二十四節気の第14「処暑-しょしょ」
暑さが峠を越えて後退しはじめるころ。『暦便覧』では「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」とする。二百十日・二百二十日とともに颱風襲来の特異日とされている。ことしは8月23日-9月7日頃、すなわち二十四節気の第15「白露-はくろ」までをいう。颱風は次次と襲来するが、暑さは後退せず、残暑というより猛暑・酷暑の日日。
黄色の花は明治期に鑑賞用に北米からもたらされた帰化植物で「ルドベキア」の栽培種。和名を「オオハンゴンソウー大反魂草」として、すでに定着・野生化している。花の少ないこの時期、暑さに負けず群落をなしてたのしませてくれる。
カテゴリー別アーカイブ: 花こよみ
【会員情報】ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本 新作 ── ウディ・アレン『心霊現象を探る』
{ ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 一筆箋 }
ウディ・アレンの『心霊現象を探る』です。
この話は短篇集『羽根むしられて』に掲載されています。
彼の映画(どちらかといえば初期の頃)をそのまま活字にしたような
ギャグやパロディがぎっしりつめ込まれ、おおいに笑わせてくれます。
ほかにもいくつか作りたくなる話がありました。
ニューヨーカーらしい彼のイメージを伝えるため写真を使いました。
表紙は、タイトルの位置や紙の厚さが気に入らず、何度もやり直しました。
予定ではもっとおしゃれな本になるはずだったのですが……。
本文用紙を含め、紙の選定を間違ったようです。
まあ、至らないところは次の糧にして、
気ままな一人遊びを楽しみたいと思います。
【 詳 細 : ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】 { 活版アラカルト 活版小本 既出まとめ }
【平野富二の会】長崎直近情報|「平野富二生誕の地」碑前、三の堀跡の櫻が満開に!|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員情報ゟ|
「平野富二の会」 ── 皆さま
2024年04月01日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫
ご無沙汰をいたしております。「平野富二生誕の地」記念碑前の桜が満開となりましたので、今朝撮影しましたものをお送りいたします。
顕彰碑もきれいな状態です。文字が深彫りされているため黄砂が少し溜まっていましたが、一雨あるときれいに洗い流されます。
富二さんはことしも花見を楽しんでおられることと思います。
平野富二の会 ── 皆さまお元気でご活躍ください。[宮田和夫]
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「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9 ― 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。
碑は江戸時代の 三の堀跡 の方向をむいていますが、ここは現在櫻並木になっています。
宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木の坂道を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の 矢次富次郎少年 ── のちの 平野富二 が、幼少ながら「特例をもって」、また当時のならいで家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行社へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても七-八分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。
長崎訪問の折は、ぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。
[ 参考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 ]
[ 関連 : 平野富二-明治産業近代化のパイオニア ]
【展覧会】国立科学博物館 附属自然教育園|企画展 都 市 蝶|’24年3月23日-4月21日|終了
国立科学博物館 附属自然教育園
企画展 都 市 蝶
開催期間 2024年3月23日[土]- 4月21日[日]
休 園 日 4月8日[月]・4月15日[月]
入 園 料 一 般・大学生 320円、高校生(高等専門学高生含む)以下・65歳以上:無 料
* チケット各種割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照
開園時間 9:00-16:30(入園は16時まで)
所 在 地 国立科学博物館 附属自然教育園
〠 108-0071 東京都港区白金台5-21-5 お問合せ TEL:03-3441-7176
主 催 国立科学博物館 附属自然教育園、関 洋(写真家)
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写真家:関 洋がとらえた都心に息づくちいさな命をご紹介。
※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 国立科学博物館 附属自然教育園 ]
[ 関 連 : YouTube 自然教育園ってどんなところ? 国立科学博物館公式チャンネル 2:23 ]
自然教育園は、大都市「東京」の中心部:東京都港区白金台にあって、今なお豊かな自然が残る、都会の中のオアシスともいえる貴重な緑地。なぜ、緑地は残されたのでしょうか? 自然を守るために、どのような維持管理をおこなっているのでしょうか? スダ爺 と めばえん が紹介します。
この{活版印刷アラカルト}のウェブページは、限度ギリギリの長尺ブログになっています。そのためお手数ながら、ときおり、とりわけ動画類を閲覧後は「ページ画面を更新」していただくと、次回からもスムーズなスクロールと閲覧をお楽しみいただけます。また活版アラカルトの二枚目以降のページにも、一枚目に納めきれなかった魅力的な記事が満載。閲覧を強力推奨いたします。
{新宿餘談} 白金の国立科学博物館附属自然教育園には及びもつかないが、吾が空中庭園-別称乃至蔑称:ベランダ花壇もこのところの陽気で賑わいを取りもどした。蜻蛉と蝶の飛来はめっきり減ったが、ほぼ通年におよんで数種の蜂の人気を集めるのは写真の「バジル」である。ノー学部が苗から育てて鋏でチョッキン、香草として食した時期もあった。バジルはもう三年以上ここで経過、さすがのノー学部も葉は硬くなってもはや食草には適さないとする。それに代えて紫蘇の花にも似た房状の小さな花をたくさんつける。これが蜂の好物らしく、数種の蜂がこちらも通年でちいさな花から競って蜜を摂っている。また花茎は丈夫で密生しているので雀のお宿でもある。ときおりヒヨドリが雨宿りする。雀は吾輩をみると逃散するが、ヒヨドリは吾輩をギロリと睨んで動かない。
【会員情報】ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本 新作 ── 里見 諄『椿』
{ ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 一筆箋 }
里見諄の名作『椿』です。
川端康成が『新文章読本』で褒めていたのを読んだことがあります。
話は単純で、叔母と姪(叔母は三十歳ぐらい、姪は二十歳)が
布団を並べて寝ている時の出来事を描いたものです。
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この作品はずっと前に作っていましたが、後回しにしていました。
なんとなく出来上がりが想像できたからです。
しかし実際に印刷し製本してみると
頭の中で考えていたものとは違う存在感があり、
あっ、こんなふうになるのかと新鮮な驚きを感じました。
たぷん、そんな感触が楽しくて飽きずに続けているのでしょう。
よろしければご一読ください。
【 詳 細 : ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】 { 活版アラカルト 活版小本 既出まとめ }
【艸木風信帖】空中庭園|Lingua Florens|まだ残暑の欠片はみられるものの、空は高く澄み、月が大きくなった|秋がきた
【イベント】春日大社国宝殿|特別展 春日若宮式年造替奉祝 杉本博司 ― 春日神霊の御生(みあれ) 御蓋山そして江之浦|’22年12月23日-’23年3月13日|終了
春日大社国宝殿
特別展 春日若宮式年造替奉祝 杉本博司 ― 春日神霊の御生(みあれ) 御蓋山そして江之浦
開催期間 2022年12月23日[金]-2023年3月13日[月]
前期:2022年12月23日[金]- 2023年1月29日[日]
後期:2023年 1月31日[火]- 2023年3月13日[月]
会 場 春日大社国宝殿
630-8212 奈良県奈良市春日野町160
開館時間 10:00 - 17:00(16:30受付終了) * 会期中延長開館を行う場合があります。
休 館 日 2023年1月30日[月]
拝 観 料 一 般 1000円、 大学生・高校生 600円、 中学生・小学生 400円
特別協力 神奈川県立金沢文庫
主 催 春日大社、公益財団法人小田原文化財団、読売新聞社
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日本を代表する現代美術作家として世界で活躍する杉本博司は、日本の仏教美術、神道美術に深い関心を持ち、自らも収集してきました。美術品の中に自身の眼で新たな美を見出し、その美、その精神を種々の展覧会を通じて再表現してきました。
中でも春日美術への関心は群を抜いており、その美の神髄である春日明神への崇敬から、本年3月春日大社から御祭神を勧請し江之浦測候所に「甘橘山 春日社」を創建するに至りました。
