にわたって読み継がれている大作、
『 カール ・ マイ冒険物語 』 全12巻の執筆中です。
このたび『カールマイ冒険物語』第9巻「オスマン帝国の辺境」を朝文社より刊行されました。
小社刊行書 『 ヨーロッパの出版文化史 』 とあわせて、ご愛読をお勧めいたします。

20160425120800764_0001発行所 : 朝 文 社
113-0033 東京都文京区本郷3-15-6 秋田ビル
電   話 : 03-3814-5072
メール ・ アドレス : info@chobunsha.co.jp

【日本デザイン振興会】 GOOD DESIGN Marunouti にて『オリンピックとデザインの政治学』発刊記念トークを開催しました

「オリンピックとデザインの政治学」発刊記念トーク
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会にまつわる騒動を再考する

会    場 : GOOD DESIGN Marunouchi
開催日時 : 3月29日(火)18:00開場 18:30 – 20:00
スピーカー : 「オリンピックとデザインの政治学」(朗文堂刊)著者

 森山明子氏(デザインジャーナリスト/武蔵野美術大学教授)
 若山  滋氏(建築文化論者/名古屋工業大学名誉教授)
モデレーター : 藤崎圭一郎氏(デザインジャーナリスト)
──────────
本年1月27日 、デザインジャーナリスト森山明子氏と建築文化論者の若山滋氏による緊急対論書「オリンピックとデザインの政治学」(朗文堂刊)が発刊されました。

2015年は、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を巡り建築・デザインの両分野で混乱が発生、両分野とも業界の構図に対する不信が渦巻いた1年でした。
あのとき何があり、どうすべきだったのか?
ビジョンと意思決定の質が、企業や都市、国の浮沈を左右する中、デザインは何を希望として、どう歩んできたのか?
「オリンピックとデザインの政治学」共著者の二人が昨年の騒動を改めて振り返り、あるべきデザインの像を語ります。
建築業界やデザイン業界の内外、書籍の既読未読に関わらず必聴のイベントです。

詳細・申し込み先 : 公益財団法人 日本デザイン振興会  GOOD DESIGN Marunouti
GOOD DESIGN Marunouchi ウェブサイト
GOOD DESIGN Marunouchi facebook
丸の内に集う人々のための情報サイト

DSCN7142DSCN7147DSCN7089DSCN7156DSCN7213DSCN7203DSCN722201オリンピックとデザインの政治学rs
オリンピック・パラリンピック騒動に発し
建築とデザインからの緊急対論!

書  名   オリンピックとデザインの政治学
著  者   森山明子  若山 滋 共著
装  本   四六判  上製本  248ページ
発  売   2016年1月27日予定
定  価   1,800円+税
発  行   株式会社 朗 文 堂
ISBN978-4-947613-92-9 C0070

本書は日本図書館協会選定図書に選定されました(平成28年2月24日選定)

<著者紹介>

A1森山森山明子 Akiko Moriyama
デザインジャーナリスト 武蔵野美術大学教授


1953年新潟県生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。特許庁意匠課審査官、国際デザイン交流協会勤務を経て、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。「日経デザイン」の創刊にかかわり1993-98年同誌編集長。1998年より現職、デザイン情報学科所属。

著書は『まっしぐらの花 ― 中川幸夫』、『石元泰博 ― 写真という思考』、『新井淳一 ― 布・万華鏡』、『デザイン・ジャーナリズム 取材と共謀 1987 → 2015』ほか。
監修・編著書には『カラー版日本デザイン史』、『Gマーク大全 グッドデザイン賞の五〇年』などがある。
NHKハート展詩選考委員、グッドデザイン賞審査副委員長、芸術工学会副会長・理事、三宅一生デザイン文化財団理事、日本デザイン振興会評議員などを務める。
──────────
第一次エンブレム騒動においては、残念ながら、デザインの安直さと業界の構図に対する不信が渦巻いた。しかしデザインの重要性が一層増していることは現代社会のまぎれもない事実だ。ビジョンと意思決定の質が、企業や都市や国の浮沈を左右する。デザインは何を希望として、どう歩んできたのか。その一端を明らかにすることで、あるべきデザイン像を問いかけたい。
──── 本書 帯より  森山明子 (デザインジャーナリスト)

A2若山若山 滋 Shigeru Wakayama
建築家 名古屋工業大学名誉教授 


1947年台湾生まれ。東京工業大学建築学科卒業、同大博士課程修了。工学博士。1974年入社の久米設計を経て名古屋工業大学教授。米国カリフォルニア大学バークレー校、コロンビア大学客員研究員。現在、中京大学客員教授、名古屋工業大学名誉教授。専門は建築学・都市論・文化論。

著書は『建築へ向かう旅』、 『組み立てる文化の国』、『風土に生きる建築』、 『「家」と「やど」― 建築からの文化論』、 『漱石まちをゆく ― 建築家になろうとした作家』、『インテンシブ・シティー都市の集約と民営化』、『建築家と小説家 ― 近代文学の住まい』など。
建築作品には「不二の一文字堂」、「高萩市立図書館」、「ミャンマー中央農業開発センター」、「名古屋工業大学正門」、「西尾市岩瀬文庫」などがある。
──────────
ザハ・ハディドと安藤忠雄はやや異端なところがあるので、そこに建築思想的ともいうべき対立の文脈を読み取ることができるような気がしたのです……。ザハ建築の「速度」と安藤建築の「強度」が出会ったとも言えます。スタジアムにはふさわしい気がしないでもない。しかし、良識派の建築家にとってこの二人の建築思想は「異端」であり、排除すべきものであったのではないか。
──── 本書 帯より  若山  滋 (建築文化論者)

