カテゴリー別アーカイブ: 会員情報

【展覧会】ギャラリー TOM|パリのあとで ── 柚木沙弥郎・安田 侃|’20年1月10日-1月31日

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ギャラリー TOM
パリのあとで ── 柚木沙弥郎・安田 侃
期  間  2020年1月10日[金]-1月31日[金]
開館時間  11:00-18:00
      * 1月14日[火]、20日[月]、27日[月]は休館
入館料  一般 500円/小・中学生 200円、視覚障害者および付添 各 300円

[詳細:ギャラリー TOM] { 活版アラカルト: アルテピアッツァ美唄と安田 侃 }

「視覚障害者のための 手で見るギャラリー」── TOMについて    

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【展覧会】ギャルリー 東京ユマニテ|奥村浩之彫刻展「Ciclo / Cycle」 OKUMURA Hiroyuki New Sculptures|’20年1月14日-2月1日

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ギャルリー 東京ユマニテ
奥村浩之彫刻展 「Ciclo / Cycle」
OKUMURA Hiroyuki New Sculptures
会  期  2020年1月14日[火]-2月1日[土]
開廊時間  10:30-18:30  日曜日休廊
後  援  在日メキシコ合衆国大使館
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ギャルリー東京ユマニテでは初めてとなる奥村浩之-おくむら・ひろゆき-の展覧会を開催いたします。
奥村は1963年生まれ。金沢美術工芸大学で彫刻を専攻、1988年同大学大学院修士課程を修了。学生時代にメキシコを訪れ、ピラミッドなど古代文明における表現の自由さに感銘を受けた奥村は、1989年にメキシコへ渡り、以来30年間メキシコで作家活動を続けています。メキシコ各地の美術館で個展を開催、パブリックアートも数多く手がけています。近年ではニューヨークでも個展を開催し、2020年にはフロリダの森上美術館を皮切りに米国内を巡回する展覧会に出品予定です。

メキシコ産の石を使う奥村の作品は、縦横に広がるダイナミックな動きと自然の中で朽ちていくような儚さをあわせ持ち、石そのものの美しさや表情の豊かさが目を引きます。そこには奥村がメキシコで目にしている自然の風景や、日々感じている時間の流れが写し取られているかのようです。

本展では、高さ 130 cm、幅 190 cm の大作を中心に、石彫作品を 5 点展示いたします。また、展覧会に合わせて刊行されるカタログには、奥村の主要な作品やパブリックアートの図版に加え、世田谷美術館館長・酒井忠康氏との対談も収録されます。日本で奥村の新作を展示する貴重な機会ですので、ぜひお見逃しなくご高覧いただきますようお願いいたします。

〈作家コメント〉
「 Ciclo 展 」に寄せて

メキシコに移り住んで30年が経ちました。日本では味わえることがなかった新たな体験に感化されていく自分を自覚しながら、わき上がってくる感覚や思いを彫刻にこめて制作を続けています。
メキシコの自然は豊かです。大胆です。その前にいる自分は、素直にその風に吹かれるしかないような気がします。すると、なぜか自分が開かれていくような気持ちに誘われていきます。開かれている自分の前には、いつも彫刻が待ってくれています。それが作品と化していきます。

>> 奥村浩之 略歴 続きを読む

【会員情報】 ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本新作 ── レオナルド・ダ・ヴィンチの手帖より

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{ ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 一筆箋 }

レオナルド・ダ・ヴィンチは多くの分野に足跡を残した「万能の天才」といわれています。
今回は残された手稿の中で、人や動物に関する文章を選び
「哲学」「動物訓話」「諧謔」に分け一冊にしました。
もちろん彼の思考は広範で、こんなところにおさまる人ではありません。

外国の作家の作品を和本で作るとどうなるだろうと思い今回は和本にしました。
表紙は軽く、明るく、天才ダヴィンチのイメージとは少し違いますが
思っていたほと違和感はありませんでした。
勝手な思い込みかもしれませんが、一般に流通している書籍にはない
アートブックとしての可能性を感じました。
センスのいい人が作ればですが。
 * 参考「レオナルド・ダ・ヴィンチの手帖」(昭和18年、六興商會出版部)

うめ【 詳細  ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】 { 活版アラカルト 活版小本 既出まとめ 

【WebSite 紹介】 瞠目せよ諸君!|明治産業近代化のパイオニア 平野富二|{古谷昌二ブログ28}|国内外の博覧会と活字・印刷機の出品(その1)

6e6a366ea0b0db7c02ac72eae004317611-300x75明治産業近代化のパイオニア
古谷12月ブログ

平野富二生誕170年を期して結成された
<「平野富二生誕の地」碑建立有志会 ── 平野富二の会>の専用URL
 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ } では、同会代表/古谷昌二氏が
近代活版印刷術発祥の地:長崎と、産業人としての人生を駈けぬけた平野富二関連の
情報を記述しています。

本稿もこれまでの「近代産業史研究・近代印刷史研究」とは相当深度の異なる
充実した内容となっております。読者諸賢の訪問をお勧めいたします。

古谷昌二ブログ ── 国内外の博覧会国内外の博覧会と活字・印刷機の出品(その1)

ab8a2b0e21f54ff5474ba991de0cb37c-300x199-300x199まえがき
(1)1867年のパリ万国博覧会 L’Exposition du Paris, 1889
    博覧会の概要
    清水卯三郎の参加
    清水卯三郎の輸入した印刷機
(2)フィラデルフィア万国博覧会 The Centennial Exposition, Fairmount Park, Philadelphia.USA
    博覧会の概要
    平野富二の出品
    活字見本帳と手引印刷機の出品(考察)
    政府事務官として渡航した吉雄永昌
(3)第一回内国勧業博覧会
    博覧会の概要
    平野富二による鉛版活字の出品
    印刷機の出品
    平野富二が印刷機を出品しなかった理由(考察)

    府下縦覧工場として指定
まとめ

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国内外の博覧会国内外の博覧会と活字・印刷機の出品(その1)  古谷昌二まとめ ゟ ]

幕末から明治期に開催された博覧会に出品された鉛活字と印刷機は、近代化を目指すわが国にとって文明の利器として欠くことのできないものとなった。

1867(慶應3)年4月にフランスでパリ万国博覧会が開催された。これは、わが国が国家として最初に参加した万国博覧会であった。幕府は自らの出品と共に諸藩や江戸商人に呼び掛けて出品を募った結果、薩摩藩、肥前藩と、浅草天王町に居住していた清水卯三郎が手を挙げた。
活字と印刷機については時期尚早のため、わが国の出品物の中には無かった。しかし、江戸商人として参加した清水卯三郎の「フランスみやげ」の中に、仮名文字の活字母型、石版印刷機と足踏印刷機があった。
活字母型は宮城玄魚による平仮名の版下を持参してフランスで作製依頼したものであるが、活字鋳造は行われなかったという。石版印刷機と足踏印刷機については清水卯三郎自身では使用せず、販売のため店先に置いてあった。
この足踏印刷機は、後に条野伝平がこれに眼を付け、『東京日日新聞』の創刊に関わることになった。また、別の一台は平野富二による足踏印刷機の国産化対象となった。

1876(明治9)年5月にアメリカのペンシルヴァニア州フィラデルフィアにおいて、アメリカ建国100年を記念した万国博覧会が開催された。この万国博覧会参加のために政府事務官の一人として任命された吉雄永昌(勧業寮十二等出仕、会計)は、平野富二と知己であったことから、平野富二による「活字紙型等の見本各種」の出品がなされたと見られる。
この見本各種の中には、明治9年版活字見本帳『活版様式』と小型手引印刷機が含まれていたと見られる。これらについて考察を加えた。また、吉雄永昌について平野富二、築地活版製造所との関連を参考に述べた。

明治10年(1877)8月に第一回内国勧業博覧会が東京の上野公園で開催された。これはわが国政府主催の最初の博覧会であった。このとき平野富二は築地活版製造所で製造した「楷書・仮名等の鉛版活字」を出品した。しかし、平野富二の名前で出品した印刷機はなかった。
このとき、「鉛版活字」の摺り見本として明治10年版とされる活字見本帳『BOOK OF SPECIMENS MOTOGI & HIRANO』が一緒に出品されたと見られるが、疑問もある。また、国産化した活版印刷機を本格的に製造できる体制を整えたにも拘わらず、平野富二の名前で出品された印刷機はなく、築地活版製造所で造られたとみられる手引印刷機が、出版人である野村長三郎の名前で出品された。これらについて考察を加えた。

引続き第二回内国勧業博覧会(明治14年3月開催)、ロンドン発明品博覧会(明治17年5月)、第三回内国勧業博覧会(明治23年4月開催)などが開催されたが、これらについては、次回ブログ「国内外の博覧会と活字・印刷機の出品(その2)」で紹介する。

【News Release】千代田区|まちの記憶保存プレート|1872年 明治五年 活字を用いた近代印刷の起点|千代田区神田和泉町1和泉小学校地先 植栽帯内に設置

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千代田区「まちの記憶保存プレート」
設  置  者:東京都千代田区
設置場所:東京都千代田区神田和泉町1和泉小学校地先 区道植栽帯内
設置年月:2019年12月24日

◉ JR中央線・総武線「秋葉原」駅 昭和通り口より徒歩5分

まちの記憶
1872年
明治五年
活字を用いた近代印刷の起点
鋳造活字製造の事業化を果たした平野富二は、津藩主藤
堂和泉守屋敷の門長屋を再活用した活版製造・販売所を
開設し、これを機に全国的な規模で活版印刷が普及した。


[ 詳細: 平野富二の会
[ 参考:活版 à la carte【平野富二の会】日本近代医学とタイポグラフィ揺籃の地|東京都千代田区神田和泉町 1 資料|「江戸名所道外盡 外神田佐久間町 廣景画」安政六年(1858年)披露

【珍客訪問】有朋自遠方来、不亦楽乎|バウマン&バウマンの愛娘 カルラが訪問|フランスで建築家になっていて吃驚仰天

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ドイツのバウマン&バウマンはふるい友人。かぞえてみたら優に30年を越える交際になる。
12月某日、そのバウマン夫妻の愛娘カルラが、トートーバックひとつと、スマートフォンを片手にひょっこりと訪問。少女からすっかりレディーになっていてびっくり。
カルラは現在パリの著名な建築家の事務所に勤務しており、ビジネスで日本にやってきたとのこと。弟のレオンともどもいまだに結婚はしていないそうだ。オヤジのゲアドは頭が痛くて、頭髪の養生には悪影響があろかと心配する。

20191217154727_00015 20191217154727_00018ドイツ中西部にあるシェベービュッシュ・ギュムントの街。ふるい城壁に囲まれた石畳の街
バウマン家は街の郊外、小高い丘の中腹にあり、大型の荷物は専用ケーブルカーで運ぶ
20191217154727_00019 20191217154727_00020カルラとレオンの姉弟。亡妻と野面で花冠をつくって遊んでいた少女がカルラだった。

カルラのスマホ画面でバウマン一家の近影を拝見。即スカイプ接続で日独テレビ電話の強制。ゲアド・バウマンは顎髭までまっ白になって、まるでサンタクロース。おまけにレオンまでオヤジに似て頭髪の大部分を失っていた。不覚ながら懐かしさのあまり涙がにじんだ。

ちょうど移転作業中で社内は散らかっていたが、古い写真もでてきた。あわせて紹介したい。
ふるく中国でいう ── 

有 朋 自 遠 方 来、不 亦 楽 乎
朋有り遠方より来る、亦た楽しからずや

バーバラ・バウマン+ゲアド・バウマン b+b WebSite
『文字百景』バウマン02【 文字壹凜まとめ 】
【 文字百景26  バウマン+バウマンと私たち PDF moji-hyakkei 26 B&B_1 】