春日大社にとって本年は、春には江之浦測候所に春日御神霊が遷座。秋には、春日若宮の御造替が完了するというめでたい年です。
春日大社 国宝殿 では 2022年12月23日[金]- 2023年3月13日[月]まで 、特別展 春日若宮式年造替奉祝「杉本博司 ── 春日神霊の御生(みあれ) 御蓋山そして江之浦」を開催します。本展では、現代美術作家・杉本博司監修により、春日信仰・春日若宮信仰の名品が公開され、春日をテーマとした大作も複数公開されます。
春日信仰が誕生し、春日若宮が御生された、御蓋山の麓という聖地で行われる展覧会に相応しい内容となっております。鋭敏な感性の突出した杉本博司の示唆に導かれて、新たな美を見出すべく、御蓋山を目指して春日大社 国宝殿へとお出かけください。
※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上ご参観を。
[ 詳 細 : 春日大社国宝殿 ]
【イベント】国立科学博物館 附属自然教育園|企画展「フィールドとつながる絵本原画展 草の根と落ち葉」|’22年11月3日-’23年1月15日
国立科学博物館 附属自然教育園
企画展「フィールドとつながる絵本原画展 草の根と落ち葉」
開催期間 2022年11月3日[木・祝]-2023年1月15日[日]
休 園 日 11/4㈮、11/7㈪、11/14㈪、11/21㈪、11/24㈭、12/19㈪、12/26㈪、12/28㈭-1/4㈬、1/10㈫
入 園 料 一 般 320円、高校生以下・65歳以上 : 無 料
開園時間 9:00-16:30(入園は16時まで)
主 催 国立科学博物館 附属自然教育園
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「草の根のたんけん(おくやまひさし 文・絵)」と「落ち葉のふしぎ博物館(盛口満 文・絵)」。2つの絵本に描かれた原画を楽しみながら、実際に園内で植物を観察できる、絵本原画と自然教育園のフィールドをつなぐ企画展。
絵本が伝える自然の魅力。フィールドだから気づくこと。その相乗効果から、自然の「おもしろさ」と「不思議」をより感じていただけるような工夫を散りばめました。
※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上参観を。
[ 詳 細 : 国立科学博物館 附属自然教育園 ]
【 参考動画 YouTube 自然教育園ってどんなところ? 国立科学博物館公式 かはくチャンネル 】
自然教育園は、大都市「東京」の中心部:港区白金台にあって、今なお豊かな自然が残る、都会の中のオアシスともいえる貴重な緑地。なぜ、緑地は残されたのでしょうか? 自然を守るために、どのような維持管理をおこなっているのでしょうか? スダ爺 と めばえん が紹介します。
【艸木風信帖】花こよみ|春が来た|ヘレボリス-クリスマスローズ|チューリップ|ルッコラ
昨年は新型感染症「COVID-19」への対応で、陽だまりの《空中庭園》と、陽の射さない《Lingua Florens》の「庭園主」としての時間が増えた。
そこでしばし愚考した。冬の花火ではないが、両方の花壇にあたえていた液肥の効果が強すぎたため、季節外れに艸木がひょろひょろと成長し、無理矢理花をつけているようだった。
その対応として、昨年の晩夏から液肥の使用をやめ、晩秋に固形有機肥料を多めに与えて、両方の庭をすこし休ませることにした。どうやらこの作戦は成功したようで、土中で冬ごもりしている虫たちが、春の気配を感じて動きだす3月5日、「啓蟄-けいちつ」のころ、西洋スミレが花をつけ、カタバミは旺盛に茂り、さまざまな艸木が花をつけだした。
本稿はすこし報告が遅れたが、「啓蟄」のころの艸木の姿である。
《ヘレボルス/クリスマスローズ》
この春ようやく本格的に咲きだした「ヘレボルス(学名: Helleborus)」。この花はノー学部がつよいこだわりをもっていて、春先に新品種の苗を少しづつ購入しているらしい。
へレボルス(ウィキペディア グーグル画像集)は、キンポウゲ科クリスマスローズ属に分類される植物の総称でヘレボラスともいう。「クリスマスローズ」という呼称は、クリスマスのころに開花するヘレボルス・ニゲル (Helleborus niger) だけを指した呼称であるが、日本の園芸市場では、「レンテンローズ」と呼ばれるヘレボルス・オリエンタリス (Helleborus orientalis、ハルザキクリスマスローズ)なども「クリスマスローズ」の名前で出回る。別名雪起こし、寒芍薬(カンシャクヤク)の和名も持つ。
花に見える部分は、植物学上では「花」ではなく「萼片-がくへん」という部分である。そのため、鑑賞期間が比較的長い。以上ほとんどノー学部とウィキペディアからの受け売り。
《チューリップ》
たれもがよく知るチューリップ。第二報でもう少し詳細に紹介したい。
《ルッコラ》
ルッコラ(伊: Rucola、Eruca vesicaria)は、アブラナ科キバナスズシロ属(エルーカ)の1種の、葉野菜・ハーブである。地中海沿岸原産の一年草(ウィキペディア グーグル画像集)。
日本ではイタリア料理の普及とともに一般に知られるようになったため、園芸分野で広まった英語名のロケット(rocket) よりも、イタリア名のルッコラの方が知名度が高い。
葉はイタリア料理によく用いられ、ゴマのような風味と多少の辛み・苦みがあり、成長とともに苦みが強くなる。栄養素としてはカルシウム・鉄分・ビタミンCが豊富である。
「キバナ」という和名にもかかわらず、花は白色ないし薄いクリーム色である。花は春に咲き、クリーム色をしている。アブラナ科に特有の4花弁の十字型をしており、花弁には紫色の脈が入っていて、中央部は黄みがかっている。
【かきしるす】新刊『Parenthesis』-パレンヂスィス/丸括弧-を持参|アンドリューさん Andrew Schullers/ジェニーさん Jenny Corbett 夫妻がご来社
《新刊『Parenthesis 38』を持参され、アンドリューさん・ジェニーさんのカップル来社》『Parenthesis 38』( Fine Press Book Association )は、高度な印刷と図書に関する逐次刊行図書(ジャーナル)である。
刊行は年二回、装本は標準版と特装版がある。また、その活力と多様性をもたらすために、春号はイギリスで、秋号はアメリカでの交代制で刊行されている。
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昨2019年の晩夏、アンドリューさん ( 出版コンサルタント Andrew Schullers ) が数次にわたって新宿二丁目時代の小社に来社された〔以下敬称略〕。取材対応はほとんど大石があたったが、当時のアンドリューはこうかたっていた。
「日本の活字版印刷の歴史と現状を調査して、イギリスのジャーナルに報告する予定でいます」
その報告が「Letterpress in Japan|Andrew Schuller」として『 Parenthesis 38 』に掲載され、その掲載号をご夫妻で持参していただいた。
右)アンドリューさん Andrew Schullers / 左)ジェニーさん Jenny Corbett
《 Lingua Florens は 花のときから 深い緑のとき。紅珊瑚にも似た ハゼラン がふたりをお迎え》
アンドリューとジェニーさんが朗文堂/サラマ・プレス倶楽部の住吉町の新事務所にお見えになったのは六月下旬、梅雨の晴れ間の夕方であった。
アンドリューとの久しぶりの再開と、はじめてジェニーとの出会いの場となった。大石は来社予告メール交換である程度知っていたようだったが、ジェニーはどんな資料をみても、Professor Jenny Corbett と記されるほどの、経済と金融、そして国際関係の碩学で、国際金融機関、国際機構の要職を歴任し、現役の大学教授でもある。
さらに、アンドリューはまったく日本語を解さないが、ひとりで平気で朗文堂に押しかけていた。ところが、ジェニーは流暢な日本語をかたる。
再会の挨拶もそこそこに、
「神楽坂から自転車できました。すこし息切れしているが、ここではマスクは必要か」
とふたりはたずねてきた。
「きょうは天気もいいし、よろしかったら、狭いですけど、テラスでお話ししましょう」
大石の提案にホットしたのは自由人:アンドリュー。
ここ新宿区住吉町と新宿区神楽坂は、ともに、地勢学でいうところの多摩丘陵・住吉台地にあり、地盤は強固で、防衛省・大日本印刷・市ヶ谷八幡神社などがある。しかしとかく台地にありがちな起伏と坂道が多い。テラスで大石がそれを指摘すると、
「わたしの自転車は補助のモーターがあるので坂道でも平気だけど、アンドリューは登り坂は汗だくで押してあがっている」
とジェニーは屈託がなくコロコロと笑っていた。本物の碩学は偉ぶることはまったくなかった。
短時間ではあったが、ミニテラスでの語らいは、なごやかで知的なよろこびがあった。
アンドリューはいくぶんリタイヤ気味であるが、ふたりはオーストラリアのキャンベル、英国のロンドン、日本の東京・神楽坂に、それぞれ独自の根拠地を有し、プロジェクトにあわせて滞在地としているそうである。
おりしも日本滞在中に、世界規模での感染症「COVID – 19」の猖獗をみるにいたったようである。昨年から東京大学を根拠地とする大きなプロジェクトが、ジェニーが枢要メンバーとなって展開しており、そのさなかに「COVID – 19」の警戒状況となって出入国が困難になり、神楽坂に「巣ごもりしている」とジェニーは笑ってかたっていた。
このふたりのような、国境をこえて飛び回るひとには不幸なときともいえた。
「Lingua Florensーことのはの花園」で、赤い花柄のワンピースをまとったジェニーの足もとで咲いていたのは、西インド諸島原産、わが国には明治初期に鑑賞用に輸入されたとされる、通称:ハゼラン-爆蘭 である。ジェニーは時折その花をみていたが、オーストラリアにもこの花があるのかは聞きそびれた。