<本書の内容  目次より>

第一章 新国立競技場問題の所在と根源        
        ザハ・ハディド案撤回で〝家の論理〞が強化された
第二章 大会エンブレム問題の所在と根源        
        ベルギーの劇場側の提訴はデザイン界への〝黒船〞か
第三章 建築の思潮とジャーナリズムの系譜
        建築論は日本の近代化過程を表す
第四章 デザインの運動とジャーナリズム                
        デザインジャーナリズムはネットに住むしかないのか
第五章 近代デザインの政治学         
        モダンデザインは国家主義との葛藤の歴史だった
第六章 都市、国家、デザイン        
        ビジョンと意思決定が浮沈を左右する
第七章 デザインの文化戦略とは        
        広告文化の陥穽、反広告の思想
第八章 〝デザインの国・日本〞の源流        
        室町―江戸の伝統依存に賞味期限はないか

新宿私塾第27期 意欲満満、順調に講座が進行中 ― +次期新宿私塾28期公募状況のお知らせ

27期順調《 新宿私塾第27期は、爽秋の風のなか、意欲満満で2015年09月末にスタートしました 》
新宿御苑の遊歩道に金木犀のかおりがかすかにただよい、さまざまな秋の艸花が咲きそろった2015年09月29日[火]、新宿私塾 第27期が開塾いたしました。
DSCN1556爾来ほぼ五ヶ月が経過し、講座は第21回までを順調に消化してきました。
新宿私塾第27期は、めずらしく男性が多い塾生で構成されました。それでもはじめのころのかたさは消えて、休憩時間や講座の終了後は和気藹藹としたふんいきに教場は包まれるようになりました。

27期カリキュラム部分WEB第27期入塾《新宿私塾第27期第07回特別講座 フィールドワーク 理想社》
2015年11月14日[土]、特別講座で理想社でフィールドワーク。田中宏明さん(社長)の一時間にわたる講義ののち、二班にわかれての工場見学にのぞみました。
理想社の印刷機器は大型で、商業印刷というより、図書印刷が大半を占めます。大手出版社との長年の取引をつうじて醸成された、独自の組版術、ハウスルールなどの紹介で、塾生諸君は熱心にメモをとっていました。

DSCN5420DSCN5425DSCN5422《新宿私塾第27期第08回講座 名刺のデザインとその製作実務》
2015年11月17日[土] 通常講座。永野有紀さんによる「名刺デザインとその制作実務」。
まず名刺の歴史と役割、基本構成などの講義があり、そのあとはふたりずつにわかれての、名刺製作の交流・交換がはじまります。
この講座のあとは、たがいにその趣味やデザイン嗜好までを知りますので、塾生同士の親密度はぐっと増します。まして講師の永野さんご自身が、新宿私塾第二期生とあって、教場はいっきになごやかなふんいきに変わります。

DSCN5429DSCN5431《新宿私塾第27期第09回講座 欧文組版の基礎》
2015年11月24日[火]講義  このころは暖冬だとされて、冬とはおもえないおだやかなまいにちでした。この日の講師:河野三男さんは新宿私塾開塾以来のベテラン講師。ページ物の欧文組版を中心に、行間と行長の設定、組版テクスチュア、段落の意味と種類などをユーモアを交えてわかりやすく解説。
DSCN5475DSCN5470《新宿私塾第27期第15回講座 構造としての造形言語》
2016年01月19日[火] 特別講座 新年をむかえ、暖冬気味ではありましたがとかく天候不順な日日でした。新春二回目の講師は、新宿私塾の開塾以来講師を担っている板東孝明さんによる特別講座でした。
タイポグラフィにおける構造的視点を、リートフェルト、ミース・ファンダルローエ、バックミンスター・フラーなどを例として、豊富な資料と画像を駆使しての講座。
後半部には地域社会に根ざしたコミュニケーション・デザインのあり方と、板東さん製作のたくさんのタイポグラフィ作品の実物を眼前にしながらの講座となりました。
DSCN6254DSCN6248板東02板東孝明さんの新著作  板東孝明編『ホスピタルギャラリー』 深澤直人・板東孝明・香川征著 武蔵野美術大学出版局 

《新宿私塾第27期第20回特別講義 洋書の姿:印刷と折り丁/書物の構造と造形言語》
2016年02月16日[火] 特別講義 二月にはいると東京にも積雪をみました。また数十年ぶりという、南国九州の長崎や鹿児島でも、降雪のためほとんどの交通機関が三日間ほど停止を余儀なくされるほどの異常気象でした。
それでも新宿私塾は淡淡と設定カリキュラムを消化していました。02月16日は書誌学の定番書ともいえる『洋書の話 第二版』の著者:ベテラン講師の髙野 彰さん。
ベラムと紙から説きおこし、書写から書物の誕生、見開き・一対の紙葉、そのたたみかた、ページ割り付け、印刷用活字書体の誕生、タイポグラフィの進展と、熱い講義が続きました。
DSCN6342DSCN6335プリント髙野 彰著『洋書の話 第二版』(朗文堂

《新宿私塾第27期第21回特別講義 フォーマットとグリッドの概略史とその展開》
DSCN6377DSCN63822016年02月23日[火] 特別講義 02月最後の講座。寒い日でしたが新宿私塾開塾以来の講師:白井敬尚さんの担当。タイポグラフィは活字版印刷術を源流とするだけに、グリッド(格子)構造は避けては通れない課題となります。さまざまなケーススタディの紹介に教場は熱い熱気につつまれていました。

《間もなく如月キサラギ二月がおわり、艸花の開花をみる弥生ヤヨイ三月を迎えます》
ことしにはいってから、竜巻・異常降雪・突風など、どこか妙な気候がつづきましたが、まもなく花の弥生三月となります。
新宿私塾第27期はのこすところほぼ一ヶ月、四講座、まだまだ重要な講座がつづきますが、03月22日[火]第25回演習講座をもって終了をむかえます。
ことしの菜の花

新宿私塾では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 のみっつの領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。 それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともないます。
この半年のあいだ、塾生の皆さんがおおきな収穫が得られるように、講師陣はもとより、200名を優にをこえた 「新宿私塾修了生」 の皆さんも、精一杯の努力と応援をいたします。