20191217154727_00017 20191217154727_00016 バーバラ・バウマン バウマン01バウマン初来日のとき。1994年10月10日、イベントの秋、体育の日で、講演・展示会会場探しで往生した記憶。 上)バーバラ・バウマン 下)ゲアド・バウマン。早速あだ名がついた。「逆さダルマ」。ゲアド・バウマンも気に入って各地でダルマを買いあさっていた。

【会員情報】紙のことならなんでもこい|原 啓志さん カレンダー|咲いた - Bloomed 2020 Calendar

20191217154727_00012 - コピー20191217154727_0001320191217154727_00014【 原  啓志さん   一筆箋 】
2020年のカレンダーをお届けします。
2019年一年間お世話になりました。その感謝と「2020年も宜しくお願いいたします」のご挨拶に
代えさせて頂きます。
綴じ糸をオリンピックの年に合わせて赤色にして、ガンバレニッポン。
会話の中に植物を愛する気持ちを感じ、そこに咲く季節の花々をスケッチして歩いた道、庭。
開いた一枚目の頁に、2019年12月の暦と、春の始まりに咲く縁起の良いマンサクを配し、健康にも
良いとされる柚子の香りに立ってと願った表紙です。
2020年が皆様にとって佳い年でありますよう、お祈りいたします。
2019年師走   原 啓志
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【 原 啓志 はら-ひろし さん プロフィール 】
・ 1949年  佐賀県生まれ 幼少時より東京北区で育ち、王子の「紙の博物館」が遊び場だった
・ 1973年  東京農工大学卒業  三島製紙株式会社入社
・ 1984年  農学博士(東京大学)
・ 2008年  日本製紙グループの事業再編に伴い、三島製紙株式会社が日本製紙パピリア株式会社となる
・ 2013年  日本製紙パピリア株式会社常務取締役を退任
・ 2014年  高知県製紙工業会紙産業特別技術支援員(2017年3月契約終了)

この間、三島製紙株式会社・日本製紙パピリア株式会社の、開発室長兼開発研究所所長、吹田工場長、原田工場長、本社技術開発本部長、高知工場長を歴任。
1981年と1989年に紙パルプ技術協会賞受賞。
和紙、非木材繊維、パルプ、紙の表面性、吸液挙動等の研究、シガレットペーパー、情報記録用紙、薄葉印刷用紙、ケナフ紙などの特殊印刷用紙、透き入れ紙、特殊紙の開発を手がけるほか、ISO 9000 シリーズ、PL 法対策にも関与。
紙や特殊紙の講演、執筆も多数。
ヨーロッパの手漉き紙に日本の山野草や小動物などを描いた個展を開く。
洋風の食材をモチーフにしたイラストとデザインで、1997全国カレンダー展日本印刷産業連合会会長賞を受賞など趣味も多い。
著書 : 『紙のおはなし』(日本規格協会)、『印刷用紙とのつきあい方』(印刷学会出版部)
共著 : 「最新加エガイド」、「特殊機能紙」、「現代デザイン事典」、「おもしろい繊維のはなし」、「紙パルプ技術便覧」、「紙パルプ事典」ほか

kazari-upper{ 新宿餘談 }
師走とはいいながら、あまりに時の経つのがはやくて驚きます。
原啓志さんを講師にお迎えして{朗文堂 ちいさな勉強会 紙}を開催したのは、てっきりことしの前半のことかと思っていたら、2018年4月-9月のことでした。あのあつい勉強会から、はやくも一年余のときが経ったのですね。
また長期「リニューアル休館」に入っていた紙の博物館は、久しぶりに2020年3月から企画展を再開し、2020年6月には創立70周年を迎えます。来春のたのしみのひとつです。

そんな慌ただしい世相をよそに、原 啓志さんはいつもの優しいタッチの水彩画で、 A 3 判 4 枚 二つ折りのカレンダーを製作。ご恵送たまわりました。
できたら艸花(ひとにより雑艸ともいう)でいっぱいの「空中花壇」に掲出したいほどのものですが、それでは風雨にさらされますので、枕元に飾って一年をともにしたいと存じます。なつかしい勉強会の記録と共にご紹介いたします。

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【良書紹介】「ミツカン水の文化センター」の機関誌|『水の文化』 第63号発刊|特集「桶・樽のモノ語り」

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ミツカン 水の文化センター
『水の文化』63号
桶・樽のモノ語り
水をはじめとする液体を貯蔵、あるいは運ぶために使われてきた桶と樽。桶とは桶側-おけがわ・箍-たが・底板からなる木製の容器のことであり、樽はその桶に蓋を付けて密閉できるようにしたものだ。
江戸期の日本は世界でも有数の桶と樽の生産地であり、昭和初期まで人々の暮らしのみならず産業や経済を支えていたのは桶と樽だ。戦後、桶と樽はあまり使われなくなったが、今でも桶や樽にこだわる人は存在する。

持続可能性が求められる現代において、今なお使いつづけられる桶と樽の価値とはいったい何なのか。大型の貯水・貯蔵装置の視点から考えたい。

mizunobukka  63木桶がひしめくしょうゆのもろみ蔵。この蔵独特の生態系をつくるのに木桶の果たす役目は大きい(香川県・小豆島のヤマロク醤油にて) ミツカン 水の文化センター WebSiteゟ

【 詳細 : ミツカン 水の文化センター 】 { 活版アラカルト まとめ }

【会員情報】笹井祐子さん個展・グループ展|ATELIER・K 笹井祐子展 ─ Jardín ─|2019年12月12日-12月26日|Gallery A R K|* A N I M A T O * 第 22 回 アニマート展|-ハガキサイズの小宇宙-|2019年12月5日-12月14日

20191129004745_00001 20191129004745_00002ATELIER・K
笹井祐子展 ─── Jardín ───
期  間  2019年12月12日[火]-12月26日[火]
会  場  ATELIER・K ART SPACE
      231-0868 横浜市中区石川町1-6 三基ビル 3 F
      電話 045-651-9037
      http://atelier-k.main.jp/index.html
時  間  11:30 am - 7:00 pm (日曜 6:00 pm、最終日 5:00 pm)
      オープニング 12月14日[土] 5:30 pm-7:30 pm
──────────────
メキシコのアマテ紙による版画と、メキシコ産大理石によるリトグラフ作品が並びます。
ご高覧をお願い申しあげます。
20191129004745_00003 20191129004745_00004Gallery A R K
* A N I M A T O *
第 22 回 アニマート展-ハガキサイズの小宇宙-
2019年12月5日[木]-12月14日[土]

11:00ー18:00  日曜日休廊  * 最終日は17:00まで
初日5日[木]17:00 ゟ オープニングパーティー

Gallery A R K
横浜市中区吉浜町2−4  AXIS 元町1F

045-681−6521
http://ark.art-sq.com/

[ 詳細: 笹井祐子

【会員情報】 ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本新作 ── フランツ・カフカ短編集『 兀鷹-はげたか』

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{ ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 一筆箋 }

カフカ短篇集「兀鷹」です。
カフカの作品は「道理の前で」『あるじの気がかり』「観察」に続いて4冊目です。
ときどき作りたくなります。
内容は表題の「兀鷹」の他に「橋」「出発」「諦めが肝心」「舵手」の5篇です。
今回もいつも通り計画もなく本体を作りはじめました。
並製でシンプルなものにしようと思いましたがうまくいかず、結局上製にしました。
背文字だけにするつもりがこれも不満で、本体と合体する前に文字を印刷しました。
こんな行き当たりばったりでは完成度の高いものができないのも当然でしょうね。
──────────────

さらにお詫び
最後の「舵手」は、はじめ別の作品を入れていましたが頁数の関係で差替えました。
そのとき目次の訂正を忘れ、気付かずそにのままでき上がってしまいました。
汚くて不細工ですが上から貼って直しています。
まあ長い人生のうちには、そういうこともあるだろうとご寛恕を請う次第です。

この秋は

【 詳細  ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】 { 活版アラカルト 活版小本 既出まとめ 

活版小本
2019年7月22日 月曜日
次の本が出来るまで その136
小野篁歌字尽
古来より小野篁歌字尽と伝えられるものあり。果して篁の作か聊か疑いなきにしもあらず。

参考までに掲載す。
短句 短句2 短句3

* 杉本昭生つぶやき:全部で119首ある。すこし多すぎる。
* 新宿餘談:小野 篁-おののたかむら(参議篁-さんぎ たかむら)
菱川師宣画『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵
『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵〈上の句〉わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
           わたのはらやそしまかけてこぎいでぬと
〈下の句〉人には告げよ あまの釣舟
           ひとにはつげよあまのつりぶね
定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/わたのはらや

【WebSite 紹介】 瞠目せよ諸君!|明治産業近代化のパイオニア 平野富二|{古谷昌二ブログ27}|活版印刷機械の製造体制


6e6a366ea0b0db7c02ac72eae004317611-300x75明治産業近代化のパイオニア

furuburo11平野富二生誕170年を期して結成された
<「平野富二生誕の地」碑建立有志会 ── 平野富二の会>の専用URL
 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ } では、同会代表/古谷昌二氏が
近代活版印刷術発祥の地:長崎と、産業人としての人生を駈けぬけた平野富二関連の
情報を記述しています。

本稿もこれまでの「近代産業史研究・近代印刷史研究」とは相当深度の異なる
充実した内容となっております。読者諸賢の訪問をお勧めいたします。

古谷昌二ブログ ── 活版印刷機の製造体制

ab8a2b0e21f54ff5474ba991de0cb37c-300x199-300x199まえがき
(1)神田和泉町における活版印刷機製造
(2)築地二丁目に移転後の印刷機製造
    初期の活版器械製造工場
    活版器械専用工場の建設
    部品・素材の調達:当初は街の鋳物師に発注
    大形部品の製造:石川島造船所と横浜製鉄所に依頼
(3)築地にあった鉄工部の石川島移転
(4)印刷機械部の解散と離職者の独立支援
    離職従業員の独立支援
    当時の印刷機製造業者
(5)大阪活版製造所での印刷機製造
(6)月島分工場での印刷器械製造
ま と め
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[ 活版印刷機の製造体制  古谷昌二まとめ ゟ ]
平野富二にとって活版印刷機の製造・販売はあくまでも活字・活版の販売を促進するための手段だった。活版印刷をおこなう用具として見れば共通であるが、活字・活版の製造と活版印刷機の製造は異質のもので、その製造設備は全く異なるものである。

したがって、活版印刷機の製造をはじめた当初の神田和泉町時代は、細かい手細工を除いて、ほとんどを外部に依存していたが、築地二丁目に移転してからは金属加工機械を輸入して活版の製造と印刷に用いられる諸々の器械・器具の製造を兼ねて自社内での生産体制を整えた。

しかし、活版印刷機の製造に必要な鋳造設備や鍛冶設備が無いため、小物部品は街の鋳物師や鍛冶師に外注し、大物部品は石川島造船所に鋳造・加工を依頼していた。
明治9年(1976)になって、平野富二が杉山徳三郎の経営する横浜製鉄所に経営参加すると、横浜製鉄所で活版印刷機の製造をおこなうようになった。しかし、同じ年の内に平野富二が海軍省から旧石川島造船所の跡地を借り受けて石川島平野造船所を設立したのに伴い、築地活版所にあった印刷機部門と製造設備を石川島造船所構内に移転させた。当初、石川島造船所には機械加工設備がなかったため、築地から移転させた設備を使用して船舶用機器の製造もおこなった。

平野富二にとっては、活版印刷機の製造は一般産業機械の製造の一環としておこなわれるものであって、活版印刷機専用の製造設備を保有することは無駄で、勿体ないと思っていたに違いない。このような製造設備があれば、船舶用はいうに及ばす、他の一般産業分野で必要とする機械、器具類を製造して、広くわが国の産業発展に寄与できると考えていたと思われる。
平野富二は、江戸の職人だった者たちを積極的に雇用し、また、築地活版製造所で技術を身につけた従業員の退社に際しては、むしろその技術を生かして独立するよう支援している。これも、わが国産業発展の基盤とすることを意図したものと見られる。