ハゼランはまた、シュッコンハゼラン -宿根爆蘭 、サンジソウ -三時草、ハナビグサ -花火草、サンジカ -三時花、珊瑚草、コーラルフラワー、fame flower、Jewels – of – Opar などの多くの異名をもつ。
午後三時ころから咲きはじめるので三時花、線香花火の火花にも似たバラバラの花をつけるので花火草、紅珊瑚のような枝ぶりと花から珊瑚草などである。吾輩は花火艸と呼んでいる。
《 ふたりが帰ったあと Parenthesis/パレンヂスィス/丸括弧 に問題が 》
やっかいな問題は、アンドリューが寄稿した『Parenthesis』のタイトルである。吾〻はふるくからこれを、もっぱら「パーレン」と呼んできた。アメリカにはスペル違いの同義語もある。
これを主張すると、言語学におけるイギリス人特有の必殺キックが飛んでくるので困惑する。
「女王陛下は、そのようなことばはお使いになりません」
◉『広辞苑』(第六版 岩波書店)
ちなみに国語事典として『広辞苑』(第六版 岩波書店)の「パーレン」をみると、いかにも辞書的ないいまわしで、次のようにある。
パーレン
(Parenthesis の略訛) 丸括弧。( )
辞書における「略訛ーりゃっか」とは、「転訛-てんか」とともに、使用時には注意すること、あるいは消極的ながら、あまり使わない方が良いことを含意している。すなわち パーレン とは Parenthesis の略語であり、訛っている-標準的ではない-としている。
◉ 『研究社 新英和大辞典』(第6版第5刷、研究社、ともにp.1798 2007年11月)
paren. ((略)) parenthesis
parens. ((略)) parentheses
大型英和辞典として『研究社 新英和大辞典』の「パーレン」に相当する語を調べてみた。ここには ((略語)) とされる parenthesis と parentheses が紹介されている。
注目したいのは、これらの省略にあたっては「 . -ピリオド」が必要なことである。また同じページにそれぞれ parenthesis , parentheses も紹介されているが 長文にわたるので、いずれ別項を設けて紹介したい。
したがって、ここでも「Parenthesis → パレンヂスィス」と表記するのにも勇気が必要だった。近ごろの電子辞書やスマホには、一部に音声表示機能があるが、それをカタ仮名にするのにも難儀した。ここで「パレンヂスィス」とカタ仮名表記の参考にしたのは『印刷術教科書 第二学年用』(ヨゼフ・ナジ著、帝都育英工業高等学校、昭和29年4月1日)によった。
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しばらく本コーナーでも、アンドリューが寄稿した『 Parenthesis 』を契機に、「パンクチュエーション/句読法」といった、古くて新しいテーマを、のんびり取りあげてみたいとおもいたったゆえんである。
もちろん吾輩の取り組みゆえ、「こうすべきだ」「こうすべきではない」といった「べき論」は避けて、読者諸賢と歩んでみたい。
◉ 『英和 印刷書誌百科辞典』(日本印刷学会、印刷雑誌社、昭和13年1月15日)
『英和 印刷書誌百科辞典』から parenthesis , punctuation mark を紹介した。同書はいまなお『印刷事典』の名称のもとに印刷学会出版部から刊行されており、第五版までの刊行をみるが、本書を第一版として位置づけている。今後の展開の参考に記録した。
【Lingua Florens】名もない艸草にうもれてチューリップが開花
「ことのは の 花園」の意から、河野三男さんが「Lingua Florens」と名づけられた小庭に、色とりどりのチューリップが咲いた。
「空中花壇」は文字どおりベランダ園芸であるが、「Lingua Florens」も、下は大地や地面ではなく、人工地盤の上にあり、土の深さは20センチほどしかない。
そこにノー学部が気まぐれにさまざまな艸花を植えてきた。したがって人によっては「雑草はたけ」と嘲笑する。
ところがやつがれ、
「雑草という名の艸はない。花が咲けばタンポポも、スミレも、ドクダミだってきれいなものだ」
とおもっているから、批判は聞きながすことにしている。
昨年の11月頃、ノー学部がそこに「ミックス・チューリップ」とされた、ひと包みの球根をネットショップで購入して植えたらしい。いつものことながら、芽が出て確認したら、植えるというより、適当に枯れ草の間に埋め込んだだけで、構成というか、造園意図もないままであった。
2020年2月になって、朗文堂の事務所が此処に移転した。その直後から、
「庭ーLingua Florensーにチューリップを植えてあるけど、まだ芽がでない」
とノー学部がいうので、すでに時期遅れとわかっていたが、おおよその植えこみ場所をきいて、急いで肥料を与えた。
なにしろ「Lingua Florens」は人工地盤であり、ちょっとした雨でも溢水するし、旱天がつづくと艸花は枯れてしまう。ましてビルの谷間にある四坪ほどの小庭のため、真夏でも直射日光は、一日に15分ほどしか射し込まないという相当な悪条件下にある。
そんな悪条件の小庭で、気まぐれ園芸家の手になるチューリップは、レンゲ草、スミレ、タンポポと、この辺りで咲きつづけた早春を彩った野の艸が咲き終わったあと、肥料不足は隠せないものの、なんとか花をつけた。
開花した花をみて、改めておもった。ノー学部はいったいどういう庭にしたくて、ここにチューリップというわかりやすい花を、バラバラに植えたのかと …… 。
【空中庭園】君ハ イッタイ ナニモノデ、ナニヲ 考エテ イルノデスカ ? ソコハ モウ 天井デス
花冷えだろうか。「自粛要請」下の日曜日、外出も儘ならぬままに「空中庭園」にいる。
エアコンの室外機の上に「ハシモト」と呼んでいる平底の植木鉢がある。昨年の秋、ノー学部が八王子の美大に出講した折、そのあたりの野面から名も知れぬ艸草をコンビニ袋に摘んできて、此処に植えた。
春先から慌ただしくレンゲ草、タンポポ、スミレ、カタバミなどが咲きつづけた。「ハシモト」は賑やかな一画となって、なにかと話題になった。そのうちに少し大きめの艸が顔をだし、牛の舌のようにおおきな葉が出現した。この葉っぱは、すこしでも水遣りをさぼると、すぐにぐったりと萎れてくるので、せっせと水遣りに勤めていた。
ウチのノー学部は育種科の出身だから、植物とはいえ、花が咲き、種をつけるまでは知らんぷりである。また「空中花壇」には香草や食草とされる艸〻がおおく、食草にはこだわりがあって、いつのまにかサラダになったりして、気がつかぬうちに食卓に並んでいたりする。
ところが、ノー学部はカタバミだけは容赦なく抜こうとする。このカタバミ、海外ではスーパーフードとして高値で販売されているとも聞く。しかしながら、酸っぱくて食しにくく、繁殖力も旺盛なため、ノー学部は根こそぎ抜いてまわる。(どうも、抜いたカタバミを煮出してこっそりと白髪染めに使おうとしているらしい …… )
ちなみに「カタバミ」はわが輩の生家の家紋「◯に剣かたばみ」のルーツで、早春に真黄の小さな花を一面につける。それを片っ端から抜きまくるとは …… 。
さすがに腹が立つので、抜くか抜かないでいつも攻防戦をくりかえしている。
さてノー学部は、このニョキッと芽ばえた艸は、最初は「スイバ」だとおもったようで、ジャムにしようと囓ってみたら、味も素っ気も無い代物だったので、ギシギシだとわかったようだ。けっきょく塩漬けにして、高菜漬けのようになったこのギシギシを、おにぎりに巻きつけたものを食べさせられた。まったくお勧めできない代物だった。
「スイバ」はほうれん草のようないくぶん尖った葉をなし、シャキシャキと歯触りがよく、食すと酸味がある。中国では「酢葉」、信州北部では「スイッコ」ともされ、食糧不足のわが輩の幼少時代には、野面でムシャムシャと食した記憶がある。
それに混じって「ギシギシ-おおば」が生えていることが多く、間違えて食すと、ただ青臭いだけで、吐きだしていた。悪童の間では馬も喰わないとされていた。
「ハシモト」から芽ばえたのは、どうやら「スイバ」ではなく、この「ギシギシ」らしいとわかった頃、にわかに茎が生長して天井に届くまでになった。この間十日も無かったとおもう。
「ギシギシ」の名称の由来はわからない。これがその「ギシギシ」であれば、秋になる頃には、艸というより花茎が木質化して、アメリカ背高泡立ち草と同様に始末のわるい植物になる。
それにしても写真でみると、ゴチャゴチャと植えまくり、生えまくっている昨今の「空中庭園」ではある。
[ ウィキペディア : ギシギシ画像集 スイバ画像集 ]
[ 参考ブログ : この花なんだ-スイバ/ギシギシ-すわ ]
【平野富二の会】長崎直近情報|「平野富二生誕の地」碑前、三の堀跡の櫻が満開に!|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員情報ゟ|
「平野富二生誕の地」碑建立有志の会 ── 皆さま
[2020年04月06日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫]
ご無沙汰をいたしております。
何かと心落ち着かない日常が続きますが、当地長崎は今まさに桜が満開の時期となりました。
代わり映えしませんが 昨年同様 長崎桜町の桜と「平野富二生誕の地」碑の写真をお送りします。
冨二さんはことしも花見を楽しんでおられることと思います。
平野富二の会 ── 皆さまお元気でご活躍ください。[宮田和夫]
────────────────
「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9 ― 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。
碑は江戸時代の三の堀跡の方向をむいていますが、ここは現在桜並木になっています。
宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の矢次富次郎少年 ── のちの平野富二が幼少ながら「特例をもって」、また当時のならいで、家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行社へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても七-八分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。