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《新宿私塾第28期のお申し込み状況の報告と、ご予約のおすすめ》

新宿私塾では次期以降の入塾申込を随時受けつけております。
2016年04月開講予定の<新宿私塾 第28期>には相当数のご予約をいただいおりました。二月の声を聞くと、改めて入塾お申し込みの連絡が増加したため、02月下旬から、ご予約順に、予約の再確認、入塾者確定作業をおこないました。

その結果<新宿私塾第28期>は、一般公募をへずに、ご予約者で定員となりました。
したがいまして恐縮ながら、今後の新宿私塾入塾お申し込みは、2016年09月開講予定の<新宿私塾第29期>、ないしは、2017年04月開講予定の<新宿私塾第30期>へのご予約とさせていただきます。
ともあれ<新宿私塾>に入塾希望のご意向があるかたは、下記詳細情報をご覧いただき、 朗文堂担当鈴木 robundo@ops.dti.ne.jp
  までご一報ください。
演習・フィールドワーク以外の講座は見学申込も随時受けつけております。

【 詳細 : 朗文堂 タイポグラフィ・スクール 新宿私塾

【良書紹介】 竹内整一『ありてなければ 「無常」の日本精神史』(角川ソフィア文庫)

竹内整一ジャケットこの世のはかなさ、人生のむなしさ。
それは時代を超えて日本人の美意識の根底に横たわる。
その「無常感」をたどりながら日本人のゆたかな精神性を探り当てる。
「世の中は夢か現ウツツか現とも夢とも知らずありてなければ」(古今和歌集)
いま、たしかに「ある」が、それは同時に、いつか「なくなる」、あるいはもともとは「なかった」 ――。

「夢と現のあわい」に生きる私たちは、その「はかなさ」をどう受けとめ、どう生きてきたのか。
万葉の時代から現代にいたるまで、日本思想史を形成してきた無数の言葉を渉猟し、そこに通底する「無常感」をたどりながら、日本人のゆたかな精神性を探り当てていく
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{ 新 宿 餘 談 }
『ありてなければ 「無常」の日本精神史』の著者、竹内 整一氏(1946年- )は、日本の倫理学者。鎌倉女子大学教授、東京大学名誉教授、日本倫理学会会長。専門は、倫理学・日本思想。詳細は ウィキペディア : 竹内整一 で。

ゆえありて著者の竹内整一氏とは友人です。したがってこれまでも主要著書はご恵送いただいていましたが、ご紹介の機会を逸していました。
角川ソフィア文庫は本書の帯で、岡倉天心『茶の本』、九鬼周造『いきの構造』とならべて、竹内整一『ありてなければ』を紹介しています。やつがれもまた、平凡社版・竹内整一『「はかなさ」と日本人』とあわせて、皆さまに本書をお薦めしたい。
【 詳細 : 角川ソフィア文庫

ちかぢか新書体発売/朗文堂タイプコスミイク 欣喜堂電子活字シリーズの記録

このページの図版はスライドショーでご覧いただけます。

金属活字が、写植活字時代をへて、いつのまにか電子活字(デジタルタイプ、フォント)となってひさしい。電子活字時代になってからもフォーマットの変化はつづいた。ビットマップ、トゥルータイプ、オープンタイプと変化のあゆみはとどまることをしらない。
そしてこれもまたいつのまにか、活字は Type としての物体性を失い、デジタルデータの一種となって、定まったカタチ Type がないまま、流通し、販売され、デジタル機器などによってもちいられる時代となった。ひとはこれを「フォントのダウンロード方式」などと呼ぶ。
和字Revision9

欣喜堂:今田欣一製作、白井敬尚形成事務所:パッケージデザイン、朗文堂:発売による電子活字シリーズの最初は、2002年08月発売開始の<和字 Revision 9>であった。
「和字」とはひら仮名とカタ仮名の集合であり、「漢字」の対語である。これは今田氏の提唱による呼称で、これらの記録は『挑戦的和字の復刻』(Vignette 05、今田欣一、2002年7月23日)に詳細にのこされている。
銘石B

いっぽう漢字・和字・欧字を含んだ書体を「総合書体」と呼んでいる。
総合書体<HUMAN Sans Serif  銘石 B>は<和字 Revision 9>の発売から10年余ののち、2012年03月の発売であった。
この間、当初のトゥルータイプからオープンタイプにフォーマット変更があり、ユーザーにむけて「パッケージを提示していただければ新フォーマット版に無償交換」という、大胆な試みができたのも、実体のあるパッケージの存在がおおきかった。

総合書体<HUMAN Sans Serif  銘石 B>の発売から三年半余ののち、すなわち2015年10月末現在、いつものスタッフで、次の書体、仮称ながら「志安」の製作が佳境にはいってきた。
そんな「志安」のプロジェクトに集中しているいま、あらためて考えると15年ほどの期間、この三者協力態勢がつづいてきたことに驚かされる。その記録の意を含め、ここに<朗文堂・欣喜堂シリーズ>を、順不同ながら、総合書体、和字書体の全14パッケージを紹介をしたい。
また朗文堂では、簡略ながらプリントメディアで『robundo type cosumique』、『robundo book cosmique』を製作している。ご請求いただけたら幸甚である。

《 総合書体 》

銘石B 龍爪パッケ 正調明朝体 正調明朝体B 清朝官刻体

《 和字書体 》
基本 CMYK 和字たおやめ7 和字ますらお9 和字おゝことのは9 和字おゝくれたけ9 和字Tradition9 和字Succession9 和字Ambition9 和字Revision9

【追悼】 20世紀後半のタイポグラフィを主導したひと、アドリアン・フルティガー氏逝去

追    悼
20世紀の壮大な Univers 宇宙をキャンバスとし
鮮烈な Meridien 子午線に軌跡をのこしたひと。
Univers,  Meridien,  OCR – B などの不朽の活字設計をなし
オルリィ空港、シャルル・ド・ゴール空港、パリ地下鉄道の
サインシステムと制定書体を製作し
旧約聖書にもとづいた記号学の進展にもおおきく貢献したひと。
2015年9月10日  スイス・ベルンにて逝去
Adrian Frutiger   1928-2015

