カテゴリー別アーカイブ: 会員からのお知らせ

【会員からのお知らせ】 杉本昭生 小型本の世界 Ⅲ

アダナ・プレス倶楽部会員、京都在住の杉本昭生さん製作の小型本(いわゆる豆本)紹介の第三弾です。今回は以下の三冊をご紹介します。

◎ 杉本昭生小型本 第11作 『 漢 詩 抄 』
◎ 杉本昭生小型本 第12作 『 百人一首 抜粋 』
◎ 杉本昭生小型本 第13作 『 死生に関するいくつかの断想 』(小泉八雲)

ともすると小型本の製作者は、なにより小型であることと、装本のおもしろさにこだわりがつよいあまり、そのテキストや、読書のための判別性と可読性を失っていることがみられます。
ところが杉本さんは、もともと読書家ですので、たとえ小型本であろうと、テキストを厳選し、みずからも読み、読者にも読んでもらおうというつよい意志を感じます。
ところで、いつの間にか杉本昭生作品を収納していた容器がいっぱいになっていました。小型本、ちいさいながらもおそるべしですね。

お送りいただくたびに添付されている、杉本昭生さんの味わいのある「製作メモ」から、テキストの一部を抜粋して、写真とともにご紹介します。
なおこの<活版アラカルト>のページは、任意の写真をクリックしていただくと、フォトギャラリーをお楽しみいただけます。
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◎ 杉本昭生小型本 第11作 『 漢 詩 抄 』
今回の製作は『漢詩抄』です。どなたも一度は読んだことがある有名なものばかりです。
この漢詩の一行を書家が書いたように並べてみました。
文章はあちらこちらからの寄せ集めなので、その道に詳しいひとがご覧になったら
不自然さは歴然です。
長い漢詩は一部を割愛しました。ついでにいうなら署名も落款もいい加減です。
かさねてご寛恕のほどを。

4457 4460 4462 4461◎ 杉本昭生小型本 第12作 『 百人一首 抜粋 』
ご存じのように『百人一首』は平安時代から鎌倉時代の歌人、百人の歌を
一首づつ選び集めたもので、それぞれの時代を代表する歌が収められています。
もとより古典の知識があるわけでなく、ほとんどが勝手な解釈による現代文ですし、
おふざけです。
杞憂ながら、試験などでこの現代訳を書くとあなたの印象が悪くなります。
ご注意を。
さっと目を通してさっと忘れる、そんな程度のできだと思っています。
ものすごく暇なときに読んでください。

4466 4467 4469◎ 杉本昭生小型本 第13作 『 死生に関するいくつかの断想 』
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著/林田清明訳
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、明治23年に来日し、明治37年に
54歳で亡くなるまでの14年間に、日本人の民族性や精神性をテーマに
多くの著作を残しました。
『死生に関するいくつかの断想』は、ハーンが見聞した事実を通して
当時のひとの死生観を考察したものです。
今回は、というか、今回も紆余曲折があり、思いもよらない体裁になりました。
今更ながら本づくりの難しさを実感しています。
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本情報を掲載後、杉本昭生さんから含蓄あるメールをいただきました。
ご了承をいただき、下記にご紹介いたします。

アダナ・プレス倶楽部の皆さま

今回も拙作を掲載していただきありがとうございます。
御社のサイトで紹介されている洗練された作品群に比べると、わたくしの作るものなどはまったくお粗末で、恥ずかしい限りです。

しかし自分以上の事ができるわけでなく、好きな物語や言葉を集め伝えていきたいと思っています。
実際、小さなエピソードに人生が凝縮されている事もあります。
以前報道番組で、団地に住む一人暮らしの老人がインタビューに応えていました。

「ええ、一週間以上誰とも話すことがない時もありますね」
「最近誰かと話したことは?」
「二三日前スーパーで」
「何て」
「袋ください」

東京に行くことがあれば、ぜひご連絡の上またお訪ねしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。

向暑の砌 ご自愛専一で
杉本昭生

【リンク:アダナ・プレス倶楽部ニュース 杉本昭生 小型本の世界Ⅰ】
【リンク:アダナ・プレス倶楽部ニュース 杉本昭生 小型本の世界Ⅱ】

中国 上海の活字製造と活版印刷関連情報 ── 畠中結さんからのご報告

Letterpress07 Letterpress12 Letterpress10 Letterpress08 Letterpress06 Letterpress05 Letterpress04 Letterpress03 Letterpress02 Letterpress《上海郊外にある、実際に稼働している活字鋳造所》
上掲写真は、おそらくわが国でははじめて紹介されたものとおもわれる。撮影は今春に、この活字鋳造所を訪問された楊 黙さんによるものである。
まだ中国では〈活版ルネサンス〉のうごきは少ないようであるが、写真でみる限り、この活字鋳造所には10台以上の活字鋳造機があるようにみられる。
また「活字母型タンス」もしっかり管理されているようであり、もう少し中国における〈活版ルネサンス〉の動向が顕著となって、活版造形者が増加すれば、ふたたび活性化することは可能のようにみられる。

西欧諸国からもたらされた近代印刷術に関していえば、わが国では「江戸期通行体 お家流」の可読性と判別性がひくかったために、明治新時代民衆の旺盛な読書需要にこたえるために、連綿形ではなく、一字一字が独立して、また明確な矩形による明朝体活字を中心とした活字版印刷に積極的であった。
それにたいして、清国末期から中華民国時代(明治時代から大正初期)の中国では、まず膨大に存在した古文書の影印本(古文書の文面を写真術によって、製版・印刷した複製本)の製作に熱心で、石版印刷の普及に意欲的だったという相異がみられた。

そんな社会風潮もあって、中国における活字版印刷術の開発と普及は遅延したが、1920年代の後半からの新中国では、教育制度の改革と、民衆のリテラシーの向上が国是となって、活字製造と活版印刷は急速に普及した。
中国での近代活字開発の風景を振りかえると、ともかく楷書体をおもくみて、真四角でありながらも、書写の風合いをのこした「軟体楷書」の系譜の活字の製造に熱心であった。この系譜の楷書体は、わが国には昭和前半に津田三省堂などによってもたらされ、商品名「正楷書体」として知られるものが代表である。

また北宋から南宋の刊本字様、あるいは刊刻工匠たちによる工芸書風としての「聚珍倣宋版、倣宋体-わが国の宋朝体」の開発に集中していたようである。

その反面、「宋体-わが国の明朝体」、「黒体-わが国のゴシック体」の開発には消極的であった。[この項の参考資料:『楷書体の源流をさぐる』 p.84- 林 昆範、朗文堂]
──────
ともあれ、現代中国でも活版造形者が増加するかたむきをみせはじめている。楊 黙さんのスタジオにも、中国メディアの取材が盛んだとお聞きした。ここに声を大にして、字の国、漢字の国、中国の活字鋳造所の復活を望みたいところである。
できたらことし中に楊 黙さん・畠中さんをおたずねして、この活字鋳造所を訪問したいものである。

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<在時間的某処>, Somewhere in time, ある日どこかで。