長崎訪問の折は、ぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。
[ 参考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 ]
[ 関連 : 平野富二-明治産業近代化のパイオニア ]
【良書紹介】ミツカン 水の文化センター |『水の文化』64号|特集 氷河が教えてくれること
ミツカン 水の文化センター
『水の文化』64号
特集 氷河が教えてくれること
「氷河」と聞いて、何を思い浮かべるだろう。巨大な氷の塊がゆっくりと海に落ちていく壮大な風景だろうか。それともペンギンやアザラシだろうか。
地球上にある淡水のうち、約70%が氷河や氷山として固定されている。そして氷河は陸地面の10-12 % を占め、真水を地表に留める重要な役割を担っている。
その氷河の水はヒマラヤなどで灌漑用水や水力発電に使われているし、北半球北部の都市では多くの人々が氷河の痕跡の上で今も暮らしている。
そもそも私たちの多くは、氷河のことをあまりよく知らない。氷河と私たちの関係を、歴史も含めて読み解いてみたい。
ニュージーランド「タスマン氷河」の空撮。氷河が削ってできた谷は U 字のカーブを描く。
右の山はクック山(ミツカン 水の文化センター WebSite ゟ 撮影:岩田修二さん)
【 詳細 : ミツカン 水の文化センター 】 { 活版アラカルト まとめ }
【この一葉】「明朝体は横線が無くても読める」|水井 正さん 1971年2月製作|シルクスクリーン印刷 B全判2色刷り ポスター|
「明朝体は横線が無くても読める」
水井 正さん1971年2月製作|シルクスクリーン印刷 B全判2色刷り ポスター|
水 井 正(1932- )
『 TheTYPEBANK 』(1995年、タイプバンク編、朗文堂)ゟ
マップケースの底から、半世紀ほど前のポスターが出てきた。製作者は水井 正さん。
このポスターが製作された1971年(昭和46)ころとは、本コーナー{活版 à la carte}の読者の大半は誕生前のことかも知れない。
このころの水井さんは、麹町にあった「原デザイン研究所」に所属しながら、ほとんど千代田区紀尾井町の文藝春秋社に昼夜とも詰めきりで、『文藝春秋』『オール讀物』『文學界』などの月刊誌と、創刊間もない『週刊文春』のタイトルの「書き文字」を担当されていた。
筆者が水井さんと交誼を得たのは「TYPO – EYE」が結成された1975年からのことである。したがって45年ほどのお付き合いということになる。
このポスターはそれより以前の製作であるが、実験作品ともいえたこのポスターを、おそらく1975年にお譲りいただいた。「書き文字」が繁忙を極めるようになったのは『週刊文春』が創刊されてからのことだとされたが、当時でも埼玉県入間市の自宅に帰るのは「月に二-三度かな」と苦笑されていた。
また、「これまで若さに任せて無理を重ねてきたが、40歳にもなると徹夜はきつくてね …… 」
とこぼされていたことも覚えている。
こののち写真植字法の興隆・進展があり、書き文字の仕事は次第に減少気味であったが、水井さんは、株式会社タイプバンクを設立直後の タイプディレクター:林 隆男(1937-94) の委嘱を受けて、写植活字「ナウ」シリーズの書体設計に専念するようになった。
実験作品:ポスター「明朝体は横線が無くても読める」は、水井さんがタイトルをレタリングされた、海音寺潮五郎『武将列伝』(全三巻、文藝春秋社刊)の作業のなかでの実感をこめて製作されたものである。
ところが一箇所「字画を間違えた」ままで印刷してしまい、刷り直しの時間と予算もないままに、赤版「蒲生氏郷」の「蒲」の字画をレタリングによって修正して、それを象嵌 * して展覧会に間に合わせたとされた。
お譲りいただいととき、一緒に立ちあわれた「TYPO – EYE」の同志:吉田佳広氏は、
「このポスターが、写植活字や金属活字の清刷りじゃなくて、レタリングだって解るなによりの証拠だよ」
と笑われていた。
水井さんは鋭利な両刃のカミソリで修正・象嵌したとされたが、確かに当時は象嵌の跡はほとんど痕跡を残していなかった。しかしながらほぼ半世紀余ののちのこんにち、象嵌部分は脱落し、所在不明となり、裏面からみると、補強のために貼付したセロファンテープの劣化の痕跡が痛〻しい。
* ぞうがん【象眼・象嵌】
工芸用語では様様な用例があるが、[印刷用語]では、鉛版・銅版・版下製作などで「象嵌-ぞうがん」とあらわし、修整箇所を切り抜いたり、剝ぎ取り、そのあとに同寸法の修正した活字などを挿入すること。
◉ 水井 正 Mizui Tadashi プロフィール
【Lingua Florens 草木風信帖】雨にうたえば|合歓木/サルビア・ガランチカ/ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)|ことしも元気に開花中
天候不順の日々が続くきょうこのごろ、 Lingua Florens では艸木が懸命に花をつけています。
ここはビルの谷間で、直射日光は快晴でも一日に十五分ほどしか射し込まず、水はけも好ましくはない小庭です。
こちらの Lingua Florens へ朗文堂の移転計画を発表してから早くも半年余が経過。ところが計画は遅遅としてすすまず、いまだに活版印刷関連機器と、相当量の活字で溢れかえっています。
とりわけ欧文活字は大型のダブル・ケースに入ったまま積みかさなっているために、その特別収納ケースを活版木工所に依頼して製作しています。別寸特製となるため価格も馬鹿にならず、追加でいくつ製作してもまだまだ収納が済む見通しがたちません。
それでも艸木は吾関せずとばかり、長雨もものともせずに花をつけています。
ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)── 癖のある独特の匂いがするが花は可憐
開花直後は赤紫であるが、次第に純白になっていく。
合歓木と同様に、どちらも巨木になるので、大型の鉢植えにしている。
【艸木風信帖】吾が空中花壇の女王|トロロアオイとウィキョウ|ことしも元気に開花です
ごてごてと 草花植ゑし 小庭かな
正岡子規(俳人・歌人 1867-1902)「小園の記」ゟ
吾が空中庭園 ── 失礼千万ながら、ひとにより「ベランダ鉢植え雑艸園」ともいう ── の女王「トロロアオイ」が花をつけている。もともと晩夏のころに咲いていたが、徐徐に開花時期がはやくなり、ことしの開花のはじめは6月6日で、それからほぼ毎日、一輪から三輪ほどのおおきな花をつけている。
この種子のもとは2009年05月に、都下あきる野市五日市町の軍道紙-ぐんどうがみ-工房からわけていただいた数株の苗にはじまった。あれから10年にもなるのかと驚くばかりである。もちろん中途に種子から育苗したので、これが何代目かわからないが、すくなくとも越冬年越しすること三回の古株である。
正岡子規の旧宅「子規庵」は、筋向かいの「書道博物館」ともども、鶯谷駅からしばらくの通路の環境はちょっとアレだが、お気に入りの場所でときおり訪れている。子規庵の庭には、いまなら朝顔が咲きはいめているだろうし、晩夏になると糸瓜-へちま-がぶらりと垂れさがっているのもよい。
ところでトロロアオイの左うしろでひょろひょろと咲いているのは「フェンネル ウイキョウ・茴香」である。吾が郷里信州では茴香と呼んで、新芽は茎ごとゆがいて食していたし、その根はタマネギにも似て、大きく甘みがあってなかなか良い。実家の庭に茫茫と勝手に生えていたので、野生かとおもっていたら栽培植物だった。もちろん空中庭園では一株だけの栽培である。
【トロロアオイ/黄蜀葵】
アオイ科の一年草。中国原産。草丈は本来2メートル近くになるが、最近は0.5-1メートルの丈の低い品種が多く栽培されている。葉は互生し、葉柄が長く、掌状に深く裂ける。
夏から秋、淡黄色で中心部が濃赤紫色、径15-20センチメートルのおおきな五弁花をつける。花は1日でしぼむが、茎の下位から上位へと順に次〻と開く。植物体全体、とくに根に粘質物を多く含み、これを手漉き紙を漉くときの糊剤(ネリ)として利用する。また花を観賞用・食用ともする。糊原料をとるための栽培では、開花・結実させないために、つぼみがついたら先端部を刈り取って根に養分をたくわえる。
{ 活版 à la carte トロロアオイまとめ }
【フェンネル、ウイキョウ(茴香、学名: Foeniculum vulgare)】
セリ科ウイキョウ属の多年生草本である。別名ショウウイキョウ(小茴香)。英語名からフェンネル(Fennel)またはフェネル、仏語名からフヌイユ (fenouil) とも呼ばれる。
フェンネルの鱗茎(葉柄基部が肥大したもの)はフィノッキオ (finocchio) とも呼ばれ、野菜としてタマネギなどのようにサラダや煮物、スープなどに用いられる。茎・葉は生食されるが、そのほかにも佃煮、シチューなど肉料理の香味野菜として使用される。
明治百五十年祭をはじめ、周年事業が盛んである。
オランダの新造詣運動<DE STIJL>は1917-1931、同名の雑誌『DE STIJL』に結集した造形者によって展開された。
<BAUHAUS> はデザイン教育機関で、第一次・第二次世界大戦の狭間にあって設けられた。
どちらも創刊100年であり、学校開設100年を迎えている。
2019年もなかばを過ぎたいま、小規模な展示会や講演会の話題はチラホラしているが、かつてのように大型展開催の情報は管見に入らない。上掲二冊の図書は、二十世紀初頭の混乱期にありながらも熱かった造形界の記録である。この忘れ去られたような二冊の図書をみていると、梅雨寒の昨今の陽気と似て、どこか造形界のモチベーションが低下しているようでさびしいおもいもある。
[画像データー作製:青葉水竜]
【ことのは】クリスマスローズ Christmas rose|花ことのは-わたしの不安を救い給え
【クリスマスローズ Christmas rose】 [学]Helleborus niger L.