20151004203352856_000620151004203352856_000320151004215258690_0001

Brief History  -  Adrian Frutiger

◯ 1928年5月24日  スイス・インターラーケンにて生れる。
のちオットー・シェフリー印刷所にて活字植字工となる

◯ 1949-50年 チユーリッヒ工芸専門学校にて力リグラフィを学ぶ
◯ 1951年  同校卒業制作の小冊子『Schrift, Ecriture, Lettering 』が縁で、シャルル・ペイニョ率いるパリのドベルニ & ペイニョ 活字鋳造所に勤務
◯ フランスのドベルニ & ペイニョ 活字鋳造所、ドイツのシュテンペル活字鋳造所ほかから、以下の主要活字書体を発表した

Phoebus (1953),  Ondine (1954),   President (1954), Meridien (1957),  Univers (1956 – 1957), Opera (1959 – 60),  Egyptienne (1960),  Apllo (1964),  Serifa (1967),  OCR-B(1968),  lridium (1975),  Frutiger (1976),   Breughel (1982),  lcon (1982), Versailles  (1982), Centennial (1986)
◯ 1952-60年 パリの美術工芸学校「エコール・エティエンヌ」にて記号学とタイポグラフィ教育に従事
◯ 1954-68年 フランス国立高等美術工芸学校にてタイポグラフィ教育に従事
◯ 1959年  パリ・オルリィ空港のサインシステムと制定書体の製作
◯ 1962年  パリにアトリエを開設(スタッフ:アンドレ・ギュルトレール、ブルーノ・ブフェリ)
◯ 1070年  新設されたシャルル・ド・ゴール空港のサインシステムと制定書体を製作
◯ 1973年  パリの地下鉄道のサインシステムおよび制定書体を製作
◯ 1976年  シャルル・ド・ゴール空港の制定書体を写植活字用に改刻し「フルティガー」シリーズを製作
◯ エール・フランス社のシンボルマークを製作
◯ SNCF(フランス国有鉄道)ロワシィ駅に長さ250mのコンクリート・レリーフを製作(建築:ポール・アンドルー)
◯ 1980年代 この時代には、メリディエン、ユニヴァースなどの主要な書体を、手組活字から、活字自動鋳植機、写植活字、電子活字などのメディア変遷のために、既成活字書体のユニットの再設定や、リデザインに追われた。
◯ 1986年  グーテンベルク賞受賞

◯ 1996年  心臓疾患を患い、その克服後にスイスに住居を移し、ベルン郊外にて製作を継続
◯ 1999年  ドイツ・ライノタイプライブラリー社のために、ユニヴァース・ファミリーの全面改刻を実施。21のファミリーを59へと大幅に拡張した(ディレクター:オットマー・フォーファ)
◯ 2001年  邦訳書『活字の宇宙』(朗文堂)刊行
◯ 2015年9月10日  スイス・ベルンにて逝去。行年87

20151004215520954_0002世界中でひろく使われている本文用活字をかさねてみると、
ある基本的なパターンがもとめられます。
ギャラモンのようにふるい活字では a の下部のカウンターは小ぶりですし
 e の横棒はたかい位置にあります。
しかし、いろいろな活字をかさね合わせるという方法によってみえてくることは、
 a の下部のカウンターが次第におおきくなり、e の横棒が中央に下がってきていることです。
それは文字としての美しさと、文字の判別性 Legibility とのせめぎあいの結果であり
もっとも読みやすいという、文字の
基本的な目的に合致するのです。
                    Adrian Frutiger  [アドリアン・フルティガー]
20151004203352856_0002
左) ヘルマン・ツァップ      1918年-2015年 享年96
右) アドリアン・フルティガー 1928年-2015年 享年87
1998年07月、フルティガーの70歳の祝いと、改刻版ユニヴァースの完成を祝って、ハイデルベルクの古城で開催された祝賀パーティ。会場に駆けつけた、最大のライバルでありよき友人の、ヘルマン・ツァップ氏とかたい握手をかわすふたり。
(ハイデルベルク社主催。写真提供:オットマー・フォーファ。参考:『文字百景62号』)

2015年06月04日、ヘルマン・ツァップ氏が逝去 され、いまだにその気持ちと記録の整理ができかねているところに、2015年09月10日、アドリアン・フルティガー氏の逝去 をご報告するはこびとなりました。
20世紀後半、世界のタイポグラフィを主導されたおふたりは、それぞれ、朗文堂に『ヘルマン・ツァップのデザイン哲学』(ヘルマン・ツァップ著、1995年04月11日、朗文堂)、『活字の宇宙』(アドリアン・フルティガー著、2001年04月11日)の重い存在の著作をのこされました。

ヘルマン・ツァップ氏とは、次著『仮称:活字と夢と』を刊行すべく、双方ともに努力のさなかの逝去でしたから、私家版をふくむほとんどの著作を保存しております。なかんづく2003年に、
「造形者としての、わたしのすべてをまとめてみた …… 」 とされたDVD資料をいただき、ときおり読者の皆さまに公開しております。

アドリアン・フルティガー氏とは、『活字の宇宙』(アドリアン・フルティガー著、2001年04月11日)刊行取り組みでのおつき合いだけでなく、甥のChristoph Frutiger氏の製作による DVD Video<Adrian Frutiger The Man of Black and White>(発行者:Christoph Frutiger)を紹介しただき、四回にわたって朗文堂 タイプコスミイクから販売してまいりました。
後半の二回は、朗文堂/新宿私塾第5期修了生のペートラ・シッファート Prtra Schiffarth さん、河野三男さん、木村雅彦さんのご協力をいただき、翻訳テキストをMACデータで添附しての販売でした。