東京築地活版製造所における活版製造と活版印刷機製造の営業上の位置付けを見ると、株式組織となった明治18年(1885)の売上高は活字類が23,521円(80%)に対して5,750円(20%)にすぎない。活字の売上高が圧倒的に高いことは後年になっても変わらず、活版印刷機の売上高比率はむしろ低下している。
東京築地活版製造所は、明治9年(1876)に築地にあった印刷機製造設備を石川島に移設して以来、第4代社長名村泰蔵が計画・建設した月島分工場が完成した明治40年(1907)まで、自社内に印刷機の製造設備を持つことは無かった。

名村泰蔵が活版印刷機の自社内製造を決意した背景には、大阪活版製造所での事業整理による印刷機製造部門の廃止があるが、新聞・雑誌類の発行部数が大きく伸びて大型印刷機の需要が増大したこと、高いレベルにある自社の印刷技術を印刷機に反映させることができることを念頭に置いたと見られる。
しかし、明治後期から大正にかけて、世の中の動きは活版をそのまま使用する活版印刷機の時代から、輪転印刷機、石版印刷機、オフセット印刷機の時代へと移行しつつあった。

東京築地活版製造所では、活字・活版の製造・販売を主業務としていたため、活版印刷機の製造・販売にこだわって、活版をそのまま使用することのない輪転印刷機や、平版に属する石版印刷機、オフセット印刷機の製造については関心を示さなかった。
関東大震災による罹災から復旧はしたものの、印刷分野の技術革新に乗り遅れたこともあって、活版印刷機の受注は伸びず、昭和9年(1934)になって月島分工場は廃止されるにいたった。
その4年後に伝統ある東京築地活版製造所は解散に追い込まれた。

昭和13年(1938)3月17日に開催された臨時株主総会において代表取締役社長に指名された松田一郎は、その場で会社解散を提議し、株主総会の承認を得て清算業務に入った。
会社解散を決議した松田一郎は、東京築地活版製造所の最後の社長として、その後の清算業務を無事に実行させることが自らの役割となった。
しかし、どのように清算が行われ、何時、清算を完了して会社解散の届け出を行ったのかは、業界紙誌も沈黙を守っており明らかになっていない。

【会員情報】展覧会|mayabell ギャラリー|「方舟に乗る前に」上原修一 銅版画カレンダー原画展|11月23日-12月2日

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mayabell ギャラリー
「方舟に乗る前に」
上原修一 銅版画カレンダー原画展
期  間  2019年11月23日[土・祝]-12月2日[月]
時  間  12:30-19:30
会  場  mayabell ギャラリー

上原 修一
1963年 長野県須坂市生まれ
現在、美学校銅版画工房講師

[ 詳細: mayabell ギャラリー  上原修一  WebSite

【会員情報】展覧会|アルテピアッツァ美唄|齊藤靖則模型展|2019年10月30日-11月25日|美唄はもう初雪です

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アルテピアッツァ美唄
齊藤靖則模型展
会  期  2019年10月30日[水]-11月25日[月]
      9:00-17:00、火曜休館
会  場  木造校舎(ギャラリー)
主  催  齊藤靖則模型展実行委員会
共  催  NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団、 NPO法人 アルテピアッツァびばい
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これまで15年以上にわたり、70点以上もの炭鉱関係施設の模型を作り続けている、元炭鉱マンの齊藤靖則さんによる模型展です。
細かな部分まで再現された精巧な模型は、その建物がこれまでに果たしてきた役割を見る人に伝えます。
[ 詳細: アルテピアッツァ美唄 ] {活版 à la carte まとめ

kazari-upperアルテピアッツァ美唄 ブログ ゟ
DSCF2209-768x512カフェアルテ 冬期営業始まります
BLOG  2019.11.07
ぐっと冷え込んだ今日、安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄では、昼過ぎに大粒の初雪が降りました! 今回は積もりませんでしたが、一面真っ白な風景が見られるのも間もなくです。
数日前から、屋外に展示している白大理石の彫刻には雪と寒さから守るための保護シートがかけられ、カフェアルテでは冬期限定メニュー「かぼちゃスープ」の仕込みも進み、アルテでは冬支度が終盤を迎えています。
1109-768x512ついに
BLOG  2019.11.10
真っ白な雪の季節がやってきました。
芝生一面が白く覆われ、彫刻や木々の枝がうっすらと雪をまとって、静かにたたずんでいます。昨日、朝早くからアルテピアッツァ美唄に来て、屋外にある彫刻の写真を撮っていた方は「(1年をとおして)サラッと雪が積もるこの時期が一番きれいだと思う」とお話しされていました。
まだ気温が下がりきっていない11月は雪が降っても、その日のうちにとけてしまったり、シャーベット状に残ったり。それゆえに、足元が悪いところも多いので、長靴など防水加工の靴で来訪されることをおすすめします。木造校舎2階のギャラリーやカフェアルテでも長靴をお貸ししますので、スタッフにお声かけくださいね(数に限りがありますのでご了承ください)。
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あのときは、暑く、そして熱かった。Viva la 活版-すばらしき活版。<Viva la 活版  Viva 美唄>。
それまで 5 年間 4 回にわたり東京で開催してきた<活版凸凹フェスタ>にかえて、東日本大震災を期に地方からの底上げに向けて、2013年07月北海道美唄市アルテ・ピアッツア美唄で開催された活版礼讃イベントの記録。

映像製作:川崎孝志会員   BGM:AdRev for a 3rd Party

【 YouTube Viva la 活版  Viva 美唄 音が出〼 14:39 】

【会員情報】ヒロイヨミ社|十一月の小冊子|ウィリアム モリス 珈琲&ギャラリー|11月5日-11月29日

IMG_9999ヒロイヨミ社
十一月の小冊子
日  時  11月5日[火]-11月29日[金]
      12:30-18:30(最終日17:00まで)
      日・月・第 3 土曜(11月16日)休み
会  場  ウィリアム モリス 珈琲&ギャラリー
      150-0002 渋谷区渋谷1-6-4 The Neat 青山 2 F
      tel  03-5466-3717
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尾形亀之助の、小さな詩集を作っています。
小さいだけでなく、とても、薄いです。

[ 詳細: ヒロイヨミ社通信 2   山元伸子 ]

【会員情報】山崎曜 作品展「ひかるもの」|ギャラリーおかりや|2019年11月27日-12月2日

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山崎曜 作品展「ひかるもの」
会  期  2019年11月27日[水]-12月2日[月]
      11:00 am -7:00 pm [最終日 5:00 pm]
会  場  ギャラリーおかりや
      〒104-0061  中央区銀座4-3-5   銀座 A H ビル B 2 F
      tel. 03-3535-5321  fax. 03-3535-5370
      http://www.g-okariya.co.jp
──────────────
今回は、屏風的なものが、新ネタです。
まあ、前回もそんな感じでしたが、新構造です。

[ 詳細: 製本アーチスト 山崎 曜 ] {活版 à la carte まとめ

【会員特別催事】第五回 ぶっく寺す|2019年11月24日[日]10時ゟ17時まで|会場 真宗大谷派 雲雀山 念興寺

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第四回 ぶっく寺す
2018年11月25日[日] 10時ゟ17時まで
会 場  真宗大谷派 雲雀山 念興寺
     938-0103 富山県下新川郡入善町舟見1136 TEL:0765-78-1252
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ご存知、瓜生-正成-美雪さん主宰による<ぶっく寺す>
寺のご本堂・お庫裏までを占拠しての大イベントです。
ことしもやります! てんこ盛り五回目の大競演。
会員のみなさん、お数珠を持参の上、念興寺に大集合!

活版 à la carte 既出まとめ

【会員情報】コートギャラリー国立|画廊企画 Gallery1|作田 富幸 個展 SAKUTA Tomiyuki|2019年12月12日-12月23日

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画廊企画 Gallery1
作田 富幸 個展  SAKUTA Tomiyuki
会  期  2019年12月12日[木]-12月23日[月]
休  廊  日  12月18日[水]休廊
時  間  11:00-18:00 最終日16:00まで

Court Gallery
186-0004 東京都国立市中 1-8-32
TEL 042-573-8282 FAX 042-573-0023
http://www.courtgallery-k.com/

【タイポグラフィ学会】第5回 平野富二賞|授賞式と記念講演|10月14日

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第 5 回 平野富二賞 授賞式と記念講演

「平野富二の会」代表の古谷昌二氏が、「第5回 平野富二賞」をタイポグラフィ学会(会長:山本太郎)より授与されました。

授賞式と記念講演が下記の日程にて開催されました。

日 時 2019年10月14日[月曜・祝日]
場 所 NATULUCK(ナチュラック)四ツ谷駅前
    3 階 大会議室(セミナールーム)
内 容:15:40-17:30 頃   第 5 回「平野富二賞」授賞式 古谷昌二氏
    記念講演(古谷昌二氏)
      平野家所蔵品(新装「池原香穉書画軸」他)お披露目
    18:30-20:30頃 懇親会(近隣別会場にて)

第五回平野富二賞 記念品/右)受賞者:古谷昌二氏 左)プレゼンター:平野正一氏

授賞式ののち、古谷昌二氏による記念講演「平野富二の事績を追って四半世紀」が1時間にわたりおこなわれました。

平野富二が創設した石川島造船所入社にいたる経緯と因縁、平野富二研究にいたる経緯、I H I・高松昇氏との協力関係、平野家とタイポグラフィ関係者との出会い、『平野富二伝 考察と補遺』の出版、『平野富二と活版製造所』の出版計画、朗文堂 サラマ・プレス倶楽部のイベント、「平野富二 生誕の地」碑建立(長崎)のこと、ブログ執筆について熱のこもった講演となりました。

修復がなった「池原香穉書画軸」お披露目(平野家所蔵)

[ 詳細: タイポグラフィ学会 ]

【ちいさな勉強会】本格公式書体、いぶし銀のタイプ製作者 ── タイプクリエーション:米 田 隆さん|10月04日 朗文堂

講 師:米 田   隆 1955年  東京うまれ

「朗文堂ちいさな勉強会」
本格公式書体、いぶし銀のタイプ製作者 ── タイプクリエーション:米 田  隆さん
2019年10月04日[金] 19:00-21:00 朗文堂 4 F-A

個性や独自性が表出した活字書体もときには悪くない。それでもそこに、当たり前のように、いつの間にか存在し、ひろく使われている活字書体もある。
そんな書体を作りつづけている米田さんをお迎えしました。

 {米田 隆 略歴紹介}

1955年生まれ。東京都出身。
「欧文活字の晃文堂」の系譜を継承した、リョービ印刷機販売株式会社デザイン室/リョービイマジクス株式会社を経て、1988年有限会社タイプクリエーションを設立。
この間、終始「本明朝体シリーズ」製作者の故杉本幸治氏に師事した。
独立後は、リョービ、リコー、N E C、大日本印刷を中心に、写真植字書体・デジタルタイプの公的大型書体開発チームに携わる。
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{米田 隆/タイプクリエーション 主要関与書体}