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 《上海のアダナ・プレス倶楽部会員、畠中結さんと楊 黙さんの再紹介》
ことしのはじめのころ、旧正月(春節)の休暇にあわせて来社された、畠中結さん・楊 黙さんご夫妻を紹介しました。そのときにおふたりは〈操作指導教室〉を受講され、その後は小型活版印刷機も本格始動がはじまったようです。
そんなおふたりを応援するために、ここに楊 黙氏のWebSite の情報を中心に、
おふたりをご紹介します。【リンク:YANG MO】。

最初に掲げた版画は、漢字が簡化体になっています。日本式表記ですと「在時間的某処」となります。
「<在時間的某処>は、英語では<Somewhere in time>、日本語では<ある日どこかで>となります。── 畠中」
とても夢のあるよいことばですし、すばらしい版画ですね。

〈 EXHIBITIONS 〉

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楊 黙  Yang Mo ┊ 1980年中国うまれ
中国上海在住。日常生活のすべてを芸術、デジタル・デザイン、版画製作に捧げているアーティスト。
楊氏は南京芸術大学を卒業し、そののち版画製作の最先端の研究を、ドイツ中央部、芸術と大学都市、カッセル(Kassel)で続行した。同地で日本から留学中の畠中 結さんと知り合い結婚した(中国では夫婦別姓がふつう)。
中国に帰国後は上海にアトリエを開設して、中国各地でいくつかの展覧会を開催した。また2012年の東京TDC賞にも選ばれている。
楊氏はおもにデジタル・デザイナーとして活躍しているが、常に彼自身の版画作品をつくって、現代中国では顧みられることの少ない、あたらしい版画芸術を提案し続ける、意欲にあふれる造形家である。

〈 SELECTED WORKS 〉
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【 再 録 】 エッ、いまごろお正月 !? 上海在住の会員がご来社。

恭賀新年 新年快楽有ーあけましておめでとうございます。

《2014年01月31日、上海在住のアダナ・プレス倶楽部会員がご来社に》

もうすっかりお正月気分の消えた01月31日[金]、上海在住のアダナ・プレス倶楽部会員で、Adana-21J のユーザーでもある、畠中 結さん・楊 黙(Yang Mo  1980-) さんご夫妻が来社されて、「Adana-21J 操作指導教室」を受講されました【リンク:YANG MO】。
おふたりは留学先のドイツで知り合われて結婚されましたが、中国では夫婦別姓なのでそれぞれの姓をもちいておられます。上海では畠中さんは商事会社に勤務、楊さんは版画家として活躍されています。

畠中・楊ご夫妻は小型活版印刷機 Adana-21J を一昨年暮れにご購入されましたが、これまで来日の機会がなく、操作指導教室の受講が延び延びになっていました。それでもこれまでにたくさんの@メールのやりとりがあり、はじめてお会いしたとはおもえないほど会話がはずみました。
また今回は、中国では入手難な活版印刷関連資材や機器もたくさんご購入。幸い畠中さんのご実家が京都にあるため、これまでの Adana-21J などの輸送と同様に、ご実家に送付して、ほかの荷物といっしょに船便輸送となるようです。
【初掲載:アダナ・プレス倶楽部ニュース 2014年02月10日

【会員からのお知らせ】 ヒロイヨミ社の(本)

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ヒロイヨミ社の(本)
 
2014年5月7日[水]-5月29日[木]
13:30-18:30
日・月・第3土曜(17日)休み
 
於:ウィリアム モリス
珈琲&ギャラリー
渋谷駅から徒歩約6分
150-0002 渋谷区渋谷1-6-4 Tea Neat 2F
電話 03-5466-3717
──────
山本伸子さんの自己紹介
「 ヒロイヨミ社の(本)」という展示をします。

これまでに作ったもの、あたらしく作っている『白の詩集』、いずれも、コーヒーをのみながら、ゆっくりお楽しみいただけたら、とおもいます。
【詳細情報:ブログ http://hiroiyomu.blogspot.jp/

山元伸子= 1972年、富山県高岡市うまれ。 大学卒業後、書評紙の編集者を経て、ブックデザインの仕事をしています。 季節のアンソロジー「ヒロイヨミ」の制作・発行と並行して、製本作家・都筑晶絵さんと一緒に ananas press として本を作っています。 近況などは、こちらで。     https://twitter.com/hiroiyomisha

手製本・活版印刷……Atelier Bomami Open!

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Bonami

ボナミについて

杉山聡 三木葉苗 三木咲良 のトリオ。
神奈川県の小さな港町、真鶴のアトリエで
手製本、活版印刷などを用いた本や紙のものを制作しています。

Bon ami(ボナミ)はフランス語で「なかよし・良き友だち」の意味。
私たち3人は、はじめて出会ったその瞬間から仲良しになりました。
そのことが、私たちの人生でいちばんの彩りです。
浮き沈む日々も、ただ、こう言います。「私たちは Bonami(なかよし)です。」

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海の幸、山の幸にめぐまれた、神奈川県の
真鶴マナヅル町に、杉山聡 三木葉苗 三木咲良の、おさんかたからなるアトリエ、〈Atelier Bonami 〉-なかよし-がオープンしました。
〈Bonami 〉はアダナ・プレス倶楽部会員で、小型活版印刷機 Adana-21J のユーザーでもあり、アトリエをオープンした直後から、きわめて意欲的な活動を展開されています。
また WebSite も充実した、美しいものになっていますし、facebook にも豊富なコンテンツが掲載されています。
会員の皆さまも、これから、よきお仲間〈 なかよし  Bonami 〉としてご交流をお願いいたします。
[ 資料提供 Bomami ]   【 リンク : Bonami 】

【展覧会】 片岡知子さん 《てぬコレ2014「果物」展》

てぬコレ2014「果物」展
*と   き : 2014年4月25日[金]-4月29日[火・祝]
*会      場 : tray  東京都渋谷区代々木4-20-4
TEL : 03-6677-1999  www.tray.jp
*時   間 : 12:00-19:00(最終日17:00まで) 期間中無休
*主     催  : てぬコレ http://www.tenukore.com/

◆てぬコレ新作8柄 参加クリエイター
片岡知子・サダヒロカズノリ・高安恭介・中村幸代
のぐちようこ・羽多野光・村田善子・山田タクヒロ
──────
なんだか「果物」が気になります。
てぬぐいの柄が「果物」だと、どんな気分になるのでしょうか。
今年の「てぬコレ」の新作は、「果物」がテーマです。
8人8様のユニークで美しい「果物」をご賞味ください。
──────────────────
 
《八朔ゴムはん-片岡知子さんから、情報提供をいただきました》
第一回の〈活版凸凹フェスタ〉から連続参加されていた、〈八朔ゴムはん〉の片岡知子さんが、
〈てぬコレ2014「果物」展〉に参加・出展されます。
〈八朔ゴムはん〉のWebSiteには、Vimeo 動画も新設されています。
〈てぬコレ2014「果物」展〉の詳細は、主催者情報とあわせて
〈八朔ゴムはん〉の情報もぜひともご覧ください。

片岡知子さん
1975年  カラカス生まれ
1979年  東京/さくら幼稚舎に転入
1998年  大学/彫刻科卒業
2002年  個展 手紙展(彫刻/自庭)
2004年  八朔ゴムはんの活動始
2007年  八朔ウェヴサイトをひらく