『普及版 欧文書体百花事典』(組版工学研究会編、朗文堂)には、<Sans Serif 誘目性からから出発し、可読性をめざして-サン・セリフ体の潮流>、<Univers 宇宙に子午線をみたひと-アドリアン・フルティガー>などの項目があり、またアドリアン・フルティガーに関して随所で触れられておりますので、ぜひともご覧いただきたいと存じます。

残念ですが、図書『活字の宇宙』(アドリアン・フルティガー著、2001年04月11日)、DVD Video<Adrian Frutiger The Man of Black and White>ともに、現在は品切れ、販売中止となっています。

《アドリアン・フルティガーとユニヴァースを取りあげつづけた『文字百景』》

DSCN8204『文字百景』全100冊合本。 題字:美登英利、組版フォーマット設計:白井敬尚

『文字百景』は、B6判、中綴じの軽便な冊子で、書物と活字の周辺を風景としてとらえてみよう…… 、そんな企画から1995年06月にスタートし、それから四年半ほどのちの1999年12月、文字どおり100冊の小冊子の刊行・販売をおえて終了したものです。

アドリアン・フルティガーの活字製作者としてのデビューははやく、パリのドベルニ & ペイニョ活字鋳造所から発表された著名な活字書体は、ほとんどが20-30代前半の製作です。
すなわち、まず25歳のとき、デビュー作としてPhoebus (1953)を製作し、 つづいて「水の精」を意味する Ondine (1954),   President (1954) とつづき、Universは、56 年の製作発表、57 年の発売です。
同年に「子午線」の意から名づけられたセリフ書体 Meridien (1957) が発売されたのは、フルティガーはまだ29歳の若さでした。

わが国では、どういうわけかほぼ同時期に製作されたサンセリフ書体の Univers (1956 – 1957) ばかりが喧伝されてきましたが、セリフ書体の Meridien はシャルル・ペイニョ社長のお気に入りの活字書体で、完成直後からドベルニ & ペイニョ活字鋳造所のレター・ヘッドや広報物の中心書体でした。

この『文字百景』が連続刊行されていた20世紀最後の数年、アドリアン・フルティガーはすでに70歳ちかい高齢であり、ひとつのまとめとして、あまりにも拡散し、多様化してしまった<ユニヴァース>の改刻作業にあたっていた時期とかさなります。
そのせいでしょうか、『文字百景』には<フルティガーとユニヴァース>に関する記述が四本みられます。

◯ 『文字百景23  新ユニバースのテンヤワンヤ』(飯山元二 1996年03月)
◯ 『文字百景30  ユニヴァースの誕生秘話・そして再生へ アドリアン・フルティガーに会いました』(坪山一三 1996年12月)
◯ 『文字百景38  パリのタイポグラフィ行脚』(酒井哲郎 1997年03月)
◯ 『文字百景62  電子活字の開拓者 オットマー・フォーファ』(飯山元二 1998年09月)

さいわいなことに、『文字百景30  ユニヴァースの誕生秘話・そして再生へ アドリアン・フルティガーに会いました』(坪山一三 1996年12月)の資料が保存されていましたので、ここにご紹介いたします。
写真は当時の簡便なコンパクトカメラで撮影し、紙焼きプリントでのこされていたものですので、いくぶん不鮮明な点はご容赦ください。

◆    ◆    ◆

ユニヴァース誕生秘話・そして再生へ
アドリアン・フルティガーに会いました
組版工学研究会・坪山一三

初出 : 文字百景 030   朗文堂 December 1996(一部に補整)

このひと、アドリアン・フルティガーに会うのは三度目です。
はじめは、モリサワの書体コンテストの審査員として来日された折、無理をお願いして、ある団体の主催で、講演をしていただきました。そのときは、わたしは裏方で、講演をゆっくり聞くいとまもありませんでした。
結局この団体では、報告書も講演録もまとまらず、記憶の底に沈澱してしまいました。1987 年6 月28 日のことです。
その後、1990 年にパリのフルティガ一氏のアトリエを大勢のタイポグラファといっしょにたずねました。人数が多すぎてアトリエに入りきれないほどで、あまり印象に残りませんでした。
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パリを朝06 時40 分、始発のTGV (新幹線)にのって、スイスのベルンをめざしています。
きょう( 1996年9 月10 日)の午後三時に、フルティガ一氏の自宅をたずねる予定です。

フランスの首都:パリから、スイスの首都:ベルンへの移動です。いかに始発の電車に乗車したとはいえ、当日の午後に異国の首都での面会予定とは、いかにもヨーロッパだなぁとおもいます。

発車してしばらくすると、あわただしかったパリでの三日間のことがおもいだされます。予定ではパリのアトリエを訪れてフルティガーと会う予定で、友人のエルンスト・アパリッチョにパリでのスケジュールの組み立てを依頼していました。
ところが、病を得たフルティガーは、スイスに移転していることをパリでの滞在中にエルンストに告げられ、急遽日程を大幅に組みかえてベルンへ向かっての電車にのっています。

車窓からは早秋の野面に、ぶどう摘みの農夫が働いているのがみえます。途中リヨン駅に停車。ここはふるい印刷・出版の町で、「Museum of Printing and Banking」 のあるところです。
(今回も、ここには結局寄れなかったなァ。またいつかチャンスがあるかな) 。
同行は、河野三男さん、白井敬尚さんです。
河野さんは英会話は練達ですが、これまでの経験で、フルティガー氏が英語での会話はつらそうでしたので、パリ(現在はリヨン郊外)在住の悪友・酒井哲郎に、フランス語での通訳を依頼しました。持つべきものは悪友で、酒井哲郎は面白半分、ベルンまで同行してくれました。

なにはともあれ、ベルンに着いて、ホテルにチェック・インです。急にベルン入りを決めたので、首都とはいえさほどおおきなまちではないベルンでは、見本市の開催とかさなってホテルがいっぱいで、贅沢なことに最高級の五ッ星、駅の真前の「シュワイツァホフ」となりました。ドーンと石造りの格調ある建物です。ちょっと分不相応でなホテルです。