◉ かな書体ぽぽる・クリアレター(NEC)
◉ 平成明朝体の製作第一次・第二次製作者チームに参加(日本規格協会/リョービ)
◉ MSゴシック体製作、Windows XP 表示用かなデザイン製作(リコー)
◉ 本明朝-Book 製作(リョービ・現モリサワ取扱)
◉ 「秀英体平成の大改刻」プロジェクトに参加、秀英角ゴシック体デザイン製作(大日本印刷)
◉ 歌手 A N 引退記念アルバム制定書体の製作
◉ 懇話会の話題:いわゆる G T 書体6万4千字の思いで。いわゆる電子政府書体の思いで。
二時間半におよんだ講演は、大型公的書体での製作チームの構成・役割分担・納期とのたたかいなど広範囲にわたり、実際の版下台紙やデジタルデーターを提示しながら熱のこもったものでした。
ひと息ついたあと、「歌手 A N 引退記念アルバム制定書体の製作」の過程が紹介され、デジタル配信時代におけるタイプフェィスの果たす役割と、その可能性に関するおはなしは「そうか、そんな可能性が残されていたのか」と新鮮な歓びがありましたが、残念ながら非公開でした。
あたりまえにみえて、あたりまえでは無い実例として提示されたのが、2017年から銀座「ggg」ギャラリーほかで開催された「組版造形 白井敬尚」展用の特別書体。
同展では図録・記念誌・バーナーなどでひろく用いられましたが、これが特別書体だと気づかれたかたはほとんどいなかったようです。これこそまさにタイポグラファとタイプデザイナーの永年にわたる交流と、コラボレーションの成功例といえるでしょう。
米田さんは「白井さん個人からの依頼書体だから」と公開を逡巡されましたが、白井敬尚氏の承諾をいただきましたので、ここにその一部を紹介します。

[協力:タイプクリエーション 米田 隆    白井敬尚ツィッター

【会員情報】東 塔 堂|羽原肅郎 展 「色 color の形 form と季節 season」|11月1日-11月23日

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東 塔 堂
羽原肅郎 展 「色 color の形 form と季節 season」
会  場  東 塔 堂 | Totodo
会  期  2019年11月1日[金]-11月23日[土]
時  間  12:00-20:00[日曜休み]
協  力  加藤勝也
入  場  無 料
──────────────
2020年版のカレンダーは、色と形で季節を表す新しい試みです.
会場では新作の手札サイズの愛らしい水彩画のシリーズ「四角形への詩!」を展示販売いたします.また、羽原肅郎が敬愛するアーティストに捧げた transparent box を先着順でご用意しております.

羽 原  肅 郎
1935年, 広島県に生まれる.
桑沢デザイン研究所リビング・デザイン科研究クラス卒業.
建築写真家:二川幸夫に師事.
美術出版社・月刊『デザイン』誌編集責任者, 東京造形大学助教授, 二玄社出版部部長として『CG』誌等の編集に参加.
鹿島出版会『SD』誌デザインエディター, JIDA 事務局長を歴任.
明星大学 造形芸術学部 造形芸術科 教授.
武蔵野美術大学, 筑波大学, 東京YMCAデザイン研究所, 多摩美術大学等の非常勤講師を務めた.
著書に『構造の芸術』『本へ!』等がある.
『世界デザイン史』等にも執筆.
コンクリート・ポエトリーの制作も行っている.

[詳細: 東 塔 堂

【会員情報】 ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本新作 ── 菊 池 寬『 母 』

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{ ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 一筆箋 }

菊池寛の「母」を作りました。
なぜ菊池寛なのか。ひとことでいえば彼の短編小説が好きだからです。
今回の『母』もごく短いものですが、強く印象に残りました。
 母が亡くなり葬式に出るため故郷の実家へ向かう清三は
 幼いころ見た或る光景が忘れられず、母に対して複雑な思いを抱き続けています。
無駄な描写がなく、短編小説のお手本のような作品だと思います。
──────────────
本文は十二字詰め五行、一頁六十文字でゆったりと組んでいます。
それに合わせて判型も窮屈にならない程度に小さくしました。
装幀は我ながら野暮ったい感じがします。
本文を読むとあまり冒険もできず、手元にあった安物の着物地で
作りましたが、もう少し品よくできたのではと反省しています。
お読みいただければ幸いです。

秋の夜の

【 詳細  ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】 { 活版アラカルト 活版小本 既出まとめ 

活版小本
2019年9月25日水曜日
次の本が出来るまで その140
『仮名世説』
『仮名世説』は蜀山人が「世説」に倣い近世の逸話、名言を蒐めたものです。
近松門左衛門の辞世の文章を掲載します。
近松{杉本昭生つぶやき:そろそろ辞世の準備をしないと …… といいつつ何年過ぎたことやら}

【会員からの報告】笹井祐子さん|長崎の「平野富二生誕の地」碑と「新町活版所跡」碑を訪問

CD70ACBF-CE4D-45C3-8497-0780F46D694A平野富二生誕の地 碑(2018年11月「平野富二生誕の地」碑建立有志の会 建立)、長崎市所有
所在地/長崎市桜町 9-6(現 長崎県勤労福祉会館脇)
3A971A27-E1F9-4F53-84F1-283E3DF0A5AD長州萩藩蔵屋敷跡・吉村家跡・新町私塾跡・新町活版所跡碑・活字の碑

所在地/長崎市興善町 6(現 長崎県市町村職員共済組合会館)

2019年9月中旬、校外授業で学生と一緒に長崎有家方面に出かけました。長崎は良い旅でした。
自由行動の時間に、新設がなった「平野富二生誕の地碑」と、「新町活版所跡碑」に学務スタッフだけで行ってきました。近くに縁結びの小さい神社があって、とても良かったです。
写真を撮影したのは大学院生です。

「平野富二の会」の皆さまによろしくお伝えください。
                   日本大学 藝術学部 美術学科教授:笹井祐子会員

8D1E57B8-0C47-4A94-A79E-9EF91EA61189「平野富二生誕の地」碑 近くにある縁結びで著名な出雲大社分館
c9eed8f9657e0934ae113a3b687ee065[ 参考: 平野富二-明治産業近代化のパイオニア 平野富二の会

【会員情報】アルテピアッツァ美唄|川染雅嗣ピアノリサイタル|~バロックから現代までを弾く~|10月12日

川染雅嗣様ピアノリサイタルチラシ_表_5.24_修正 チラシ裏アルテピアッツァ美唄
川染雅嗣ピアノリサイタル ~バロックから現代までを弾く~
開催期間  2019年10月12日[土] 16:30開場、17:00開演
会  場  アルテピアッツァ美唄 旧体育館(アートスペース)
料  金  一般 2,000円(当日券 2,500円)、中学生以下 500円。全席自由。
チケット  安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄、美唄市民会館、ギャラリーよしおか、
      札幌市交流プラザ2階チケットセンター
問い合せ  090-2076-0487(栃原)
──────────────
安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄は、
今を生きるすべての人が、無心に、自由に、思い思いの時間を過ごすための芸術広場です。
錦繡に燃える秋、北見出身のピアニスト・川染雅嗣(かわそめまさし)さんによるピアノリサイタルです。

[詳 細: アルテピアッツァ美唄

2019ˆÀ“cŠ¤‚Ì‚±‚±‚ë‚𒤂éŽö‹Æƒ`ƒ‰ƒV0716 アルテピアッツァ美唄02全日満席がアナウンスされています。

無心に石を彫っていくと、いつしか自分の心に出会います。
【 YouTube アルテピアッツァ美唄 こころを彫る授業  音が出〼 2:23 】


Viva la 活版-すばらしき活版。5年間4回にわたり東京で開催してきた<活版凸凹フェスタ>にかえて、東日本大震災を期に地方からの底上げに向けて、2013年07月北海道美唄市アルテ・ピアッツア美唄で開催された活版イベントの記録。
映像製作:川崎孝志会員   BGM:AdRev for a 3rd Party

【 YouTube Viva la 活版  Viva 美唄 音が出〼 14:39 】

【会員の展覧会】星と森の詩美術館|稔りゆく自然、移りゆくアート ー 日本とメキシコ版画交流 ー|10月11日-11月30日

20190930132828_00003 20190930132828_00004星と森の詩美術館
稔りゆく自然、移りゆくアート
ー 日本とメキシコ版画交流 ー
会  期  2019年10月11日[金]-11月30日[土]
開館時間  9時30分-17時 * 入館は16時30分まで
休  館  日  火曜日、10月23日 * 10月22日は開館
入  館  料  一般 500円、小・中学生 200円
主  催  日本大学芸術学部、星と森の詩美術館
後  援  在日メキシコ大使館  協力:La Ceiba Grafíca
──────────────
メキシコの版画工房の協力のもとメキシコの現代版画と、「大地、空気、色彩」をテーマに制作された日本大学芸術学部美術学科の教員・卒業生の版画作品とを合わせて展示し、版画作品を通してメキシコとの美術交流を行います。
メキシコの版画工房ラ セイバ グラフィカ協力のもと、メキシコ人アーティストの作品と、日本大学芸術学部美術学科の非常勤講師を含む教員、および作家として活躍している同学卒業生の作品をあわせて展覧いたします。
稔りゆく秋を背景に、現代のメキシコ版画と日本版画との競演をぜひお楽しみください。

⇒ ・10月26日(土)14時よりギャラリートーク開催
               ※入館料が必要です
  ・10月27日(日)13時よりワークショップ《稔りゆく自然を版画にする》開催
               ※参加費無料、お子様大歓迎!
  講師(両日とも)
・笹井祐子さん
(版画家、日本大学芸術学部美術学科教授)

・関口雅文さん(画家、日本大学芸術学部美術学科非常勤講師、十日町市出身)
・鶴巻貴子さん(銅版画家、日本大学大学院修了、三条市在住) ほか

[ 詳細: 星と森の詩美術館

Naturaleza Fructificando, Arte Cambiando con el Tiempo
Intercambio de grabados entre Japón y México

「稔りゆく自然、移りゆくアート ── 日本とメキシコ版画交流 ──」
 ── その意図と願い ──                 笹井祐子

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【公募】アダチ伝統木版画技術保存財団|第11回アダチ UKIYOE 大賞 浮世絵師募集|─ あなたの作品が職人の技で浮世絵・木版画に!|2019年12月25日必着

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アダチ伝統木版画技術保存財団
第11回アダチ UKIYOE 大賞
浮世絵師募集 ── あなたの作品が職人の技で浮世絵・木版画に!
2019年12月25日必着 〆切り
江戸時代に花開いた浮世絵版画にとって、世相を反映した版下絵を描く絵師は、彫師や摺師と同様に浮世絵版画にとって不可欠な存在です。
アダチ伝統木版画技術保存財団では、現代の絵師を募集するため、平成21年度より公募「アダチUKIYOE 大賞」を毎年実施してまいりました。入賞者の作品はアダチ版画の現代の彫師、摺師によって浮世絵版画として制作され、完成した作品は多方面から高い評価を得ています。
入賞者には、現代の彫師・摺師と共に自身の版下絵を浮世絵木版画として制作する貴重な機会が与えられます。多くの皆様からのご応募をお待ちしております。

【 第11回アダチUKIYOE大賞 応募要項 】

流行や世相を反映し描かれることで、広く一般大衆に親しまれてきた浮世絵。より速く美しく大量に作るため、当時最先端のカラー印刷技術であった木版を使用し、絵師・彫師・摺師という三者分業制によって作られました。
この木版画の持つフラットな表現や和紙や水性絵具などの日本独自の素材から生まれる質感は、肉筆による絵画とは異なる木版画独特の魅力として今もなお広く人々を魅了しています。

アダチ伝統木版画技術保存財団は、江戸時代から継承される技術を用いて、より魅力的な木版画を作り続けるために、我々と共に現代の浮世絵を作る浮世絵師を募集します。

[ 詳細: アダチ伝統木版画技術保存財団 特設コーナー

【展覧会】武蔵野美術大学 美術館・図書館|武蔵野美術大学のデザイン教育アーカイブ|島本脩二「本を作る」展|デザイナーと編集者の役割|10月14日-11月9日

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島本脩二「本を作る」展
デザイナーと編集者の役割
会  期  2019年10月14日[月]-11月9日[土]
時  間  10:00-18:00(土曜日、特別開館日は17:00閉館)
休  館  日  日曜日、祝日、10月24日[木]、28日[月] 
      * 10月14日[月・祝]、27日[日]、11月4日[月・振休]は特別開館
入  館  料        無    料
会  場  武蔵野美術大学美術館 展示室 1
主       催  武蔵野美術大学 美術館・図書館
──────────────
本は著者とともに編集者とデザイナーの協働作業で作られる。
本展では、印刷、紙、製本など広いジャンルと関わりながら、どのように編集とデザインが協働するかを伝える。この講座において学生が自作した課題書籍「2 0 X X 年の私(仮)」と共に島本が編集してきた書籍を展示する。