キンポウゲ科の常緑多年草。ヨーロッパの原産で明治のはじめに渡来した。根茎は太く短い。葉は根生し、15-30センチメートル、掌状複葉で革質、暗緑色。小葉は7-9片で先端部に鋸歯がある。花茎はよく分岐して1-3花をつける。花の大きさは径5-6センチメートルであるが、花弁は小さく、筒状で、雄しべより短く目だたない。萼-がく-の5片が大きく花弁状をなして美しく、咲き始めは白色で、のちに紫色を帯びる。
根にはサポニンが含まれていて強心剤、利尿剤として用いられる。
変種も多いが、オリエンタリス H. orientalis Lam. は西南アジアの原産で、花茎が分岐して3-6花をつける。緑色または黄緑色で縁辺は紫色。花期は4、5月で、栽培されるものの多くは本種の系統が主体になる。寒さに強く、排水のよい半日陰地を好む。繁殖は11月ころの株分けが普通で、実生-みしょう-もできる。
<民間伝承>
クリスマスローズはその黒い根に魔力があると信じられ、古代ギリシア時代には狂気をなおす霊薬の一つに数えられていた。また、頭を良くする薬として当時の劇作家や哲学者が服用したともいわれ、イギリスではこの根を取るための魔術的な方法が定められていた。それは、花のまわりに剣で円を描き、呪文を唱えて引くというものである。
また、引き抜いている姿をワシに見られると、採取者は死ぬともいわれた。《セルボーンの博物誌》には、イギリスの婦人が子どもの虫下しにこの葉の粉末を飲ませるとある。
俗説によれば、アダムとイブが楽園を追われたとき、きたるべき罪の浄化の象徴として持ち出したのが、この花であったとされ、以来、この花を〈楽園の思い出〉の象徴とする美意識も生まれ、コールリジや H.G.ウェルズ らがそれを文学化した。花のことのは〈私の不安を救いたまえ〉。
[参考:『日本大百科全書』(小学館)、『世界大百科事典』(平凡社)]
【会員情報】臺灣の林 昆範さんから春節のご挨拶|会員からバレンタインデーのプレゼント|お年玉付き年賀はがき
臺灣の会員:林 昆範さんから恒例の「春節-旧暦のお正月」のカードが到着。
林 昆範-リン クンファン-さんは、 近年中国での活動がおおいようで、珍しく簡体字で中国福建省漳州市「福建璞魨文化創意有限公司 副総裁」の名刺が同封されていた。
いずれにせよ、友人・知人がどんどん活躍の舞台を拡げているのは嬉しいことである。
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【 02月14日[木]はバレンタインデー 】
そう遠くないむかしだった。たれかの仕掛けとしかおもえなかったが、突如「発生」したあのバレンタインデー プレゼント の狂奔ぶりとはなんだったのだろうとおもう。いまならさしずめ「恵方巻き」。好きでもないチョコレートをお義理でいただき、ホワイトデーなるお返しに呻吟した苦いおもいでがのこる。
この日知人から頂いたのは、ハート型ではあるが、チョコレートならぬお煎餅。キリスト教徒ならぬ、浄土真宗西本願寺派、浄土真宗東本願寺派の念佛門徒のふたりにはうってつけのプレゼントだった。
こののち、おいしい煎茶を淹れて、プレゼンターともどもバリバリとお煎餅を食した。当然ホワイトデーなんぞはプレゼンターもわれわれも、脳裏にかけらも無い。
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【 なかなかあたらないものです。お年玉付き年賀はがき 】
( 平成31年・2019年・亥年 年賀状用 )
1 等 当選番号:(下 6 ケタ)710129
現金30万円または同額相当のプレミアム賞品
当選本数:2,571本(100万本に1本)
2 等 当選番号:(下 4 ケタ)1763
ふるさと小包など
当選本数:257,189本(1万本に1本)
3 等 当選番号:(下 2 ケタ)78 42 02
お年玉切手シート
当選本数:77,156,865本(100本に3本)
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もともとずぼらであるし、正月のなにがめでたいのかよく解らないこともあって、年賀状には消極的であった。それでも几帳面な社員が代行してくれていたが、昨年退職したので、朗文堂本体の年賀状は欠礼してしまった。そこで寒中見舞いでもとおもったが、あまりの寒さでこれも欠礼した。いつもと変わらず新春祝賀をいただいた皆さまには申し訳なくおもう。
それでも、朗文堂 サラマ・プレス倶楽部 は例年通り、大晦日寸前まで活字版印刷にいそしみ、三が日の間には投函したようである。
ところで郵便局はがきの「お年玉付き年賀はがき」。長いつき合いではあるが、一等賞・二等賞とはまったく無縁であった。しかも100枚につき三枚があたるとされる、三等賞の「お年玉切手シート」すらなかなかあたらなかった。ことしはくじ運に恵まれたのか五枚が三等賞だったらしい。
百万枚につき一本あたる一等賞は、仮に毎年500枚ずつ「お年玉付き年賀状」を頂いたとすると、単純計算すると、二千年に一本の確立となる。まことに気の遠くなるようなはなしである。
宝くじの印刷を請けおっているある印刷企業の職員の述懐として、大型トラックで続続と搬出される膨大な量の「印刷物-宝くじ」を見慣れており、その内の一枚が抽選で三億円や五億円の大金の当たり籤になるとしても、到底手をだす気にはなれないとこぼしていると仄聞した。
まことにもって夢のない時代になったものである。
【なら旅ネット】奈良ちとせ祝ぐ寿ぐまつり ── 大立山まつり2019(平城宮跡)|1月26・27日
奈良ちとせ祝ぐ寿ぐまつり ── 大立山まつり2019(平城宮跡)
なら ちとせ ほぐほぐ まつりーおおたてやままつり2019
~古代と今が出会う2日間~
開 催 名 奈良ちとせ祝ぐ寿ぐまつり ── 大立山まつり2019
https://hoguhogunara.jp/
開催期間 2019年1月26日[土]-1月27日[日]
1月26日[土] 11:00-19:00
1月27日[日] 11:00-18:00
イベント内容・時間は、予告なく変更する場合があります。
開催場所 平城宮跡 平城宮跡朱雀門ひろば
問合せ先 0742-27-8974 (「大立山まつり」実行委員会)
料 金 入場無料
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ようこそ ちとせ祝ぐ寿ぐまつりへ
新しい年を迎えた世界遺産・平城宮跡で、古代から今へと続く奈良のいいとこ尽くしのお祭りを開催します。伝統や歴史、講話や体験、おいしいものにおみやげもの。
「奈良大好き!」の気持ちを持ち寄る、心温まる時間をぜひご一緒に!
* 1月26日には会場から若草山山焼きが一望できます。18時15分頃から
見どころ
礼服の再現と古代の宮中行事「御斎会 ── ごさいえ、みさいえ」の紹介
今回、御斎会がはじまった時代の天皇・称徳天皇の礼服礼冠の再現に取り組んでいます。
礼服・礼冠は皇族や位の高い貴族が正月の朝賀などの宮廷行事で着用した正装。とは言え、奈良時代の天皇・皇后の礼服については細かな記述がなく、当事の史料も僅か。そこで後世の文献に高貴な服色が白だったとあることを基とし、作製する衣装は白色を選びました。祭り両日は、着用した女帝役が会場に登場する時間帯も予定しています。
奈良時代後半から南北朝時代頃(あるいは中世)まで続いた「御斎会-ごさいえ、みさいえ」は、称徳天皇の時代にはじめられたとされ、奈良時代や平安時代には大極殿で行われる儀式でした(実際には別の場所で行った例もある)。期間は正月8日から14日まで。「金光明最勝王経」の講読と吉祥悔過を行い、国家安寧と五穀豊穣を願いました。
その間、高御座には盧舎那仏三尊と金光明最勝王経、四天王が安置され、平安時代の史料には、大極殿は「講堂」と、回廊は「僧房」とみえます。政治の中心から期間限定の寺へと変わっていたのですね。現在の平城宮跡では仏事は行いませんが、「御斎会」を知り、「御斎会」が行われた頃の雰囲気を皆さんと楽しみたいと考えています。
【 詳細: 奈良県観光公式サイト なら旅ネット 特設サイト 】
【2018年11月壁紙】国立科学博物館|特製壁紙プレゼント|ノウサギ(左:冬毛 右:夏毛)
国立科学博物館メールマガジン特製壁紙プレゼント
11月の壁紙は、日本館2階南翼にて展示しているノウサギ(左:冬毛 右:夏毛)です。
ノウサギの夏毛は日本ではどこでも褐色ですが、冬毛は雪が積もる地域では敵に見つからないように白くなり、積雪のない地域では白い体色は目立つため、冬でも褐色のままです。そして、ウサギの後ろでは補食者であるテンがノウサギを見つめています。
テンは雪の中でノウサギを見つけることができるのか、ノウサギは逃げることができるのか、など想像を膨らませながら、毛色の違いを是非実際に確かめてみてください。
【 詳細: 国立科学博物館 】
【花たより】天候不順、炎暑の夏でした|ここにきて各所から嬉しい花たよりを頂戴しています