20151004203352856_0005 20151004203352856_0015 20151004203352856_0017ベルンはふかく青い空が、ぬけるように高く晴れわたっていました。まさに爽秋のもっとのよい気候でした。軽く昼食を摂って、ともかくフルティガー邸に急ぎました。フルティガー宅のある Bremga 地区は、タクシーでホテルからきっちり15 分。およそ16 キロの道のりです。

スイス一国の首都とはいえ、ベルンの町はちいさく、もうすっかり郊外にでて、ゆるやかな丘陵がひろがっていました。赤いスレート瓦の建物がならぶ郊外新興住宅地といったおもむきの場所で、タクシー・ドライバーが番地をさがしはじめました。すると白髪の老人が途にでていて、
「オ~イ、ここですよ~」
なんと、にこやかな笑顔の、フルティガ一氏がわざわざ道角にたって迎えてくれたのです。

午後のひざしが、やさしくさしこむスタジオに案内していただきました。庭には黄色と紫の花がおおく、ブルーペリーが実をたくさんつけ、コスモスと藤パカマが、こい紫の花をいっぱいつけていました。建物は木造で、一部二階建の連棟式になっていました。
不朽の名作活字、メリディエン、ユニヴァースをつくり、世界に名をとどろかせたフルティガ一ほどのひとですから、もっと大邸宅とおもっていた ―― と河野さんはいいます。予想に反し、意外につましい家であり、パリ時代のアトリエと同様に北向きの簡素なアトリエでした。

20151004203352856_0010 20151004203352856_0011 20151004203352856_0016それでも周りは草花にあふれ、木のぬくもりのある、やさしい空間でした。壁をびっしりと埋める試作の文字たち。色鉛筆で描かれたパウル・クレーもどきのちいさな素描画も眼をひきます。書棚の図書の一冊一冊、あるいはドベルニ & ペイニョ活字鋳造所時代のパンチ父型(デモンストレーション用)や、メタルタイプも眼を奪います。
しばらく、みんな茫然自失、まったくことばもないという状態でした。気をとりなおして …… 、勇気をふるって持参したお土産を披露します。わたしたちのお土産ですから、それは図書であったり、さまざまな印刷物ですが。

20151004203352856_0005 20151004203352856_0008 20151004203352856_0009 20151004203352856_0013まず、白井さんの研究作品の『 Transitional & modern roman 』と題されたカレンダーです。テクストは日本語なのですが、そこはプロ同士、ふしぎに意志は通います。それをフルティガ一は隅隅まで丁寧にみて、
「とても誠実で、美しいカレンダーです。活字研究のツボを心得た作品だとおもいます。感心しました」
と、にこやかに語る。白井さんはもう耳まで赫くなって、緊張しきっています。
続いて白井さんの
ユニヴァースのレタースペーシングに関する実験作品について、コメン卜をもとめました。その解答は詩のようでもあり、哲学者のつぶやきのように、重みのあることばでした。

「わたしはタイプデザイナーです。つまり瓦づくりの職人で、建築家ではありません。白井さんは建
築家であり、デザイナーであり、このようにすばらしい能力にあふれた、ユニヴァースの組み手です。だからあなたはこれからも自信をもってユニヴァースを組んでください。瓦職人は黙って見守るのです」
おそらく、白井さんのデザイン人生にとって、この瞬間は、もっとも光輝ある瞬間であり、これからもなんらかの迷いに捉われたときに、脳裡をよぎる激励であったとおもいます。

フルティガ一は数年前に心臓を患い、パリのスタジオを閉鎖したということです。現在はベルンの自邸で、アシスタン卜もなしでタイプデザインを続けています。しかし69 歳をむかえ、疲れることもあるのでしょう …… 、スタジオの隅には簡易ベットが置かれ、いつでも横になれるようになっているのも印象的でした。
しかし眸のよさと、勘のするどさ、記憶の確かさはさすがで、わたしたちが用意していた質問にいつも先廻りをしてきます。そのうちに、ゆっくりと、驚愕するようなことを語りだしました。
つまりユニヴァース
の誕生秘話であり、その再生にいたる物語りです。

ユニヴァースの誕生、そして再生へ

わたしがチューリッヒの美術学校の学生のころ、卒業制作のテーマとして、ルネサンスの時代に、ローマの大文字が、どのようにして小文字と併用されて発達したのかを、『Schrift, Ecriture, Lettering 』という名前のジャパラ折りの小冊子に、木版に彫ってまとめたことがありました。
それに注目されたのが、パリのドベルニ & ペイニョ活字鋳造所( DP 社)の、シャルル・ペイニョ社長でした。このひとは眸のすばらしくいいひとでしたね。それが縁で、わたしはパリの14 区のフェリス通りのDP 社に住みこみで働くことになったのです。
20151004203352856_0004そうそう、あなたがたは、きのうまでパリのDP 社の跡をたどっていたんでしたね。あそこにはもうなにも残っていなかったでしょう。あの損保会社のル・マン社が入っているビルの一室で、わたしは寝とまりしていたんですよ。
毎日、毎日、暗室の中で、コンパスや定規を使って、活字母型機械彫刻機(わが国ではベントン彫刻機と俗称する)用のパータン原図をおこすことが、わたしの仕事でした。ボド二、ギャラモン、ディドなどの名作活字をリ・デザインしましたね。とても勉強になりました。

そのころD P 社はルミタイプという、写植機メーカに関係していました。初期のガラス円盤形の電算写植機の会社でしたが、そのルミタイプのヒゴノさんとマ口ーさんが、ドイツやスイスで、サンセリフが流行っているので、ウチもぜひ、ということで、シャルルさんに開発を申しこんだんですね。

そもそもシャルルさんは、まったくサンセリフの活字は好きではなかったですから、マァ、若手のわ
たしに、
「フーツラをもとにして、そんなようなサンセリフ活字を大至急つくれ」
こんな調子で、大雑把なものでした。
おかげで自由にやれたのは、ありがたかったですね。