【イベント紹介】 活版、横濱、2014

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活版、横濱、2014
【日  時】 2014年4月19日[土]-20日[日] 10:00-18:00
【会  場】 象の鼻テラス  横浜市中区海岸通1 丁目
【入場料】  無 料
【主  催】 活版、横濱、実行委員会
代表 : 株式会社築地活字
詳細URL : http://tsukiji-katsuji.com/kappanyokohama/
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象の鼻テラスに『ウマ』がくる!
活版印刷のイベントです。
活版印刷のワークショップや展示、 活版印刷製作物の販売を
横浜・象の鼻テラスという開放的な明るい空間で。
活版印刷の現場で使っている『ウマ』と呼ばれる棚に鉛活字が並びます。
普段はみることのできない、職人の実演(1日に2-3回を予定)、
来場者による活字棚から文字を「拾う」文選体験や
活版印刷機『テキン』、『アダナ』による活版印刷体験
新・活字ホルダーなどによる簡易印字体験。
関連資料、組版、紙型の展示など。
活版印刷を体験できるワークショップをご用意しています。
[資料提供:株式会社築地活字]

【良書紹介】 黒滝哲哉『美鋼変幻-たたら製鐵と日本人』 & 『活字-記憶鉛與火的時代』

DSCN3440『美鋼変幻 【たたら製鉄と日本人】』
黒滝哲哉著
日刊工業新聞社 2011年03月28日
定価:1,800円(本体価格)
ISBN978-4-526-06657-3
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たまたま火と金属に関するふたつの図書を読んだ。
『美鋼変幻 【たたら製鉄と日本人】』の著者:黒滝哲哉氏は、「財団法人日本美術刀剣保存協会 略称:日刀保 ニットウホ たたら」の有力メンバーである。

わが国では古来、製鉄術として「たたら製鉄法」【ウィキペディア:たたら製鉄】によってきた。同書「はじめに」によると、

「たたら製鉄とは、(一操業ごとに)粘土で築いた炉に、原料を砂鉄とし、燃料に木炭を用い、送風動力に 鞴 フイゴを使用して、きわめて純度の高い鉄類を生産する日本古来の製鉄技術をいう」
としている。
この技術は奈良朝時代に本格化し、明治初期に西洋式溶鉱炉の導入によって衰退したが、いまなお日本刀作刀などのための必須の原料として、島根県の山中で、年に三度ほど製造されているという。

「日刀保たたら」では、粘土をこねて炉を築き、三昼夜、間断なく、木炭およそ12トン、砂鉄およそ10トンを灼熱の高温で燃焼させつづける。
その間、かつては、鞴フイゴを踏み、風を送る、「番子バンコ」と呼ばれる係りのものがいて(現在では電動モーター)、決まった時間ごとにかわることから、「かわりばんこ」ということばがうまれたとする。
そして2.5トンほどの「鉧 ケラ」、すなわち良質な鉄の原料をとりだすことになる。そのときせっかく築いた炉は、一気に壊されてしまうという。-ひと操業ごとに-とは、そうした意である。

この不眠不休の三昼夜を見守り、工匠が終始礼拝を欠かさないのは、製鉄の神とされる「金屋子神」である。黒滝氏は「金屋子神」を女神として紹介し、「かなやご-しん」と濁って紹介している。また、製鉄だけではなく、「産業の守護神」としてひろく信仰をあつめてきたとし、地域により「金山さん・金屋神・荒神さん・稲荷さん」と呼ばれているとしている。

東京築地活版製造所の活字鋳造工、鋳物士(俗にイモジ)が信仰していたのも「金屋子神」であり、「火の象徴としての太陽の勢いが、もっとも衰微する冬至の日」に際して、「鞴フイゴまつり、蹈鞴 たたらまつり」を催し、「一陽来復」を祈念し、従業員にはミカンを配ってきたことはしばしば紹介してきた。
東京築地活版製造所の源流は、幕府時代の「長崎製鉄所」にあり、創業者の平野富二(1846-92)も、16-23歳のとき、そこに所属していたが、「長崎製鉄所には製鉄の設備は無く、むしろ大規模な鉄工所としたい」(『平野富二伝』古谷昌二)ともされている。
黒滝氏も指摘されていることだが、古代製鉄法が紅蓮の焔を必要とし、その祭神「金屋子神」を、やはりフイゴやたたらを用いて、高熱を必要とした、活字鋳造工、鋳物士たちも信仰するようになったようである。

◎ 花筏 A Kaleidoscope Report 002:『活字発祥の碑』をめぐる諸資料から 2010年11月08日
◎ 花筏 タイポグラフィあのねのね*012 平野富二と李白 春夜宴桃李園序 2011年08月03日
◎ 花筏 朗文堂-好日録012 アダナ・プレス倶楽部 新潟旅行Ⅰ 2013年10月09日
◎ 花筏 平野富二と活字*02 東京築地活版製造所の本社工場と、鋳物士の習俗 2013年10月21日

『美鋼変幻 【たたら製鉄と日本人】』は、技法書ではなく、むしろ産業史であり、文化・文明論をかたって興味ぶかい。ご一読をおすすめする次第である。
なお、「日刀保たたら」の作業場は、危険があり、また神事にちかい作業でもあるので、見学・撮影は制限されている。詳しくは同書巻末に紹介されている。
なお、たたら製鉄法と金屋子神に関しては、多くの画像をもちいて紹介している【島根県安来市和鋼博物館 たたらの話】も参照してほしい。

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『活字 記憶鉛與火的時代』
周 易正 編
行人出版社 廖 美立
ISBN 978-986-90287-0-7
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台湾の活版印刷の現状をよく伝える図書 『活字 記憶鉛與火的時代』 を、日星鋳字行の張 介冠代表にいただいた。
原題 『活字 記憶鉛與火的時代』 はすこしわかりにくいので、《活字-鉛と火の時代の記憶》、あるいは副題としてつけられた 《Remembering the Letterpress Printing in Tiwan》 としたほうがわかりやすいかもしれない。

日星鋳字行(行 は お店の意)は台湾唯一の活字鋳造所である。活字鋳造所とはいいながら、日星鋳字行では、鋳字(活字鋳造)、検字(文選)、そしてときには排版(組版)までをおこなう。
張 介冠さんは、独自の活字母型製造法をもちいて、「活字母型製造」と「活字鋳造」をにない、游 珠(親しみをこめて シュおばさま ≒ 阿 珠姐)さんが検字(文選)作業をになっている。

同書によると、台北市・台南市を中心に、台湾には16ヶ所の「活字版印刷所」があり、排版(組版)と活版印刷業務にあたっている。活字の供給は当然日星活字鋳造行である。まだページ物印刷も多いが、紙型鉛版をもちいず、活字原版刷りが多いとする。印刷機器は、日星鋳字行をふくめ、その設備の大半は日本製である。
『活字 記憶鉛與火的時代』は、第一部「職人的記憶」と、第二部「活著的様貌-創新、活用與保存」からなり、附録として「字體様本」が綴じこまれている。
第一部はいくぶん懐古的だが、第二部は、活版印刷を活用しながら保存する-創新-という、台湾行政府の方針をうけた構成となっている。
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『活字 記憶鉛與火的時代』をお持ちいただいたのは、台湾活版印刷文化保存協会  柯 志杰(カ シケツ)さん。朗文堂 アダナ・プレス倶楽部と、日星鋳字行の張 介冠さん、游 珠さん、そして柯 志杰さん、支援にあたっている台湾大学の有志とは親しくお付きあいいただいている。
今回の柯 志杰さんの来日でも、様様なご相談をいただいた。いずれも困難な問題ではあるが、台湾では「活版印刷を活用しながら保存する-創新-」の取り組みに積極的である。アダナ・プレス倶楽部も「活版ルネサンス」の旗を掲げて前進している。お互いに協力していきたいものである。