[ 詳細: 武蔵野美術大学 美術館・図書館

【会員情報】私の獨逸日記 戸叶勝也ブログ 新シリーズ+バウハウス美術館 デッサウ 新設オープンのお知らせ

戸叶ブログ

ブログ著者紹介 ── 戸叶 勝也

とかの かつや 1938年 うまれ

DSCN2591-300x242ドイツ史学・ドイツ文学、日本大学元教授。
東京生まれ。1961年 東京大学文学部西洋史学科卒業。N H K 教育局、国際局勤務。その間ドイツ海外放送勤務。88年日本大学経済学部助教授、91年教授、2009年定年退任。専攻、ドイツ近現代史。

特にドイツ出版文化史、ドイツの冒険作家カール・マイの翻訳・研究を行う。

 

戸叶さんは連載ブログ「ドイツの冒険作家カール・マイの生涯」の執筆とあわせて、ことしの夏、永年にわたって滞在された独逸を旅行されました。
その旅行記「2019年7月ドイツ鉄道の旅」を三回シリーズでの掲載を発表され、その第一回目がアップロードされました。皆さまのご訪問をお勧めします。
[ 参考: 私の獨逸日記 戸叶勝也ブログ

♦   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦

バウハウス美術館 デッサウ 新設オープンのお知らせ

颱風一過の9月9日、戸叶勝也さんからのメールで「バウハウス美術館」オープンをお知らせいただきました。戸叶さんはすでに帰国されていますが、いまなおご自宅でも独逸テレビの視聴をされており、速報ともいえる早さでした。
「バウハウス美術館」はバウハウス創立百周年にちなんで、デッサウ(旧東独)に開設され、9月8日に「バウハウス美術館」がオープンしました。

その記念式典には独逸のメルケル首相も出席して挨拶したそうです。メルケル首相は旧東独出身ですから、思い入れがあるのかもしれません。同館はコンペを経てスペインの建築家グループが設計したもので総ガラス張りの建物です。所蔵品は4万9千点。オープニングの日に、一般の市民が大勢押しかけて、入りきれないぐらいだったとか。
新しい建物が総ガラス張りで透明なことについて、市民の反応は賛否両論のようです。館長さんは女性です ── とお知らせいただきました。

バウハウス+ディスティル 3 (002)撮影・図版製作:青葉水龍
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ところで …… 、一昨年はオランダの{ DE STIJL }の創立(1917年-大正6 デザイン同人誌    DE STIJL 創刊)100年であった。
そして、ことしは{ BAUHAUES }の学校創立百年(1919年-大正8 創立)記念の年である。
このふたつの造形運動、とりわけバウハウスはわが国でも関心が高い。ところが稿者の知る限り、わが国では 京都国立近代美術館が「バウハウスへの応答」と題して2018年10月にコレクション展示をおこない、小規模な学会が記念講演を開催したと聞くばかりであった。
ようやく …… という思いと、またあらたな「神話」ができなければ良いがという思いもある。

[ 詳細: Bauhaus Dessau ]
[ 参考: 日吉洋人 Facebook  9月9日

【良書紹介】「ミツカン水の文化センター」の機関誌|『水の文化』 第62号発刊|特集「 再考 防災文化」

水の文化

『 水 の 文 化 』62号
特集:再考 防災文化
2019年 7月
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日本は災害大国といわれる。堤防が決壊すると浸水してしまう低地に人口の約50%が住み、資産の75%が集中しているからである。そのために古くから治水に投資しつづけ、また幾度もの災害を乗り越えることで、地域特有の備えや知恵も生まれた。

かつて水害が常態化していた時代、人々は水害を「わがこと」と捉えていたはずだ。河川改修などが進んで水害は減ったが、それによって水害をはじめとする防災への意識が薄れてしまったのではないか。
従来の観測記録を上回る短時間強雨が増え、台風も巨大化する兆しがあるなか、今こそみんな(社会全体)で備える必要がある。各地のさまざまな取り組みを見つめることによって、日本人の水害への備え、さらにそれを通じて、これからの防災について考えてみたい。

葛飾区東京の東部を流れる荒川と、荒川の左岸から合流する中川
(ミツカン 水の文化センター WebSite ゟ 提供:葛飾区)

【 詳細 : ミツカン 水の文化センター 】 { 活版アラカルト まとめ }

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【会員情報】 ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本新作 ── 石兮-せっけい『芭蕉翁附合集評注』

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{ ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 一筆箋 }

今回は『大地炎上』(マルセル・シュウォッブ/矢野目源一訳)か
『原爆被災時のノート』(原 民喜)にするかずいふん迷いました。
そうこうしているうちに気持が変わり『芭蕉翁附合集評注』を作ることにしました。
参考にしたのは『俳諧注釈集 下巻』(俳諧叢書第二冊、昭和二年、博文館)で
活版で組んだ紙面が美しく、組版職人たちのレベルの高い仕事を感じさせるいい本です。
──────────
今回も失敗を重ねています。
はじめ本文用紙をもう少し厚い紙で印刷したところ、束が一センチほどになり
ぶかぶかした締りのないものになったので、紙を薄くして再度刷り直しました。
二色刷なので見当を合わせるのが大変でした。
製本の時には久しぶりに「本のつくり方」を読み直し
できるだけ忠実に作りましたが、精度が甘く不満です。

芭蕉のつけ句に興味をもつ人が世間にどれほといるかわかりませんが、
かくれた名作という点においてはふさわしい一冊だと思っています。
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『芭蕉翁附合集評注』は江戸時代の俳人、大島蓼太(おおしまりょうた)が編集した「芭蕉翁附合集」に石兮(せっけい)という人が一句ごとに短く解説を附したものです。つけ句を学ぶ人には必携の教科書だったようで、確かにこれを読めば芭蕉が極めて優れた言葉の使い手であったことがよくわかります。
ひとつふたつ抜き出して掲載します。 ← 続きは{活版小本 8月27日

鳴き立てて

【 詳細  ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】 { 活版アラカルト 活版小本 既出まとめ 

【もん】研究社のシンボルマーク|唐 獅 子|杉浦非水 昭和9年(1934)製作

p004研究社のシンボルマークとなっている「唐獅子」は、徳川家の菩提寺として知られる東京の芝・増上寺の門扉にある彫刻を参考にして、杉浦非水(すぎうら ひすい 1876-1965)が原画を描いたものである。
このマークは「現代英文学叢書」(昭和9年・1934)ではじめて使用され、今日にいたるまで研究社のシンボルマークとなっている。

杉浦非水は、愛媛県出身。明治30 年に上京し、東京美術学校(現在の東京藝術大学)日本画科に入学し、在学中に近代洋画の父といわれる黒田清輝の知遇を得、影響を受けた。数〻のポスターなどを製作し、日本の近代商業美術の祖といわれている。昭和10 年には多摩帝国美術大学(現在の多摩美術大学)を創立、初代学長をつとめた。
研究社のシンボルマークの他にも、数多くの作品を手がけ、「光」「桃山」など、たばこのパッケージデザインも世に送りだした。〔研究社公表資料を参考〕

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【展覧会】東京国立近代美術館|イメージコレクター・杉浦非水展| 会場/東京国立近代美術館 2階 ギャラリー 4|前期:2019年2月9日-4月7日 後期:2019年4月10日-5月26日 終了企画参考紹介

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【ちいさな勉強会】戦後の復興期から高度学術書印刷に挑戦を重ねたひと ── 講師:小宮山 清さん

小宮山清氏。昭和6年2月26日うまれ。講師:小宮山 清さん ── 1931年(昭和6)2月26日うまれ
《第11回活版ルネサンスフェア》にご来場のおりの写真。当時御年85歳

もしかすると「小宮山印刷のおじいちゃん」(失礼!)と呼んで、親しくおつき合いされているサラマ・プレス倶楽部の皆さんは、この情報と、小宮山印刷工業  のWebsite  の詳細をみて驚かれるかもしれない。
小宮山清さんの実父:小宮山幸造さんは、1921年(大正10)10月、個人営業をもって「小宮山印刷所」を創立し、東京都新宿区早稲田鶴巻町371番地において一般印刷事業の経営に着手。
戦後に第二代社長としてその事業を継承した小宮山 清さんは、活字活版印刷にとどまらず、林栄社、八光社製の活字自動鋳造機を導入して活字自家鋳造に着手し、さらに「小池式日本語モノタイプ活字鋳植機」を設置し、ついには海外から「モノタイプ自動活字鋳植機」を導入して、高度学術書の組版・印刷にあたられた。

現在は事業をすべてご子孫に任せて第一線を引かれているが、現在の「小宮山印刷工業」の概要だけを紹介したい。

小宮山印刷工業株式会社
代表取締役社長/小宮山恒敏

現所在地/本  社:東京都新宿区天神町78番地
宮城工場:宮城県気仙沼市本吉町猪の鼻169-7
KOPAS(仙台営業所):宮城県仙台市青葉区木町通2-5-19
KOPAS LANKA Company (Pvt.) Ltd.
従業員数/251名

10年ほど前から、小宮山さんの名刺には「小宮山印刷工業株式会社   小宮山  清」とだけしるされていた。肩書きに類するものはまったくなかった。その名刺もことしからは用いないことに決められたそうである。
それでも小宮山 清さんは、ページ物欧文組版、欧文印刷、とりわけ欧米有力大学の東洋学の分野における「欧文・漢文、欧文・和文」混用となる高度学術書の組版・印刷に関しては、わが国有数の知識と経験を有されている。

ランストン・モノタイプ社製 Type Lining Tester 活字列見。欧文のベースラインの揃いなどを確認・調整するための器具。実際の使用に際しては90度回転させて、マイクロ・ゲージが下部になるようにしてもちいる。小宮山清氏蔵。
LINING-TESTER-拡大イメージ これはナニ?

[ 参照資料:タイポグラフィ あのねのね*018  Inspection Tools 活字鋳造検査器具  活字列見 ]

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またその企業 小宮山印刷工業 とは、学術・研究書を中心にきわめて高い評価があり、小宮山清さんがときおり本郷あたりに出没すると、少壮研究者のころから、論文のまとめや執筆・刊行にお世話になったとして、並みいる大学教授が深深とお辞儀をするほどの人物であることはほとんど知られていない。
また小宮山印刷工業独自の一貫生産システム ──  Komiyama Orijinal Printing Automation Systemは「K O P A S」と呼ばれ、同システムによる学術書出版への評価はたかく、スリランカ(旧・セイロン)にも関連企業を有している。
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小宮山 清さんは、サラマ・プレス倶楽部やタイポグラフィ学会主催のイベントには、しばしば気軽に足を運ばれている。そこで活版印刷実践者の若者たちと、あれこれと活字・印刷・製本などの技術を物語ることが至極楽しそうである。

ご本人はまったく偉ぶることが無いし、質問には懇切丁寧にこたえられ、自分の功績や会社の規模を誇ることはないから、サラマ・プレス倶楽部の会員の皆さんは、ほんとうに親しく「小宮山さん、小宮山印刷のおじいちゃん」として敬愛しているようである。

アダナ・プレス倶楽部餅プレス大会-小宮山清さん

サラマ・プレス倶楽部 餅プレス大会で、威勢よく杵をふるう小宮山 清さん。このとき御年83歳。お元気である。ともかく若者は、つきたてのおいしい餅を食べることと、呑むことに夢中なので、三臼ほどを小宮山さんが率先して搗きあげていた。2011年11月27日。足立区ママースの協力にて。