《鹿児島会員》──── 「亜麻-フラックス」
寒冷地を好むとされている「亜麻-フラックス」は、在京会員はこの夏の猛暑でほとんど全滅をみましたが、南国鹿児島から開花たよりをいただきました。ウ~ン、再度古澤さんから種子をわけていただき、来年こそは …… の思いを強くしました。
《埼玉会員》──「おかわかめ」
ことしも「おかわかめ」が元気に花をつけたと、埼玉県志木市在住の会員からご報告がありました。南に面したベランダでの栽培だそうですが、ことしも可憐な花をたくさんつけたようです。
独身男性陣は、この夏の酷暑でほとんど壊滅をみたようで話題にしたがりません。
わが空中花壇では元気ですが、もはやベランダ空間から脱出して、すっかり手すりの向こう側にいってしまって写真はとれません。下掲写真は昨年10月のものです。
《空中花壇》────「トロロアオイ」
吾が空中花壇の女王「トロロアオイ」は、ことしは櫻の季節に花をつけたりして妙なぐあいでしたが、咲くときは咲くんだ ── とばかり10月最終週に次〻と花をつけています。
また一年、この花との早朝の語りあいができなくなります。すこし淋しい「晩夏」です。
《この巨木が近〻みられなくなるそうです …… 》
明治通り(環状六号線)は来たるオリンピックで主要幹線道路になるそうです。そのために伊勢丹のある新宿三丁目の繁華街をさけ、池袋方向から渋谷方向への車が代々木付近まで直進できるように、世界堂と小社の中間にあるこの街路樹のある中央分離帯が撤去され、左右二車線、歩道付きの道路に改装がはじまっています。
夏は木陰を、冬は風よけになっていたこの巨木は、まもなく切り倒されるようです。
その工事予定表が掲出されてから、アッというまにペットボトルや缶コーヒーの空き缶が放置されるようになりました。深夜の帰宅の折り、さびしい思いでそんな光景をながめています。
【展示】長崎歴史文化博物館 企画展示室|本木昌造の佩刀を展示|日本美術刀剣と押形展|日本美術刀剣保存協会長崎県支部|’18年9月13日-24日|終了
本木昌造、諱:永久-ながひさ-がもちいていた佩刀が長崎歴史文化博物館で鑑定書つきで展示され、長崎会員からスマホ写真を頂戴いたしましたので紹介いたします。
本木家・平野家(矢次家)はともに長崎の地役人で、明治維新以後のいっときは「卒族」とされていましたが、苗字帯刀をゆるされていました。
日本美術刀剣と押形展
会 場 長崎歴史文化博物館企画展示室
期 間 2018年9月13日-24日 会期終了
主 催 日本美術刀剣保存協会長崎県支部
平野富二(富次郎)が長崎製鉄所を退職し、造船事業への進出の夢を一旦先送りして、活版印刷の市場調査と、携行した若干の活字販売のために上京した、1871年(明治4)26歳のときの撮影と推定される。知られる限りもっともふるい平野富二像。旅姿で、丁髷に大刀小刀を帯びた士装として撮影されている。
廃刀令太政官布告は1876年(明治9)に出されているが、平野富二がいつまで丁髷を結い、帯刀していたのかは不明である(平野ホール所蔵)。
[関連:花筏 平野富二と活字*09 巨大ドックをつくり船舶をつくりたい-平野富二24歳の夢の実現まで]
大阪四天王寺境内にある「本木氏昌造翁紀念碑」。ここにみる本木昌造の銅像と碑域は明治30年に建立されたが、昭和20年金属供出令で銅像をうしなった。昭和60年の再建にあたっては、本木昌造が士装した資料がなかったため、絵画をよくした森川龍文堂:森川健市が戦前の銅像の記憶をもとに絵画をおこし、それにもとづいて像造したとされる。
(『本木昌造先生銅像復元記念誌』大印工本木先生銅像復元委員会 昭和60年9月)
[関連:【講演録】文字と活字の夢街道 ]
【特別催事】国立科学博物館 筑波実験植物園|「つくば蘭展」|11月18日-11月25日|会期終了
国立科学博物館 筑波実験植物園
「つくば蘭展」
開催期間 平成30年11月18日[日]-11月25日[日]
会 場 筑波実験植物園
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世界のランが大集合!世界有数の野生ラン保全施設・筑波実験植物園の「つくばコレクション」から、美しい花、珍しい花など、見ごろの200種類を公開します。さらに協力団体の力作の数々を、大温室のエキゾティックな雰囲気の中でお楽しみください。
香り体験コーナー、花の販売コーナーなど、ランのおもしろさをめいっぱい体験できる楽しい展示でお迎えします。
【 詳細: 国立科学博物館 筑波実験植物園 】
【花こよみ】やまと花ごよみ2018|第8回 馬見フラワーフェスタ|10月6日-14日
やまと花ごよみ2018
第8回 馬見フラワーフェスタ
日 時 平成30年10月6日[土]-10月14日[日] 10時-17時 * 荒天中止
場 所 奈良県営馬見丘陵公園(奈良県北葛城郡河合町佐味田2202)* 入園無料
問合せ先 奈良県中和公園事務所(馬見丘陵公園館) TEL:0745-56-3851
※上記のイベント期間外もコスモスなどの花〻はご覧いただけます
※期間中は周辺道路および公園駐車場の混雑が予想されますので、ご来園は公共交通機関をご利用ください
※ペットを連れてのご入園はできません
→ 花の詳しい様子や開花状況は馬見丘陵公園ホームページ「馬見花だより」でご確認ください
→ 公園内のマップはリンクのPDFデーターからダウンロードできます 【PDF:4.4MB】
【 詳細: 奈良県 2018年 馬見フラワーフェスタ 】
【特別催事】1日限定!|富山祭り in サカキラボ 「うみとやまの幸とワインと手仕事」開催|9月24日|終了企画
富山からとれたて直送!
1日限定! 富山祭りin サカキラボ
「うみとやまの幸とワインと手仕事」
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きっかけは富山を訪れた出張料理人の岸本恵理子さんとスタイリストの岩崎牧子さんでした。これまで西小山の「S/S/A/W」で料理家のたかはしよしこさんとのコラボレーションで開催してきた富山の美味しいものを集めた本企画、初の神保町での開催です!
うみとやまに囲まれた富山。天然の生け簀とも言われる豊かな富山湾の魚はもちろん、山では山菜、天然きのこにジビエ、雄大に連なる山々からの清らかな水に育まれた米や酒など、まさに食材の宝庫です。
今回、料理チームは岸本恵理子さんと富山の予約制レストラン「キッチン花水木」の田中裕信さん、「Rrose Sélavy Foods」の荒井江里の3人によるコラボレーション! 富山の秋のうみとやまの味覚を盛り込んだワンプレートを作ります。当日直送のお魚、天然きのこ、ジビエ、野菜などを富山から汲んできた水で贅沢に料理します。
ワインは東京初出店の「Wine bar Alpes」の池崎茂樹さんが、選りすぐりのワインをお届け。「uguisu」や「organ」で経験を積んだ池崎さんは、富山で自身の店を開く前にフランス・オーヴェルニュのパトリック・ブージュのもとで住み込みで働いた経験の持ち主です。また今回デザートは、妻の春佳さんが焼く「季節の果物のタルト」をご用意します!
また富山で国内外の民芸品や作家の手仕事を紹介している「林ショップ」も出店。店主、林悠介さんの独自のセレクトは富山でも随一! 彼が選んだ手仕事の品々を紹介していただきます。オリジナルの土人形や、陶額作品、富山の木工、染織、焼物、銅の作品などなど、普段東京ではなかなか見れないものがずらり並びます。
予約は必要ございませんので、どうぞ直接いらしてください。
富山の仲間たち、岸本恵理子さん、岩崎牧子さんとともにお待ちしています!
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1日限定! 富山祭りin サカキラボ
「うみとやまの幸とワインと手仕事」
日 時 9月24日[月・祝] 12:00-19:00 L.O.
場 所 サカキラボ(LAB & Kitchen) 千代田区神田小川町3-6-8 伸幸ビル6F →アクセス
□ メニュー
FOOD
◆富山プレート(とれたて直送!秋のうみとやまの味覚を盛り込んだ一皿)
◆出張「Wine bar Alpes」季節の果物のタルト
◆「Rrose Sélavy Foods」自家製酵母パン盛り合わせ
◆岸本恵理子さんの干し柿ビスコッティ
DRINK
◆出張「wine bar Alpes」グラスワイン
◆SAKAKI LAB×SAYS FARM「SALS FARM MERLOT CUVEE SAKAKI LAB 2015」
◆富山の焙煎店「koffe」の豆を使ったドリップコーヒー
◆富山の呉羽梨の酵素サワー
□ 物 販
◆出張「林ショップ」(国内外の民芸と手仕事)
◆氷見の魚問屋「つりや」(水産加工品)
◆「S/S/A/W」(富山のオリジナル調味料)
◆富山の焙煎店「koffe」(コーヒー豆)
そのほか料理チームが選んだ、富山の新米、青果などなど!