《活版凸凹フェスタ2012》会場にて。左:日星鋳字行  張 介冠(チョウ-カイカン)代表
右:台湾活版印刷文化保存協会  柯 志杰(カ シケツ)さん

 ◎ 花筏 朗文堂好日録-025 台湾の活版印刷と活字鋳造 日星鋳字行 +台湾グルメ、圓山大飯店、台湾夜市、飲茶 2013年01月22日

アダナ・プレス倶楽部の皆さん。台湾・台北市の日星鋳字行にて 

中国の友人/年賀状の交換を巡って 原 博 さんの〈夢〉&北京点描

DSCN0787 DSCN0784DSCN0793上 ・ 中〉 中国の名門大学 清華大学美術学院副教授 原 博 先生(中央ショートヘアのかた)
下〉 「老北京-ふるき よき 北京」にある「胡堂 フートン」の情景の絵画。 硝子ケースがテカッテマス。ご容赦を。
adana年賀adana年賀宛名面アダナ ・ プレス倶楽部リンク : アダナ・プレス倶楽部 2014年(平成26)年賀状

今年 [2014年] の年賀状は、ライト兄弟の1903年(明治36) 飛行実験の写真を亜鉛凸版で、そしておなじ年に誕生した、24pt. フランクリン・ゴシックの活字を用いて、ライト兄弟の兄、ウィルバーのことばを活字組版しました。

  動力がなくとも飛ぶことはできる。
  しかし、知識と技術なしには
  大空を翔けることはできない。
         ――  ウィルバー ・ ライト ――

動力のない、手動式の活版印刷機をもちい、不自由で限られた活字を駆使して、
活版印刷の知と技と美の研鑽をつづけている、アダナ ・ プレス倶楽部会員の皆さまへ ——
活版印刷の普及と存続のために、アダナ ・ プレス倶楽部の機材の製造と供給を
支えてくださっている、おおくの職人の皆さまへ ——
すべての、身体性を伴なった「ものづくり」の現場の皆さまへ ——
感謝と尊敬と応援の意を込めて、今年の念頭のご挨拶に代えて、このことばを贈ります。

《きっかけは、『 VIVA!! カッパン♥ 』 を購入したいとのご希望であった 》
——やつがれこと 片塩二朗 wrote
大石が年度末対応でおおわらわなので、代わってやつがれがアダナ ・ プレス倶楽部の〈活版アラカルト〉を訪問。皆さんのお名前を出したので、やつがれ 片塩二朗 も本名で記述させていただいた。中国で北京大学と双へきをなす名門大学、清華大学 美術学院 副教授 原 博 先生とご交誼をいただくことになった。そのきっかけは 『 VIVA!! カッパン ♥ 』 (アダナ ・ プレス倶楽部 大石 薫編著 朗文堂 )のご購入であった。

ここのところしばしば中国にでかけている。 中国、北京、ひろしといえども、活字製造業者はほぼ消滅し、活版印刷実践者は、現状では日本より少ないようである。
ところが国土がひろいだけに、「つぶやきクン」 「顔本クン」 のたぐいの中国版がさかんで、やつがれと大石が中国にでかけると、北京どころか、上海、西安、成都など、ひろい中国の、せまい活版印刷実践者のあいだに、瞬時に情報が伝わるらしい。
原 博先生もそんな数少ない活版実践者のおひとりである。だからウカウカできないのだ。

ことばの壁があるにせよ、中国の活版印刷実践者のあいだでは、『 VIVA!! カッパン ♥ 』 は単なる活版作品集ではなく、実践に役立つ図書とのうれしい評価をいただいている。原 博 先生も、同書を所有している友人のもとでご覧になって、入手を希望されて@メールをいただいた。
原 博 先生は、中国東北部(旧満州)ハルビンのご出身で、大学卒業後に来日され、東京藝術大学大学院にまなばれ、博士号を取得されている。 したがって日本語は流暢であるが、ホテルのロビーで最初の出会いのときに、ちょっとしたハプニングがあった。
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このきのホテルは、紫金城(故宮博物院)と、王府井 ワンフーチン にはさまれた「老北京-ふるきよき 北京」にある「胡堂 フートン」をすっかり近代化したもので、二階建ての煉瓦づくり、低層階の建物が複雑に入り組んだものだった。「胡堂 フートン」 のふるい情景は、ガラスケースがテカって恐縮だが、「茶 館」にあったものをあらためて下掲写真で紹介した。

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このホテルの周辺は景観保存区域であり、高層階のビルは禁止であり、煉瓦の色彩も、おもい灰色で統一されている。わが国でいうなら、スケールはだいぶちがうが、皇居と銀座のあいだともいえる地区である。 ここは東京の官庁街:日比谷・霞ヶ関とはことなり、交通が便利なわりに、庶民的なまちで、ホテルの中庭には上掲写真の胡堂でも描かれている、棗 ナツメ のおおきな古木がのこされていた。
その棗の木陰のベンチで、持参した図書 ( 本にあらず-後述 ) を読み、紫煙をくゆらすひとときは、まさしく至福のときとなる。
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ホテルのロビーにて。しばらく三人、たがいを見やって無言。
「 あの~、ハラ 先生でいらっしゃいますか ? 」
「 エ~ッ、オオイシ さんですか ?! 」
ともかく吃驚仰天。 三人ともに、なんの疑いもなく、原  博さん、大石 薫 とは、相互に男性だとおもっていたためのハプニングだった。

やつがれにも@メールをCCで同着していたが、なんの疑念ももたずに 「 原 博 さん 」 は、日本読み 「はら  ひろし 」、中国読み 「 ゲン ハク 」 とでも読むのだろうし、当然男性だとおもっていた。
大石は、名の「 薫 」 を、「 薫 かおる と読めば男性 」、「 薫 かおり と読めば女性 」 という経験をなんどもしているので、さほど抵抗はなかったようだが、女性の原 博先生の登場にはやつがれもおどろいた。
のちほど 「 原  博 」 の読みかたをうかがったが、日本留学時代は 「 ゲンさん 」 と呼ばれていたということであった。 辞書的にいうと 「 原 yuán 博 bó 」 となるらしい。

そんな出会いがあったため、すっかりうち解けて、やつがれのリクエストで、ホテルのカフェではなく、「 タバコのすえる喫茶店~ 」 をめざしてでかけた。 徒歩で05分たらずで、ふるくからの繁華街、王府井 ワンフーチン につくが、ひとでいっぱいの、スターバックスやマクドナルドはあれど、「 タバコのすえる喫茶店 」 はなかった。
結局、清朝時代からつづいている老舗の 「 茶舗 」 の階上に、ふんいきのよい 「 茶館 」 を発見。 茶舗の店頭は混雑していたが、二階の茶館は禁煙ながらすいていた。 そこで撮影したのが上掲03点の写真。