当然フーツラを分析・検討はしました。しかしあの活字は、あまりに幾何学的で、構成的で、魅力にとぼしくみえました。

ところでわたしは1954 年に「プレジデント」という、大文字だけの活字をつくっています。そして
メリディエン、ユニヴァースとみていくと、おわかりいただけるとおもうのですが…… 、わたしの活字の骨格はひとつだけです。
ヘルマン・ツアップ氏は、力リグラフィのひとです。ですから、ツアップ氏は活字の流れを重視します。そして手の動きはひとつですが、骨格はさまざまです。
わたしは、もともとグレーパー( 彫刻土・Graver )ですし、活字の骨格はひとつだけです。

メリディエンは金属活字のために作った書体ですが …… 、長い文章、読書用にはセリフのある、メリディエンがいいとおもうのですが ――つ まり、読書するひとは、森のなかを散歩するように、あるいは通りぬけるように活字と接します。したがって活字をつくる、書体を制作するということは、たんなる技術ではなく、もっとおおきく、人生そのものなのです。

わたしの人生にとって重要なのは、ローマン体です。ルネサンスのヒューマ二ストの考えは、わたしの考えです。とりわけニコラ・ジェンソンは、わたしの師匠です。
ジェンソンの精神は、わたしの精神
です。
ジェンソンのスピリッ卜は、わたしのスピリッ卜なのです。

東洋のひとであるあなたがたは、よくおわかりでしょうが、物事には陰と陽があります。印刷された黒い部分よりも、残された白い部分が重要です。文字の形象そのものよりも、文字のカウンターや、レタースペースのほうが重要なのです。読書には、白のハーモニーこそ重要だと、すでに15世紀に、ニコラ・ジェンソンは気づいていたのです。

ユニヴァースに関しておはなしすると、もとの形、骨格は55 番で、それはひとつのみです。
それは18 ユニット
でつくりました。
さらにそれをプロジェクターで写して、ファミリーを構築しました。いままでわたしは、
およそ4,500 字ほどのユニヴァースを描いたことになります。
ユニヴァースはもともと写植活字として設計しましたので、金属活字のように、ポイント・サイズごとにパターンを描きわける、つまりサイズごとに視覚調整した(オプテイカル・スケーリング)原字の制作は不要でしたので、ウェイトや文字幅への展開、つまり、あのユニヴァースのファミリー展開は写植活字だから可能だったのです。
金属活字では、口ーマン、イタリック、スモール・キャピタル、数字や約物を描き、そのポイン卜ごとのシリーズを描きわけることで、せいいっぱいですから…… 。
写植の登場のおかげで、ユニヴァースは、 6 種類のウェイトと、 4 種類の字幅( Widths )をもった、 21 書体からなるファミリーの展開ができたのです。
20151006191541466_0001
そうして写植活字で成功したので、イギリスのモノタイプ社が、自動活字鋳植機用の金属活字に展開したのですが、こうした例は1950 年代では、はじめてかもしれませんね。D P社が手組用の金属活字にしたのは、さらにそのあとのことです。
ユニヴァースは、56 年の製作発表、57 年の発売ですので、今年でちょうど40 年になります…… 。
DP 社は1972 年に閉鎖されましたので、ユニヴァースの販売権は、その後、スイスのハース社に、そしてドイツのステンペル社、ライノタイプ・へル社に移っていきました。

現在世界中で、およそ100 社ほどが、さまざまなフォーマットでユニヴァースを販売しています。それはそれで嬉しいのですが、問題がなくはありません。
たとえばユニヴァース85 番は、ドイツ連邦銀行のハウス・スタイルとしてユニヴァースが採用されたため、太いウェイトを ―― ということで、要求があったのですが、至急に欲しいということで、ベルトルド社のギュンター・ランゲ氏が製作したもので、わたしが描いたのではありません。
40 年もたてば、なんでもいろいろな問題が発生するということでしょうか。

同じころに誕生したへルペチカは、いまやカジュアルで、ブルー・ジーンズのように、だれもが使えるものになりました。そこでわたしは40 年ぶりに、ユニバースを手元にもどして、改刻を加えながら、25 番台のUltra light 、35 番台のThin 、85 番台もあたらしくわたしが描いて、Heavy 、95 番台のBlack 、105 番台のExtra Black のファミリーに拡張しようとしています。これで都合59 の新ユニヴァース・ファミリーが誕生することになります。
Jenson Romanの成立 55 Jenson Romanの成立 56
(1472年 ヴェネツィア ニコラ・ジェンソン 図版資料提供:木村雅彦氏

わたしはそれまで、ニコラ・ジエンソン(1420-80 )と、その活字にあまり注目したことがありませんでした 。そこでこのたびのフルティガ一氏の指摘を得て、約30 年後のアルダス・マヌティウスの印刷所の活字と並べて比較してみました。
アルダスは明快で均整がとれて、エックス・ハイトが高めに設計されているのにたいして、ジェンソンは、力リグラフィ的で、どこか不統一で、バランスを失してみえますし、なにより土くさく、泥くさくみえてきます。

さらにアルダスは、ギャラモンやベンボの誕生に、おおきな影響を与えていますが、ジェンソンは、ようやく420年ほどのちに、ウィリアム・モリスによって、ゴールデン・タイプ(1890 )に、エメリ・ウォカーとコブデン・サンダーソンによって、ダブスプレス・ローマン(1899 )に、ブルース・口ジャースによってモンテ一二ュ(1902 )、セントール(1914 )と復刻を得たり、影響を与えたのみで、その系譜は途切れたものと考えていました。