《2011年3月11日、あの日のこと……》
宮城県気仙沼市本吉町猪の鼻169-7 に主力工場を置き、仙台市に「COPAS  事業部」をおく小宮山印刷工業にも、あの日の被害はおおきかった。

小宮山清さんに、津波が近在の河川をつたって、本当に気仙沼工場の直下まで激しい勢いで押しよせた映像をみせていただいた。
「びっくりしたけどねぇ、それでも高台に工場をつくっておいたから助かった。若い社員のみんなが頑張って、もうすっかり復旧させましたよ」

いつもの抑揚せまらぬ口調で、おおきな災害をかたられた。
小宮山印刷工業は、いまは小宮山清さんのご子息や甥の経営陣が主体であり、四代目にあたる孫世代への継承がつづいているそうである。小宮山清さんはそんな現状を、自分はやりきったおもいでみまもるだけで、余計な口出しはしないそうである。
そんな小宮山 清さんに、タイポグラフィの来し方、行く末をうかがいたい。
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「朗文堂ちいさな勉強会」
戦後の復興期から高度学術書印刷に挑戦を重ねたひと ── 講師:小宮山 清さん
本講座は狭隘な会場で開催されています。基本的に会員のみのご参加で、一般公募は実施しておりませんのでよろしくお願いいたします。

【ちいさな勉強会】研究社・研究社印刷の百余年に及ぶ歴史からまなぶ ── 講師:小酒井英一郎さん

IMG_0919研究社印刷株式会社 社長:小酒井英一郎さん
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《朗文堂 ちいさな勉強会──研究社印刷株式会社社長:小酒井英一郎さん》
去る07月19日[金]、研究社印刷株式会社:小酒井英一郎さんを講師にお招きして、朗文堂/タイポグラフィ学会/サラマ・プレス倶楽部/平野富二の会 ── 合同による「ちいさな勉強会」を開催。歴史と伝統を誇る研究社/研究社印刷の百余年にわたる歴史をお話しいただきました。

◉ 第一部 研究社百年の歩みを中心に
『 TYPE FACES 』

研究社印刷 1931(昭和6)年版 B 5 判 160 ページ かがり綴じ 上製本
この活字見本帳は、端物用、ページ物用の欧文活字書体の紹介がおもである。高島義雄 → 加藤美方をへて朗文堂に譲渡された。研究社印刷・小酒井英一郎氏によると、研究社の冊子型活字見本帳では、これが最古のものであり、またこれが唯一本とみられるとのことである。

『 SPECIMENS OF TYPE FACES 』
研究社印刷 1937(昭和12)年 同社蔵) B 5 判 160ページ かがり綴じ 上製本
前掲見本帳から7年後、同社が活字自動鋳植機モノタイプマシンを本格展開した際に製作されたとみられる活字見本帳。研究社とその関連部所に、都合 2 冊が現存する。
ライノタイプ・マシンが中心の1931年(昭和6)版での欧文活字書体は、Century Expanded, Granjon が中心だったが、モノタイプマシン中心の1937年(昭和12)版では Garamond, Aldine Bembo が中心書体に変わっている。いずれの書体も名書体として、いまなお評価が高いものばかりである。

『研究社八十五年の歩み』
1992年(平成4)12月15日発行、編者:研究社社史編集室、発行所:株式会社研究社本社、組版印刷:研究社印刷株式会社、製本:黒田製本所、B 5 判 上製本、312ページ ケース函入り

『研究社百年の歩み』
2007年(平成19)11月3日発行、編者:研究社社史編集室、発行所:株式会社研究社、組版印刷:研究社印刷株式会社、製本:株式会社ブロケード、B 5 判 上製本 520ページ ケース函入り

《研究社と研究社印刷》
◉ 研 究 社 は、
1907(明治40)年、小酒井五一郎(当時26歳)が「英語研究社」の名称で麹町区富士見町6丁目10番地に創業以来、一貫して英語関連の出版事業を展開している。1916(大正5)年、社名を「研究社」と改称した。
創業当初から、つねに世界に拓かれた出版をモットーとしてかかげ、現在、辞書・書籍・電子の領域において 最高水準の出版物を刊行するための努力を継続中の企業。現在の住所表記:東京都千代田区富士見 2ー11ー3

◉ 研究社印刷 は、
1919年(大正08年)研究社の印刷所として英文図書刊行に備え九段中坂に組版工場設立
1920年(大正09年)牛込区神楽坂に印刷工場新設
1924年(大正13年)改築の為一時飯田町に移転
1927年(昭和 02年)神楽坂印刷工場完成
1939年(昭和14年)吉祥寺印刷工場設立
1947年(昭和22年)富士整版工場設立
1951年(昭和26年)研究社印刷株式会社として分離独立
1984年(昭和59年)富士整版工場、吉祥寺工場を吸収合併し、新座市野火止に新社屋完成

[ 関連: 研究社 HOME   研究社会社案内  研究社印刷株式会社 ]
[ 参考: NOTES ON TYPOGRAPHY  【かきしるす】タイポグラファ群像*01|加 藤 美 方|かとう よしかた 1921-2000

研究社百年の歩み_ページ_03 研究社百年の歩み_ページ_04 研究社百年の歩み_ページ_05 研究社百年の歩み_ページ_06 研究社百年の歩み_ページ_07 研究社百年の歩み_ページ_12 研究社百年の歩み_ページ_13 研究社百年の歩み_ページ_14 研究社百年の歩み_ページ_16 研究社百年の歩み_ページ_19
◉ 第二部 研究社の辞書の奥付をみる ── 武信和英大辞典を中心に
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創業から20年余ののち、小酒井五一郎率いる研究社は画期的な大型辞書に挑戦した。それは武信由太郎編『武信和英大辞典』の刊行であった。当時はまだ英和辞典ですら稚拙なものが多かった時代にあって、いきなり大型の和英辞典の刊行は無謀ともいえた挑戦であった。ところが『武信和英大辞典』は市場で熱狂的な好評を博し、研究社では増刷につぐ増刷を重ねることとなった。

研究社は創業以来、読み物は秀英舎、辞書・辞典類は東京築地活版製造所に組版・印刷を発注することが中心であった。したがって『武信和英大辞典』の当初の印刷担当は「東京市京橋区築地二丁目十七番地 東京築地活版製造所」であった。
印刷者として記録されている「大久保秀次郎」は東京築地活版製造所印刷部門の有能な責任者であったとみられ、岩波書店『漱石全集』の印刷者としてもこの名をみることができる。

研究社は1920年(大正09年)牛込区神楽坂に印刷工場を新設し、1924年(大正13年)改築の為一時飯田町に移転したのち、1927年(昭和 02年)神楽坂印刷工場を完成させている。したがっていつからこれだけの大冊図書を、東京築地活版製造所に代わって組版と印刷をはじめたのかはわからないが、最終図版に紹介した「昭和二年十月一日訂正第五十九版」の印刷所は「東京市麹町区飯田町六丁目一番地 研究社印刷所」となっている。影印からみる限り活字書体は東京築地活版製造所製とみられる。
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昭和15年ころになると、一部に「皇国史観」がみられ、英語は敵性言語とされて排斥される風潮が芽ばえた。また日中戦線が拡大し、太平洋戦争の予感が強まるのにつれて、物資が困窮をきたし、印刷活字界には官制の国民運動「変体活字廃棄運動」が横行した。研究社ももちろんその埒外にあるわけではなく、過酷な移転命令・活字没収・企業合同の荒波に翻弄されることとなった。
残念ながら小酒井英一郎さんによる講演はここで時間切れとなった。戦後の研究社/研究社印刷を中心に、再度の講演を依頼して歓談に移った。

ともあれ、研究社が「英和辞書」にとどまらず、「和英辞書」の刊行に挑んだ功績は大きかった。
また「和英辞書」刊行の功績者として、武信由太郎(たけのぶ よしたろう 1863-1930)の名が知られたことも大きかった。この辞典は、武信没後の1940年に『新和英大辞典』と改題して刊行され、現在にいたるまで研究社の和英辞典として確固たる名声を得ている。
ここでは同様に、三省堂における「漢和辞書」への挑戦も再度記録しておきたい。

わが国における「漢和辞書」成立の功績者は三島 毅(みしま-こわし 中洲と号す。文学博士 1830-1919)である。三島は旧幕臣で、老中板倉勝静の家臣だった人物である。
維新後は多くの碑文を撰し、そこには「東宮侍講從四位勲三等文學博士三島毅」と刻されていることが多い。

三島は重野安繹(しげの-やすつぐ 通称:厚之丞、薩摩藩士、昌平黌にまなぶ。維新後政府の修史事業にあたる。東大教授として国史科を設置。1827-1910)らとともに、三省堂編『漢和大字典』の編纂・監修にあたった。

研究社における「和英辞典」の刊行(大正7年9月25日)と同様に、「国語辞書」の成立に較べると、近代「漢和辞書」の成立は大きく遅れている。
すなわち三島 毅らは、急速に木版刊本の雕字工匠が姿を消した明治時代後半期にあって、活字版印刷術、とりわけ異体字・俗字など、ふつうはもちいられない特殊な漢字活字の開発と発展をまってから、ようやく「漢語 ⇄ 和語 漢和辞典」をつくることができるようになった。

一九〇三(明治三六)年、重野安繹・三島 毅・服部宇之吉監修、三省堂編『漢和大字典』は、清の康煕帝の勅命によって一七一一年に成った『佩文韻府』系(はいぶんーいんぷ 詩をつくったり、ことばの出典を調べる際の参考書。一〇六巻 佩文は康煕帝の書斎名による)の辞典で、その後のわが国の一連の「漢和字典・漢和辞典」の形式を創出した。

[ 参考: 花筏 【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-05 明治産業人掃苔会訪問予定地 戸塚文海塋域に吉田晩稼の書、三島 毅・石黒忠悳の撰文をみる

【会員情報】「活版TOKYO 2019」|8月30日・31日、9月1日|会員多数参加・ご参観を

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OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA会場写真は前回のものです

活版TOKYO 2019」  
日  程  2019年8月30日[金]、31日[土]、9月1日[日] 雨天決行
時  間  30日[金]12:00-19:00、31日[土]・9月1日[日]11:00-17:00
会  場  神保町三井ビルディング 1 F エントランス/千代田区神田神保町1-105 
                      テラススクエア 1 F、2 F/千代田区神田錦町3-22
料  金  入場無料
主  催  活版TOKYO運営事務局
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活版 TOKYO とは、活版印刷という昔ながらの技術に再び光を当て、活版印刷の魅力を様々な世代の人達に知って欲しいという思いから、2015年より始まったイベントです。製版業者やデザイナーなど、印刷に関わる作り手と、印刷や紙に興味のある方が直接出会い、より身近に活版印刷の魅力を感じ触れていただく場として、今回で5回目の開催となります。 活版 TOKYO は、これからの活版印刷の在り方を様々な形で発信していきます。

[詳細・問いあわせ先:活版 TOKYO 運営事務局 担当:東條 E-mail:info@kappan.tokyo ]

【会員情報】長崎大村市つじ印刷:辻 義宣さん|坂本龍馬の大ファン|Viva la 活版 ばってん 長崎の思いで写真

20190729185004_00001亀山社中記念館 市販絵はがきゟ(高知県立坂本龍馬記念館提供)
20190729185004_00002坂本龍馬立像(長崎市亀山社中記念館)市販絵はがきゟ