一杯目のお茶をのんで ( これがしみじみとうまいのだ!)、屋外の灰皿にでかけて一服。
そこで考えた。

〈 原先生は 『 VIVA!!  カッパン♥ 』 を清華大の学生にみせるのだろう。 ところで、アダナ ・ プレス倶楽部を中国風に紹介すると、どんな表記になるのかな……。 阿多那押圧印倶楽部 渾名、はたまた艶菜刷印倶楽部かな……〉
などとボォ~と考えていたら、地方からみえたとおぼしき中年の夫婦に、道をたずねられた。つづいて女子高生とおぼしきグループにも地図を片手に道をたずねられる。

やつがれ、鞄を背負っているとめったに間違えられないが、から手でボーッとしていると、しばしば現地中国人と間違えられる。
やつがれのわずか二代前は、信州の山奥、ふるくからの百姓だし、パスポートは真っ赤なのに、新宿の中国料理店などでも、親しげに中国語で話しかけられたりする。 ふしぎであり、中国流なら不可思議である。

くだんの女子高生たちは、
「cやだ~、日本人に道をきいちゃった~」
といって 〈 多分 〉、キャッキャッと笑いながら、隣の灰皿のオヤジのほうに駆けていった。

このときの訪問で撮影した写真を紹介しよう。

DSCN0342 DSCN0338 DSCN1012上) 地下鉄01号線、再開発され、若者の町として急速に発展した、西単駅前にある 「 北京図書大厦ビル 」。 ここには新華書店を中心に、多くの書店が出店している。 従来は王府井の新華書店が北京最大だったが、その数倍の規模となっている。
店内通路はひろく、立ち読みも、座り込み読みもさかんだが、高額図書は鍵つきのケースに入っていて、店員に依頼して出してもらう。 在庫がおおすぎてクラクラする。 あまり大きいのも考えものかもしれない。
客の多くはスーパーの買い物籠のようなものに紐をつけて、店内をズルズルと引っぱってあるく。 購買意欲はきわめて旺盛だった。

店外サインをみると 「 図書(表示は簡体字) BOOKS 」 とあり、このビルでは 「 図書 ≒ 書籍 」 はあつかうが、雑誌はほとんど扱わない。 また「本」には、中国では 「 もとい、基本 」 にちかい意味がつよくあって、「 図書 」 「 書籍 」 とするのが一般的である。
また中国では欧州諸国と同様に、図書にも明確に廉価版と高額版があり、図書 Book と、 雑誌 Magazine も、流通、販売経路が分離している。

下) 雑誌 ・ 新聞類は、ふつう街角のキオスクのようなスタンドが販売している。新旧のお正月をひかえて店頭ははなやかだった。
わが国の 「 本 ・ 本屋 」 という、便利すぎて、意味領域が拡散した呼称は、電子メディアの進展とともに見直されることになりそうである。

DSCN0794 DSCN0813上) ホテルの近くの「 中国風手打ちソバ屋さん 」。 昼間の散策であたりをつけておいて、夕食に飛びこんだ。 大当たりで、安くてうまかった。
オーダーがあってからソバをうつので、時間はかかるが、その間は前菜料理がたっぷりと。 もちろん中国風で、日本蕎麦ではない。 ふつう中国では、大衆レストランでも、「 ラーメン一杯だけ 」 ということはめったにない。

下) 中国の柿。 くだもの ( 水果 ) 屋さんも多い。 カタチが中国絵画でよくみる、いかにも柿らしい姿がおもしろかったので購入。
くだものの難点は、飛行機には、くだものナイフは危険性への配慮から持ちこめないし、どのホテルもやはり安全を配慮するのか、貸すことをしぶること。 洋食用のナイフを借りて、苦労して剥いて食す。 極旨。 くだものは持ち帰れないのが残念である。

DSCN0460 DSCN0462 DSCN0777上) ホテル近くの路地をトコトコと散歩していた狗 モトイ 豚。 首輪もリードもなくて放し飼いだったが、車道には出ないお利口ちゃんだった。 尻尾をふりながらついてくるので  HOUSE !  といったらしょんぼりともどっていった。 この豚は人語がわかるらしい。
ところで、なにせ豚肉料理が大好きな中国のことゆえ、おおきくなったらこの豚ちゃんは……。 心配ではある。

下) 北海公園 閲古楼ちかくの猫。 人なつっこい猫で、しばらくつきまとっていた。
────────
古今東西をとわず、女性の長~話はつとに知られるところである。
これにはやつがれもほとほと辟易するが、原 博先生との会話は、ときおり筆談を交えて、楽しかったし、きわめて有益だった。

原先生とは、翌2014年01月中旬にも北京で再会した。そのときのお話しでは、中国では間もなく春節 ( 旧暦のお正月 ) になり、大学も休暇になるということであった。

別の友人は、2014年の法定祝日 ( 旧暦の元旦 ・ 春節 ) は01月31日[金]で、休日は01月31日[金]-02月06日[木]の7連休となるが、ともかく春節の前後は、物流もとどこおり、一ヶ月ほどは仕事に集中できないとこぼしていた。
【 リンク : エッ、いまごろお正月 !?上海在住の会員がご来社。& 「老北京のご紹介」2014年02月10日 】

そして、2014年03月10日、原 博先生からうれしいメールを頂戴した。 キーワードは〈 夢 〉。
あらかじめお断りしておくが、大石は昨年年末、航空郵便で年賀はがきをお送りした。そのお返事が03月10日に到着したということ。 なにごとも、のんびり、おおらかなのが中国である。
原 博先生と大石 薫とのメールが、やつがれにも CC 送付されてきたのでご紹介したい。

────────
大石 薫 様
もうすぐ桜の花咲く季節となりますね。 大石さん、片塩さんはお元気ですか。
大石さんの年賀状が届きました。 春節と冬休みで拝見するのが遅くなりました。
ウィルバー ・ ライトの話、とても好きになりました。ありがとうございます。
確かにこの時代に生きている私たちにとって、知識と技術は重要なことです。
そのほかにもう一つ重要なことは「夢」だと思います。
書体設計と研究は片塩さんの夢で、
活版印刷とアダナ·プレス倶楽部は大石さんの夢で、

デザイン教育は私の夢です。
2014年 夢の実現のために頑張りましょう。
原 博
2014年3月10日
──────── 
原 博 先生
日本の暦では先週の木曜日が啓蟄ケイチツでしたが、
土曜日にはまた雪が降り、今週もとても寒い毎日です。
三寒四温といいますが、今年の東京は、急に18度まで気温が上がったかと思うと、
例年にない大雪が降ったりと妙な気候です。

さて、年賀状到着のご連絡ありがとうございました。
私が航空便扱いで年賀はがきをポストに投函したのは、日本のお正月のときですので、
1月[18日]にまたお会いした際には、すでにそちらに到着していることと思っていました。

時間差があるところが、郵便のおもしろいところだと、あらためて思いました。
電子通信が発達して、遠い外国へも気軽に通信ができるようになりましたが、
紙メディアならではの、このようなのんびりとしたやりとりも、楽しいですね。
なにより、無事に年賀状が到着して安心しました。