※予約不要です。
※イベントの内容は予告なく変更する場合がございます。あらかじめご了承ください。
※すべて売り切れ次第終了です。
※問い合わせ先 erinagahama@gmail.com
【艸木風信帖】合歓木、ハニーサックル、トロロアオイ ── 空中花壇花ざかり
《天候不順な昨今ではあるが、もう10年ほど、咲くときには咲いている合歓木-ねむのき》
五月の初旬、いつになくことしの東京は暑かった。
例年なら梅雨時に花をつける合歓木-ねむのき-が、なにか時期を間違えたのか、一輪、花をつけていた。もしかすると合歓木は眠い目をこすりながら、
「アレッ、開花時期を間違えたかな」とおもったらしい。夜になると葉と一緒にこうべをたれて、また眠っていた。
六月下旬、眠っていた合歓木が、吾が空中庭園の一隅で本格的に花をつけた。この木はここにきて10年ほどになるが、おおぶりとはいえ鉢植えであるから、高木にはなれない。それでも梅雨の曇天のもとで次〻と開花し、紅色の雄しべはほそい針のようにわれ、ここ数日愉しませてくれている。夜になると葉も花も眠ったようになる合歓木-ねむのき-、名前も雅味があるが、この細くて強靭な花も葉もよい。
《ハニーサックル、スイカズラ、忍冬、金銀花、Japanese Honeysuckle》
ノー学部が気まぐれに苗を買ってきて、円形の植木鉢だとスペースがないので、100円均一店で買ってきた長方形プラスチックごみ箱の底に、錐でいくつか穴をあけて植えた。花の名は「ハニーサックル」だという。活字結束用の麻紐を垂らしておいたら、蔓が巻きついて、陽当たりの良いところまで成長して開花した。少し水はけが悪いので、花のときが終わったら植えかえが必要かな。
ここのところ毎朝甘い香りがつよい。ロダンの椅子で一服しているとき、この芳香はエアコンの蔭になっている「ハニーサックル」からの香りだとわかった。花冠をみると、やつがれの幼年時代、戦後でまだあまい物が不足していた頃に「乳こぐさ」と呼んで、花の奥の密を吸うと甘い艸、「すいかずら」の一種だとわかった。そこで今朝試しに一輪だけ摘んで吸ってみたらとても甘かった。
花は楕円形で細長く、二個ずつ対をなして淡桃色の花をつけ、次第に黄色みを増していく。もともと「すいかずら」は東アジア原産らしい。山野に多いスイカズラ科のつる性低木。花冠の奥にみつがあり、吸うと甘いためにこの名があり、また冬でも枯れず、葉の一部が寒気を堪え忍んで残るために「忍冬-にんどう」ともいう。
この頃は空中花壇もにぎやかで、蜂や蝶もときおり戯れているが、ふしぎなことに「ハニーサックル」には近寄らない。「suck」とは、汁や蜜や母乳などを吸うという意であるのになぜだろうとみていた。
もともと「すいかずら」は、東アジア各国に自生し、北アメリカやヨーロッパでは観賞のために植えたものが野生化して、庭園や畑地の雑木となって嫌われているらしい。さしずめ北アメリカ原産で、大群落となる「アメリカ背高泡立ち艸」と似たもののようである。
それでも「すいかずら」は効用の多い植物で、葉を乾燥させたものはタンニンを含み、お茶の代用とされる。
生薬では花を金銀花と呼び、解熱、解毒薬として、また流行性感冒、おできの治療などにもちいられる。
茎および葉を忍冬-にんどう-という。忍冬も金銀花と同様に用いられるほか、利尿の効がある。さらに忍冬または金銀花水は、夏季には清涼飲料となるという。
また香りが強いこともあって、酒にいれて「忍冬酒」ともする。どうやら蜂や蝶は生薬の元となるような艸木はあまり好まないようである。
街角にカフェが増えた。競争も激しいようである。「ハニーサックル茶」、はたまた古風に「忍冬茶」のメニューはいかがだろう。スイーツの乱立よりは良いとおもうが、やはり素人考えか…… 。
《ウィリアム・モリス、メイ・モリス父子によって壁紙紋様としてのこされたハニーサックル》
ケルムスコット・ハウス(モリス晩年の自宅兼工房)
半地下部分に活版印刷工房が移設・保管されている。
テムズ河畔に面し、邸宅前には元の馬車のUターン場所があり、現在は駐車場。
技芸者が軒をつらねたアッパーマルの路地はこのすぐ右手にある。
〔26 Upper Mall, Hammersmith, London W6 9TA〕
小型車も入れない細い路地「アッパーマル」で、19世紀末にプライベート・プレス運動が展開した。
左テムズ川との間にコブデン・サンダースンのダヴス・バインドリー(低く白い塗装)、右にエマリー・ウォーカーの写真凸版工房(サセックス・ハウス)、ケルムスコット・プレス(サセックス・コテッジ)のほか、皮革工房・レース編み工房・ステンドグラス工房などが軒を連ねていた。
この路地を出たすぐ右手におおきなケルムスコット・ハウスがある。
〔26 Upper Mall, Hammersmith, London W6 9TA〕
反対側からみたアッパーマルの路地。ランタンが下がっているのが多くの造形家が集まったコーヒーハウス「パブ・ダヴ」。店の床には石版石が流用されており、一部にはまだ絵柄がのこっている。店の背後はテムズ川に突きだしたテラスになっていて、川風に吹かれて味わう珈琲は絶品。
下戸にはわからないが、常温のビールも旨いらしい。低い白い壁の家屋が元ダヴス製本所とダヴス印刷所跡。
正面突き当たりに、19世紀世紀末に新造形運動を牽引したピットマン父子が経営していた小規模出版社「SIR ISAAC PITMAN & SONS, LTD」とプライベート・スクール(私塾)があったが、独逸軍のロケットが着弾して焼失し、現在はポケットパークになっている。
ウイリアム・モリスとメイ・モリスがのこした壁紙紋様の「ハニーサックル」
この父子は葉が主体となるアカンサス紋様とならんで、蔓草のおもしろさと、可憐な花をつけるハニーサックルの作品をたくさん残した。下掲は市販の壁紙から。
《ごてごてと 草花植ゑし 小庭かな : 正岡子規》
よくもまぁここまでごちゃごちゃと植えまくったものだと呆れることがある。大半はノー学部が勝手に植えている。やつがれはほとんど名も知らぬ艸木である。やつがれのお気に入りのスミレやタンポポは開花期をおえた。
ここにみる艸木は「ペチュニア、ホットリップス、ナスタチウム、ベコニア」だそうである。
この時期やつがれがこだわるのは、なんといっても「トロロアオイ」。この歌壇の女王である。
いっときは工事のため手入れができず、葉はわくらばになって、かろうじて一輪花をつけていたが、ここのところ元気を恢復して、次〻と花をつけ、種子もしっかりしたものになっている。
この花に関しては、あきもせで「花 筏 活版アラカルト」でさんざんしるしてきた。関心のある方はリンク先で。
それにしても妙な気候で、暑くなったり寒くなったりしていたが、いまは梅雨。記録に写真をのこそうとおもった。
【参考:活版アラカルト〔会員からの情報〕 英国 BBC News, テムズ川河床から<Doves Type>を発掘と報じた。ー 故 松本八郎のこと 】
【参考:花筏 年越しの古株からトロロアオイの花が咲きました 】
【映画】シネマ歌舞伎上映中 歌舞伎NEXT 阿弖流為〈アテルイ〉全国各地で上映中
シネマ歌舞伎上映中 < 第24弾 >
歌舞伎NEXT 阿弖流為〈アテルイ〉
市川染五郎(現 松本幸四郎) × 中村勘九郎 × 中村七之助
これが新しい歌舞伎!新しいエンターテインメント!
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2015年7月、新橋演舞場で上演され、連日客席を興奮と感動の渦に巻き込んだ、歌舞伎NEXT『阿弖流為』をシネマ歌舞伎第24弾作品として公開。
歌舞伎は400年の歴史の中で、時代時代の最先端の流行を吸収し常に革新してきました。劇団☆新感線で数々の傑作を世に送ってきた いのうえひでのりと中島かずきが、満を持して初めて歌舞伎に挑んだ 歌舞伎NEXT「阿弖流為」は、心揺さぶる壮大なドラマや勢い溢れるアクションと共に、連綿と受け継がれてきた歌舞伎の様式美が、染五郎(現・松本幸四郎)をはじめとする歌舞伎俳優によって体現され、かつてない新感覚のエンターテインメントとなりました。演劇の可能性を広げた新たな歌舞伎誕生の瞬間を、躍動感溢れる映像美で目撃してください。
【詳細:歌舞伎美人-かぶきびと-シネマ歌舞伎 アテルイ特設サイト 】
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〔弥生三月春をまつ〕きょうは冴返る朝だったが 空中庭園にもすこしずつ春が ……
歳時記でいう ── ようやく暖かくなりかけたのに、また寒さがもどってくることを「冴え返る」という。凍イテ返る・寒戻るともいうし、余寒・春寒ともいう。
ようするに今朝(3月8日)は息が白くなるほど寒かった。
翻然とまた敢然と冴返る 相生垣瓜人
無精で寒がりの「空中庭園造園家」を見るに見かねたのか、ノー学部がヒヤシンスとマーガレットのような、黒ポットにはいった小鉢を(勝手に)花屋から購入してきた。
野面で摘んできた艸花をこのみ、花屋の植木鉢で育った花卉を苦手とするやつがれ、そのまま放っておいた。急速にマーガレットの花勢が衰微してきたので調べたら、ちいさな黒ポットのなかで根がすっかり巻いていた。あわてて大きな鉢に植え替えをしたら、また元気を恢復した。
けさは余寒にも負けず敢然と冴返っていた。
【Season’s Greetings】アテネの古澤宣子さんからのクリスマスカード&実弟:古澤省吾さん
<厄介なギリシャ正教の理解、大きく前進したわが国のアクロポリス探し>
2017年5月にギリシャに出かけました。その際アテネでとてもお世話になったのが古澤宣子さん。その旅の報告はまだできていません。
関連記事は<花筏 【良書紹介】 『おにぎり オリーブ 赤いバラ ーー あっという間にギリシャ暮らし40年』 (ノリコ・エルピーダ・モネンヴァシティ著 幻冬舎ルネッサンス新社)&ギリシャへの旅>にあります。とても可愛らしく、素敵な女性でした。
5月1日はメイ・デイ、ギリシャでは公共交通機関の多くが停止します。そんな日にパルテノン神殿を臨むホテルのテラスで、ウェイターさんにお願いして撮影した写真が下掲のもの。強い逆光でしたし背景のパルテノン神殿は暈けてしまっていますが…… 。
五月のアテネは艸花が咲きみだれていました。
そうです、帰国の日にアテネ空港に差し入れていただいた宣子さんの手づくりお弁当は「おにぎり オリーブ そして赤いバラ」でした。空港での数時間、別包装で用意された海苔を巻きながら食したおにぎりは、とびっきりおいしいものでした。