もしかすると、ウィリアム・モリスのゴールデン・タイプの図像ばかりをみせられて、その過剰な中世趣味に醇易して、ニコラ・ジェンソンにおおきな誤解をもっていたのではないかと反省させられました。
しかし、フルティガーの製作による、プレジデント、メリディエンを、ジェンソンを通してみてみると、その影響のおおきさは明瞭になってきます。さらに、うがちすぎかもしれませんが、ユニヴァースにおける素材感や、土くささのようなものも、そこに透けてみえてくるようにおもえてきます。
15世紀インキュナブラのひと、ニコラ・ジェンソンの精神とその造形は、まぎれもなく、20世紀スイスのひと、アドリアン・フルティガーによって継承されていました。

このユニヴァースの改刻の作業は、40 年ぶりに子供が家に帰ってきたようなものですから、それはそれは楽しい作業ですね。ライノタイプ・へル社がパック・アップしてくれています。
同社ではコンビュータのインターポーレーション技術も使って
いますが、わたしは40 年前とまったくおなじ、手の作業で仕事をしています。
わたしたち老夫婦にとって、すでに貯えは十分にありますので不安はありません。ですから、このプロジェクトの報酬は、きわめてわずかなものです。わたしの願いは、よい活字が、ながく存続していくことにあるのです。

以上がフルティガ一氏の語った、ユニヴァースに関するあらましです。あまり著作の中で語られていない事柄も多く、そのひとこと、ひとことが、肺腑をえぐるような重みで迫るものがありました。とりわけニコラ・ジェンソンが、フルティガ一氏のこころの師であると述べたときなど、全身に鳥肌がサァッーと立つような緊張感と、迫力がありました。
もちろん、フルティガ一氏は、フランス語で話された訳であり、酒井
哲郎氏の的確な通訳を得て記録されたものです。このひと、わたしの悪友ですが、まことに名通訳でした。正式に頼むと相当に高いギャラ( らしい)を要求されます。
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宙を翔ぶような、雲のなかをただようような、快い興奮と、感激のときは終わりました。おたが い別れがたいおもいはありました。
最後におもいがけず、フルティガ一氏が、ホテルまで送っていくといいだし
ました。
「ホテルはどちらですか」
即座にわたしたちは、三人で声をそろえて、胸をはって、
「シュワイツァホフです」
今回の旅のなかで、唯一自慢できるホテルなのですから ――。
明日も早起きして、酒井氏はパリに戻り、わたしたちはアルプスを越えて、イタリアへの電車の旅がまっています。

【新宿私塾】 爽秋の風のなか、新宿私塾第27期 スタートしました

私塾27期スタートWEB第27期入塾《 新宿私塾第27期、爽秋の風のなか、意欲満満でスタートしました 》
隣接する新宿御苑の遊歩道に金木犀のかおりがかすかにただよい、さまざまな秋の艸花が咲きそろった2015年09月29日[火]、新宿私塾 第27期が開塾いたしました。

教場にはまだ終了したばかり、とても意欲的だった、前期の<新宿私塾26期生>の熱気がのこっていましたが、ここにあらたなタイポグラフィの俊英を迎え、これから半年間、ほぼ正月休みもなく新宿私塾は開講され、早春の2016年03月22日[火]に終了します。
講師、塾生の先輩ともども、全力であたらしいタイポグラフィの前衛を育成するために努力しますし、25回の講座は、いずれも内容の濃いものとなっています。
半年後、自信にあふれた塾生の皆さんの、お顔と、お姿を、再度紹介できたら幸せです。

DSCN1544DSCN1556新宿私塾では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 のみっつの領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。 それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともないます。
この半年のあいだ、塾生の皆さんがおおきな収穫が得られるように、講師陣はもとより、200名を優にをこえた 「新宿私塾修了生」 の皆さんも、精一杯の努力と応援をいたします。

《 恒例 新宿私塾第27期 カリキュラム  表紙デザインの紹介 》
27期カリキュラム新宿私塾 第27期 カリキュラム 表紙  ( Design : 講師 杉下城司さん )

新宿私塾 第27期 カリキュラムの表紙は、デジタルタイプの <バーグ・スラブ  Bague Slab Pro>です。
新宿私塾では受講期間のあいだに、和文活字でも、欧文活字でも、どちらでもかまわないのですが、できるだけ 「 My Favorite Type ― わたしのお気に入りの活字書体 」 を獲得することが勧められます。

もちろん、世上の評価がたかい活字書体でも、まったく無名の活字書体でも、「はやり書体」 でも一向にかまいません。 むしろどんな活字書体にも、避けがたく付着している 「 長所と短所 」 をみつけだし、「 長所をいかし、短所を制御する能力 」 がとわれます。

────────── 杉下城司さんのコメント
新宿私塾27期の書体は、< パラシュート Parachute >という、ギリシャのインディペンデント系タイプ ファウンドリーによって2014年にリリースされた<バーグ・スラブ PF Bague Slab Pro > です。タイプデザイナーは「バノス バシリウ  Panos Vassiliou 」 です。

バーグファミリーには、このスラブのほかに、サンズ、ユニヴァーサル、インライン、ラウンドのシリーズがあり、いずれも幾何学ベースのタイプフェースです。
サンズは20世紀初頭の幾何学的サンセリフ体に、ヒューマニスト系の特徴を取り入れ、メカニカルな固さを取り除いています。
ユニヴァーサルおよびそのインライン、ラウンドは、ヘルベルト・バイヤーのドローイングからインスピレーションを受けています。

今回使用している「バーグ・スラブ PF Bague Slab Pro 」は、20世紀初頭のスラブセリフ系書体からインスピレーションを受けているといいます。
このバーグ・スラブは、アップライトもそうですが、特にイタリックは、近年のサンセリフ体と同様に動的なつくりになっています。また半くさび形とするセリフが特徴的です。
細いウエイトは、ストロークとセリフがほぼ同じ太さのために、サンセリフに近い扱いができると思いますし、可読性のある本文組版用として期待が持てます。
太いウエイトは、従来のスラブセリフの誘目性をしっかりと発揮してくれます。
つまりウエイトによって可読性重視から誘目性重視に変化する面白い書体だとおもいます。
バーグはどのシリーズも興味深い書体です[杉下城司]。