片塩はよく、タイポグラフィには 「 知 」と 「 技 」と 「 美 」 のバランスが大切だといいますが
原先生のおっしゃるとおり、何事にも 「 夢 」 はとても大切ですね。
またお会いできる日を夢見て、楽しみにしております。
ご連絡と、素敵なお言葉をありがとうございました。

朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部
大 石  薫(かおり)
2014年3月11日

アダナ・プレス倶楽部 恒例「餅と餃子の会」 and More

《ご報告が遅れました! 2013年12月某日 アダナ・プレス倶楽部 餅モッチ 餃子の忘年会》
どういう訳かお餅が大好きな会員が多い〈朗文堂 アダナ・プレス倶楽部〉。
遠方の会員のかたのご参加がむずかしいのは残念だが、〈新潟山山倶楽部〉なども結成され、各地で「○○ アダナ・プレス倶楽部忘年会」を開催されているようである。
報告が遅くなりましたが、年末恒例の〈アダナ・プレス倶楽部 餅と餃子の会―餅モッチ 餃子の忘年会〉の模様を紹介いたします。DSCN1593 DSCN1630 DSCN1640 DSCN1636最初に到着されたのは小酒井さん。ふだん調理などはまったくされない社長業の小酒井さんに、大石が、皮むき器とおおきな大根を渡ししながら、
「コレ、使い方はわかりますか?」
とたずねたところ、
「はい。去年ここではじめて使ったのでわかります」
との返答。そうであった。一昨年末のアダナ・プレス倶楽部忘年会でも、小酒井さんに大根おろしの製作担当をお願いした。小酒井さんはさっそくエプロンを着用され、いささかおぼつかない手つきで、大根の皮をむき、すりおろし作業を開始。

写真を見ると、このころのエプロンのカラーはまだ、俗称「ケロンパ・エプロン」とされた、あかるい緑色である。わずかな期間とはいえ、もはや懐かしいものとなった。
クリーニングと染めなおしを経て、再生した濃緑色のエプロンを着用し、郷里の北陸にもどられた正成みゆきさん製作「巨大 凸凹 スタンプ」を手にしているのは大石薫。したがってカメラマン不在となり、やおらやつがれの出番となった。
使命感に燃えて懸命に撮影したが、どういうわけか首から上がフレームからはずれてしまった。他意は無い。ただカメラが苦手なだけである。

〈アダナ・プレス倶楽部 餅と餃子の会―餅モッチ 餃子の忘年会〉では、餅も撞くし(最近は機械だけど)、餃子の皮も、練りからはじまり、本格的なフリルつき? 具材もすべて手づくりである。
アダナ・プレス倶楽部宴会部長の異名をもつ、真田幸文堂と横ちゃんは、このときばかりは黙黙と具材製作に励む。真田幸文堂は餃子の皮を練り、ちねって、伸す係り。横ちゃんは、餃子の具を練り込み、小分けし、詰め込む係り。
ふたりの熱中と沈黙をよそに、その間(横目でチラチラ、そして無視)女性陣はお酒を片手に、旺盛な食欲を発揮。そしてにぎやかに談笑。
上) 〈朗文堂花筏 画像検索〉で常時上位にランクされている横ちゃん。台湾夜市 士林 名物巨大フライチキンを食す。 【リンク:朗文堂好日録-025 台湾の活版印刷と活字鋳造 日星鋳字行 +台湾グルメ、圓山大飯店、台湾夜市、飲茶 2012年10月06-08日】

ところでここの写真には、たれよりも餅好きな、雨と酒の神:バッカス松尾の姿がみられない。バッカス松尾は年末の残業で、あらかたの料理が無くなり、雑煮の餅もトロトロとなりかけたときに駆けつけた。
ところで小酒井さん、この時期の週末は忘年会数件を掛け持ちで大忙し。今年も巨大大根をすり下ろしたところでタイムアウト。昨年と同様に、餃子も餅も食さぬまま、名残惜しそうに次の会場へと出かけられた。

アダナ・プレス倶楽部 Website には飲食の情景が多いが(一部で顰蹙)、まぁたまのことでもあり(しばしばという説も)大目にみていただきたい。
以下順不同で、年一回、製作の苦しみ ? から解放されて、お餅と餃子とお酒を楽しまれている会員の皆さんを、アダナ・プレス倶楽部Websiteの奥座敷ともいえる、ここ「アダナ・プレス倶楽部コラム欄」に紹介したい。
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それから数日後、アダナ・プレス倶楽部会員:田中智子さんの誕生日。ご本人のご希望で、ひっそりとケーキ・パーティ。こうして2013年は暮れていったのでした。
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南岸低気圧大暴れ。かつては台湾坊主といった。ドカ雪2連発。降参です。

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まさに春嵐、春の嵐。二週にわたって連続した豪雪の被害にあわれた皆さまにはお見舞いもうしあげます。

本来雪があまり降らない太平洋側に、春先にドカ雪が降ることを、最近は南岸低気圧というようだが、かつては「台湾坊主」と呼んでいた。
天気図をみると、台湾あたりから隆起した低気圧が、ちょうど坊さんの頭のように急速に突起して、北方の寒気団と衝突して、太平洋岸にドカ雪をもたらすかららしい【リンク:ウィキペディア 南岸低気圧】。

やつがれ、今回のドカ雪のすべては雨男:バッカス松尾と、おシッシ~:猪瀬直樹がいけなかったのだと、勝手におもっている。
気象庁は降雪量こそ、ここまでの大量な積雪をみることはよみちがえたが、割りと正確に南岸低気圧の襲来を予測していた。

それなのにバッカス松尾こと、別称:雨男松尾は、一回目のドカ雪が降った02月08日[土、先負、針供養]に、「谷中掃苔会」を召集していた。やつがれなぞ、
「私大の入試のころには、ドカ雪がくるから、今回は『掃苔会』はやめたら」
といいつづけたが、前夜まで雨男松尾は強行態勢でいた。結果は雨どころか雪で、案の定中止だった。

[タイポグラフィ・ブログロール:花筏]より —— モト東京都知事・猪瀬直樹氏は、やつがれと同じ倶楽部で、部室においてある海水パンツは歴代部員につたわる? 共用品で、しかも一級後輩であった。
田舎の高校の下級生なぞは、一生、死ぬまで後輩なわけで、あのアグラッ鼻からお~シッシと呼んでいた【リンク:朗文堂-好日録020 故郷忘じ難く候】。
或る夏の日、部室の全員が一斉に「陰金田虫」になった。局部露出、全員ならんで下半身某所に赤チンを塗って、フゥーフゥ~とやったのは、かれのおかげといううたがいもある。たかだか5千万どころの騒ぎではない。

それにしても、お~シッシはあいかわらず気のちいさいやつで、こらえ性もなく都知事の椅子を抛り投げた。おかげで善良な有権者たるやつがれは、02月09日[日]、くるぶしをこえる積雪のなか、都知事選の投票所まで足をはこんだ。中学の校庭は意外に広く、滑らないように雪を踏みしめながら、
「バカタレ、お~シッシめ、開き直って叩かれることも我慢できんのか。こらえ性の無い奴だ!」
と、内心罵りながらあるいた。