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いい訳めきますが、報告遅延のおおきな理由が「ギリシャ正教会 Greek Orthodox Church」の理解不足でした。ともかく宗教に無関心なやつがれですから、もうすこしギリシャ正教会の理解なしにはギリシャへの旅報告はできずにいます。
『おにぎり オリーブ 赤いバラ』 p.158 – 9
日本に旅行したギリシヤ人グループの皆さんが、東京で「はとバス」観光中、
「ねェねェ、東京のアクロポリスは、一体どこにあんのよ」
と、ガイドさんに質問したとか。彼らにしてみれば、当然な質問ではある。
古代ギリシヤでは、紀元前九世紀頃より、ポリスと呼ばれる都市国家が成立していた。ポリスは大小さまざまで、その頃のアテネは人口約三十万人。それぞれが独立し、独自の政治を行っていた。
アクロポリスの「アクロ(アクロス)」というのは、「突端、先端、はしっこ」という意味。ポリス(都市国家)にある突端、とんがっているところ、つまり小高い丘ということになる。当時のギリシャには数百ものポリスがあり、そこにある小高い丘は全て「アクロポリス」と呼ばれていたわけで、「東京のアクロポリスは?」と質問した彼らの意図するところはよくわかる。
わが国の、東京のアクロポリス探しをつづけている。そんなやつがれに「わが社-株式会社エヌ・ビー・アールは東京のアクロポリス」にある……とされて、神田駿河台の「ニコライ聖堂」の写真を送付されたのは古澤省吾さん。ニコライ聖堂はロシア正教会 Russian Orthodox Church に属している。
このかたはノリコさんの実弟、エヌ・ビー・アール社はニコライ聖堂のすぐ脇にある。林立するビル群に紛れているが、まさしく駿河台は東京のアクロポリスのひとつである。
そして世代も近いので古澤省吾さんとすっかり意気投合、省吾さんが主宰されている勉強会にお招きいただき、ついでに懇親会にもまぎれこんだ。
古澤姉弟とのご交誼をえた2017年、そして2018年は古澤省吾さんが 立ち上げられた新ブランド “LINEN & BASIC” のお手伝いができたらうれしくおもう。
【催事】{歌川広重 王子装束ゑの木 大晦日の狐火}再現 第25回 王子 狐の行列 大晦日夜九時ゟ
第25回 王子 狐の行列
平成29年12月31日-平成30年1月1日開催
{歌川広重 王子装束ゑの木 大晦日の狐火}再現
2017年12月31日 大晦日 午後九時ゟ
装束稲荷から王子稲荷神社へ
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王子装束ゑの木 大晦日の狐火 国立国会図書館 請求記号:寄別1-8-2-1
王子には古くから大晦日に各地から集まった狐が大きな木の下で装束を整えて王子稲荷神社に詣でたという伝承があります。
その木の下に狐が集まる様子を描いた歌川広重の浮世絵、その木の脇に祀られた社が「装束稲荷」です。
平成5年大晦日からその伝承を元にここをお護りする者同士が集ったとき、広重の浮世絵 にならって揃って 王子稲荷神社に初詣をしました。ささやかな行列でしたが、 それが「狐の行列」のはじまりでした。以来、王子の街の私たちは、古い文化を新しい街づくりに生かそうと、ずっとこの風習を大切に大切に守り育てているのです。
【詳細情報:王子 狐の行列】
【公演】国立劇場 ─ 初春歌舞伎公演『世界花小栗判官』
【艸木風信帖】 06 新潟県長岡市の会員「紙漉 サトウ工房」さんからトロロアオイと吾亦紅の開花のお便りをいただきました
【紙漉 サトウ工房 佐藤徹哉さんからのメール】
サラマ・プレス倶楽部の皆さま
ごぶさたしております。
『 Salama Press Club NewsLetter Vol. 35 』無事に到着しております。
『 Salama Press Club NewsLetter Vol. 35 』 (Previous 2017 )
表紙使用活字 : 36 pt. セントール〔Centaur〕、 18 pt. 花形活字
★ 【会員からのお知らせ】
新潟会員 紙漉き「サトウ工房」佐藤徹哉さんからの「良寛と巻菱湖」展報告レポート
秋のバタバタにとり紛れ、お礼遅くなり申し訳ありませんでした。
ひと月ほど前からでしょうか、種を分けて頂いた背の高い方のトロロアオイ〔東京都あきる野市五日市町由来〕がようやく花を咲かせています。よかったです。
この先が心配になるほど肌寒くなったと思ったら、明日はまた暑くなるとか、ややこしい陽気で勘弁してもらいたいですが、皆さまどうかお体に気をつけてお過ごし下さい。
それではまた!
*
紙漉 サトウ工房 佐藤徹哉
新潟県長岡市軽井沢
【サラマ・プレス倶楽部から 紙漉 サトウ工房さんへの返信メール】
紙漉 サトウ工房
佐藤 徹哉 様 奥 様
こちらこそご無沙汰いたしております。
このたびはサラマ・プレス倶楽部会報誌に寄稿くださりありがとうございました。
おかげさまで、今号は充実した掲載内容となりました。
また今般はトロロアオイの写真を添付くださりありがとうございます。
吾亦紅 ワレモコウ とトロロアオイが一緒に咲いている風景をはじめて見ました。なんと風情があることでしょう。
両方の花の色や質感、大きさの対比も素敵ですね。トロロアオイの花の芯と顎の赤茶色がかった部分の色と、吾亦紅の渋みのある赤との色味に共通するものがあり、とてもおもしろいコラボレーションですね。
ご報告が遅れましたが、佐藤さんからいただいた背の低いトロロアオイの種から、田中智子さんが育てた株に、花が咲いた写真と記事を サラマ・プレス倶楽部の website に掲載しておりますのでご覧ください。
このように背の低いトロロアオイを鉢植えにしたものを写真で見ると、なんだか黄色いハイビスカスの鉢植えにも似て見える気がします。
気温の変化の激しい時節ですし、これからますます紙漉きのお仕事のお忙しい季節到来
となるのではと思います。
佐藤さんも奥さんも、お身体をおいたいのうえ、どうかお健やかにお過ごしください。
朗文堂 サラマ・プレス倶楽部 大石 薫
{文字壹凜 トロアオイ Summary}
2014年 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO 出品作品紹介
【 テーマ 】 コトバと活字
【 作品名 】 連作 『 秋 』 より ― 吾 亦 紅 ―
【 作者名 】 桐島カヲル ( Lingua Florens )
【 版式 ・ 技法 】 文字 : 凸版 ( 活字版印刷 ) 図版 : 凸版 ( 樹脂凸版 )
吾 亦 紅 ―― ワレモコウ ――
―― 野辺に咲く すべての紅い花を集めよ ――
と命じた殿様の
帰路を眺める いにしへの女 ひとり
―― ワレも紅ナリ ――
気位という 衣を纏い
乞うことも 恋がれることもなく
古血の味のみぞ知る
さりとて
女は産まれながらにして 女
そしてまた
女は枯れ尽き果てて なおも 女
【展覧会】 東京大学総合研究博物館 特別展示「赤門」— 溶姫御殿から東京大学へ
東京大学総合研究博物館
特別展示 「赤門」— 溶姫御殿から東京大学へ」
2017年3月18日-5月28日[日]
入館無料 お問い合わせ:ハローダイヤル 03-5777-8600
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東京大学本郷キャンパスの大半は加賀百万石、前田家本郷邸跡地と重なっている。
したがって、数〻の加賀前田家ゆかりの歴史的遺構が本郷キャンパスの景観をいろどっている。中でも最も著名なのは旧加賀屋敷御守殿門、すなわち赤門であろう。
現在ある赤門は文政10年(1827)、徳川家斉の息女溶姫が前田家13代藩主、斉泰へ輿入れするにあたって建立された。以来、190年、本郷邸の歴史の半分近くもの間、赤門は、江戸の終焉から東京大学の創設、発展の歴史を見守ってきた。
加えて、2017年は本郷邸開設400年の節目の年にあたり、かつ、東京大学設立140周年の節目の年にあたる。これらを機に、赤門という国指定重要文化財が語る本郷邸の歴史を提示するのが本展である。
近年著しく進展した本郷キャンパス埋蔵文化財の発掘、歴史文書の集成、そして本学施設部記録の調査。それらの成果をあわせ、赤門の由来を本郷邸開設にまでさかのぼって知る機会としたい。
【 詳細 : 東京大学総合研究博物館 】
{ 新宿餘談 }
東京大学には正門・赤門などのほかにも、いくつかの著名な門がある。森鷗外や夏目漱石の時代、帝国大学(現:東京大学)の正門は<鉄門>であった。
この門は同大の源流のひとつ、神田和泉町「種痘所・西洋医学所・医学所」の遺構を移築したのであった。
(「医学部付属病院〔鉄門〕再見記念式典」『東大病院だより No.54』 PDF 1.50 MB)。
東大医学部は安政5年(1858年)に、長崎や大阪でオランダ医学を学んだ伊東玄朴を中心とする82名の者の寄附金で設立された〝お玉ヶ池種痘所〟をルーツとする(中略)。すでに種痘は全国で実施されていたが、江戸では江戸城の将軍の御典医の漢方学派の多紀グループが反対したためにそれまで実施できなかった。
これはジェンナーの種痘のことで、日本中に猛威を振るった天然痘の予防ワクチンのことである。伊東玄朴らは拒否され続けた種痘所が遂に設立が認められた年である。しかし〔お玉ヶ池種痘所は設立後〕たった6ヶ月で火事で類焼した。
佐倉の豪商の援助で、すぐに現在の三井記念病院のある下谷の和泉橋通りに再建され、〝西洋医学所〔種痘所・医学所〕〟と名称を変えた。医学所は教育・診療をかねた医学校の前身であった。医学所には鉄の門扉が取り付けられていたので、江戸町民はこの医学所そのものを鉄門と呼んだ。
明治10年に東京大学が10万坪もある加賀藩のお屋敷跡に設立された。しかしすべての学部が同時に出来たのではない。一番目にやってきたのが医学部である。
大学構内の南側に医学部本館、病院、教室が置かれた。無縁坂寄りに第4通用門があって、ここから入ると富山藩の御殿があった。この門は明治12年医学部の開業式が行われたときには表門と呼ばれた。この表門は鉄製の美しいデザインで鉄門と呼ばれるようになった。
(上掲『東大病院だより No.54』より抜粋。同資料は豊富な図版も掲載されている)
したがって鷗外や漱石がのこした作品には、しばしば無縁坂とあわせて<鉄門>が登場する。現在は改装されて昔日の面影は少ないが、不忍池から上野へとくだる無縁坂にそって、東大医学部中央診料棟 2 の前にある。
「赤門展」とあわせて、ぜひおたずねいただきたいものである。