2016年05月 Viva la 活版  ばってん 長崎 開催
早いものです、あれから三年。長崎県大村市に新会員が誕生

b8e5804fb494123badf17905fc073dec-723x1024 b0612f29a783c99675385c03b72c3288-724x10242016年5月6-8日《Viva la 活版  ばってん 長崎》は五月晴れの長崎で開催されました。
主会場は長崎県印刷会館の四階と一階を拝借してのイベントでしたが、全国各地からサラマ・プレス倶楽部会員が長崎に集結して、とてもにぎやかなイベントでした。
ご存知のように、長崎はわが国の近代活版印刷術導入の地であり、本木昌造や平野富二をはじめ、多くの印刷人ゆかりの地であります。その「長崎」においてのイベント開催は、活版印刷の「知と技と美」を研鑽されてきた造形者の皆さんにとって、集大成の、そしてまた、あらたなる進化・発展の第一歩となりました。
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新会員:株式会社 つじ印刷 代表取締役社長:辻 義宣 さんは、長崎空港にちかい大村市を本拠地として MANBOW 事業部、福岡営業所などを併設されています。そして大の坂本龍馬ファントして、自社のレターヘッドにも坂本龍馬像を用いるほどの入れ込み様です。今回は「長崎市亀山社中記念館」市販の絵はがきをたくさんお送りいただきました。
《Viva la 活版  ばってん 長崎》の「崎陽探訪・活版さるく」では、風頭山の伊良林公園も訪問しましたが、亀山社中記念館は前を通りすぎて、寺町通りの禅林寺方向に向かって歩きましたから、この絵はがきは初見でした。

辻さんご提供の絵はがきとともに、三年前のおもいでの地:長崎と「崎陽探訪・活版さるく」の折の写真を紹介いたします。[写真提供:春田ゆかり会員]

6-10-49199 6-6-49192 DSC00679 DSC00681 6-5-49191 DSC00694 DSC00700 6-11-49201-02 DSC00676 6-12-49202-02

【艸木風信帖】空中庭園に謎のキノコが大量発生|連日異常繁殖展開中|灼熱の夏よ早く来たれ

コガネキヌカラカサタケかねがね雑艸という名の艸は無いといいつづけてきた。ところがことしの異常気象 ── 気温の低下と長雨にはいささか困惑している。「海の日」を過ぎても梅雨があけず、吾が空中庭園では、なんと謎のキノコが大量発生した。

高層階のベランダの内側に固定して設置してある小型の植木鉢だが、写真は鉢植えのランタナ(パニックドーム)の咲き終わりの姿で、右は蚊よけの「蚊連艸」である。
長雨で水遣りは控えていたつもりだったが、昨週週末にニョキッとキノコの発生をみた。7月21日[日]は参議院議員選挙で、投票から戻ったらニョキニョキと、もっとたくさん生えていた。

さっそくノー学部が「きのこ図鑑」で調べたところ「コガネキヌカラカサコケ」ではないかと診断した。

ウィキペディア ゟ
和名:コガネキヌカラカサタケ 英名:flowerpot parasol ,  plantpot dapperling
コガネキヌカラカサタケ (黄金絹唐傘茸  Leucocoprinus birnbaumii )は、ハラタケ目ハラタケ科に属するキノコである。 
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熱帯性であり、沖縄などでは夏から秋にかけ、植え込み、芝生の上、室内の植木鉢などあらゆる場所に発生する。傘は綿くず状の片鱗に覆われ、高さは 7 cm ほど。腐葉土など養分の多い土壌を好み、本州でも見られるが、自生はせず、熱帯地方から持ち込まれた腐葉土に混ざった菌から発生することが多い。子実体の色はおおむね白褐色から黄色になる。
<食  毒>
本種に関する詳しい文献はまだ少なく、食毒不明として扱われているが、その一方で非常に美味であるともいわれる。詳しいことはわかっていないので食べるべきではない

サラマ・プレス倶楽部では、かつてはこの「海の日」の三連休にさまざまなイベントを実施していた。ところが地球温暖化がやかましくなり、2013年のこの時期のイベントは、東京をはなれ、北海道美唄市で<Viva la 活版  Viva 美唄>を展開した。このときは北海道でも例年にない暑さということで、来場者もスタッフも疲労困憊状態となったので、それ以降夏のイベントは控えるようにしていた。
[ 関連: 活版 à la carte Viva la 活版  Viva 美唄

最近は新潟での地震があり、長崎五島列島では渇水をうれえていたら、集中豪雨に見舞われ、全島避難騒ぎとなったという。全国各地にサラマ・プレス倶楽部の会員が増えてきた今、どの地域・地方でも、つつがなく梅雨が明け、蟬がうるさく啼きつのる猛暑の夏を待つきょうこのごろである。
[関連:活版 à la carte 【Lingua Florens 草木風信帖】雨にうたえば|合歓木/サルビア・ガランチカ/ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)|ことしも元気に開花中

【会員情報】「活版TOKYO 2019」|8月30日・31日、9月1日|会員多数参加・ご参観を

logo2 OLYMPUS DIGITAL CAMERA OLYMPUS DIGITAL CAMERA会場写真は前回のものです

活版TOKYO 2019」  
日  程  2019年8月30日[金]、31日[土]、9月1日[日] 雨天決行
時  間  30日[金]12:00-19:00、31日[土]・9月1日[日]11:00-17:00
会  場  神保町三井ビルディング 1 F エントランス/千代田区神田神保町1-105
                      テラススクエア 1 F、2 F/千代田区神田錦町3-22
料  金  入場無料
主  催  活版TOKYO運営事務局
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活版 TOKYO とは、活版印刷という昔ながらの技術に再び光を当て、活版印刷の魅力を様々な世代の人達に知って欲しいという思いから、2015年より始まったイベントです。製版業者やデザイナーなど、印刷に関わる作り手と、印刷や紙に興味のある方が直接出会い、より身近に活版印刷の魅力を感じ触れていただく場として、今回で5回目の開催となります。 活版 TOKYO は、これからの活版印刷の在り方を様々な形で発信していきます。

[詳細・問いあわせ先:活版 TOKYO 運営事務局 担当:東條 E-mail:info@kappan.tokyo

【さようなら】有限会社東信堂印刷所:桜井孝三さん|ご報告:2019年6月14日 逝去されました|1934-2019

20190710201627_00001桜 井  孝 三
1934年(昭和09)6月22日-2019年(令和元)6月14日 享年84

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【 桜  井  孝  三 】

昭和09年(1934)東京都台東区浅草に生まれた。第二次世界大戦にともなう強制疎開により、長野県埴科郡雨宮縣村(現・千曲市雨宮-あめのみや)の母方の実家で育ち、昭和25年の春中等教育を終えて上京。
浅草一帯は焼亡していたため、印刷会社の見習いをしながら、夜学の都立小石川工業高校印刷科に学ぶ。10年間活版印刷の植字工・印刷工として勤務したのち、昭和35年(1955)04月、26歳で調布市上石原で東信堂印刷所を創業。社名の由来は「東京でうまれ、信州で育った」ことにちなんで有限会社「東信堂」とした。

昭和55年(1980)から四年間、東京都印刷工業組合三多摩支部長を務め、没年まで顧問。また東京都印刷工業組合本部理事を務める。その傍ら、『多摩の印刷史』編纂委員長、『東京の印刷組合百年史』「画像集篇」の史料収集を担当。平成11年(1999)東京都印刷工業組合三多摩支部『創立50周年記念誌』編集長。
この間、幕末・明治初期の洋式活版印刷術の研究に没頭。また近藤勇の生家が東信堂印刷所から至近の地にあったため、新選組の史実の究明に励む。
amenomiya遺著となった『雨宮 アメノミヤ の渡し ─ 詩碑建立の真実』(印刷・発行/有限会社東信堂印刷所  A5判  224ページ  上製本)は、川中島合戦において、上杉陣が千曲川、雨宮の渡しを渡河したのを記念して、賴 山陽-らい さんようーの「鞭声粛々」の詩を石に刻み、後世に残そうと建てられた「鞭声の詩碑」の調査研究書である。
[関連:【会員情報】図書紹介/高松宮殿下御視察の川中島古戦場『雨宮の渡し ── 詩碑建立の真実』 桜 井 孝 三 著 印刷・発行/東信堂印刷所 2018年07月31日

{「平野富二生誕の地」碑建立有志会}には率先して参加、終始協力されていた。また2018年(平成30「平野富二生誕の地建立記念祭」には講演担当を申し出るほどお元気だったが、秋口から躰調を崩され、11月のイベントには訪崎を断念。その後「間質性肺炎」と診断されて入院加療につとめたが、薬石効なく2019年(令和元)6月14日逝去された。
枕もとには完成直後の『平野号』が置かれていた。
葬儀は密葬をもっておこなわれ、有限会社東信堂(182-0035 東京都調布市上石原1-31-10 電話 042-485-2131)は、子息:桜井伸昭氏が社長に就任してその事業を継続中である。

【桜井孝三 執筆作品記録】

◎ 活版印刷関係

9995ff87a10127b11b4daaa0f529bd33 2015.9.19学会レクチャー_ページ_09陽其二陽  其 二 肖像(桜井孝三提供)

  • 「本木活字をたずねて」『印刷雑誌』1988年10月
    (印刷学会出版部刊)
  • 「適塾門下生調査資料(湯浅芳斎)」『適塾』No.21
     1988年11月(適塾記念会刊)
  •  「幕末における本木昌造の書物と活字」(1)『印刷雑誌』
     1989年1月号(印刷学会出版部刊)
  •  「幕末における本木昌造の書物と活字」(2)『印刷雑誌』
     1989年2月号(印刷学会出版部刊)
  •  「『横浜毎日新聞』は木活字で創刊」『印刷雑誌』
     1990年9月号(印刷学会出版部刊)
  • 「横浜活版社の出版活動と陽 其ニ」『印刷雑誌』
     1990年10月号(印刷学会出版部刊)
  •  「幕末・八王子の活字版蘭書」『アステ』No. 9
     1991年11月(リョービイマジクス株式会社刊)
  •  「青木芳斎の鋳造活字と日本の翻刻本」『民権ブックス』No. 5
     1992年3月(自由民権資料館編集・町田市教育委員会発行)
  •  「本木昌造、平野富ニ異聞」『印刷雑誌』1995年7月号
     (印刷学会出版部刊)
  •  「多摩の印刷史を語る」梅津敬・桜井孝三 講 演 録『民権ブックス』No. 9
     1996年3月(自由民権資料館編集・町田市教育委員会発行)

◎ 新選組関係

  • 「土方歳三の写真」を解明する『幕末史研究』No.35 (土方歳三特集)
     1999年2月(三十一人会刊・小島資料館発売)
  • 「『近藤勇の写真』撮影地を確定する」『歴史読本』
     1999年11月号(沖田総司特集)(新人物往来社刊)
  • 「近藤・土方供養塔建立の真実」『歴史読本』
     2000年12月号(新選組全史)(新人物往来社刊)
  • 「高幡不動『殉節両雄之碑』建立秘話」『歴史読本』
     2004年3月号(近藤・土方・沖田の新選組)(新人物往来社刊)

 { 新 塾 餘 談 }

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【展覧会】チェコセンター|写真展「ビロード革命 > 1989」|5月17日-6月26日

100X100__05-kotek-l今年は1989年の ビロード革命 からちょうど30年の節目です。40年にわたる共産党政権の独裁体制が終わり、チェコの新たな時代の幕開けとなる瞬間をとらえた写真作品を集めた記念展示を開催いたします。
1988年の全体主義体制に対するデモ、1989年に起こった動乱、そして1989年11月17日のビロード革命、それに続く熱狂。さらに、ビロード革命の終結を意味する1990年から1991年にかけてのソ連軍のチェコスロバキアからの撤退など、チェコの写真家15名による35点の作品をご紹介いたします。
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会  期  2019年5月17日[金]-6月26日[水]

      平日 10:00-17:00(火・木は19:00まで開館)
会  場  チェコセンター東京展示室

      〒150-0012 東京都渋谷区広尾2-16-14 チェコ共和国大使館内
      電話 03-3400-8129  入場無料

主  催  チェコセンター
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◉ 写 真

ラデク・ベイガル、ラドヴァン・ボチェク、カレル・ツドリーン、プシェミスル・フニェフコフスキー、ルボミール・コテク、ヤロスラフ・クチェラ、ミハル・クルムプハンズル(チェコ通信社)、ダナ・キンドロヴァー、ペトル・マチチュカ(チェコ通信社)、ロマン・セイコット、ヤン・シビーク、パヴェル・シュテハ、イジー・フシェテチュカ、ミロスラフ・ザイーツ