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もともと豪雪でなる、信州飯山の出身であるから、ひと夜にして丈余の雪がつもることは珍しくない。
上掲の写真は2014年01月16日、羽田から北京へのフライトの際に富山県か岐阜県あたりの上空から撮影したもの。このときは典型的な西高東低型、冬型の気圧配置で、画面左側:日本海側には雪雲がはりつめ、山稜をこえた太平洋側は、気温は低いものの快晴だった。

そもそも日本列島の日本海側を「裏日本」というのが、ガキのころは気にいらなかった。なぜ日本海側、太平洋側ではなく、裏日本、表日本というのか不満だった。
しかもおなじ長野県でも、飯山市を中心に豪雪地帯であったが、わずか30キロほど離れた長野市では埃がまっていることが多かった。

ニキビ面の高校生のころ、飯山をでるには長靴が必要で、長野では革靴だった。いまのように貸しロッカーがあるでもなく、埃のまう長野市内を長靴であるくことは、ニキビ面の多感な高校生にとっては、かなりな屈辱感があった。
餘談ながら、お~シッシ:猪瀬直樹もこの飯山でうまれ、長野市でそだった。

DSCN3272 DSCN3267 DSCN3281 DSCN3266 DSCN3263 DSCN3262 DSCN3284 02月14日[金、バレンタインデー]、前回にもまして大量の雪がふった。会社でモタモタしていたら、電車が停まってしまった。運良く滑り止めのタイヤを履いたタクシーがきて助かった。その間にすっかり躰が冷えてしまったので、ふだん気にもとめなかったラーメン屋をみつけて飛びこんだ。

店の前の植え込みが、蔵王の樹氷のようになっていた。店内には天狗の面がたくさんあり、気のよい店主で、なにかとはなしかけてくる。まもなく閉店時間とのことだったが運良く滑り込めた。担担麺を食す。旨い。
しばらく店内でタバコをふかしていたら、いつの間にか雪がやんで煌煌と月がでていた。降雪の直後に月が出ると雪融けがおそくなる。そんな冴え冴えとした冬の月をみながら、雪国の友人たちの顔をおもいうかべていた。ノー学部は暇をもてあまして撮影ごっこ。
店をでて、あらためて看板をみたら「ラーメン てんぐや」としるしてあった。

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はじめての京劇鑑賞*そのⅡ 老北京 梨園劇場

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《2014年01月16日[木]、商用にて北京を訪問》
羽田発09:25 全日空NH1255便でのフライトだった。だから早朝から目をこすりながら羽田にかけつけた。
チケットはネットで安いチケットをとったため、ルックJTBの団体チケットだという。団体旅行は苦手なので抵抗したが、空港からホテルまで送ってくれるし、ともかく安いのだという。
むかしはこの団体送迎バスがくせ者で、お土産物やなどに連れていかれて閉口した。

羽田-北京までのフライト時間は、羽田-北京がおよそ4時間、北京-羽田がおよそ3時間半となる。重度喫煙依存症のやつがれにとって、この4時間の禁煙強制は限界にちかい。近いようで遠いのが中国である。往復に差があるのは偏西風の影響によるらしい。
機内ははやくも春節(旧正月)で帰省する中国のひとで満員。機内いっぱい賑やかに中国語が飛びかっていた。
────────
JTBの団体ときいていたが、同行は吾吾ふたりだけで、出向かえてくれたガイドと、運転手つきの10人乗り、おおきなマイクロバスがおもはゆい。道中心配していた土産屋に寄ることもなく、無事北京城地内の日航ホテルこと、「京倫飯店 JINGLUN HOTEL」に直行。
ここ数回、北京のホテルは「胡堂 フートン」を改造した、あたらしいペンションのようなところに宿泊していたので、大型ホテルはかえって落ち着かない。

ホテルで荷物をとき、ホッとしたのは夕方の04時ころだが、日本と中国には1時間の時差があるので、現地時間ではまだ午後3時ということになる。そこで部屋に備え付けの、おめでたい蝙蝠コウモリ模様でいっぱいの茶器で、午後のお茶を一服。
DSCN2775 DSCN2777 DSCN2782《午後の散策 「中国国際貿易中心センター」、「国貿飯店ホテル」。クリスマスとお正月がいっしょに 》
日航ホテルこと、ホテル「京倫飯店 JINGLUN HOTEL」では、さすがにBSテレビでNHKがみれたが、せっかくの中国でテレビを、ましてNHKをみてもつまらない。そこで晩ご飯のレストランを探しながら、ホテルの周辺を散策することにした。
「京倫飯店 JINGLUN HOTEL」は地下鉄01号線、永安里駅と国貿駅の中間で、どちらからも徒歩で5分ほど。国貿駅は「中国国際貿易中心センンター」と直結している。

なにぶん昇竜の勢いの中国だから、地下商店街には世界の有名ブランドが競って出店していた。かつてわが国の銀座や新宿の繁華街を占拠していたこれらの店舗は、こんなところに移動していたのかと驚いた。
そんな一画に、紀伊国屋のような高級食材店があって、そこには日本の食材、それも生鮮食材がたくさん列んでいた。育児用粉ミルクなどは日本製が多いとはきいていたが、お菓子はもとより、日本製をうたった野菜や果物が豊富にならんでいた。

「中国国際貿易中心センンター」は、東京ビッグサイトというか、幕張メッセのように広大な敷地であり、しかも地下街を中心に歩いたので、地上にでたら方向を見失って、併設の「国貿飯店ホテル」に入ってしまった。
脚が棒になってくたぶれていたので、ホテルのロビーでしばし休憩。
なかなかにして豪華なホテルだったが、ロビーに燦然と黄金色に輝く、一対の「金の成る木」がデンと鎮座していた。あまりに正直というか、いかにも現世利益を重くみる中国ならではの風景だった。
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 《梨園劇場でふたたび京劇をみる》
北京城区前門の近く、梨園劇場(宣武区永安路175号前門建国飯店1階 公演時間:19:00-20:40)にいった。ここは前回の湖廣會館とはちがって、近代ホテル「建国飯店」の一階にある劇場である。
こちらも客席は閑散としていた。開演前に役者のメイク実演などもあり、わかりやすいといえばそれまでだが、なにか違うなという感じ。やつがれは、役者は舞台でこそ勝負して欲しいし、楽屋や楽屋裏なぞはみたくもないほうであるから……。
ただしわが国の「京劇 口コミ」では、楽屋までいって役者と写真まで撮れた……など、湖廣會館より好評だった。

DSCN2643 DSCN2639 DSCN2660 DSCN2632 DSCN2624 DSCN2646 DSCN2685 DSCN2701 DSCN2706 DSCN2699 DSCN2695 DSCN2699 DSCN2693湖廣會館とおなじく、やつがれ、シモテ最前列で観劇した。残念だったのは弦楽器はこれみよがしに前面にでてきていたが、京劇の最大の魅力、煩いまでに鳴り響き、役者とともに演技を盛りあげる打楽器はテープで流れていた。したがって役者は、テープのリズムに無理やり合わせて躍っていた。
歌舞伎でいう「荒事」のように、動きが激しいうちはまだよかったが、後半の「世話物」のような、ゆったりとした芝居となると、テンポも、リズムも崩れており、メリハリにも欠けて、もういけなかった。
ありていにいうと、やつがれ後半はいつのまにか眠っていた。