◉キュレーター
ダナ・キンドロヴァー Dana Kyndrová(1955年生まれ)
プラハ・カレル大学哲学部にてフランス語とロシア語を専攻(1979年卒)。10年間チェコ工科大学機械工学部言語学科で勤めた後、1989年11月以降はプラハ芸術アカデミー言語学科勤務。1992年からはフリーの写真家として活動、チェコ国内外で多数の展示を開催するほか、これまでに母親であるリブシェ・キンドロヴァーとの共作を含め8冊の書籍を出版。
受賞歴:
1995年-1999年、Czech Press Photo (合計7賞を獲得)

1998年、Fujifilm Euro Press Photo Awards 全国大会最優秀賞(1992年2月ロンドンにおけるヨーロッパ大会でチェコ代表として出場)
2006年、ロシア正教会巡礼の作品シリーズにてプラハ市助成金を獲得し、プラハのホームレスをとらえた作品を制作
近年では自身の制作活動に加え、写真関連のキュレーター、オーガナイザーとしても活動しはじめた。ドキュメンタリー写真家のミロニュ・ノヴィーに関しての論文を発表(2000年)したほか、戦後のチェコに焦点をあてた展示を複数企画し、展示写真集も刊行している。このキュレーション活動が認められ、チェコプロ写真家協会より「チェコ写真における人物2008年」に選出された。

◉ 文
イジー・スク Jiří Suk
(チェコ科学アカデミー 現代史研究所 歴史家 1966年生まれ)

チェコ科学アカデミー現代史研究所研究職。専門は1948年2月以降の共産主義体制、反体制の知的・政治的相続、1989年11月以降の共産主義政権後の変容。書籍や研究、論文の編纂のほか、自身も共産党体制や革命をテーマとした書籍を多数執筆。

[ 詳細: チェコセンター

【古谷昌二 新ブログ】 東京築地活版製造所 歴代社長略歴|第五代専務取締役社長 野村 宗十郎

東京築地活版製造所第五代野村宗十郎

東京築地活版製造所 第五代社長 野村宗十郎

(1)第五代社長として専務取締役社長に選任
(2)東京築地活版製造所に入社までの略歴
(3)東京築地活版製造所への入社とその後の昇進
(4)支配人時代の事績
    1)活字のポイントシステム調査と導入・普及
    2)コロタイプによる写真印刷の実用化
    3)組織改革と営業活動、博覧会出品
      <組織改革> <営業活動> <博覧会出品>
    4)業界活動と社会貢献
      <外部団体の役員就任> <印刷物見本交換会の開催>
(5)専務取締役社長としての事績
      <事業の拡張・縮小> <ポイントシステムの普及> <社外活動><博覧会出品> 
      <エピソード>
    1)内田百閒と築地13号室
    2)新社屋の裏鬼門
      <持病の悪化と死去>
(6)没後の記録
まとめ
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ま と め
野村宗十郎は、長崎に居住する薩摩藩御用商人の服部家に生まれた。親戚の野村家当主が戦死したため、その名跡を継いで長崎製鉄所の第3等機関方となった。しかし、それは短期間で、技術者としての素養を身に着けたとは考えられない。
実父は、維新により家職を失い、明治3年(1870)に本木昌造が開いた長崎の新町活版所に勤務した関係から、野村宗十郎も活版印刷に多少の関わりを持ったと言われている。

その後、病弱の身を押して勉学にはげみ、大学予備門を中退して簿記を学び、大蔵省に入省した。しかし、専ら外回りの勤務に見切りをつけて退省した。その時、すでに数え年33となっていた。
退省した野村宗十郎は、陽其二の推薦を得て、明治22年(1889)7月、東京築地活版製造所に将来の幹部候補として招聘された。野村宗十郎が最初に配属された先は倉庫係だったが、3年後の明治25年(1892)8月には早くも社長曲田成の下で副支配人となり、その翌年8月に支配人となった。

さらに、明治29年(1896)4月に社長名村泰蔵の下で取締役支配人となった。明治40年(1907)9月には、名村泰蔵死去の跡を継いで専務取締役社長に選任され、大正14年(1925)4月23日に数え年69で病没するまで社長職を務めた。
支配人として15年間、取締役として11年間、専務取締役社長として18年間、それぞれ重複する期間はあるが、東京築地活版製造所の経営に関わったことになる。

野村宗十郎は、入社して間もなく、活版製造事業について学ぶ中で、活字サイズの決め方に疑問を持ち、外国文献にポイント・システムがあることを知った。結果的に、野村宗十郎に一人合点と思い違いがあったと見られるが、このポイントシステムが本木昌造の決めた活字体系に合致することを知り、改めて本木昌造にたいする尊敬の念を強めるとともに、わが国の統一システムとして普及させることを決意したと見られる。

曲田社長の理解と名村社長の積極的後援を得て、野村宗十郎は死去する直前までポイントシステムに焦点を当てて、その普及に努めた。その結果、新聞社がその利便性に着目して採用するものもあったが、読者の受け入れ易さを主に、紙面の構成やバランスなどを試行錯誤する状態が続いた。やがて、全国の新聞界はすべてポイント活字に風靡されるようになり、一般の印刷工場においてもポイント活字を整備することになった。
このようなことから、大正5年(1916)2月15日、野村宗十郎は、ポイント式活字の創造と普及によりわが国の文運隆興を補助したとして、藍綬褒章を下賜された。

会社の経営面から見ても、ポイントシステムへの切替需要により、順調に増収増益を重ね、大正11年(1922)後期の決算では、資本金が30万円であったが、売上高57.7万円余、純利益10.5万円を記録している。
しかし、牧治三郎によると、東京築地活版製造所の全盛期は大正12年(1923)を以って終わった。活字鋳造が次第に自動鋳造機械の普及に従って、大口需要家の新聞社をはじめ、一般印刷業者も自家鋳造へと移行する形勢を示した。
それにも関わらず、関東大震災でほとんど全ての製造設備を失った東京築地活版製造所が採った対応は、旧態依然とした手廻鋳造機を中心とする活字製造事業に注力し、手工業的体質からの脱却、活字需要者の変化に対する対応が見られない。

大正時代になると、一般製造業の発展により女工不足が深刻となった。また、職工組合による賃上げ要求ストライキが発生するようになっていた。
野村宗十郎は、創業者である本木昌造を敬うあまり、実質的に活版製造を事業として完成させ、海外需要にも目を向けた平野富二、時代の局面で同業組合による協調で切り抜けた曲田成、日清・日露の戦争による好況、不況を積極経営で乗り切った名村泰蔵の3人の社長が敷いた布石を発展させることなく、ポイントシステムの成功に酔いしれていたとしか考えられない。

曲田社長が糸口を付けたコロタイプ版や網目版による写真印刷は、新しい印刷事業の方向性を示すものであったが、その後の展開が見られない。また、印刷物蒐集交換会も、社長に就任してから1回開催しただけで、中止してしまった。
明治18年(1885)には、石版技手人名鏡に東京築地活版製造所が国文社と共に勧進元となっているように、活版印刷と石版印刷〔オフセット平版印刷につらなった〕の双方の印刷分野でトップクラスの技術と実績を持っていた。

さらに、名村社長が復活を手掛けた印刷機械製造事業についても、その製造機種は依然として平野富二が製品化した機種ばかりで、急速に普及しつつある輪転印刷機やオフセット印刷機などの国産化には全く関心がなかったようである。
さらに問題なのは、次期社長とするべき後継者を育成することなく死去したことである。
そのため、遠隔地である長崎に居住し、多くの会社の役員を兼任する松田精一が引き継がざるを得なくなった。
それでも、有力な支配人が実質的な経営に取り組んでいれば別であるが、昭和3年(1928)6月の株主総会で取締役に指名された支配人大沢長橘は知名度が低く、それまで、どのように経営に関わっていたかは知られていない。

野村宗十郎は、活版の大業に一大功績を残し、東京築地活版製造所の興隆に尽くしたとされている。しかし、結果的にバランスを欠いた経営が、その後の苦境を乗り切れず、その死去から13年目に会社解散に追い込まれる要因になったと見られる。

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【もんじ】吉祥もんじ 合体字|招財進寶ーしょうざいしんぽう|

招財進寳

《馴染みのお店がどんどん消える昨今》
衣食住にはこだわりが無い …… と公言してきた。それはいまも変わらないが、さいきん馴染みの飲食店の廃業が続いてなさけない思いをしている。

酒は呑まないので和食の店はおおきく制限される。中国料理も大型店だとひと皿五人分ほどの料理が提供されるので、退勤途中にちょっと何品かで食事というのには重すぎるし、定食では飽きて物足りないこともある。

お気に入りだった中国料理店は「臺灣 ≒ 台湾小皿料理店」で、ママさんは中国瀋陽(中国東北部・旧奉天)出身であるが、コックさんとスタッフは台湾の出身。したがって少量で安いので、フラリと寄っても四-五皿の料理を楽しめるし、南部のお米料理・北部の万頭料理も過不足無くたのしめた。店がすいていれば 莨 も遠慮しながらではあるが吸うことができた。馴染みの店とはそんなものである。

この店が人手にわたったらしい。とたんにすっかり料理もふんいきも変わり、即座に逃げだしたが代わりの店が無かった。ようやく「新宿御苑共和会通り」に気に入りの店をみつけた。ホールは小姐-シャオジェとオバサンの中間ほどの姉妹で、キッチンはふたり。旨くて安いから30-40名ほどの団体も相当はいるが、このふたりは平然と消化しているからかなりのものである。

団体席との仕切りに「吉祥もんじ ── 合体字」があった。手許の辞書に熟語「合体字」はなかったが、「合体-ふたつ以上のものがあわさって、ひとつになること」で十分だろう。
月例会でこの写真が話題になり、中国大連近郊出身の張さんが、中国陝西省(日本でも)で流行っている「ビャンビャンメン」も例にあげて「合体字」の解説にあたってくれた。

【 YouTube 李玉萍 (萍萍老師) 書法/春聯教學 金字「招財進寶」楷書 1 : 49 】


《招財進寶の字画構成と意味》
招財進寶
「招財進寶ーzhaocai-jinbaoーしょうざいしんぽう」は金運を招き寄せる吉祥紋ーもんじである。

まず「たから-の異体字のひとつ、寳」を選び、ウカンムリから上部を書き進める。下部の「貝」は何役も兼ねるのでいくぶん細身に書く。ついで右側に「才」を置くと「財」になる。「才」をテヘンにみなしてさらに右に「召」を書くと「招」が完成し、左側に「隹」を書き、「辶-シンニュウ」を勢いよく蚕頭燕尾にまとめると、アラふしぎ ── 招財進寶のできあがりである。

ほとんどの中国人はお金へのこだわりを隠そうとしない。それでもこれで、安くて旨い中国料理を食し、お店もお客も大判小判がザックザクとなればいうことなしである。
張 文一さん西安にて上掲写真は張さんが陝西省西安で撮影した「ビャンビャンメン」。この合体字も麺もあまりうまくなかったとは張さんの言。
稿者は2010年に発祥地とされる陝西省西安でこの扁平幅広の麺を食したことがある。その後にも北京の陝西省料理店と、なぜか木工所訪問の帰りに葛飾区亀有でも食べた。
いつのころからか、この「もんじ」は日本の一部ではやっているという。稿者はやはり流行り物の一種とみたし、「合体字」としてはいささか不出来とみた。味も調理にも格別の意見はない。

中国と台湾には、ほかにも吉祥もんじとして「集字」「畳字」があるが、わが国では別の意味でもちられているので、すこし整理していずれ紹介したい。

[協力:青葉水竜さん、張 さん]