《友人に前夜の芝居をこぼしたら、こんど本当の京劇をみせてくれるという……》
翌日[金曜日]は早朝から夜まで仕事だった、その合間に昨夜の京劇鑑賞のことをはなしたら、
「北京には、湖廣會館、長安大戯院、正乙祠戯楼、梨園劇場などで京劇をやっていますが、これらは観光客向けです。こんど、民衆の、本当の京劇にご案内しましょう」
といってくれた。友人は最初は版画印刷や石版印刷の専門家だったが、いつのまにかすっかり活版印刷術 ≒ タイポグラフィに方向を転じてきている。嬉しくもあり、困ったものでもある。

結局友人は翌日の休暇、土曜日一日を、やつがれらといっしょに「老北京 —— ふるき よき 北京」をたずねて、ガイドブックには載らない各所をいっしょにあるいた。
別れ際に、ちいさな本『毛首席最新指示』を手渡してニヤリとした。
「あのころはいささか暴走したけど、面白いことが書いてある。しかもこの図書のおもしろいところは、毛首席が好きだった活字書体で組んであることです」
毛沢東が好きだったという活字書体……。これはいずれ詳しく紹介したいが、ここにはとりあえず、『毛首席最新指示』を紹介しよう。
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はじめての京劇鑑賞*そのⅠ 老北京 湖廣會館

中国北京の京劇劇場、湖廣會館(湖广会館、Huguang Huiguan 中国北京市宣武区虎坊路3号 日本語予約:85892526 公演時間:19:30-20:40)は、1807年の開設というから、わが国では江戸中期、文化4年の開設ということになり、世界でももっともふるい劇場のひとつとされている。
また京劇の名役者として名をのこした 梅 蘭芳 (メイ・ランファン、1894-1961)もこの舞台にたっていたという。DSCN0457 DSCN0456 DSCN0354 DSCN0369 DSCN0363 DSCN0360 DSCN0355外観からはわかりづらいが、湖廣會館は中国によくみられる様式で、奥にいくほど、ひろく、おおきくなる。
劇場は三層、観客定員一千人ほど。
かつてこの建物で、1912年(明治45年・大正元年)に、ラストエンペラー、清朝宣統帝・溥儀にかわり、辛亥革命に成功した孫文らが北京に乗り込んで、「国民党決議会議」をひらいた場所としても知られている【リンク:中華民国の歴史】。

もともと、芝居、コンサート、バレエなどを、ナマで、劇場でみるのが好きである。歌舞伎の世界には、松本錦吾(三代目 1942-)という悪友がいて、何人かの役者とも親しかったので、しばしば改築前の歌舞伎座にかよった。それがやつがれ、数年前に破傷風での高熱がもとで特発性難聴(原因不明とされる難聴)となり、ほとんどのライブ公演や演奏会から遠ざかっていた。
────────
商用のためにときおり北京を訪問している。午前10時に相手先の会社を訪問するためには、前日の出発となり、その夜は現地宿泊となる。なにか中途半端な気分で時間をすごす。
老北京 —— ふるき よき 北京の風情をたずねて、ホテルの近くを散策したり、旨いレストランをたずねるのも一策だが、ひさしぶりにライブ好きの蟲が騒いだ。
「そうだ、まだ京劇をみたことが無いなぁ。時間もちょうどいいし、きょうは京劇をみよう」
DSCN0397 DSCN0402 DSCN0398 DSCN0399tori DSCN0414案内された席はシモテ(舞台向かって左側)の最前列。料金はお通し? つきでJP¥3,000位から。観劇はなにも最前列でなくてもよいが、シモテ側が好きである。歌舞伎でもそうだった。
役者はカミテに向かって大半の見栄をきるが、その際カミテ袖にひかえた楽隊と視線を合わせながら、絶妙のタイミングでカミテにむかって見栄をきる。その呼吸の見合いを見られるのはシモテの観客の特権である。

舞台におけるカミテとシモテは、演者と観客では逆になるのでわかりづらいが、俗にピアノ演奏会にたとえて「ピアニッシモ」とされる。ピアノの演奏者が座るのはシモテで、グランドピアノはカミテに向かって設置されるからであろう。
音を聴くだけならカミテがよいが、ピアニッシモで演奏者が繊細に鍵盤を操作するのをみれるのはシモテ側である【リンク:上手と下手】。かつて松本錦吾氏は、ときおり桟敷席の切符をゆずってくれた。
「カミテの桟敷と、シモテの桟敷、どっちにする?」
「シモテがいいな」
「オッ、ツウぶっているな」
そんな会話が懐かしい。ただしシモテ桟敷に座ると、花道での役者の演技のほとんどを、お尻だけをみることになるのは残念だが……。
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京劇は18世紀中国での発祥とされる。にぎやかに酒を呑み、食事をしながら、かけ声も盛大に飛びかって、舞台と観客が一体となって盛りあがったそうである。それがご多分にもれず、文化大革命のときに京劇も批判にさらされ、まだ本格恢復にはいたっていないようであった。
湖廣會館には、レストランをはじめ諸施設があって、ひとは多かったが、劇場は写真でご覧のように、やつがれらのほかには日本人の姿は無く、隣席にイタリア人のグループ、ドイツ人の老カップル、後部席に10名ほどの中国人程度の観客で、役者と楽隊の人数のほうが観客より多いほど閑散としていた。

舞台袖には電光掲示板があり、中国語と英語で粗筋が表示されていた。演目もわかりやすい、平易なものを選んでいるようだった。それでもそんな掲示板の表示をみるまでもなく、ともかく熱演で、文字どおり汗が飛びちるのがありありと見てとれた。
帰国後にネット上の「京劇 口コミ」をみたが、意外なほど辛口の批評が多かった。こういうところに投稿するひとは、わが国の歌舞伎や文楽を見たうえで投稿しているのだろうかとおもえた。
もし読者の皆さんが京劇を鑑賞されるのなら、あらかじめ加藤 徹トオル 《はじめての京劇鑑賞》 【リンク:加藤徹/はじめての京劇鑑賞】のご一読をおすすめしたい。とてもわかりやすく説いてある。
やつがれは、ともかく何度も鳥肌がたつような感動におそわれた。

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観劇のあと、隣接している大衆レストランに飛びこんだ。中国の長江(揚子江)、淮河ワイガより北では、米はほとんど収穫できず、おもに麦を育てている。したがって北京では、お米より饅頭 マントー が主食となる。これがまた旨いのである。DSCN0453 DSCN0448 DSCN0450小籠包、野菜炒め、お茶をオーダーした。野菜炒めは旨かった。
ところが……、メインディシュ ? として出てきた小籠包がこれ! 小籠包というよりも、肉饅頭ニクマントーではないか!? しかも最少量を注文したはずであるが……30個もあるではないか !? 
唖然としたが、食べたら旨かったので4ヶを食した。のこりはパックに入れてもらってテイクアウト。

アメリカと中国、ともにレストランでのボリュームにはおどろかされる。もちろん一部ではあるが、アメリカ人はそれをあたりまえのようにペロリと平らげ、そして「命がけのダイエット」として、朝な夕なにランニングをしたり、投薬にまで頼っている。
ところが中国人は(もちろん一部ではあるが……)、それを平然としてのこす風がある。
どちらもよくわからない……。 こうして北京の第一夜は更けていった。あすは早朝から仕事がまっている。